■NO 135号 モピ通信

■NO 135号           2013年4月1日

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所

 MoPI総会のご案内(再度)

 東京・ウランバートル3000キロメートル(14)

 ノロヴバンザトの思い出 その37

 “恐竜展”でのモンゴル展 関係3

 2013年度MoPI会費納入のお願い

 編集後記

 

MoPI総会のご案内(再度)

日 時 2013年4月6日(土) 午後1時30分 場 所 MoPI連絡室

議 題 2012年度 事業報告&収支報告など

上記、日程で開催いたします。

お忙しいことと存じますがご参加くださいますようご案内申し上げます。

(場所、阪急京都線:長岡天神駅下車徒歩3分・JR長岡京駅徒歩7分)

尚、欠席される方は、委任状の提出をお願いいたします。

                                                                                                (事務局)

  ウランバートル3000キロメートル(14)

– オンギ川の流れを回復させる運動 –

(梅村 浄)

<スフバートル広場、デモ隊の謎>

ウランバートルの 4 月、5 月は

雪が降ったり、晴れたりを繰り返しつつ春がやって来ます。

その日、雪は降っていませんでした。卒業試験に備えて、自分の部屋で勉強していた私は、 枯れ木が立ち並んでいるかのように見える国会議事堂裏公園のまわりを、デールを着てプラ カードを掲げた人々が静かにデモ行進している姿を見かけました。次の日、バクシンデード 前からトロリーバスに乗って出かけたのですが、エンフタイワン通りを、旗をなびかせて行 進している馬に乗った男たちの列に出会いました。留学中、市内中央部で家畜を見たのは 1 度だけで、1 頭の馬で河原に羊を追っている姿でした。この馬と乗り手の数から、人々の強い 意志を感じました。

土曜日の午後には、いつも幼稚園のことばの遅い子のクラスに手伝いに行きます。行き道 には必ず、スフバートル広場の横を通ります。広場には 10 数張りのゲルが建てられて、50 頭ばかりの馬が索に繋がれていました。デール姿で陽にやけた顔の男たちが三々五々、広場 に陣取って坐っています。説明の立て看板の前には、募金の箱も置いてある風です。他日、 民族歴史博物館の向かい側にある議事堂裏門のところで、守衛とやりとりしている女性を含 むデモ隊の姿を見ました。

2 週間ほど、その姿を見かけたでしょうか。モンゴル大学日本語学科の学生であるダワーフ とオコが部屋に遊びに来たので、きいてみました。

ダワーフ「あ、あれはゴビの牧民たちです。鉱山開発で水がなくなったから、遊牧できな くなったんですよ。国会議員に開発中止の申し入れをしているんでしょう」

オコ「私たち、ウランバートルの若者には、関係ないですね~」 と、さらりと答えてくれました。オコはウランバートルで生まれ育ち、ダワーフは南 ゴビで 遊牧をしている家庭の出身でした。

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<モンゴルの鉱山開発>

あれから 2 年が経ち、先日、民族学博物館で行われたモンゴルの鉱山開発史セミナーに出席しました。帰って来てから私は大学で習ったモンゴル学の教科書を開いて「モンゴルの鉱 山」のページを日本語に翻訳してみました。

̶ 1921 年の社会主義革命以前には地質調査は行われていなかったが、鉱床のある一帯につけ られた地名から(例えばエルデネット・オボーは宝石の山という意味)モンゴル人の祖先は 鉱石の在処を知っていたと考えられている。1980 年代にはロシア、モンゴル共同会社がエル デネットの銅とモリブデン、オユートルゴイ鉱山の銅と金、タワントルゴイの石炭の鉱床を 発見し、採掘に取りかかった。

今回のセミナーでは 1990 年以後、社会主義体制が崩壊し市場経済化する中で、世界各国の 資本が入り乱れて鉱山開発が進められ、モンゴルが高度経済成長をとげて来た歴史を知るこ とが出来ました。その反面、開発によって水資源が枯渇し、鉱毒による健康被害が続出して いることも報告されました。

