■NO 163号 モピ通信

■NO 163号 2015年10月1日

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所 

 

 モンゴル大統領来日フジTV生出演(2)

 ホルツ氏インタビューの連載(8)

『Voice from Mongolia, 2015 vol.15』

 ノロヴバンザトの思い出 その61

 モンゴル秋祭り予告

 

 

 

ツァヒャー.エルベグドルジ.モンゴル大統領来日BSフジTV生出演

(スタッフ 村上雅彦)

【レポート No.2】(5月22日)

反町:歴史的に見ると、ソ連から軍事的圧力も受けた時代もあり、中国から軍事的圧力を 受けた時代もあった。モンゴルはどうバランスを取っていかなければならないか、 どういう感覚を持っているのか。

大統領:国境を接した国というのは選ぶことは出来ない。歴史的には様々なことが有ったが 今や全て解決済みだ。二国間関係において政府間の協力委員会というものが作られ ている。それぞれ各省の代表が参加して全ての問題を話し合っている。

反町:1990年の民主化が行われた時には中国は天安門事件があった直後で、国内は非 常に緊張していた。ロシアはペレストロイカで東ヨーロッパの社会主義国家体制が どう崩れていくかで緊張していた。その両国に挟まれた国がいきなり民主化する。 中国から何の圧力もなかったのか。

大統領:全く無いです。モンゴル国民が選んだ道を尊重するとの立場を歴代の中国指導者は とっていた。モンゴルの経済はソ連に依存していた。ソ連が壊れたことによって経 済的に大変厳しい状況になった。その時期モンゴルの首相は日本に支援を求めた。 海部首相が西側の首脳として、初めてモンゴルを訪問してくれた。海部首相は、国 際的にモンゴルを支援すべきだということを提唱してくれた。そういう仕組みを作 ってくれた。ADB や世銀への道を開いてくれたのも日本だ。モンゴルが民主主義を選 んだから助けてくれた。人権や自由、法の支配という基本的な価値観、市場経済化 をモンゴルは選んだ。

反町:2013年10月に北朝鮮を訪問されました。安倍さん私邸を訪問された次の月。 金正恩第一書記にあったのか。

大統領:金第一書記とは会っていない。 北朝鮮を訪問した時に、様々な案件があった。講演をしたり、色んな所を視察した り、その一つが金日成総合大学での講演だった。民主主義という言葉、市場経済と いう言葉は言うべきでないと言われた。しかし内容として、いかなる独裁も永遠に は続かないという話をした。モンゴルは以前は一党独裁だったが、他の方向で発展 することが出来る、国民が自由であっても発展できることモンゴルは示したと。 モンゴルは非核宣言をした、私は、死刑を停止した、協力することで発展する道が あるということを述べた。経験を共有しよう、教訓は私達にある、修正することが出来るのは開かれているからだ、政治の過程において失敗を犯しても批判されるこ とは出来る、批判されてこそ前進することが出来る。批判を聞かない人は、風が行 き渡らない谷のようなものだ。学生は少なかった。先生が多かった。他の役割を担 っている人たちもいたかと思う200名程度いたかと思う。

反町:そこまで言えるほど親しいとも言える。拉致の問題をお伺いしたい。ご協力いただい ている拉致問題はどうなっていくのか。

大統領:信頼関係を基礎とする交流が必要だ。誠実であるというのが大切だ。拉致問題は悲 劇的なことだ、解決のためにモンゴルが出来ることは可能な限りしたい。仲介の労 も取る。二言との間で解決すべきだということは北朝鮮との間で私達はいっている。 北朝鮮とモンゴルとの間は開かれた率直な関係になっている。2月に北朝鮮の外務 大臣がモンゴルを訪問した。イランが解決に向かおうとしている、キューバとアメ リカも解決に向かっている、北朝鮮もこういった国に遅れてはいけない、近隣諸国、 世界の国々が関心を持っている。私達は働きかけている。

反町:日本と中国韓国との間には歴史問題、慰安婦問題、徴用工問題、南京などの論争が 繰り広げられている。モンゴルもノモハン事件で日本とぶつかったりしている。 日本に対して歴史問題でどう安倍政権を見ているか。

