■NO 120号 モピ通信

■NO 120号 2019年1月1日

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所 

  新年ご挨拶

『Voice from Mongolia, 2018 vol.』 

  ウランバートル市にできたダウン症カフェ 

  2019新年会&モピ例会のご案内

  事務局からお知らせ 


  新年ご挨拶

モピ理事長 小長谷 有紀

(国立民族学博物館・超域フィールド科学研究部教授)

新春のお慶びを申し上げます。

昨年はいつにも増して、あっという間に終わったように思います。 
地震に、台風、そしてまた地震。まさしく災害列島でした。
そんな災害のたびに、人々のネットワークを目の当たりにしました。
英語で social capital と言われ、
「社会関係資本」と訳される、人間関係の束が活躍しました。
それは、社会の財産であり、幸せのもとですね。
モピもまた、そんな「社会関係資本」のひとつと言えるのではないでしょうか。
地球の問題なのですから、新しい年にだって、
きっといろいろなことが起きるに違いありません。が、
たとえ何があったとしても、チームの力を発揮して乗り越えて行きましょう。
一 人一人は少ししかできないけれど、その少しを束ねてみましょう。

モピ理事 大野 旭

(静岡大学人文社会学部教授)

謹賀新年

夏にウズベキスタンに行ってきました。モンゴルと比較してみますと、何よりも政治的に 成熟していることが顕著です。オアシスの住民と遊牧民との融合、くわえて洗練されたイス ラーム風政治制度の定着などが原因で、同国はユーラシアの旧ソ連圏から独立した国々の中 でも、特に落ち着いた方に入るでしょう。ひるがえって、モンゴル国の場合は、政治的に混 乱した一年でした。民主主義制度に慣れていない、という言い訳はもうなりたたなくなって いるはずです。混乱の原因は政治家たちの私利私欲が国家の命運よりも優先されていること にある、と大方の国民も分かっています。ならば、次の選挙では、国民そのものの成熟度も 問われるでしょう。これ以上の混乱はグローバル時代からの落伍をもたらしますので、新し い年にはまず政治の安定と、国民優先の政治が実現するよう期待したいところです。

                             (モピ監事 福島 規子)
新年おめでとうございます。 

様々な天災、人災の中で過ごした 2018 年でした。
2019 年を迎え、この 1 年の平安を祈るばかりです。 何かすぐに取り組める事を始めなければいけないと、あの昨年 9 月の台風 21 号の時に思いま した。例えば電気機器の電源をこまめに切る、夜更かしをせず早寝早起きをする 等、でも時間が経つにつれ思いは薄れています。 「いつも目覚めていなさい」という言葉が最近聞いたある講話の中にありました。見て、聞 いて、体で心で感じて少し前を向いて生きる一年にしたいと思います。 今年もモピ会員の皆様にとって実り多い年でありますように。モンゴルとの良い出会いがあ りますように。

『Voice from Mongolia, 2018 vol.49』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「選択肢なんて、なかった」 ―――トゥブ県在住 農業者 オチローさん(56)

友人のお父さん、お母さんら、50歳代以上のモンゴル人に出会うと、社会主義の頃のこ とを色々と質問するのが好きだ。ロシア傘下の社会主義育ちで、社会に出てほどなくして市 場経済に移行。混乱のなか、適応しながら、子育てをし、今は孫を見守りながら、働き盛り の子ども世代を支えている。控えめで実直、そして優しい人の比率が高い気がする。

先日、農業視察で来日したトゥブ県ボルノールソムのオチローさんは、3年間の兵役を終 えると即、地元ボルノールの国営農場に就職した。そこに実習に来ていた農業大学生の奥さ んと結ばれた。90年代以降は農家としてジャガイモ栽培を続けている。走り過ぎる大型ト ラックを見て「サイハン・アミタン(イケてるヤツ)」とつぶやいたオチローさん。現在は2 9ヘクタールで栽培、老朽化した機械の更新が目下の課題だ。

「トラクターの周りで遊んで育ったから、国営農場で働くという希望の進路がかなったとき は嬉しかった」。国内随一の生産量を誇り、10度の国家ナンバーワンに輝いたブリガード(作 業班)の一員として、トラクターを運転した。収量が上がれば、月給とは別に配当金も支給 され、「あり得ないくらいの高収入だった」という。

