■NO 151号 モピ通信

■NO 151号           2014年9月1日 編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所

『Voice from Mongolia,2014 vol.4』

  モンゴルの旅

  ノロヴバンザトの思い出 その51

  現代日本文学におけるチンギス・ハーンの利用

  荒木伊太郎の京都案内

  編集後記& 事務報告

 

 『Voice from Mongolia,2014 vol.4』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「兄弟が多いのはいい。あなたが 7 人兄弟とすれば、あなたがピンチのときは、あとの 6 人 が助けに来てくれる」

– エルデネバト(愛称エルカ)/溶接・配管技術者(42)、ウランバートル在住

日本の寒冷地、北海道のさまざまな技術をモンゴルへ伝える、という政府間の約束がなさ れて以来、私の住む北海道・十勝でもモンゴル人の往来が増えつつある。今回は JICA 草の根 技術協力事業、農業貯蔵庫の建設技術を学ぶ研修でやって来たエルカさんをご紹介しよう。 ウブルハンガイ県ホジルト(元横綱・朝青龍関のふるさと。黒板プロジェクトを通じてネー ム入り黒板が贈られています)で遊牧民として生まれ育った彼は、「自分が日本に来るなんて 思っても見なかった」。筆者は通訳として十勝で彼を迎えたが、もしかしたら、遊牧民をして いた頃の彼にウブルハンガイの草原ですれ違っていたかも、などと思わず想像してしまう。

10 年ほど前にウランバートルに移り住み、重機リースや農業関連ビジネスを行う会社の社 員として溶接や配管を担当している。突然社長に言われた日本行きだったが、スーツから作 業服に着替えると、ほどなく職場に溶け込んだ。鉄骨などを加工する工場や現場での技術者 同士のコミュニケーションは、通訳の私の出る幕はなかった。身振り手振りでほとんどコト 足りた。 スクリーンショット 2014-09-04 12.43.43

スマホで見せてくれた家族の写真には、美しい奥さん、奥さん のお母さんとそのまたお母さん(つまり奥さんの祖母)、年頃の 娘さんがいずれもデール姿で写っていた。「子どもはあと大学生 の息子。たくさん欲しかったんだけどね」。そして冒頭のセリフ が続いた。

モンゴル人にはあだ名を付ける達人が多いが、エルカも然り。 日々現場に出て真っ黒に日焼けした建築技師の I さんに付けたあ だ名は「アドーチン・ザロー(馬飼いの若者)」。馬飼いは、とく に出産を控えた馬や仔馬をオオカミから守るために、常に外で見張りをするため日焼けする、というのがその理由。年配の同僚を「センセイ」と慕い、常に 教えを乞うていた。2か月の研修期間を終え、帰国する際には、センセイの方が涙すること になった。

研修中は、社員寮での自炊生活。最も驚いたのはゴミの分別だという。中でも、食べ終わ ったコンビ二弁当の容器を洗って捨てるのと聞いて、絶句。「いくらなんでも、あり得ない。 子どもの頃からこういう習慣になれていないととても無理だ」。 日本に来てから、思い出してハッとことがある。10 年以上前、ふるさとの草原のとある寺 院跡を通りかかったとき、観光でやって来た日本人女性に遭遇した。何気なく見ていると、 その女性が周囲にあったゴミを拾い始めるではないか。通訳を介して帰って来た答えは「こ んなきれいなところにゴミがあってはいけない」。慌てて、「自分たちがやります!」と言っ たのだったー。研修の最後には、「技術のほかに時間を守ること、ゴミを捨てないということ を学んだ」と話し、受け入れ先の社長を痛く感激させた。