大統領:歴史に関してモンゴル国民の考え方は、一つのことわざがある。 歴史の良いものも先生であるし、悪いものも先生である。つまり過去の歴史は変え ることは出来ないが教訓を得ることは出来る。未来の関係を過去の間違ったことを 繰り返さないという仕組みをつくることによって賢明な交流をすることが出来る。

反町:モンゴル民族は、モンゴル国の他、中華人民共和国における内モンゴル自治区、ロ シア連邦共和国におけるブリヤート共和国にも今日重視、独自の文化伝統を守って いるが、交流発展させる気持ちはあるか。

大統領:世界全体で、自らをモンゴルと思っている人は1000万人くらいいる。 300万人がモンゴル国に居住している。交流はある、文化交流、人道的交流は自 由にしている。個人的にも応援していきたい。

最後にキャスターよりのコメント有り。 『論者の意見は全てでは有りません。私が思った意見を書きとどめたものです。 文章については正確でなく、用語も間違いが多いと思います。飽くまで自分の意見、 見解をまとめるための材料です。』

以上

 

 

 

 チョイジンギーン・ホルツ、地質鉱業産業省元大臣

ホルツ氏インタビューの連載

 小長谷有紀 (人間文化研究機構・理事)

8.民営化以降の諸問題:オユー・トルゴイに焦点をあてて

K:「オユー・トルゴイの銅・モリブデン鉱山」をいつ、どのように発見したのですか?

H:銅やモリブデンの豊富な埋蔵量があるこの場所をモンゴル人たちは昔から「オユー・トル ゴイ」と呼んでいました。モンゴル人は自然の一種類の 1 つの宝石を「オユー」と呼んでい ました。そして、この名前から見てもモンゴル人は昔からここに資源があることを知ってい たはずでしょう?1930 年代後半にモンゴル人はここに「自然資源がある」と確定しています。 しかし、資源の種類や埋蔵量を確定する問題を取り上げずに放置していました。それから、 しばらくここの土地を「牧草特別地域」として地図に描いています。1960 年代からこの地域 を調査したいという関心をモンゴルの地質学者たちは持っていましたが、当時「エルデネテ ィーン・オボー」の問題が起きていて私たちはすべての関心をそちらに注いでいました。そして、「エルデネト選鉱工場」が設立された後、私たち地質学者たちは「オユー・トルゴイ」 に深く興味を持つようになりました。1979 年にモンゴルの何人かの地質学者たちがオユー・ トルゴイ周辺で調査を行い、2,3 箇所に銅鉱床があることを確定し、16×12 メートル場所に 0.8-0.9 メートルの溶鉱炉、3.5 メートルの長さの溶岩が流れる道、そしてゴビ地方にある「ザ グ」という灌木の白い灰があることを確定しました。「ザグ」には、ゴビ地方にしかない、燃 えるときに高熱を出し、その灰が白いといった特徴があります。このような調査で、昔の人 びとは手作業で鉱石を採掘し、溶かしていたことを確定しました。しかし、オユー・トルゴ イで地質調査を行う機会がモンゴルの地質学者たちにはありませんでした。主に経済的な問 題と技術的な問題がありました。地質調査をするのは費用のかかる、リスクの高い仕事です。 1990 年代初期にモンゴルの「資源管理局」からここに調査をする許可(調査ライセンス)を 初めて BHP と言う会社に出しています。その前に、調査許可をモンゴルの 1 つの会社が取っ たものの、それから数年後に返したそうです。この話は本当かもしれません。ここで地質調 査の許可をもらった BHP という会社は鉱業分野で活動を行っている世界的に大きな国際企業 です。彼らはライセンスをもらいましたが、活動は何も開始できなかったそうです。調査ラ イセンスをもらってから 3 か月のあいだに活動を開始しなければ、そのライセンスは無効に なると、モンゴルの「資源法」に書かれています。この理由により、彼らはモンゴルから出 て行きました。しかし、モンゴルから出て行くときに調査許可書のライセンスをカナダのア イヴァンホウ・マインズ(Ivenhoe Mines)という小さな会社に渡しています。要するに、モ ンゴルの法律で無効となった地質調査ライセンスをアイヴァンホウ・マインズに渡していま す。今のところ、そのライセンスを売ったかどうかの証拠が見つかっていません。これは疑 いなく、わが国の法律に背いた行為です。しかし、モンゴル資源管理局はその後、この無効 になった地質調査ライセンスを「アイヴァンホウ・マインズ」の名前で登録しています。こ のようにモンゴル人たちは自分たちで自国の法律を犯しています。「この事件にモンゴルの 政治家たちがかかわっている!」という噂があります。このアイヴァンホウ・マインズの社 長はカナダ出身のロバート・フリードランドという人です。この人は世界の鉱業分野で「悪 ボブ」と言いうあだ名で有名だそうです。オユー・トルゴイで地質調査を行う目的で「アイ ヴェンホウ・マインズ・インク・モンゴル」という会社を設立しました。しかし、その会社 をヴァージン諸島で登録しています。イギリスに付属しているこのヴァージン諸島は税金の 援助を与えるオフショア地域に当てはまります。「この会社を設立するためにモンゴルの政 治家たちも投資したかもしれない!」という噂があります。そして、アイヴァンホウ・マイ ンズ・インク・モンゴル会社はカナダのアイヴァンホウ・マインズ会社の支社になります。 このようにして、アヴェンホウ・マインズ・インク・モンゴル会社は無効となった地質調査 のライセンスを利用し、オユー・トルゴイで地質調査を違法で開始しています。

