■NO 166号 モピ通信

■NO 166号 2016年1月1日

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所 

 

 新年のご挨拶(MoPI役員)

 新年会開催日変更のお知らせとシンポジウムへのお誘い

 新連載

『Voice from Mongolia, 2015 vol.18』

 意味深い京都の佇まいを訪ねて

 2015黒板プロジェクト配布報告

 編集後記

 

 新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

昨年は、みんぱくでのモンゴル秋祭りをはじめさまざまな既存の活動に大いに参加しまし た。しかし、いかにもモンゴルらしいヒツジの年であったにもかかわらず、特段の活動はで きませんでした。一方で世界は混迷の度を深めるばかりです。今年は申年だからといって、 「みざる・いわざる・きかざる」ではなく、むしろ積極的に見たり、聞いたりする年にしま しょう。モンゴルを通じてユーラシア全体を、ひいては世界全体を学ぶ、といった企画を募 集します。お気軽に事務局までお申し出ください。

(理事長 小長谷 有紀)

(人間文化研究機構理事)

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新年あけまして、おめでとうございます。

今年はサル年(michin jil)です。モンゴルには、「サル年は雨が多く、移動も慌ただしく なる」という表現があります。旱魃だと、頻繁に放牧地を変えようと行き来すると思われが ちですが、実は、天候に恵まれた年ほど移動も多くなる、という遊牧の智慧を現した言葉で す。

私が住んでいる静岡県はモンゴル国のドルノト県と姉妹関係を結んでいます。『静岡新聞』 には実に多くのモンゴル関係の情報が載ります。きたる東京オリンピックの開催に備えて、 静岡県はモンゴル国代表チームの県内合宿を誘致しようとしています。モピ会員の皆様方も また遊牧民と同じくらい、「充実したサル年」を送るようお祈り申し上げます。

(理事:大野 旭)

(静岡大学人文社会学教授)

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明けましておめでとうございます。

会員の皆様方には希望に満ちた新しい年をお迎えのことと存じます。

モピが発足した当時のことを振り返ってみますと、現在の国際社会、日本の社会の変わり様に驚かされます。そ の流動する中を生き続けてきたモピにある種の誇りを感じます。モピに存在する意義があっ たということでしょう。そのモピの会員の減少とそれに伴う経済的な困難に悩んでいます。 モピの理念に賛同いただいて会員に会員となってくださるか方が一人でも増えるようご協力 いただきたく思っています。またモピの運営について積極的なご提言をお待ちしております。 会員の皆様と一体となってこそモピが発展していくのですから。 新しい年、よい年となりますことをお祈りいたします。

(理事 松本 勝博)

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モピ会員の皆様、新年おめでとうございます

昨年は様々な事件、事故、災害のニュースが次々とありましたが、今年は明るい希 望の年でありますようにと願います。
私事ですが、7 月に職場の定年を迎えます。モンゴルで少し時間をかけて体験して見 たい事があります、どのような形で実現するかは又ご報告致します。 今年もよろしくお願い致します。

(監事 福島 規子)

 新年会開催日変更のお知らせ&
 京都大学経済研究所シンポジウムへのお誘い

モピ新年会

2016年1月11日(月:祝) 11時30分受付

場 所:肥後橋 “徐 園”

1月9日に予定していました新年会、下記シンポジウム開催日と重なったため急遽 変更させていただくことになりました。申し訳ございません。 みなさまお誘い合わせ新年会においで下さいますようお願い申し上げます。

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(詳しくはサイトでご覧下さい) 参加される方は、直接申込みをして下さい。

http://cscenter.co.jp/sympo-kier6/

(事務局

 

 新連載
モンゴルのデザイン:自然環境と社会環境並びに歴史的背景

(その1)

(小長谷 有紀)(人間文化研究機構理事)

