■NO 132号 2013年1月1日
編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所
今月の目次
新年ご挨拶
富のゆくえ (理事長 松原正毅)
人類史のなかで、富の蓄積に価値がおかれるようになったのは、比較的あたらしいことといえる。人類史の大半を占める狩猟採集時代は、基本的に平等社会であった。ここでは、富の蓄積そのものがおこらないし、それに価値をみいだすということはなかった。 最近、アメリカのスタンフォード大学の J.クラブトリー教授が、人類の知性の頂点は20 00年前から6000年前くらいであったという説を発表している。氏の説によれば、狩猟 採集生活の時代には知性や感情の安定性にすぐれた人が自然選択によって生きのこっていた のが、農耕生活の拡大にともなって知性や感情の不安定性が生死に直結しなくなり遺伝子の変異を自然選択する機能が停滞した結果、知性がすこしずつ低下するようになったという。 J.クラブトリー教授の説の妥当性については、さらなる検証が必要であろう。それでも、 富の蓄積という行為が農耕生活のなかから生まれでたことは確かといえる。富の蓄積に価値 をおく観念は、農耕生活の展開とともにあらわれた貨幣の発明によって強化されてゆく。この観念は、近代国家制度の確立によってさらに強固なものになった。それが、現在の経済成長第一主義、GDP 信仰につらなる。 問題は、蓄積された富のゆくえである。蓄積された富が、なににつかわれ、どのようなかたちで後世にうけつがれていったのか。これこそが、必要な歴史の検証といえるだろう。 現在、モンゴルではタバントルゴイ(石炭)とオヨートルゴイ(銅・金)両鉱山の開発ブ ームが湧きおこっている。これからもっとも重要なのは、これらの鉱山開発が生みだす莫大 な富のゆくえをしっかりとみさだめることである。この富がひろく公共の富となり、後世にのぞましいかたちでどのようにうけつがれてゆくのか。知性のはたらかしどころであろう。
新年明けましておめでとうございます (理事 小長谷有紀)
昨年はモンゴルの経済発展のすさまじさを目の当たりにしました。今年も鉱業を基盤に躍 進することでしょう。それゆえに、わたしたちのパートナーシップのありかたについて、あ らたな段階にきていることを強く感じます。とりわけ、ウラン産業のゆくえは気がかりです。鉱業開発の歴史に関するシンポジウムを 2 月 15 日に国立民族学博物館でおこないます。一般 の方々もご自由にご参加いただけますので、ぜひ大阪までお越しくださいませ。詳細は、み んぱくの HP の研究関連のシンポジウム等というところに掲示されています。
みなさまにとって、そしてモピにとって、充実した一年になりますように。
明けましておめでとうございます (理事 松本勝博)
新しい年が皆様方にとっても、モピにとってもすばらしい年となるよう願っています。世界に目を向けますと、国と国、民族と民族の間のさまざまな問題が連日報じられています。 パートナーシップを理念としているモピの存在意義が、今まで以上に大きくなっていると思 います。その理念を実際の活動で示していかねばなりません。モピが元気であるためには、 会員の皆様のご協力 ご支援が欠かせません。今年もよろしくお願いいたします。
新年明けましておめでとうございます (監査役 中野吉将)
昨年、10月にMoPI例会としてミホミュージアムに縄文土器、土偶展を見に行ってきました。現物をはじめて見る縄文の遮光器土偶、火焔土器の異様な迫力に圧倒されつつ、「芸 術は爆発だ!」の岡本太郎を思いだしました。形の異様さもさることながら、身にまとって いる衣装の多様性と、きめ細かさに驚きました。最近の発掘から、縄文時代の生活は案外豊 かであったのではないかといわれていることを、この衣装からみても納得できました。ネックレス、イヤリング、髪飾りなどの発掘と併せてみると、なかなかのお洒落。 時代がさがって弥生時代になると忽然と姿を消すところをみると、ひょっとして、縄文人 と弥生人の間に人種の違いが大きくあるのではないか、などと想像を逞しくしながら新しい年を迎えております。 新年のご挨拶に相応しくない内容になりましたが、それだけ興奮いまだ冷めやらずということなので、ご容赦ください。今年もよろしくお願いいたします。
MoPI新年懇親会&例会 ご案内
ー 家族健康センター訪問 ー (梅村 浄)
<ヒシゲーさんからのメール>
ーこんにちは。ぜひ病院に見学に来て下さい。