ロバート・フリードランドはオユー・トルゴイでの地質調査を開始する際に、ここで調査 を行っていたモンゴルの地質学者たちを参加させています。これが、彼の成功の始まりとな ったと言っても過言ではありません。この会社に勤めていたモンゴル調査チームの代表は、 地質学者 D.ガラムジャブでした。D.ガラムジャブは長年この分野で活動してきた経験豊富な 地質学者です。1990 年以降には無職だったかもしれません。1990 年以降にはモンゴルの多く の経験豊富な地質学者たちが失職しました。当時 5,000 人ぐらいの専門の地質学者が大きな 成功をあげていたモンゴル地質局を閉鎖しました。それからモンゴルでは地質調査作業行わ れずに現在にたどり着きました。これは大きな失敗でした。モンゴル政府が地質局を閉鎖す るに至った理由はたくさんあります。「これは間違いなく、外国の投資者たち、そして彼らの 手足となり果てたモンゴルの政治家たちのしわざです!」と言える十分な根拠があります。

D.ガラムジャブが代表を務めたモンゴルの地質調査チームは、ここで何年間も調査を進め るうちに 150 箇所を掘削していました。それほどたくさんの場所を掘削しても成功しなかっ たのですが、掘削をさらに進めていました。なぜならモンゴルの地質学者たちはここには「何 か」があると信じていたからでしょう。そして、地下 600 メートルに豊富な埋蔵量のある高 質の銅の鉱山があることを確定しました。「オユー・トルゴイ銅・モリブデン鉱山」はこのよ うにして発見されました。そしてその埋蔵量を確定する作業が始まりました。

今のところ、「オユー・トルゴイ鉱山」には 4,500 万トン銅、1,800 トン金、6,000 トン銀 (銅は 720 億オンス、金は 3 億オンス)があると確定されました。これは日本の銅の需要の 40 年分です。しかし、これは銅やその他の資源の完全な量ではありません。これからそれら の量を完全に確定するための詳細な調査が行われます。この調査で埋蔵量がもっと増えるの は当前です。「オユー・トルゴイ銅・モリブデン鉱山」は今知られている埋蔵量ではチリにあ るコデルコなど世界の最大級の競えるほどの鉱山になっています。そこの埋蔵量を完全に確 定すれば、これらの国の数字を上回るかもしれません。

L:2009 年にオユー・トルゴイ銅・モリブデン鉱山を利用する「投資条約」をモンゴル政府が オーストラリアに登録されているリオ・ティント・グループ(Rio Tinto group)、カナダに 登録されているアイヴァンホウ・マインズ(Ivenhoe Mines)という外国の 2 つの投資者と結 んでいます。オーストラリアに登録されているリオ・ティント・グループの役割は何だった のでしょうか?