常に好奇心いっぱいの目を光らせて、日本人が気にも止めないような日本製品のディテー ルを細かくチェックして、とにかく試してみる。例えば色んな扉や窓の開閉のシステム。 「金物百科」という金属部品の分厚いカタログを「自分で何か作るときの参考になる情報 が詰まっている」と暇さえあればめくって眺めていた。 一方の私は、草原育ちならではのリアクションを期待して、彼の言動をチェックしていた。 180 キロ離れた日高での現場作業の帰りに、回り道して立ち寄ってくださった(運転を厭わぬ 北海道人の、このホスピタリティー!)、生まれて初めての海、波の音。後でその海が太平洋 と聞かされ「拝んでおけばよかった」。お昼に社員寮におじゃましてごちそうになった、モン ゴルから持参した自家製ボルツ(干し肉)のだしが効いた「モンゴルうどん」。日本の蕎麦の だしも口にあったと見えて、ざるそばのつゆを飲み干していた(ちなみに、もっとお気に召 したのは、職場の歓迎会で振舞われたしゃぶしゃぶの鍋の汁。絶品と何度もおかわりしてい た)。定食の付け合せの生野菜は、箸でよけていつも食べ残し。そのあたりは、スマホをいく ら使いこなしていても、やはり遊牧民ですね。モンゴルでの再会を楽しみにしています。(写真前は筆者の長女 5 歳) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「今月の気になるニュース」

モンゴルは早くも実りの秋を迎えているようです。今回は農業事情を紹介する記事をどうぞ。

「豊作でも貯蔵する倉庫が足りない」
(筆者:D.オユンチメグ)

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今年の野菜の収穫は、例年より早く始まった。工業・農業副大臣の Ts.トバーンが、先日農 業地帯の各地を視察した。

晴天と降雨のバランスがよく、良い夏となったため、豊作となった。国内で、42 万 8100 ヘクタールの耕作地のうち、31万4800ヘクタールで穀物を栽培。うち29万3000ヘクタール が小麦、1 万 3000 ヘクタールがじゃがいも、7900 ヘクタールが野菜、7万 8100 ヘクタール が油の原料となる植物、1 万 2700 ヘクタールが飼料作物である。

視察で訪れたソムの農業者は、休む暇なく働いていた。「われわれは畑を耕し、家畜を放 牧していれば、空腹になることはないです。経済不況だからといって、われわれの手足を束 ねて動けなくすることはできないですよ」と、明るく前向きに語った。

トゥブ県では、今年 6 万 6167 ヘクタールで播種が行われた。このうち 5 万 9589 へクタールがじゃがいも、948 ヘクタールが野菜、4035 ヘクタールが飼料作物、1 万 3957 ヘクタール が、油を取るための植物だった。この夏は豊作で品質も良いのが特徴という。
ジャルガラントソムの「サウ」組合の経営者、C.二ャムラグチャーは「収穫期を早く迎え た。2ヘクタールでキャベツ、1.5 ヘクタールでタマネギ、2ヘクタールでニンジン、マンジ ン、40 ヘクタールでじゃがいもを栽培。1ヘクタールあたり、20.3 トンの収穫があった。 野菜を保管する貯蔵庫の確保が問題」と語る。同組合の農家は、新物のじゃがいもを 350~400 トゥグルグ、キャベツは 200 トゥグルグで販売している。

同ソム内では 3 万 9000 ヘクタールの畑で小麦や野菜を栽培。このうち 3 万~3 万 3000 ヘク タールを区分けして耕作。1 万 8500 ヘクタールで野菜を栽培、1 万 5000 ヘクタールを休耕地 としている。同ソムでは、今年 2360 ヘクタールでじゃがいもを栽培、2400 トンを出荷した。 またじゃがいもを加工する工場を建設する計画という。この工場の技術、経済的基盤を整備 するのに 1 億5千万トゥグルグの予算を確保したことを同ソム長の D.ガンボルドが話した。 野菜の栽培をする農家が、仲買人を介在しない販売を成り立たせることが重要、との見解を 述べた。

