■NO 157号 モピ通信

■NO 157号 2015年3月1日

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所

 

『Voice from Mongolia, 2015 vol.9』

 ノロヴバンザトの思い出

 ホルツ氏インタビューの連載

 第14回モピ総会開催の予告

 意味深い京都の佇まいを訪ねて

 モピ新年会報告(写真)

 ホラン野会からのお知らせ

 事務局からお願いと雑感

 

 『Voice from Mongolia, 2015 vol.9』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

(返品に笑顔で対応する店員に)いつになったらモンゴルに日本のようなサービスが普及するかしら…。まだ時間がかかりそうな気がする」

――G.アユーシ、ウランバートル市役所職員

1月末から2週間にわたり、上下水道や廃棄物処理などを担当するモンゴルの行政関係者 らがJICAの研修で帯広に滞在し、交流する機会を得ました。最も寒い時期の北海道・十 勝に来た彼らですが「4月みたいだね」などと余裕の表情(ただひとり、ドルノゴビ県サイ ンシャンドの暖房設備会社の技師オユンさんは「地元より寒いわ」と言っていましたが)。3 0歳~40歳前後までの働き盛りの彼らが講義や視察以外のオフタイムに熱中していたこと は何でしょう?それは…ショッピング。ちょうどツァガーンサル(旧正月)を控えた時期で もあり、連日、郊外にある宿泊先からタクシーに乗り合わせ、または氷点下の気温や雪をも のともせず徒歩で、数キロ先のショッピングゾーンや家電店へ繰り出していました。

やはり人気はお手頃価格のユニクロ。多くの人が自分や家族へのお土産に衣類をお買い上 げ。ところが、数日後、「返品したいので通訳してほしい」という人が続出しました。買った ものをスマホで撮影し、メールで家族に見せたところ、「こんなの、いらない」と言われたと か。しまいには店で商品を撮影して「どちらがいい?」なんて、メールのやり取りを始める 人も出る始末。笑顔で返金に応じ、頭を下げられて、アユーシさんがつぶやいたのが上のひ とこと。曰く「モンゴルだったら、怒られ、受け付けてもらえないこともある。日本の店員 さんは心からお礼を伝えてくれる」。

休日の土曜日に、留学生オススメのバイキングレストランでランチ会を企画したところ、 大皿に山盛りの肉が次々に焼かれて、お皿がどんどん空になっていくのは気持ちがよい眺め でした。「大相撲で活躍する某力士がモンゴルに帰省した際、ボーズ48個とツォイワン3皿 とザラート(ゆで玉子の肉ロール)を食べた後ひとこと、『久々のモンゴルで緊張して、あま り食べられなかった』」なんて逸話(というかオニゴー=小噺、ロシアで言うアネクドート) を披露し、盛り上がっていました。いえいえ、あなた方も店のお肉の在庫を食べ尽くすとまでは言いませんが、後半になってもコンスタントに焼肉を食べ続けていたのは、さすがでし た。

研修では十勝各地でゴミ処理場や下水処理場、牛糞を活用したバイオガスプラントなどを 視察、リサイクルやゴミ削減の取り組み、環境教育の実践などについて幅広く学んだ。ウラ ンバートル市役所からの研修員数名のレポートを見せてもらうと、研修の学びを生かし、1 リサイクル事業への参入を促進するため、事業のための設備購入の際の免税措置導入2市民 への広報強化3分別用指定ゴミ袋の導入―などに取り組みたいと書かれていました。ちゃん と勉強もしていたようで、良かった~(失礼!)。

夫から「家族より、自分へのプレゼン トを買いなさい」と送り出されたという アユーシさん、念願だったキャノンのデ ジタル一眼レフを購入。出産後、子育て に追われ、長く離れていた趣味の写真撮 影を再開したいとのこと。ゴミのない、 草原の景色をたくさん撮影して、また見 せてくださいね。

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(写真説明) 帯広市内のバイキングレストラン『大食漢』(まさに!)にてランチを楽しむ

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「今月の気になる記事」 モンゴル国の人口が1月についに300万人を超えたそうで、おめでとうございます。この原稿を書いている今はツァガーンサル直前、国中家族総出でボーズづくりの真っ最中でし ょうか。幕内優勝33回の大記録を樹立した横綱白鵬関も帰省中、トータル何個ボーズを食 べるのかしら…?

