■NO 148号 2014年5月1日
編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所
2014モンゴルの旅 ご案内
日本映画「蒼き狼」に対するモンゴルでの評判(3)
『Voice from Mongolia,2014 vol.1』
ノロヴバンザトの思い出 その48
編集後記
2014モンゴルの旅 ご案内
夏のツアー予告 ”村のナーダムを見に行こう”
(担当 ムーギー)
ヘンティ県バヤン・オボー村のナーダムを見にいく ツアーを計画しました。
国家ナーダムのように大きな祭典ではないですが、地元の人が参加するこじんまりとした、村のナーダムです。
ナーダムのあと、モンゴル馬で有名なヘンティ県で乗馬 も楽しむ予定です。
「お断り」・上記予定は、決定ではありません。変更もあり。
モンゴルの旅、内容がほぼ決まりましたのでご案内いたします。 この旅では、元ヘンティ県社会開発局長のジャガーさん、奥さんはヘンティ県の県都の学校 の英語教師お二人の協力を得ることになっています。
申し込みは、モピ事務局
電話&FAX(075-201-6430) 又はe-mail:mopi@leto.eonet.ne.jpでお申込みください。
申込み締め切りは、6月10日まで。
(事務局)
日本映画「蒼き狼」に対するモンゴルでの評判(4)
(小長谷 有紀)
異文化誤解がもたらす自文化理解
日本では、チンギス・ハーンの物語はすでに 20 世紀の初頭に『成吉思汗實録亅として訳出 され、また「蒙古の秘史」として一般に普及していた。「蒙古の秘史」を刊行するにあたって、 著者の小林高四郎は、秘密というのは何だろうかと自問し、チンギス・ハーン自の長男が実 子ではないことなどだと自答している。ここに「出生の秘密」は発見されようとしていた。
私見によれば、『蒙古の秘史』に繰り返し出てくるエピソードは、チンギス・ハーンが降伏 してきた敵将を殺す場合と召抱える場合の、一貫した論理である。旧来の主君を逃して投降 した軍人をよしとし、反対に裏切って投降して来た軍人は即座に斬り捨てていく。このパタ ーンが後半部で繰り返されている。このことこそは、諸部族連合を構築し、統括していくた めの秘訣として伝えるべき要点とされたのではないだろうか。テキストがもっていた本来の 意味は今のところ不明としておくにしても、少なくとも現代までの文化継承者たちがテキス トから読み取らない要点、すなわち「出生の秘密」を、異文化誤解として、日本人は好んで切 り出したようである。
小林高四郎によって解説されていた息子の「出生の秘密」が、井上靖の「蒼き狼」によっ て、チンギス・ハーン本人に「出生の秘密」というモチーフが設定され、「劣等感をもった男 の出世話」として流布し、その後、幾多の作品によって反復され続けてきたと思われる。
その反復過程において、こんどは森村誠一によって「出生の秘密」が「女の略奪」という モチーフと一体化されたプロットに強化され、さらに角川春樹によって増幅されたのが本映 画であると言えよう。
すなわち、本映画では、女、略奪、婚姻、戦争といったキーワードを用いて、モンゴル文 化の文脈とはまったく異なる物語が表出されているのである。 ‘
「愛する女のために戦う男たち亅という人間社会に関する自画像を強く喚起させるものと して「女の略奪」のモチーフが使われており、「女の略奪」を目的に、あるいはその復讐とし て、さらにはそれをやめるという大義名分を掲げて、そしてそれらのいずれの場合にせよ、 結局は「女の略奪」だけを動機として、ただしそれはそもそも「出生の秘密」を潜在的に抱 える「父と子の葛藤」の代替として、劣等感を克服するためにひたすら戦闘を展開するとい う筋立てが本映画に結晶化している。
その意味では、本映画のテーマを担っている主人公は、チンギス・ハーンというよりも息 子のジュチである。モンゴル人の中には「ジュチ伝説」と改名するなら本映画は許されるか もしれない、という意見も見られた。言い換えれば、モチーフは理解可能であるか、チンギ ス・ハーンには適用され難いと感じられているのである。
ただし、ジュチに関する日本人の理解が歴史解釈として正しいわけでもないだろう。日本人 販では、父チンギス・ハーンは長男ジュチの出自を疑っているために最も遠方に配置するとい う理解が表出されているが、遠方の繁栄した土地に配されることは、現代で言えばさしずめ アメリカへ留学させてもらえるようなものであって、心理的に遠ざけられているのではなく、 むしろ父から信頼されていたのである。移動を是とする遊牧民の文化的文脈とはまったく異 なる、日本人向けのチンギス・ハーン物語が日本で 1959 年に創作され、以来半世紀のあいだ
