■No 98号 モピ通信

■No98号

2010年1月1日金曜日

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■ 新年のご挨拶(MoPI役員一同)

■ MoPI新年会 再度ご案内

■ ノロヴバンザトの思い出 その14

■ 在りし日のロヴバンザト写真

■ 2009年にみる黒板配布状況(郵貯の報告から)

■ モンゴルチーズ販売のお知らせ

◆ 編集後記

■MoPI理事長    松原 正毅

モピ会員のみなさん、新年明けましておめでとうございます。

年頭にあたり、夢を語りましょう。

昨年は初めて環境教育の1つの試みとして棚田の活動を始めました。

今年もそれを続けながらも、少し別の道を探してはどうかしら、と考えています。

たとえば、限界集落を訪問し、 そこに住むご老人の一生を聞き取るような仕事です。

みなで訪問して仲良くなり、その後、

誰かが訪問して聞き取る、何度か通う、記録を残す、 本にまとめる。

そんな仕事をモピ会員の力で実現していければいいなと思います。

モンゴルで気づいたことは、市場原理のもとでの距離の克服の難しさ。

ただし、それは日本でも同じことです。日本でできること、いそいでしておくべきこと、

それをしてみてはど うかと思うのですが、いかがでしょうか。

ご賛同の方は、ぜひ事務局へご連絡ください。

小長谷 有紀

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地域共同体の形成にむけて

現在、ユーラシア東部における地域共同体の形成にむけたうごきが、

さまざまなかたちをとりながらたちあらわれている。これまで提案としてだされているのは、

東アジア共同体や 東北アジア共同体などの構想である。構想の段階ではあるけれど、

東アジア共同体の構成国としては

ASEAN10ヵ国と中国、韓国、日本の3ヵ国が想定されることがおおい。

これらにく わえてオーストラリア、ニュージーランドなどを構成国とするかんがえもあるが、

モンゴルを構成国のひとつとする案はみられない。東北アジア共同体の構想においては、

モンゴルは 構成国の一角をしめている。

ゆるやかな組織としてすでに活動を開始しているものとしては、

上海協力機構がある。上海協力機構は、1996年に発足した時点では

中国、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、 タジキスタンの5ヵ国体制であったが、

2001年にウズベキスタンが正式加盟をして6ヵ 国体制となった。

2004年にはモンゴル、2005年にはインド、パキスタン、イランが、

オブザーバーとしてこの機構への参加をみとめられている。

21世紀において、世界を複数の地域共同体の網目でおおうことが恒久的な平和構築にと って

重要課題となるのは確実であろう。国家主権をこえた組織体制をつくりあげないかぎり、

国家間のあらそいを廃絶することは不可能だからである。

問題は、ユーラシア東部において どのようなかたちの地域共同体の形成が可能かどうかになる。

東北アジア共同体構想や上海協力機構において位置をしめるモンゴルは、

さまざまな地域共同体の形成のなかでひとつの核となりうる可能性をもっている。

当然東アジア共同体におけるモンゴルの位置づけもかんがえるべきである。

モンゴルを包含した東アジア共同体の構想は、

従来の提案をべつの角度から検証するこころみとなるであろう。

今後、モンゴルを ひとつの核とした地域共同体の構想を組みあげる必要がある。

■MoPI理事

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■MoPI理事

松本 勝博

明けましておめでとうございます。

NPO法人モンゴルパートナーシップ研究所も元気に新し い年を迎えました。

昨年は経済的な困難に直面しながらも、地に足の着いた活動を続けてまいりました。

新しいことにも挑戦しました。今年も順風満帆とはいかないかもわかりません。

しかし、モンゴルと日本をつなぐ絆のひとつとして、モピは非に重要であると思います。

モ ピが元気であり続けるためには、会員の皆様の今までに益してのご支援が欠かせません。

今年もよろしくお願い申し上げます。

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■MoPI監事

中野 吉将

新年明けまして、おめでとうございます。

NPO活動に必要な原資は、

会費、寄付、助成金、補助金、事業収入など多様な収入源で成り立っています。

できれば、これらがバランスよくしかも安定していることが望ましいわけですが、

現実にはなかなか難しい。

加えて、今日のような不況のなかのあっては、収入源のそれぞれが縮小しつつあり、

活動に厳しい制約を課せられつつあります。

監事として、収支帳簿をチェックする度にその現実を少なからず感じています。

幸い今年度も、

郵貯・簡易生命保険管理機構

(国際ボランティア貯金寄付金配分事業)からの助成金により、

「遊牧民のための教育環境の整備と技術指導(モンゴル)」事業が計画どおり実施され、

MoPIにとって新しい事業拡大が継続になりました。

しかしこれとて、今後も続けられるかどうか厳しく見つめなければならないと思います。

今日、年間1千万円にのぼる事業資金を運営しているMoPIが、

みなさんの創意と工夫によりますます成長することを

祈ってご挨拶にかえさせていただきます。

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■MoPI新年会 再度ご案内

2010年1月9日 (土) 午前11時30分から

大阪肥後橋の中華料理 ”徐園” にて開催いたします。

飛び入り….大歓迎です。

ご連絡くださいませ。

事務局(090-5241-7188)

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■ ノロヴバンザトの思い出 その14

(文責 梶浦 靖子)

■ 突然の雷雨と雹(ひょう)

