■NO 174号 モピ通信

■NO 174号 2016年9月1日

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所 

 

 国際研究フォーラム

『Voice from Mongolia, 2016 vol.25』

 ノロヴバンザトの思い出 その70

 意味深い京都の佇まいを訪ねて

 モピ会員のみなさま

 事務局からお知らせ

  編集後記

 

 

 国際研究フォーラム

チーズプロフェッショナル協会では、毎年、会員に向けて、チーズおよび乳食に関する集中的 な連続講義が行われているそうです。2016 年 2 月に行われた講義で担当した際の資料を、同協会 の許可をえて、モピ会員にも提供します。
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                           (小長谷 有紀)

(人間文化研究機構理事)

アジアにおける乳文化

1,多様な牧畜文化のなかの乳利用

1970 年、日本で最初の万国博覧会が大阪で開催され、その跡地に国立民族学博物館を創設すべ く尽力して初代館長をつとめた梅棹忠夫(敬称略)は、1944 年から 45 年にかけて現在の中国内モ ンゴル自治区で人類学的調査を実施し、モンゴル人の乳利用について4本の論文を執筆した。そ れらは乳利用に関する文化人類学的研究の鏑矢となった(梅棹 1990)。

のちに彼は人類史における「牧畜革命」という概念を提唱した(梅棹 1976)。農業革命や産業革 命と同じくらい牧畜の成立は人類史上意味があると論じたのである。彼は本文中で「牧畜」と言 いながら、タイトルには「遊牧」ということばを用いた。なぜだろうか。

「狩猟」を通じた野生動物の利用ではなく、「牧畜」を通じた家畜の利用を確立したことによっ て、人類は乾燥地域への生活域を拡大することができた。生活を成り立たせてくれる家畜とは、 イヌやネコではなく、群れをなす有蹄類すなわちヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマ、ラクダなどである。 乳利用を伴っているからこそ家畜に依存した暮らしが成り立つ。オスの性的活動をコントロール しているからこそ群れとして成り立っている。つまり、「搾乳」と「去勢」という画期的技術が発 明されたことによって「牧畜」が成立した、とみる。さらに、そうした初期の「牧畜」は、「狩猟」 で動物の群れを追う過程で成立しただろうから、移動性の強い牧畜すなわち「遊牧」ということ ばが用いられたのである。

こうした考え方に対して、その後、さまざまな異論が提示された。例えば、アメリカ大陸でリ ャマやアルパカなどラクダ科の動物は「搾乳」されないので、乳利用のない牧畜を軽視している、 という指摘がある(稲村 1995)。また、バングラデシュでブタを群れで放牧して野生のタロイモな どを餌として求めて移動する事例でも乳利用はない(池谷 2014)。

しかしながら、人類史の大きな枠組みとして、「肥沃な三日月地帯」の周辺において、農耕とほ ぼ同じくして牧畜が開始されて乾燥地域へ進出しており(藤井 2001)、しかも搾乳の起源が 1 万年 前にさかのぼることが明らかとなっていることから(平田 2014)、ユーラシアにおける牧畜は乳利用を伴っている、と言っても過言ではなくなってきた。言い換えれば、人類史上の牧畜革命が搾 乳とともにあることに間違いはない。

1,乳利用の契機− モンゴルの現場から

乳利用はどのように始まったのだろうか。家畜の子育てを人間が手伝うことから搾乳という知 恵が生まれたのではないかと推測されている(谷 2010)。野生動物から家畜になる過程のヒツジや ヤギにとって、囲いのなかでの出産はストレスが多く、子育てを人間がやむなく補助するうちに、 子畜のための乳を横取りするという知恵と技が獲得されたと考えるのである。こうしたプロセス を考古学的に証明するのは難しい。

一方、現代の牧畜においては、搾乳季節に先立つ哺乳季節に、人びとは子畜を育てるため多様 な介入を行っている。モンゴルでは、母畜が子畜を認識しない場合、母畜が死んだ場合、乳不足 の場合などの問題に対処するため、子畜にはしばしば乳母が用意される。しかも、乳母は実子の 臭いをかがされながら、非実子に乳を与えるはめになる。こうした一種の詐欺の風景は、搾乳の はじまりを想起させるシーンとなっている(小長谷 1991)。