今回はモンゴル人の暮らしを伝える統計などをお届けします。

インフレ率、前年より9.8%上昇

筆者:Б.アリオンザヤ 国家統計局が昨1月の社会・経済状況について発表した。

乳児死亡が37.2%増加

 国全体で昨月6668人が出産した。これは前年同期に比べ母親の人数で221人(3. 4%)、赤ちゃんの数で234人(3.6%)の増加。一方、乳児死亡は前年同期比で37. 2%増、1-5歳についても141人が死亡して29.4%上昇した。

国全体で失業率7.7%

失業登録をしている人は昨月末時点で3万5800人、前年同期比2500人(7.6%) 増加した。12 月から見ると1200人(3.3%)減少した。労働人口の60万4200人 (53.6%)を男性、52万3500人(46.4%)を女性が占めた。昨年末、国全体 で8万7千人が失業していたが、調査によると、このうち4万9100人が男性、3万79 00人(43.5%)が女性だった。国全体での失業率は7.7%という。

世帯の支出は8万6100トゥグルグ増加

世帯の社会・経済調査の結果から、世帯の平均月収は、97万2000トゥグルグ(訳注: 約6万円)となり、前年より7万8700トゥグルグ(8.8%)増加した。一方で1か月 の支出額の平均は98万8600トゥグルグで、前年より8万6100トゥグルグ増加した。

202億トゥグルグを子ども手当に充当

社会保険基金の収入は昨月608億トゥグルグ、支出は1072億トゥグルグだった。前 年同期比は2億トゥグルグ減少したが、支出額は168トゥグルグ(18.6%)増加した。 社会福祉基金より昨月 11 万6千700人に80億の年金、手当を支給した。受給者の数は1 8.9%増加し、支給額は14.1%減少して130億トゥグルグだった。人間開発基金は 昨月 18 歳未満の99万6千人に202億トゥグルグを支給した。

GDP(国内総生産)は218トゥグルグに達した

製造業などのGDPは218トゥグルグに達した。2010年同期に15.5兆トゥグル グを突破、前年より14.3%、同期より7.8%増加した。消費者物価指数は、12月よ り0.7%、前年同期比9.8%上昇。インフレの進行により、食品、飲料品、水が0.9%、 衣料、靴など0.8%価格が上がる影響が出た。

不良債務額が3.0%増に

流通している現金は前月末時点で7324億トゥグルグとなり、前月より773億(9. 5%)、前年より1619億トゥグルグ(18.1%)減少した。これにより、企業や団体、 市民の債務残額は12.1兆トゥグルグとなり、前月より4137億トゥグルグ(3.3%) 減ったものの、前年比では1.1兆トゥグルグ(9.8%)増加した。一方、期限を超過し た債務の残額3177億トゥグルグとなり、前年より482億トゥグルグ(17.9%)、前 年の2.1倍に増えた。銀行システム全体では、不良債務が6574億トゥグルグ、前月比 では317億トゥグルグ(5.1%)、前年比では13%増加した。また国家財政の歳入、援 助の総額は3536億トゥグルグで、歳出や債務の支払いなどは3664億トゥグルグだっ た。国の収支は128億トゥグルグの赤字となった。

-2015 年 2 月 12 日、モンツァメ

馬乳酒 1 リットル3500トゥグルグで販売

チンギス広場でお正月用の展示即売会が開かれ、アルハンガイ、ヘンティー、ウムヌゴビ 県の牧民が地方自慢の乳や乳製品を販売した。特に売れ行きが良いのはアルハンガイ県産の 乳製品。同県からの売り手が多かった。一方、ヘンティー産ヨーグルトのアールツ、ツツギ ー、ウムヌゴビ県のラクダの乳、ラクダ乳のアールツなど特産品も並んだ。

訳注:以下、価格(単位はすべてトゥグルグ)

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http://www.polit.mn/content/59476.htm

(原文・モンゴル語)(記事セレクト&日本語訳:小林志歩)

 ノロヴバンザトの思い出 その 55

(梶浦 靖子)

小泉文夫記念コンサート

1994 年 10 月、東京のゆうぼうと簡易保険ホールで「小泉文夫記念コンサート~アジア の響き」が開催された。小泉氏の功績を偲ぶテーマで、日本を含む6力国の伝統音楽の歌 手や演奏家が出演し、それぞれの妙技を披露した。モンゴルからはノロヴバンザドとツォ グバドラハが参加した。私はこの時、モンゴルの通訳と楽曲の解説文執筆、歌詞翻訳など の仕事を主催側から正式に依頼され、スタッフとしてコンサートに参加した。