匈奴の遺跡も発掘されているボルノールソムは、今年ソム制80周年を迎えた。ハードカ バーの立派な記念誌をひもといてみた。ジャガイモ生産ブリガードは指導力あるG.チョナ グ班長(国家労働英雄)のもとで、14-16人の機械化技師(つまりトラクター運転手) を擁し、800ヘクタールあまりで平均20-25トンを収穫した、とある。

当時はよかった、という口ぶり。全てがオーガナイズされていて、心配がなかった。「でも、 何をするにせよ、買うにせよ、選択肢は少なかったでしょう?」と問うと、「選択肢は、なか った」と即座に返って来た。少ない、ではなく、「ない」。選択肢がない世界を想像しようと するが、モノのあふれる日本に生まれ育った私たちには難しい。

視察先で、農協が生産、流通、販売すべてを取り仕切る、日本の農業のあり方を説明して いるとき、地元十勝の農家さんは「日本の農業は社会主義みたいなもの」と言った。 農業発展のため、日本の農協に学べ、との取り組みは随分前からあるようだが、成果は聞こえて来ない。モンゴルの農家は、乱高下する相場を見ながら、生産物の売り先を自分で確保 しなければならない。

初めてモンゴルを訪れた97年、首都の街歩きの際、手軽な食堂として友人に進められた のは、どこかの「従業員食堂」。丸くペッタンコのホーショールとスーテイツァイだけが売ら れていた。あの時泊まった「ゲゲーホテル」も、かつてロシア人が住んでいた集合住宅がそ のまま使用されていた。それから20年が過ぎた。社会主義の雰囲気をそこはかとなく漂わ せた「異文化」とそこに生きる人々に出会ったからこそ、今もモンゴルとつながっている気 がする。

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今月の気になる記事

モンゴルに滞在していた頃、モンゴル語を個人教授してくれた恩人・エンフトヤさんの授 業は、ひたすら「アビヤ二―・ダスガル」(発音練習)と詩の暗唱でした。「オラン・オンシ フ」(いかに美しく朗読するか)は、モンゴルの国語教育で必須だとも聞きました。今も、そ してこれからも、そうでありますように。ヨーグルトを食べた後、器を舌でなめると発音が 良くなると言われ、ペロペロ舐めていたのを懐かしく思い出します。

「モンゴル語で言い表せることを外国語で書くことを正当化したくない」 (筆者Ч.ガントラガ)

『ゾーニーメデー』紙では各界を代表し、新たなことに挑む方々を「リーダーシップ フォ ーラム」欄に招き、モンゴル国発展の糸口や可能性について、また興味深い決断やアイデア について、読者に伝えている。今回は科学アカデミー・語学文学研究所のD.ボロルゾイ・語 学部門研究員に話を聞いた。

ネットのやりとりが人々の心理に影響 

20世紀における人類最大の発明、発展のひとつにインターネットには、良い面もある反 面、悪い影響もあります。ネット環境は進化し続け、すべてを変えつつあります。情報や人 間関係のツールとして大きな力を持つ反面、人々の心理や行動、付き合い方、特に言葉づか いに与える影響がただならぬことを皆が感じています。(中略)

外国語を見境なく使う例がネット上では多く見られます。外来語のない「純粋な」言語な どどこにもないのは事実だし、外来語によりモンゴル語が豊かになっているのは当然です。 とはいえ、モンゴル語で言い表せることを外国語で書き、話していることは、正しいと認め られません。英語を翻訳せずにそのまま取り入れる例が多い。どの言語においても、名詞を そのまま外来語として一定の割合まで取り込むことをさほど危険とは見なしていません。し かしながら、動詞にまで及ぶのは危険です。動詞はその言語を形作る主たる構造であり、言 語の根幹を成す部分に外国語を使うべきではないと考えられています。ネット言語では「シ ェアする」「シーンする」「ポストする」「メールする」「セルフィーする」「コピーする」「セ ーブする」などの言い方が日常化しています。また何かに感嘆したり、驚いたりしたとき「フ ーフ」と言うべきところをネット上、特に若者は「ワオ」と書きます。最近は会話でも「ワ オ」と感嘆するようになっていて、残念に思います。