H:リオ・ティント・グループはロバート・フリードランドのカナダに登録されているアイヴ ァンホウ・マインズ会社の株を買って、この鉱山を利用する主な投資者になりました。しか し、リオ・ティント・グループは、アイヴァンホウ・マインズの株の何割を買収したのか、 今のところは不明です。支配的権利、つまり、51%を購入したという噂があります。カナダ に登録されているアイヴァンホウ・マインズ会社はオユー・トルゴイのような大きな鉱山に 投資できる資金力のある会社ではありません。鉱業分野にはこのような会社がたくさんあり ます。アイヴァンホウ・マインズ会社が株をリオ・ティント・グループに売った後、ロバー ト・フリードランドはターコイズ・ヒル・リソーシズ(Turquoise Hill Resources)という 新しい会社を設立しています。彼はこの新しい会社をオランダに登録しています。この会社 のオフィスはオランダにあります。その他に OyuTolgoi Netherlands BV という会社をオラン ダに設立しています。この 2 つの会社はオユー・トルゴイからの利益を振込んでもらうため に設立したのかもしれません。ロバート・フリードランドはこのような方法で税金を払うこ とから逃れているのかもしれません。リオ・ティント・グループはオユー・トルゴイ鉱山を 使用する目的で「オユー・トルゴイ株式会社」を設立しました。この会社はモンゴルで登録 されています。この会社を設立した主な目的はオユー・トルゴイ鉱山を利用するのにすべて の作業を行うことでした。この鉱山には、地上鉱山と地下鉱山、選鉱した鉱石を加工し、銅 鉱を取る工場が作られます。

現在は、地上鉱山と精錬工場が建設されました。この精錬工場は技術的には世界レベルで 許可された、リスクの低い現代的技術を用いています。精錬工場の工業プロセスの 90-95%が 自動化され、それを DeltaV 指導システムで指導しています。センター中央で 2-3 人で操作す ることができます。精鉱工場は最初の何年間かは、地上鉱山から選鉱した鉱石を精鉱します。 地上鉱山の埋蔵量を 0.6%と確定しています。このような平均的な容量がある鉱石を精鉱して 25%の銅が含まれた精鉱を作る計算をたてていました。つまり、6 キロの銅が含まれている 1 トンの鉱石を精鉱し、250 キロの銅が含まれている 1 トンの精鉱を加工します。地下鉱山 2% の銅が含まれている鉱石を選鉱して、18%の銅が含まれている精鉱を加工する計算をたてて いるそうです。地下鉱山の利用は 2019 年開始される予定です。

モンゴルの「エルデネト選鉱鉱山」が初めて利用を開始されたときは年間 1,600 万トンの 鉱石の加工力がありました。その後、年間 2, 600 万トンの鉱石の加工力に拡大しました。し かし、オユー・トルゴイ精鉱工場は 1 日で 10 万トン年間 3,500 万トンの鉱石の加工力で開始 されています。将来は年間 5,600 万トンの鉱石の加工力の工場にする目的をもっています。 地上鉱山は 2013 年 6 月に初めて加工した商品を輸出する予定です。しかし、私はこれに対し て違和感があります。商品を輸出するまえに解決しなければならないたくさんの問題があり ます。今は地下鉱山の利用を開始させるための作業が行われています。

モンゴル側からこの「投資条約」には財務大臣、資源電力大臣、環境大臣らがサインしま した。条約にサインのメンバーで「指導委員会」を設立しました。この 9 人メンバーの 6 人がリオ・ティント・ グループ側のメンバーで、残りの 3 人がモンゴル側から任命されたメンバーです。「指導委員 会」のメンバー数は投資額に基づいて決められました。

したのち、モンゴル側が「エルデス・オユー・トルゴイ」会社を設立し ました。これは国営会社です。この会社は政府を代表して鉱山を利用する問題を担当してい ます。これ以外には、鉱山を利用するすべての活動や投資者側の関係を監視する目的で 9 人のメンバーで「指導委員会」を設立しました。この 9 人メンバーの 6 人がリオ・ティント・ グループ側のメンバーで、残りの 3 人がモンゴル側から任命されたメンバーです。「指導委員 会」のメンバー数は投資額に基づいて決められました。

(つづく)

 

 

『Voice from Mongolia, 2015 vol.15』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

