■NO 198号 2018年10月1日
編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所
『Voice from Mongolia, 2018 vol.47』
ノロヴバンザトの思い出 その90
モンゴル旅行記(トナカイに出会い旅)
事務局からお知らせとお願い
『Voice from Mongolia, 2018 vol.47』
(会員 小林志歩=フリーランスライター)
「モンゴル人だから、停電には慣れています。ガスも、
水も出ていたし、大丈夫だった」 ―――モンゴル人留学生
9月6日午前3時過ぎ、ベッドの上でグラリと来て目が覚めた。厚真町で最大震度7を記録 した北海道胆振東部地震。私の住む十勝では震度 3~4 で、揺れによる被害は聞かれなかった が、その後道内全域で起こった大停電には驚くとともに、考えさせられた。
その日は朝から出かける予定があり、信号がすべて消えた街を車でそろそろと走った。交 差点では慎重に、譲り合って。車の、煙草の点火装置から電源を取る機器を夫が持って来て くれて、携帯電話の充電やノートパソコンが使えるとわかると、心底ほっとした。いかに、 電気とインターネットに依存しているかを実感した。
子どもたちは学校の臨時休校に大喜び。真っ暗な夜、キャンプ用のランタンの下でトラン プをして過ごした。「明日もしようね」との子どもたちの願いむなしく、翌日夕方電気が戻っ た。
冬でなくて良かった!電気でファンを回す灯油ヒーター暖房のわが家では、車に逃げ込む しかなかっただろう。ガス欠の前に、郊外で薪ストーブのある義母宅へ避難するしかなかっ た(しかし、田舎暮らしの義母宅は、地下からポンプで水を汲み上げるシステムを使用して おり、停電イコール断水ということが今回判明した)。
時々出かけるモンゴルでは、最近でも停電や断水にしばしば出くわす。草原の遊牧民のゲ ルにも太陽光パネルが普及したが、自家発電なら停電という「人災」とは無縁、限られた電 力を必要な分だけ使っている。そもそも近年まで電気がないのが当たり前だった。
今回の地震中、「どうしよう、懐中電池がなくて…。自宅にいたほうが、それとも避難所行 ったほうがいい?」と電話して来たのは、日本在住歴が長いモンゴルの友人だった。携帯電 話やテレビを持たず、固定電話もアナログ回線という友人は「電話が使えて、アナログの良 さを知った」。地震後、まず灯油ストーブを購入したわが家では、月一の自主的「停電の日」 に取り組もうと思う。電気がなくても、なければないで大丈夫、と言えるように。
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「今月の気になる記事」
先月当欄で取り上げた放牧地利用に関する法案について、推進側から内容を紹介する。 農地の確保と拡大、農業開発が目的だと見られるが、そうは言っていない。そのうち遊牧は トゥブ県やセレンゲ県など農業地帯では出来なくなり、周縁部に追いやられるのでは、とは 考え過ぎだろうか。秋のモンゴル国会は10月12日に開会、初日の本会議でバトトルガ大統領は「経済に改 善が見られない。2015年に1.9%だったインフレ率が8.8%に、ドル為替レートは1 950トゥグルグ(2016年)から現在2552トゥグルグに。負債も16兆6120億ト ゥグルグ(2015年)から21兆になった」と政府に苦言を呈し、来年度予算案に異議を 唱えたという。放牧地法案は今後議論に入ると見られる。
L.エルデブオチル:モンゴルの遊牧の将来が危うくなっている (筆者:P.ナランデルゲル)
モンゴル国の放牧地活用の現状と調整に関する法律環境改善に向けた国民会議が開催され た。「放牧地をめぐる法律環境の改善」をテーマにした話し合いの場で、国会の自然環境・食 糧・農業委員会のL.エルデブオチル委員長から話を聞いた。
-放牧地についての法案上程を前提にした検討とのことですが、いつ議決されますか。 「モンゴル国の農業セクター、特に放牧地をめぐる問題については、省庁やNGOが協力し て多面的に議論しています。放牧地について最も差し迫った問題は、皆よく理解しています。1994 年以降から議論していますから。とはいえ、今日まで成果につながらなかったことから、 一部の法律で対処していました。国連の農業機関、スイスの援助機関などと共同で実施した 調査の結果を見る限り、先送りすることなく、この問題に対処するほかないという状況です。 この法律を成立させ、放牧地を適正に活用しなければ、モンゴルの放牧による畜産・酪農が 将来立ち行かなくなる恐れさえがあります。そのためこの秋の国会で、政府から放牧地に関 する法案を上程できるようにしたい。もし実現すれば会期中に議論して承認までこぎつける ことも有りうる。もし政府側から上程できなければ、議員提案やその他の法律提案主体から も可能だ。何としても、秋国会でこの法案の議論を実現します」
-牧民の間では、この法律についての理解は様々です。牧民にとってどんな利益があるかに ついて情報を発信していますか?