正書法の誤りが常態化

かつてはネットがなく、国語の授業もしっかり実施され、書籍や出版物は校正を経て印刷 され、社会の言葉づかいのお手本として機能していた。出版・新聞機関もきちんとしていて、 すべてにおいて秩序があった。今は状況が一変しました。昔は良かった、などと言うつもりはなく、現状に合ったやり方で対処することが、私たちに求められています。例えば、正書 法の誤りが常態化している、と人々が批判しています。おっしゃる通りで、ネット上のやり 取りが最も強く影響しているのは紛れもない事実です。フェイスブック、ツイッターなどの SNS上で人々の間で交わされる会話においては正書法を無視して書くことが普通です。瞬 時に、心模様を表現するために個人的なやり取りにおいての「誤記」は理解できる面もあり ます。でもこのことが他者、若者、子供たちに悪い手本となるだけでなく、仕事上や公教育 にも悪影響を及ぼしている現実がある。広く一般に向けて書いたこと、就職するときの願書、 仕事の文書まで「メッセージ」式に書くのは間違っている。人は、部屋着で外出しないです よね。公の場に出るときはきちんとした服装をするでしょう。それと同じく、ごく個人的な 会話、職務上のやり取りなのか、きちんと区別するべき。まさに「話し言葉は、その人自身」 と言われるように、言葉づかいで、その人が教養があるか、どんな教育を受けたか、社会的 地位はどうか、などがわかる。そう考えれば、だれもが言葉を発する際、SNS上であれ、 努力したほうがいいと思うのです。文章ひとつ書くのに何か所も文法的ミスをする国会議員 もSNSでは目につきます。皆の手本になるべき立場の人の国語レベルの低さに驚いてしま います。

私たちの専門分野の研究者は最近、一般市民の国語教育を目指して『モンゴル語大事典』」 (原文 Монгол хэлний их тайлбар толь)とウェブ版www.mongoltoli.mn 、携帯電話アプリケーションを開発し終えました。モンゴル語の語彙の 意味、正書法などに関して疑問が生じれば、どこからでも、いつでも答えが見つかるように なりました。またわが研究所のトップ、E.プレブジャブ博士は『モンゴル語規範』(原文 М онгол хэлний хэм хэмжээ)という、テーマを絞った著書も近く刊行さ れます。一般市民向けの母国語の教科書もモンゴル国立大学の研究者と共同で刊行しました。 このような取り組みは数多くあります。(中略)

前述のとおり、自国語のみで成り立っている言語はありません。外の世界から隔絶されて いない限り、外来の語は止めようとしても入って来るし、そのこと自体は悪いことではない。 モンゴル語は外来語によってさらに豊かになり、発展してゆきます。研究者として、外来語 によりモンゴル語が占領され、圧倒されているような危険に瀕しているとは見ていません。 研究成果を話すと、昨年、外来語の使用がどのような水準にあるかについて小規模な調査を したところ、思いがけない結果でした。2017年の「ウドリーンソニン」紙1日分で使わ れた語の使用を数えたころ、5117語から成っていて、外来語の比率は4.9%でした。 これを 30 年前と比較すると、1987年の「ウネン」紙を調べると、6.3%。外来語の使 用はかつてより増えたのではなく、減っていたという結果でした。

言語は人民の財産

ネット上の言葉も調査できればいいのですが、チャンスがありません。言葉は人民の財産 ですよね。研究を通じて貢献できるはずです。外来語の使用については、チェックや調整に あたることを政府に期待するより、自分たちでできることを探したい。身近な例をあげれば、 わが国の建設会社は、集合住宅の開発・販売する際にモンゴル語で名付けることはできたは ず。「ベラビスタ」「アセム・ヴィラ」「リバーガーデン」「タイムズスクエア」「エンカント・ タウン」「ブッダ・ヴィスタ」「ビバ・シティ」「X アパートメント」…。「ナルニィ・ホローロ ル」「エンフジン・ホトホン」「オルガフ・ナラン」「フヌー(匈奴)ホローロル」などという モンゴル語の名前より、外国語の名前がはるかに多い。外国人向けでなく、モンゴル国に住 む、モンゴル人向けの住宅なのです。これは、紛れもないわれわれ自身が自国語を見下げて いる一例と言えます。外国語の名前なら豪華で良くて、モンゴル語名だとさえない、という ような見方を広めている。社会のことば遣いに強力な影響を及ぼすのは、あなた方メディア の人々です。ジャーナリストはネット上でも努力して良い手本を示して頂きたい。(中略)今 日の若者が正書法を知らないのは中学校のモンゴル語教育の影響、との点で専門家は一致し ている。モンゴル語の授業時間を増やす、教科書の質を向上させるなどが課題として挙がっています。文法を知らない現状は、中学校でモンゴル語や文学の時間を削減したのも原因の ひとつと思われます。「Word」使用時に正書法の誤りを正す「ボロル・ドラン」というプ ログラムも民間会社が世に出し、使っている人もいます。(後略)(2018年12月10日、 ゾーニーメデー紙より)