また「ジャルガラント・ハーベスト」社の P.オーガンバヤル社長は「製粉工場に、小麦を 46 万~50 万トゥグルグで販売している。今年は良い種を使用したので、種を扱うビジネスに 参入する。製粉工場に小麦を売り、翌年また種を入手するのに苦労する必要はない」と話し た。同社は 1800 ヘクタールで、優良品種を播種。1ヘクタールあたり、2 トンの小麦を収穫 している。県内の種の需要の 30%を賄うことを目指しているという。トバーン工業農業副大 臣は「昨年2万トンの小麦の種について、関税と付加価値税の免税措置を行った。このこと で、約8千の優良品種の種が輸入された」と話した。同省からは 512 の個人または企業が、 合計1億トゥグルグの補助金付き融資を受けた。

このように、トゥブ県ジャルガラント、スムベル、セレンゲ県バローンブレン、ツァガ ーンノールの各ソムを訪問した。農業者が直面している問題は、貯蔵する設備がないことと、 販売という。同省の M.アリウンボルド代表代行は、「今年は作物の成熟が例年より早い時期 に始まったことにより、収穫作業の調整をする必要がある」と話した。農業従事支援基金は 14 万 6000 トン容量のエレベーターを修理、浄化、殺菌処理をして準備した。またじゃがいも、 野菜を 18 万 2000 トン収容できる貯蔵庫を受け取ることになっている。

セレンゲ県内の農業者も、差し迫った問題を副大臣に話した。同県でも今年は豊作に恵ま れたという。ツァガーンノールソムのソム長、J.ジャルガルサイハンは、「わがソムでは家 畜の頭数が増加している。よって畑作と畜産をセットで発展させるための政策を打ち出す必 要がある」。彼らが直面している困難はもうひとつあり、それは輸送。積載量の大きいトラ ックが走れる道路が壊れているとのことだ。

「ミルクを用意する前に容器を用意せよ」との諺がある。豊かな実りのための「容器」の準備が課題となっている。

2014年8月22日 政治ニュースサイト POLIT.MN より

http://www.polit.mn/content/48103.htm   

(原文・モンゴル語)

(記事セレクト&日本語訳:小林志歩)

 モンゴルの旅

(福島 規子)

孫を連れてのモンゴル旅行 「今年の夏休みに一緒にモンゴルへ行ってみ ない?」と小学 6 年生の孫の悠人を誘ってみた ら、「行きたい!」との返事、一緒に行くことは 以前から楽しみにしていたことでした。 MoPI 総会の時に子ども参加の今夏の旅を計画 していただけることになり、7 月 29 日から 8 月 5 日まで、ホスタイ国立公園に行くこととな りました。 一緒に行くのは悠人の友人で小学 5 年生の大 地勇君、ふたりにモンゴルの自然を体験しても らいたいと思い、美代子さん、ムーギーさんに いろいろ計画を立てて頂き、出発の日を迎えました。 スクリーンショット 2014-09-04 12.55.17

29 日のウランバートルと 30 日からホスタイへの3泊 4 日の旅は伊藤知可子さんと一緒です。 初めてお会いする伊藤さんにも直ぐに打解けて、賑やかに旅は始まりました。 ウランバートルに着き最初にムーギーさんの家にお邪魔して斎藤さんご夫妻と、美代子さ んにお会いし手作りの美味しいピザを沢山いただいて、まだ日本で過ごしているような気分 のひと時でした。 30 日は朝からムーギーさんの車でホスタイ国立公園に向けて出発です。途中スーパーマー ケットに寄り沢山の食料と飲み物を買い揃え、モンゴルの景色を楽しみながら、3 時間ほどで ホスタイに到着です。 午後から早速子どもたちと伊藤さんは乗馬をすることに、子どもたちははじめての乗馬で少 し緊張している様子でした。1 時間ほど手綱を持ってもらいながら楽しく過ごし、2 日目はム ーギーさん、私も加わり 5 人で 2 時間ほどゆっくり草原を巡りました。私は 5,6 年振りの乗 馬でしたから、手綱を持ってもらいながらです。子供たちの目には広い空と広い草原、色と りどりの花が見えていた事でしょう。 ゲルでは時間が沢山あります。そこで子どもたちが取り出したのはトランプです。時間を 見つけてはゲームに誘われ伊藤さんも私もくたくたになりました。のんびり、ゆったりと過 ごし、美味しい食事をいただきました。施設の設備も整っていてトイレ、シャワールームも 何時もきれいに掃除がされていました。 ホスタイ国立公園にはタヒが保護されています。タヒは夕方になると山に帰るので車で見 に行きましたが最初の日はなかなか見つからず引き換える間際に仔馬1頭を含む6頭の家族 に出会え、水飲み場まで近づくことができました。他にもタルバガンやうさぎも走り回って いました。

