■NO 207号 モピ通信

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『Voice from Mongolia, 2019 vol.56』 

  ノロヴバンザトの思い出 その97

   NPO法人ニンジンからの報告

   事務局からお知らせ 

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『Voice from Mongolia, 2019 vol.56』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「1か月の夏休みに、家族が力を合わせた『作品』。夏を過ごしにまたおいで」

ウランバートル在住、鉄道技師

6月、友人から届いた写真には、建てている最中の家が写っていた。モンゴルの役所や企 業では、交替で取る年次休暇があり、勤続年数に従って20日から1か月あまりの休暇を取 るきまりになっているのだそうだ。その自由時間をどうしようか、よし、かねて構想して来 た夏の家を、今年こそ。そんな家族のプロジェクトが動き出した。

建築現場で働いた経験のある親戚が失業中で、次の仕事が始まるまで、フルタイムで全面 的に協力してくれる(もちろんお礼はする)。妻は仕事の合間に、ブロックや砂利など資材の 価格を調べ、仕入れなど帳場を担当。早くに夏休みに入る高校一年生の長男も作業員として 動員され、現場に寝泊まりする生活を続けた。「みなが出来ることで貢献する。子どもにとっ ては仕事を学ぶ機会にもなる」。水回りなど自力で難しい部分は、プロの助言も仰ぐという。

あとは屋根と車庫を建てれば完成、という時期にちょうどモンゴルを訪れた私は建設現場 を案内してもらった。数年来、あちこち歩いて選んだのは、首都の東、郊外のオリヤスタイ と呼ばれる地域。木立ちに縁どられた草原のむこうに、緑の丘が連なる。

夏休みに入り、敷地内のゲルに滞在して建設作業を手伝う彼らの長男は、真っ黒に日焼け して、一回りたくましくなったように見えた。大人が仕事の平日の昼間は、集合住宅に鍵を かけて留守番する小学生と幼児の娘たちは、車から降りた途端、飛び跳ねるように駆けだし た。「川へ行って来る!」。

もちろん、プロの建設業者が建てた家に比べれば、多少見劣りし、不具合も出て来るかも 知れない。でも、家族にとってこのひと夏の頑張りは、苦労話や失敗談も含めて、生涯忘れ ない思い出として、語り継がれて行くのだろう。

元々は遊牧民の夏営地をさす「ゾスラン」。川や湖のそばの、緑豊かな土地に宿営し、家畜 に存分に食べさせ、乳搾りし、乳製品を食べて過ごす。遊牧民ならずとも、自然の中で家族 とゆっくり過ごす休暇は、仕事に追われる日常から本来の自分を取り戻すための、欠かせな い時間ととらえられている。

現地で親しくなった人々は、皆口をそろえて誘ってくれる、「次は、夏に家族を連れて、ゆ っくりおいで」と。旅人に食事と休息、やすらぎを与えることは、厳しい自然環境のなかで 生きる遊牧民の掟―と読んだことがある。その伝統が今も生きているからこそ、モンゴルに 「はまる」人が後をたたないのだろう

実は、病弱な末っ子の主治医が、空気のいいところで過ごさせればよくなる、と言ったの――。帰り道、妻がぽつりと言った。公害レベルの大気汚染に苦悩する首都の冬、いざとな れば避難できる、と考えているのだ。新たな意義も加わる、現代のゾスランである。

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今月の気になる記事

「確かにモンゴルだけど、これがモンゴル、と言うには美し過ぎる場所」。アルハンガイ県の 草原について話題になったとき、あるモンゴル人はこう言い表しました。MoPIで20 02年から6年間、毎夏企画された牧民家族にホームステイするスタディーツアーで訪れ たときも、天国にいるみたいな気がしました。あれから10数年、変わらぬゾスランの輝 きを、垣間見える変化とともに伝える記事をお送りします。

馬乳酒を振る舞い、宴でもてなすツァガーン・スム川のひとびと

(筆者:C.オヤンガ)

アルハンガイのツェンケル温泉といえば、その名は広く知られている。一秒間に10リ ットル、土の全く混じらない、澄んだ魔法の湧水の地には、首都から500キロ走れば着 く。地元の人々はかつてあったという寺院にちなみ、ツァガーン・スム川と呼び慣わして いる。