しかしこの時、ノロヴバンザドは風邪をこじらせて治りきらないままの来日で、のどの 調子も崩していた。私か知っている中で最悪のコンディションだったと思う。日本に到着 してからもしきりにのどの痛みを訴えた。声は長く伸ばすことが難しくなり、特に高音部 が途切れてしまう状態だった。コンサート当日の朝になっても痛みがおさまらず、コンサー ト主催者らは彼女を耳鼻咽喉科の医院に連れて行くことにした。私も同行した。

診察台の椅子に座らされたノロヅバンザドは、医師が前にやってくるとなぜかおどけた ように、目をつぶり、さあ見てちょうだいという調子で顔を前に突き出すのだった。緊張 を紛らわすためふざけたのかもしれない。それでは診察しにくいから普通に座っていて下 さい、というやりとりを二回くり返した。

のどの奥を長い金具でさぐるなど、治療は苦しげなものだった。それでも注射や吸入な ど処置されると、のどの痛みは軽くなっていったようだ。治療を終えホテルに帰り着くと ノロヴバンザドは「ずいぶん楽になった凵と楽しげにハミングをしはじめた。しかし夕 方になり本番が近づくと、「また少し痛くなってきた」と言い、「さっきの医者にまた見 てもらえないだろうか」と言った。しかしさすがにそれは無理で、そのまま会場に向かう ことになった。

ちなみに診察の時に医師が興味深いことを話していた。ノロヴバンザドののどや鼻、口 内の形状を診て、「発声に向いてないんですよね」と言ったのだ。モンゴル国随一の歌い 手をつかまえて、一体どういうことなのかと思うところだが、それはおそらく西洋的な見 地、西洋音楽の声楽の常識から見た意見ではないかと思う。

つまり、西洋の声楽では、声が良く共鳴するよう、鼻腔や口腔ができるだけ広いほうが よい。口蓋はドームのように丸くカーブしているほど良いとされている。ノロヴバンザド の鼻や口の中はそうはなっていなかったらしい。

前にも触れたが、モンゴルのオルティン・ドーの発声法は、基本の呼吸のしかた、体や 声の支え方は西洋のそれとほぼ同じながら、「のどから上」が大いに異なっていると思う。 西洋の発声は、喉で生じた声を「頭や鼻に響かせて増幅させる」よう教えられるが、オル ティン・ドーはそれを「ほぼそのまま口から出す」ような感覚である。そうであるなら、 医師が指摘した、西洋で理想的とされる口や鼻の構造はオルティン・ドーには必要がない。 あるいはむしろ、「(西洋の声楽で)発声に向いていない」ような口や鼻は、まさにオルテ ィン・ドーにうってつけなのかもしれない。

そのようなノロヴバンザトがモンゴルを代表する歌い手となっていることこそ、オルティ ン・ドーの特徴を物語るものといえるだろう。

(つづく)

 チョイジンギーン・ホルツ、地質鉱業産業省元大臣

ホルツ氏インタビューの連載2-2

小長谷有紀 (人間文化研究機構・理事)

2.モスクワ留学

私は受験会場に行きました。私たちに「旅の日記」というテーマで作文を書くよう指示が 来ました。私はロシア語で一言も書けませんでした。そして何も書かずにしばらく座ってい ました。他の人をみれば、皆何かを書いていました。ある人は半分ぐらい書いていました。 私は、彼らに手伝ってもらうつもりで「あなたたち書き終わりましたか?」と聞くと、彼ら のうちの 1 人が「ほぼ終わっています!」と言って、書いたものをまったく見せてくれそう にもありませんでした。彼は S.チョローンドルジと言います。彼はのちに外務省で長年勤め た、モンゴルの代表的な外交官になった人です。ポーランドの大使館で大使も勤めていまし た。そして、私はずっと座っていました。書けないからです。そして試験の時間が終わって しまいました。そして「ウランバートル」と書いて矢印を指して端っこにモスクワと書いて 提出しました。不良でしょう?何点とれるかなんて当然だめですよね。そして何日間後に数 学の試験を受けることになりました。これは私の得意な科目です。すべての問題に回答し終 わりました。私の隣に座った生徒に回答用紙を見せました。彼はすぐにカンニングしていま した。すると、反対側に座っていた生徒たちが「終わりましたか?」と聞いています。私は 「終わったよ」と答えて座っていました。「きみたちがロシア語の試験のときどうしたか忘れ たか?私を手伝ってくれなかったじゃないか?」と思っていました。私は数学の試験で良い 成績を出しました。そして、私の受けた試験の結果、私を「初級ロシア語」のクラスに入れ てくれました。

