■NO 168号 2016年3月1日
編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所
「エンフバトー家のモノ語り」の創刊に寄せて
Voice from Mongolia, 2016 vol.20』
ホランの会からのお知らせ
ノロブバンザトの思い出 その65
二つの国の子どもたちの音楽交流、経過報告
小長谷先生講演会のお知らせ
意味深い京都の佇まいを訪ねて
編集後記
「エンフバトー家のモノ語り」の創刊に寄せて
(金田 悦二)
モンゴル遊牧民に学ぶ「モノ」との付き合い方。遊牧民の本当の姿とは。
著者 堀田あゆみ
(総合研究大学院大学文化科学研究科地域文化学専攻、モンゴル遊牧民のモノの情報をめぐる交渉を研究し、 博士(学術)号を修得。現在は国立民族学博物館外来研究員。)
本書は写真を主とした構成であるが、こつこつ集めた情報や「語り」がそれぞれに平易で 分かりやすい言葉で、過不足なく付されている。
第1章は遊牧民がどんな暮らしをしているのか、四季折々の生活について紹介している。 遊牧民のことを知ってほしいという筆者の思いであろう。ぺらぺらページをめくってみて、 写真のセンスの良さに驚いた。厳冬のゲルの中で髪を結ってもらっている女の子を捉えた一 枚は、傍で見守るお兄ちゃん、そしてもう一人鏡の中にもじっと見つめる弟を配していて、 ゲルの中の家族のぬくもりが感じられる。ほかの写真も的確なアングル、状況を知らせる適 切な画角、切り取りなど素晴らしい。このセンスの良さで描かれたフィールドワークでのス ケッチもぜひ見てみたいものだ。写真では捉えきれない人や「モノ」の姿が留められている はずだから。
第2章はいよいよ「モノ語り」である。著者の「モノ」悉皆調査によると、平均的遊牧民 であるエンフバト一家は 1500 点もの「モノ」に囲まれて暮らしている。移動式住居のゲルに 入りきらないものは木造の固定式物置を建てて収納している。彼らはその一点一点の所在と 出自を記憶していると言う。「モノ」の写真とそれにまつわる「語り」が紹介され、家族の出 来事が投影されている。家屋である「ゲル」や家具はもちろん杓子や靴下にまで「ストーリ ー」があるのだという。つまり「モノ」は家族史そのものなのだ。考えてみると、どこに何 があるのかどころか、それがあるのかないのかすら分からない我が家とはあまりに違いすぎ る。彼らにとって「ストーリー」のないものは不用品なのではないか。さすれば、我が家は ごみ屋敷かも。ただ、子どものノートを「使い切ったから捨てたよ。ゴミ箱に」というのは、 私には真似できない。私にとっては子どものノートこそ大切な思い出・家族史の一部なのだ から。
第3章では、そんな「モノ」に囲まれたエンフバト一家に思いもかけない出来事が降りか かる。それは、ゲルとその周辺も含めた家財一切合切を日本の国立民族学博物館が買い取って日本で展示するという話が筆者から持ち込まれたのだ。本当にすべて。スーツケースに仕 舞われている子どもの下着までだ。「モノ」にストーリーの少ない我が家に置き換えてみても、 家族の誰もが抵抗することは疑いない。まして、家財の一つ一つが家族史につながっている 彼らは強い執着心を持っているはずで、断って当たり前ではないか。しかし、その申し出を 即座に受け入れたとのこと。もちろん筆者との並々ならぬ信頼関係があってのことだろうが。 それにしても、この潔さ。モンゴル遊牧民恐るべし。断捨離の天才か。 ゲルが解体され家 具が運び出されトラックに載せられる様子が詳しく写真で紹介されている。そして、トラッ クは、はるか遠くに豆粒のように小さくなって行く。彼らの胸のうちを思うとじーんとくる。
第4章。その後、彼らは新しいゲルを手に入れ、新たな「モノ」を揃えつつ新たな家族の 歴史を刻み始めているのだった。
