編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所
第18回 定例総会のご案内&モピ年会費のお願い
『Voice from Mongolia, 2018 vol.52』
ノロヴバンザトの思い出 その94
モンゴル学習支援事業&アサンプション国際小学校
事務局から
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第18回モピ総会のご案内
(モピ理事長 小長谷 有紀)
早春の候、みなさま益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。平素モピ活動にご支援をい ただきありがとうございます。新しい年度を迎えるに当たりみなさまにご報告とご承認を賜 りたく、下記の通り定例総会を開催いたします。お忙しいことと存じますがご出席ください ますようご案内申し上げます。
記
とき:2019年4月13日(土曜日) 午後13時00分〜
ところ:モピ事務所(京都府長岡京市開田3-4-35
と き : 2019年4月13日(土)
ところ : モピ事務所(京都府長岡京開田3-4-35
(阪急京都線長岡天神駅下車徒歩3分。JR 長岡京駅下車徒歩7分)
TEL&FAX:075-201-6430
e-mail:mopi@leto.eonet.ne.jp
2019年度モピ会費納入のお願い
気候の変動が激しい今年の春です。平成という時が過ぎようとしています。新しい年はど んな年号になって動くのでしょうか。楽しみな事でもあります。
平素みなさまに支えられ、モピ創立18年目に入ります。ありがとうございます。
これか らも引き続きご支援賜りますようよろしくお願い申し上げます。
会 費・寄付金の送り先 郵便振替
口座番号 00940-6-84は135
加入者名 モンゴルパートナーシップ研究所 銀行振込(三菱東京 UFJ 銀行谷町支店)
口座番号 普通 5096982
口座名義 トクヒ)モンゴルパートナーシップケンキュウショ
(事務局)
『Voice from Mongolia, 2019 vol.52』
(会員 小林志歩=フリーランスライター)
「できることを、今すぐに実行することで、子どもたちに青空を取り戻したい」
――D.ドクルジャ dot.EXE有限会社 プロジェクトマネージャー
「何とかしなきゃ、どうにもならない、と思って」。中国・青海省出身で日本在住のモンゴ ル人・ドクルジャさんが、ウランバートルの大気汚染問題について知ったのは数年前のこと。 出張でモンゴル国を訪れるうち、人々が汚れた空気に悩まされ続けている実態の深刻さを知 り、「自分に何ができるだろう?」と自問自答しながらの情報収集が始まった。
2018年、株式会社リバース・テクノロジー(千葉県柏市)の資金提供を得て、再度モ ンゴルへ。現地スタッフも雇って準備を進め、今年1月には子どもたちにマスク2万枚を配 布して各方面に協力を呼びかけた。大気汚染の主原因と言われる石炭の灰を道路の舗装に活 用する技術を研究するプシュパラール・ディニル東北大学大学院教授ら、日本や現地の研究 者の技術協力を得て、大草原に50キロの真っ直ぐなマラソン・自転車専用道路を整備し、 人々の注意を喚起するという目標を掲げて、この2月にプロジェクトを始動。自転車やアウ トドア、スポーツウェアのメーカーなどの企業をスポンサーに、日本や韓国、中国の自転車 愛好者を招いたイベント開催を目指している。
モンゴル語のパンフレットには「5歳以下の子どもたちの死亡の50%が大気汚染による」 との統計(2015年)が引用され、「ひとりの子どもも、煙の中で呼吸させない」と訴えか ける。政府の予算等に依存せず、様々な企業や団体、学術機関と連携し、モンゴル国内で低 コストの事業を実現することを目指し、国外のモンゴル人コミュニティにも協力を呼びかけ る。
合言葉は「モンゴルドー・ハイルタイ」(愛する、われらがモンゴルのために)。モンゴル 語語尾の長母音(音引き)に込められた、私たちの、という共感と熱量。中国で少数民族の モンゴル人として育ったドクルジャさんにとっては、キリルでなく、縦文字で綴られる母語 だろう。国境に隔てられてはいるが、同じことばと伝統を受け継ぐ人々が、かつてチンギス ハーンの騎馬軍団が席巻した広大な大陸のあちらこちらにいる。
