■NO 176号 モピ通信

■NO 176号 2016年11月1日

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所 

 

 

 国際研究フォーラム

『Voice from Mongolia, 2016 vol.27』

 ノロヴバンザドの思い出 その72

 草の根チームウランバートル渡航顛末記

 事務局からお知らせ

 

 国際研究フォーラム

(小長谷 有紀)

                                                                                                                       (人間文化研究機構理事) 

山には雪が降り積もり、人には…

人生を分けてもらうという素敵な仕事

2000 年の夏、私は初めてエジネーを訪問した。そのときには思いもかけなかったことだが、 翌年から総合地球環境学研究所の主催する通称オアシスプロジェクトが始まり、翌々年から 本格的にその研究がスタートしたので、私は足かけ7年、この地を何度も訪問することとな った。

モンゴル高原は広く、求められる知の領域もまた広いので、あちこちをさまざまな目的で 訪れることが多かった私にとって、同じところをこれほど何度も訪問して調査することはお よそ初めての経験となった。

現地でお会いした人はおそらく 80 人を越えただろうし、70 歳以上で話をすることのでき るお年寄りとはほとんどすべてお会いしたのではないかと思う。それほど集積的に対話がで きたのはプロジェクト型の研究のおかげである。一過性の強い通過型の調査ではなく、長期 的なモニタリング型の調査が実施されているがゆえに、そのあいだに私は現地からたくさん の人生を分けてもらうという幸いな経験を積むことができた。

お年寄りのなかでも、もっぱらおばあさんたちに焦点をあててインタビューを行い、テキ ストを作成し、それを邦訳するという仕事をした。その成果は『オーラルヒストリー;エジネ ーに生きた母たち』(オアシス研究会報告別冊 2007 年 3 月刊行)にまとめられているので、 ぜひご一読いただきたい。

だから私はインフォーマントと呼ばない

一般に、こうした語りはその内容から「ライフヒストリー」と呼ばれる。語りはそもそも歴 史のすべてではなく、いくつかの事象を選んで再構成する物語であるから「ライフストーリ ー」と呼ばれることもある。

1920年代あるいは30年代生まれの彼女たちは、子どものころに社会主義革命を体験し、壮 年期に文化大革命を経験し、現在は飛躍的な経済発展を目の当たりにしている。人生の途上 で彼らが得たものは多いが、失ったものも大きい。例えば、文化大革命という社会変動は人倫 への信頼を破壊した。一方、開発という社会変容は、砂漠を潤してきた水環境をいまなお圧倒 的な力で破壊しつつある。そうした破壊現象はつとに有名であり、それゆえにこちらが求めている調査事項なのである。 ただし、本当に大切なことはそうした事項に関する情報収集の外側にある、と私は思う。だ

から私は彼らを「インフォーマント」とは呼ばない。私の知らない時空を、自ら生きた人のナ マのことばで分けてもらうというのは、たいそうぜいたくなことであって、一緒に泣いたり 笑ったりする時間があることは至福であり、だからこそ、その共有によって、問答の向こう側 に、彼らの生きざまや社会のありようが見えてくる。

彼らの人生を数行の「あらすじ」にしてしまったら、概略を理解することはできても、真実 には到達しない。彼らの人生から必要事項だけを「抜書き」してしまったら、論文は書けて も、社会を描くことはできない。映画のあらすじを読んで知ったからと言って、それを観たと は言えないように・・・。多くの真実や発見は、語りのなかの「細部」にこそ宿っている。

フィールドワークの醍醐味

現場の時空を体感し、あるいはまた現地の人とともにそれを共有することによって初めて、細 部に真実を見出しうる・・・そんなフィールドワークの醍醐味は、けだし、すべての学問領域に共 通しているのではないだろうか。

アイスコアを引き抜くためにわざわざ分析者が赴くのは現場に行くことの幸せがそもそもある からに違いない。文書をこつこつと読み続けるのはその細部に真実があることを知っているから であるはずだ。

語りのすべてを味わうという手法はそれらに似ている。きわめて古典的な手法でありながら、 実は誰にでもそう簡単に真似のできることではなく、つねに新しい知の地平線でもある。