翌朝、24 日にはテントはそのままにして皆でバスに乗り、

昨日と同じナーダムを見に向かった。

天気は良く、昨日より暑くなってきたようだ。

会場には今日も大勢の人々が集まっている。

おとといハラホリンの町で出会った中学生たちも来ていて偶然再会した。

彼らはそれぞれ馬に乗って来ていた。

男の子はジャンパーをはおリジーンズにスニーカーという

新しめのファッションの子や、デールを着て小粋な様子でソフト帽をかぶった子がいる。

女の子は髪をおさげにまとめ、華やかな色のデールを着て

肩をスカーフでおおっている。

それぞれお 祭りにふさわしいおしゃれを楽しんでいるようだ。

私たちも馬に乗せてもらった。

馬に乗った彼らの1人がこちらの乗った馬の手綱をつかん で、

引っぱって歩かせてくれたのだ。私は子供のころ、

親の仕事の関係で酪農地域にも住んだことがあり、馬に身近に接したこともあるが、

実際に乗ったのはこの時が初めてだった。

モンゴルの馬はサラプレットより小柄で、脚は短めでずんぐりとした体付きをしている。

それでも人間から見ればやはり巨大な生き物だ。

背中にまたがると、こちらが乗って体重をかけているのに、

馬の身体の重みがせまってくる。

ブルルと鼻を鳴らす息づかいは迫力がある。

馬は、すぐ隣の少年に手綱で完全にヨントロールされており、

背に乗っているこちらのことを「荷物」くらいにしか思っておらず、

後ろから首すじをなぜても知らん顔だ。モンゴルの人々はこれらの馬について、

「重い荷物も良く運び、寒さに強く、長距離を疲れを知らずに走り、

とても能力が高い」と誇りに思っていることをのちに聞いた。

会場では昨日とほぼ同じ、馬獲りの競技などをやっていた。

私ともう1人の日本人が馬を降りると、さっきの女の子たちが合流して、

一緒にナーダムを見物した。

モンゴル人にはスキンシップが定着している。一緒に歩いていると、

彼女たちはそっとこちらの肩を抱いて、さあこちらへ、 次はあちらへと誘導する。

それはあくまでもさりげなく、優しい手つきなのだが、

不思議と有無を言わせないような力があり、

気がつくと私などはまったく思い通りに動かされているようだった。

ちゅうちょなくこちらに体を近づけ、肩を抱かれると、

ほんの少し力が加えられただけで、

すっとその通りに動かされてしまう。

普段から馬に乗り、家畜をつかまえて思う通りに動かして

暮らしている人たちだから、動物の扱いに長けている。

その時の私も、ほ とんど動物と同じレベルで彼ら彼女らのそういう

能力に操られたような気がした。

昼を過ぎても変わらず上天気で、気温はどんどん上がってきた。

海からはるかに遠く、高 地で太陽に近いせいか、モンゴルの夏の空気は乾燥していて、

じりじりと照りつける日ざし に汗は干上がってしまう。肌があぶられるように暑い。

午後になると先ほどの中学生たちも一緒に来た家族の元へ戻り、

同行の仲間もそれぞれ好きに歩き回ったり先にバスヘ戻ったりして、

私は1人みなに遅れてバスに向かっていた。

そこに年輩先生が後ろから追いついて来て、しばらく一緒に歩いた。

するとたった今まで晴れ渡っていた空が一転

にわかにかき曇り、ピカッ、ゴロゴロと雷が走ったと思うと、

大粒の雨が降りそそいできた。

とんでもない降り方だ。すさまじい勢いで息もできないくらいだ。

しかも雨には電が混じっており、雨粒とともに容赦なく顔を打ちすえて来る。

痛いし信じられないくらい冷たい。夏の気候とは思えなかった。

年輩先生と2人やっとの思いでバスにたどり着き乗り込んだが、

全身ずぶぬれで、私はもうガチガチと歯の根が合わなくなっていた。

ほうほうの体でテントに帰り着いた。雷雨はやんだようだ。

他の女性たちに隠してもらいながらびしょびしょの衣服を着替えたが、

寒気は増すばかりで体の震えが止まらず、すっかり風邪をひいてしまった。

一緒にずぶぬれで帰ってきた年輩先生は何ごともない様子で、体力の違いを痛感した。

私は沸かしてもらったお湯でお茶を飲み、持参した漢方薬の葛根湯を飲んだりして、

ようやく人心地ついてきた。テントの中を見やると、

イギリス人の青年が髪をぬらしたまま寝込んでいる。

同じように雷雨に道ってしまったのだ。私は先ほどの薬をすすめてみたが、

ノーサンキューとていねいに断られてしまった。

中身のわからない薬は飲みたくなかったのだろう。