解説

2015 年 2 月、大阪大学で美学の教鞭をとられている藤田治彦先生からお電話をちょうだい しました。イギリスの出版社 Bloomsbury から刊行される予定の『Encyclopedia of Asian Design(アジアデザイン百科)』全4巻を編集していて、モンゴルの総論「自然、社会、歴史 − デザインに焦点をあてて」を書いてほしいという依頼でした。もともと、インディアナ大 学のアトウッド先生に依頼していたところ、急遽交代者を探すこととなり、フランス人研究 者イザベルさんの紹介だとのことでした。そもそも締め切りまで日がないこと、決して私の 専門ではないこと、それほど親しい人の紹介ではないこと、から断ることもできたでしょう。 しかし、いつまでも人探しに時間を費やしていては、難題のハードルがますます上がるばか りです。また、モンゴル関係でない研究者がいつまでもモンゴルのことで苦しむのは、モン ゴル研究者として不本意です。というわけで、引き受けてしまいました。すぐに原稿を仕上 げて送りましたが、大きな事典はなかなか刊行まで時間がかかるものです。アマゾンによれ ば、2016 年 3 月に刊行される予定のようです。元にした日本語原稿をご紹介します。 ・・・・・・・・

草原が育む力のイメージ

<要約> モンゴル高原は、ユーラシアの中央部に広がる乾燥・半乾燥地域の東端に位置しており、モ ンスーンの影響を受けるステップである。乾燥しているが植生に恵まれている。そんな豊か な草原に展開した遊牧は文明的装置となった。つまり、遊牧政権はみずから軍事に携わり、 闘争的である一方で、戦争後の平和をもたらし、文化交流を促進し、コスモポリタンな社会 を形成した。草原をルートとする文化交渉は、スキタイ(前8、7世紀から前4世紀)や匈 奴(前3世紀後半から1世紀まで)などに代表されるように、モンゴル帝国時代まで、もっ ぱら東西方向に展開した。ギリシャのモチーフを受け入れる一方で、モンゴルでは世界最古 のズボンが出土しており、騎馬遊牧民はヨーロッパへ意匠を提供する側でもあった。元朝時 代に中国南部の農耕地帯を支配し、また、明朝時代にチベット仏教を本格的に受容すると、 南北方向の文化交渉も盛んとなり、アジア的な要素が濃くなる。しかし、20 世紀になると、 国際的イデオロギーである社会主義をソ連経由で受け入れて再びヨーロッパナイズされ、中 ソ対立の結果、モンゴル高原は外モンゴルと中国内モンゴルとに文化的に切り裂かれた。

<去勢オスによる軍事文化>

モンゴル高原はユーラシアの内陸の東端に位置している。そのため、気候条件として、内 陸的で乾燥しているという特徴と、アジアモンスーンの影響を受けるという特徴と、2つの 特徴をもっている。

乾燥地域であるという特徴は変動が激しいという特徴を意味する。図1は 1961 年から 2004 年までの年間降水量が変動する状況を示したものである。帯状に南のゴビ砂漠へ行くほど変 動が大きい。こうした大きく変動するという特徴に適合しているのが遊牧である。

遊牧とは、群れをなす家畜を季節的に移動させて、その畜産物を利用する生活である。一 定の土地に固定することなく移動することによって、− − できれば植生のより恵まれたとこ ろへ移動することによって− − 植生が維持されている。家畜の利用は殺す場合と殺さない場 合に分けられる。殺せば、肉を食べて食とし、毛皮を得て衣とすることができる。殺さなく ても、乳を搾って乳製品を作り、毛を利用することができる。

乳製品は、方言も加えて 40 種以上の名前が知られており、その形状は一種の生活意匠であ ると言えよう。乳製品の製造には、静置、撹拌、熱処理という3つの系列があるが、それらの系列は相互に途中で置換することもできる複雑な関係にある。 毛からはフェルトを作り、住の素材にする。現在、フェルト製のみやげ物商品が多様に展開しているのはまさしく伝統からの連続的な発展であると言える。ラクダの毛を紡いで糸に する技術は考古学的に確認されるが、毛織物の技術は近代の商品化として導入された。

気候のもう一方の特徴である、モンスーンの影響を受けるという点は、夏に水と温度を同 時にもたらすので草原植生が恵まれているという特徴を意味する。モンゴル高原には、キク 科、マメ科、バラ科、イネ科などの多様な植物が生える。恵まれた植生のもと、家畜頭数が 多いばかりでなく、畜群の雌雄構成に大きな特徴が隠されている。