そもそも乳は、あらゆる人間の食べ物のなかで、唯一もともと食べ物として存在していたもの である。しかし、本来は乳児用であり、種の保存という観点からすると、成人が食すべきもので はない。成熟するにつれて乳糖の分解酵素が失われ、乳をうまく消化できなくなるという現象は、 大人が赤ん坊の食を奪わないという、生物としての根源的なメカニズムではないかと推測されて いる(酒井 2015)。言い換えれば、人類史における乳利用とは、搾乳だけでは成立しない。乳加工 の技術を伴ってこそ乳利用と言えるのである。

1,乳利用の技術− 搾乳から乳加工まで

ユーラシアの西端で始まった乳利用文化は、東、北、南へ伝播し、モンゴル高原ではさまざま な加工法が集積的に維持されている。

まず、搾乳個体への接近方法について、ヒツジやヤギの場合は個体の後ろから、ウマの場合は 自転車のように個体の左脇から、ウシの場合はその逆の右脇からとされている。

生物学的に子畜による催乳(サックリング)が不要なヒツジ、ヤギについては、母子をあらか じめ分離して睡眠をとらせ、朝、搾乳してから放牧に出し、帰営後に再び搾乳し、その後に母子 を会合させて哺乳させる。哺乳後、再び母子を分離するというサイクルを搾乳期間中繰り返す。 最盛期には一日三回搾乳することもある。

こうした母子別放牧を実現するために社会的な工夫が施されることもある。自世帯の成畜と他 世帯の子畜を組み合わせて群れを構成するという慣習である。そうすれば、一群の放牧作業中、 授乳・哺乳を阻止することができる。こうした協力関係のある世帯をサーハルタ(搾乳協力とい うほどの意味)と呼ぶ。

生物学的に在来種の場合、子畜による催乳が必要なウシやウマは、搾乳作業中に子畜をつなぎ とめておく。そして、子ウシは朝夕の搾乳後に残り乳を哺乳する。これに対してウマの場合は、 一回の搾乳量が少なく、一日に数回搾乳するため、搾乳の都度、残り乳を飲むのではなく、子ウ マを一日中つなぎとめておき、一日の最後の搾乳後にようやく解放し、夜間放牧中に自由に哺乳 させる。翌朝再び子ウマを捕捉し、繋牧する。ラクダは、原則としてウマに準じる。

こうした搾乳方法に対応して、朝夕、乳加工の作業が行われる。モンゴルの乳利用は、複数の 加工系列が共存しているという特徴をもつ。基本的に、乳の三大成分(乳脂肪・乳たんぱく・乳 糖)をセパレートしていく方式である。最初に脱脂行程があり、乳酸発酵を進め、アルコール発 酵まで至れば、蒸留酒を抽出し、残りでチーズをつくる。それぞれの行程で、加熱や非加熱など 異なる方法を採用することによって、成分や様態が異なり、名称が異なり、また系列をまたいで 相互乗り入れもできるため、全体として複雑になる。また、馬乳のように撹拌しても脱脂できな い場合は、どぶろく酒にする。

社会主義時代の近代化により、ウシの飼養頭数が増加すると、一頭あたりの搾乳量の少ないヒ ツジやヤギの搾乳は減少した。また、労働力不足から自家製乳製品の種類も減少する傾向にある。 ただし、一方で、アルハンガイ県チョロート郡のように、17 世紀に内モンゴルから移住してきた 集団がホロート(内モンゴルではスーン・ホロートと呼ばれているもの)などかつての製造法を 維持して多様な乳製品を作り続けているなど、地域差も認められる。21 世紀の今日、普遍的に認 められる主な乳製品はウルム(クリーム)、ズーヒー(発酵クリーム)、シャルトス(黄色い油の意、バターオイル)、アーロール(酸味の効いた発酵チーズ)、アルヒ(蒸留酒)などであり、ま た搾乳量が多い時期には、原則として脱脂しないで作るタラグ(ヨーグルト)やビャスラグ(あ まり乳酸発酵させていないチーズ)が作られる。こうした地域差や頻度を含み込みながら、工程 の順序と工程ごとの多様性という論理的関係を一枚の図にすることによって、モンゴル高原にお いていかに複数の系列が共存しているかがわかるだろう(石毛 1997; 小長谷 2009)。