ウェブニュースサイト http://polit.mn/51633 (モンゴル語)

(記事セレクト&抄訳=小林 志歩)

※転載はおことわりいたします。引用の際は、必ず原典をご確認ください 

ウランバートル市にできたダウン症カフェ

(梅村 浄)

<ゾリク財団>

スフバートル広場の隣に広が っている公園に面してウランバ ートルホテルが建っている。2018年9月の渡航時、モンゴル 大学に留学している若い友人と ランチを食べようと、待ち合わ せ場所にこのホテル前の公園を 選んだのだった。9 月中旬とい うのに雪が降り、公園の道脇に 生えている青草の上に薄く積も っている。あんまり寒いので、 ウランバートルホテルの玄関の ドアを開けて中に入った。

正面フロアーの奥に絨毯が敷かれた何段かの階段があり、シャンデリアが暗いロビーを照ら していた。ドアボーイが寄って来て、用事を尋ねられた。人を待っているだけと答えると、 出て行けというのでもなく、窓際のテーブルと椅子をすすめてくれた。ウランバートルで一 番古いというこのホテルに、いつか泊まって見たい気持ちが湧いて来た。

エンフタイワン通りを挟んで、ホテルの向こう側に外務省の建物が建っている。その並び にゾリクサン(財団)がある。『ホテル・ウランバートル』という題名の 1990 年に工藤美代 子さんが書かれた本を読んだことがある。1990 年にモンゴルで社会主義から市場経済に無血 移行した一時期を切り取ったこの本は、ゾリクとのインタビューに大部分を費やしている。1990 年、体制移行の立役者であったゾリクは、1998 年にモンゴル国大統領候補として内定し た数日後、自宅で暗殺され、今でも犯人は闇の中にある。ゾリクの妹オユンが跡を継いで政 治家となり、政治活動拠点として築いたのがこのゾリクサンである。NPO として 1998 年に設 立、民主主義の推進、社会活動、青年活動、自治プログラムなどの活動を行っている。

ダウン症の娘を持つ「オユンさん」が娘に医療、療育を受けさせるために日本に来たことが あり、2007 年に設立されたモンゴル・ダウン症協会の設立メンバーの一人であることから、 ゾリクサンを訪問したのは 2010 年のことだった。もらったパンフレットに政治の浄化、賄賂 の撲滅が、大きい項目としてあげられていたのに驚いた記憶がある。

<モンゴルにおけるダウン症児の教育> 

2010 年にモンゴル大学に入学後、モンゴルダ ウン症協会に連絡をとったところ、日本から派
遣されたシニアボランティアの S さんを紹介さ
れた。2008 年に開講されたばかりの第 25 番学 校にあるダウン症児クラスを訪問した。ウラン バートル市内に4校ある知的障害特別支援学校 の1つで、1階には肢体不自由児クラス、古い 建物の階段を登って廊下を歩いて行くとダウン
症児のクラスがあった。
教室の後ろの壁には子どもたちのスナップ写 真が掲示されており、カラフルな室内装飾は楽
しげな雰囲気。10 月に赴任したばかりの S さん の授業を見学させてもらった。モンゴルの知的 障害児学校では様々な理解度の子どもたちを集めたクラスで普通教育課程と同じように、キ リル文字の書写や算数を教えており、それができない子どもには塗り絵を与える教育方法に 対して、S さんは生活習慣を身につける必要性を説き、学習ではゆっくり理解が進んでいく子 どもに合わせた内容を教えていた。

モンゴルダウン症協会は公立学校教育とは別個に、自分たちで就学前と学齢期のダウン症児 を対象に発達学習センターを始め、有料で子どもたちの教育を行っている。JICA と提携して、2016 年 6 月から 2017 年 5 月まで知的障害のある子どもたちのインクルーシブ教育プロジェク トをウランバートル市内の第 130 番普通学校で行った。発達学習センターに通っている子ど もたちが体育、音楽、美術などの時間にパイロット学級で一緒に授業を受けるプログラムだ った。