エジネーでは老いた女性たちが好んで、「山に雪が降り積もり、人に齢が降り積もる」という諺 を用いていた。それは老醜の悲哀を語る定型句である。けれども、山に雪は美しいことを私たちは 知っている。だから人についてもまた何が大切かはわかるだろう。

「はじめに」

ユムさんは未年生まれの七十三歳。から始めます。

紙面の都合で177号から、

内モンゴルの(おばあさんばかり24人分)聞き取り調査の中から何人かのものをモピ通信で 何回かに分けてご案内します。

これらはネット上に掲載されています。みんぱく HP からダウンロードしてもご覧いただけま す。

ダウンロード数があるほうがいいので、是非ダウンロードしてご覧ください。(小長谷)

 

 

 『Voice from Mongolia, 2016 vol.27』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「モンゴル人は、外国へ行くと一生懸命働くんだ。自分も6年間韓国で働いて帰国後にビジ ネスを始めたが、一度は発展した国に出たほうがいい」

――― 貿易会社経営者(43)ウランバートル在住

教壇に立つと、若者たちの真っ直ぐな眼、眼、眼が、一斉にこっちに向けられた。口の中が 乾いて、うまく話せなくて焦る…。彼ら、彼女らの熱い視線の先にあるのは、まだ見ぬ国、日 本だ。長い夏休みが終わり、学校に賑わいが戻った9月初めのウランバートルで、技能実習生 として来日するモンゴル人のための日本語学習センターにおじゃました。

センターを運営するのは、以前この欄でもご紹介した大相撲の元十両城ノ龍のオトゴー(小 林光星)さん。すっかりビジネスマンらしくなったが人懐っこい笑顔は変わらない。モンゴル 側にとっては、人材育成と高収入の雇用、日本側にとっては労働力確保を担う外国人技能実 習制度を活用した実習生の送り出しを行う会社の経営者として、両国を行き来する毎日を送る。 教室の入り口に、モンゴル語と日本語併記でセンターの規則が張り出されていた。「時間を守 る」「大きな声で挨拶する」、これは日本社会でやって行くための基本だろう。「1分でも遅刻 した者はその授業を立って受ける」「宿題を忘れたら、いすを持ち上げて授業を受ける」、おー そこまで…。「とにかく日本人の仕事に対する姿勢、真面目さを学んでほしい」という、オト ゴーさんの思いが伝わって来る。 この日センターで会った約30人は今後、関東など各地の建設会社、食品加工会社などで、最 長で 3 年間にわたり、働きながら学ぶことが決まっているという。技能実習制度については、 言葉の壁や転職ができない実習生の立場の弱さもあって、待遇面等で問題が指摘されている が、私の住む北海道でも中国、ベトナムに続いてモンゴル人実習生が、労働力不足に悩む水産 加工・農業などの現場に入り始めている。酪農・畜産関係からも期待の声が聞こえて来る。

モンゴル滞在中に現地で見たテレビ番組では、モンゴルの学校と提携した日本国内の日本語 学校の関係者が「オリンピック前で仕事があるが少子高齢化で労働者不足。今がチャンス。日 本語を学べば、日本で雇用の道が開ける」と呼び掛けていた。長引く不況に物価高、月給が5 万円以下の人も少なくない同国において、日本への「出稼ぎ」は千載一遇の機会だろう。一方 で日本への留学者が人口比世界一なのだから、語学が多少できたところで日本企業に就職で きるとは思えないのだが…。

ひとりの生徒さんから質問。「これまでモンゴル人と接して困ったことはあるか」。私の答え は「予定を急に変更しないこと、は大事かも。日本では多くのことが計画に沿って進むから」。 急な変更は「他者(ひと)に迷惑がかかる」。これこそ、最も日本人が忌み嫌うことである。自 分のことを棚に上げ、偉そうに解説してしまった。モンゴルにも「水(オス)を飲んだら、習慣 (ヨス)にしたがう」(郷に入っては郷にしたがえ)という諺があるが日本の職場においては日 本人のようにふるまったほうが受け入れられやすい、と思う。

帰国の朝、仕事を遅出にして空港で見送ってくれたモンゴルの親友の言葉が今も耳に残る。 「事前に『泊めてくれる?』なんて 聞かなくていい。空港について『迎 えに来て』って電話くれたら、すぐ 行くから」。私の伝えた日本と、天と 地ほどの差がある。草原のような大らかさと、友達への義理堅さが常識。 そんな国からやって来る彼らは、私 たちを冷淡だと感じるだろうか。 家族の期待を背負い、日本人があま りやりたがらない仕事の現場で頑 張ろうとする彼らが、日本の良いと ころを学び、懐もしっかり温めて、 元気に家族の元に帰れますように。 あ、「地震のときは、机の下に入って 頭を守る」、大事なこと言い忘れた!