モンゴル人を妻に持つ私は、一通りはモンゴル人のことに通じていると思っていた。しか し、遊牧民とある程度の交わりを持っていながら、いわゆるモンゴル遊牧民というステレオ タイプに惑わされ、自らバイアスをかけていたようだ。いわく「遊牧民は最小限の物しか持 たない。あらゆる物を大量消費する先進国の我々が学ぶべきことは多い」とか「物に執着し ない彼らの生き方こそ、人間性を回復するヒントだ」などと語っていたのだ。筆者の堀田氏 が「モノ」について彼らに「語らせる」という今までになかった視点を通してモンゴル遊牧 民を透き通った目で捉え直している本書は、モンゴル遊牧民を我々が欲する清く正しい人間 像から解放した。そして私の観念を覆らせたのである。そこから、新しい彼らとの関係性が 生まれてくるのではないだろうか。
本書は見て楽しい、読んで面白い。妻と 4 歳と 8 歳の子どもたちと一緒に読んで、いい時 間を過ごせました。93 歳のおばあちゃんも興味津々でした。モンゴルに興味があってもなか っても、老若男女問わずお勧めです。
なお、本書はぺーパーバックのため安価で入手できます。大判で印刷もきれいです。オン デマンド出版。残念ながら日本のアマゾンではモノクロ版になるそうです。アメリカのアマ ゾンではカラー版の入手が可能(国際輸送費が必要)。また、アマゾンで電子書籍版もあるそうです。
(カラー写真版入手方法) モピ事務局で一括購入いたしますので、事務局に申込んで下さい。取り寄せ郵送料は無料です。ご自宅までの送料は自己負担でお願いいたします。
(事務局)
『Voice from Mongolia, 2016 vol.20』
(小林志歩=フリーランスライター)
「100パーセント手作りの、世界一あたたかい靴ですよ。値は張るけれど、一足持てば長 年はくことができる。修理も受け付けています」
―バヤンムンフさん(43)靴工房経営、セレンゲ県在住
JICA 研修で1月から帯広に滞在中のバヤンムンフさんにお会いしました。モンゴルの農業 地帯セレンゲ県スフバートルから、ようこそ十勝へ!初めての日本で、東京に1泊して十勝 入り。「日本ではここが一番寒いって?とても温かいですね」。
ロシア国境にほど近いスフバートルに生まれ育ち、地元でトナカイ毛皮のブーツ、ゴドン・ ゴタルを製造・修理する工房を経営している。地場産品支援組合のセレンゲ県支部長も務め る。
ブーツの材料として使われるトナカイの毛皮等は、極北のサハ共和国産。ウランウデのブ リヤート民族の仲買人ネットワークを通じて仕入れる。自ら技術を学び、工房を開いて5年 になる。材料の毛皮は、モンゴルではこのブーツが近年流行し、多くの人が愛用していると いう。「モンゴルで製造しているのはうちだけ。モンゴル相撲の力士からも注文を受けていま す」と胸を張る。 価格は約3万円から。実際にどんなブーツなのか見てみたい、ですよね?「今回はビジネスでなく、学ぶ目的で来たから、持って来てないんです。でも日本でも興味を持ってもらえた ら」。Selenge gutal Godon gutal で情報発信しているので、Facebook をチェックしてみてく ださい。ウランバートルには行ってもスフバートルまではなかなか…というあなたには「連 絡をもらえば、毎日首都へ行くバスの便に商品を託すこともできますよ」。
ふるさとで、地元の人を雇用しての物づくりという自分のビジネスを発展させることが、地域の 発展、そして祖国の発展の礎となる、と感じたと いう。滞在中の余暇には、友人に招かれ、札幌へ 出かけ雪まつりも楽しんだそう。
極北の地でトナカイを家畜として商うヤクート の人々、それを流通させるブリヤート商人、そしてそこに商機を感じたモンゴルの起業家ら、多く の人の手を経たブーツ。その交易の道をたどってみたくなった。
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今月の気になる記事
近年モンゴル土産の定番となっているアルタンゴビ社のチョコレート詰め合わせに、少数民 族がパッケージにデザインされている「ウンデステン(少数民族)」という商品があります。 ウールド、トルゴート、ウリヤンハイなど多様な民族が暮らすホブド県は首都から西へ14 00キロ、時差も1時間。地方行政の担い手の声を伝える記事をどうぞ。
Х.バトボルド 「未来をつくってゆくのは、若い世代のエネルギーです」
(筆者:Ч.ウルオルドフ)
今回はモンゴル人民革命党員のバトボルドさんのインタビューをお届けします。地元、ホブ ド県マンハンソム内のバグ長、同ソム長、ホブド市長、ホブド県議会議長まで、要職を担っ て来られました。