その後、夕方のまだ早い時間だったが私はずっと寝て過ごした。

夕食に何を食べたかも覚えていない。

明けて25日、空は穏やかに晴れていた。私は皆よりだいぶ遅く起きた。

薬が効いたようで寒 気もおさまり、ほぼ普通に動けるまで回復していた。

モンゴル人の新米先生と運転手は早く にバスでどこかへ出かけ、戻ってきた。

きのう寝込んでいたイギリス人青年は体調が悪化し、

これ以上の同行は無理ということで、

先にウランバートルヘ帰ることになった。そのための飛行機を呼んだのだという。

昼前に小さなプロペラ機がやってきて、テントのそばの草原に着陸した。

イギリス人青年は肩を支えられながらそれに乗り込み、すぐに 飛び去っていった。

建物ひとつ無い原っぱに飛行機が発着するのを見るのは初めてだった。

日本でも、夏には夕立がとつぜん降ってくるものだが、干上がるような灼熱の空から、

氷まじりの雨が襲いかかるような天気は見たことがない。

草原の天気の変わりかたは激烈だ。

そして、雷雨と雹に打たれたくらいで参ってしまう者は

生きてゆけないほど、草原の自然は 苛酷なのだと思った。

イギリス人を見送ると、ほどなくテントをたたみ出発した。

道すがら、牧民のゲルに2回ほど立ち寄った。

1軒では、プラスチックのボウル半分くらいに盛った乳製品のウルムを振る舞われた。

ウルムとは、ミルクだけを沸騰しないように鋼で暖めながら、

ひしゃくですくって注ぎ泡立て、

乳圧旨肪を固めて作るものだ。ボウルの中のウルムは薄黄色で、

かたくコシの強いホイップクリームのように見える。

ゲルの奥さんが取り分けてくれるのを手で受けて いただいた。

豊かなミルクの風味と、クリームのまったりとした舌触りが素晴らしい。

押し付けがましくない、きわめて自然なミルクの甘みは、

砂糖のそれよりもむしろずっと贅沢に感じられた。

ゲルをおいとまする際、ゲルの奥さんは私たち1人ひとりと握手をしながら、

相手の頬に鼻をつけるモンゴル式のあいさつで送り出してくれた。

モンゴルはこのようにスキンシップが多い。

奥さんはこちらの頬に何かをささやいていた。バスに戻りながら私が、

「何て言っていたんだろう?」と仲間に尋ねると、

「(モンゴルのことを)しっかり勉強していってくださいね、だって」と教えてくれた。

さりげないが、心が暖まるような気がした。

さらにバスで進み、午後にはまた別のゲルで馬乳酒、アイラクをいただいた。

これは馬のミルクを革袋に入れ、棒で何度もかきまぜて発酵させた飲み物である。

かすかにアルコール分をふくむが、酔っぱらうというほどではない。

牛乳よりもすっきりした日あたりで、ほどよい酸味があり、

発酵してできた小さな気泡が心地よく舌を刺激する。

お椀にそそがれたものを見ると、

なぜか木くずのようなゴミが浮いていることが多いのだが、

それは息を吹きかけて飲み口から遠ざけて飲むのである。

アイラクの味について人から聞かれた時、

私は「甘みの少ないカルピスに少しだけ炭酸を混ぜた感じ」と答えるようにしている。

さっぱ りとした上品な味わいで、とても美味しい。

アイラクは、水を得にくい革原では貴重な水分源だという。

そしてたんぱく質やビタミンCなどを多く含み、とても栄養価が高いそうだ。

遊牧民の伝統的な食生活では、冬場に肉食中 心で疲れた胃陽を休めるため、

夏場は何日間も食事としてアイラクだけを取り続けることがあるという。

モンゴルではアイラクを中心に摂取させる治療法、養生法もあると聞いた。

モ ンゴルの乳製品の中では、このウルムとアイラクとが、

甲乙つけがたく最も美味しいと思っ た。

この日の夜は、ゲルの形をしたバンガローのような宿に泊まった。

到着したのは深夜0時過ぎと遅かったが、

宿の管理人のところへ行ってあいさつの儀式として

蒸留酒のアルヒを酌み交わさなければならなかった。

私はもうへとへとで一刻も早く眠りたかったが、

抜けることは許されなかった。草原のしきたりはきつい。

宿として、一般のゲルと同じくらいの大きさのものが 4~5 軒並んでいた。

1つのゲルに 3 ~4人分のベッドがあり中心にストープがある。

昼間は暑くても、夜から明け方にかけてはくっと気温が下がるので、ストープが必要だ。

うまく点火できない私たちのかわりに年輩先生が火をつけてくれて、

ほどよく暖まった中、ようやく休めた。

■ ウルムとアイラク

 