一般に、世界中の牧畜地域において、ほとんどメスが飼養されている。しかし、モンゴル 高原では畜種に拘らず、半数ちかくがオスである。例えば、遡れる限りの古い統計としてソ 連の外交官マイスキーの 1918 年の調査によれば、牛の成獣での雌雄比は 32:21 で、当歳子 を加えて(当歳子を雌雄同数とみなして)改めて算出すると、55:45 である。同様に、羊の 場合は、40:12 および 64:36 である。

地中海地域では当歳オスが市場に供出され、ラム料理となる。もともと古代オリエントの 紀元前 3000〜2000 年記前半の神殿権力は初子オスを貢納させる制度があり、のちに聖書では 子殺しが物語となり、絵画のモチーフとなる。

これに対して、モンゴル高原は、社会的環境として、オアシス都市に不足し、マーケット がないので、オスを売る相手がいない。だから、当歳オスを屠ったり、売ったりすることが できない。人びとはオス去勢して群れの分裂を防ぎ、維持する。生き残しても育てられるほ どの草原に恵まれている。そして、去勢オスは軍事力となった。「去勢オス畜文化」と名付け てもよいほどの大きな特徴である。

以上のように、モンゴルの牧畜の特徴は自然環境を反映した移動性と社会環境を反映した 去勢オスにある。家畜は兵器であり、草原は軍需工場であり、騎馬遊牧民は兵士であるとい う点が、遊牧の文化的な特徴である。そして同時に、モンゴルにおけるデザインの原風景で ある。

<動物意匠に描かれた闘争心>

先史時代の岩絵がモンゴル各地に散見される。ドンドゴビ県のウルジー山には 10 キロメー トルにもわたって続く岩絵があり、鹿が描かれている。また、ボルガン県、ホブド県、バヤ ンホンゴル県など各地で農耕作業も描かれており、農耕が営まれていたことを証明している。 ただし、一般に岩絵は年代特定が難しい。

遊牧政権の王権を象徴するモニュメントとして、ヘレクスルがある。モンゴル語で「キル ギス人の墓」という意味だが、墓ではなく太陽崇拝の祭祀遺跡とする説もある。円形もしく は方形の石囲いで囲まれた、積み石塚である。モンゴルのほかに、トゥバ、アルタイ、天山 に分布する。同じ地域に鹿石が分布する。鹿石とは、鹿の図像が浅く彫り込まれた高さ1〜 3メートルの石柱(角柱が多い)である。デフォルメされた鹿の図柄が石全体を覆い、その ほかに耳飾りや首飾り、弓矢と盾、帯、短剣とナイフなどが描かれている。それゆえに、戦 士を表していると考えられる。ごくまれに人面のついているものもある。

なお、石によって生前の兵士個人を讃える習慣は、のちの突厥時代(552〜630 年、682〜744 年)の石人に再び受け継がれている。ただし、石人の多くは右手にワイングラス、ベルトの 上で左手に短剣をもつ像となり、よりリアリスティックである。石人に付随するバルバル石 列は生前殺した敵の数と言われている。

上述のヘレクスルや鹿石は、その出土品から紀元前 10 世紀にさかのぼり、スキタイに先行 する。

スキタイはヘロドトスの記録によって知られており、もともと、前7世紀から4世紀にか けて黒海北岸で活躍した騎馬遊牧民の文化を指していた。1970 年代以降、シベリアでの発掘 調査が行われるようになると、その起源はさらに古く、モンゴルの北、シベリア東部にさか のぼることがわかった。炭素 14 年代測定法により、トゥバのアルジャン一号墳は前9世紀後 半から8世紀前半で、また同じくアルジャン二号墳は、それより 200 年ほど新しい前7世紀末で、後者からは鉄製品と、5700 点総重量 20 キロに及ぶ金製品が出土した。 こうして、騎馬遊牧民はスキタイも匈奴も、ユーラシア草原の東から西へと移動したと考えられるようになった。 「スキタイの3要素」として広く知られているのは、馬具と武器と動物模様である。馬具も武器も軍事遊牧文化を直接、反映している。動物模様は、スキタイ前期では鹿などが単独 で表現されていたが、鹿の角が複数盛り造られている様子はスキタイに先行する鹿石に共通 しており、後ろに見返る姿は後期に発展する「動物闘争文」に共通している。動物闘争文と は、ライオンやワシやそれらの合成仮想獣であるグリフィンなどの猛獣が草食獣に噛み付い た絵柄である。こうしたデザインは動物に類感する軍事的闘争精神の現れと言えよう。

