■NO 218号 モピ通信

人類学者は草原に育つ

『Voice from Mongolia, 2020 vol.65』

  未来学の未来

  ストレスマネジメント

  事務局から 

 

小長谷 有紀著 人類学者は草原に育つ 

変貌するモンゴルとともに 

 (臨川書店フィールドワーク選書)9

春でなければならない理由

フィールドワークをひもといて見せるような拙著『モンゴルの春』で は、その「プロローグ」に、10カ月まるまる現地調査ができないなら せめて1カ月、どうしても見ておきたい時期が子ヒツジ、子ヤギの生ま れるころであり、その時期の「牧区観察」を申請したことを記している。 そして、さらに次のようにしたためている。

前人未到の地の探検は、場所にあるのではなく、領域にある。だれも いったことがない場所に行くことが目的ではない。だれもやらなかった 領域にわけいることが、わたしの目的である。たとえば、ヒツジやヤギ の出産シーズンにおける人と家畜のかかわりかた。モンゴル独特のかか わりかたがあることはすでに紹介されている。しかし、詳細な観察にも とづいた報告はなかった。一年で最も多忙な時期こそ、人と家畜の関係が濃密になるにちが いない。どんなふうに濃密なのか? それを観察することによってはじめて、モンゴル遊牧文 化を把握し、世界のさまざまな牧畜文化のなかに位置付けるための糸口がみつかるのではな いだろうか。

もちろん、これは嘘ではないが、あくまでも事後に書いたものである。事前にどこまで考 え抜いていたかは自分でもあやしいと感じる。ただし、漠然とではあっても直感的に大切な のは「春だ」と感じていた。

日本における霊長類学の祖として知られる今西錦司は、内モンゴルに赴き、そこでの観察 にもとづいてユニークな「遊牧論」を提示した。狩猟民が遊蹄類の群れを追いかけるうちに 家畜化が始まったという一種の起源論である。これをいま仮に「群れ追い説」と称しておこ う。これはもともと梅棹忠夫のアイデアであったと藤枝晃氏は回想している。梅棹自身も自 伝『行為と妄想』でそう述べている。しかし、今西はそうは書いていない。「群れ追い説」を 自分に帰属させる一方で、梅棹には「子おとり説」を付与する。「子おとり説」というのは、 子畜をおとりにして母畜を誘導することができるという考え方である。

そもそも、この「子おとり説」は搾乳について議論するときに持ち出された考え方である。 長い家畜化のプロセスを想定しておいたうえで、その過程で搾乳が発生するときには有効な考え方であろう。「群れ追い説」と「子おとり説」は、それぞれに群れに対するアプローチと、 対個体的アプローチであるという点で、対比的である。と同時にもともと時間軸のうえで別 の問題なのである。

この点を今西は、また家畜もできていない段階で子どもをおとりになどできないだろうと、 時間的な矛盾を指摘し、否定する。しかし、家畜化のプロセスに長い時間軸を設定し、初期 段階と後期段階に分けて配分すれば、両者は決して矛盾することなく、共存もできるだろう。 あるいはまた、「子おとり説」から、「おとり」という概念をとりのぞき、「子捕捉説」とすれ ば、子畜を補捉して育てる家畜化という考え方になる。家畜化のプロセスについて、どれか 一つだけ正しいと考える必要などなく、併用されることは十分にありうる。人類が、あれも これもといういろいろな方法を試みたと考えるほうがむしろ自然かもしれない。

それはともかく、梅棹の「子おとり説」は、モンゴルにおけるウマの搾乳方法から喚起さ れている。モンゴルでは、子ウマをつないでおくと、母ウマがどこにも行かない。まさに子 ウマをおとりにして母ウマをキープし、搾乳する。ただし、梅棹はそれを書物で読んだだけ で実際には見ていない。今西や梅棹が調査した地域ではウマを搾乳していなかったからであ る。加えて、そもそも彼らはモンゴルの四季のうち「春」だけは見ていない。

夏に予備調査をおこない、秋から出発し、冬に張家口に戻った。春は研究所でおそらく資 料を整理していたのであろう。初夏に補足調査をして、やがて終戦を迎えた。春は観察さえ されていなかったのである。