興味深いことに、タラグは睡眠導入剤として就寝前に好んで食され、また運転手は勤務中には 食さない。ビャスラグは下痢に効き、馬乳酒は肺結核に効くと言われている。

1,乳利用の文化的展開

稲刈り後に祭りが行われるように、搾乳は一種の収穫であり、搾乳の祭りが催される。モンゴ

ルでは、豊富な口承文芸が収集されており、そのなかに搾乳と関連する祝詞がある。祝福されて いるのは、ホグノと呼ばれる、子ヒツジや子ヤギをつなぐ縄である。現在では、搾乳対象のメス の首をつないで搾乳することが多いが、かつてはウマやウシのようにヒツジやヤギでも、子畜を 繋いでいた。この綱を祝福するということは、搾乳の祝いというよりも、新しい命の誕生を祝っ ていたのかもしれない。

ウマの搾乳儀礼は「ウルス・ガルガハ・ヨス」(子孫を出すしきたり)と呼ばれ、その年生まれ た子ウマを順次捕まえて繋ぎ、あらかじめ作っておいた馬乳酒を天地に降り注ぎ、搾乳シーズン の到来を祝う。子どもたちは競争や相撲をしてきそい、おやつをもらう。祝詞にはふつうの初乳 ではなく、個体にとっての「初めての初乳」を意味する単語が特別に使われていることから、初 産が愛でられていることが了解される。初産年齢が早い場合は特別の祭事を加えることからも、 初産が愛でられていると推測される。搾乳シーズンの開始を祝うというよりもむしろ、出産の開 始を祝う、ウマにとっての人生儀礼のようなものなのかもしれない。(小長谷 1996)。

地中海地域における搾乳の祭りでは、乳を新婚家庭にふりそそぎ、子の誕生を祈願する(みや 1988)。乳のもつ増殖パワーを人間に応用していると言えよう。ブルガリアでは旧暦4月 23 日の 聖ゲオルギウス祭で、夏営地に出発する際に、呪術的な搾乳を行う(伊東 1988)。ここでは初産メ スが対象に選ばれている点でモンゴルと一見類似しているけれども、実は背後に以下のような大 きな違いがある。

地中海地域ではオスの子は当歳で屠殺され、ラム(子羊)料理となる。オスの子が殺されて頭 数が減ると、植生への負荷が軽減される。と同時に、母ヒツジの半分が子を失って搾乳が容易に なるから、きわめて合理的な管理方法である。こうしたオスの子を殺すという牧畜管理を背景に、 セム的一神教は信仰の証として我が子を殺すという宗教的モチーフを有している。とりわけ初子 (初産の子)のオスが神殿に貢納されていた。そのため、家畜の群れはもっぱらメスばかりで、 キリスト教世界では、牧夫の指示を受けて誘導役を果たす去勢されたオスはイエスになぞらえら れた。神− イエス− 民という階層構造は、牧夫− 去勢オス− 母子メス群という群れ社会を反映し ているのである(谷 1997)。

これに対してモンゴルではオスの子を殺すことなく去勢して維持し、軍事力とする。モンゴル の乳利用は、世界に類をみないほど去勢畜の割合が高い牧畜文化のなかに埋め込まれている。ブ ルガリアとモンゴルではともに、初産メスに焦点をあてて増殖の開始を祝うけれども、その子を 屠るか否かという大きな違いが認められる。

以上のように、乳文化とは、単に食材としてのみならず、家畜とともに暮らす牧畜文化全体と 呼応し、儀礼などに見られるように精神文化の一部となり、知財として展開しているのである。

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『Voice from Mongolia, 2016 vol.25』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「日本モンゴル農業フォーラム会場にて」

7月26・27日の両日、私の住んでいる北海道・帯広市で「第2回日本モンゴル農業フォー ラム」(十勝農業機械協議会、日本モンゴル農業協力機構など主催)が開催されました。モンゴル から農業者、企業、農政や農業団体などから30人が十勝入りし、機械化された農業現場の現状 を視察、農業分野での協力やビジネスの可能性について話し合いました。今回は、会場で出会っ た人々やその言葉を紹介します。

「夏だけ野菜を作っても、首都のレストランに振り向いてもらえない。ソーラーの技術で、年中 野菜生産を目指す。首都で直売所を運営すれば農業者の所得は2-5倍に増える」