私たちの病院は家族健康センターといい、4人の医師と2人の看護師が働いています。近隣に 住んでいる約8000人の人々の健康管理をしています。日本では1人の医師がだいたい何人の患者を担当しているのでしょうか?日本ではどんな風に医師が仕事をしているかとっても興味 があります。ヒシゲーより
ーこんにちは。ぜひ病院を訪問したいです。
日本では個人開業医が多く、病気になった患者はまず近くの開業医の医院を受診します。医 院では風邪やこどもの怪我のような軽い病気を診療します。重い病気の患者は大きな病院に 紹介します。国立、都道府県立、市立病院の他に、私立病院もあります。日本では殆ど全員 が医療保険に加入しています。毎月、保険料を支払います。どの病院を受診した時も、医療 費の3割を負担します。
統計的には患者1000人につき2.2人の医師が担当しています。例えば、私の住んでいる市は 20万人の人口ですが、118人の医師が開業しているので、統計的には1人の医師が1700人を担 当していることになります。住民はどの医院を受診するのも自由ですし、他の市にある医院 を受診するのも自由なので、非常に混んでいる医院もあれば、空いている医院もあります。
ご家族の皆さんによろしくお伝え下さい。浄より
<家族健康センター訪問>
7月にモンゴル人医師のヒシゲーさんと上記のメールをやりとりして、黒板ツァーに旅立ち、8月中旬に彼女の病院を訪問しました。 涼の車椅子を押して、道端に立ってタクシーを停めました。アパートから出てすぐの国会議事堂裏の道は正午前というのに大渋滞です。スーッと停まった車はセダンタイプ。トランクに車椅子を押し込んで出発しました。ドライバーは銀行に寄って、自分の用事を済ませて来るとのこと、銀行前に路駐してしばらく待ちました。ウランバートルではプロのタクシー運転手は少なく、誰でも道端で客を拾って乗せる。ことができます。車中から携帯でヒシゲーさんに何度も電話するのですが、繋がりません。ドライバーに相談したら、彼も電話をかけてくれました。繋がりません。仕方がないので、病院の住所の方角に向けて渋滞の中を走って行きました。
「ボクの名前はヨンドンシャラウ」
「えっ?わからないので、ここに書いて下さい」
「珍しい名前ですね。モンゴル人ですか?」
「はい、そうです。○○族です」
「英語の勉強中です。日本に帰ったらメールを下さい」
ノートにメールアドレスを書いてもらいました。2回ほど通行 人にきいて道を確かめ、病院に着きました。タクシー代を払って、さあ、と見回すと、ちょうどヒシゲー さんが迎えに出て来てくれたところでした。急な坂道を車椅子 を押して下り、センターの入り口に着きました。コンクリート 2階建ての建物です。
まず、2階にある彼女の部屋に案内されました。デスクの上にはラップトップコンピューターとカレンダー、ファイルが載っているシンプルな部屋でし た。ヒシゲーさんは25歳。黒髪を後ろで結び、黒いカーディガンをはおって、ジーパンのラ フな服装です。健康医科大学を卒業後、1年間バングラディシュの病院で英語と臨床の研修を した彼女と、英語で会話しました。私のモンゴル語の医学用語は語彙が少なくて使えないの で、彼女が考え考え話してくれる英語が通じやすかったです。
2008年からモンゴルでは大学卒業後、若い医師は家 族健康センターで働くことが義務づけられました。ウ ランバートルだけではなく、地方に赴任する医師もあ り、医師不足を解消できる面はあるが、一次医療の実 習をしないまま卒業した医師が配置されて、充分な診 療が行えない場合もあるようです。
廊下にこのセンターがカバーしている近隣の大きい 地図が貼ってありました。その隣には、妊産婦への健 康注意事項、子どもの予防接種スケジュール表が掲示 されています。廊下ですれ違った肥った看護婦さんは、 看護帽にユニフォームを着ていました。日本から持って来た土産のお菓子をヒシゲーさんが看護婦さんに渡す時、彼女の方が遥かに年下にもかか わらず、その医師らしい態度に、軽い驚きを感じました。
注射室では 1 人の中年男性の点滴が終わったところでした。ヒシゲーさんが点滴の針を抜 き、アルコール綿をあてて絆創膏で圧迫して、次の受診日を約束しました。消毒室にはガー ゼ、医療器具を消毒する大型のオートクレーブ、赤ちゃん健診の部屋には、ユニセフからの 寄付ラベルが貼られた赤ちゃんの体重計がありました。 「外国からの寄付を受けて、器具をそろえているんですよ」 と、はにかみながら説明してくれました。
1 階には運動器具を備えたジムがあり、ドアには健康増進の体操ポスターが貼られていまし た。隣の待ち合い室は、ペンキ塗り替え中で入れませんでした。壁にはめ込みのガラス戸は、 冬の寒さに備えて 2 重になっています。夏の 3 週間ばかりは、全館が整備工事中のせいか、 閑散としていました。
