人類学者は草原に育つ
『Voice from Mongolia, 2020 vol.63』
モンゴル・日本友好茶会と茶道の普及活動
アジャ・リンポチェ新年挨拶
事務局から総会と会費のお願い
小長谷 有紀著 人類学者は草原に育つ
(臨川書店フィールドワーク選書)9
変貌するモンゴルとともに
小長谷 有紀著
ルームメートとのけんか
モンゴル語の授業は当初、日本人から女性二人がセットに されていたのに対して、学生寮での部屋は、最初から二人別べ つにあてがわれた。そして、それぞれ別のモンゴル人学生と 同室にされた。民主化後の現在では、留学生同士が一室に居住 していることを思うと、やはりこの一人ずつ別にモンゴル人 学生と同室にするやりかたは、監視のシステムの一環だったろう。
私の同室者はブリヤード系のデルゲルマーさんだった。
彼女は当初から満州語を勉強しており、のちに歴史研究所の
所員となって、いまも満州語文献の研究に従事している。
そもそも、資本主義圏からやってきた学生と同室になる学生 というのは、よほど思想的にしっかりしていると保障された人 であるにちがいない。たとえば、日本人の持ち込む物質文化に 容易にかぶれたりすることのないような、頑固な思想の持主であるはずである。
私にはしかし、ごくふつうの女子学生のように見えたし、彼女もそのように接していた。 彼女はいつも彼氏と一緒で、私が入り込む余地はあまりなさそうだった。とくべつ親しくな ろうものなら、かえって迷惑がかかる、そんな思いを抱かせる時代だったので、とくに親し くもなれなかったけれど、かといって仲が悪いわけでもなかった。しかし、大ゲンカしたこ とがある。冬のある夜のことだった。
モンゴルの夜は寒い。首都ウランバートルでも厳寒期にはしばしば零下40度ぐらいまで 下がる。日中最高気温も零下20度くらいである。零下10度台のときは、今日は暖かいな あという会話が弾む。暑い日本からやってきて、3ヶ月もたたないうちに、この寒さをしの がなければならない。
ただし、部屋のなかはとても暖かい。街全体に火力発電所からの温水パイプが通っていて、 どのアパートにも暖房が行き渡るよう設計されている。暖房無しでは生きていけないから、 こうしたセントラルヒーティングのシステムが確立している。
問題は、この暖房システムのせいで、モンゴル人、とりわけ田舎育ちのモンゴル人に部屋が暑すぎるということである。彼らはだから、二重になっている窓の、小さな部分窓を 開けている。必ず外気を取り入れ、夜でも小窓を閉じることがない。外気がどんな寒くても、 小窓は開けて寝るのだ。モンゴルと比べればかなり暖かい国から来た私には、その開放が恐 ろしい。どんなに小さくても窓は閉めて寝ましょうよ。外はあんなに寒いのだから。
というわけで私は夜な夜な、起きては小窓を閉め、そのせいで生き苦しくなった彼女は目 覚めてまたぞろ小窓を開ける。冬の夜長に、小窓開閉の攻防戦が数日続いた。そしてある夜、 私たちはかち合った。同じ時刻に起きてしまったのである。
口論はその時に発生した。そして、そのとき、彼女のセリフはまるでタイプライターで打 ったように、私の脳裏で文字になって見えたのだった、すごい。見える。否、聞き取れてい る。ただ、なんとも情けないことに、彼女がどんなセリフを言ったのかまったく思い出せな い。彼女の言うことがすごくよくわかるという感動が前面に出てきて私を満たしてしまった ようだ。 それにしても、けんかはしてみるものですね。真剣勝負だから、集中力が増してい たのかもしれない。それ以降、私はモンゴル語で夢をみるようになった。
ウランバートル脱出
ようやくモンゴル語で人と少しばかり話ができるようになり始めると、やっぱりさらに使 ってみたくなるというものだ。とくに、モンゴル草原にやってきたのに、草原に行けないの は辛い。これまでは、寒さのせいで行けなかったが、そろそろ暖かくなってきたのだから、 でかけてもいいじゃないか。