目の当りにした助け合い 翌日、6/26はゆっくりと起きてバスで宿を出発し、

午前中のうちにオルホン滝を見学に行った。これはウブルハンガイ県の中にある名所の1つである。

十数メートルと思われる高さの切り立った崖の上から、勢いよく水が流れ落ちている。

かなりの水量だ。この日もよく晴 れていて、

滝つばに落ちた水しぶきに虹がかかっていた。

水はそこから川へと連なっている。

数メートルの川幅でやはり水量が多い。モンゴルは乾燥した地域であるから、

このように水の多い風景は珍しいようだ。

草原の平地にはほとんど木など生えていないから、

川沿いに松 などの木々が密集している様子はやはり独特だと思う。

丈の高い草が生い茂り、白や黄色、 紫など色とりどりの花があちこちに咲いている。

シャクヤクのようなピンク色の大きな花も あった。

そうやって滝の景観を味わいながら歩いていると、

年輩先生と会話していた日本人の1人が、

「すごいなあ、すごいよ」 と、何やら興奮した様子で私に話しかけてきた。

彼女は「行く先々で一般の牧民が当たり前 のように我々ゲルに招き入れ、

お茶や食べ物を振る舞ってくれることに驚いた」と先生に話 しかけたのだという。

特別な知り合いでもなく、前もって依頼していたわけでもないのに、

初対面の人間をそのようにもてなしてくれるなんて、

日本では考えにくいことです、と言っ た彼女に先生は、

「人から助けを求められたら、必ず何がしかのことをしてあげなければいけないんだ」 と答え、続けて、

「それをしない人間は、自分が困った時に助けてもらう資格がないのさ」 と

述べたのだそうだ。

その言葉に彼女はすっかり驚き感じ入っていた。聞いて私も少なからず心を動かされた。

日本では、家庭や学校、社会のどこにおいても、人を助けることについて

これほどの言葉を聞いたことはないような気がした。年輩先生のその言葉は、

人に対する 優しさを教えただけではなく、

草原に生きる上での「掟」を説いたもののように思えた。

滝を見終えてバスで進み、午後にはまた別のゲルに行きあたり、おじゃました。

そこでは2軒のゲルが隣接して暮らしていて、子供が 7 人もいた。

小学校 3、4年生に見える女の子をかしらに幼稚園生くらいの子や、

やっと歩き始めたばかりの赤ん坊までいる。2世帯の子供たち なのか、

1世帯で7人なのかは判然としなかったが、どちらにしても子だくさんだ。

モンゴルでは兄弟が 5~6 人というのはごく普通なのだという。

赤ん坊は外の草の上を丸裸でよちよちと歩き回り、

それを他の子たちがきゃあきゃあ笑いながら追いかけ、

1番上の女の子がつかまえて抱き上げる。

まだ幼稚園生くらいの女の子が、 自分にも抱かせてと奪い取るが、重さでよろめく。

すると、今度は自分が抱くと男の子がせ がむ。皆で赤ん坊の取り合いをしている。

そして抱きかかえた赤ん坊の頬に、争うようにキ スをしていた。

子供もやはりスキンシップが濃い。

「兄弟で仲がいいね。上の子が下の子のめんどうをちゃんとみるんだね」 と、

日本人たちは目を細めて見ていた。そこをおいとまして、

今夜の宿に向かってバスで進んで行くと、とつぜんゴトンという衝撃が来て、

車体が少し傾いたままバスは停まってしまった。

でこぼこして小川のように水がたまっていた箇所のぬかるみに

タイヤを取られてしまったのだ。

皆で降りて、バスを後ろか ら押した。全員で力いっぱい押して、

運転手はけんめいにアクセルを踏むが、タイヤは後ろに泥を飛ばすばかりで、

一向に前に動かない。タイヤがはまっている部分の上をスコップで 掘り返し、

また同じようにやってみた。そうした行程を小 1 時間も続けたが、まるでだめだ った。

あたりはひたすら広大な草原と緑の丘で、人家ひとつなく、人っ子ひとり見あたらない。

皆なすすべもなく途方に暮れてしまった。

寝場所はまたテントを設営すればすむが、買い置きの食料が十分ではなく、

今夜と明日の朝の全員分の食事としては、かなり心もとなかった。

運転手と新米先生は、はまったタイヤの前で、どうしたもんだろうなあ、

という様子でボソボソと話している。

皆も何をしていいかわからず、座り込んだりぶらぶら歩き回って遠くを見ている。