8月1日は早朝5時からホスタイのレインジャーの方に案内していただき、タヒ、シカ、 ワシなどを見つけて歓声を上げました。でも一番は岩山を300メートル程登って見たタス (大鷲)の巣と子供のタスです。登った岩山の上から5,6メートル位離れた先の岩の上に 大きな直径1メートル位もある木や草で作った巣の中に、レインジャーが突いて起こしたら 羽を広げて2メートル位の子供タスが1羽居ました。親鳥がどこかで見ているようで少し怖 かったのですが、遠くまで餌を探しに行っているとのことでした。 山を下りて帰り道、沢山のタヒの家族や様々な動物が生きている様子を見ることができました。

自然いっぱいのホスタイとお別れして、ウランバートルへ戻り、伊藤さんともお別れです。

楽しい時間を有難うございました。お土産を買いに行って、お友達には見てきたばかりのタ ヒを思い出しフェルトの馬をかいました。市場にも行きました、日本とは違うお菓子などを モンゴルのお金を使って買い物をしました。その後オイドブさんとご家族の皆さん、お友達 と会い再会を喜び合いました。 オイドブさんは今年大学院を卒業し心理学の修士を終えました、将来の計画が色々あるそ うで、高齢者のための病棟造りから乳幼児を持つ親のための健康指導など考えているようで す。昨年生まれた3人目の男の子は、ずしりと重く大きくなっていました。 2日間をオイドブさんたちと過ごし、8日間の旅はあっという間に終わりました。 日本はまだまだ猛暑の毎日です、ホスタイの爽やかな空気を思いだしながら又子どもたちと 一緒に訪れたいと思っています。 ムーギーさん、美代子さん本当にいろいろお世話になりました、有難うございました。

(2014年8月23日)

(福島悠人)

伊藤さんお元気ですか、モンゴルの旅では有難うございました。 ゲルの中でトランプをしたりして楽しかったです。 初めて馬に乗った時ちょっとどきどきしたけど、怖くなかったです。3日間も乗れました、 又乗りたいです。 沢山動物を見ました、タヒの子どもはかわいかったです、ワシの子どもは大きくて!びっく りしましたが、拾った羽はふわふわしていました。 ゲルの所にいた犬のモフモフはかわいかった、どうしているかと思います。 ウランバートルでお別れしたのに、すぐお土産のところで会いましたね、楽しかったこと 思い出しました。また会えるとよいと思っています。 帰ってから1週間以上たった時、夜遅くまで起きている悠人に早く寝るように声を掛ける と、「体は日本だけれど心はモンゴル時間で過ごしてる」と言いました。 また孫と一緒にモンゴルへ行けそうです。

 ノロヴバンザトの思い出 その51

(梶浦 靖子)