―ファーム・ドゥ代表 岩井雅之さん 群馬県内の生産者と契約し、首都圏で直売所30か所を展開している岩井さん。イチゴや野菜の ハウス栽培・観光農場運営に取り組み、モンゴル訪問は既に30回を超えたという。20億円を 投じ、首都近郊のラシャーントに来夏から整備する「モンナラン」ソーラーファーム計画を紹介した。

「ASEM出席で、安倍首相は在任中3度目となるモンゴル訪問を果たし、新政府のリーダーと 会談した。人民党のエルデネバト首相は、農協のシステムを導入したい意向を語った」 ―外務省・中国モンゴル第1課上席専門官 林伸一郎さん 政権交代後何が変わるかについては、新政権はIMF(国際通貨基金)の助けを借りる方向へ舵 を切る可能性が高い、とも話した。モンゴル側参加者からは「政府と農協の密な連携が興味深い。 農協法など制度面、農協経営についてもっと知りたい」との声が出た。

「モンゴルに必要なのは、大規模より小規模な農産物加工、工場というより工房のノウハウだと 考える」 ―モンゴル国立大学 応用科学工学部教授 ジャヴザン・バトフーさん 専門は薬草・生薬の研究。モンゴルには3千種の薬草があるが、土壌の感受性が高く、気候が厳 しいことから、大量栽培でなく、その薬草が自生する場所の近郊で、自然環境を生かした粗放栽 培を行い、品質の高い薬草を取るのがよいことを強調した。自身も、亜麻や薬草等の試験栽培を 手がける。また、社会主義時代の農業開発以前には、長きにわたり家畜頭数が一定に保たれてい たことをグラフで紹介し、それが自然環境が養える適正な頭数であった、モンゴル人は自らの歴 史に学ぶ必要がある、とも指摘した。

「モンゴルでは、飼料作物の生産増が急務。機械化にあたっては共同利用でコストを減らすこと、 また栽培期間が短い品種を導入して、効率化をすすめる必要がある」
―東京農業大学 生物生産学部教授 吉田穂積さん 輪作や施肥など持続可能な畑作のあり方をモンゴル農業大学と共同で研究して来た。ハーブなど 有用植物の成分分析でも協力。調査には学生が同行するが、次世代を担う両国の学生が長期にわ たり協働・交流することで、「モンゴルと日本の間に大きな虹をかけたい」

このほか、モンゴル人参加者からは「日本人は決断とアクションに時間がかかりがち。迅速な 対応を」との声もあった。視察、フォーラム、商談会など盛りだくさんの2日間、「最も熱心にメ モを取り、発表に耳を傾けていた最優秀参加者」と主催者に称えられたのが、元横綱・青龍関の お母さんであるプレブバダムさん。ドルジ横綱の大ファンだった私は思わず「本物ですか!」と 声をかけてしまったが、「ニセモノが出回っているんですか!?」と笑顔で応じて下さった。「私 自身は農業に携わっていないけれど、今回得た情報や知識を多くの人に伝えます」。同国でソバの 大規模栽培に取り組む元横綱にも、ぜひよろしくお伝えください!

フォーラムの様子を下記ブログでも紹介しています。ぜひご覧ください。

http://tokachimongol.seesaa.net/

今月の気になる記事 イベント続きの夏が終わり、まもなく新年度のモンゴル。日本では、母親が書いたブログで保

育所に入れない待機児童の問題がクローズアップされましたが、モンゴルでも保育所の不足が深 刻だそうです。現地では公立保育所の受け入れは 2 歳からで、保育費は無償といい、社会主義の 名残を感じさせます。コネや賄賂は相変わらず幅を利かせ、所得の格差が広がるなか、庶民の立 場に立った政策の必要が叫ばれています。

「保育所に入れなかった子は、施錠した部屋でマーシャ(アニメのビデオ)を見て過ごすしかな いのか」

親たちが保育所の番をするように、入口で夜明かしする時期が今年も近づいてきた。どの政党が 政権与党となっても解決できないでいるテーマに保育所不足の問題がある。子どものためにイエ スと言おう、と呼び掛けるお偉方だが、本当に必要な保育所の件となると、明確な発言が聞かれ ない。昨年度は、全国で1288か所の保育所が運営されており、うち826か所が公立で、4 62か所が民間だった。6月に保育所が夏休みに入って以降、総選挙あり、ナーダムあり、AC EMあり、そして政府の任命、とお楽しみが多すぎた。そしてオリンピックで8月もあっという 間に終盤となる。子どもたちももう保育所に行くことなど忘れたかのごとく、気ままに振る舞っ ている。教育文化科学大臣は、オリンピック開催地のブラジルへ。「戻ったら、保育所の問題に取 り組みます」という賢明な方だ。保育所や学校の不足、学費等、山積する課題を放り出して、任 命後1週間でオリンピック観戦に出かけたのだから「運のいい」新大臣である。