モスクワに着いてからたいへんだったのは最初の半年でした。本当に「冒険」ばかりでし た。今、子どもたちにその時のことを話したら、皆、大笑いします。モスクワに着いてまも ないころ、バスに乗っていました。バスが停留所に着いたら皆降りていました。当時のバス は後ろから乗って前から降りていました。今はモスクワでは、前から乗って、前から降りる ようになっています。運転手さんが次の停留所の名前を言っていましたが、私は自分の降り るバス停の名前すらほとんどわかりませんでした。そしてバスの窓をずっと見て降りるバス 停が近づいていることを確認していました。だから、ずっと窓を見つめていました。降りる バス停が近づいていました。それで降りる準備をしていたら、私の前に体の大きなロシア人 が立っていました。だいたい、ロシア人は背が高く、体の大きな人たちです。モンゴル人と 比べれば、モンゴル人のほうが低いでしょう。そして、私はその人に何も言えず、そもそも 「私は降りたいので道をあけていただけますか」と言えれば済んだのですが、それも言えま せんでした。そしてその人が私の前から動くのを待つしかありませんでした。ずっと待って いました。バスは私の降りるべきバス停に到着したので、私はその人を弱めに少し押しまし た。すると、その人は振り向いて「何?」と怒り気味で聞いてきました。私は「あ、あ、あ」 しか言えませんでした。そして、バスも動き出してしまいました。そのロシア人は私の方を 再び振り向いて事情がわかったのか「ごめんなさい!」と言って、微笑んで通路をあけてく れました。しかし、バスはすでに動き出していたので降りることはできませんでした。そし て次のバス停で降りました。

また、ある日、大学の食堂でご飯を食べに行きました。私が入るときには何人か並んでい ました。私も彼らの後ろに並びました。当時のモスクワには店や食堂で並ぶのは当然でした。 私もモスクワに来てから並ぶことに慣れていました。そして「どんな料理にしょうかな」と 考えていました。けれどもロシア語で料理の名前が 1 つもわからなかったのです。そこで、 そこにいる人びとが何を注文しているのかをこっそり聞いていました。すると「私にショッ セイをください」と注文すると、店員が 2,3 本の赤くて長い棒のようなものを皿において渡し ていました。確かに「ショッセイ!!!」と言っていました。それで私は「ショッセイとは何か?」と思っていました。まったくわかりませんでした。いよいよ私の番が来たので、「シ ョッセイください!」と注文しました。しかし、店員はびっくりして「ご注文は?」とまた 聞いています。「そちらのショッセイください」と大きな声で繰り返して言いました。そこで 食事をしていた皆が「一斉に」笑いました。ロシア語で正しく、しかも発音もきれいだった はずなのに、どうして皆がからかうのだろうかと思っていました。そして店員はまたもや、 「何?ショッセイ?ショッセイとは何?」ともっと大きな声で聞いてきました。私は、あの 赤くて長いものを指差しました。すると店員さんは、「ああ、これですか?これはショッセイ ではありません。これはソーセージですよ!」と言って、その赤いものをフォークで取って 持ってきてくれました。ロシア人の女性はとても正直です。自分の考えていることを正直に 言うし、怖がらないし、恥ずかしがらないようです。私たちと違います。そのうえ、彼女た ちは背が高く、美しく、綺麗な人たちです。それなのに私はロシア語で一言も言えないし、 あの綺麗な人の前で何も言えなかったのでした。そこにいた学生たちは皆、もっと笑ってい て、私は汗びっしょりでした。本当にいろいろありました。本当は、私はソーセージをショ ッセイと言っていたそうです。後でそれがわかりました。「ショッセイ」というのはモンゴル 語では「アスファルト」という意味でした。「ソスコ」と言っていたら、どうなっていたかわ からないですね。「ソスコ」というのはモンゴル語で「赤ちゃんのおしゃぶり」という意味で す。1 つ、2 つの文字の間違いによって言葉の意味もこんなに違ってきます。