イヌと「シリあい」になったこと

はじめてのフィールドワークをめぐって、人との出会いは書いたけれども、イヌとの出会 いは書いていなかったような気がする。

フィールドワークを始めてから14日目の3月29日に、ホームスティ先に放浪してきた イヌが射殺された。そのイヌが2頭の母ヒツジを追い払ってしまい、その子たちがみなし子 ヒツジになってしまったので、このまま放牧しておくと、またそういう事態が生じかねない。 そこで、厄介な原因が処理されたのだった。そんなことがあったので、その日はさまざまな イヌの話をいろいろ聞いた。拙書「モンゴルの春」にそのことはつづられている。

ところが、肝心のこの家のイヌのことが書かれていない。名前はない。記憶していない。 きっとなかったのだと思う。

典型的なモンゴル犬であった。黒と茶色の毛並みで、目の上に茶色い毛が生えているため に、四つめに見える。この犬はとてもおとなしく、私がトイレに出かけると、いつもついて きた。それはイヌとしてとして典型的な行為である。いつも私が母のあとを追いかけて、彼 女の作業を観察していると、彼女は私に「イヌみたいだ」と言った。イヌというのは人につ いてくるものなのだ。

草原では人間の排泄物もイヌが回収してくれる。ある日、 用を足そうとすると、あの鼻面が背後に感じられた。まるは だかで出した尻のあたりにあの毛むくじゃらの顔があるのか と思うと、出るものも引っ込む。出しにくい。おとなしいイ ヌだし、慣れれば怖くないのだが、なんとなく出しづらい。 それでも出す。ところが、あろうことか、わが家のイヌは私 の出し物をクンクンと嗅いだあと、つんと横を向いてそのま ま立ち去ってしまったではないか。とても食えたもんじゃな い。とでもいわんばかりに……おーい。ちょっと待てよ。何 が気にいらないの。おいしいわよ。たぶん。きっと。

人のあいだではあたたかく受け入れられているのに、この イヌは受け入れてくれないのだろうか。それとも人に受け入 れられているように思うのさえ、実は、私自身の思い込みに すぎないのだろうか。毅然とした拒絶も潜在していることに 気づかされたのだった。

イヌと「お尻合い」になるには勇気が要る。むつかしいけれど、なんとかなるような気が する。それよりももっとむずかしいのは、親切にしてくれる人びととほんとうの知り合いに なることかもしれない。手前勝手に得心したり、調査が順調だと慢心したり、といった気持 ちを、イヌが戒めてくれた。

くだんのイヌは大人しいからといって決して闘争心がないわけではなかった。その後、オ オカミと戦って彼は死んだそうだ。遺体は数キロ先の丘に置かれた。中国語で「明葬」と言 われる。モンゴル語では「イル・タビフ」と言う。要するに放置しているだけだ。

生前、母はたまたま再訪した私に、イヌの遺体の置かれている場所をおとずれ、そこで写 真を撮るように依頼した。お墓まいりがしたかったのである、あのイヌの。きっと母の胸の うちには、あのイヌの武勇伝がいくつもあったにちがいない。イヌについての話を聞きなが ら、彼らの生きざまが手に取るように見えたにちがいない。いまはもういなければ、母もな く、話を聞かせてもらう機会は永遠に失われてしまった。

『Voice from Mongolia, 2020 vol.67』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「多様性の時代、と言われる現在において、民族の文化が消されようとしている。しかも法律や通達などの証拠がない形で…。一度失われたら、元には戻らない」

――内モンゴル自治区出身、モンゴル民族女性

新型コロナ感染拡大により国境が閉ざされ、モンゴルの草原がいつもより遠い、今年の夏。 人々が SNS 上で展開している、ふたつの抗議活動をご存じだろうか。

一つ目は、中国の内モンゴル自治区内の、モンゴル学校においてモンゴル語での授業を中 止されようとしていることへの抗議である。報道によると、同自治区内の通遼市で 9 月の新 学年から授業をモンゴル語で行うことを中止することになり、保護者らによる抗議の声が上 がっているという。

SNS 上でこのことを知ったのは7月中旬頃、「中国が内モンゴル自治区のモンゴル学校でモ ンゴル語教育を禁止するのを阻止しよう」と英語で書いたプラカードを首に下げた、モンゴ ル人児童の画像だった。この時点では真偽のほどは不明だったが、「もし本当なら、そんなの モンゴル学校じゃない」とコメントを付けて、シェアした。モンゴル国の友人たちからの「い いね」は、思いのほか少なかった。ほどなく、同地区オルドス出身の静岡大学の楊海英教授 らによる抗議への賛同を募るオンライン署名活動が始まった。 (後半に関連記事を紹介しています)