<オンギ川のムンフバヤル>

スチンフさんという内モンゴルから来た研究者がオンギ川の砂金採集についてレポートしました。モンゴル地図で探してみるとオンギ川は、ウブルハンガイ県、中部ゴビ県から南ゴ ビ県を流れて、ウラン湖に注いでいる川でした。1992 年からエレル鉱山会社がオンギ川上流 で砂金採掘業を始め、2007年には43の下請け会社がエレル社から砂土を買い取って、砂金採 集を行うようになりました。また、モンゴル全土からニンジャと呼ばれる人達が、19 世紀ア メリカ合衆国のゴールドラッシュさながら、一攫千金の夢を抱いて集まって来ました。

私は月に数回、モンゴル人の留学生から、モンゴル大学で使ったモンゴル語文法教科書の つづきを教えてもらっています。彼女は早稲田奉仕園アジア語学講座でモンゴル語会話を教えている日本語に堪能な大学院生です。しつこく私が質問するので「この授業が一番つかれ るわ~」と言われながら、1 年半続いてきました。

レッスンのはじめに「最近、何か面白いことあった?」と尋ねられます。私が鉱山開発史 セミナーの報告と謎のデモ隊の話をしたら「この語句を検索してみて。デモ隊のこともわか るよ」とノートに書いてくれました。

「オンギ川運動」をグーグルで検索してみたら、出ました!

̶ オンギ川の牧民ムンフバヤルが世界一の男になるまで 中部ゴビ県のオンギ川牧地で家畜を飼っていたツェツゲー・ムンフバヤルという男がモンゴル人の勇気の歴史を開いたことを、これから一緒にみてみよう。彼は 2007 年に世界の自然 保護に貢献した者に与えられるゴールドマン環境賞とそれに付随する 150 万ドルの賞金をもら った。

彼が闘いを始めた動機は非常に個人的なものであった。彼の母はオンギ川を汚した金鉱山 廃棄物の混じった水を飲み、中毒により亡くなった。彼の息子もまた、中毒患者となったの である。苦境に陥った牧民の男はオンギ川を守る運動を始め、闘争を通じてオンギ川源流で 金を採掘した多くの会社を閉鎖させ、 干上がったオンギ川が再び滔々と流れるようにしたのであった。

以下のゴールドマン環境賞のサイトで、ムンフバヤルの活動について、英文の説明と画像 を見ることができます。

http://www.goldmanprize.org/2007/asia

2006 年 5 月に、オンギ川運動はモンゴル政府に鉱山開発を制限し、水源を保護する鉱山法 を制定させました。にもかかわらず、2011 年春のデモは、依然として鉱山開発と自然の破壊が進行しているこ とへの抗議活動だったのだと、ようやく分かりました。ちょっとばかり、いや、かなり出遅 れましたが、スフバートル広場に出現したゲルに掲げられた「法の前には万人に平等の権利 がある」というスローガンが実現する日が来るようささやかなエールを送ります。

(2013.3.20)

 ノロヴバンザトの思い出 その37

(梶浦 靖子)

日本文化週間

土けむりの舞う春が終わり、ようやく暖かな春がやってきた。草花や木々がいっせいに

芽吹き、まぶしい日ざしはむしろ初夏のようだが、風はあくまで乾き涼やかだった。
この 1991 年6月、ウランバートルでは「日本文化週間」という、

日本の文化を紹介するイベントが聞かれた。あちこちの会場で着物など日本の伝統的なものや、当時発行されて いた雑誌など最新の文化に関するものが展示され、日本からそれら展示会の関係者や報道 陣が大勢やって来た。日本人留学生たちは、その人々のための通訳兼雑用係として駆り出 され、私も報道関係の人々のお世話に配属された。

実際の通訳はモンゴル人や日本大使館員など熟練の人たちが行い、私の仕事はほぼ連絡 係だけで、困ったことといえば、日本とモンゴルの習慣の違いから来ることだった。たと えば、日本人の報道関係者から「昨日知り合ったモンゴル人スタッフに、今日の昼に来て くれるよう頼んだが、用事がなくなったので来なくてもよいと連絡してくれないか」と言 われたが、当時モンゴルでは電話の家は少なかったのでそれは無理な話だった。それに当 時のモンゴルの人は、予定が急にキャンセルになってもまったく気にしなかった。時間を 無駄にされたと怒ることもなく、「ああそうか」とあっさり帰っていくものだった(今も そうかもしれない)。だから連絡しなくても大丈夫ですと話しても、