後期スキタイ美術はギリシャやペルシャの影響を受けていることを特徴としている。アル タイのパジリク古墳群からの出土品には、西からのペルシャ絨毯と東からの絹織物があり、 デザインとともに文物が交差したことを証明している。この絨毯には、ペルセポリスの浮き 彫りと同じ騎士像が描かれていて、かつ北アジアにしかいないヘラジカが描かれている。東 西どちらで作ったかはわからないが、東西のデザインが共存している。

スキタイに続いて東に起こった匈奴では、南から農耕民や技術者を移住させ、定住集落も 建設したが、全体としては西への民族移動を歴史的に促進した。

匈奴の墓はノインオーラ。ウランバートルの北。紀元前1世紀前半。毛織物の絹織物のズ ボン。最古に近いもの。

(つづく)その 2 まで。

『Voice from Mongolia, 2015 vol.18』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「日本の人々は『人の役にたちたい』という気持ちで、他者に接しているように見える」 ― Ц.ナラントヤ、教師、ウランバートル在住

アジア・アフリカ諸国の小学校の先生方を対象とした理科教育の質向上を目指す JICA 研修 に参加するため10月に来日。2か月の研修期間中に、平和記念資料館(広島市)はじめ、 各地の科学館や学校を見学する機会を得た。「ミュージアムが学校教育に生かされている。ボ ランティアの活躍も非常に印象的でした」。師走の到来とともに雪と氷に覆われた帯広の滞在 中も、余暇には徒歩で街歩き、市営プールで泳ぐバイタリティーあふれる女性だ。

教師としてのキャリアは19年。現在は国立の研究所に所属し、地方の教員向けの、経験 年数に応じたスキルアップ研修の講師として、出張の多い毎日を送る。「地方の先生たちは、 本当に大変。家畜の世話をしながら、時間勤務する教員も多いの」。教員の平均的給与を聞く と、70万トゥグルグ(約4万4千円)との答えが返って来た。私がウランバートルで日本 語の先生をしていた15年前の月給7万トゥグルグのちょうど10倍だが、それだけで家族 を養うのが困難なのは相変わらずという。

来日中に、大阪に留学中の次男と東京で再会。久々に連れ立って街を歩き、『母さん、何か 欲しいものある?』と問いかける姿に、成長を感じた。「帰国後は祖国で橋や道路の計画に関 わりたいと言っているの」。

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(写真 華道体験も楽しんだナラーさん)

中央アジア諸国の先生方とはロシア語で交流しているといい、「私 たちの頃はロシア語が必修だったから」。社会主義時代のモンゴルに興 味がある、と言うと、小銭入れから20ムング(100ムング=1ト ゥグルグ)、ロシアの10カペイカ(100カペイカ=1ルーブル)の 硬貨を取り出し、記念に、と手渡して下さった。物価上昇やインフレ に伴い、貨幣価値が失われ、姿を消したコインたちだ。

ナラーさんの冒頭のコメントは嬉しいが、経済やお金ばかりが大き な顔をする日本の今だ。かって、持てる者が持たざる者から奪うのでない社会を目指して国づくりをした人々がいた。理想と現実には隔たりがあり、個人の自由 が制限されるなど問題も多かったにせよ、そこで育まれた暮らしや文化があった。新しい年、 お金では買えない価値あるものを、ひとつでも多く見つけられますように――そんなことを 思いながら、星が刻印された、小さな硬貨を眺めている。

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今月の気になる記事

モンゴルを旅し、草原のゲルでミルクのおいしさに感動した後、首都で輸入の牛乳や 乳製品を見かけて疑問を感じたことはありませんか?今回は、遊牧民の国の乳業の現 状を伝える興味深いインタビューをお届けします。2016年、どなたさまにも、「搾っ たミルクが桶いっぱいにあふれますように!」(乳搾りをしている人にかける祈りのことば)

Б.ガントルガ 「乳業発展の足かせは、ミルクの街売り」スー・カンパニー(以下、スー 社)の取締役社長Б.ガントルガのインタビューをお届けします。

-スー社の礎は、旧ソ連の設計で建設された工場と聞きました。モンゴルにおけるミルク工 場のはしり、と言っていいですよね?