内モンゴル自治区と聞くと、モンゴル民族が人口の過半数を占めるようなイメージを持つ 人もいるかと思うが、同自治区人口のうちモンゴル民族は 10 数パーセント、圧倒的多数を占 めるのは漢民族である。テレビやラジオ、日常的に生活のなかで耳に中国語は黙っていても 身に着くが、モンゴル語は意識的に学ばなければ話せるようにならない、という。だからこ そ、民族学校でモンゴル語による教育が維持される意味は、実用以上に、大きい。

もうひとつは、モンゴル国の若者の間で支持が広がる「ゾルガーギーン・ホヨル」。外国人・ 団体による土地所有や活用を認めた同国憲法6章2条への抗議だ。昨年、多くの国民が知ら ないうちに「土地はモンゴル政府の所有」という部分に、「公共の」という文言が加えられ、 外国人も所有、活用できる旨を加筆する修正が議決されていたのだという。日本で働く技能 実習生のDさんは、「そんな条項を、よりによって国の憲法に入れるなんて、何を考えている のか…」と嘆きながら、詳細を教えてくれた。

中国人向けの土地販売サイトで、モンゴル国内の広大な地所が売りに出されているという 情報や、地方の草原において遊牧民を追いやって放牧地を囲い込む様子を撮影した動画などが続々とアップされる。コロナ感染拡大防止で、集会やデモ行進が難しいなか、この問題を 広く知ってもらうためのアクションとして、首都からふるさとの草原へと数百キロを走破す る若者たちが、共感を得ているという。

Dさんは、たまの休日に出かけた海辺の公園で、友人らと「6・2に反対!」と書いた画 用紙を掲げ、スマホで写真を撮影。遠い海のむこうにいても、祖国とつながろうとする若者 たち。賛同する別の実習生は「祖国を離れて暮らすうちに思いが強くなり、モンゴルにいた 頃より愛国的になった気がする」と自己分析する。

国籍の違う2つのモンゴルでのふたつの動きは、突き詰めれば、中国という圧倒的な政治 権力、経済力にどう向き合い、民族の文化や国土をどう維持するのかというモンゴル人の宿 命的な闘い。歴史のはじめから今日まで、常に現在進行形なのだと改めて思い知らされている。

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今月の気になる記事

戦前、日本人が現在の内モンゴルで撮影した写真のなかに、学校での日本語教育の風景が あった。黒板の上にチンギス・ハーンの肖像の左右には、一字ずつ紙に筆で書いたカナ文字 「アイウエオ」。日本に親近感を持たせる、または兵士やスパイとして利用する目的で、草原 の学校で日本語を教えられた時代があった。モンゴル側は、悲願である民族の独立を達成す るために、大陸に勢力を伸ばす新興勢力・大日本帝国に期待をかけた。しかし日本の敗戦で 自治国家はご破算となり、後年祖国を裏切った者として、ひどい仕打ちを受けた人が少なく ないという。(参考/ミンガド・ボラグ『草はらに葬られた記憶「日本特務」』2019年= MoPI 通信6月号に書評掲載)

父や母が話す、母語で教育を受けること。その当たり前が、目の前で、なし崩し的に奪わ れようとする。中国の心ある人々は、どう思っているのだろうか。 以下に紹介するのは、モンゴル国のメディアによる2本の記事である。一般紙の記事のそっ けなさ、それに対して「ふたつのモンゴルはひとつ」と、差異でなく共通部分に立脚した、 内(南)モンゴルからの呼びかけは熱い。

さて、私の住む北海道ではこの夏、道内初の国立博物館としてアイヌ文化を紹介する「ウ ポポイ」がオープンした。しかしながら、先住民族アイヌの言語での学校教育は、過去にも 現在も実現していない。

