■NO 186号 モピ通信

■NO 186号 2017年10月1日

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所 

 

  Voice from mongolia,2017 vol37

  ノロヴバンザトの思い出 その79

  事務局から・ご案内

  モンゴル学習支援事業&奈良学園

  写真

  2017年会費未納の方にお願い

 

『Voice from Mongolia, 2017 vol.37』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)


「町に行きたがる同世代の友人は多いけれど、私は地元にいたい。生まれ育ったここで、小 さくても自分の店を切り盛りするのが夢だったの」―ナンディア(26 歳)

トゥブ県在住 農産物直売所運営担当者

9 月 12 日、首都から北へ 100 キロのトゥブ県ボルノール村(ソム)に、地元農業者の野菜 を販売する、小さな農産物直売所がオープンした。ダルハンへ向かう幹線道路沿い、近年人 気の行楽地アグラグブテール寺院へ向かう曲がり角。「ボルノール 新鮮食品」とのグリーン の看板には日の丸。

そして小さな文字だが「From people of JAPAN」(日本の人々より)と添 えられている。私の住む北海道・十勝発、農業者の所得向上を目指すJICA草の

根技術協 力事業でこの夏、建設された。

都市に住んでいる方には、農産物直売所と言われても馴染みが薄いかも知れない。道の駅 などで、地域の農家が作った野菜や果物を売っている、あれ。

生産者の写真や名前入りの値 札シールを貼り、スーパーで見かけない野菜には「こうやって食べるとおいしいよ」という レシピが書き添えられていたりする。新鮮な野菜が安く買える、また野菜を品定めして買う 楽しさから、日本中に 1 万 7 千か所(2010 年)以上あり、各地でにぎわっている。

日本では農家が作った野菜は農協を通じて流通、つまり販売されるが、モンゴルでは、収 穫物を売るのは農家の大きな負担。価格も天候や時期で大きく変動する。スーパーや店など と契約できれば良いが、安値でもチェンジと呼ばれる仲買人に一括販売せざるを得ない現状 がある。

十勝を視察した現地の農家が「これ地元でもできたら」とつぶやいたところから、プロジ ェクトが動き出して 3 年。野菜の売上は個々の農家に入るが、そこから定率の手数料を取っ て直売所の運営コストにあてるという、農業者が積み上げてきたノウハウを、農業の盛んな 十勝から、モンゴルの生産現場へ。個々の農家が首都に野菜を運んで売りさばく現状から、 共同で出荷し、特産品開発するなど、効率化や協力体制の起爆剤への期待もある。農業振興 に取り組むモンゴル政府も注目し始めた。

村長が直売所のマネージャー候補として選んだのは、 以前この場所で小さい売店を経営していたナンディア。 6 月中旬から 8 月初めまで、まだ幼い 2 人の子どもをソ ム役場職員の夫に任せて来日し、十勝の直売所や観光施 設のカフェなどで運営の実際を学んだ。「学ぶことがい っぱいある」と口癖のように繰り返した。最も大変だっ たのは、販売計画づくり。売る値段も量もわからない時 点で、計画を立てるのに何の意味があるのか、理解する のが難しかった。播かぬ種は生えぬ、の農耕民族の私た ちには「計画を建てる意味がわからない」のが理解でき ない。文化の違いは興味深いが、納得いかないまま作業 する当事者のストレスは小さくなかっただろう。帰国後 の1か月、地元のベテラン農家に直売所とは何かを説明 することに始まり、備品や消耗品の手配に奔走した。

「何があっても、私は直売所をしっかり運営していく から」。開店の日、店内の売り棚に野菜が続々と運び込 まれた。ネギ、ズッキーニ、ナス、カリフラワー、スイ カ、農家のお母さんが自宅で加工したキュウリのピクルスやレッドビーツのサラダの瓶詰…。 干ばつに泣かされた今夏、労を惜しまず水やりをしただろう農家さんも今日は笑顔だ。

十勝での研修先のひとつ、海辺の町・浦幌町に、会員農家 9 人で運営する小さな直売所が ある。そこで出会った農家さんのひとことが忘れられない。「自分の収入のうち、ここでの販 売から得る収入は5%。でも残りの 95%を得るために働く意欲は、ここから得ている」。

冬季の営業については売上次第ということで未定だが、来春には、和のテイストも取り入 れた軽食を出すイートインも設置される予定。ダルハン方面に向かう際または首都へお戻り の際にぜひお立ち寄りください。