「スー社は1958年に首都の住民に牛乳や乳製品を供給する目的で旧ソ連の専門機関によ る設計に基づいて、バヤンズルフ区に設立されました。旧ソ連やヨーロッパの技術を導入し、 1 日に30トンの牛乳を生産できる工場として操業を開始したとのことです。まさにモンゴル 国の乳業における新時代の幕開けだったと言えます。現在は生産を拡大し、日に200トン のミルク、乳製品の生産体制で稼働しています。従業員は3交替で勤務しています」

-現在、製造している商品は何種類ありますか?

「牛乳、タラグ、アールツ、生クリーム、アーロール、ヨーグルト、アイスクリームなど8 0種類を超えています。生産技術を2011年に全面的に刷新、生乳を137度で4秒間殺 菌し、4度まで冷やす最新の超高温レーンが導入されました。消費者は、工場から出荷され た牛乳をそのまま飲めるようになったのです」

 -牛乳や乳製品の生産には大きなリスクが伴いますね。一日、一時間たりとも生産を止める ことは許されない。最も伝統ある工場を率いる若い経営者として、新たな発想でマーケティ ングに手腕を発揮されていることと思います。

「スー社が取り組んできたこれまでの乳生産の基礎の上に、新たな歴史を積み重ねています が、1990年以降、社会体制の移行期は当社にとって大きな試練でした。当時のわが国は 外部と切り離された経済であり、乳生産セクターは世界市場から取り残され、政府からの支 援もないまま、独立採算では続けられない状況に陥った。その上、このセクターの民営化も 適正になされなかったことから、社会主義時代に機能していたすべての農場が倒産・解体に 陥りました。工場にとっては、加工する生乳が得られず、稼働停止を度々起こした。200 5年に集乳のシステムが復活し、牧民と契約し、農場に巨額の投資をし、研修を実施するな ど、牛乳の品質や衛生面の改善に向けた多くのプロジェクトが実施されました。その成果が 10年たってやっと目に見えて来ました。とはいえ、世界市場で競争できるレベルにはまだ 道遠し、です。そこを目標に、当社は昨年チンギス債の融資を受けて、自社農場を設立しま した。以前は、5~6トンの牛乳を集めるのに200戸あまりを回る必要があったことを考 えれば、自社農場によるコスト削減効果は大きいです」

-現在、農場の取り組みは順調ですか?

「昨年操業を開始した自社農場の乳牛は現在300頭。現在290頭の仔牛がいます。1日 に7トンの牛乳を供給していて、乳牛1頭から20-25リットル、良いのは37リットル出すのもいます」

-業界が抱える課題として、牧民から牛乳を買い取る価格の問題があります。牧民や農場が 工場に生乳を提供するときの価格の引き上げを求め、近年はデモや集会も開かれています。 今日現在の買い取り価格について教えてください。

「1リットルの生乳を900-950トゥグルグで買い取ります。季節による変動もありま す。生乳が豊富な夏には価格が下がり、乳量が減る冬には高くなる。工場もそれを計算に入 れて操業しています。2013年夏には350トゥグルグでしたが、今夏は600トゥグル グまで上がりました」

-スー社のキャッチフレーズは『牧民のゲルからあなたの家へ』ですね。契約している牧民 や農場はどのくらいの数になりますか?

「現在契約しているのは2000軒です。当社としては、牛乳の品質や乳量によって契約し、 専業で牛乳提供に取り組む牧民や農場と契約する方向性を打ち出しています。2年前の夏に は3500軒から集乳していましたが、乳量が多い夏のみ生乳を提供し、冬には移動してい なくなる牧民も少なくなかった。昨年からは、出荷する牧民や農場の資質にもこれまで以上 に目配りするようにしています。この効果はすぐに現れ、年間通して生産が安定し、乳質も 目に見えて向上しました」

-今日、不況は避けて通ることはできない話題です。350人の従業員、2千もの契約農場 を抱える企業にも、不況のあおりはありますか?