<家族保健センターとモンゴルの医療>
モンゴル全土に渡って、同じような家族保健センターが配置されています。その数は 219箇所です。(2011 年のモンゴル国立統計局統計から)全国民はそれぞれ自分が住んでいる地区 のセンターに登録されており、風邪やちょっとした怪我などの一次医療や、予防接種を受け ることができます。家族保健センターについて調べてみました。モンゴル国保健省のサイト にはもちろん、載っていました。が、私のモンゴル語力では解読に時間がかかりすぎです。 在モンゴル日本大使館の竹川医務官にメールを出して、モンゴルの医療制度について質問し たところ、丁寧に私の疑問に答えて下さいました。
家族保健センターの仕事は私が見学した通りの内容でしたが、以下のコメントを頂きました。
̶ 医療器材は限られており、聴診器のみで医療を行っているところもあります。心電図(+ ポータブルエコー)までで、レントゲンはないと思います。
̶ ゲル地区の住民は家族保健センターで妊婦検診を受ける場合もあるが、ウランバートル市 民の多くはエコー検査のできる地区病院や私立病院に行くことが多く、分娩近くに出産病院 に行っています。
̶ ジムを備え付けている家族保健センターは珍しく、他にはあまりないのではないでしょう か。
次に、モンゴルの医療費の支払いについてきいてみました。患者の側からは切実な問題で す。
̶ このセンターにかかる場合、診察と処方箋の発行は無料ですが、投薬は院外処方となり、薬局での支払いが必要です。検査については地区病院で行われるため、家族保健センターに 支払うことはないと思います。家族保健センターから、2 次医療施設の地区病院に紹介され、 さらに 3 次の国立・専門病院を紹介受診することについては、家族医療センターからの紹介 があれば無料です。手術、投薬等の費用の徴収については、いろいろ裁量があるようで、調 べると面白いと思うが複雑とのことでした。
̶ モンゴルは国民皆保険制度ですが、保険料の未払いがあるのは日本と同じです。障害者、 高齢者、18 歳未満については、原則無料です。
JICA のモンゴル事務所から送ってもらった保健セクター基礎医療情報調査(2012 年)を見 ると、2011 年の 5 歳未満児死亡率は 20.0 でした。5 歳未満児死亡率は 1990 年当時は 107 だったので、この 20 年間でかなり下がって来ています。5 歳未満児死亡率は出生時から 5 歳 になる日までに死亡する確率で、出生 1,000 人当たりの死亡数であらわします。ちなみに日 本は4です。妊産婦死亡は10万出生当たり1990年は200人でしたが、2011年には48人に減 っています。日本は 5.8 人です。もちろん、日本と比べると多いのですが、社会主義から資 本主義に移行後 20 年間経ち、医療がじょじょに整って来ている証拠としてあげておきます。
<ヒシゲーさん宅訪問>
病院見学後、すぐにヒシゲーさんはタクシーを拾って、私と涼を自分の母親と姉、1 歳の姪っ子が住んでいる自宅に案内してくれました。離婚して別居しているお父さんが来て、孫の 世話をしていました。ここはゲルではなく、自分たちで建てた木造の家です。入り口を入っ た所に置かれた台の上に、黒っぽいキノコが干してありました。台所兼食堂の他に3つの部 屋があり、木のベッドと絨緞、ライオン模様や草花模様の壁掛けに彩られた明るい室内です。 ブリヤート族で、故郷では農業を営んでいた人々なので、敷地いっぱいに野菜を栽培し、井 戸も掘っています。お母さんは早速、自家製パンと 庭で採れた木の実のジャム、ウルム(バター)にス ーティツァイをふるまってくれました。昨年の 6 月 に訪問した時、真っ白に花盛りだった樹がウフリーン• ヌッド(牛の眼)という濃い紫の実をつけてい ました。ブルーベリーに似ているけれど、舌の端に エグミが残る味でした。
畑のジャガイモ、ニンジン、キャベツ、ズッキー ニを収穫して、井戸から汲上げた水で洗い、中華料 理につかうような長方形の大きな包丁でトントンと 切りました。まず羊肉を炒めて、そこにとれたての 野菜をいれて蒸し焼きにします。味付けに岩塩を足してホールガの出来上がり。レタスと胡 瓜、ハーブを加えてドレッシングであえたサラダをボウルに盛りつけました。ふだんは炊か ないご飯も、日本人のために炊いてくれました。
「いただきまーす」