「牧民にとっては、遊牧による伝統的な畜産が収入源であることを考えれば、今後も長くこ の畜産が持続できるかは非常に重要です。喫緊の課題は、放牧地の劣化です。この対応とし て、家畜の数を制限することを考えています。制限としては経済的要因、一定額を課金して 土地を所有、活用するしくみを議論しています。とはいえ、一定額を課すとなると、牧民た ちは徴収したカネは誰かの懐に入り、消えると考える。「何か隠しごとが?自分たちには何ら 恩恵がない」と言う。この法案は「牧民たちの家畜頭数に応じて集めた資金を、牧民たちに、 自らが企画したことに支出する権限を持ってもらい、ソムなど地方自治体や団体組合の予算 に組み入れる。『今年は血統を改良する』『井戸を掘る』『放牧地を回復する』『牧草を栽培す る』『放牧地の劣化を修復する措置を』などと話し合いで決めた用途に資金を使うことを法案 に盛り込みました。国内の牧民が資金を集めて、必要なことに費やすことができれば、長期 的には畜群を適切に放牧地で養う環境が整う、そのための法律です。この法律に関して、多 くの意見が出て、出来る限り意見を汲んで話し合うことで、法が定められた後に、違反や争 いが噴出するのを未然に防ぐためです。法律が示され、反対派によるデモや集会が相次いだ ら困りますね。牧民の 100%の利害に適う法制は難しい。でも 80-90%の牧民の利害を守り、 賛同が得られる法律を定めるのが目標です。法案は承認されるべきです。時間をかけて調査 をするべきです。政府方針を紹介し、話し合いを重ねて来ました。急ぐことなく、多方面に 恩恵をもたらすものにしたいです」
-牧民が望んでいることは何でしょうか?
「この件において、調査結果は重要です。昨年からかなりの量のアンケートを実施しました。 会議に参加した 68%が放牧地に関する法があった方が良い、としました。課金についても法 律で定めて、集まった資金を牧民たち自身が中心になって支出していくとの方向性で一致し ました。今年 7、8 月に牧民のところへ出かけてアンケートを取りました。牧民自身も放牧地 の劣化について期限を決めて改善しなければ、との意識がある。最近の調査では、牧民の 78% がこのような法律の制定に合意しました。当然、反対の人達もいます。中には強く反対する 人もいます。
私自身、地方へ足を運び、1 万人あまりの人々と会って来たばかりです。放牧地の問題を話 し合いました。会議では『いずれにせよ、土地を個人の所有にしてはならない。放牧地は今 のままであるべきだ。私有を認めて、料金を課したとしたら、新たに独立する牧民世帯はど うなるのか。彼らにどのようにして放牧地や井戸、水を確保させるのか』という争いが生じ る、という意見で一致しました。これについて反対意見を持つ人もいる。でも、この法律は、 大多数の利害やモンゴルの国益にかなう法律にすることが重要です」
-法律が制定されたら、課金等はどのように決められますか?