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(写真説明) TUSHIG TSUYOSHI 日本語学習センターにて

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「今月の気になる記事」

GDP(国内総生産)の2割近い財政赤字が明らかになった(英フィナンシャルタイム

ズ紙、8 月 26 日付)モンゴル国の新政権。初の外遊先に選んだ日本への期待は大きい。首脳会談では、来年の国交樹立45周年に向け、新たな政治・経済の支援計画を検討することで 合意したというが、来年3月に、大量に発行した巨額の国債の償還が始まるモンゴル側にと ってはまさに待ったなし。北朝鮮問題その他で協力してほしいなどの期待を込めて、私たち の税金でなされる援助だが、もらうことに慣れた受け手側からも、額に見合った効果が出て いないことが指摘されている。

首相の外遊に何を期待する? (筆者:Ч.ウルオルドフ)

Ж.エルデネバト首相が本日より日本を公式訪問する。短い日程中に多くのことを成し遂げ、 経済再建に向けた朗報をもたらすことが期待されている。

訪問日程を見ると、日本の安倍晋三首相との公式協議がある。戦略的パートナーシップを強 化し、新たな条件や方向性が打ち出される。日本の国会の伊達(忠一)参院議長、大島(理森) 衆院議長を表敬訪問する。両国のビジネス連携に向けた「貿易投資フォーラム」に参加する。 モンゴルの経済や投資環境、ビジネスチャンスについて日本の企業関係者や投資家にアピー ルし、情報交換するという構図が見えて来る。

日本はわが国にとって大口の投資国で、厳しい状況のときに寄付や援助で救いの手を差し伸 べたパートナーである。そのため、各政権のトップが度々、困難に際してはそちらへ「駆け込 む」のは恥でもなく、慣習になったと言ってよい。今回の首相訪問についても人々はそのよう に理解して見守っているのも無理からぬことだ。わが国の経済は困窮している。

一方の日本は、わが国に対してフレンドリーに接するが、国政が不安定であることで信頼が 揺らぎかねないような出来事も後をたたない。例えば、タバントルゴイ鉱床についての対応 は第3の隣国にとって詐欺まがいの苦い経験となった。昨年、首相が日本へ行き、戦略的パー トナーシップ協定に署名して来るか否か、国会議長が行くべきかで揉めて、噂や疑念が巻き 起こった。党内の対立が政治不安との印象を与えて、モンゴル政界の信用を失墜させるとレ ポーターや有識者が当時話していた。今回は、国会が一党独占の状態であるので、全権を持っ ているので、いかなる合意や協定も結べるし、実行できるとの信頼感はあるだろう。

日本がわが国のどのような分野に投資して来たかを調べてみると、鉱物資源開発だけでなく、 教育分野に重点が置かれて来た。JICAのプロジェクトとしてモンゴル国内に百あまりの 義務教育学校の校舎を建設してもらった。この巨額の投資の継続を取り付ける責務が、現在 の首相に求められている。

教育の次には保健・医療分野で、診断機器の整備については日本の協力によって進められて 来た。サイハンビレグ前首相の任期に、1300 億トゥグリクの無償資金協力により、国立医療 教育大学総合病院の建設が始まり、昨年春にテープカットされた。 しかしながら、わが国は日本の高度に発展した技術・施設を提供されても活用し切れずに終 わるという欠点がある。一例を挙げると、日本の資金提供でダルハンに建設された金属工場 がある。高度な設備が持ち込まれ整備されるが、そこで業務に従事する人材の育成が追い付 かず、解体され、どうにもならなくなるのである。最終的には巨額を投じて建設された工場や 施設、サービス拠点が、企業の持ち物となるという例は数多い。この問題に取り組み、ただ経 済の協定だけを話し合うのではなく、各分野の専門技術者をいかに育成するかという点にも 首相は念頭に置いて話をする必要があろう。