もしもこのままバスが動かず、誰も通りかからなかったらどうなるのか、

悪く すると全員の命にかかわるかもしれない。

だが、そこまで途方もない状況に追い込まれると、

人はむしろただ茫然としてしまうのかもしれない。

誰1人あせったり、心配していら立った りする様子はなかった。

モンゴルの夏は日が長い。もう夕刻で、だいぶ前に傾いてきた太陽は、

まだ沈むことなく横から照らしており、かなたの丘が平原に長い長い影を描いている。

人の気配がまるでない草原はひたすら静かで、バッタやイナゴなどのギシギシと鳴く声が

かすかに響くばかりだ。 そんなのんびりした光景が、

私たちのあせりや不安も吸い込んでしまったのかもしれない。

皆して呆けたまま、ずいぶん時間が過ぎた。

ふと遠くのほうからプロロと人工的な音がした。

見るとはるか向こうを草刈り用のトラク ターが走って行く。

すると日本人の先生が、おおーい!と叫びながら、弾かれたように駆け出し、

トラクターに突進していった。そうして首尾よくトラクターをつかまえて来てもらった。

バスに対しトラクター1台では足らないということで、

加勢を連れてきてくれるこ とになった。

そこからは見えなかったが、数血先に集落があったのだ。

しばらくして現れたトラクター2台にチェーンで引っぱってもらい、

ようやくの思いでバスはぬかるみから脱出した。

おかげでその日は無事、宿に泊まれて食事も十分にとれた。

もしもあの時トラクターが通りかかっていなかったら、

通りかかっても知らぬ顔をされたらどうなっていたかと思う。

草原での助け合いの必要さ大切さを、身をもって実感した出来 事だった。(つづく)

 

在りし日のノロヴバンザト

写真提供

林 實(スホーの白い馬の会会長)

 

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■ モンゴルチーズ販売のお知らせ

モンゴルチーズを販売致します。

2010年1月半ばくらいにMoPIに届きます。安心・安全の品物です。

1つ200g位の大きさの真空パックです。

値段は約600円(市場価格の半額くらいです)

モンゴルのチーズ製作者を支援しているモピの販売に、

みなさまご協力をお願い申し上げます。

できましたらグループで購入していただけると助かります。(送付の都合で・)

予約申込み受け付けています。

モピ事務所まで(tel:fax ・メール)

(事務局)

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■ 2009年にみる黒板配布状況(郵貯の報告から)

 

 

 

 

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■■ 編集後記 ■■

新年おめでとうございます。

2010年は、MoPIの10周年の年です。どんな記念行事が組まれるかはこれからです。

どうぞみなさま、その節はご協力をお願い申し上げます。

MoPI事務所の入居しているpiaNPOビルが2013年1月で耐震の基準が満たないとの事で

転居を迫られています。いろいろ難しい問題が押し寄せてきていますが、

MoPIは今までと変わらず誠実に、こつこつと日々大切にありたいと思っています。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

(事務局 斉藤生々)

 

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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

れんらく室  〒617-0826京都府長岡京市開田 3-4-35

tel&fax075-201-6430

e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp

本部           〒565-8511 大阪府吹田市千里万博公園10-1

国立民族学博物館小長谷研究室内

tel:06-6876-2151(代表)

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