「家畜の頭数による、地方別に決める、或いは牧民家庭の人の数に一定の頭数を割り当て、 超過した頭数に対して課金する、このうちどれにするか、調査結果を基に決めます。法案審 議の過程でもかなり突っ込んだ話をしています。今はこの法案を国会に上程することが重要 です」
-調査によると、伝統的な5種類の家畜の群れの構成が適切でなくなり、羊とヤギの頭数が 非常に増えて 80%以上になった。その一方で、ラクダは 40 万頭に減ったと聞きます。家畜種 のバランスを適切に保つため、頭数を減らす案が出ています。牧民にとって、家畜を減らせ と言うのは受け入れ難いのでは。どのように進めるのが適切でしょうか。
「家畜の頭数をわれわれがチェックするのは困難です。しかし、牧民がなぜ小型家畜ばかり を殖やしているのかと言えば、流通の問題があります。当然、世帯の収入は増えます。でも 最近はカシミヤの価格が高くなっていますが、それでも牧民がヤギの頭数を減らすべき、放 牧地は厳しい状態です。それより品種や血統を改良することで、1 頭からの収益性を高めるこ とを議論するようになりました。こうした経済的要因も含めて解決をはかることで、5畜の 頭数を適切に持っていけると考えています」(2018 年 9 月 10 日)
ウェブニュースサイト http://newswall.mn/?p=8966
(原文モンゴル語・日本語訳/小林 志歩) ※転載はおことわりいたします。引用の際は、必ず原典をご確認ください
※転載はおことわりいたします。引用の際は、必ず原典をご確認ください
ノロヴバンザトの思い出 その90
(梶浦 靖子)
舞台に上がり込む観客
ノロヴバンザドがこの世を去ってからは、モンゴルやモンゴル音楽ともすっかり疎遠になっ てしまった。他の音楽家と親しくすることは、どうも彼女が喜ばない様子だったのでできず にいた。彼女の家族とも、ノロヴ宅を訪れた際あいさつをした程度でほとんど接したことが なかった。理由はわからないがノロヴバンザドが私と家族とを紹介し引き合わせようとしな かったのだ。
ノロヴバンザド亡き後も、彼女らの公演を仕切っていた会社は、別のオルティン ・ ドー 歌 手を加えモンゴルの音楽家らを日本に呼び公演を行なっていたが、やはり疎遠なままだった。
何度か観客としてコンサー トを見に行ったことがある。受付にいたその会社の人にあいさつ し、日本滞在の間、音楽家たちに面会できないかと頼んだが、「忙しいので失礼」と いうこ とだった。そこでもっと強く、それこそ上下座でもして頼み込んだなら違っていただろうか。 そうでもないかもしれない。そのコンサー トで通訳を勤めていた知り合いと、帰り道たまた ま同じ電車に乗り合わせた。乗り換えの駅で降りた際、駅の通路で声をかけてみた。しかし 相手は返事の言葉を発することもなく、「あちらへどうぞ」と言うように手で合図をした。私 が乗るべき乗り換え電車のホームを指していた。「お帰りはあちら」ということと、「話すこ とは無い」という意味らしかった。そこまで避けられるかと絶句 したものだった。
また別のコンサー トの折のことだ。伝統的な楽曲と現代の制作のものとは、もっとそれと わかるように解説するかプログラムに書いたほうがいいのでは、などと思いながら見ていた が、すべての演目が終わり、出演者らが舞台裏へ消えた時、観客の何人かがやおら舞台に上 がり出した。えっ! ?と思う間もなく、他の観客も次々と舞台へ上がり始めた。楽屋へと消え た出演者たちに会うため、出演者の通った後をそのまま追いかけて行ったのだ。結局、観客 の大半がわらわら、ぞろぞろと舞台に上がり込み、そこから楽屋へと入って行った。驚いた のは、コンサートの主催者等も誰もそれを止めようとしなかったことだ。むしろそうした行 動を容認しているようでさえあった。
モンゴル人はどうも、初めてで勝手のわからない場所では、むしろどれだけのことができ て、何がどれくらい許容されるのかを見るために、あえて動き回り、あれこれ触ってみたり 動かしてみたり、といった行動に出るようなところがある。民主化して社会の自由度が増し てからその傾向が強まったような気がする。日本人の場合は知らない場所ではあまり動かず、 様子見に徹することが多いのではないか。初めて泊まったホテルの部量の、このポタンはど ういう用途のポタンなのか聞いて確かめる前に押してしまうモンゴル人に困り果てたことを 思い出す。ともかく、そういった調子で始まったことと推察する。いったんロピーに出て楽 屋口に回るのがよほど面倒だったのか。そして場に流されやすい日本人の観客がそれに追従 したと想像される。