東京での再会
1992年4月、約2年ぶりに日本の土を踏んだ。バブルはすでにはじけたとはいえ、日本 はまだその活気が名残りとしてあった。 大学はもう卒業していたが、東京に暮らすことにした。モンゴル音楽に関わる活動をす るには、そのほうが便利だからだ。どうにか働き口も決め、ノロヴバンザドとアリオンボ ルドに手紙を書いた。ノロヴバンザドからは、夏に東京へ行くからその時会おうと返事が 来た。しかし詳しいことは何も書いていなかった。どうしたものかと思いながら日は過ぎ、 て、6月、先輩や友人に挨拶しに大学を訪れた。そこで先輩の一人が、8月にノロヴバン ザドらモンゴルの音楽家たちが来ることを教えてくれた。コンサートとCDのためのレコー ディングをするということで、担当するレコード会社の人の連絡先を教えてもらった。 そこに電話をすると、彼らの日本公演の制作をする音楽事務所を紹介された。日程や宿 泊先などの詳細はそちらに問いてみればと言う。早速そちらに電話した。モンゴルでノロ ヴバンザドに師事しお世話になっていた者であることを説明し、滞在中に会わせてほしい、 できれば同行させてほしい旨お願いした。何であれば通訳などでお役に立てるようにしま すと付け加えた。突然の申し出に先方は少し驚いたようだったが、後日ノロヴバンザドに問い合わせ了解を得たとのことで、来日したら会いに行けることになった。 そして暑い盛りの8月、ノロヴバンザドらが日本にやって来た。連絡を受け渋谷のビジ ネスホテルで事務所の人と待っていると、ノロヴバンザド一行が到着した。 モリン・ホールのTs.バトチョローン、ホーミーのG.ヤヴガーン、そして通訳の女性が同行していた。 ノロヴバンザドは私を見つけると笑顔で「フーィエ(あらあら)」と声をあげた。駆け寄っ てハグをし、相手の頬に鼻をつけ匂いをかぐようにする。モンゴル式のあいさつは何度し ても気恥かしい。ホテルの部屋に荷物を運び込むのを手伝った後、レストランでの会食に お呼ばれし、近況を知らせ合った。日本側スタッフがモンゴル側に滞在中のスケジュール を説明するのを私も少し通訳した。そして翌日のレコーディングに立ち合わせてせてもら えることになり、その日は帰った。

レコーディングの手伝い
翌日、午前中からCDのためのレコーディングが行われた。都内某所のスタジオは平屋の一軒家のような建物だった。見ると玄関前にダンボール箱が置いてあり、中に猫が寝て いた。ノロヴバンザドは「あら可愛い」と言ってなでていた。一般にモンゴルの人は「悪 い心を持っている」と言って猫をきらうことが多いので、彼女の行動はモンゴル人として は珍しい。 スタジオでの録音はノロヴバンザドもほかのメンバーも、旧ソ連などで経験があった。 今回は一日ですべて録音してしまう慌ただしいスケジュールだったが、彼らにとってはど れも慣れ親しんだ曲なので、録り直しも少なく順調に進んだ。ただやはりノロヴバンザド の声量は規格外のレベルのようで、録音機器のメーターがすぐレッドーゾーンを超えて振 り切れてしまうので、マイク音量や口からマイクまでの距離を調節するのが大麦だったよ うだ。 私も曲名や歌詞、楽器など音楽に関する部分の通訳でいくらか役に立てたかと思う。オ ルティン・ドー曲の歌い出しのフレーズで曲名がわかる人間が日本側にほかにいなかった そうした作業のなりゆきで、じゃあCDのライナーノーツも書いてくださいということに なった。モンゴル音楽についての大まかな説明から、音楽家の紹介、楽器や曲目の解説を 書かせてもらえることになった。そんな、いいんですか?と思ったが、願ってもない、と ても光栄なことなのでお引受けした。モンゴルで学んだことを形にできる機会を与えられ たわけで、本当に幸運なことだったと思う。

(つづく)

 現代日本文学におけるチンギス・ハーンの利用

              一研究翻訳が文学作品へ転換されるときー (3)

                         小長谷有紀(国立民族学博物館教授)

国際シンポジウム「文化資源として利用されるチンギス・ハーン」
                                       @滋賀県立大学 080125