-ホブド県民から『わが県原産の、政界へ送り出す、おすすめの若手人材』との呼び声高い そうですね。ふるさとの発展やホブド県民についての思いをお聞かせください。
「生まれ育って、仕事をし、生活するホブド県は多くの少数民族の揺りかごでもあり、友好 的で、勤勉であることで知られています。県内には17のソム、91のバグがあり、人口は およそ9万人です。各ソムがひとつの民族を代表していると言ってもいい、非常に特色ある 県です。自然環境から開発はさほど進まず、低い水準にとどまっています。中心から遠く離 れていて、インフラ整備がすすまないのが悩みです。
ホブドで仕事をして生活するある人が、何かの理由で首都に行く必要が生じた場合を考え てみましょう。費用の負担は月収ではとても足りず、年収のかなりの部分を費やすことにな ってしまう。モンゴル中央部では話は別で、出費は月収の範囲内で何とかなるでしょう。地 元で暮らす高齢者、教員や医師など公務員の年金や給与は、中央部と同額です。条件が厳し いなかで多くの少数民族の県民が生活できているのは、彼らが極めて働き者であるからこそ。 わが県のブランドは、多様な民族文化を担う人々が互いを尊重し、仲良く暮らしていること につきます。将来性は大きいです。隣国をつなぐ自動車道の通り道にあたり、協力して事業 展開する基礎は既に築かれています。モンゴル西部の発展の要として、将来的に、わがホブ ド市が西部の中心都市として発展を支える可能性があります」
-個人的に、地域の発展に向けた仕事の振り出しは何でしたか?
「1996年にホブド大学を卒業し、歴史の教員となりました。97年から生まれ育ったマ ンハンソムの青少年の問題を担当する業務についたのがはじまりです。2000年以降は当時の若者の例にもれず、国政に積極的に関わるようになりました。モンゴル人民革命党員と なり、H.エンフバヤル党首の手から党員証を受け取りました。まずは同ソム内のバグ長とな り、2004年総選挙でソム長に、06年からはホブド県ジャルガラントソム長、ホブド市 長を務めました。この期間、地元の発展のために、職員や同志たちと一丸となって懸命に仕 事をしました。2010年には県民議会の議長として働きました。バグ長から県民議会まで に選ばれて仕事をした歳月を通じて、県やソム、バグの各レベルで自分たちが目指して取り 組んだことを人々が支持してくれたものと理解しています」
-ご両親は地元出身ですか?どんな仕事をされていましたか。
「父も母もごくありふれた牧民でした。私が5歳のときに父が亡くなりました。うちは家族 が多かったが、母は、それぞれを人として一人前に育て上げた。ドルジパラムと言えば、ふ るさとではすぐわかります。薬局のガラス洗浄係に始まり、やったことのない仕事はないと 言っていいほどです。ソムにおける文化教育事業にも熱心に関わりました。ネグデル(訳注: 社会主義時代の牧畜協同組合)の図書館を立ち上げ、管理者として担当したほか、ソムの保 育園も当初から管理者として務めました。ソムの歴史において多くの業務を初めて担当する 傍ら、子どもたちを育て上げた母です。小さい頃、雑誌『子どもの躾』を購読し、ボルとい う識者の書いていることを読み聞かせてくれたのを覚えています。よく言っていたのは『お 父さんが亡くなってからは、世帯主がいないための手当として役所から25万6千トゥグル グもらっているよ。母さんが足の血管が太くなるまでガラスを洗い続けてもらう給料が22 万トゥグルグだよ。役所は、いない人のために、母さんのお給料より多いお金を下さってい るのだから、あなたたちは国のために、誠意をもって、仕事をするのですよ』と、幼い頃か ら言い聞かせた。働く自分の姿を見せることによって手本を示し、つらいことがあっても生 きてゆく強さを学ばせました。兄、姉、弟たちもみな大学を卒業し、ひとりを除いては大学 院まですすみ、人文分野で仕事をしています。母は私の誇りであり、最良の教師。年老いた 今もソムに住んでいます」
-ホブドの若者たちは発展や組織づくりに積極的に関わっていましたね。人材育成の方針が そうだったのでしょうか?