恵さんと二人、私たちはモンゴル民族衣装を着た。するとまったくモンゴル人にみえる。 外国人には見えない。ただし、ふだんからこれを着ていたから、とりわけ変装しているとい うつもりはなかった。列車の切符を買って、南下してゴビへ向かった。4人がけの椅子の対 面には、ちょっとイケメンの兵士が座っていた。兵役を終わって故郷に帰るのだろうか。あ んまり話をすると、こちらがモンゴル人でないことがばれてしまう。だから、あくまで無口 タイプの女性たちという風情で旅を続けておくことにする。もうそろそろこのあたりでいい かなと、適当なところで下車した。知り合いがいるわけでもない。ヒッチハイクしてトラッ クで西に向かった。ゲル(テント式住居)が見えたので適当にトラックから下りた。ウマに乗 りに来たというと、おばあさんは、「いまどきの町の女の子はウマにも乗れないようだね」と 言いケッケと笑って、スワッと立ち上がり、そそくさとウマを用意してくれた。
それはほんのささいな冒険だった。ところが、これが大問題に発展した。資本主義国から 来た人びとは、首都から40キロメートル圏内を出てはいけないというルールがあったのだ。 その国のルールを守らなかったのだから大問題である。たとえば、日本ではマリファナ(大麻) を所持したり、吸引したりすれば、法律で裁かれる。場合によっては国外追放もありうるだ ろう。私たちの罪はそれと同じことだった。
しかも、私たちが列車を降りたところは運悪く軍事基地のあるチョイルであった。首都か ら約200キロメートルの地点である。中国国境までは400キロメートル以上もあるから、 国境警備用の駐屯地というよりも、首都を防衛するための場所であろう。無論、当時は公開 されていなかった。民主化後にこの一帯がゴビスンベル県として新しい行政区が設定された とき、当初『地球の歩き方モンゴル』では別の場所に記されていた。そ れほど、あまり知られていない地点だったのである。ただでさえ法律違 反であるのに加えて、いかにもスパイに行ったかのような場所だった、 というわけである。無事に首都に帰ってきてしばらくしてから、もうゴ ビに行ったことさえ忘れかけたころ、モンゴルの国家保安委員会いわゆ る公安局から出頭命令が来た。二人で行ったのに、呼び出されたのは私だけであった。 恵さんはロシア人の友たちとモスクワへ行っていた。私たちには知ら されていないような、何らかの取引が背後でなされていたのかもしれな い。とにかく、わざわざ私が一人になったときに呼び出しをくらった。
(つづく)
『Voice from Mongolia, 2020 vol.63』
(会員 小林 志歩フリーランスライター)
「もらうより、あげる方に福がある。誇りに思います、技能実習生ツォルモンバータル、ナ ランバータルは、初めての月給から日本のコロナウイルス医療に寄付」日本語通訳、技能実習生送り出し会社経営者、ウランバートル在住
20年来の友人が、来日して間もない若者の善意の寄付について、SNSで称えていた。 マスクが買えない、お客が来ない、子どもの学校がない、卒業式がない、と嘆く声が世の中 にあふれ、政府による経済対策――中小企業への融資やフリーランスの所得補償が盛んに報 じられている。自分にできるのは、マスクで感染を広げないことと、地域の店が存続できる ようにテイクアウトを利用、というのが、日本人一般の感覚ではないだろうか。
「私が政府に寄付」という発想は出て来ない(と書いていたら、中学生が地域の病院に手 縫いのマスクを寄付したニュース。偉い!)。ジョン・F・ケネディ大統領の有名な演説にあ るように「国がきみにしてくれることでなく、国のためにきみができることを考える」、そう いう発想が、モンゴルの人々には確かにあるようだ。