伝承されてきた、と言えよう。 以上のように、「出生の秘密」を抱える男の出世物語という解読が妥当である本映画は、チ
ンギス・ハーンともあろう世界的屈指の民族英雄が女や息子のことにかまけているというテ ーマ設定そのものとして、モンゴル人としては認めがたい、理解しがたいということになる。
本映画は映像面面としても決して芸術的ではない。戦闘シーンとして選択されている場所 の中には、コンバインの跡がくっきりと見えていたり、エキストラのなかに背広を着ている 人がいたりする。それはまるで「間違い探し」のための動く画面のようなものである。もし、 映像として美しく、かつ演劇力のある作品であったならば、チンギス・ハーンをめぐる新解釈 が誤解に基づいた日本的文芸モチーフで貫かれていたとしても受け入れられた可能性は十分 にあったろう。
いずれにせよ、本映画の現地上映によってこそ、日本人による「異文化誤解」が明らか になった。そして、それによってモンゴル人の反論が生まれることで「自文化理解」が促進 されつつある。こうした現象はまさしく「文化の往還亅と言えるであろう。そもそも、「自文 化理解」というものは、他者の視線を気にしてはじめて成立ものである。
その意味では「他者による解釈の再解釈亅なのであるという「文化の往還」の運命がここ にも見出されるのではないだろうか。参考文献 井上靖『蒼き狼』新潮社、1959
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次回からの、掲載のご案内 「現代日本文学におけるチンギス・ハーンの利用」
―研究翻訳が文学作品へ転換されるとき―
小長谷 有紀 国立民族学博物館
『Voice from Mongolia,2014 vol.1』
会員 小林志歩=フリーランスライター)
同時代を生きる、普通のモンゴル人のつぶやき。何気ない日常会話やメールのやりとりか ら、彼らの本音に耳をすますことで、変わり続けるモンゴルの現在に迫りたいと思います。 声の主へ、そして筆者へのメッセージ、アイデアもお待ちしています。
うちの学校の生徒のことを支援して、なんて書いてごめんなさい。書くかどうか悩んだ 末に、書くことにしたの。何年か後に校舎を建て替える時まで今の状況が続きそうだから、生徒たちのために何とかしなきゃと思って」
Ch.プレブジャルガル(39)、教員、ウランバートル出身
彼女は、ウランバートルに住む私の親友。2000 年夏、日本語 教師として勤務した学校で同僚として出会った時は、教員にな ってほどない独身の女の子だったが、今はお互いに2児の母と なった。その後、幼な子を母国の実家に預けて、学芸大学に留 学、2 年間の東京暮らしを経験。現在は、鉄道会社の技師である 夫とともに、首都近郊で暮らす。子どもの預け先を見つけるの に苦労しながら、学校と保育所、自宅を往復する毎日を過ごす 彼女から 3 月下旬にメールが届いた。
「うちの学校、体育館が使えない状態が 3 年続いている。築 66 年、老朽化で使用不可になって、冬も春も体育の授業は外です るしかない。11 学年 1936 人が通学しているけれど、授業に使う備品にあてられる国の予算は本当に少なくて、何をするにもまったく足りていない」。 外で何をすると言っても、実際には、体育服にも着替えず、制服姿で 40 分間外にいるだけ。 寒くてどうしようもない日は、教室で体を動かす。生徒のほうも飽きてきて、意欲もなくな っている。ボールなどの備品もない。生徒が体育の授業時間を無駄にやり過ごしてしまっていることに先生方は心を痛める。 苦肉の策として、思いついたのがけん玉。モンゴルのけん玉協会に問い合わせたところ、1台3~5万トゥグルグ(およそ 1700~2800 円)。「とても買えない」。日本の 100 円ショッ プで見つかると聞き、私に立替え払いで一定数を送って欲しいという。
首都への一極集中で、置き去りにされる地方 の話ではない。首都ウランバートルのソンギノ ハイルハン区、内にある第 12 学校。市中心部か ら西へ約 10 キロの同区ではゲル地区の再開発も 進められている。 「先生方はとても能力が高く、子どもたちも頑 張っているの。学校のこと、もっと知ってもら いたい」。技術の授業として、女子が裁縫を学ん で仕上げたという、色鮮やかに刺繍が施された シャガイの袋(写真)。けん玉もいいが、もっと 良い方法はないものか。例えば、生徒たちの作 品を販売し、モンゴルの現状を知ってもらうこ とはできないだろうか?