4.主人公チンギス・ハーンに関する<出生の秘密>の発見

井上靖の『蒼き狼』は、そのタイトルに主題が明瞭に現われている。上述したように大岡

昇平が史料を曲解していると非難するのに対して、井上靖は以下のように応答している(井 上 1961:175‐176)。

「・・・・(前略)・・・・私が成吉思汗について一番書きたいと思ったことは、成吉思汗 のあの底知れぬ程大きい征服欲が一体どこから来たかという秘密である。・・・・(中略)・・・・ 一人の人間が性格として持って生れて来た支配欲といったようなものでは片づきそうもない

問題である。こうしたことは、もちろん、私にも判らない。判らないから、その判らないと ころを書いて行くことで埋められるかも知れないと思ったのである」。

作家井上靖にとって創作動機となる「秘密」は、「征服欲」の理由、その源泉なのであった ことが了解される。そして井上自身が見出した回答が、<蒼き狼の血の原理>という理解で あった。

井上は、チンギス・ハーンの祖先には蒼き狼の血が流れているとし、この血を受け継ぐべ きところを、自分自身が父の実子ではないらしいという疑いを持っているために、その疑惑 を晴らすために刻苦勉励するというストーリーになっているのである。

このチンギス・ハーンの出自疑惑について、大岡昇平は「井上氏の第二の発明」(大岡 1961: 221)と称している。それに先立つ第一の発明とは、成吉思汗をして即位式にて「蒼き狼は敵 を持たねばならぬ。敵を持たぬ狼は狼でなくなる」といった演説をせしめている点である。 つまり、小説全体を貫いて「蒼き狼の原理の発明」(井上 1961:176)がなされているという わけである。

ところで、『元朝秘史』の冒頭部分は、神話的な記載があり、祖先の系譜が示されている。 それによれば、蒼き狼の系譜とチンギス・ハーンの祖先であるキヤト一族の系譜は「接木」 された関係にあり、そもそも血統として繋がっているわけではない。蒼き狼の血統の家に嫁 にやってきた女性アランゴアが、夫ドブンメルゲンを亡くしてから、光によって身ごもった 子どもの一人がボドンチャルであり、その子孫がチンギス・ハーンの父の系譜キヤト氏一族 であるから、蒼き狼の系譜はもともとチンギス・ハーンの系譜と「接木」の関係にある。遊 牧民集団がビッグバーンを経て膨張するにあたっては、このように異なる系譜がいわば「接 木」されていったものと推測される。

『元朝秘史』の冒頭に述べられている「蒼き狼」という表現に魅せられたに違いない井上 靖は、この血をそもそも受け継がない一族の物語であるにもかかわらず、この血が流れてい ると誤って想定しておき、そしてそれが無いことを自ら疑い、その疑惑を晴らすために奮迅 するという、<蒼き狼の血の原理の発明>をしたことになる。

井上、大岡の論争に分けて入った、山本健吉は、「歴史と小説」という記事を寄せて、井上 作品を擁護してみせた(山本 1961)9)。

「史料によれば、成吉思汗の子供のジュチは、その身にモンゴルの血が流れているかどう かを疑わせるような、出生の秘密を持っている。その秘密を、成吉思汗自身にも負わせるこ とによって、彼の行動を強い意志による悲劇として裏づけることができる」(下線は筆者小長 谷による)。

こうして初めて、井上作品の文学的主題は<出生の秘密>であることを山本は明示したの である。それではいったい井上靖はいかにして『元朝秘史』から<出生の秘密>を創作した のであろうか。

そもそも<出生の秘密>という文学的テーマ自体は、『源氏物語』にも話の始まりとして見 受けられるものである。そして、とりわけ近代になると日本文学における中心的な主題とな ったことを斎藤美奈子が『妊娠小説』という近代文学評論で分析している(斎藤 1997)。

斎藤美奈子によれば、森鴎外の『舞姫』(1890)や島崎藤村の『新生』(1918)に始まって 近代日本文学には共通のモチーフがある、という。すなわち、男性主人公が恋愛をして相手 の女性を妊娠させてしまい、そのことに苦悶するというモチーフである。近代化の過程で、「自 由恋愛」と「立身出世」が人生の課題として同時に提供されると、「自由恋愛と立身出世のは ざま」でこうした妊娠(させる)問題が、形而上的にあるいは人によっては現実的に生じて いたのである。