現地報道によると、新型コロナウイルス対応に追われる中国に対し、モンゴル国政府から、 牧民の寄付によって3万頭の羊が贈られた(2月29日)。自分に余裕があれば、困っている 人を助けたいのがモンゴル人なの――1998年にモンゴル語を習いに短期留学した時、ホ ームステイした語学学校の先生の娘さんが言っていたのを思い出した。子育てと仕事で忙し いなか、モンゴル語の発音を学びたいと言う私のために、カセットテープに詩の朗読を吹き 込み、協力してくれた。遠い島国からやって来た年下の友人のために、何かできることを― ―との優しさが、温かな声とともに、そこに保存されている。
カセットテープ!と思いきや、今や復権しつつある。ダウンロードのお手軽に慣れた世代 には、わざわざ曲を「頭出し」するのが新鮮なのだとTVのコメンテーターが解説していた。 今年の米アカデミー賞授賞式でも、ハリウッド・スターらが喝采した音楽パフォーマンスの 背景に巨大なカセットテープのセットが登場した。
発売当時、世界の若者が「これだ!」と熱狂したに違いない、SONYのWALKMAN、 カセットテープの再来は意外な展開だが、数か月前には誰も予想だにしなかった状況に世界 は陥っている。3 月中旬現在、中国・武漢に発したウイルスは、イタリア、フランスなど欧州 での感染拡大が懸念されている。多くの国が国境を閉ざしつつある。ボーダーレスな人の移 動で無実化しつつあった「国境」が、危機に乗じ、自国を守る砦としての存在感を増してい る。強大な国を代表するリーダーが、ウイルスの出どころをめぐる非難合戦を繰り広げる。 人々の間の壁が、ウイルスという「正当な理由」を得たように、強固に塗り固められていく。
モンゴルを初めて旅したときの驚きは、人と人の間に「壁」がないことだった。知り合い でなくても、自然体で話をし、笑い合い、さりげなく助け合う人々の姿が、心に焼き付けら れた。
自宅にこもって時間を持て余している人がいたら、トム・フィリップス『とてつもない失 敗の世界史』(禰宜田亜希訳、河出書房新社、2019年)をおすすめする。手洗いはぬかり なく、ただし後世から「ただの風邪に世界中が大混乱」と評されるかも、との冷静さは持ち 合わせていたい。
(会員・フリーランスライター 小林志歩)
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今月の気になる記事
旅行の計画が立てられないなか、せめても、とテレビの旅番組を見ていたら、アラブの国でのハヤブサによる鷹狩りの様子が紹介されていた。今回は、ユーラシア大陸に広く分布す るセーカーハヤブサの保護や管理、取引についての記事を紹介する。インターネットで検索 したら、日本でペットとして販売され、飼っている人の情報発信が続々とあり、驚いた。
なお、モンゴルで鷹匠と言えば、バヤンウルギー県のカザフ民族が有名。こちらはイヌワ シによる狩りの伝統があり、観光資源にもなっている。
Б.ニャムバヤル「取引が禁止されたはずが、ハヤブサは外国に出されている」
(筆者:Ч.ウルオルドフ)
「ゾーニーメデー」紙は、過去にもハヤブサをめぐる問題を取り上げて来た。今回はハヤブ サ保護について、野生動物保護研究センター長で、鳥類学者のニャムバヤル博士のインタビ ューをお送りする。
-セーカーハヤブサ(訳注/鷹狩りに使用される)の研究と保護に取り組まれていますが、 どのような方法で保護を行うのですか? 「当センターは2004年に設立され、法務局に登録しましたが、その数年前から研究活動 を行っていました。私は米国で猛禽類を研究して修士号を、水鳥の研究で博士号を取得しま した。今日まで一貫してこの分野で仕事をしています。
ここでは野生動物の研究・保護に関する学術調査を行っており、環境問題に取り組むNG O等の中で専門性の高い、鳥類に特化した組織です。セーカーハヤブサに関する業務や調査 はかなりの量になります。うちの研究者による国際的なジャーナルに掲載された論文は13、 14本を数え、世界レベルで研究が評価されています。
ハヤブサの保護活動では、5千の人口巣を各地に設置してモニタリングを行います。近年、 猛禽類の感電死が頻発しており、その解決に向け、国内外の政府や非政府組織と共に取り組 んでいます。私たちは学術調査機関として、保護や管理方法を立案します」
