■NO 142号 モピ通信

■NO 142号           2013年11月1日

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所

 オンドルマー先生招へい事業 報告

 ウランバートル3000キロメートル(20)

 ノロヴバンザトの思い出 その43

 モンゴル国立馬頭琴交響楽団演奏会 ご案内

 雑感

 

 オンドルマー先生招へい事業報告

 

先生は、18 日(金)午後 5 時過ぎ関空着、8 時頃長岡京市に到着されました。 今年夏、小長谷先生からの招待状とビザ関係書類を届けるため、ズーンブレンソム学校に行 きました。その時、興奮された先生がそのまま来られたような印象を受けました。喜びが爆 発しそうな・

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本来なら、空高く澄み渡り、気持ちよいそよ風が・ という季節のはずが、台風の合間で蒸し暑い日が多 くお天気には恵まれませんでした。が初めての日本 を楽しんでいただくことが出来ました。

その一つ、郵貯事業で親交のあった先生方との再 会は楽しい時間だったようです。

参加していただいた皆さまの一言を紹介させてい ただきます。

 

 (郵貯事業スタッフとして3回参加 伊藤 知可子)

 

2008,2009,2010年の夏、郵貯ボランティア事業の一環として モンゴルとの 学校交流で訪れたセレンゲ県ズ-ンブレン学校のオンドルマー校長先生が 10/18~1 0/27まで日本を訪れました。来日を機に 交流に参加した日本の先生方が集まり、歓迎会 が開かれました。

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2008年は5人、2009年は5人、2010年は4人 計14人の先生がズーンブレン学校を訪れ、子供たちにいく つかの教科を教えたり、遊んだり、先生方同志が両国の教育 の事情を話しあったり、ホームステイをしたり ゲル訪問で 歓待していただいたりと盛りだくさんの内容の交流でした。

夏休み中のモンゴルの学校は、鍵がかかっていて誰もいな い、が普通。私たちの事業に協力するため、先生始め生徒を 集める。学校に宿泊させる(泊まる所がない)など容易でない ことをオンドルマ-校長先生の計らいで実現し、私たちが行くことができたのです。感謝してもしきれないほどお世話になりました。 歓迎会当日は、6人の先生が出席し、久しぶりの再会に話しが弾み、参加した時の写真を 手渡したり、3回の交流時の写真を見て 当時を色々と思いだしたりと あっという間に時間が過ぎてしました。楽しい 和やかな時間となりました。 郵貯の事業はすでに終わりましたが、今後も 何らかの形でズ-ンブレン学校と交流ができればいいと思っています。また、校長先生来日にあたって、通訳・案内役として一緒に一 時帰国してくだされた齋藤美代子さんに感謝いたします。

ありがとうございました。

 

 2008年参加 工藤 愛(伊藤)

この度は、約5年ぶりに皆様とお会いできて本当に懐かしい思いがこみ上げてきました。 短い時間でしたが、本当に素敵な時間を過ごすことができました。

私がこの事業に参加させていただいたのは、第一回目の2008年でした。初めて訪れた モンゴルの地で見るものすべてが、私に感動を与えてくれました。モンゴルで出会った子ど もたちの真っ直ぐな瞳。先生方の優しさ、意欲的な姿勢。広大な草原。数え切れないほどの 星空…。

あれから5年経ち、その間に私も結婚し、子どもを授かることができました。息子を連れ てもう一度モンゴルを訪れてみたいと思います。生活環境は決して日本ほど豊かなものでは ないけれど、あの広大な草原の中を馬に乗り、自由に駆け回らせてみたい。生き物の命を頂 いて、私たちは生かされているんだということを実感させられる食事を味わわせてみたい。 真っ直ぐで、純粋で、何事にも意欲的なモンゴルの子どもたちと一緒に遊ばせてみたい。そ んなふうに思います。