いずれにしろ、まったく目も当てられない、だらしなく無作法で非常識なことだ。ルー ルもマナーもあったものではない。およそ舞台というものは、修練を積み一定以上の資格を 備えた、選ばれた人間のみが立てる、ある種神聖な場所だとする考え方が、日本だけでなく 世界的にもある程度共有されているように思うのだが。モンゴル国でも私が見た限り、そう した傾向があったように思う。民主化の影響でそういう意識も御破算にされてしまったのだ ろうか。
そういえば、ロビーや客席のあちこちで、モンゴル関連で見たことのある顔が数多くあっ た。モンゴル人とその関係者の日本人ばかりが集まった、いわば「閉した世界」の中で、 一 般的なマナーや常識が忘れ去られてしまったのだろうか。また、どうも主催する人間が音楽 や舞台芸術全般について知識や見識が乏しく、そのような行ないが非常識で醜悪だと感じる 感覚をそもそも欠いているのかもしれない。モンゴルとはまったく関わりの無い「外部」の 人間が、この様子を見たらどう思うだろう。呆れ果てて、二度とモンゴル音楽を聴きに来よ うとは思わなくなるのではないか。
斯くいう私がまさにそうだ。あの場面を見た瞬間、そんなことをするに任せている主催者 らに対する怒りと憤りで全身の血が逆流し、心臓が破裂するかと思われた。おそらく相当、 血圧 が上がっていたと思う。それ以来、モンゴル音楽の演奏会には一度も行っていない。 もしまた似たような場面を目撃したなら、怒りのあまり自分がどうなってしまうかわからな いからのだ。
そのような 思いを抱きながら一緒に仕事をさせてもらうということは、私にはできなかっ た 。本当に変えたいと思うならば、その内部に入り込んで格関すべきだったかもしれない 。 だがずいぶんと健康を害した後であったからか、それら不快な状況からはできるだけ距離を 置くことしか考えられなかった。オルティン ・ドーの壮麗な旋律と歌声、モリン・ホールの 勇壮かつ廿美な調べなど、モンゴルには素晴らしい音楽文化がある。それらを台無しにする ような無残な光景は、もう消えてなくなっていることを切に願うばかりだ。
(つづく)
モンゴル旅行記(トナカイに出会い旅)
(伊藤 知可子)
タイガへ
8月1日
午前8時、伊丹発成田行きの便で出発。約4時間 待ってモンゴルへ。
今回は、モンゴルの北西 ロシアとの国境に近いフ ブスグル県にある秘境タイガへの旅でした。タイガ にはトナカイを飼育しているツァ-タンと呼ばれ る民族が住んでいて、以前から一度は行きたいと思 っていました。でも、ウランバートルから行くのに 3日はかかる遠さの地、体力的に行けるのか自信が なかったのですが、思い切って行ってきました。そ こは草原とは違う別天地でした。
8月3日
午前7時にウランバートルを車で北上し、一路タイガへ。ダルハンの手前を西へ進み、エ ルデネト、ボルガンを過ぎ、ムルンへ向けて車は走ります。今年は雨が多く、その分草原の 緑の色は鮮やかで、草のハ-ブのにおいもしてきました。舗装道路なので乗り心地は快適で したが、長い時間乗っていたので、ムルンに着いたのは午後7時半。約820Km、12時 間30分の移動でした。この日はムルンで宿泊。タイガが近くなってくると、心配事が次々 出てきました。タイガはかなり寒いらしいので服装は大丈夫か?雨が降らないか?特に馬に 乗っているときに雨に会えば道は滑るし、長時間馬に揺られるのはきついだろうし、おまけ に土地バチが草むらに巣を作っているらしくそれを馬が踏めば、馬が驚いて暴れるかもしれ ない等々。これらは杞憂に終わりましたが…
8月4日
タイガの麓にあるソヨ村までの行程で、今日も車での移動です。午前8時50分にムルン を出て少し走ると そこからの道はガタガタの地道を北へ北へと走ります。タイガの入り口 であるウリンダワ-の峠を越えるとウランオ-ル村まで近くなってきましたが、ここでパン ク。手早く修理をしウランオ-ル村に着いたのは 午後4時20分でした。この村の知り合 いのゲルで早めの夕食をごちそうになりました。このゲルの隣(塀で仕切られている)が国 境警備隊の軍隊の駐屯地になっていて、タイガに行くにはここで許可をもらわないといけな いとのことでした。今回はエルデネが前もって許可を取っていたそうです。以前は、ウラン バ-トルでたくさんの書類を用意してきても許可がおりるのに時間がかかったそうです。
ここからタイガの麓ソヨ村まで2 時間ほどでした。今日も車に約10時 間乗っていたことになります。泊めて もらったゲルは、タイガに連れて行っ てくれる馬方サンジャインさん(トゥ バ民族)の娘さんのゲルでした。サン ジャインさんは 76 歳ですが、かくし ゃくとしていて、ちょっとシャイなそ してカッコいいおじいさんでした。タ イガまでの道に精通していて、明日も 荷を積んだ馬を引っ張ってタイガに 行ってくれるそうです。