外資のホテルや商業施設のオープンに、ビルの建設ラッシュ。華々しい経済発展が強調し て伝えられるウランバートルの、これもまた紛れもない日常だ。公害レベルとも言われる大 気汚染の冬がようやく終わっても、人々を、そして子どもたちを取り巻く環境は、青空のよ うに晴れているとは言い難いようだ。GDP の伸びをどのように、ひと握りの「持てる者」から 多くの「持たざる者」に行き渡らせようとするのか、しないのかー。経済という「暴れ馬」 の手綱をさばく政治の力が問われている。
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「今月の気になる記事」
モンゴルの今を伝える現地メディアの記事をピックアップしてお届けします。
第1回目は、地方の遊牧民の思いを伝えるインタビューをどうぞ。
優良牧民 L.オロンバト:「原料を加工する工場がほしい」
モンゴルの国家優良牧民ツァガーンノール郡の L.オロンバトに、家畜や肉の価格の調整や、 牧民が直面している差し迫った問題について聞いた。(筆者:D.オドントンガラグ)
『モンゴル・マル(家畜)』プログラムは、
あなた方牧民にどのような影響を与えています か?
「牧民の家畜や、家畜由来の原料を、チェンジ(仲買人)を介さずに、郡部において仲介業 者を通じて工場に出荷する環境を整えるというこの事業だが、牧民には何ら良い結果をもた らしていない。結局、県や郡のチェンジの権限を強めるだけに終わった。家畜のすべての耳 標をして登録する事業もまた、あまり効果がない。今回のように、すべての家畜を等しく耳 標をつけるというより、種オスや強化された良い血統の家畜のみを耳標の対象にするという やり方にすれば意義深い事業となったのでは、と個人的には考えている。
牧民は、政府から金をせびり、奨励や補助を欲しがるばかりで何もしない、そんな人々で はない。近年、牧民は羊毛や革を出すときに奨励金を出すほか、生産者支援の名目で、何の効果ももたらさないのに何十億トゥグルグもの予算が組まれている。この金で、原料を加工 する工場を、機を逃さずに建設するということを早く決めてもらいたい。南の隣人(訳注: 中国)からの資金の流れをシャットアウトし、何年牧民に補助金を支払ったのか。羊毛の奨 励で、じゅうたんやウール加工の工場、羊の皮革の奨励で毛皮工場、牛や馬の皮革工場を建 設させれば、国内、地方において雇用が生まれ、原料の価格も上昇し、国民生活が向上する と理解している。
家畜や食肉の価格について、どのようにお考えですか。こんにち、肉の値上がりが消費者 を悩ませていますが。
「畜産の主力製品である食肉の価格をどうするかの政策については、なすすべがない状態だ。 肉の値段は、牧民でなく、肉を扱うチェンジたちによって高くなる。牧民から肉を買いつけ る際、1キロあたり 1000 トゥグルグ余りを加えて売っている。損失を見込んで、1500 トゥグ ルグほどが加算されることになる。牧民が自分で、家畜や肉を、街で売るのに、大きな重荷 になっているのは、家畜や畜産品を販売する際に、どこの生産品かについての届けをしなけ ればならないこと。4人のお偉方の署名やハンコをもらうというお役所仕事に、牧民は本当 にうんざりしている。牧民は、家畜を売って、日々の生活必需品を得ている。生活になくて はならないもののために、子や孫、両親、兄弟の糧である家畜を手放すことで、暮らしに必 要なすべてを確保している。しかし、生産地を明らかにするための文書を整えるお役所仕事 の負担に耐えかねて、家畜何頭かをチェンジに安く引き渡すことになっている。生産地証明 は、家畜泥棒の対策事業だと警察などの司法機関は言うけれど、生産地の証明書を付けるか らといって、家畜泥棒による肉が明らかになる、そんなことは有り得ない。ただ、牧民の負 担が増えるのと、お役所が仕事をした体裁が整う、それだけのことだ。警察の仕事がしやす くなるから、といって、国民に負担を強いていいわけがない。牧民が祖国の法律を遵守し、 国民の義務を全うするのは当然のことだ。道路の警察が些細なことで高圧的な態度を取り、 人を見かけで不当に扱うようなことは許せないと感じる。
とりわけ現状を変えて欲しい、と感じているのはどのようなことですか。