日本の近代文学に発見されるこうした「妊娠」現象は、近代になって、家族こそが次世代 を作る場として固定されてしまったことと、そこから排除された性があることをはからずも 反映している。そして、もっぱら血縁で固定化されていく家族と、そこから排除された性の 営みが混在すると、男女にとっては倫理的責任問題が発生し、生まれた子にとっては誰の子 かという悩みが発生して「出生の秘密」が鮮明化するのである。

ただし、三浦雅士が『出生の秘密』で明らかにしたところによれば(三浦 2005)、自分自身

の出生を自分で目撃することはできないという点で、人間にとってそもそもそれは根源的な 秘密ではある。それを探求する欲望が小説家をして小説を書かしめる、と言う。さしずめ、 自ら養子に出されて養父母になじめずにいた夏目漱石などはその典型的な例であり、アイデ ンティティの模索の過程をそのまま小説として結実させていったことが知れる。

こうした近代小説の成り立ちは、近代家族の誕生と同様に、決して日本に限ったことでは ない。精神分析の分野において、フロイトは『夢判断』のなかで、両親との関係を想像上変 更するという幻想が患者に見られることを指摘し、これを「家族小説(Familienroman)」と 呼んだ。一般的に子どもたちは弟や妹が生まれたときに疎外感を感じるなどして、自らの出 自を疑ってみたりするものだが、強くこの観念に囚われたままであると出自を妄想してしま う。また、母を奪いあう構造的対立関係から父を憎むというエディプス・コンプレックスも 密接に関係することもある。こうした理解がひとたび発見されると、さらに理解は次のよう に進化を遂げていく。

フロイトの弟子であったマルト・ロベールは、この「家族小説」というフロイトの思いつ きを援用して物語へ転化するという小説論に展開してみせた。すなわち『起源の小説と小説 の起源』(原著は 1972 年)で、自分自身の起源を探求するという空想物語が、孤児の物語、 捨子の物語、私生児の物語に展開し、近代小説にまで発展するとした、とする。そう言えば、 吉本ばななの『キッチン』(1988 年)にもまた「出自の虚構」を容易に発見することができよ う。

概して小説家という職業人は、自分が何者であるかとか、いかに生きるかという問いに答 えようとして虚構を組み立てる際に、あらかじめ主人公の出自を不分明にしておき、そこか ら「家族」を創出していくという創作技法を援用するものであるらしい。フロイト風に言うなら、いわば出自妄想者の語りの形を多くの小説が模倣する。

以上のように、<出生の秘密>は、人間にとって根源的であり、したがって古今東西、文 学的創作上の秘訣である。この秘訣を応用しながら、広義の<出生の秘密>のうち、<妊娠 問題>(女性を妊娠させる問題)にこだわった文学作品が、日本近代文学には数多く生まれ たのであった。

そして、本稿で問題にする井上靖の創作したチンギス・ハーンの物語もこの<妊娠問題> という主題と深く関わっている。『蒼き狼』では、<妊娠問題>あるいは<出生の秘密>に関 連して以下のような挿話が冒頭から並べられていく。

1.テムジン(チンギス・ハーンの幼名)の母ホエルンは略奪されて、父のもとに来た。

2.だから、父エスゲイの実子ではないと異母兄ベルクトに陰口をたたかれた。

3.テムジンはその陰口の主である異母兄ベルクトを射殺した。

4.テムジンの第一夫人ボルテは略奪された。

5.略奪された夫人は、十数回にわたって敵将に犯された。

6.したがって、夫人の産んだ長子ジュチは実子ではない。 これらの要素のうち『元朝秘史』に記されているのは1と3と4である。また、6につい

ては明記されていないが、ジュチという名前が「客人」を意味しており、弟のチャガタイに 難癖をつけられて言い争うシーンが『元朝秘史』巻 11 にあることから一般に事実であろうと 了解されている。すると、2と5だけが井上氏による創作的エピソードだということになる。 6 つの要素のうちたった 2 つを追加したにすぎないのだが、こうしたエピソードの追加によっ て、まったく異なる理解が提示されたことは注目されよう。