8月5日
昨夜雨が降っていたので、気持ちが凹みましたが、雨も上がり天気に恵まれそうでした。 本当は、このゲルから馬で出発するのだそうですが、私やホロルスレンさんのことを考えて、 車で行ける最終のところまで車で行き、その後馬に乗ることになりました。ここから馬に乗 っていけば10時間以上かかるそうです。助かる~!車に乗って出発。服装は寒くなっても 大丈夫なように薄手のダウンジャケットを着こみ、阿比留さんから借りたオーバーズボンを はいていました。少々の暑さは我慢しようと思っていました。 ロシア製の頑丈なバンに乗り かなりのガタガタ道を揺られながら道がなくなるところまで 1時間以上車で行きました。いよいよここから馬に乗ります。馬に乗るのは平気ですが、な にせ長時間大丈夫かな?お尻や足、ひざなどが痛くなるだろうな不安はあるものの初めての タイガへの期待も膨らんできました。1頭の馬に私たちの荷物をバランスよく積んで、それ ぞれが馬に乗ってタイガへ向かいました。
初めは左手に川が見える平たんな道を進み、段々と道も険しくなってきました。馬1頭が やっと通れる道、石ころがゴロゴロの道、崖になった道、森の中の上りの細い道を馬に揺ら れ、時には川も渡りました。2時間ほどでお昼の休憩でサンドイッチと水の簡単なお昼を食 べのんびり。タイガでお世話になるナランさんご夫妻がソヨ村に下りてきていたのでここで 合流して一緒に出発しました。ここからは森の中の獣道のようなところを進みます。道は険 しくなりましたが、急な斜面も馬は平気で上っていきます。馬の馬力は本当にすごい!峠ま での難所をどんどん上りやっと峠に着きましたが、風がきつくて寒くて仕方ありませんでし た。ここからの下りは急なので 馬から降り 馬を引っ張って歩いて下ります。滑りそうな 道を馬を引っ張って降りるのは大変だと思っていると、ナランさんの奥さんが私の馬を引っ 張って下りてくれたので、思わずラッキ-!と小さな声で言ってしまいました。私一人でも 時々ズルッと滑りそうでした。峠の手前は、草丈もあり、花もたくさん咲いていて、蝶々や 虫の姿も見かけましたが、峠を越えると、草丈も短く 花も咲いていませんでした。この峠 が花の咲く限界境なのかもしれません。ここまでくると目的地は近いようです。と言っても 1時間半はかかると言っていました。やや平たんな道を進んでいくと、タイガの家 オルツ がぽつんと見えてきました。あ~タイガに着いたのか~
みんなの気持ちもはやりだしました。やがて行く手 はるかにオルツが見えてきました。目的地です。雨が 降ってきて(通り雨)走っていこうと言われましたが、 このころには足が限界近くなっていて とても走る気 にはなれませんでした。「ゆっくり行きましょう。」ナ ランさん夫妻は先に行き 私たちは、並足でゆっくり 行くことにしました。オルツがだんだん大きく見えて くると、ホッとしてきます。あと少し、あと少しとい う気持ちで馬に乗り、やっと到着!約6時間馬から 降りると 足が地に着かない感じガクガクで、真っす ぐ歩きにくく、ひざを伸ばして深呼吸。
フ-お尻は大丈夫でした。着いたのは午後6時頃 でしょうか。ここはミンゲボラグという場所で、周りを山で囲まれた盆地(草丈は低くとこ ろどころ湿地)でした。オルツが 6 つ建っていてナランさんが、中心の3家族が暮らし、(お 母さん・息子・娘)3つが家族用で3つが民宿用でした。ツァ-タンと呼ばれる人々です。
ツァ-タンとは、トナカイを飼う人々という意味で、トゥバ民族です。ツァ-タンは家族 単位でオルツを建てるそうです。タイガは欧米人に人気があり、近年観光に来る人も多く、 その人達用のオルツが用意されていて、私たちのオルツもその 1 つでした。なかなか行くこ とができないモンゴルの秘境ですが、インタ-ナショナルな地でもあります。翌日には、カ ナダ人 フランス人家族 ベルギ-人 イギリス人の人たちがやってきて、日本人を入れる となんと5か国の人たちが滞在していたのです。
ナランさんのオルツで一休みして ス-ティチャイをいただきました。疲れて眠く 足がふらつき気味で体も重い。早く横になりたい! という感じでした。オルツには木のベッドが4 つ、真ん中にスト-ブがある簡単なものですが、 結構な広さがありました。思ったほど寒くなか ったです。(着こんではいます。)太陽が落ちる と急に寒くなるそうで、スト-ブを一晩中つけ ていないと寒くて寝られないと言っていました。 幸い森林地帯なので薪になる木はたっぷりあります。