初めてモンゴルに来た日本人にはなかなか納得してもらえなかった。

タクシーを呼んでくれませんか?と言われたときも困った。

当時のモンゴルにはタクシー業者というものがなく、道路を走っている一般の車に手を挙げて停まってくれたらそれが タクシーになるという按配だったので(今も?)、ホテルまで迎えに来てはくれない。そ ういう用事はすべて日本大使館の人に相談し、そのままおまかせしてしまった。

文化宮殿では日本のアニメ映画が上映された。しかし、モンゴル語の吹き替えもされず せりふは日本語のままだった。何かの手違いか、はじめから用意していなかったのかはわ からない。最初はアニメの絵の美しさや目新しさに見入っていた観客の子供たちも、中盤 で飽きて騒ぎ始め、早く終われまだ終わらないのかと野次を飛ばした。

これで終了かと思 われた場面にまだ続きがあって、子供たちは、

ああ-もう!と落胆の声を上げる始末だった。

やっと終幕となりエンドロールが流れ出すやいなや、観ていた子供も大人も弾かれたよ うに席を立ち、待ち兼ねたように劇場を後にした。この去り方はモンゴルの映画館ではよ くあることらしい。映画の余韻を味わう習慣は無いようだ。

「北国の春」と「江差追分」

日本週間の行事の一つとして、日本ではおなじみの曲「北国の春」を課題曲とした

過小コンテストも催された。開催の数週間前に発表されると、出場希望者が日本語の歌詞を習 おうと外国人学生寮に次々とやって来て、そのほとんどを私が応対することになった。玄 関番のジジュールが、音楽のことならと私を呼びに来てしまうのだ。急に呼び出されて、 学生寮の玄関ロビーで見ず知らずの人が歌うのを聞かされチェックするというのは、なん だかおかしな気分だった。出場を希望するだけにどの人も歌唱力はなかなかで、曲はほぼ 完璧に歌えており、あとは歌詞の発音を直すだけが多かった。モンゴル人の発音の癖で、

「芽が吹く」と歌うべきところを「メガプク」と言ってしまう人が多いのだ。

音楽ドラマ劇場でも、顔見知りになった人民歌舞団の若い女性歌手も参加するからと、 私を練習室に引っ張っていった。歌は上手だし発音の注意点も同じで教えることはあまり なかったが、きれいな服を着て出場したいので日本製の洋服を貸してくれないかと頼まれ た。私もほかの女子も舞台に立つような衣装など持ってきていないからと断ると、日本人 の旅行者から借りられないかと言う。日本人同士とはいえ、知人でもない人に頼めること ではない。それに、ファッションショーではないのだから歌で勝負したほうがいい、舞台 用のデールを着て出れば十分だと思う、などと話して納得してもらった。

歌無しで、楽器アンサンブルをやろうとする人たちも寮に来た。モリン・ホールとリン ベとホーチルからなる3人組だった。彼らの演奏を聴きながら、メロディーの細かなニュ アンスや合奏したときのまとまりなどを話しているうちに、いつの問にか私も指揮をして いた。玄関先で何をしているのかと可笑しくなった。

コンテスト自体は観られず結果は覚えていないが、これによって、モンゴルでもいくら か知られていた「北国の春」は、誰一人知らない者のない曲になったようだ。

また、モンゴルのオルティン・ドーに似ているとよく言われる日本の江差追分の歌い手 や三味線、尺八の奏者、江差町の関係者もモンゴルを訪れ、演奏会を行った。私もそのア テンドに加わり、江差の方々と知り合わせていただいた。