「夏になってもこの問題に取り組み続けることが大事。多くの人を巻き込んだ運動が必要」。 大気汚染への関心を高めようと、6月1日の子どもの日に向けて、ウランバートル市バガノ ール地区のソド学校と共同で、「大気汚染」をテーマにした子どもたちの絵の国際公募展を開 催する。未来を担う6歳から15歳の子どもたちは煙でくもる冬空を、また澄んだ空気への 願いをどう表現するだろう。7月初旬には子どもたちによるコンサートも予定されている。
多くの友人やその家族を苦しめる大気汚染。私にも、今できることがあるかも知れない。 詳細は同社ウェブサイト www.dotexe.mn (モンゴル語)で。
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今月の気になる記事
モンゴルで見られるという満点の星空に憧れて、モンゴル語会話集で独学を始めたのは2 0代後半だった。それからおよそ20年、日常会話には事欠かないが、未だ方言が聞き分け られるレベルには到達していない。一方、生まれ育った京都を離れて四半世紀、その後の年 月の方が長くなったが、今なお関西弁が抜けない。フェイスブックでつながる知り合いがシ ェアしてくれた、彼の父上による寄稿記事を紹介する。
「方言をみんなで守ろう」(D.ダグダン)
モンゴル国で人々が日々交わす母国語の中には、ハルハ、オイラート、ブリヤート、内モンゴルと主に4つの方言が存在する。各方言の中に、さらに多数の方言に区分される。方言 はモンゴル語の多様さを示しており、少数民族や氏族の豊かな歴史、言語文化を背負ってい る。知の巨人B.リンチェン氏は「耳に美しく響く モンゴル語の美しい音 勇敢な父祖の 遺した 尊い宝」との言葉は世代を超えて記憶され、色褪せることはない。今、この祖国の 言葉や方言を守り、さらに復権されるべき時に来ている。
わが国の憲法は、第2章第14条2項で、「何人をもその民族、言語、肌の色、生活状況、 資産はもとより、職業、地位、信仰する宗教、イデオロギー、学歴により差別してはならな い。すべての人は法の下に平等である」と定めている。多くの内容が含んでいる中で、特に 方言による差別はいけない、と強調している。近年、特にコメディーの芸人などが内モンゴ ルやオイラート、ブリヤート、ハサグ方言や伝統的な慣習を殊更に強調し、馬鹿にするよう な場面が見受けられる。特に名前は挙げない、テレビやSNSで情報を拡散する輩を喜ばせ ることになり兼ねないためである。(中略)
内モンゴルのシリンゴル県に住むトゥメド・バヤスガランは「私は中国の内モンゴル自治 区のモンゴル人です。グローバル化した世界で、北モンゴルだけが唯一、モンゴルの本来の 状態が残っていると考える。二国に分かれて暮らしていても、モンゴル語や文化を受け継い でいくために、忘れ去られようとしている事柄を思い出し、優れた部分を相互に学び合うや り方をすれば、双方にプラスになる。われわれの方言を馬鹿にして笑うようなことをそちら のコメディーなどで度々見かけ、驚くとともに恐れをおぼえるが、背後にある意図について 深読みする人もいる。私はただ笑いを取ろうとしてのことで悪意はないと考えたいが」とコ メントしている。われわれは外国にいるモンゴル人を傷つけ、こんな手紙を書かざるを得な いことなど、知らないでいる。
コメディーの関係者に言いたい。あなた方の天職たる、人を笑わせる技術や才能について は疑いの余地はないが、あえて苦言を呈したい。テレビで見かけるコメディー公演の中には、 言わんとすることを繰り返して観る者を辟易させ、大声でわめき散らすような、芸能とは程 遠い出し物のほか、きつい言い方だが、いい加減な内容のものもある。そして、ホブド、ウ ブス、バヤンウルギー県の方言を舞台で殊更に誇張し、ねじ曲げて伝える、あざけるような 調子が見える。今後は、同じモンゴルの、多くの少数民族の方言や伝統文化を尊重すること を期待したい。
実際、世間一般に、方言による差別の風潮が蔓延している。近頃は、国の重要な会議や議 論の場においても方言をせせら笑うような場面さえ見かけるようになった。生まれ故郷の方 言の豊かさ、重要性が若者や子どもに伝わらず、方言を恥じ、それを苦にして、周囲と話す のを避ける、方言を否定し人をまねて話す等の事態を招いている。