「現在の経済状況のなかで当社ができることは、できる限り安価な製品を市場へ、そして消 費者に届けること。消費者の買い物かごに牛乳があるように、牛乳や乳製品の消費が減るこ とのないように、との思いで、価格を上げないよう努力しています。現在、他社は1リット ルの牛乳を店に2400-2700トゥグルグで卸していて、さらに、輸入の牛乳の中には 3000トゥグルグを超えている。当社は1リットル1800トゥグルグの卸価格を守って います。1800トゥグルグで出荷しても、店舗で利益分を加算されるため違いはわかりづ らいですが、1900-2000トゥグルグの小売価格を条件として課している。これは消 費者に向けた、できる限りの不況への対抗手段です。同時に、牧民、農場からの買い取り価 格の向上にも配慮しています。牧民にとっての生産にかかる経費の現状を調査してみました。 夏の干ばつで小麦や粗飼料の生産量が減り、飼料価格が前年比で2、3倍に高騰した。当社 は牧民や農場とともに関係省庁に書面を送りました。粗飼料の輸出への対応を求める陳情で す。製粉業者は、粗飼料1トンを25-30万トゥグルグで輸出する一方で、国内の牧民や 農場には40万トゥグルグで販売していて、少量での販売価格は1トン換算で49万トゥグ ルグとなる。高い飼料を買って、四季を通じて牛乳を供給する牧民にとっては、コストがか さみ、収入は減る。こんな状況では、われわれが買い取り価格を2年前の倍にしたところで、 焼け石に水です。省が一定期間の輸出制限などの対応を取り、飼料価格が落ちつきつつあり ます。そうでなくても、これから極めて長く、厳しい冬が待ち受けているのですから、食糧 農牧業省による農場・乳業支援として非常に的を射た施策となりました」

-わが国には約6千万頭の家畜がいて、300万人の国民が消費する牛乳、乳製品の量を考 えたとき、モンゴルの小規模な国内市場に流通する牛乳を、国内の生乳から自給できるよう に見えます。残念ながら、市場に出回る牛乳の80%が粉乳から製造されるとの情報もあり ます。どうして輸入の粉乳が使われているのでしょうか?

「私自身、業界に入った当初は、事情がわからず、そのような希望を抱いていました。しか し仕事をする中で、6千万の家畜のうち牛はどれくらいいるのか、そのうち乳牛がどれくら いを占めているのか、国内で1年間に供給できる牛乳は6億5千万リットルということがわ かりました。しかし、ウランバートル近郊のトゥブ、セレンゲ、ダルハンオール、オルホン、 ヘンティー各県あたりからは年間ざっと7500万リットルです。残りの5億750万リッ トルを出す乳牛たちは、首都から遠く離れた地方にいて、その乳を12時間かけて工場に持ってきて殺菌して、ということは、輸送コスト、リスクからも現実的でない。さらに言えば、 首都に輸送している7千500万リットルの牛乳のうち、概算で5千万リットルが工場で加 工され、残りは街で売られています。

需要の面から見ると、国民ひとりが1日に500ミリリットル相当の牛乳やタラグ、アー ルツその他の乳製品を消費するとすれば、百万都市のウランバートルでは年間1億8200 万リットルの牛乳が必要です。現状では首都の住民は身体に必要な牛乳の必要量を入手でき ない計算です。粉乳を使用した牛乳生産が増えたのはこうした事情もあるのではないでしょうか」

-この状況をどうすべきなのでしょうか?業界の当事者としてのお考えは?