今時分のツァガーン・スムの谷は、牧民や放牧される家畜の群れで大賑わいである。水 や植物が豊富にあり、川の流れをもたらす山には多種のベリーや松の実がなる。豊かな「ハ ンガイ」の恵みを支えとして生きる遊牧民のゲルが集落をつくり、馬つなぎには馬たち、 今年生まれた仔馬や仔牛が跳ねるように水場へ急ぐ――絵に描いたような、音楽が聞こえ て来るような、田舎が眼前に広がっている。ツェンケル村の特産、繊維の粗いカシミヤを もたらす黒ヤギのほか、黒いヤクがそこここに見える。目を楽しませる景色のなかをツァ ガーン・スム川上流に向かい、一番下手のゲルにおじゃました。村の優良牧民であるЧ. オトゴンバト宅である。

一家の主は、ちょうど馬の搾乳を終えたところだった。馬つなぎに留めた馬たちを水場か ら帰って来る馬群に戻していた。ホンゴル(黄褐色)を中心に30頭ほどが暑さを避けて 佇む。仔馬たちもはずなに既に馴れ、近くを通っても警戒する様子を見せなかった。ゲル に近づくと、小さい方のゲルの扉近くに長い木の架台を設け、白い袋に入れたアーロール が掛けられていた。このあたりの家族はどこも、乳製品を作るための小型のゲルを備えて いる。若い女性たちは搾乳のための家畜つなぎと小型のゲルの間を行き来して日がな過ご している、と主が説明した。

客間へと促され、左側の広々としたゲルへ入ると、アイラグ(馬乳酒)の香りが鼻をく すぐる。無理もない、ゲルの右端には馬乳酒加工の青い容器がずらりと並んでいるのだか ら。馬乳酒のあるゲルの常として、客人にお茶を出すより、馬乳酒を供するが、私達にも なみなみ注がれた大椀が差し出された。今年、オトゴンバト宅では、ボルガン県サイハン 村(訳注:馬乳酒がおいしいことで名高い)のフルング(種菌)で醸したという。香り高 く、味わいは筆舌に尽くしがたい。椀の上には油分が漂い、上あごに心地よい刺激が走る。 当地の馬乳酒は味が良く、人々は気さくでもてなし上手である。

(中略) オトゴンバトは2015年に村の優良牧民になった。20年以上牧畜に従事し、現在では

大型・小型家畜を合わせて千頭以上を所有する。800あまりの羊、ヤギ、百頭あまりの馬、 50頭あまりの牛がいる。主は馬に思い入れがあり、「色の薄い毛色の馬が好きだから、ホン ゴルやサーラル(灰色)の種馬で繫殖する。若い頃はよく調教した。(中略)近頃は、草原の 青草を食べさせて走る馬はいなくなった。飼料や肥料、穀物で身体を増強する、かなりの資 金をつぎ込むようになったようだ。競馬が好きだとの気持ちだけでは難しくなってしまった」 とのことだ。(中略)

オトゴンバトには娘、息子が一人ずついる。娘のサムジャブは農業大学卒業後、韓国に留 学し、大学院で経済学を学んでいる。息子のムンフサイハンは県で補助獣医学科に在学中。

現在は夏休みで帰省して、両親を手伝っている。 会話の合間に、家畜由来の原料の流通に話が及んだ。ほとんど値がつかずに廃棄されてい る現状への批判を込めて、オトゴンバトは「牧畜は良い仕事だが、厳しい年には大変な思い をする。そんな年も家畜とともに乗り越えて来た。2010年の夏は家畜を減らした。家畜 の恵みのみで生活の糧を得て、子どもたちの授業料を支払っている。皮革の奨励に登録した が、奨励金が入ったためしがない。羊毛の奨励金は入るが、羊の毛皮、牛の皮、羊毛はまっ たく値がつかない。中には羊毛を焼却している牧民もいる。皮革工場が建設されていれば、 と思うが、どうにかならないものだろうか。首都では肉は常に高値だ、と言われる。われわ れからは半値ほどで買い取られる。牧民から何人もの中間業者を経由して肉工場にいくよう だ。牧民から工場が直接買い取りすれば、少しはましな値段がつくだろうし、牧民にとって 必要なことだ。年間百頭の大小家畜を出荷しているが、皮などを廃棄していては大したもう けにならない」と話した。