Борнуур эрүүл хүнс борлуулах цэг

ボルノール新鮮食品 農産物直売所

営業時間 10:00-20:00 電話 (+976)99634516 (モンゴル語のみ)

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「今月の気になる記事」 大統領選挙から早2か月、早くも木々が色づき、実りの秋を迎えたモンゴル。人気取りの掛 け声にとどまらない、実行力に期待したいです。同国政府によると、100%国内で自給達 成しているジャガイモに続き、野菜についても現在45-50%程度という自給率を、20 20年までに100%にすることが目標だそうです。

国民の健康を守るための勧告 (筆者:T.サイハン)

 

X.バトトルガ大統領の声掛けによる「食の安全を守る国民会議」が昨日、政府庁舎で開 催された。会議には、食品業者、政府関係者、NGO、21の県から駆けつけた農場経営 者、牧民、農家、医師、研究者らの代表が参加した。

大統領は会議の冒頭で「2010年に刷新されたモンゴル国民危機管理の方針において、 食の安全に関する問題は重要事項と位置付けられた。食の安全は長く議論されているが、 何も決まらず、国民は聞き飽きて辟易しつつある。スローガンや声明はもういいから、実 効性ある決定を下したい。輸入される食品は、安全基準を満たしていない。そこからあれ これの病気や死、別離などが取り沙汰されて来た。最近では、食の安全はお偉方の使い回 した言葉遊びのごとく理解されているようだ」と述べた。また「政治が国内の生産者を守

らなければ、マーケットは彼らを守ってはくれない。だから積極的に、先見の明をもって 議論し、みなの意見を聞いて、政府に決定を出させる必要がある」とも話した。国民会議 には8月、食肉、食肉加工品、ジャガイモ、野菜、乳、乳製品とテーマ別の委員会が組織 された。

食の安全を考える会議では、国内生産または外国から輸入される食品のうちどこまでを 対象にするかを議論した。2017年時点で、輸出は食肉15万トンまで出せるはずが、 上半期でざっと700万トン(※訳注 7千トンの誤記か)だった。輸出が伸びないのは 家畜衛生の問題が背景と、食肉組合の専門家が結論づけた。首都郊外で口蹄疫が発生、こ れまで発生していなかった疾病も確認され、国際的にモンゴルの評判が下がり続けている。 国際的に「ファームから食卓まで」との掛け声で、食品衛生が重視されている中でのこと だ。食肉衛生の問題を重点的に扱うべき、とムンフザヤは強調した。

牛乳生産については、増産が可能なので、輸入を禁止すべきと言う人々が少なくない。 しかし、エンフビレグは、輸入禁止または制限よりも、安全基準を明確化するのが正しい という立場だった。さらに、牛乳についての方針を決める委員会を立ち上げ、「昼の牛乳 プログラム」を実施し、政府による買い取り量をさらに増やすなどの方法で、国内生産者 を支援することが提案された。

このように畜産、食品生産分野において、経済的な支援が必要であると多くの人が話し た。食品工場の多くが、生産能力の限界までフル稼働できていないのはひとえに資金不足、 流動資産が不在であるためという。会議での議論や決定を、大統領から政府に伝えて、協 力して推進させるということだ。

―2017年9月13日 政治ニュースサイト POLIT.MN http://www.polit.mn/content/read/148081.htm (原文・モンゴル語)

(記事セレクト&日本語訳:小林志歩)

ノロヴバンザトの思い出 その79

(梶浦 靖子)

民族を主張する音楽

前述のような西洋音楽に対し、世界の諸民族の伝統音楽の多くは、個々の民族の存在や アイデンティティーを主張しアピールする性質があると思うのだ。いわば民族の民族による 民族のための音楽とでもいえるような、民族という枠組みが強調される音楽であると思う。 それらの音楽は、少なくとも民族め枠組みを超えることが想定されていないか、超えた実例 があまり見られない。古代中国の音楽の楽器や音楽理論は日本や朝鮮半島に伝わったが、各 地域で独自な発展を遂げ、それぞれの伝統音楽を形成していった。西洋世界のように音楽や 文化全般を共有してきたとはいえない。