「首都の人口は日に日に増えていて、牛乳、乳製品の流通も増え続けているなか、いかに遊 牧が盛んなわが国とはいえ、首都の消費者の牛乳のニーズをそれで満たすのは不可能です。 集約的な農場を発展させ、首都近郊の農場の生産能力を向上させることが急務です。そうし て国内需要を満たすのが第一。そのほか、重要な課題は、ニュージーランドから何十トン単 位でどんどん輸入される粉乳に制限を設け、段階的に減らしていく必要があります。同時に、 国内生産、農場を支援し、健全な競争を促進する。説明させて頂くと、当社では集乳のため の運搬車輌が約30台あります。毎朝、近くて80キロ、遠方は400キロを走行して、牧 民らが出荷する牛乳を集めて回るのです。毎朝こうして走るのに、ガソリン、オイル、修理 サービス、交換部品、その上に30人の運転手、30人の検査員の給与など、莫大な経費、 労働、時間がかかっています。このようなコストをかけて牛乳を集め、工場で衛生的に加工 して、市場に出している。一方で、一部の同業者はニュージーランドから粉乳をコンテナで どんどん仕入れ、水で溶かして製品を作る。両者は店の棚に並んで陳列されているのです。 一方は高く、他方は安いので、消費者の中には価格差で選ぶ人もいる。このような状況を知 れば、消費者に100%生乳からの牛乳を提供する苦労がおわかり頂けるでしょうか。最近 になって、粉乳と生乳からの牛乳を明確にするように表示基準が強化され、当社にとっては 良い方向に向かっています」

-酪農市場は、他の業界に比べれば、競争や進展が少なく思えます。発展の足かせとなる課 題は何でしょうか?

「生産の発展の足を引っ張っているのは、牛乳の街売りです。最近、食糧農牧業省から出さ れた統計にこんなものがありました。仲買人は日に牧民から30トンの牛乳を仕入れ、ウラ ンバートルに来て売られる時には35トンになっているとか。何を混ぜてその5トンが増加 したか、わかったものではない。一言で言えばリスク、ということです。この問題には専門 の監査機関も具体的な対策が打てずにいる。街売りされる牛乳の監査は不足していて、弱い です。工場は何十もの監査やチェック体制がある。市場に集まる牛乳のかなりの部分が、仲 買人の手中に流れ込むネットワークができてしまっています。」(後略)

『ゾーニー・メデー』紙より

-2015年12月2日、政治ポータルサイト POLIT.MN

http://www.polit.mn/content/73079.htm

(原文・モンゴル語)(記事セレクト&日本語抄訳:小林志歩)

 

 

 意味深い京都の佇まいを訪ねて

(荒木 伊太郎)

今年の干支にちなんで庚申堂を選びました。 京都東山通り八坂を塔の方に少し入ると右側に庚申堂の門がある。正式な名称は大黑山 金剛寺庚申堂と号している。本尊の青面金剛は飛鳥時代に中国より渡来した秦氏が守り 本尊としていた。平安時代になって、すべての人がお参り出来る様に八坂の地にお寺が 建立されました。以後日本最初の庚申信仰の霊場として信仰をあつめています。

本尊、庚申さん(青面金剛)は病気平癒、あらゆる災難の消滅、学業成就、商売繁昌。 また庚申さんのお使いである三猿・くくり猿の霊力に良い縁を結ぶとのご利益はあらた かです。 年寄りから若者まで多くの人が訪れています。

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 2015黒板プロジェクト配布報告

(モンゴル在 斉藤美代子)

新年おめでとうございます。 本年もよろしくお願い申し上げます。

2015 年度も黒板を無事に配布し終わりました。

黒板プロジェクトにご協力くださった皆さまありがとうございました。

今年までの黒板配布表

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黒板プロジェクトについて、

2001 年から始まった黒板プロジェクト、この間、郵貯基金、かめのり財団など全国のみ なさまの好意をもとに活動を続けてまいりました。今年モンゴルの黒板製作会社が閉鎖、 物価の高騰、等々モンゴルでの諸々の事情があり、継続することが難しいという問題が出 てまいりました。モピとしても今後どのように対応できるのかが問われてます。

今年の総会で方向が決められると思います。

(事務局)

 事務局からお知らせ

新年おめでとうございます。
   新しい年がみなさま、モピ共々よい年でありますよう祈っています。

6月に行われる音楽交流、一歩づつ着実に前に進んでいます。モピの新しい事業として 発展できることを願っています。みなさまのご支援、ご協力をお願い申しあげます。

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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

事務所
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
tel&fax 075-201-6430

e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp

MoPI通信編集責任者 斉藤 生々

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