スーンホロート加工には3-4日かかる

麗しい北のハンガイは、いにしえから馬乳酒やツァガーンイデー(訳注:伝統の白い食べ もの、乳製品)で知られて来た。妻のボルガンチメグは、指ほどの厚さのウルム(乳脂)を 大皿に載せ、様々な形のアーロールとともに差し出した。ハンガイの女性の間で受け継がれ て来た乳製品づくりの技術について尋ねた。「ツァガーンイデーを加工する方法は、幼いころ から、母から詳しく教えられて、身に付けた。アーロール、ウルム、タラグ、ビャスラグに はじまり、多種類を作っている。秋になればもっと増えて、販売にも回す。砂糖入り、砂糖 なしのアーロール、スーンホロート、アーロールも様々な形のものを作る。

中でも、スーンホロート加工は楽ではない。生乳をそのまま発酵させ、浮かんだ乳脂肪を 集めて、シャルトス(バターオイル)を取る。その後、乳を温めて凝固させ、砂糖を入れて 混ぜ続けることで、こねた小麦粉の生地のような状態になる。発酵させる2日を含めスーン ホロートができるまで3-4日かかる。あまり乾燥させないために、この時期はまだ作らず、 少し涼しくなった9月頃につくる。アーロールもそう、直射日光に干すと、内部が酸化して、 風味や品質が変わってしまう」と話した。

夫婦は20頭の牛と15頭の馬を搾乳しており、牛乳搾りは朝一回のみという。一回の搾 乳量は30リットルあまりで、それを加工する傍ら2時間ごとに馬の乳を搾るうちに一日が 過ぎていく。さらに、週に3-4回は酒の蒸留が加わるというから、仕事は尽きない。

田舎での小規模生産の実態を、オトゴンバト一家から知ることができる。馬乳酒、乳製品 の販売、デール(民族衣装)の仕立て、野生のベリーや松の実の収穫、販売と、牧民は小規 模事業に従事している。乳製品の価格について聞くと、砂糖入り・絞った形状のアーロール が1キロ1万-1万2千トゥグルグ、大皿に盛るアーロール30個が20万トゥグルグ(訳 注:誤記の可能性あり)、鍋一つ分のウルムが7千トゥグルグ、1リットルの馬乳酒7千トゥ グルグとのことだ。 (中略)「8月末には貯蔵用の乳製品を作り始める。冬には注文販売分を届けに首都に一度出 るけれど、その他は暇なし。牛は11月末まで搾乳する」という。

夏の仕事が一段落すると、まもなく草刈りの時期を迎える。9月中旬から作業に出て、韓 国製トラック5-6台分(訳注:1台に容量オーバーの1.5トンほど積む)の草を刈る。 いくらかは干草や飼料を購入して補い、大小家畜を養う。このように湧き続けるような日々 の仕事の合間に、話に花が咲いた。その間も、息子のムンフサイハンは発動機にスイッチを 入れ、井戸から水を汲み上げていた。どこのゲルでも発動機を使い、洗濯機や冷凍庫を使う ようになったのは、多少なりとも労働の負担減になっているだろうか。(後略)

(ゾーニーメデー紙より) http://polit.mn/69368

2019年8月12日 (原文モンゴル語) (記事セレクト・抄訳=小林 志歩)

※転載はおことわりいたします。引用の際は、必ず原典をご確認ください

ノロヴバンザトの思い出 その97

(梶浦 靖子)

伝統楽器奏者と複音来性

活動の中心が「新モンゴル音楽」の演奏である演奏家であっても、伝統的な楽曲を演奏す る機会はある。社会主義時代から、国立音楽舞踊中学校などの教育機関では、西洋音楽の理 論を教えつつ、伝統的な楽曲を教えてきた。たとえばモリン・ホールであれば、西洋音楽の 楽曲や、西洋の音楽理論に基づくモンゴル人作曲家の新作などを演奏できるよう訓練される かたわら、民謡のメロディーや伴奏、モリニイ・ヤルダルなども演奏できるように教育され ていた。伝統音楽部門の教師には、もともと牧民の家に生まれ、西洋音楽とほぼ関わりのな い環境でモリン・ホールの奏法を身に付け、 長じて都市部に出てから西洋音楽の理論も学ん だ、という者もいたのである。