私の人生において、モンゴルという素晴らしい国へ行くことができたこと、そして、たく さんの素晴らしい人々に出会えたこと、本当にかけがえのないものになりました。この機会 を与えてくださったすべての方々に感謝します。あの時の経験を、これからの教師生活で出 会う子どもたちに伝え続けていきたいと思います。本当に出会えた皆様に感謝いたします。 ありがとうございました。

 

 (2008年参加 山田 千鶴)

『こんな校長先生についていきたい』

そう思わせる存在感とオーラ。

今回、オンドルマー校長先生が日本に来られるというお話を伺い、この日をとても楽しみにしていました。 セレンゲ県ズーブレン学校を訪れたのは五年前。七年前 にモピのエコロジースクールに参加させてもらったのが きっかけでモンゴルと出会い、これは私にとっての二度目のモンゴル訪問でした。

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見渡す限りの大草原。その中で暮らすあたたかい人々。目を輝かせる子どもたち。親切な先生たち。

心が洗われるようでした。何度も訪れたい国、それがモンゴルです。

今回、オンドルマー校長先生にお会いすることで、五年前の思い出にも再会できたように 思います。子どもたちと一緒に遊んだドッヂボール、みんなの前で踊った南中ソーラン、先 生のおうちにホームステイさせてもらった日の夜のドライブ。帰り道に泥沼にはまったとき に助けに来てくれた青年。懐かしい思い出がよみがえりました。ステイ先の先生に頂いた馬 頭琴の置物は今も大事に私の部屋に飾っています。

モンゴルの人々のあたたかさについて校長先生は、「人々がお互いに協力しないと生きて いけないことを知っているからだ」とおっしゃっていました。

モンゴルの人たちには、仕事も子育てもみんなでするのが当たり前という雰囲気がありま した。また子どもたちにも自分の仕事があって当たり前で、三歳の子どもでも家族のために 薪を運んでいるのに感心しました。きっとそこで、自分の責任というものについて学び、同 時に自分も家族の一員であるという安心感も生んでいるのだと思います。 「困ったときは助け合いましょう」と教えられる前から、それが当たり前で生きている人た ちにとっては逆に日本人の感覚の方が不思議に映るのかもしれません。

モンゴルの人たちの『当たり前』がもたらす心地よさ。これを日本の子どもたちも伝えて いけたらいいなと思います。

最後に、子どもたちの目の輝きは世界共通です。そして、その輝きを絶やさず持ち続けら れる社会を作るのが私たち大人の責任なのだと思います。

これからもモンゴルは私のあこがれの国です。

(2009、2010年参加 中園貴之)

10/19(土)、徐園にてオンドルマー校長先生にお会いしました。郵貯事業でモンゴルへ行か せていただいてから、実に3年ぶりの再会となりました。3年前と変わらないお元気そうな姿 を拝見し、モンゴルで大変お世話になった日々が懐かしく思い出されました。

美代子さんに通訳をしていただきながら、その後のズ-ンブレン学校についてのお話をし ていただきました。毎年 10 月にはモピから贈られた鯉のぼりをあげていること、第 2 回郵貯 事業で日本にあるような草の生えていないトラック付き運動場を作ろうとスコップやトラク ターで掘り起こした場所に新しい体育館が完成している。

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日本の先生方のことが出てくること、校長先生のお子さんであるバービーは医者を目指してロシアで 勉強中ということ、よく私達の元へ遊びに来てくれたインフリーマ ーという女の子が来年大学生となり検察官という夢があること、今 年の卒業生 13 名のうち 6 名が鉄道関係に就職したこと、大学へ進 学する子のほとんどがウランバートルへ行くことなどです。特に、当時まだ子どもだったバービーやインフリーマーが大学生 というお話を聞いて、3 年前で記憶が止まっている私はまるで玉手 箱を開けたような気持ちになりました。

校長先生をはじめ、ズーンブレンのみなさんのバイタリティには いつも感服し、自分自身も良い刺激をいただきます。また、この度 自分が参加した郵貯事業以外のみなさんとお会いできたこと、一緒 に同行したみなさんに久しぶりにお会いできたことも嬉しかったです。