【方言を守るために】
・身近なさまざまな語彙、言い方を使い、子どもたちに教え、知識を与える。
・民謡やことわざなどを通じて、民族の知恵を記憶させる
・方言を用いた書籍を刊行し、普及する ・方言のコンクール(子どもや青少年)開催
地方の人々が、ここに列挙していないものも含め多くの方法で、方言の維持に努力すること が重要と考える(後略)。
(2019年2月27日「ウドリーンソニン」紙 寄稿) https://dnn.mn/
(記事セレクト・抄訳=小林 志歩)
※転載はおことわりいたします。引用の際は、必ず原典をご確認ください
ノロヴバンザトの思い出 その94
(梶浦 靖子)
西洋音楽重L鐵 の傾向
「都会の音楽家」とされるのは、同じ伝続楽器の演奏家でも音楽学校で五線譜の読み書き や西洋音楽理論などと並行しながら伝統楽器の奏法を学び、劇場や楽団に所属して活動し、 民謡など伝統曲のほか、西洋音楽の手法に基づいた新作の楽曲も多く演奏する人々だと言え る。「田舎の音楽家」とされるのは、西洋音楽にほとんど関わりを持たず、独学を中心とした 昔ながらのやり方で、民謡のメロディーや「モリニ・ヤヴダル」のような楽器独自の独奏曲、 民議の伴秦などを習熱し実践する音楽家だと言える。
前者の「都会の音楽家」が後者を見下し馬鹿にする様子が見られるわけである。見下す理 由としては、五線譜が読めないもしくは使わないこと、西洋の和声に基づいた音業の演奏、 特に合奏などの経験が乏しい、そもそも西洋音楽の知識経験全般が乏しいなどの理由で、自 分たちより音楽的、文化的水準が低いと断定しているようだ。和声に基づき多数の音高を多 数多種類の楽器で鳴り響かせる西洋音楽にくらべ、歌も器楽も単旋律の独唱、独奏が中心で あるモンゴルの伝統音楽を、文化的水準が低く遅れている、未発達で未開であると見なして いると思われる。
また、モンゴルの伝統音楽は半音なしの五音音階から成り立っているが、西洋音楽は七音、 あるいは変化音も加えて十二音も使うなどの理由で西洋音楽のほうを上に見ているきらいも ある。そのように、西洋音楽を最も高度に発展した音楽の規範であるようにみなす、 いわば 西洋音楽至上主義とも言うべき傾向が、近年モンゴルの音楽家たちの中に見受けられるので ある。
そうしたことがいつから始まったのかはよくわからない。20世紀前半の社会主義政策の一 一貫として、西洋音薬の理論や語法、様式に基づき伝統音楽が再編成されていったこと には 前にも触れたが、その際、ソ連から招かれた音楽家、音楽教師らが、教育の過程でモンゴル 人の音楽家、音楽学習者らに対し、劣等感を与えるような態度でもあったのだろうか。また、 西洋音楽のやり方を身に付けることは、当時の社会主義政策の方針であり至上命題であった わけだから、それがうまく身に付けられないと、モンゴル人間士の間で「反革命的」と して 避難される可能性もあっただろうか。そして、西洋文化を取り入れる際、そうした流れにあ まり付いて行けず、西洋文化に うまく適応できない者を、「時代遅れ」のように 同胞が見下 す、という様子は日本にもあったと思う。
しかし私が実際に接した1900年代初めのモンゴルでは、西洋音楽のやり方をしっかり 身に付けた、劇場所属で伝統音楽畑の音楽家たちが、西洋音楽と関わり少なく伝統音楽を演 奏している音楽家たちを、あからさまに見下すような様子は見られなかった。そのような言 動を聞くこともなかった。それがわずか10年も経たない90年代の終わり頃には、先に述 べた「都会の/田舎の音楽家」は云々という発言に接するようになったのだ。90年代半ば、 伝統音楽関連の新たな楽団が組織されていったことと関係がある気がしているが詳しいこと はわからない。
ともかく、そうした西洋音楽至上主義的な傾向が、近年のモンゴル伝続音楽の世界にかな り目立つ形で見受けられる。そうした現状があるようなのだ。
文化の準系進化と多系進化
述べたような西洋音楽至上主義的な発想は、人間の文化や社会はどれも同じ一つの過程を 経て進化すると見なすもので、文化人類学が言うところの単系進化的な見解だと言える。