一般に、ロシア語を勉強にするのに発音やイントネーションは本当に大事です。ロシア語 をわからなかった最初のころは、こんなおかしなできごとがたくさんありました。こんな感 じで半年を過ごしました。「ロシア語の初級クラス」を卒業した当時、ロシア語でけんかする 程度にロシア語を習得していました。そして、翌年、モスクワの地質学大学の 1 年生になり ました。この大学を優秀な成績で卒業しました。この大学では S.N.ベルミンの「数学」の教 科書を使っていました。そこに 400 ぐらいの問題がありました。それを 1 人の大学生と一緒 に解くことができました。その問題すべてを解き終わるために 4 冊のノートを使っていまし た。このノートは大学の寮の部屋から部屋へと渡っていきました。つまり、私のノートが数 学の授業のハンドブックになっていたわけです。大学では私以外にモンゴルから 30 人の留学 生が来ていました。私は大学の学生会会長を務めていました。モスクワに留学している「全 モンゴル人学生会」の代表にも選ばれました。当時、私はモンゴル人民革命党の党員になり ました。こうして、学生時代、学生の行事に一生懸命に参加していました。私が学生だった とき、当大学に在学していた学生の落第問題がありました。それで私は大学の「モンゴル人 学生会長」に任命されたのち、この問題について学長と面会しました。「わが国には地質専門 家がとても必要です。当大学に在学中の学生が落第して籍を失っています。たとえば、「幾何 画法」という科目の試験がありますが、モンゴル人学生はどうしても受からないのです。こ れには理由があります。モンゴルの高校にはこんな科目がないからです。学生たちは混乱し ています。これについて先生がたから説明していただけませんか!モンゴル人留学生にこの 科目の試験をする時には事情を考慮していただきたいのです」と学長に依頼しました。する と、学長の命令が下され、この科目をモンゴル人留学生には特別のスケジュールで教えてく れるようになりました。それ以来、モンゴル人留学生はその試験に落第しなくなりました。 そして、当時、私たち 8 人がみな無事に大学を卒業しました。

第14回モピ総会開催の予告

2015年4月11日(土) 午前11時から 開催場所 モピ事務所

3 月中頃には委任状など送ります。その節にはよろしくお願い申し上げます。

(事務局)

 意味深い京都の佇まいを訪ねて

(荒木 伊太郎)

「法輪寺」は京都・円町にある臨済宗妙心寺派の名刹であり、通称「だるま寺」の名で親しまれ ている。1718年大愚宗築禅師を開山とし創建されました。諸願成就・厄除開運・疫病速消の 祈願のため多くの人が訪れる。

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 モピ新年会(2月14日)の報告(写真)

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当日急用で参加していただけない方もありましたが、小長谷先生を囲んでたのしく、 和やかなひとときを過ごしました。

(事務局)

 ホランの会からのお知らせ

ホームスティしてモンゴルを知ろう! 参加者募集

日にち 2015年4月29日(水)~5月6日(水) 8日間 締め切り 3月10日

 

問い合わせ、申し込み ホランの会まで(03-3723-3794)

Megumi_sasaki@e02.itscom.net

(ホランの会から、昨年に引き続き黒板を贈られています)

 事務局からお願いと雑感

いろいろなイベント、出前授業などミニゲルはモピの看板になり、その存在は増すばかり のいきおいです。それに伴うスタッフの協力はもちろんですが車での移動に2009年度から、 提供し支えて下さっていた○○さんがいます。がその車が廃車になりました。

ながーい間、本当にありがとうございました。感謝申し上げます。

で、皆さまにお願いです。モピ活動に協力していただける方を探しています。(移動にはライトバンくらいの大きさが必要です)どうかどうか助けて下さい。お願いいたします。

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この157号は、2014年度期末の号になります。2014年度もお陰さまでモピ活動を無事に終え ることが出来そうです。ありがとうございました。

 東京に転勤された小長谷先生ですが、モピの折々の会合には必ず参加してくださいます。 時間のない中での、先生の柔らかなこころの動きを感じ入ることが多い一年でした。

(事務局 斉藤生々)

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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

事務所
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
tel&fax 075-201-6430

e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp

MoPI通信編集者 斉藤 生々

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