人民革命以降のモンゴルの伝統音楽の演奏家、特に伝統音楽家、特に都市部の劇場や教育 機関で学んだ者たちは、結果的に、西洋とモンゴルという二つの音楽性、復音楽性すなわち4、 バイミュージ カリティーbi-musicalityを身に付ける道歩んできたと見なすことができる。

バイミュージカリティーとは、音楽学者M.フッドが、言語におけるバイリンガルの語とな らいない造語で、複数の音楽様式に通して実践できる音楽能力を意味する。

私が身近に接したモリン ・ホール奏者たちも、西洋曲と民謡その他の曲を音色や表現の仕 方を巧みに変えて演奏していた。どれほど西洋音楽に通暁しようとも、伝統曲の演奏ではモ ンゴル独自の音色や鳴り響きや表現を忘れないようにしていた気がする。

西洋的な表親とモンゴルの伝統的なそれとの違いの一端を、私なりに大まかに言い表すと すれば、モンゴル式は総じて穏やかな印象がある。遊牧民イコール野性的というイメージを 持つ向きもあるかもししれないが、髪振り乱さんばかりの情熱的な弾き方はむしろ西洋的な のではと 私は思っている 。ほかにも、リズム感覚の面で、西洋では強拍と弱拍の交代と周 期性 、何かを振りおろし叩くようなアクセント感が感じられるが、モンゴルはそうしたアク セントの感覚が薄く、規則的なリズムであって、ひたすら 前後もしくは左右に揺らぎ続ける かのようなリズム感覚である、との印象がある。

そこで案しられるのは、昨今のモンゴルの音楽家はその点どのようであるかだ。私は現在 のモンゴルの音楽家の状況については、日本にいながら入手できる情報があるのみで、つぶ さに知っているとは言えない。 しかし、前述したように「新モンゴル音楽家」側の音楽家が、 昔ながらのスタイルの音楽家を見下すなどの様様子を見聞きするにつけ、 不安を禁じえなく なる。

人は見下した対象を真摯に学んだり、大事に守り後世に受け継ごうとは思わない。楽曲は 残っていくかもしれない。伝統曲をあえて五線譜化して保存したり、録音、録画によって局 の鳴り響きや演奏の見た目は保存しうるだろう。しかし、現実にその鳴り響きを音色や表現 に至るまで再現し演奏できる人間がいなくなったりなら、その音楽は世界から消滅したも同 じなのだ。伝統音楽のメロディーつまり音の並びを正しく演奏できたとしても、その音色や 表現が西洋音楽のそれとあまり変わらなくなったとしても同じことだ。言語の場合になぞら えて言うなら、それは英語なまりの母国語(モンゴル語)しか話せなくなっているようなもの である。きわめて残念な状況ということだ。

実際のところ、現状はどうなのかを報告できる立場にはないが、ウェブ上の、わりと最近 の動画のなかに、モンゴルでは伝統曲をモリン・ホールで独奏しているものがあった。それ らの曲を西洋、モンゴルそれぞれにふさわしい音色で奏ででいたのでいくらか安心した。と いう経験をした。モンゴル音楽の伝統がそのようであってくれれば良いのだが。

モンゴルの場合は特に、伝統楽器の演奏家は西洋音楽と自分たちの伝統音楽性の違いに常 に留意し、区別して演奏していく必要があると思うのだ。なぜなら、さかのぼれば人民革命 以降、現在モンゴルの伝統楽器の多くは、一人の人間が一種類の楽器で様式や文脈の異なる 二つの音楽、二つのジャンルを実践することを求められるようになったからである。西洋た きな新作の楽曲郡と、モンゴルの伝統曲との二つである。実際に、適切に二つの語法を区別して実践できているか否かは別として、少なくとも理屈ではそのようになったかと言えるか らである。