この度の来日をお世話してくださった生々さん、美代子さんをはじめモピのスタッフの皆 様に感謝申しあげます。素晴らしい機会を作っていただき、ありがとうございました。

 (2010年参加 岡本 圭司)

2010 年のモンゴルセレンゲ県ズーンブレンソムでの学校交流に参加させていただき、早 3 年がたちました。懇親会に参加させていただくということで、モンゴルで撮った写真を久し ぶりに見ていました。笑顔いっぱいでキラキラと目を輝かしている子どもたち。モンゴルで 出会った素敵な人たち。丘陵を何度も越え延々と続く道。透き通った青、オレンジ、燃える ような赤…刻々と姿を変える空。撮った写真は約 500 枚。モンゴルで出会った人たちの温か さ、たくさんの星とくっきりと流れる天の川。撮影することができなかったものもたくさんありますが、今でも心に焼きついています。

今回の懇親会では、その時にお世話になった斎藤美代子さん、生々さん、伊藤先生、中園先生、そしてズ-ンブレン学校のオンドルマー校長先生やと久しぶりにお会いすることがで きました。また、これまでの事業に参加した方ともお話をすることができ、楽しい時間を過 ごすことができました。中園先生とは技術指導以来の再会でしたが、モンゴルでのことや現 在の職場での様子など「3 年が過ぎていることを感じられませんね…」とお互い話していまし た。その後、オンドルマー先生から、ズ-ンブレン学校で当時出会ったが子どもたちが、今 では 17 歳の大学生になって検事や医師を目指している子もいるということを聞きました。あ の時出会った子どもたちが、しっかり将来展望をもって頑張っていると思うと、3 年間という 年月の大きさを実感するとともに、自分も頑張ろうという力をまたもらった気がしました。
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今回の懇親会には、無理をお願いして 2 年生になる長 男も一緒に参加させていただきました。長男は参加する 予定はなかったのですが、当日になってどうしても連れ て行ってほしいとせがまれ、これも何かの縁かな…と思 い参加させていただきました。行きの電車の中は、せっ かくの機会なので「サンバエノー」の練習をしたものの、 かえって彼を緊張させてしまったようで逆効果でした。 しかし、懇親会では、参加されていた皆さんに温かく接 していただき彼の気持ちも少しずつほぐれていったようでした。オンドルマー先生から、彼はウールの白い馬の人形をお土産にいただいたのですが、 何だか戸惑った表情でした。「よかったなぁ。この白い馬のお話は 2 年生の国語の教科書に載 ってるで。」と言っても「ふーん。」という反応でした。アニメのキャラクターや戦隊ものに はまっている彼は、その時きっと「妹にあげよう…。」と思っていたはずです。

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懇親会の後には、オンドルマー先生と美代子さんと一緒に梅 田スカイビルの空中庭園に行きました。オンドルマー先生から 一緒に写真を撮ろうと言われると、照れくさそうにしながらも この笑顔。お別れするときには、大きな声で「バイバーイ!」。 私がモンゴルで出会った人から感じたのと同じように、言葉は 通じなくてもオンドルマー先生の温かさが彼に伝わっていた ように思いました。

家に帰ってから、私に国語の『スーホの白い馬』のページを見せて「これやろ?」と言っ たり、母親にも自慢げにお土産を見せたり、宿題の日記にもモンゴルの先生と会ったことや お土産をもらったことを書いたりしていました。以前、私がモンゴルに行った時の写真やそ の時の話をしたことはあったのですが、その時の彼の反応はやっぱり「ふーん。」でした。彼 がまだ幼かったこともあり、私がモンゴルに行ったことをあまり実感してなかったのかもし れませんが、この懇親会に参加させてもらったことでそれが少し変わったような気がします。 また、今回、オンドルマー先生とお会いしたこと、先生と会話や通訳をされている美代子さ んの姿を見たこと、国語の教科書に出てくる『スーホの白い馬』のことなどをとおして、彼 とモンゴルとの‘つながり感覚’が少しできたように思います。実際に学校で『スーホの白 い馬』の学習をした時や、テレビ等で紹介された時に、また彼に少しずつモンゴルの話をし てあげようと思いますが「ふーん。」という反応がこれからどんなふうに変わり、いつ「モン ゴルに行ってみたい。」と言い出すかを楽しみにしています。