親たちは、わが子を施錠した扉のむこうに残して仕事をするのか、5-10トゥグルグ(訳注: 賄賂の意)で保育所を見つけるかで、頭を悩ませる。50万トゥグルグが手元にあれば保育所を 見つけるのはたやすいが、その金額を子どもの保育所にポンと出せる親はそう多くないだろう。 2年前の冬、冬のさなかに開業した保育所では、わが子を入所させたい親が厳冬期にもかかわら ず、夫と2時間交替で外に並ぶ母親たちの姿があった。一般に、大学に入るより、保育所に入る 方が難しいとさえ言われるが、その通り。われわれは、子どもを保育所に入れるために、ポケッ トの底の最後の小銭までも寄付金として差し出さざるを得ないのは公然のことだ。子どもには、 不正をするな、正直に、と常日頃言い聞かせているのに、賄賂を支払って何とか道筋をつけよう とするのだ。子どもに向かっては、清く正しいことを言いながら、後ろを向いて、保育所の所長 や先生に5-10トゥグルグを握らせる、道徳に反するように見えても、それが実態。政治が、 そうさせているのである。 昨年、モンゴル国内で2-5歳の28万8960人のうち、22万5388人が就学前教育に参 加したとの数字がある。このうち全員が保育所に通っていたわけではなく、2週間の講座受講で 資格を得た保育者への託児も含まれている。ともかく、残りの6万3572人は、施錠した扉の むこうで1年間過ごしたということになる。今年、38か所の保育所が新設されることになって いるようだ。このうち21か所は、9月1日以前の供用開始に向け鋭意準備中という。実現すれ ば、23万5412人を保育所で受け入れることが可能になる。少しでも状況が改善すれば、と 喜んでいる親は数多い。

保育所が需要を満たしていないため、母がすり減らなくてすむよう、仕方なく行われるのが、 受け入れの可否を決める抽選だ。同い年の子らと一緒に楽しく過ごさせるにはそうするしかない。

抽選にもれれば、子どもを不憫に思うあまり、何が起こっているのかも理解していない幼児にや つあたりする親もいる。このような背景から、純真な、心の澄んだ、罪のない子どもの将来を、 賄賂や悪意の言葉で曇らせることにつながっていく。子どもは、運試しの当たりくじではない。 当たった子どもは保育所に入り、外れた子どもは施錠した部屋の奥で、日がなアニメを見て過ご すよりほかない。競馬の勝ち馬に5億トゥグルグ、粘土の偶像を8億トゥグルグで買い、相撲の 優勝力士に何億トゥグルグもの価値のマンションや自動車を与える金払いの良いモンゴル人が、 抽選の当たり外れ次第という形でしか、子どもたちの未来に投資していないのが残念で仕方がな い。くじ運の良し悪しで子どもを保育所にいれるかどうかを決めるというやり方はどうにかなら ないものか。「抽選で当たりを引けなかったろくでなし」と2歳の息子を殴りつけた父親がソーシ ャルネットワークで物議をかもした。われわれの後継としてこの国を発展させるべき次世代のリ ーダーたちは、こんな環境で育てられているのだ。