「わたしが社会的活動に意欲を燃やし、国政にも参加するようになった当時は、各役場には 長年務めたベテランの幹部が健在で、若い世代の政治参加を熱心に後押ししていました。ソ ム長だったP.バトムンフさんがよく言っていました。『若者たち、仕事に励みなさい。君た ち大勢のなかで一番真剣に正しい仕事をした人が私の後継者となり、さらに上の仕事ができ る。手を取り合って、仕事をするのだ。民主化した今、競い合って、学び、仕事をするべき なのだ』。若い世代を応援する素晴らしい上司でした。当時、役場にいた3人の若者のうち、 ひとりが自分で、あとのふたりは県とソムで管理職についています(中略)」
-地域に、若者を学ばせ、人材を育てる大きな学びの場があったとのことですが、今もそう でしょうか?変わってしまいましたか?
「一般に、国政が盛り上がれば、若者の政治参加も増えます。多くの企業人、それも多様な 業界で若者たちが活躍するのは良い事です。人みな政界に関心をもっているが、ひとつ間違 っているのは、現在の状況は私が先ほど話した世界から、かけ離れたものになってしまった こと。まず、若者を国政に送り込もうとの方針が失われてしまった。だれでも、特に若い人 が、政党に入りさえすれば管理職になれる、生活が上向きになる、との誤解が生じている。 組織の大きさに関わらず管理職になりたい、との考えが広がっているのです。現在の状況を 見ていると、年輩者、上の世代を粗末に扱い、聞く耳をもたないようになってしまいました。
金や資産をかき集めて権力を得たい、との野心家たちの集まりが国政を担っている。そう した考えが地方レベルまで深く浸透しているのが本当に残念でなりません。こんな政治のあ り方が行き詰まるのは明らかです」
-具体的に言うと?
「そんな人々が集まっても、有効な政策決定ができる可能性は低いです。そのような勢力の 影響から解放されるためには、法的環境を改善し、発展に向けた政策方針の柱を確立する必 要があります。他方で、社会の優秀な人材が国政の世界に積極的に飛び込まないのが問題で す。そうした人々は元来している仕事をして、生活ができているため、さらなる重責を背負 おうとはしないのです」
-この状況を変えるには?
「一時よりは、若者たち自身も状況がわかっていると思いますよ。自分より、成績が悪かっ た、能力の低い人々が突然、偉くなって登場することに驚かされる。そして自分の手にあま るような政策を掲げて、実行できずに倒れるのも目にする。何を言いたいかというと、優秀 な人々に、自分の能力を理解して、国政に参加してほしい、ということです。モンゴルの政 治は、そうなるべくして難局を迎え、目の前の峠を越えることで前にすすむ。なんとかなっ ている、と傍でみて安心しているのでなく、社会の発展をさらに進めるために、能力ある人々 が積極的に、選挙に手をあげる。でなければ、人材を育てる力が弱いことから県や地方の政 策を立案し、推進する力が不足する。そんな状況では好き嫌いや見返りを求めて投票するこ とに流れ、発展の速度は鈍くなるのです。人々の声や意見を政治に届け、支持を得、人々の ために政策を実行してお返しする、このシステムを確立せねばなりません」
-ホブドの若者がどんな思いで日々暮らしているかよくご存知でしょう。彼らへのメッセー ジをどうぞ。
「わたしは、ここで生まれ、独り立ちし、生活する中で、若者が何を考え、望み、夢見てい るかがよくわかります。教育を受けた若者の大部分が首都へ移り住み、いなくなるのです。 ウランバートルの大学に学びに行った15人のうち、卒業後に地元へ戻るのは5人ほど。ど うしてそうなるか、と言えば、働き口や生活水準の問題があるからです。若者に言いたいの は、国政や社会活動に積極的に参加して、ということ。選挙は立候補しているひと握りの人 や党から選ぶものではない。自分たちの将来、そしてそこに生きる自分を選択すると理解し、 責任ある一票を投じてほしい。国政に参加するというのは、支持政党を後押しし、他党の粗 探しをすることではない。