複音楽性の概念の活用

現在伝わるモンゴル伝統音楽の諸ジャンルの成立は、いかに新しくとも人民革命より以前で あろう。「新モンゴル音楽」は社会主義政策の一環として、西洋音楽にならって創作されてい った音楽であるから、成立の時期も文脈も、音楽をかたちを作る音組織や理論、語法、様式 も異なる。その意味で、両者は別個の音楽ジャンルだといえる。音楽家と無楽器が重複しな がら、異なる二つのジャンルであるというのは、世界の音楽の中でも珍しいことかもしれな い。かって共産圏であった中央アジア諸国などであれば似た状況がありうるだろうか。

ともかく、そうした中で伝統曲は弾かず「新モンゴル音楽」専門の演奏家になる、あるい はその逆となる例や可能性もあるかもしれない。伝統曲を、あるいは「新モ」の楽曲を学ば ず演奏せずにいれば、否が応でもそのようになるだろう。しかし、とくに「新モ」の演奏家 はそうするわけには行かないのではないだろうか。モンゴルを訪れる観光客に向けての演奏 や諸外国での公演に参加できるのは「新モ」側の音楽家の場合が多い。その際、伝統曲の演 奏が必ずもとめられるだろう。

モンゴルの伝統楽器である以上、伝統曲は弾かない。弾けないでは済まされない。そうし て、伝統曲を弾いているのに曲の雰囲気や鳴り響きが西洋音楽と余りあまり代わり映えしな いように受け取られたならじつに残念ではないか。「新モ」を中心に活動するとしても、伝統 曲をモンゴル独自の響きで演奏する力を持たなければ、演奏家としての活躍の幅はせばめら れていくことだろう。異なる二つの音楽それぞれの特徴を明確に認識し、バイミュージカリ ティーの能力を高めていくことが必要なのだと言える。例えるならは、「流暢に英語を使いこ なすようになっても美しい母国語の能力を失わず高めていく」ことが、音楽家としての大き な結果につながると思うのだ。そのことをモンゴルの音楽家たちは良く考えてほしい。

日本の宮内庁楽部は、宮中の行事のため、伝統的な雅楽の楽器ひとつを専攻しつつ、西洋 音楽も一種類演奏する。二つの異なる音楽を演奏するため、楽器を持ち替えるのだ。対して モンゴルの場合は、一人の音楽家が一種類の楽器で、二つの音楽ジャンルを明確に引き分け、 て、二つの音楽世界を自在に行き来する、ということやもしれないわけである。それが一定 以上のレベルで実現するなら、音楽的に興味深く有意義な事例となるだろう。

昔ながらのスタイルの演奏家は、「新モ」のアンサンブル曲などへの参加がむつかしい分だ け活動の幅はせばまるかもしれない。しかし伝統曲の演奏においては、西洋音楽とは異なる 独自の鳴り響きをより自然に体現し、諸外国の聴衆により強烈な印象を与える可能性がある。 彼らが活動の幅を広げるには、改めて西洋音楽を身に付けるよりも、ネット上に世界にアク セスできる自分のページを持ち、外部の人間にも分かりやすい言葉で自身の紹介をすること を目指すのが良いかもしれない。

ちなみに民謡の歌い手等は、そうした問題とは無縁であろう。ボギン・ドーは、前綬述し たリズム感覚の違いを意識する必要があるかもしれないが、音の音色を失わずにさえいれば、 バィミュージカリティーの問題も悩むことはない。オルティン・ドーは声の音色ばかりでは なく、自由リズムである点など西洋音楽との違いが大きすぎるため、西洋音楽が入り込む隙 が少ないので、ことさら音楽性の違いを意識する必要に迫られないとも言える。 交通や通信の発達より、現代世界は異なる文化同士がより頻繁に接触し合うようになった。 そうした状況下では、伝統文化が異なる文化、文明に飲み込まれて消滅するような可能性も 増大しかねない。それをふせぐにはもバイミャージカリーティの概念と能力は大きな意味を 持つと考えられる。西洋音楽とモンゴルの伝統音楽両方の素養と経験を十分に持ち合わせて いたほうが、両者の違いやそれぞれの特徴、持ち味についての理解が深まり、比較対照が容 易になりうる。その意味では「新モ」側の音楽家も、伝統的なスタイルの音楽家と同じかそ れ以上に、モンゴル伝統の保護、保存、次世代への継承のために大きな役割を果たすことが 可能だ。その際、西洋音楽とモンゴル伝統音楽とは、一方が他方の特徴や持ち味、それぞれ 独自の音楽性を浮かびあがらせるための「鏡」のように用いられていることだろう。ともかくも、モンゴル伝統音楽と「新モンゴル音楽」とは、別個の音楽ジャンルとして共 存共栄していくことが一番望ましいだろう。その際、音楽としての双方つぶし合うようなこ となく、お互いへの尊重と敬意を忘れないでほしいと思う。 (つづく)