最後に、首相の日本訪問に国民が期待することは、経済再建の特効薬、それだけである。 『ゾーニー・メデー』紙より

―2016年10月12日 政治ニュースサイト POLIT.MN より http://www.polit.mn/content/84271.htm (原文・モンゴル語)

(記事セレクト&日本語訳:小林志歩)

 

 

 ノロヴバンザドの思い出 その 72

(梶浦 靖子)

関係者らと疎遠に

そのような演奏活動は自分の楽しみでやっていたが、モンゴル音楽を紹介したいためでもあっ た。帰国してから毎年、ノロヴバンザドの日本公演を手伝うことで、モンゴル音楽紹介、宣伝の 活動はできていた。しかしそれも年に1、2度だけのことであるから、もっと宣伝の機会を増や したかったのだ。そして帰国後3年目あたりから、主宰者から呼ばれなくなり、コンサート手伝 いの仕事も得られなくなっていった。日本に到着したノロヴバンザドから個人的に電話をもらっ て初めて、来日公演のことを知るようになっていった。

それで、コンサートの運営には参加できなくとも舞台を見たり、ノロヴバンザドと面会するこ とはできた。しかしやがてそれもなくなり、ノロヴバンザドの来日をまったく知らないまま日が 過ぎるようになっていった。

理由はわからないが思い当たることはあった。モンゴル国留学経験者の間で、モンゴル語通訳 者のネットワークが形成されつつあったようで、通訳の仕事をした場合の日当の相場など、話し 合われていたようだった。その中の知人から私に対しても、通訳をする際は一日当たり最低いく ら以上の報酬を要求するようにしてほしいと話があった。あまり安い額で仕事をされると他の者 の報酬にも影響するということだった。

そうなのかと思っていたところに、モンゴル音楽のコンサートを何度か主催していた人物から 電話があった。まもなくノロヴバンザドらが、その人物とは別の主催で来日公演をすることにな っていたが、そのコンサートを客として観に行くので私も連れていってあげようと言うのだっ た。公演後にノロヴバンザドとも会わせてあげるから、と言った。

とても良い話のようだが、なぜそんなことをしてくれるのかという気もした。そこで、あれ? と思いついて、それは私を通訳として連れていくということですか?と尋ねてみた。先方は、通 訳をしてもらう場面もあるかもしれないけれど、と言葉をにごした。どうやらノロヴバンザドに 会って、今度はぜひうちの主催で公演をと交渉するのが目的らしかった。

それだと完全に通訳の仕事の依頼ということになる。知人の申し入れのことがあったので、そ ういうことなら通訳としての報酬をいただかなければ困る、そうしなければ知人から責められて しまうし、と話をした。すると先方は、そうか、もういい、と言って電話を切ってしまったのだ った。

もしも先方が初めから正直に、ちょっとした通訳を頼みたいのだけど、と言ってくれたら、違 った話し方ができたかもしれない。特に報酬は用意できないが、コンサートのチケット代をもつ ということで頼めないか?ノロヴさんともし会って話が場合に、ちょっと訳してもらうだけでい いから等々といってくれれば、知り合いのよしみで、コンサート鑑賞がメインということにでき たかもしれない。それが、本来の目的を隠して、コンサートに連れていってあげようと言うので は、まるで子供をだますようなやり方に見える。それが何とも情けなく、後味の悪いことだっ た。

おそらくそのせいで、以後その人からは連絡をもらうことはなく、コンサートの手伝いをする 機会もなくなった。その翌年、その人ら主催のノロヴバンザドのコンサートが行われたが、そこ の通訳その他として参画していたのは、申し入れをしてきた知人であった。具体的に、どのよう な経緯があってそうなったかは知らない。ただ、世の中とは、とあれこれ考え込まざるを得ない 出来事ではあった。

(つづく)

 

 

 草の根チームウランバートル渡航顛末記

(梅村 浄)

私が所属している NPO ニンジンは 2003 年から、毎年、モンゴルの障害児に車椅子を贈る 活動をしてきました。昨年秋から JICA 草の根技術協力支援事業に応募して「モンゴル障害児 療育・教育支援及び療育関係者育成事業」の準備を進めていました。私がプロジェクトリーダ ーとなり、理学療法士、作業療法士、教師、経理を担当するメンバーがいます。9 月 1 日に JICA との契約が成立し、11 日から 25 日までウランバートルに行ってきました。娘の涼も介 護者と一緒に参加しました。