過去4年間、元国会議員のL.エルデネチメグを中心に議員団が「保育サービスについての法 律」を国会で決議した。残念なことに、この法律は財政的な問題で実施が困難になってしまって いる。施行されれば、家で過ごす子どもは皆保育所に入所でき、8798人の雇用が生まれるな どの情報に期待していたが、話が立ち消えてしまった。「子だくさんの家庭を」との呼びかけで、 人口300万人に達して大喜びしたが、現実を見れば、保育所不足は解消のめどが立っていない。 300万人目のモンゴル人誕生に沸いたが、実際には入れる保育所がなく、親には頼めるコネも なく、賄賂を握らせるということで「尽力する」しかないとしたら。親にしてみれば、ただ落ち 着いて仕事をし、わが子が他の子たちと肩を並べて成長することを望んでいるだけで、遊びや娯 楽のためでは決してない。最近は、「寄付枠」という事まで取りざたされるようになった。保育所 だけでなく、学校でもそうだという。「名前は何というの?」と質問する前に、「寄付枠の子?」 と聞かれることも。意味を理解できないまま、子どもは「そうです」と言って走り去る。現実に、 大臣が「寄付枠(での特別扱い)はあってはならない」とのルールを定めてやっと、校長や保育 所の所長は寄付枠に屯着しなくなった。

昨年は6万人の子どもたちがくじ運の悪さから保育所に入れなかったが、今年はどれくらいの 数字になるか不明である。運がよければ保育所、悪ければ自宅か、祖父母の「保育所」に行くほ かないのは、政策の不備である。今年はどうにか祖父母に見てもらった、来年は抽選で何とか、 という親たちが街にあふれている状況を見ると、相変わらず深刻な問題のひとつである。まずは、 保育所の前に長時間並んで番号をもらい、知り合いのコネを使って頼み込むという大きな仕事が 待っている。ウランバートルの大気汚染、保育所不足は、何ら対策がない永遠の課題であり続け ている。1か月あまり前の総選挙の前には、候補者たちは口々に「保育所不足を解消する」と公 約していた。あなた方の代表として、国政を担うという重責を託した人々に、「保育所を建てて」 と公約実現を要求するしかない。 エルベグドルジ大統領が「女性、子どもの問題は、国家の問題そのものだ」と語ったのは、今年 の3月8日、4人以上出産して勲章を授与された母親の集会でのことだった。今日、保育所不足 の解消は、女性と子どものみの問題のような扱いだが、国家の問題であることは間違いない。国 家のトップの言説を常に思い起こして、良い行いのあふれるウランバートルに、多数の保育所が そびえ立つ日が来ますように。

2016年8月13日 『ウドリーン・ソニン』紙 ウエブサイト

https://dnn.mn/цэцэрлэггүй-үлдсэн-нь-цоожтой-гэртээ-маша-мишагаа-үзсээр-байх-уу/

(原文・モンゴル語)(記事セレクト&日本語訳:小林志歩)

 

 

 

 ノロヴバンザトの思い出 その 70

(梶浦 靖子)

江差町訪問その他の活動

アリオンボルトとは他にも都内の小劇場で演奏したり、知人の企画したレクチャーコンサート で、司会の人による楽器や曲の解説をはさみながらの演奏もした。知人のサークル活動の場所を 借りて、モリン・ホールの一日体験教室を行うこともできた。また、留学中にモンゴルで知り合った、江差追分の関係者たちに会いに、二人で北海道江差町を訪ねた。 町役場の江差追分担当の人が、現地の名所をあちこち案内してくれて、追分教室で体験レッスンを受けるなどした。アリオンボルトもモリン・ホールで尺八のメロディーをまねて演奏した。 そして、モンゴルで顔を合わせていた江差追分の歌い手、尺八奏者、追分保存会の人々など十数 名が集まり、宴席を設けてくださった。身に余るありがたいことだった。 その場でもモンゴル、江差双方の歌や楽曲が奏され、皆で賑やかな時を過ごした。

最後のひと悶着

アリオンボルトは当初、日本に知り合いの一人もなかったが、私が引き合わせたモンゴル留学 経験者の友人等と親しくなり、そう淋しくはなくなったようだった。

コンサートを観に来てくれた大学の後輩がアリオンボルトを見て。[梶浦さんの彼氏ですか?] と訊ねたことがあったが、そういうことはなかった。そもそもアリオンボルトは来日する数ヵ月 前にはモンゴルで結婚していた。であるから、新婚のカップルを離ればなれにさせていたわけで、 それは可哀相だったと思う。そのせいもあってアリオンボルトは、フェローシップの期間の6ヵ 月も後半に差しかかった頃、モンゴルから妻を呼び寄せたい、 と言い出した。日本で親しくなった友人たちとでは補えないものがあったのだろう。