(家族を連れての留学について)モンゴル人にとって家族は一緒が基本、そうでなければ、 やってゆけない。留学当時の思い出?とにかく研究を頑張ったこと」

―― B.バトツェツェグ、モンゴル国獣医学研究所長、ウランバートル出身

広大なモンゴル中を車で駆け巡ってあらゆる家畜から採血、また病気を媒介するダニを集 め、その血液中のミクロの世界の住人、寄生虫に目を凝らす―――。帯広畜産大学・原虫病 研究センターと、モンゴルの獣医学研究所による国際共同研究プロジェクト(SATREPS=地球 規模の課題に取り組む JICA・AMED 事業)の報告会に、モンゴル人獣医・研究者一行がやって 来ると聞き、おじゃました。多種多様な寄生虫の「宝庫」であるモンゴル全域で、原虫と呼 ばれる単細胞の寄生虫が引き起こす家畜の病気の広がりを明らかにし、地方の獣医が草原の 現場で使える迅速診断キットの開発をめざしているという。プロジェクトのモンゴル側の代 表を務めるのが、バトツェツェグさんだ。

大学院生として留学した99年から7年にわたり研究生活を送った帯広へ、今回は教え子 を連れての“里帰り”。「夢がかないました。静かで、森があって、温泉もあるのよ、と生ま れ故郷のように自慢しているの」。

留学した当初、ダニによる家畜の病気を専門とする 研究室に女性は皆無だった。担当教官は開口一番、 「女の人だったのですね」。しかも、子連れでの留学。 「人の倍、3倍頑張って結果を出そう」と心に誓った。 保育所に子どもを迎えに行ってご飯を食べさせ、大学 に戻って実験室にこもる日々。「夜は、機器を使う人 も少なく、作業がはかどるから」。

来日後半年で、日本語でのプレゼンを言い渡されて 狼狽した。「できないなら、モンゴルへ帰れ」と直接 言い放った恩師もいた。「当時はすごいプレッシャー だったけれど、今は実験の結果を認めて、そう言ってくれていたとわかる」。今回は、若手研 究員が慣れない英語でプレゼンに臨み、教授陣やアジア、アフリカ人留学生ら外国人研究者 たちが浴びせる質問への対応に追われるのを見守った。「皆頑張っているから、本心は満足し ているけど、『一緒に、もっと頑張りましょうね』とだけ言葉をかけるわ」。教え子たちへの 視線は温かい。

mopi

プロジェクトリーダーの井上昇・同センター長ら日本人研究者の信頼も厚く、モンゴル中 を調査で共に旅した研究仲間とは「家族のよう」。来日時に幼児だった長男は、既に大学生。 お土産には、人気コミック『ONE PIECE』最新刊を買って帰ることになっている、と母の顔 がのぞいた。

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「今月の気になる記事」

外国の支援機関や外資系企業による多くのプロジェクトが展開するモンゴル。現地のコン サルタントが自嘲的に言うには「近頃、わが国ではプロジェクトのプレゼン資料を作るのは 上手になったけれど、事業を実際に行うのはまだまだ…。」愛国心ゆえに、祖国の実情を鋭く批判した記事をどうぞ。 わが国は隣人をよく観察する必要がある

(筆者:Г.ガンチメグ)

モンゴルの鉱物資源セクターへの投資家に向けた「ディスカバー・モンゴリア2015」 会議が昨日から始まった。今年のスローガンに掲げられたのは「ポピュリズムを排した鉱山 開発」。モンゴル国のビジネスの自由化に関する課題、国の予算や特別認可、経済の自由化、 鉱物関連の国際的な現状、今後に向けた取り組みなどを議題とするほか、国内外の金融機関 が鉱物開発の大規模プロジェクトに資金提供をする用意があるのかないのか、地方における 共同事業、小規模鉱山などについても議論されている。

名だたる国際調査機関によると、わが国の経済的競争力は、世界的にはもとより、アジア においても後ろの方にとどまっている。投資環境が不備で、大規模プロジェクトを収益性に 基づいて企画運営できない、国政選挙の前は国民から点数を稼ごうと空手形を切る、政府機 関の業務や決定に時間がかかる、官僚は賄賂で動く、こうしたことの積み重ねによるものだ。 また、折から国内の経済不況のさなかの開催である。近年、暗いニュースが多い中、わずか でも光のかけらを見出そうと努力する、それがこの会議の姿と言えるだろう。

現状を見ると、2008年の経済危機と比較すると、今回の不況は2倍の速さで落ち込ん だことをエコノミストが指摘している。そういう状況では、海がある国は世界経済を、内陸 国は、隣国の経済を見極めることが重要だという。わが国にとっての隣国経済を見れば、南 の隣国の通貨価値がごく短期間のうちに降下したことは記憶に新しい。損失は、わが国のオ ユトルゴイ500個分に相当する莫大な額に達した。わが国経済にも悪影響は避けられない 状況だ。