-ハヤブサは外国に販売されて、数が減っています。生息する個体数も調べることなく、販 売の収益も何に使われたか不明瞭であるとの批判があります。個体数を把握する具体的な方 法はありますか? 「わが国では1990年代にハヤブサの輸出が始まりました。当初は研究目的、その後は商 業的、外交の一環として外国に出すようになりました。ある時期には安定的に輸出され、年 間約300羽が取引されていました。国際機関や野生動物・植物の国際取引に関する条約の 枠組みでもモンゴルから例年輸出されるハヤブサを問題視し、取引の禁止が提案されました。 野生のものを捕まえて輸出していることから生息数に影響する恐れが高い、という理由で、 生息数に影響しない根拠の提出を求められましたが、政府は根拠を示すことができませんで した。証明する方法は、いくつかあります。第一に、セーカーハヤブサの生息数を調べて、 その数に基づく根拠を示す。または、今われわれが取り組んでいるように、人工巣を設置し、 モニタリングを行うことで繁殖やひなの数のパーセンテージを把握することです。
一つ目に上げた、生息数把握は困難です。広大なエリアに分布し、それほど希少でもない。 過去に何度も調査は行われましたが、数値はその度に変動しています。4千から 1 万3千ま で色々な数字が出されています。年によっては政治の影響も見られます。そもそも個体数の 把握自体が難しいのです、もちろん不可能とは言いませんが。数を出しても、国際的に、信 憑性があると見られる可能性は低いです。ハヤブサに限らず、野生動物の個体数把握を国際 的に認めてもらえる確度で行うことは容易ではありません。中でも、セーカーハヤブサのよ うに、国際取引が注目されている、政治的な影響も小さくない、この鳥の個体数を正確に調 べるのは困難です。正直なところ、わが国が出した数字を信じてくれるところはないでしょ う。一方の人工巣の取り組みは、ハヤブサの数や繁殖を説明でき、理解しやすいのです。調 査の実数に基づいていますから」
人工巣が、ハヤブサ保護や研究のカギだということですか? 「人工巣にいくつ卵がある、そのうちいくつが孵化し、何羽のひなが育っている、とのモニ タリングが可能となります。調査の際は、設置場所のある県やソムの協力研究者が外部監視 を行います。そのようにして出て来る数字は信頼に足るものです。モニタリングの際は、外 部からボランティアスタッフも参加させて、さらなるチェックを行います。こうして、誰か のでっち上げでない実数を把握するのです。
セーカーハヤブサは、自分で巣作りを行わず、他の鳥の巣を利用します。2009年から トゥブ県のエージハド、ヘンティー県のダルハンオールなどにある自然の巣や、試験エリア の人工巣を比較し、繁殖の成功率等を調査しました。人工巣をどのような形が望ましいかや 効果的な設置場所などを 3 年かけて、調査・実験しました。合計4種類の形の人工巣を草原 に設置し、実際にハヤブサがどの巣を選んで営巣するか、またその巣であればヒナが順調に 育つかも調べて、現在使用している側面から入るタイプの人工巣に決めました。(中略)こう してプロジェクトの次の段階では、東部5県20ソムで環境担当の専門家と協議し、説明を 行うとともに、人工巣を設置しました。地元の人々に趣旨を理解してもらい、情報を得なが ら取り組んだので困難はありませんでした。自然環境省やアラブ首長国連邦(UAE)の環 境開発庁との共同事業として行っていました。こうして2010年冬のプロジェクト終了時 にはハヤブサ以外のタカ、ハクチョウ、カラス、ワシなども営巣し始めていました。他の鳥 も記録はしますが、個体数調査はハヤブサのみ継続しました。人工巣には、2011年に2 00、12年に380、13年568、14年に766のつがいが営巣しました。