「今年、うちは 300 頭の小型家畜(訳注:羊・ヤギ)を屠殺して、皮を奨励事業で出荷しよ うと考え、郡の仲介業者に話したところ、市場価格より低く売るなら奨励の対象にすると言 われたため、即座に通常の市場で売ることにした。このような奨励では皮革・原料の価格を 政策で暗に制限することになる。牧民がなぜ奨励を利用することを拒否しているのか。裕福 で生活に不足がないからそうするのではない。牧民は、家畜や畜産由来の製品を、市場価格 で取引したいという思いがとても強い。「今日の 3 トゥグルグより、明日の 5 トゥグルグが必 要」との思いだ。この状況は、以前からそうだったし、現在も何ら変わっていない。刷新を 目指す今の政府なら、牧民であるわれわれの意見や考えに耳をかすと信じ、期待している。 必要とされるものが値上がりし、需要のないものは値下がりするというのが市場のルールだ。 チェンジは以前自分の金で家畜や肉を買い付けていたが、今は政府の金で買い付けている。 肉を生産する牧民の手にこの金がどうして入らないのか。このあり方を変えて欲しい。
・・・
L.オロンバトさんの家庭は、2002 年から赤十字社に加盟し、寄付を続けており、「ニグールセル(慈悲)」メダルを受章。本人と妻が別々に寄付を続け、両名が数々のメダルを受けている。(後略)
2014 年 4 月 10 日 政治ニュースサイト POLIT.MN より
原文・モンゴル語)
(記事セレクト&日本語訳:小林志歩)
ノロヴバンザトの思い出 その48
(梶浦 靖子)
西モンゴルの楽器エヒル
留学生活も残り少なくなり帰国の時期が近づいて、成果のかき集めも加速した。かねて からアリオンボルトが西モンゴルの楽器について話を聞いていたので、その楽器を一つ 売ってもらうことにした。アリオンボルトの友人の楽器職人が製作したものである。擦弦楽 器、エヒルである。
国立人民歌舞団では、選抜メンバーからなる小編成のアンサンブルが国内各地の劇場に 公演に行くことになっていた。アリオンボルトも何年か前にそのメンバーとして西モンゴ ルを公演し、現地の人からその楽器の奏法を学んだという。
そのように、西モンゴルのネイティブではない者が短期間に学び取ったことを、これ またモンゴルのネイティブではない私が聞き書きするわけなので、情報としては心もとない 点はある。エヒルという楽器名もアリオンボルトの発音から聞き取ったもので、現地の言 葉だとまた違うかもしれない。西モンゴルに通じた研究者と話をした際に「ああ、イェケ ルのことですね」と言われたことがある。そのような状況であるが、モンゴルの伝統音楽 の概要を物語る情報として、とりあえず書き記しておくものである。
エヒルは外見上、モリン・ホールによく似た弓で弾く二弦の楽器である。違うのは共鳴 胴の正面が革張りであることと、棹の先端に馬の頭などの彫刻はなく、ギターのネックの ようになっていることである。その部分には特に何も装飾はないが、仏教の宝珠が三つ描 かれているものも見たことがある。
そして調弦法が異なる。モリン・ホールが二本の弦を完全四度に調弦するのに対し、エ ヒルは完全五度で、しかも二本の弦の高低が左右逆である。これはツォグバドラハ氏が幼 少期に学んだモリン・ホールの調弦法と同じである。しかもツォグ氏の故郷はドンドゴビ 県であることを考えると、むしろ後者の調弦法がもともとモンゴルでは一般的で広く普及 していたものと推測される。
さらに演奏法も違っている。モリン・ホールが左手の指の、爪の根元あたりを弦に横か ら押し当てて音程をつくるのに対し、エヒルは指先を弦に引っかけ、横に引っ張るのだ。 さらに楽器の構え方も異なる。モリンーホールと同様に腰かけて両ひざの間にはさむ場合 もあるが、地域によっては(あるいは時と場合によっては)楽器を左腿の上に立てて置き、 肩に立てかけて弾くやり方もある。また地面に両足をそろえ投げ出して腿の上に楽器を 立てて弾く場合もあるようだ。
そして演奏する曲目も異なる。モリンーホールは民謡曲、オルティン・ドーやボギンー ドーの伴奏や民謡曲のメロディーの独奏、「モリニイ・ヤヴダル」のような馬の動きを描 写したメロディーの独奏をするほか、トーリ tuul’やマクタール・magtaal といった「語り もの」を一人の演者がモリン・ホールを奏でながら弾き語る。