日本週間の期間中、当時の海部俊樹首相が訪モした。滞在中の動向を目にすることはで きなかったが、日本週間も終盤に差しかかった日に空港での帰国式典の模様を見ることが できた。日本大使館の車に乗せられてたどり着いた空港では、チャーター機が停まってい て、警備の兵隊が広い空港敷地をずらりと取り囲んでいた。私たちはその軍人の輪のすぐ 外側で式典を見ることになった。飛行機の横にはモンゴル側、日本側の要人たちが集まっ ているが、遠いので何をしているのか分からない。

目の前のモンゴル人兵士は迷彩服に緑色のベレー帽をかぶっていた。退屈だったので少 し話しかけてみると、厳しい表情で「ニェズナーユ(わからない)」とロシア語で返された。もう一度話しかけてモンゴル語だと伝わると、兵士はなんだしゃべれるのかと笑顔に なり、日本人か?などと聞き返した。私は、そのベレー帽はアメリカ軍のまねをしている のか?と間こうと思ったが、怒らせると困るのでやめた。

そうこうしているうちに、海部首相が手を振りながら赤い絨毯を歩きチャーター機に乗 り込み、機は程なく初夏の青空に飛び立った。日本週間もつつがなく終了し、その後、大 使館から首相の名前入りのボールペンが邦人に配布された。その一本は今も私の机の引き 出しにある。

(つづく)

 ”恐竜展”でのモンゴルデー (3月2・3・9・10日)

 

(伊藤 知可子)

恐竜展に合わせてのイベントとしてMoPIが参加しました。

初めの2日間は、二か所に 分かれて自然博物館の正面玄関前に ミニゲルを設置し、

ス-テイチャイの無料試飲やシャガイ占いを行いました。

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イベント会場が2つに分かれていたので、手が 足りない時もあって大変でした。3日には 横綱 の白鵬関と日馬富士関が来ることもあって大賑 わいでした。

もう一ヶ所は1階フロア-で、松本さんの写真 展・みんぱっくの展示・デ-ルの試着を行いまし た。入口付近だったこともあり、こちらも大盛況 でした。

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後の2日間は、モピブースとして一ヶ所だった ので、

お互いに協力することができました。

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デ-ルの試着も人気があって、着付けが混雑す る時もありました。

母親に「着てみて」と言われ 照れながらデ-ルを着た子供、

「きれい!着 る!」と嬉しそうに袖を通す子、

『スーホの白い 馬』を学習中なのでこの日に合わせて来たという親子連れも・今回は男性もデ-ルを試着された方 が多かったですし、親子で着てそのまま恐竜展に 行ったりと 微笑ましかったです。 また、デ-ルを1回着てみたかったので インタ -ネットでこのイベントを知って来たという方 もいました。

みなさま、ありがとうございました。

 

 モンゴル恐竜化石展でミニゲル大好評!!

大阪市立自然史博物館(大阪市長居公園)で開催中の「モンゴル恐竜化石展」のモンゴルデ ーにMoPIが参加しました。

2日(土)は、強風が吹き、時おり小雪がちらつく寒い天候でした。

当日のイベントとして博物館前の広場で白鵬、日馬富士、両横綱の「握手会、抽選会など」

が企画され、朝早くから(午後3時過ぎ来場予定 整理券550名分を求め9時30分の開園 には数 10 名の)行列が出来ました。

その博物館前の広場に実物大のゲルとミニゲルを建てました。

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当日お手伝いいただいた吉村さんのお孫さん(小学4年生)にデールを着て、

モンゴル人の子 ども役でミニゲルの側に立ってもらい、見学に来 られた人には、日本語は少し理解できるが話すこ とは難しいとの設定で演じてもらいました。少し 離れた所のスーティ・ツァイの試飲をお手伝いし ていただいた吉村さんに、来場者が「あの子はモ ンゴル人ですよね?」の問いかけがあったそうで す。A君も、私の話にニコニコしながら一言もし ゃべらずにときおり首を振ったりする演技で答 えてくれました。

(彼は、本来おしゃべり好きとの事でした。)ほとんどの人がモンゴルの子どもと信じていた ようです。(騙すつもりは無く、興味を持ってもらえればとの思いだけです。「信じていただ いた方ゴメンナサイ」)