人工巣は鳥たちにとって必要であるほかに、放牧地に増えすぎたげっ歯類の管理にも有効 なのです。ハヤブサやタカ類など猛禽の主食となるのは、ノネズミなどのげっ歯類です。今 年、180億トゥグルグをかけて薬剤散布により駆除するとの予算が組まれていますが、草 原に毒をまき散らすより、猛禽類の人工巣を設置する事業を支援するほうが、環境保護にか なう選択でしょう」(中略)
研究報告によると、2009年から14年まででプロジェクトは効果を上げたようですが 15年にはなぜ数字が低下したのですか? 「2012年にハヤブサを民族が誇りとする鳥として指定し、政府がその売買を禁止する決 定を世界に向けて発表しました。これにより、国が取引を管理する必要がなくなったのです。 しかし、取引は止まらず、実際にハヤブサは外国に出続けています。UAEの投資による事 業も、わが国の自然環境省の業務とかみ合わなくなりました。わが国は以前は、外国に出し ているハヤブサの数についての情報を国際社会に伝えていましたが、それすらなくなりまし た。こうした状況によって15年以降は先方からプロジェクトが打ち切られる事態となって しまいました。15年の数字は完全なものではなく、その年はげっ歯類の数は少なかった上、 千ほどの人工巣が盗難で失われるなど、他にも理由はありました。元々、プロジェクトで、 取引可能な個体数を明らかにするというモデルだったのに、成果を活用することなく、関係 機関も連携もなくなってしまいました。このプロジェクトは、わが国のハヤブサの取引にと って非常に有益なものだったのです。政府や省庁がプロジェクトを再度行う気になれば、国 際的には支援が得られることと思います。なぜなら、モンゴルで実施されたプロジェクトを モデルに、現在中国やカザフスタンでも事業化されているからです。やがて、この両国はハ ヤブサ取引において強力な競争相手になると見ています。
だれが被害を被っているか、と言えば、第一にモンゴル国内のハヤブサ、次にわが国です。 こういう話をすると、「この人はハヤブサの取引をもっとしたいのだ」と受け止められるかも 知れません。そうではありませんが、この鳥はわが国の再生可能な資源だということです。 また、政府は売買や贈与を止めないのは明らかなのだから、適切な決定を下すことが求めら れているのです。ハヤブサのおかげで、わが国のインフラ整備にどれほどの投資が得られた か。そう考えると、本当に有難い鳥であると同時に、不運な鳥であるとも言えます。われわ れは研究者として、取引や贈与に際して、個体数に大きな負荷を与えないあり方を考えるべ く努力を続けています。(中略)ハヤブサにとって、高圧電線による感電死は個体数減少の原因でしょうか? 「一般の人は高圧電線を原因と考えがちですが、鳥を死なせているのは、低電圧、つまり6 -15キロワットの送電線なのです。ハヤブサの場合は、35―220キロワットの高圧電 線での感電で死ぬことは多くないのです。(中略)多いのは15キロワットの電線での感電や 飛んで電線や電柱に衝突することによる死です。問題は電柱の、鉄筋コンクリート製の支え 部分の形状が誤っているために、こんな危険が生じているのです。これは改善するために、 環境省に任命された作業班が組織され、私も参加して業務にあたっています。
(中略) さらに言えば、人工巣で孵化した多くのひなが、電柱の下で感電死しているのが発見され
ています。われわれが育てた鳥が感電死し、政府が国外に鳥を差し出している。わが国のハ ヤブサ取引は、外交目的での贈与という美名のもとに、かつてと同様、続いているのです。 こちらからは国の機密として送られたとしても、先方には外交目的と受け取められていない でしょう。国際機関は、わが国のハヤブサ取引の実態を注視しています。
(後略) ゾーニーメデー紙より転載
ニュースサイト http://polit.mn/81040 2020年3月13日 (原文モンゴル語)
(記事セレクト・抄訳=小林 志歩)
※転載はおことわりいたします。引用の際は、必ず原典をご確認ください
モンゴル・日本友好茶会と茶道の普及活動