19世紀、文化人類学はダーウィンの進化論を入間の文化に当てはめ、どの民族も同じ進 化の道筋をたどるはずであり 、民族ごとに 進化の度合いに差があるものと考えた。西洋の 文化、文明を最も高度に発展した頂点であり、それ以外は未開な遅れた文化と見なしていた と言える。
20世紀に入るとそうした見解は西洋による自民族中心主義が過ぎるとして批判され退 けられていき、替わって、環境その他の要因によって進化の道筋は様々に変わりうるとする 多系進化的な見解が主流となっていった。そして、よほど客観的な基準が設定されでもしな い限り、文化について進化の問題を諭ずるのは困難だとするに至っている。そうした 発送は、 国際化の深まりとともに、世界の人々の間にも浸透して来ているのではないだろうか。
紙と木作られた家屋よりも石や煉瓦で作られた堅牢な建物のほうが文化的に水準が高いの か、価値が高いのかどうか断言することはできない。人間はそれぞれの環境に適した快適な もの、自分たちを取り巻くさまざまな条件により醸成された感性や美意識などに基づき、そ れぞれの文化 、文明を築き上げてきたのではないか。どのような形がより進んでいて、水準 が高い低いなどとは、なかなか断言できるものではないだろう。
音楽についても同じことが言える。より多くの音を使うほうが音楽として優れているとは 断定できない。1オクタープ中の音を5個よりも7個、12個使うほうが、あるいは和音和 声が付いている方が単旋律よりも文化的水準が高い、などと決められるものではない。それ ぞれに美しさがある。和音には和音の、単旋律には単旋律の美しさがある。五音音階でなけ れば表現できない情緒や美しさがある。
また、西洋音楽を世界で最も高度に進化しているかのように見なすことも、じっさい無理 がある。西洋音楽は半音(1/2 音)を用いて、1オクタープを最高12音に分割するが (現代 音楽などはひとまず置く)、 中東の微分音程は1/4音や1/9音の高低を区別して音高を認 識し演奏する。アフリカ大陸の諸民族の打楽器演奏に見られるリズムの構置さ正確さや、ポ リリズム (異なるリズムパターンを2声部以上によってF同時にならされる現象や手法)の複 雑さは、西洋の楽曲にはなかなか見出せないものがある。和音や和声など、高さの異なる音 を同時に鳴らすやり方にしても、たとえば東欧、プルガリアの民俗的なコー ラスでは、半音 に近い音程の音同士をふつけるように同時に鳴らすことを、西洋音楽より もはるか以前から 実餞l′ ていた。人間は世界のあちこちで、それぞれのやり方で様々な方向に音楽を発展さ せてきていたのである。ひとり西洋音楽のみが最も高度で水準が高いなどとはとても言える ものではない。そのように錯覚する原因は本稿でくり返し触れてきた、 西洋文明の政治・経 済力、軍事力とそれらにより実現された西洋文明の世界的展開にあると思われる。
西洋音楽を学び身に付けたモンゴルの音楽家にとって、西洋音楽とほとんど関わりをたな い自国の音楽家は、ある意味、異文化的な存在なのだろう。そして、国際化の進んだ 現代社 会においては、ごく一般の人々の間にも、他国や異文化の習慣や習俗、文物、芸術 には敬意 を払い尊重することが広まってきている。 これらのことを鑑みるならば、モンゴルの音楽家 たちに見られる見下す態度は、前世紀 いや前々世紀の遺物であり、国際化の進んだ世界に生 きる現代人にはまったくふさわしくないものと断定せざるを得ないと思うのだ。
(つづく)
モンゴル学習支援事業&アサンプション国際小学校
~先生、子どもたちからお手紙が届きました~
劇団風の子関西、特非おとくにパオ講演のご案内
おしらせ
今月のモピ通信を印刷していただける日が4月5日のため、郵送で届ける分はそれ以 後になりますことお知らせいします。
(事務局)
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事務所
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MoPI通信編集責任者 斉藤 生々
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