<キックオフミーティング>

13 日には、障害児親の会と共催でキックオフミーティングを開きました。モンゴルと日本 は、飛行機で 5 時間あまり、何しろ遠く離れています。私たちはウランバートルに着いたば かりで、どんな集まりができるのか不安でしたが、通訳と一緒にお母さん、お父さん達がしっ かり準備していてくれました。舞台の後を飾るバナー作成もバッチリです。

モンゴル日本文化センターのホールに、親たちが立ち上げた 2 つの療育グループ、ゲゲー レンとサインナイズの親子を中心に、100 人余りの関係者が集まり、オルティンドー(長唄) と馬頭琴の演奏を聴きながらの開会でした。

草の根チームからは今後 3 年間にわたって、療育グループの子どもと保護者に療育と教育 のやり方を修得してもらい、理学療法士、保育士、教師、家庭医など療育関係者をセミナーと 実習を通じて育てていく事業のあらましを伝えました。

カウンターパートのひとつである障害児親の会のセレンゲさんは、「魚をくれるのではなく、 どうやって魚をとるかを教えてくれる支援」を歓迎するという話をされました。建物と設備 を寄付する支援ではなく、障害のある子ども達をどう育てればいいのかに寄り添って行くニ ンジンの事業が目指すところをしっかり受けとめてもらったと、力強く感じました。

JICA モンゴル事務所長を始め、カウンターパートである労働・社会保障省の担当局長から も挨拶を頂きました。また、JICA モンゴルが実施中のモンゴル障害児教育推進事業(START) とウランバートル市における障害者社会参加促進事業のスタッフも参加して、今後の協力を 確認しあいました。

ボランティアで参加してくれた子ども劇場のメンバーが、子ども達ばかりでなく、会場の 全員を巻込む歌とダンスで会場を盛り上げてくれた後、ゲゲーレンとサインナイズの代表か ら「共に事業を進めて行こう」との挨拶があり、グループの子供たちから歌が披露されまし た。素敵な滑り出しでした。

<ゲゲーレンとサインナイズでの活動>

14 日から 21 日まで、休みをはさんで3日間ずつ、チンゲルティ区にあるゲゲーレンと、バ ヤンゾルフ区にあるサインナイズに行きました。数年前に親たちが集まって保育活動(ゲゲ ーレン)や、近隣の中学生も参加して、一緒にスポーツやキャンプ、絵画、劇活動(サインナ イズ)をしているグループです。

まず、あわせて 30 人余りの子どもの診察、療育評価、教育評価を行いました。次の日には、 それぞれの子どもについて、医療的アドバイスと療育、教育の方針を保護者につたえました。 3日目には脳性麻痺の子ども達にグループ療育、食事指導を行いました。熱心なお母さん達 の質問があり、家で行うだけではなく、定期的に集まって一緒に療育活動を行うことになり ました。教育は一人一人に違う課題を準備し、モンゴル語に翻訳したテキストを 10 月中に届 けて、家庭や療育グループに来た時に、取り組むことになりました。算数の問題が解けて、先 生から花マルをもらうと、にっこり笑顔がこぼれる子ども達でした。

ウランバートルの本屋に行って、50 冊余りの絵本を買いました。草の根の現地補助員をし ている通訳にこの絵本を託して、2 グループの間を巡回させ、定期的に読みきかせをしてもら うようにお願いしました。子ども達によい絵本を紹介する機会にしたいと、快く引き受けて くれました。

夜間の気温が-30°Cに下がる冬の間、子ども達が集まる場所を維持するには、暖房の問題が あります。10 月 5 日にゲゲーレンは、チンゲルティ区の家庭病院の古い建物を改修して、新 たにオープンし、役所から暖房費用が出されることになりました。他の NGO から看板や、備 品の寄付を受けています。

サインナイズは発足当初から、教会の建物を借りています。リーダーをしている夫妻がク リスチャンで、脳性麻痺の我が子のために教員を辞めて、この活動を始められました。もし、 教会が暖房にかかる費用を工面できなければ、敷地内の広い庭にゲルを建てて石炭ストーブ を焚き、冬場の療育・教育を続けることにしたそうです。