M.Hood.”the Chal lenge of “Bi-Musicality”・Ethnomusicolngy.N(1960)-55-59拓殖元 「世界の音楽への招待」(音楽の友社、1991年)、10頁

NPO法人ニンジン 報告

(梅村 浄)

<クラウドファンディング後先> <クラウドファンディング前>

クラウドファンディングについて考え始めたのは昨年秋のことでした。

私たちの事業は折り返し地点にさしかかり、終わることがわかっているのに、一向に着地 点が見えません。始めて2年足らず、親子は毎週土曜日にセンターに集まって、リハビリや 勉強を続けていました。建物の賃貸料こそタダですが、行政からはリーダーの給料も子ども 達の給食代も出ません。かろうじて冬の暖房費用にと草の根事業から支払っている6ヶ月分 のリーダー手当、メンバーがポケットマネーから支払っている草の根の日のランチ代などが、 この活動を金銭的に支えていました。

昨年ゴールデンウィークの渡航では、労働社会保障省の事務次官を訪問して、2つのセン ターへの理学療法士の派遣と、リーダへの給与の支払い、子ども達の給食費の支払いなどを、 モンゴル国として対応していただくようにお願いしました。 「モンゴルの障害児支援事業をありがとうございます。来週にでも関係部署の担当者を集め て、話し合いましょう」 との返事をもらいましたが、以後、何の音沙汰もありませんでした。

翌日、丘の中腹にあるその小さな障害児センターを訪問した時、普段は迎えてくれるリー ダーの姿が見当たりませんでした。日本から来た理学療法士の指導を受けたい親子は来てい ても、センターをマネージメントしている彼女が居ないと、ことは始まりません。

次の朝も、リーダーの姿が見当たりませんでしたが、 「下の娘が頭を痛がっているので、病院に連れて行くのでこれません」 との伝言がありました。

鍵を預かっているお父さんがドアを開けてくれたので、来ている親子と活動を続けました。 上の娘さんが重い脳性麻痺の障害を持ち、夢中でこのセンターを運営してきたのですが、い つまで続けられるか私たちも心配しているところでした。

家庭病院の建物を借りているので、トイレはありますが、水の流れが悪く、使うことがで きません。冬場は− 30°Cのため流した水は凍ってしまい、使うことができません。

私は向かい側にある幼稚園の外トイレを借りに行きました。春とは言え、高台にあるこの 場所は風が冷たい。トイレを終えて坂道を下っていくと、上の方から空になったペットボト ルが、コロコロと転がって来ました。止まれ、止まれと祈りつつ、この事業の未来を占う気 持ちになって、ボトルをジッと見つめていました。

私の前を通り過ぎてさらに坂の下まで転がるかと思いきや、私が立っているセンターの手 前で道路のつなぎ目に引っかかって止まりました。 「あ、よかった」とホッとして私はセ ンターの中に戻りました。

部屋に戻るとリーダーが上の娘を連れて来ており、午後からはあの、張りのあるリーダー の声が子ども達を、動かしてくれました。私の思い過ごしだったかもしれません。

それ以降、事業を始める前には知らなかったこの障がい児センターの貧しさを私はより一層 意識するようになりました。

モンゴル国は 2016 年に 1.2%に経済成長率が 落ち込み IMF(国際通貨基金)の融資を受けて いました。その後徐々に持ち直し、2017 年5.9%、2018 年 6.9%と回復して来ましたが、モ ンゴル政府にとって貧困地区の障害児センタ ーへの支援は、順位があまりに低いものであ ることを実感して来ました。