親子共々このような機会を与えていただき、MoPIの皆様に感謝申し上げます。自分のモン ゴルでの体験を自分の子どもだけでなく、たくさんの人に伝えていきたいと思います。

本当にありがとうございました。

 

 東京・ウランバートル3000キロメートル(20)

                                 –  ウルギーへの旅その2  –

(梅村 浄)

<壊されたドア>

JICAの隊員を中心にした後発組6人が到着したのは8月14日。この日も快晴。気温は太陽が射すと 20°C前後、雲に隠れると 15°C以下に下がります。 今回のウルギーへの旅はウランバートルの外傷専門病院に勤めている作業療法士(OT)の川島さんと、5 月の NPO ニンジンの専門家派遣ツァーの時に出会ったことから始まりました。 「ウルギーに住んでいる友だちに、任務が終わる前に会いに行きたいと思っているんですよ」 彼女は2年間の任務が終わって、9 月に帰国予定でした。 「障害児センターがあるから、そこで診察・相談してもらえたら」

「ぜひ、ぜひ」

私と理学療法士(PT)の諸石さんが頼み込み、川島さんがプランを練っているうちに参加者 が 12 人にふくれ上がったというわけです。

後発組は女子 5 人、男子 1 人の組み合わせで、教師、美容師、作業療法士と多士済々。こ の日は、障害児センターで褥瘡の手当の講義、図工の授業、日本文化紹介をするセミナーを 開く筈でした。ノルカは障害児センターに私たち先発組を連れて行ったものの、南京錠を開 ける鍵さえ手元に持っていない体たらく。

私たちは、野原にぽつんと建っているセンターの前で、2 人乗りバイクの後部座席に乗った 若者が、車のタイヤを両手で抱えて運んで行く様を、ぼーっと眺めていました。

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(バヤンウルギー市内で)2013年8月14日 梅村浄撮影

近くに住んでいるセンターの職員に電話をかけても 鍵は手に入らず、やって来た職員と 2 人がかりでドア を力任せにこじ開けにかかりました。何度も押してい るうちに、木の扉に留めたネジが吹っ飛んで蝶番が外 れ、南京錠はぶら下がったままドアが開きました。驚 きましたが、うーん、これは日常茶飯事かな、と思わ せる自然な行動でもありました。蝶番をネジで留め直 せば、ドアは元通りですからね。

そうこうするうちにウランバートルから飛行機が到着し、日本人の数が一気に増えました。 ノルカは子どもたちの家に電話をしきりにかけていましたが、誰も来る気配はありません。 勤勉な隊員はレジメと衛生材料を用意し、私もモンゴル語で書いた山姥紙芝居を用意して来 たのに。 「セミナーはなし!」 と、納得した日本人一行は、ザハに買い物に繰り出しました。

<土の家>

夕方、カウルカットの家を訪問しました。カウルカットはウランバートルの音楽大学で学んでいましたが、1 年ほど前、ウランバートル近郊のナライハにある炭坑でアルバイトをして いた時、事故にあいました。脊髄損傷となった彼は、外傷センターに運ばれ、川原さんはそ の時、彼の担当 OT でした。足に麻痺が残りましたが、現在は、車を手で運転し、平地と室内 は車椅子に乗って移動しています。24 歳の彼は両サイドの髪を剃りあげた短髪で、彫りの深 いカザフ人らしい顔立ちに、それがよく似合っていました。 「うわぁ、土の家だ。初めて見た」隊員の声で見上げると、灰色の日干しレンガを積み上げた家がありました。窓枠とドアは 薄青のペンキで塗られ、平らな屋根に鉄製の煙突が突き出ています。レンガ積みの塀が取り 囲んだ敷地内に、同じような家が何軒か離れて建っていました。