NPO ニンジン草の根事業で支援しているサインナイズセンターには、第 55 番特別支援学校に 通学しているダウン症の T 君がいる。4校ある知的障害特別支援学校のうち、3校は 9 年間 の教育課程で、卒業後は就職する場がなく在宅になる子がほとんどだが、第 55 番学校は 12年間の教育課程を持ち、卒後職業教育を行っている。2018 年 10 月に見学に行った時には、ホ テルを模した部屋で掃除機をかける練習をしている T 君に会うことができた。部屋の隅にあ る大きなダブルベッドはリネン交換練習のためのもの。

<ダウン症カフェができたよ> 

渡航活動の休日に、長年付き合ってきた保育士 の K さんと、午後からお茶をしに外に出た。2010年には彼女が働いていた保育園の1室を借りて 障害児を指導していたので、毎週土曜日の午後に 通っていた。子ども達に話しかけるモンゴル語の フレーズを習ったり、クリスマス会、独立記念日 の集いを撮影させてもらったりで、役に立ったと は言い難い。彼女はその後、2011 年 9 月から NGOスジャータシャンドを立ち上げて、ゲル地区に住 む在宅障害児の訪問保育を続けている。

10 月初めというのに寒い日続きだったが、この 日は暖かく、着込んできたダウンコートの下で汗をかいてしまった。ゾリクサンの敷地内に ある路地を入って行くと、奥まった場所に平屋づくりのカフェの建物がある。赤い屋根に黄 土色の壁は、中庭に置かれた緑と赤に塗り分けられた大きな滑り台と釣り合ってメルヘンチ ックな雰囲気を醸し出している。日本企業の資金援助でこの建物を立て、ダウン症の青年た ちが働き始めたところだ。

カウンター席に座ったら、T 君も赤いエプロンをしめて、慣れない手つきでコーヒーと焼きサンドを運んで来てくれた。キッチンとレジはお母さんたちが取り仕切っている。壁に貼っ てあるメニューを見て注文するのだが、K さんは「メニューに番号をつけて、番号をキッチン に伝えたら、誰でもできるよ」とアドバイスをしていた。彼女はここ数年、ダウン症発達学 習センターで幼児保育をしており、メンバーの信頼が厚い。

カウンターの奥は大木を輪切りにしたテーブルを囲むベンチ席で、壁にはフクロウの額や観 葉植物がかかっており、濃い緑から淡い緑まで様々な色合いのハート形の葉が群がっている 樹が描かれたダウン症協会のパネルが置いてある。

知的障害を持つ若者達が働き始めた場所として、モンゴルのテレビにも報道され、ダウン症 協会メンバーの集いの場所としても活用されている。ダウン症カフェは「おユンさん」とゾ リクサンの後押しもあり、青年達を社会にデビューさせる役割を果たし始めている。NPO ニン ジンが支援しているもう一つの障害児センター、ゲゲーレンセンターでお母さん達が手作り している石鹸をカフェで販売してもらえないかと、ただ今交渉中である。

(2018.12.17)

2019年新年懇親会・例会ご案内

(村上 雅彦)

みなさまお誘いあわせの上、ご参加下さい。お待ちしています。

尚、テーブル 準備のため 1 月12日(土)までに連絡をお願いいたします。

(開催日が変更になっています。)

モピ通信198号でご案内しました日時、1月20(日)とお知らせしましたが

 “徐園”が満席で取れませんでした。お詫びし訂正いたします。

事務局からお知らせ

(斉藤 生々)

・理事、松本勝博 新年のご挨拶は欠礼いたします。
どうぞみなさまにとって良い年であ りますように祈っています。

・ノロヴバンザドの思い出今回は、梶浦さんの都合でお休みです。
2008年1月 モピ通信77号が第1回の始まりでした。13年もの連載も終盤に近い と伺っています。モピそのものの歩みとともにあった連載に感慨深いものを感じます。 オルティンドーという音楽の深さや難しさ、大切に向き合っている姿など何も知らなか ったものにも影響を受けた内容でした。みなさまの感想などお寄せいただけたらと思っ ています。よろしくお願い申し上げます。

新年おめでとうございます。

みなさまにとって良い年でありますようお祈りしています。

今年も変わりませずご支援、ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

              モンゴルパートナーシップ研究所
                事務局 斉藤生々

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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

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〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
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e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp

MoPI通信編集責任者 斉藤 生々

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