クラウドファンディングを始めよう

Readyfor の説明会に参加したのが昨年 11 月1 日でした。

その後、NPO ニンジンのメンバー と会議を重ねました。

もう一つの教会に付属した障害児センターでは、冬場は-30°Cになる外にトイレがあるので、 障害のある子達は室内のオマルを使うか、小さい子はオムツを使っています。市の中心街は 水道が引かれていますが、ゲル地区にはありません。ポリタンクを手押し車か自動車に載せ て、給水所に汲みに行かなくてはなりません。

「外国人がモノをあげても、もらった側に使いこなす力がなければ、無用の長物になってし まう。現に、JICA がポンプ小屋を作っても電気を通すことができずに放置されているではな いか。トイレが凍ったり、詰まってしまったらどうなるのか」

「飲む、食べる、出す、を保証しなくては、我々の技術支援も絵に描いた餅になってしまう」2018 年 9 月に2つの障害児センターを訪問し、モンゴル人の専門家に見積りをしてもらい ました。その資料を基に 150 万円の目標額を決めました。募集期間中に、支援者がネット上 で振込を予約した総額が 150 万円を超えた場合に、プロジェクトは成立し、資金を受け取る ことが出来ます。不成立の場合、資金を受け取ることはできず、支援者に全額返金されます。

果たして集まるかどうか、ドキドキのスタートでした。 医学部の同窓生に伝えるとすぐに申し出がありました。今年 50 周年記念同窓会があります。

80 人を超えるメンバーが登録しているメーリングリストで 6 人が発起人となって声をあげて くれました。在学中には話をしたことがなかった気がする公衆衛生学者が周りの研究者、栄 養士、保健士にメールや手紙を送り、毎晩のように連絡が入りました。

友だちの友だちは友だち。

見も知らぬ人たちが、寄付を申し出てくれることにあれよ、あれよと驚いている内に、お金 だけではなく暖かいメールも送られて来ました。 ―残り少ない人生を人の為に役に立つ事をしたいなあと思っていましたが個人では何も出来 ない無力感を感じていた所、素晴らしいお話を頂きありがとうございました。やはりひとが この地球上に産まれるのは人の役に立つ為に産まれて来るのだと思っています、元気に生か されていることに感謝して、出来ることをやっていきたいと思っています、 心から応援しています。

8 月に現地に行かれ、キレイな水とトイレが完成して子供たちの笑顔が目に浮かびます。 これからもお身体にご留意され、頑張って下さい。

6 月 28 日にクラウドファンディングは締め切りを迎え、おかげさまで 180 万円が集まりま した。コバちゃんから「郵便振替ならだいじょうぶ?」とのメールをいただき、「はい!喜 んで」と返事しました。わざわざ郵便局から振り込んで下さった方々、どうもありがとうご ざいました

モンゴルは夏休みの真最中、これから水槽を取り付け、障害児も使えるトイレの工事を行 います。クラウドファンディングはお金を集めるだけではなく、人々とのつながりを広げま した。草の根事業はこの8月で終わりますが、新しく出会った方たちと夏の大草原が待っているモンゴル・ツァーに出かけ、6 日には2つのセンターを訪問します。 旅の話は、また、次回に。(2019 年 8 月 1 日)

事務局からお知らせ

堺市から依頼があり、世界のお茶 de アフタヌーン cha に・参加します。

9月23日(月・祝)

―ミルクティでモンゴルの文化を楽しむ―

「お茶」でいつもと違う午後を・ そんな想いから生まれた・「 アフタヌーンc h a 」 日本茶・韓国茶・紅茶やちょっと変わったお茶の楽しみ方を

プロが伝授 ! 一緒にステキなお茶時間をすごしましょう♪

みなさま、お時間があればご参加ください。 モンゴルのお茶をみな様に紹介するのは初めてですので緊張しております。

でも、がんばります!

アフタヌーンcha

(石井 菜倫)

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事務所
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
tel&fax 075-201-6430

e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp

MoPI通信編集責任者 斉藤 生々

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