ウルギー市内にはコンクリート製の近代的建物をたくさん見かけました。郊外の遊牧地で は伝統的なザフゲルであるウイを見ました。モンゴルゲルと比べると、ウイの中心には柱が なく天井が高くなっています。バヤンウルギーでは冬の気温が-40°Cから-50°Cになります。 雪が積もると、ウイはその重さに耐えられませんが、土の家は平屋造で雪にも耐え、防寒対 策がしっかりされています。カウルカットの家では長男が人を雇って郊外で家畜を飼ってい て、両親と他のきょうだいは常時この家に住んでいます。

敷地内の他の家に住んでいる子どもたちが、ばらばらとやってきました。

「こんにちは」

「こんにちは」

私たちはカウルカットの家に入ってお母さんのお茶を頂きました。 高い敷居を越える時、カウルカットは両手で車輪を回し、お兄さんが車椅子を後斜めに倒し て介助しました。2 人の息があって慣れたものです。

白壁に木が張られた天井の室内は、ドーム状の建物がある遠景に花や果物が配された華や かな絵や、食器棚のわきに飾られた造花で色彩が豊かです。靴のまま室内に入って大きなテ ーブルにつきました。お母さん手づくりの乳製品とバオルサック(揚げ菓子)にスーティー ツァイ(ミルク茶)を頂きました。塩味がきいてまろやかなお茶を、皆、何杯もおかわりし ました。乾燥しているので喉が渇いた時、身体にすっとなじんでくれます。

<山登り>

外に出ると、少し日が傾き涼しくなってきました。近所の子どもたちと一緒に近くの山に登ります。私と涼はカウルカットの車に乗り込みました。「ガソリンを入れてから行く」とそ のままスタンドへ。支払いをする時、財布を出してトゥグルク札を彼に渡しました。 山の中腹まで来ると、遠くにボグド川のながれるバヤンウルギーの市街が一望できます。 徒歩組はそのままどんどん登って行きました。 「これが僕たちの街だよ。カザフ人の街だ」 「事故の後、僕はタクシーの運転手をして稼 いでいるんだ」 「ドンブラのコンサートを時々やっていて、 たまに金が入る」 「兄貴は家畜を飼っていて、建築の仕事もし ている。父さん、母さんは家にいるから、2 人 で家族を養っているのさ」

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(バヤンウルギー市内の山)

2013年8月14日梅村浄撮影

ドンブラはカザフ民族の二弦楽器です。二本の弦を指で弾いて演奏します。川島さん情報 によれば、カウルカットのドンブラの腕前は抜きん出ていて、コンサートにはたくさんの聴 衆があつまるとのことでした。

徒歩組のシルエットが尾根の上に見えました。 「おーい」
手を振ると、向うも返してきます。 「おーい」「おーい」 もう日が暮れてきたようです。

<ノルカ宅の夕食>

暗くなった道を 2 台の車に乗れるだけ人を詰め込み、入れなかった 1 人はカウルカットのお兄さんとバイクに 2 人乗りで、ノルカの家を目指しました。

ちょうど市の中心部にある警察署の前で、バイクが警官につかまってしまいました。ヘルメット着用なしの 2 人乗りはウ ルギーでも禁止のようです。では、バイクに 2 人乗りでタイヤを運ぶのは?と思うのですが、 それはそれで。

部屋に入るなり、床に敷かれた白っぽい絨毯の上にご馳走がずらりと並んでいました。バ オルサック、カステラ、干しナツメ、クッキー、ジャガイモサラダ、胡瓜とトマトのサラダ、 それに各種乳製品が。私たちは周りに敷き詰められているカザフ模様の絨緞の上に輪になっ て坐りました。ノルカの奥さんとその妹が、琺瑯びきのやかんからスーティーツァイをふる まってくれます。正面の壁にはペルシャ絨緞が張られて、テレビやオーディオセット、キャ ビネットが並べられていました。うーん、ノルカって金持ち?