ウォ-ウォ-という鳴き声が聞こえてきたので 外に出てみると、放牧していたトナカイたちが 帰ってきていました。すごい群れで迫力があり、 150頭はいたでしょうか。一度大きな囲いの 中に入れますが、2頭ずつ首のあたりをひもで 結んでありました。これは、1頭ずつだと放牧中にどこかに行ってしまうのを防ぐためだそ うです。2頭だと動きが制限され、それほど遠くには行けないとのことでした。囲いの中の トナカイを1頭ずつ外に出し、地面に打ち込んである杭につないでいきます。子トナカイは お母さんのもとへ行ってお乳を飲んでいました。トナカイはおとなしく、人間が近づいても 逃げることはなくじっとしています。 手を口元に近づけるとなめるしぐさをします。これは、トナカイは塩が大好きなので、人間 の手に残った汗の中に含まれている塩分をなめるためで、塩分がないとプイと横を向きます。 でもかわいい!!触っても逃げません。体の毛は長いですが、抜けやすいです。角に触られ るのが嫌なようですが、そっと触ってみると暖かい。血液が通っています。立派な角に産毛 が生えていて柔らかく、さらさらしていました。トナカイの角は1年に1回抜け落ち すぐ 生えてくると聞きました。
オルツに戻り ベッドに横になると寝てしまいそうなので、シ ュラフを出して潜り込み 晩御飯も食べずに翌朝まで寝てしま いました。
オルツは 松の細めの木を3本まとめ、片方の端を紐で縛って 三脚のように組み、それを中心に松の木を立てかけていきます。 (40本ほど)結わえることはしません。その上にロシア製の少 し集めの布をかぶせ、布が飛ばないように松の木を押さえのため に立てかけた簡単なものです。冬もそのままで、かなり寒そうで す。見た目はインディアンの住居と似ています。
8月6日
今日もいいお天気で、小春日和のような感じでした。7時頃 トナカイが放牧に行く鳴き声が聞こえてきました。トナカイの蹄は 大きく2つに分かれて いて、歩くたびにカチカチと音がしそれもかわいいです。 ナランさんがトナカイの毛皮を天日干しにしていました。皮を地面に広げ、四方八方を小さ
な杭で留めます。昨晩か今朝屠殺したようです。そのお 肉をいただきました。まずは 内臓料理。どちらかとい うと苦手でしたが、胃の皮がおいしいから食べろと言わ れ口に入れましたが、硬くて噛めませんでした。肝臓は あっさりしていましたし、心臓は白色で柔らかかったで す。でも あまり食べられませんでした。犬も飼ってい ますが、モンゴル犬と違い四ツ目ではありません。日本 の雑種のような中型犬ぐらいの大きさで、狩猟にも連れ て行くそうです。ツァ-タンはもともと狩猟・採集民族だそうで、森に入って熊を狩ったり木の実を採ったりしていましたが、今は狩猟も魚釣りも 禁止だそうです。
狩猟ができないので、今はトナカイ を飼育して増やすことと観光客用に民芸品作りに力 を入れています。トナカイを飼っていると国から助成 金がもらえるし、抜けたトナカイの角を小さく切って 模様を刻み、民芸品として観光客に売って現金収入を 得ているそうです。ソヨ村からは水は持っていきませ んでした。というのはすぐ近くに川が流れていて(水 深50センチほど)この川の水が飲めるのです。飲料 水はたっぷり。澄んでいて冷たく美味しかったです。 顔を洗うとビシッと引き締まります。午後7時頃 ト ナカイたちが帰ってきました。今日は3グル-プが到着してにぎやかになりました。
つづく
事務局からお知らせとお願い
(事務局 斉藤 生々)
30年度モピ年会費まだのみなさまにお願いです。
どうぞご協力くださいますよう お願い申し上げます。
振込先 郵便振替 口座番号 00940-6-84135 口座名義 モンゴルパートナーシップ研究所
銀行振込(三菱東京 UFJ 銀行谷町支店) 口座番号 5096982 口座名義 トクヒ)モンゴルパートナーシップケンキュウショ
2019年度新年会予定日
1月20日(日)まだ先のことですが参加予定を入れて 置いてください。お待ちしています。
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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI
事務所
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
tel&fax 075-201-6430
e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp
MoPI通信編集責任者 斉藤 生々
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