様々な人々からの様々な援助があり、子どもと保護者達は冬の活動が続けて行けそうだと、 私たちも一安心しました。

<関係機関との連携>

9月12日と23日には、関係部署を訪問しました。国立リハビリテーションセンター、第10 幼稚園・治療保育園では、次回渡航時から始める療育セミナー、家庭医セミナーの打ち合わせ を行いました。親たちだけに我が子のリハビリと教育を教えても、その技術を普遍化してモ ンゴル全体の障害児を育てていくのは理学療法士(モンゴルではすでに健康医科大学にコー スがあり卒業生が巣立っています)や保育士、教師達です。また、モンゴルでは社会主義の時 代から、地域を担当する家庭病院が住民の健康管理を担っています。最初に相談を受ける家 庭医が障害について理解を深めて、療育の必要性を納得してもらうことが必要です。

政府機関である労働社会保障省、保健省訪問では、ニンジン草の根の事業内容を紹介しま した。両省の担当者からは「今後モンゴルが、中国とアジア開発銀行の援助で、全国に建てる 療育センターの療育・教育指導のモデルとして、参考にしたい」という考え方を示されまし た。

JICA モンゴル事務所、JICA 障害児教育促進事業(START)事務所、JICA 障害者の社会参加 促進事業事務所の訪問では、お互いに協力しながらモンゴルの障害児・者の療育、教育、社会 参加を進めて行こうと意志確認をしました。

24 日には親の会本部事務所で、会長さん、両グループのリーダー達と今後の活動について 打ち合わせを行いました。療育・教育活動をしていくと、ここはどうやったら良いのか、疑問 に思うことがたくさん出て来るでしょう。2 グループで定期的に親の集いを開いてもらい、そ の時に日本と Skype 会議をしようという提案をしました。

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便利なツールができた ものです。すでに7月に第 1 回目を実施して、顔をみ ながらの会話を経験ずみ でした。11 月には時間を ずらせて 2 グループの保 護者達と、次の機会には親 の会本部に集まってもら ったリーダー達と、Skype 会議を開く約束が出来ま した。

盛りだくさんの 2 週間 でしたが、2 日間の休みに は乗馬、郊外への観光を楽 しむことができ、チームの誰もが、大きく体調をこわすこともなく、和気あいあいと活動できました。スタッフに日本語 が通じ、和食レストランがあるホテル環境もよかったかもしれません。

今年はいつになくウランバートルは暖かく、雨が多かったのですが、2 週間のうちに木立が 黄葉して、季節は冬に向かっていました。子ども達が風邪をひかずに、この冬を乗り切ってく れるよう祈りつつ、帰りの飛行機にのりました。

(2016.10.9)

 

 

 事務局からお知らせ

毎年 11 月に開催されていたモンゴル秋祭りについて、会員味方慎一さんからの報告で す。

モンゴルの秋祭りの日程と会場が決まりました。

2016 年9月 23 日 第一回 NAMARIN BAYAR 実行委員会 みんなでつくる秋祭り・・

スタートさせました。

今回はモンゴル人達が主体となって催しを企画実行していく。領事館は後援として位置づ ける。催しとしての費用はほとんどなく、参加する団体の手弁当的 持ち寄りイベントの 性格が強い。

1)日時と場所
開催日 11月27日(日)10:30-15:00

11 月 26 日(土)は、モンゴルの独立記念日ですが、この日は京都の大谷大 学で日本モンゴル学会が開催されているので、2日続けてモンゴル week end を活かしましょう。

開催場所 大阪市西区 靭公園東園 グランド、散歩道が主要当初隣接する科学技術 センターのホールや厨房などをお借りする計画でしたが NG になりまし た。

今回、準備期間は2ヶ月しかなく。来年に向けてのきっかけづくり催しに考えた方が いいでしょう。地域との繋がりとか、手続きを通じてとか。

今年度のモンゴル秋祭りに、モピは参加いたしませんがお近くにお住いみなさま、どうぞ ご参集ください。

(斉藤生々)

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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

事務所
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
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MoPI通信編集責任者 斉藤 生々

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