自民族のための音楽であるゆえにこその演奏者もおのずと自民族に限られるのが普通であ る。歴史的に詳しく知ることは難しいが、たとえば現代モンゴルにおいては、伝統音楽の演 者に他民族出身者を登用する例は、ほぼ無いと思われる。歴史的に関わりの多い、口シアや 中国の人間を伝統音楽の歌手や演奏家として受け入れた例などは聞かない。そもそも、中国・ 漢民族に対しての感情的なしこりは根深いものがある。シヤンズやホーチル、ヤトガにヨー チンなどは現在の中国音楽の楽器がそのまま、モンゴル伝統音楽の中で用いられているが、 モンゴル人にとってそれらは、モンゴル帝国の時代に中東世界からもたらされた楽器が、モ ンゴル帝国内の職人によって作り替えられたものという意識があるのかもしれない。

ロシア人に対してはより友好的であるが、社会主義の時代にソビエトによって指導もしく は支配されていたことについてはそれなりの思いがあるようだ。それら強大な異民族に挟まれた中では、自民族の自主独立の意識はより強められ、伝統音楽には自民族の誇りがより強 く投影されることだろう。その演奏者に外国人、異民族の人間を参入させることは考えにくい。

世界に広まる必要性

民族意識が強く、自文化への誇りが高いモンゴル人であるが、彼らの伝統文化に興味を持 ち学ぽうとする外国人をとても親切に受け入れる。私の場合、留学当時のモンゴル政府や大 学諸機関の受入れ態勢が十分ではなかったにもかかわらず、ノロヴバンザドをはじめとする 音楽家や研究者の方々のおかげで、民謡の実技や楽曲の調査など、それなりのことができた。 それは見知らぬ旅人を躊躇なくゲルに招き入れる、遊牧社会に伝わる相互扶助、ホスピタリ ティのお蔭であることは、いくら強調してもしすぎることはない。

民主化と市場経済が浸透していった 20 世紀末以降、「民主化」を「民営化」と思い込んだ かのような新政府の方針のもと、伝統音楽の音楽家たちも国からの給与を頼れなくなり、み ずから稼がなくてはならなくなった。社会主義の時代から、極論すれば有史以来、モンゴル は食料の一部や工業製品の多くは外国からの輸入に頼ってきた。現在、それらの多くはUS ドルなどの外貨でなければ購入できない。誰もが外貨を手に入れなくては生活ができないの だ。伝統音楽の音楽家たちもまた、外貨を得るために諸外国での活動を模索せざるを得なく なった。

そうした状況においで外国人の学習者や愛好家は、モンゴル伝統音楽にとって大きな意味 を持つ。諸外国に聴衆の裾野を拡げ、活動の場を得るうえで外国人の信奉者は欠くことので きない存在と言える j6 モンゴルの楽器や民謡に興味を持ち、実地に学ぶ人々は、教えてくれ たモンゴルの音楽家たちにそうした面で返礼しうるし、またすべきであるだろう。

ただそこで間違ってならないのは、彼らはあくまでモンゴル人によるモンゴルの音楽を世 界に知らしめたいのだということだ。その段階を飛び越えて、諸外国の人々がいきなりモリ ン・ホール奏者、モンゴル民謡歌手になることや、そのように名乗って活動することを望ん でいるわけではない。それは、L ノロヴバンザドやツォグバドラハ、アリオンボルトらモン ゴル人の音楽家と接し、彼らの語る言葉や表情を実際に見聞きして私が強く感じたことである。

私見であるが、現在のところ、「オルティン・ドー歌手」「モンゴル民謡歌手」と名乗りう るのは、モンゴル人の歌手だけだと思う。モリン・ホールは若干異なる状況があるものの、 基本的に同様であろう。この件はまた後述する。私なりに考えるところでは、モンゴル社会 が本当に民謡歌手として認め受け入れたなら、その人をモンゴル国内に住まわせ、あちこち の劇場で歌わせると思う。そうした活動をある程度の年月つみ重ねた実績があれば、「モンゴ ル民謡歌手」のように名乗るに足るのかもしれないと私は考えている。そうでなく実地に学 んだだけであるなら、「学習者」か「学習経験者」であるに過ぎない。

伝統の担い手は自己申告によってなれるものではなく、伝統社会によって選ばれていくも のだ。たまたま自分が習った師一人が「後継者」と認めたことでなりうるものでもない。 モンゴルの伝統音楽の世界で、それこそ日本の大相撲が外国人力士を参入させているような 形で外国人が迎え入れられることはまだまだ先の話だと思う。

はるか遠い未来のいつの日か、出身民族や国籍にかかわらない形で、誰もがモンゴル音楽 の演奏家や歌い手として身を立てうるような時代も、あるいは来るやもしれない。しかし目 下のところは、上に述べたように、モンゴル音楽をモンゴル民族の音楽文化として広く知ら れることを彼らは願っている。また、物事の順序として、まずはそうした時代が来ることが 道理であると私は信じている。