モンゴル人の冒しがちな過ちのひとつに、大規模な事業と計画の両者を分けて考えず、ご っちゃにすることにある。後回しにしていた鉄道整備を経済的利益が上がる事業に数え、「青 信号」を出す。しかし、優先するといっても政治の影響を受けて二転三転するという国内統 治の弱さがある。参加者から皮肉を込めて、モンゴル国内に22の政府があるようだ、との 批判も聞かれた。少し前に、国土の40パーセントあまりが、特別認可の下に置かれている ことが判明した。このことから、2014年のはじめまでライセンスを出すことをストップ し、6千件あった探査の特別認可を4千件にまで減らした経緯がある。このような特別認可 の区域を10%程度に減らし、探査を含めて活用する認可を新たに与えないことになって、 鉱物資源開発セクターへの外国からの投資の多くが止まってしまった。こうした状況を正そ うと、投資関連の法律を改正し、戦略的に重要な鉱床の規制を撤回し、鉱物資源法を修正し、 特別認可を与えるようになった。資源探査の権利を持つ企業が開発できる期限を6年から9 年に延長するなど、役所主導の取り組みもある。とはいえ、投資家からは「あなた方の国に は、経済の計画性がまったくない。選挙の前に国民から人気を得ようと大型プロジェクトに 急いで署名するなど、極めて危険。そんな状況だから我々も信頼できなくなった。政権交代 が起こると、かつての政権党の推進した事業をすべて引っくり返すでしょうが」と言われている。

近年どんな状況が生じているかといえば、地方の首長から許認可を得ようと目論んでいる らしい。待たされた末に届くのは「特別認可を与える地域は、農業資源に含まれる、或いは 観光資源としての活用が決まっている」との回答が流行している。このような言い訳は、新 たな法整備のプロセスを具体的に支援し、共同事業の意欲を低下させ、鈍化させている。国 内の民間企業も、外国投資による企業も同様に地方の首長の足元に「ひざまづく」しかない のだ。地方による鉱山セクターへの参加を引き出すための、政府が調整した結果なのだとの 見方もある。このように、今回の会議には約700人が参加し、公式、非公式に意見や批判 を交わしあった。一部を以下に紹介する。

モンゴル国 大臣 M.エンフサイハン:大規模プロジェクトと大きな夢の区別を 「われわれの語彙に、メガプロジェクト、という概念が入って来てから、まだ日が浅い。

これを実施できるかどうかはモンゴルの今後の運命に大きく影響する。大きな障害が立ちはだ かるのもメガプロジェクトの特徴だ。3件のうち2件は失敗に終わり、成功するのは1件と 言われる所以だ。こうした事業に取り組むのはたいへんなこと。重要なのは、基礎的な調査 をきちんとすること。しかし、大きな(メガ)事業と事業計画、もっと言えば、夢物語と取 り違えてはならない。このことを肝に命じなければ、大混乱に陥る」

エコノミスト Д.ジャルガルサイハン:政治が“肥え太り”、経済が“痩せ細っていく” 「出来もしない公約をする政治家に、それと知りながら、お金をもらって票を投じる。(中 略)もう、そういうことはやめませんか。それより、次世代のために、賄賂を受け取る官 僚の一挙手一投足を情報公開し、法を執行させよう。これは警察官や裁判所の責任、など というのは古い考え方。今、われわれがしなければ、いつするか。さもなくば、法の抜け 穴をかいくぐる政治家、ポピュリスト、自称“国民的英雄”の数は増え続けることになる。 言い方を換えれば、政治が肥え太り、経済が痩せ細っていくばかりだ」

(『ゾーニーメデー』紙より)

-2015年9月10日、政治ポータルサイト POLIT.MN

http://www.polit.mn/content/69648.htm

(原文・モンゴル語)(記事セレクト&日本語抄訳:小林志歩)

 

 

 

 ノロブバンザトの思い出 その61

(梶浦 靖子)

日本民謡との過度な関連付け

日本で開かれたモンゴル音楽のコンサートを見る中で、もう一つ問題に思われたのは、 モンゴル民謡と日本民謡とを関連付けしすぎることだった。とくにオルティン・ドーと日 本の追分や馬子唄などがよく似ているということで、オルティン・ドーを紹介する際には