オリジナルの『元朝秘史』では、テムジンの父エスゲイは、オンギラート族の 1 つのオル クヌート氏の女性ホエルンをメルキト族から略奪し、テムジンが生まれた。テムジンは、別 の氏族の女性から生まれた兄を殺し、けれどもその弟を活かして生涯の部下とする。許嫁を 得るために、母の里であるオンギラート族オルクヌート氏への旅の途中で、同じくオンギラ ート族のボスクル氏と出会い、その女性ボルテをもらうことに決める。ところが、彼女はメ ルキト族に復讐として奪われたので、父の盟友や自身の盟友の協力を得て取り戻したものの、 生まれた子ジュチはメルキト族の血が流れており、ただし、そのことにチンギス・ハーン自 身が悩むことはない。

ところが、井上靖の『蒼き狼』では、テムジンは、自分自身に敵の血が流れていると陰口 をたたかれ、その悪口を言った異母兄を殺害し、ずっと自らの出自に悩み、がんばって自己 証明するしかないと思った矢先に、妻を奪われ、妻はさんざんに犯されており、彼女を奪還 してみたもののすでに敵の子を身ごもっていたので、生まれた長子に対しては自分と同じよ うに出自の欠陥を克服するように期待する、という物語となるのである。

研究翻訳が文学作品に転換されるときに、明らかに創作が生じている。この創作は以下の ように分解しておくことができるだろう。

第一に、『元朝秘史』では歴史的な事実として印象づけられるように記されていた「正妻の 略奪」という政治的ゲームに関して、井上は女性への強姦という挿話を明示的に付け加えた。 これによって、読者にとっては<妊娠問題>が明らかとなった。

第二に、略奪後、奪還前の妊娠を明らかにすることによって、読者をして<出生の秘密> に着目させた。

第三に、妻のボルテと息子ジュチについて『元朝秘史』に記されていた一連の事件<略奪・ 妊娠・出生>と同じパターンの挿話を、母のホエルンと息子テムジン(チンギス・ハーン自 身)にも発生しているかのように仕向けた。言い換えれば、井上は二世代にわたって<出生 の秘密>を繰り返した。これによって、いやがうえにも主題として<出生の秘密>が強調さ れた。

第四に、そうした<出生の秘密>を克服するために努力するという筋を井上は設定した。 「出自に悩む男が成功する」物語を父チンギス・ハーンと息子ジュチの二世代にわたって強 化して完成させた。

以上のように、文学の秘訣とりわけ日本近代文学の秘訣を念入りに取り込んで、『蒼き狼』 は世に生まれ出たのである。

 

 

 荒木伊太郎の京都案内

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 編集後記&事務報告

8月15日モンゴルからもどりました。京都盆地の蒸し暑 さを我慢する日々です。

あちこちの大きな災害の報道に心が痛みます。

今年、セレンゲ県ズーンブレン学校が今年設立90周 年記念で盛大な祝賀行事があったそうです。約300名の来 賓を前に、モピとの交流事業、日本に招聘されたこと、 などなど発表されたそうです。

オンドルマー校長先生はパワー全開でした。その際、 日本滞在時にお世話になったこと、モピの方々に改めて お礼を述べられていました。

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(オンドルマー先生は、モンゴルの文化勲章を受賞されたとのことです。)

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郵貯事業で参加してくださった先生方へ変貌している運動場です。

立派な体育館が建ち、毎年少しづつですが設備もよくなっています。

MoPIは、8月20日付けで京都府知事の認可が下り、移転が完了しました。

(事務局 斉藤生々)

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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

事務所
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
tel&fax 075-201-6430

e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp

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