音楽における純モンゴルと準モンゴル

モンゴルの伝統音楽は今や、「民族を主張する音楽」のままで、活動の場面においては民族 を超えようとしているのだと言い換えられるかもしれない。その様子は、[純モンゴル]と「準 モンゴル」という概念を思い起こさせる。これは杉山正明氏が提示した言葉である。氏はモンゴル帝国が人類史上最大の版図を持つまでに拡大した理由の一つとして、モンゴル軍が征 服した土地の民族や、モンゴルに心を寄せる民族や集団を自分たちの「仲間」と認めて結び つき、巨大な民族複合体を形成していったことを指摘した。その一方で、統治者であるハー ンおよび政権のごく中枢部は本来のモンゴルの血統で占めていた。これを純粋なモンゴルつ まり「純モンゴル」と呼び、前述のようにそれにつき従い連合していった者たちをモンゴル に準ずる者、「準モンゴル」と言い表した。

私のような外国人留学生を適切に受入れ、学ばせてくれたノロヴバンザドらの姿勢は、準 モンゴルを受け入れた純モンゴルのやり方に重なって見える。そして、「準モンゴル」と言う べき人々と結び協力して民族による民族の音楽を世界に響かせることを「純モンゴル」は願 っているのだと思う。また、そうすることが音楽を広めるやり方として理にかなっている。 世界諸国の人々が今のところどのくらいモンゴル音楽を知らずにいるのかは、モンゴル以外 の諸外国の人間のほうがよく知っているからである。モンゴル音楽が認知されるための方法 については諸外国の人間の意見、アイディアが不可欠であろう。

私たちのような、モンゴルの伝統音楽を愛好する外国人(モンゴルから見て)は、ひとま ずは自分たちを「準」と自認して、「純」に寄り添い協力し、「純」の奏でる音楽を世界に広 く送り届けることを目指すべきではないかと思う。そうして「純」の名声、威光が輝き世界 に行き渡ったなら、「準」の活動する場もそれなりに出来てくることだろう。

それが、「純」をさしおいて自分ばかりを前面に押し出していくのだとしたら、道義的にも 議論されうるだろうし、その人の美意識が問われることになると思う。

音楽におけるフェアトレード

フェアトレードとは「公平な貿易」という意味であるが、先進諸国によって作りあげられ てきた国際貿易の仕組みは、開発途上国にそのまま適用されると、時に搾取的で貧困を増大 させるなど、アンフェアなことになってしまうという反省から、対話や透明性、敬意を基盤 として、より公平な条件のもとで国際貿易を行うことを目指す概念である。そうした視点が、 モンゴルを含む世界の諸民族の伝統音楽にも必要ではないかと思うのだ。

先に述べたように、西洋音楽はその歴史的経緯や、「民族を超えようとする」潜在的な性質 などがあいまって、世界的に広まるに至った。高名な音楽家の名前や人と成り、演奏の難易 度、演奏の善し悪しといった知識情報までも、程度の差はあれ認知が進んでいる。 そうした中では、アマチュアとプロフェッショナルな音楽家との違いもそれなりに認識され、 どういったレベルの音楽家による演奏会か、理解された上で行われる。

それが、モンゴル音楽のようにまだ詳しく知られていない場合は、聴衆はノロヴバンザド のような名人も、私のような学習経験者も正しく区別してくれないので、モンゴル音楽につ いて間違った理解をさせてしまいかねない。私程度の歌で、これがモンゴルのオルティン・ ドーだと思われては困るのだ。たとえ私がモンゴル人の歌い手と同じかそれ以上に、正しい 発声でオルティン・ドーにふさわしい表現で美しく歌えたとしても、当の伝統社会に認知さ れていなければ意味がない。いや、まずはモンゴル人音楽家がひろくしられるべきなのだ。

オルティン・ドーを広めたいからといって、私が人前で歌う活動をやり過ぎることはけっ してモンゴルのためにはならない。オルティン・ドーは、私のようなポッと出の外国人にも たやすく習得できる歌であるかのように誤解されかねないではないか。そもそも、当のモン ゴル社会がそのようなことを望んでいるとは思えない。聴衆の「知らなさ」に付け入るよう なことは断じて慎むべきだろう。