支持する政党があるなら、その集会に参加し、主張を戦わせ、発 展のためのアイデアを出し合い、正しい対策や方針、意見によって競い合うもの。現在の政 治は、2人の子どもがおもちゃの奪い合いをしている、としか見えない状況です。政策論争 が必要なのに。脳の及ぶ限り考え抜き、学んだこと、知っていることを共有する大きなフィ ールドであるはずです。若い世代が大学に入り、念願かなって専門知識を修めて卒業しても、 その分野で給料を得るのは難しい。社会において、国政のみが大衆の関心を集めている。ほ かには宗教、文化、芸術、スポーツくらいでしょうか。『政治からは距離をおいて生活しよう』 と思ったところで、いいことは何もありません」
『ゾーニー・メデー』紙より -2016年2月1日、政治ポータルサイト POLIT.MN
http://www.polit.mn/content/75583.htm
(原文・モンゴル語)(記事セレクト&日本語抄訳:小林志歩)
ホランの会からのお知らせ
(佐々木めぐみ)
ホームスティしてモンゴルを知ろう
実施期間 2016年4月29日(金)〜5月6日(金) 8日間
参加費用
12才未満 約105,000円
12才以上 約135,000円
参加申込み 03-3723-3795まで。
ノロヴバンザトの思い出 その 65
(梶浦 靖子)
少し前の節で、映画「硝子の塔」にオルティン・ドーを使った楽曲が用いられていること に触れたが、その曲について書くのを忘れていた。曲名は「トソンの山の頃に Toson-giin oroi」で歌詞は次の通り。
トソンの山の頂に 砂ぼこりが舞う
居所を移す時がきた
マンダルの山の頂が 砂ぼこりで霞む
わが故郷が思い出される
トソン、マンダルともオブス県にある山の名称だということなので、西モンゴル発祥の曲 であると考えられる。自由なリズムで歌われているし、モンゴル人音楽家の意見でも曲とし てはオルティン・ドーであるが、メロディーはわずか 3 フレーズのみで構成されており、と ても小規模な曲であることや、音域も 1 オクターブ以内に留まっていることなどは、西の地 域の特徴とみなすべきか否か、さらなる調査が望まれる(符例 30)。
歌っているのは、ナドミドという民謡歌手でフブスグル県生まれ、ダルハド族出身の女性 である。元になっている録音はイギリスで講演した時のライブ盤 CD のものらしい。それをド イツの音楽グループ、エニグマがサンプリングし1つの楽曲として仕上げたものだ。
同じイギリス公演の CD には、オルティン・ドー歌手 A.ネルグイの歌う「はるかなる蜃気楼」 も収録されているが、エルグマはこの曲も同様に流用している。両曲とも CD『エニグマ 2〜 ザクロス・オブ・チェンジス』に収録されている。トソンの山の頂に」は「Age of Loneliness」、 「遥かなる蜃気楼は「The Eyes of Truth」にそれぞれつかわれている。
いわばエニグマ側がモンゴル音楽の音源を無断使用したことになるが、モンゴル民謡が国 際的な著作権条約に加入していなかった等の理由で、法律に触れることはないわけである。 とはいえエニグマのこれらの曲は発表後かなり有名になり、日本のメディアでも度々ながれ ていた。モンゴルでもこれらの曲は大いに話題になり議論を呼んだらしい。後にこの件に関 してエグニマ側からモンゴル国に向けて謝罪のメッセージが発表されたという。
これに関してモンゴル人の知人は、「自分たちはべつに謝ってほしいわけじゃない。ただあ の曲がモンゴル民謡であることと、歌っているのはモンゴルの歌手であることを世界の人々 に知ってほしいんだ」と語っていた。ただこれは一般的な意見であって、当事者である歌手 や音楽家にとってはまた事情は異なるだろう。
権利問題があまり厳格になりすぎて音楽の引用やサンプリングが難しくなったら、自由な 表現、創作の妨げとなりかねない。そうした自由は保たれつつ、当事者の権利が守られ、で きるだけ利益が還元されるように音楽に携わる者は常に考えるべきであろう。日本でもメデ ィアで度々流されたエニグマのくだんの曲は、モンゴル人歌手の歌うモンゴル民謡であることが、ぜひ知られて欲しいと思う。