宮脇 史歩
一般社団法人 歩々佳風 代表理事
於モンゴル国立大学と新モンゴル学園中学
モンゴル・日本友好茶会開催の数日前に、モンゴ ル国立大学日本学科と新モンゴル学園中学校で、茶 道の講座を行った。モンゴル国立大学の日本学科で は日本文学の授業にお邪魔し、教室の前方の机に茶 道具を置いて点前の場を設けた。講義では日本文化 における茶道の意味について主に話した。その後実 際に希望者に前に出て、別の学生のために茶を点て てもらった。ごく一部ではあるが、点前座に座り点 前手順の規矩に則って他者のために一心に茶を点て 供す、という行為は、茶道で大切にしている思想の 一つである亭主と客が互いに心を通わせ一体となる「主客一体」を双方に感じされる機会に なったのではないかと考える。学生は日本語の能力が高いため、通訳を介さず全て日本語で 講義し、点前の指導、質疑応答も日本語で行った。そのため、内容的に深く多くを伝えるこ とができた。
また授業時間内に教室内で茶道具を準備し終了後 には片付けたのだが、それらの裏方の作業が興味深く 目に映ったようである。例えば掛け軸を掛ける、下げ 緒を使って巻く、道具を木箱に収め紐を掛ける、袱紗 をたたむ等の手順を注意深く眺め、率先して手伝って くれた。終了後は、エレベーターのない校舎で教室の ある4階から1階まで学生達がすべての茶道具を運 び、道路でタクシーを捕まえて積み、見送ってくれた。
新モンゴル学園では、8年生を対象に茶道についての講義とデモンストレーションを行っ た。この学校は日本式教育を行う私立の一貫教育の学校で、小中高、高専、工科大学から成 っている。会場は、柔道の授業用の畳敷きの大きな部屋を使用した。生徒は長期的に日本式 の教育を受けているためか、日本文化に慣れ親しんでいるようだった。畳の上に座り、しば らく正座することも難なくできた。これは海外では珍しいことである。8 年生の 120 名程の中 に、日本でホームスティを経験した際に抹茶を飲んだことがある、茶道の点前を見たことが ある、という生徒が10数名いた。人数が多いため、全員ではなく各クラス 2 名づつ計 8 名 に代表で客として参加してもらい、残りはお茶を運び出す役目と、見学をしてもらった。皆 とても礼儀正しく、熱心に取り組んでくれた。また笑顔で楽しそうに校内ですれ違う生徒は 丁寧に日本語で挨拶をしてくれた。全員にお茶を出すことができなかったのが心残りである。
両校ともに温かい歓迎を受けた。大変有り難く嬉しいことであった。
モンゴル日本センター
2019 年 5 月 27 日と 29 日、「日本文化紹介週間」の行
事の 1 つとして実施された「茶道」の講座で講師を務め た。対象は、日本語コース日本語学習者(中級クラスの
学習者)1 クラス 10 名~15 名を4クラス 日本センター のスタッフを対象にした1クラス、計5クラスを指導し た。今回は、講義よりも実技の指導にも重きを置いた。 そのため、日本センターと相談の上、講座で使用する茶 道具を購入してた。講座では、基本的な所作を含め、通 常は8回程の稽古で習得する点前を指導し、ペアで相互 に亭主と客となりお茶を点て合った。全員、非常に根気と集中力を要する稽古に、熱心に諦 めず取り組んでくれた。特に仕事や学校を終えてからの夜の講座では、遅くまで疲れを見せ ずに取り組む姿に心を打たれた。また、茶道以外にも、掛け軸の書、着物、陶磁器に関する 質問も多く、日本文化に対す親近感と関心の高さを感じた。
おわりに