そしてまた情報を発信するにも、言葉も通じ文化的背景や社会通念の細かなニュアンスも 共有されている自国において行うのと、そうでない外国に向けて行うのとではどうしても前 者ばかりが有利となる。日本では 70、80 年も前に自国でのレコード産業が始まっており、30 年近く前には一般の人間でもCDを自主制作できるような機械設備が現れた。モンゴル国で も近年ようやくCDの録音、制作ができるようになったばかりである。それまでは、旧ソビ エト、ヨーロッパの数力国、そして日本などのレコード会社により、音源を買い取られて、 CDを発売されていた。 CDの売上げが何枚になろうと音楽家には還元されない方式だった。

そうした中で、実地に習ってきたというだけの私が日本に戻り、モンゴル音楽家やそのC Dを差し置いて、自分が人前で歌い自分のCDを作りそれを売るなどの活動に汲々としてい たなら、なんともアンフェアなことに思えるのだが、どうだろうか。それは自分がモンゴル の音楽家たちの利益を捐ない、利害の対立する存在になってしまうことにほかならない。そ れはあってはならないことだろう。少なくとも私はそんなことはしたくない。

西洋音楽の作りあげてきたシステムを、西洋以外の音楽にそのまま適用したなら、実に不 公正なことになるというわけだ。自由競争、音楽は自由、などという言葉はこの場合、横暴 な意味しか持たない。

西洋音楽やそれにルーツを持つジャズやポピュラー音楽以外の、世界の諸民族の音楽に関 わりを持つ際は、フェアトレードの概念を持つことが必要なのだと思う。 trade は貿易の意 味だから、もっと音楽や文化における交流という意味で、exchange や intercourse もしくは friendship、partnership などの語のほうがふさわしいかもしれない。

モンゴル音楽に興味を持ち、これから楽器や歌を習ってみたいと思う人はぜひこのことを 念頭に置いてもらいたい。モンゴル音楽がより広く知られるために自分に成しうることを考 え、よりフェアな形でモンゴル音楽と向き合う方法をぜひ考えつつ進んでくれればと願う。

(つづく)

ロッサビ、モリス『現代モンゴル一一迷走するグローバリゼーション』、小長谷有紀監訳、小林志歩訳、明石書店、2007 年。

杉山正明「モンゴル帝国の興亡亅上・下巻、講談社、1996 年。

杉山正明「遊牧民から見た世界史亅、日本経済新聞社、1997 年。

 

 

事務局から・ご案内

2017年10月15日

アジャ・リンポチェ自伝出版記念講演会のご案内

会 場 清風学園ラカンホール 中央館1階

参加費 2000円(昼食弁当付き) 申込み osaka@arpc8.net

(住所、氏名、電話番号、参加人数)

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2014年モンゴル国ウランバートル市に子ども白 血病ガン病院を設立して、その運営及び慈善事業を行 っており著書の売上げは、この病院に寄付されること になっています。

(2013年6月17日/アジャリンポチェと)

ベット・モンゴル仏教文化センター大阪支部で今 回の後援会を担当されている石井菜倫さんは、モピ会 員のお一人です。信仰とは別に今回の趣旨に賛同し、 モピはホームページにチラシを掲載し、出版される自叙伝の販売に協力しています。

自叙伝20冊をモピで購入する予定です。みなさまのご協力をお願い申し上げます。

ご希望の方は、モピまでお申し込み下さい。詳細は、分かり次第お知らせいたします。

(事務局)

 

モンゴル学習支援事業&奈良学園小学校

~2 年生の子どもたちから~

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2017年度モピ年会費未納の方にお願い

秋のお彼岸が過ぎ、2017年度後半が始まります。みなさま、平素モピ活動にご協力く ださいましてありがとうございます。モピ年会費まだの方にお願いです。

世間一般だそうですが、モピも年々会員の減少が止まることのない実情の中、モピとして 出来うる活動をこつこつと続けていますが助成の申請もままならず、といった苦しい状態が 続いています。

高い評価を受けている学習支援事業を軸にモピ活動が継続していけますようどうぞご支援 賜りますようよろしくお願いもう上げます。

振込み先
郵便振替 口座番号 00940-6-84135 加入者名 モンゴルパートナーシップ研究所

銀行振込 三菱東京UFJ銀行谷町支店
口座番号 普通 5096982
口座名義 トクヒ) モンゴルパートナーシップケンキュウショ

(事務局 斉藤 生々)

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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

事務所
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
tel&fax 075-201-6430

e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp

MoPI通信編集責任者 斉藤 生々

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