二つの国の子どもたちの音楽交流、経過報告
(斎藤 美代子)
モンゴル子ども宮殿のバイオリンクラスと奈良学園室内楽部との音楽交流についての話し 合いのため、(2 月 12 日)奈良学園に行ってきました。参加メンバーは古川校長先生、モピ会 員の西川先生、音楽の上田先生と、私とムーギーでした。
校長先生からは受け入れについてご快諾いただき、具体的な日程、プログラムの話にも至 りました。室内楽部は中高生で、モピのモンゴル学習支援事業を小学部で受けていた子ども たちが今ちょうどその年齢なので、その後のモンゴル体験ということにもなり、非常に良い ことだとおっしゃっていました。また、奈良学園の子どもたちもモンゴルを訪問するという ように、ぜひ次につなげていきたいということでした。モンゴル側からもぜひモンゴルに来 てほしいという話でしたので、お伝えしたところとても喜んでおられました。それは夏に実 現するかもしれません。
日程は以下の予定です。 6月23日(木)ソウルから関空へ、そのまま奈良泊 6月24日(金)午前奈良市内観光、学校での練習 6月25日(土)リハーサル 6月26日(日)午後奈良学園講堂にて合同演奏会 6月27日(月)大阪へ(アベノハルカスなど見学の予定) 6月28日(火)帰国
24日から26日までの間、移動はスクールバスの使用、給食など出来る限りのバックア ップをするとお約束いただきました。26日の演奏会には奈良学園の生徒や保護者、モピ会 員の方にも来ていただきたいということでした。
まだモンゴルに戻って話し合って具体的に詰めていく必要がありますが、現在、先生2名 (バイオリン、チェロ)、生徒10名です。通訳・コーディネートとして私とムーギーが参加 します。先生(モンゴルの)は子どもたちの親に飛行機代を用意するようにとは話しているよ うです。全員が裕福な家庭ではないため(ゲル地区の子もいます)、やはりモピ会員のみなさんからもご支援をいただかなくてはならないかもしれません。
違う国の子どもたちが一つの曲を練習して合奏してできあがっていく、その過程でどのよ うに友達になっていくのか、どんな音になるのか、楽しみです。
これからが始まりですので、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
この事業を行う時の滞在費などの資金を集めるのに、クラウドファンディングに申請をしました。25 日、審査が通りこれ から次のステップに進みます。3 月 22 日に web サイトに公開されます。一般の方々からのご好意も集めるという方法をとりました。この件に関しての詳細は、分かり次第メールでお知らせいたします。
会員のみなさまにもご協力いただける時には、クラウドファンディングの方に、ぜひぜひお願いいたします。ポスターをクリックでサイトに飛べます。
(事務局)
小長谷先生の講演会のお知らせ
モンゴルの女性たちの現在 〜「草原の国」の男女共同参画 3月8日(火) 午後 3 時から5時
(3 月 8 日は、国連が定めた国際女性デー)
大阪府寝屋川市香里南之町16番15号 JAビル香里4F TEL:072-832-5580まで
(参加費無料) 3 月4日までに予約が必要です。
意味深い京都の佇まいを訪ねて
(荒木 伊太郎)
「錦天満宮」は京都市中京区新京極通り四条上る中之町にあり、満天神(菅原道真)を祀る。 創 建は長保5年(1003年)です。 御神徳は知恵・学問・商才・招福・厄除けと受験生や商売繁盛を願う人が多く訪れています。
事務局から
毎年2月は、モンゴル学習支援事業の申し込みが多くあります。2月に集中するので受けら れる数が限られますが、今回は、6校に対応しました。 ホームページに進行内容が細かく記されたマップが掲載されてやり取りもスムースに進むよ うになりました。どこの学校でも子どもたちの目は輝いています。私たちも各学校のニーズ に合わせるようにして、内容を進化させるよう工夫し取り組んでいます。
(事務局 斉藤生々)