一連のモンゴルでの茶道紹介の経験から、モンゴルは茶道を受け入れる土壌があると感じ ている。概して海外での茶道紹介においては、点前や作法について「なぜそうするのか?」 という理由を言葉で説明する必要がある。例えば、なぜお茶を出すのにそれほど複雑な過程 が必要なのか?なぜ点前中に何度もお辞儀をするのか?なぜ茶碗を回すのか?といったとい った質問に答えるためである。モンゴルではそのような質問はそれほど多くなかった。こち らの説明をした際にも容易に理解されていた。これは初めての経験であった。その理由とし て、モンゴルの文化・思想が、自然との本質的な一致という信念に基づいているという点で、 茶道と親和性があるからだと考える。茶道の精神を端的に表すと言われている4つの特徴「和 敬清寂」のうち、最も基本であるのは「和」であるとしばしば言われることであるが、モン ゴルでは、伝統的「和」の精神が尊ばれているのではないだろうか。モンゴル人の多くが仏 教徒であることに加えて、祖父母、子世帯、孫世帯が一つのゲルに同居する中で、互いに和 をもって生活することが根付いている。 また、寒冷・ 乾燥という厳しい自然環境のもとで 暮らす遊牧民族であるため自然との「和」が非常に大切にされているのではないか、とも考 える。お茶を受け取る際に多く見られた両手で押し戴く所作は、水の貴重なモンゴルの人々 の一碗のお茶に対する感謝の念の表現として、自然に沸き起こるものだと感じた。実際に「温 かい一杯の飲み物は大変に貴重なものだ」という声も参加者から聞かれた。
5 月末のモンゴルは草原が緑に色づき広がる季節であり、待ちわびた春の訪れへの喜びが 至るところに感じられた。森羅万象に感謝する。
2 年続いてのモンゴルで茶道行事の実施によって、モンゴルの人々に茶道は「見るものでは なく自分でも参加できるもの」であるという認識を少し持ってもらえたのではないかと思う。
今後もモンゴルでの茶道普及の継続し、茶道の魅力を実践的に広く教授したい。モンゴルと日本の友好に微力ながら寄与できれば幸甚である。
(モンゴル・日本友好茶会の実施にあたって、国立民族学博物館の小長谷有紀教授より助言 を得た。この場を借りて深謝申し上げたい。)
アジャ・リンポチェ新年のご挨拶
( 翻訳:石井 菜倫 )
皆様、新年明けましておめでとうございます。
まず初めに、Facebook を通じて、私たちの行っているチャリティー活動にご協力をくださった 皆様に心から御喜びと新年のご挨拶を申し上げます。
さて、2019年のチャリティー活動の内容と2020年の予定を簡単にご報告させて頂きた いと思います。2019年の5月と6月には、私の自伝「アジャ•リンポチェ回想録」のロシア語 版が出版される機会にロシアを訪問しました。
その際、学校や病院や牧畜区域などの訪問と寺院をお詣りして、以下のチャリティー活動を行 いました。トゥバ、カルメク、ブリヤ-ト、三地域より各2名、計6名の大学生を選抜して、チベ ット学と仏教の専門知識を大学院卒業まで勉強させることに決めました。
目的は「生命と科学」をもっと広い意味で理解するのと、さらにもっと多くの人たちに「心の 平和と世界平和の関係など…」を理解してもらうことです。専門知識を持つ人間を育てることは大 事です。 この6名の学生は2020年からブリヤ-ト大学の大学院に入学します。私の印紙代で彼らの学業 を支援する予定です。
「大蔵経」を読経することは私の念願であり、誓いでもあります。読み終わるまでには三年間の 時間がかかりますが、2019年9月、アメリカにいるモンゴル人達の集まる地域から読経を始 めました。その後、シカゴで読経し一か月滞在しました。皆様から読経功徳のお喜びにチャリテ ィー募金活動を企画していただき、御布施52,000ドルを頂きました。
10月、ロサンゼルスでも「大蔵経」を読経して1ヵ月滞在しました。ここでも、皆様のご協 力のもと、御布施 2,000 ドルを頂きました。
11月、サンフランシスコで読経を続け、1ヵ月の滞在でサンフランシスコのモンゴル人社団 グループに16,000ドルの募金、Zanabazar Dharma Centerに5,000ドル、Ger青年セン ターに5,000ドルと個人のお布施、合わせて約50,000ドル頂きました。 2019年には合計で慈善事業寄附金を84,000ドル頂きました。その内、シカゴ地域から5 2,000ドルとカリフォルニア地域から32,000ドルのお布施をいただきました。 2020年1月から私はワシントンに参り、引き続き「大蔵経」を読経します。