しかし実際呼び寄せるのは難しかった。アリオンボルトの住まいのアパートは一人暮しとして 契約している。そして残りの期間にもいくつか演奏などの予定があって、その準備に時間を取ら れそうだった。そのうえ彼の妻を呼び寄せるため連絡を取り、さまざまな書類を用意し、関係各 所を回ってと、考えただけで大ごとだ。それにアリオンボルト一人だけでも大変なのに、もう一 人増えたのではとても面倒が見切れない。少なくとも私には無理だった。ゆえに、彼にはあきら めてもらうしかなかった。

その件でアリオンボルトとは大変な悶着になった。今度こそ完全に絶交になるかと思うほど言 い争った。しかし、留学経験者の友人たちが間に入り彼を説得してくれたおかげで、アリオンボ ルトもようやく聞き入れてくれたのだった。終盤に大変な思いをしたが、フェロー期間も終わっ たその年の秋、アリオンボルトは無事国へ帰っていった。

彼はあまり遊びもせず、フェローシップの給付金を貯めており、まずまずの額を持ち帰ったよ うだった。私とはいろいろとやり合って来日を後悔したかもしれないが、その点だけでも、日本 に来て良かったと感じていてほしい。そう願うばかりである。

(つづく)

 

 

 意味深い京都の佇まいを訪ねて

(荒木 伊太郎)

○ 小倉神社 (京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前町)

祭神は、建甕槌命(たけみかづち)、齋主命(いわいぬし)、天 児屋根命(あめのこやね)、比売大神(ひめ)。創建は養老2年 (718年)京都御所の裏鬼門除けとして崇敬されました。 山崎の戦いでは豊臣秀吉が家臣を遣わし戦勝を祈願したと伝え られている。現在も「方除けの神としてお参りに来る人が多い。

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拝殿

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御神木 樹齢500年の樅もみ

と樹齢600年の杉

 

 

 モピ会員のみなさま

(福島 規子)

西日本は、気温35度以上の日が続いています。各地で異常気象による、豪雨や竜巻等のニュ ースも報じられています。暑さに負けず後一月半程過ごさなければいけません、皆様お体ご自愛 下さい。

私事ですが、今年は7月2日から22日までモンゴルへ行って来ました。オイドブさんのご家 族が住むウブルハンガイで10日間過ごし、夏の遊牧生活を体験して来ました。5人の娘家族が 8張りのゲルで生活しながら、朝から晩まで、家畜の世話や沢山の乳製品を作ったりと休む暇も ない程働く様子を見、さらに一匹の羊の毛刈りを見せてもらい、毛糸を紡ぐようす、フェルト作 り等沢山の仕事を体験して来ました。モンゴルの豊かな自然と生活を体験しながら、友好を深め ていくためにモピの活動は続けられます。

その活動を共に支えて下さる会員の皆様に大変恐縮ですが、会費の納入をお願い致したくご挨 拶申し上げました。皆様のご健康を お祈り申し 上げます。(モピ監事)

 

 

 事務局からお知らせ

(斉藤生々)

9 月に入りました。関西の暑い夏は終わるのでしょうか? 2016 年度後半は、8月27日(土)

大阪府堺市博物館で行われる「モンゴルの遊牧民の生活を体験!」というイベント参加から始まり ます。

茨城県自然博物館でも「モンゴル・ステップ 大草原」花と羊と遊牧民 (7月9日〜9月19 日)が開催されており、入場券 5 枚と共に案内が届いています。お近くの方、行かれる方、入場券 ご利用ください。

穐月大介様から
青山讃頌舎 2016 秋の開館のご案内をいただきました。

「穐月明・秋展― 仏の教え、神への祈りー」

今回の企画展は穐月明の大きなテーマ である仏教を中心に神道や民間信仰にまで取材した作 品を展示致します。寺を巡り仏像を拝観し神社にお参りして名所を観光するように楽しんでいた だけましたら幸いです。

●開館日時:9 月 10 日~11 月 27 日の土日 ●開館時間:午前 10 時~午後 5 時(入館 4 時 30 分まで) 〒518-0221 伊賀市別府 718 番地 5 青山讃頌舎(あおやまうたのいえ)

TEL:090 9860 6432

ホームページ Aoyamautanoie museum:   http://aoyamautanoie.net/

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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

事務所
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
tel&fax 075-201-6430

e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp

MoPI通信編集責任者 斉藤 生々

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