あれこれ食べて一息ついたころ、奥さんが 赤ちゃんを抱いてきて見せてくれました。父 親似の3ケ月の男の子です。抱かせてもらう と、もうしっかり首が坐っていました。 「この子が生まれてから、家ではアルコール 禁止なんだよ」この後、ご飯と肉じゃががふるまわれたの ですが、前菜を食べ過ぎてお腹いっぱいの私 たちはあまり手が出せないほどでした。食べ るペースを間違えたようです。

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ノルカ医師宅で)

2013年8月14日梅村浄撮影

最後に日本の小児科医として、ノルカに障害児医療を頑張ってとエールを送ったのですが、 うまく伝わったどうか?日本語をモンゴル語に通訳してもらったので、よく分かりませんで した。(2013 年 10 月 22 日)

 

 ノロヴバンザトの思い出 その43

(梶浦 靖子)

エネビシ氏と出会う

その年の秋、ノロヴバンザドは私に音楽研究者の先生を紹介した。文化宮殿の一室で引

き合わされた J.エネビシ氏は、五十歳過ぎでオールバックの髪型に黒縁メガネの紳士だっ た。私かモンゴル音楽の曲や楽器の由来背景などあれこれ質問するので閉口したノロヴバ ンザドが、すべてこの先生に聞くようにということで紹介してくれたのだ。

「あなたの知識でもってこの娘にいろいろ教えてあげてくださいな」

とノロヴバシザドはエネビシ氏に言い、歌のレッスンでの私の様子を話しながら、モン

ゴル民謡の伝統と近代化の問題まで語った。伝統を重んじることは大事だけれど、自分た

ち芸術家はおのおのの感性に従い美しさを追求すべきなのです、といった考えを述べてい

た。

エネビシ氏は 1937 年ホブド県出身で、幼少の頃から音楽に親しみ、若くして同県の劇場 のホーチル奏者となり、その後ウランバートル芸術学校(当時)に入学して西洋のチェロ を専攻し、音楽理論も学んだ。その後、国立音楽ドラマ劇場に演奏家として所属しながら、 音楽舞踊中学校では文学の授業を受け持つなど多彩な仕事をした。さらに、国立師範大学 に新たに設置された音楽教育課程と指揮科に学んだのち、文化省にて専門調査員として勤 務した。その後は国立科学アカデミー研究員となり、のちにモンゴル文化芸術大学の教授 となっている。教授となってからの氏の名刺には「Ethnomusicologist (音楽民族学者)」 の肩書きがあった。

実に気さくで世話好きな人柄で、初対面の私にも親しく話しをしてくれた。やがてご自宅に招いてくださり、収集した楽器や写真などの資料を見せてくれた。

楽器の写真のなかには、モリン・ホールの棹の先が馬の頭ではなく、龍やライオンになっているものがあった。そのように作られた例もあったそうだ。また西モンゴルの伝統楽器 はトブショール tovshuurt の、さまざまな形状の写真もあった。現在、一般に用いられて いるトブショールは二弦の撥弦楽器で、共鳴胴は玉子を縦半分に切ったような形で、棹の 先端には白鳥の頭が彫刻されている。エネビシ氏の写真には胴が四角いもの、モリン・ホー ルのような台形のものの写真があった。さまざまな形状を試して製作する楽器職人もいたらしい。

コピーを取りたいとお願いした私に、それらの資料を快く貸し出してくださり、

御夫人の手料理を振る舞ってくださり、私の質問にも根気よく応えてくださった。

親しくなると冗談も出た。私の小柄な体型を見て、

「今度お前の背を伸ばして大きくしてやろう」

と言うので、どうやって?と聞き返すと天井を指さし、

「お前をあそこから吊して足を引っ張るんだ」

などと小粋なモンゴルジョークを飛ばすのだった。

エネビシ氏のおかげで得られた知識、情報は数え切れない。

さまざまな音楽用語の意味を詳しく教えてもらえたし、氏の『近代モンゴルの音楽芸術 1921~1941年』(ウランバー トル、1991)という論文のおかげで、人民革命以後の伝統音楽の近代化や劇場の設立など のいきさつを知ることができた。まだ書籍化されていないタイプ打ちの原稿をコピーする ため貸していただいたのだ。本来の留学先だった大学ではできなかった勉強ができたと思う。