今回、30名の児童に大学まで勉強させる資金を目標にして、募金しようと思います。この慈 善プロジェクトは ARS 奨学金プロジェクトといい、モンゴルから始めることにしました。一人当 たりの年間学費は約2,000ドルを掛かります。 昨年まで10名の児童を支援しました。できれば今年中に全員の支援を完了させたいと思います。
その一方で、今年の夏にモンゴルで六階建ての老人活動センターを建設することを計画してい ます。現在、基礎工事と外部工事が大体完了しており、春には内装工事をする予定です。 ウランバートルにいる間に、援助している学生たちの生活と勉強の様子を訪ねに行きます。モン ゴルの牧畜区域にも行く予定があり、現地のこともっと知りたいのと皆様のご支援とご協力を頂 きたいです。また、モンゴルでも色んなチャリティーイベントを企画していますので、皆様のご 参加とご協力をよろしくお願い致します。重ねて、皆様の素晴らしい慈悲心で多くの衆生が救わ れることを願います。最後に皆様にとって幸多き一年となりますようにお祈り致します。
( 平素のアジャ・リンポチェは、気の毒に感じるほどご自分を律し、質素倹約な日々を過ごされているとのこ とです。石井菜倫 )
第19回モピ定例総会のご案内
2020年3月8日
モンゴルパートナーシップ研究所
理事長 小長谷有紀
早春の候、みなさま益々ご清栄の事とお慶び申しあげます。 平素モピ活動にご支援をいただきありがとうございます。 新しい年度を迎えるに当たりみ なさまにご報告とご承認を賜りたく準備していましたが、コロナウイルス感染の予防のため 会合など禁じられていますので今年度はスタッフのみの開催とさせていただくことになりま した。何卒ご理解ご協力をお願い申し上げます。
つきましては、総会成立の要件として必要なため、委任状のご返信をお願いいたします。
モピ総会案内はがき、一言欄から
モピ通信に掲載される”モンゴル学習支援事業” に参加された子どもたちからの便りが皆嬉しそうです ね。見て、聞いて感じたこと、この体験は、きっと大 きくなっても覚えていることですね!! (藤原 道子)
新型ウイルスの流行が一日も早く終息し世界的に安 心な生活が送れるようになってほしいと願っています。 モピの活動頑張って下さい。(崎山 邦子)
サロール画
今年2月中に予定されていたモンゴル学習支援事業 2校は、コロナウイルス感染予防のため中止になりま した。
1月28日実施した箕面市アサンプション小学校 の皆さまの感想文は、次号に掲載の予定です。(事務局)
2020年度モピ会費納入のお願い
コロナウイルスで世界中が大変な今年の春です。早く良い薬ができて終息できますように、 感染など身近に起こらないように願っています。
モピは2001年6月に特定非営利活動法人として認可を受けています。今年20年目に 入ります。みなさまのご支援のおかげです。ありがとうございます。
これからも引き続きご支援賜りますようよろしくお願い申し上げます。
会費・寄付金の送り先
郵便振替 口座番号 00940-6―84135
加入者名 モンゴルパートナーシップ研究所
銀行振込 三菱東京UFJ銀行 谷町支店 口座番号 普通 5096982
口座名義 トクヒ)モンゴルパートナーシップケンキュウショ
(事務局)
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事務所
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
tel&fax 075-201-6430
e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp
MoPI通信編集責任者 斉藤 生々
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