エヒルは歌の伴奏よりも舞踊の伴奏に用いられることが多いようだ。ちなみに、西モン ゴルにはオルティン・ドーと言えるような歌はあまり無いらしい。かなり自由なリズムで 歌われる曲はあるようだが、狭い音域でフレーズ数も少ない曲が多く、いわゆるオルティ ン・ドーのように広い音域で長大な曲とは異なるようである。
舞踊曲のメロディーには譜例21のようなものがある。さらにエヒルを弾きながらホー ミー(倍音唱法)を実演する例もある。その際には譜例22のようなメロディーを奏でて いた。また、西モンゴルのマクタールなどの語りものは二弦の撥弦楽器トヴショールで弾 き語られることが多い。付け加えると、西モンゴルの語りものは、曲の途中にホーミーを はさむものがしばしばあるが、西モンゴル以外の語りものには見受けられない。
またホヴド県チャンドマニ郡では「ホーミー発祥の地」を主張するなど、西モンゴルの ほうがホーミーの歴史は古いようだ。
さらに文化的な背景も若干異なる。モリン・ホールはもともと男性だけが演奏するもので、女性が演奏することにはかってはタブーがあったようだ。対してエヒルには奏したこ とがないようで、年配の女性が演奏している様子がモンゴルのテレビで放送されたことが ある。
モンゴル音楽の二つの流れ
アリオンボルトの話によれば、どうやら、かってモンゴル高原に割拠する遊牧民の間に 二弦の擦弦楽器が広まったらしい。それがいつごろなのか、モンゴル帝国成立の前か後か、 なにしろ音楽に関する古い文献、記録などはなかなか無いので詳細は不明である。
そうして伝えられてきた二弦の擦弦楽器のうち、モリン・ホールは社会主義革命ののち 西洋音楽の影響を受けつつ「近代化」したものであり、エヒルはかっての古い形を残した ものであると言えるようだ。たとえ源流を一つにするのだとしても、前述のように演奏法 も用いられる音楽や文化的な背景も異なるならば、モリン・ホールとエヒルは別の文化の 別の楽器と見なすべきだと思われる。
そして上記のことを考えると、モンゴル国内の伝統音楽はおおまかに二つの流れがある と思われる。すなわち、エヒル、トヴショール、ホーミーを持つ流れと、オルティン・ドー とボギン・ドーとモリン・ホールを持つ流れとである。後者がモンゴルの大半を占める八 ルハ系モンゴルの音楽、前者が西モンゴルを中心とするオイラート系モンゴルの音楽、と いうようにとらえうると私は考えている。さらにオイラート系モンゴルのことは、モンゴ ル高原のチュルク系諸民族との関わりで考えなければならないし、そう言えばトルコ語に はイキル ikil という「一対の、二つで一組の」を意味する語があると聞いた。歴史的、 民族的な文脈でまだまだ解明されなければならないことが多いと言える。
現在ではモリン・ホール奏者が、外国人に受けがいいからとホーミーも習得する例も多 いらしいが、上記のことから言うとモリン・ホールを弾きながらホーミーを実演するのは 伝統的な形からはずれていることになる。もちろんそれを間違いと決めつけることはでき ない。伝統文化をどう扱うかはその文化の担い手が決めることだからだ。しかし、伝統音 楽をいかにして後世に残して行くかという観点で考えなければならないことはある。そし て、伝統音楽を諸外国に紹介する際には、伝統的な文脈を重視したもののほうが興味を持 たれ尊重される傾向が強いことも考え合わせるべきではないかと、傍から見ていて思う。
(つづく)
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「平成26年度会費納入のお礼とお願い」
早速にMoPI会費をおくっていただきました皆さま、温かなご支援感謝申し上げます。 ありがとうございました。未納の皆さま、どうぞご協力をお願い申し上げます。
(事務局)
編集後記
(大学共同利用機関法人 人間文化研究機構)小長谷先生の転勤先の正式名称です。 季節が定まらない4月、新年度を迎え大阪府庁、大阪法務局、税務署など公人としての手続
きに追われる日々が続きました。京都府への移転手続きは、進行中です。
長い間、東京・ウランバートル3000キロメートルと題して楽しませてくださいました梅村 浄さん、「しばらくお休みしたい」という申し出がありました。長い間、たのしませていただ きありがとうございました。時々は、これからも書いて下さるそうです。
北海道からたまたま帰省されていて総会に参加して下さった小林志歩さん、久々のレポー トを担当して下さいます。よろしくお願いいたします。