「日本の追分にも似た」「追分のような」との表現が決まり文句のように使われていた。 私自身も使ったことがある。

オルティン・ドーも追分も、半音なしの五音音階のメロディーを、自由なリズムで声を 長く引き延ばして歌う。さらに、両者とも音程を細かく変化させたり声を揺らしたりといっ た装飾的な発声を駆使して歌うので、いよいよ響きは似たものとなる。両者を聞き比べた なら、特に音楽の訓練を受けたことがない耳にも「似ている」と感じられるだろう。

ゆえに、オルティン・ドーに初めて触れる日本人に、「追分のような歌」と説明するの は理にかなったことであるかもしれない。

にもかかわらず、「問題に思われた」のは、その説明を聞かされた人の理解がそこで止ま ってしまうように見受けられたからだ。オルティン・ドーを「日本の追分のようなもの」、 もっと言えば「追分の類似品」と見なしたままで、観客がコンサート会場を後にして行く ように見えたことが何度かあった。

オルティン・ドーと追分の音楽的な類似点を先に述べたが、同じ半音なしの五音音階で も、モンゴルには「フグ・ソリグドル(転調)」が見られるなど、細かな違いがある。日本 では「こぶし」と呼ばれる装飾的な発声でも、モンゴルの喉の奧を連打するような発声は 日本にはない。いくらか鼻にかかったような発声は日本の民謡から近世邦楽にまで共通し ているが、どこかかしこまった響きがする。モンゴルの発声は、ノロヴバンザドらの言葉 を借りれば「鼻にはかけず全部口から出す」ものだが、より大らかな響きとなる。よく聞 き慣れてくると、そういった両者の違いや独自性が見えてくる。音楽だけでなく、芸術や 芸事は「違いがわかる」ことが重要なはずだ。日本民謡との共通点を述べるだけでは、なか なかそこには至らないだろう。

また、そうした説明ではそれぞれの歴史や文化にまで理解が及びにくい。ニシン漁で賑わ う港の花街の宴席で三味線に伴われ歌われてきた追分、広大な草原で放牧の折に、あるいはゲルの中での祝宴で歌われてきたオルティン・ドー、というそれぞれの背負う世界観が、む しろぼやけさせられかねない。

見ず知らずの初対面の相手について、自分と何か共通する部分があると知れば親近感が わく。行ったこともない遠い異国の音楽に自国の音楽との共通点があると聞けば興味もわ いて、より深く知りたくなるかもしれない。「追分に似た」という文言もその意味では一 理あるかもしれない。しかしそれはあくまで最初のきっかけである。その先の情報が用意 されていなければ、かえって誤解を与えかねない。以上のような考えに至ってからは、オ ルティン・ドーの説明になるべく日本民謡を持ち出さないようにしている。

モンゴルの音楽コンサートでこうした問題が目についたとき、主催者が知合いであれば ここに書いたような話をしに行ったものだが、あまれ耳を貸してもらえなかった。聴衆の裾 野を広げ、コンサートの収益を増やす上でも、こうしたことは考えるべきだと思うのだが。 私の伝える力が足りなかったか、もしくは間違いがあったのか。今も考えさせられることが ある。

(つづく)

 モンゴル秋祭り予告

日 時 : 2015年10月31日(土) 午前10時 30 分∼

場 所 : 国立民族学博物館

第3回モンゴル秋祭りが民博で開催されます。モピは、「民族衣装試着」と「モンゴル占 い」で参加します。モピの出展会場は本館の地下です。 今年の秋祭りに、逸ノ城関が来場される・かもと言われています。 どうぞ皆さま、楽しみにご参集ください。お待ちしています。

「デールの試着」を手伝っていただける方、(女性の方)を募集しています。

e-miel:mopi@leto.eonet.ne.jp tel&fax:075-201-6430

上記いずれか方法で、連絡いただければ幸です。よろしくお願い申し上げます。

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(お知らせ)

MoPI会員募集の広告を展示しています。

京都駅地下道(ヨドバシカメラの社員通用口付近)ウインドーギャラリー

3枠で モンゴルの風景写真などと共に宣伝しています。

会期 10月8日 ➞ 22日

(事務局 斎藤生々)

 

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MoPI通信編集責任者 斉藤 生々

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