素朴な命そのものの料理を皆でいただきました。 1 歳になったばかりのウーリーンツォルモンちゃん は、おじいちゃんの手枕で寝ていましたが、皆と一 緒の食卓につきました。「上手上手は?」と言われ ると、しばらくしてから小さな両手を打ち合わせま す。食後には、まだ歩かないのに、ヒシゲーさんに 後ろから支えてもらって、ボール蹴りを楽しんでい ました。編み込みの髪の毛が似合います。とれたてのキャベツ、じゃがいも、ニンジン、赤かぶ、ハーブを山のようにお土産にもら って、帰りの車に乗り込みました。4 輪駆動のごつい車で、運転手は寡黙に夕方のラッシュを 抜けて、私たちを運んでくれました。(2012.12.5)
2012年黒板報告
(斉藤 美代子)
今年も黒板を寄付してくださったみなさまにまずお礼を申し上げます。
2012年は合計で21枚の黒板をいただきました。毎年寄付してくださる方が多く、本当にあ りがたく思います。これまで配布した黒板の合計枚数は 1527 枚になります。ご自分で学校に 届けた方が多かったのが今年の特徴かもしれません。地方の学校への黒板 7 枚はご自分で手 配されたか、届けられたものです。自ら届けてくださった方、ありがとうございました。
それ以外の黒板の配布についてですが、今年はウランバートル市内にある障害を持つ子ど もたちが通う学校 6 校と、ゲル地区にある学校1校に配布を行いました。障害を持つ子ども たちが通う学校は、モンゴル国ではウランバートル以外にはありません。地方にももちろん 障害を持つ子どもたちがいるのですが、特別学級としてクラスが作られていることも珍しい くらいで、ほとんどは自宅で過ごすことを余儀なくされているようです。 現在、これら6校 が障害を持つ子どもたちの教育を行っていますが、現場の状況は厳しく、ソビエト時代に教 育を受けた専門的な知識を持つ教員がそろそろ定年を迎える時期にきているということで、 その後の世代の教員の人材育成がなされておらず、困った状況を迎えつつあるということで した。
今年、モンゴルでは政権が変わり、障害を持つ子どもたちのケアについて、政府で話し合 われるようになりました。これまではオープンにならなかったこれらの問題が社会で語られ るようになってきています。障害を持つ子どもたち、その親たちへの支援がこれからさまざ まな形で行われることになってほしいと思います。
国際シンポジウムのご案内
(小長谷 有紀)
民博で下記の通りシンポジウムが開催されます。厳しく寒い時節、
お出かけにくいかとは 存じますが、どうぞご自由にご来館ください。
参加費は無料です。
「モンゴル国における鉱業開発の諸問題―歴史的視点から」
趣旨: モンゴル国は 2011 年、GDP 成長率が 17.3%に達し、世界一を記録した。モンゴル統計 局によれば、2011 年度の GDP は 61 億ドル、1 人あたり 2227 ドルであり、2016 年度には 255 億ドル、1 に当たり 11290 ドル、2025 年度には 600 億ドル、1 人あたり 20000 ドルと予測され ている。
こうした高成長を支えるのが鉱産資源開発であることは周知のとおりである。とりわけ、 タバントルゴイの石炭、オヨートルゴイの銅と金は、21 世紀のモンゴルを支える 2 大鉱山で ある。これらの開発によって、水資源の枯渇など自然環境が劣化し、ひいては人びとの健康 被害が発生し、遊牧生活や伝統文化が維持できなくなりつつあることが懸念されている。
本シンポジウムでは、社会主義時代から鉱業開発をリードしてきたホルツ氏を招いて、歴史的視点からモンゴル国における鉱業開発をとらえなおしたうえで、現代の諸問題をあきらかにする。
すでにモンゴル国では独自の現地調査が行われており、また外国の研究者グループによる 実態調査も始まっている。本シンポジウムでは、それぞれに鋭意を注いでいる諸研究者たち が、歴史的視点を共有しながら知見を交換し、ネットワークを構築することができるだろう。
京都・松尾大社 (撮影:荒木伊太郎)
編集後記
年おめでとうございます。今年こそ穏やかな年でありますよう願うと共に、モンゴルパ ートナーシップ研究所に対しての変わりないご支援、ご協力をよろしくお願い申し上げます。 みなさまにとってもよい年でありますように..願っています。
お元気になられた松原先生の新年のご挨拶がいただけました。うれしい年の初めになりました。当たり前のことが当たり前である幸せに感謝です。
モピの小さな歩みが止まることなく前に進むことが出来ますよう願っています。
(事務局 斉藤生々)
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