9・10日は恐竜展示場に隣接した植物園アトリウムに、モピブースが設けられました。家 族連れ、兄弟姉妹、若いカップル、など多くの来場者が衣装の試着後、ミニゲルの前や中に 入って写真を撮りあって楽しんでいました。ここでもミニゲルは「かわいい」と大評判でし た。

4日間(朝 7:30 出発~帰宅 19:00 頃まで)に少々疲れました。が多くの人たちにモンゴ ルに触れ、喜んでいただいたことで幸せな時間を過ごす事が出来ました。ご協力い頂いたみ なさま有難うございました。今後ともMoPI活動にご支援いただきますようよろしくお願 い申し上げます。

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 事務局から、

今回のモンゴルデーに、スタツフとして協力していただきましたモピ会員の皆さま、お世 話になりました。ありがとうございました。

今回、「みんぱっく」・写真展・デールの試着・ミニゲル・スーティ・ツァイの試飲・モン ゴル占いと 7 ヶ所のブースがあり、それぞれに複数の担当者が必要でした。

4日間、人材が確保できるかが第1の問題でした。が沢山の人たちの協力を得て無事に務め ることが出来ましたことお礼申し上げます。

交通費は自費で、お弁当は読売新聞社が用意してくださいました。打合せ時には、まった く状況が分からないので心配でした。がスタッフそれぞれの動き、説明ぶりは見事なもので した。素晴らしいの一言です。

斎藤様 お世話になっております。2日3日は大変お世話になりありがとうございました。

来場者の皆様にも喜んでいただいている姿を実際に目にすることができ、展覧会主催者とし てもモンゴルパートナーシップ研究所さんにお願いして良かったと思っております。 多岐に亘る体験コーナーをご用意いただき、多くのスタッフの方にご協力いただきまして、 改めてお礼申し上げます。皆様にも宜しくお伝え下さい。・・以下省略

それでは引き続きどうぞ宜しくお願い申し上げます。 読売新聞大阪本社 事業本部 企画事業部 鈴木章太郎

(事務局)

2013度MoPI会費納入のお願い

日々あっと言う間に過ぎ今年度は、モピ設立13年目に入ります。設立当時会員在籍数は、 300名余りでした。現在会員在籍数は、約半分に減りました。が一人3口以上の会費を納 めて下さっている方々のお陰で、経営が成り立っています。計算すれば、300人以上とい う数になります。皆さまのご理解、ご協力のたまものと感謝しています。

モピとしても、管理費など出来うる限り節約に努力するつもりです。今年度も変わらない ご支援、ご協力をよろしくお願い申し上げます。

振込み先

郵便振替 口座番号 00940―6―84135

加入者名 モンゴルパートナーシップ研究所

 

銀行振込

三菱東京UFJ銀行 谷町支店
口座番号 普通 5096982
口座名義 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所

理事 松原正毅

 

(事務局・斎藤生々)

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東京では、桜が満開に近いと報道されていますが、私の近くでは、すこしほころび始めた様子です。東西 に長い日本列島の気候の違いがわかりますね。(長岡天満宮の梅)

 

 編集後記

毎年期末を迎え活動報告書を作成するとき、一つの重要な資料になるモピ通信には、その 月のモピ活動が記録されています。また、お目にかかれない会員さまと唯一つながるものと しても貴重なものです。いつも沢山の方々に協力を得ながら編集作業をしています。

委任状の一言欄に、

光陰矢の如し、モピに入会しモンゴルを訪れてから10年が経ちましたよ!(武谷孝生)モンゴル在住から10年、モピ通信を通してモンゴルの様子を拝見していますが、わたしの中には10年前のモンゴルしかありません。なつかしい人達、風景など思い出しています。(米澤紀壬子)

モピ通信を楽しみにしています。興味を持ってよんでいます。など沢山の声がとどきました。ありがとうございました。 (※モンゴル恐竜化石展報告の文中写真は、味方慎一さん撮影のものです。)

(事務局 斉藤生々)

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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

連絡室
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
tel&fax 075-201-6430

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本部
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国立民族学博物館小長谷研究室内

tel:06-6876-2151(代表)

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