モリン・ホールの起源譚

エネビシ氏の著書、『音楽伝承における刷新の諸問題』(1991)の「モリン・ホール」

の項には、フフー・ナムジルの民話が紹介されている。フフーとは鳥のカッコウのことで、カッコウのように声の良い、歌の得意な男ナムジルの話である。ナムジルが兵役で西の地方に派遣され、野外で勤務のさい一人歌っていると、その土地の仙女に気に入られ恋におちた。しかしナムジルは故郷の家族友人にも会いたがるので、仙女は翼を持つ駿馬を与えた。ナムジルはその馬に乗り、夜は故郷に泊まり朝に勤務地に戻り暮らすようになったが、故郷で悪意ある者が馬の翼を切り取ってしまった。ナムジルは西に戻れなくなって仙女とも会えなくなり、翼を切られて馬は死んでしまった。悲しんだナムジルは馬の頭を棹に形どった楽器モリン・ホールを作り、その音色で心を慰めた、という内容である。

日本では「スーホの白い馬」が有名だが、それは内モンゴルに伝わる民話らしい。モン ゴル国のモリン・ホール奏者には、日本で公演した際、「スーホの白い馬」の朗読の伴奏 をするという演出で初めてその民話を知った者もいる。

モリン・ホールの起源に関する民話には、いくつかバリアントがあるらしい。スウェン・ ヘディンの調査団に参加しモンゴル音楽の採集調査を行ったH.ハズルントークリステン センは空の星から馬に乗って地上にやって来た王子が、死んだ馬の形見としてモリン・ホー ルを作り奏でた話を紹介している(ストッックホルム、1943)。モリン・ホールを、死ん だ愛馬の形見として作られたとものする話が多い。モンゴル民族の、馬に対する愛情が投 影された楽器だといえるだろう。(つづく)

 モンゴル国立馬頭琴交響楽団演奏会 ご案内

音楽3

2013年11月23日(土)(祝) 開演13:00 会場 守山市民ホール・大ホール

(問い合わせ先 TEL.077-582-1266)

 雑感

モンゴル秋祭り」野外でのイベントは、台風27号 の影響で民博の1階ホールと地下展示室に会場を移 して行われました。モピはデールの試着、モンゴル 占いでの参加になりました。

講堂で行われた式典には、沢山の人たちが参加さ れていました。

オンドルマー先生は、モンゴル人の方の参加が多 かったこともあり、いろいろな人との出会いがあっ た様です。試着も手伝ってくださったり、民博の展 示室を見学し感心したり、半日で帰る予定が最後まで。

一人ホテルで過ごすより、家族の中でということで

私宅に泊まっていただきました。温もりのお返しができました。

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(イベント会場で)

(小長谷先生&ナチンさんと)

あと先になりましたが、前日(25日)、奈良学園を 訪問しました。奈良学園校長先生、西川先生(郵貯事 業参加)には大変お世話になりました。

生徒たちとの交流、茶道の経験、学校施設見学を 含め日本とモンゴルの教育についての話し合いをさ せていただきました。ありがとうございました。

その後奈良大仏殿へ。
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(10月22日 時代祭りを楽しむオンドルマー先生)

オンドルマー先生のコメントは、モピ通信143号に掲載の予定です。

オンドルマー先生招へい事業は、無事に終わりました。京都、大阪、神戸、奈良の4県の ほんの少しを観ていただいただけの日本でした。が触れ合っていただいた人たちは沢山だっ たと思います。モピスタッフの村上様、鈴木様、ご苦労様でした。そして寄付金でこの事業 を支えてくださった皆さまにお礼申し上げます。ありがとうございました。

(事務局 斉藤生々)

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