「内モンゴル・通遼市でモンゴル語での授業が禁止に」 中国共産党の決定により、内モンゴル自治区の通遼市の学校において、モンゴル語で授業

を行うことが一時的に禁止された。中国当局によると、これはコロナウイルスによる一時的 な措置とのことだが、同市の住民は一時的な措置であるとは見ていないという。

同自治区の住民たちは上記の決定に反対し、ネット上で抗議の声が上がっている。また、 米国在住のモンゴル人によって抗議デモが行われた。

とはいえ、そうした取り組みも、中国の政府高官への請願や文書提出、オンラインでの意 思表明にとどまっている。理由は、中国においては集会やデモが禁止されており、ネット上 でさえ、政府の厳しい監視下にあるからだ。例えば、政府を批判する情報や写真を投稿した 場合は、司法機関により削除され、アカウントを閉鎖されることもある。

通遼市は、かつてモンゴル語でジリム県と呼ばれていたが、1999年に中国共産党によ り通遼と改名され、市となった。
(2020年7月16日、 ウヌードル紙 ウェブサイト)

Unuudur.mn/ө вө рмонголын-тонляо-хотод-монгол-хэл ээр-хичээл-орохыг-хоригложээ/ 

「モンゴル語は少数民族の言語でなく世界言語」 (筆者:B.アマルバヤスガラン)

中国の政策で、内モンゴル自治区の通遼市の小・中学校でモンゴル語を

(訳注/正しくは「モンゴル語で」)教えないことになった件で、内モンゴル人にとっては文化の基盤を失うこ とに繋がり兼ねないとの声が上がっている。この件に関して、日本の静岡大学の教員で作家 のO.ツォグト(訳注/チョクト)氏にインタビューした。

―穏やかな、良い夏をお過ごしでしょうか。まずは、読者に向けて、ご自身を紹介頂けま すか。

「私は、O.ツォグトと申します。内モンゴルのオルドス地方、ウーシン旗の出身です。 満洲族の清代には、ヘツー県と呼ばれていました。ケレイド氏族の出です。

現在は日本の静岡大学で民族学・社会学部で、文化人類学やモンゴル史を教えています。 モンゴル人にとっての20世紀の歴史を中心に、モンゴル社会やモンゴル語について研究し、 講義しています。また、オルドスではチンギスを祀る儀式の運営に携わっています。

北モンゴルの各地を訪れました。1993年以降、毎年訪問していますが、今年は感染症 のために行けませんでした」

―母なる言語や文字を研究し、広め、護り、教え、後世に伝えるという、非常に尊い取り 組みを続けられて来て、何年になりますか。 「学術研究、調査に従事して39年になります。モンゴル語や文化、歴史に興味を抱いたの は、それより早く、幼い頃からです。私は1964年生まれですが、当時、60年代初めの 内モンゴルは非常に激しい政治運動、文化大革命にさらされ、大変な時期でした。大勢のモ ンゴル人が糾弾されました。こうした歴史をこの目で見、わが身で感じながら育ったゆえに、 モンゴル語や歴史、文字、文化に強い思い入れを抱くようになりました。

60年代のオルドス地方では、学校の授業はモンゴル語で教えられていましたが、北京の 中国政府の反対により、すべての授業が中国語で行われた時期もありました。そのため、6 0-70年代に育ったモンゴル人は自らの言語をよく学べなかったという辛酸も経験してい ます。その後、中国政府の態度が軟化し、内モンゴル自治区ではモンゴル語で授業が行われ て来ましたが、今年になってまた問題が再燃し、モンゴル語で教えることを制限する動きが 始まりつつあります。

―わが2つのモンゴル(アル<北>・ウブル<南>)は別々の国となって、既に長い歳月が流れ ました。この間ずっと、内モンゴルではモンゴルの縦文字が失われることなく、使用され続 けて来ました。何が功を奏したのでしょうか? 「北・南のモンゴルは、20世紀のはじめ、ひとつの国となり、共に社会主義国家として歩 んでいました。その後、北の隣国のおかげでモンゴル人民共和国という、世界で二番目の社 会主義国が生まれました。しかしほどなく、大国相互の利害により、別々の国となってしま ったのです。

1920年以降、北モンゴルの人々はロシアのキリル文字を採用し、表記に用いるように なりました。内モンゴルでもこれに倣い、40年代から57年までモンゴル国のキリル文字 正書法を、モンゴル文字とともに学ぶようになりました。何故なら、当時内モンゴルを率い ていたのは N.ウランフーという人で、Yu.ツェデンバル元首相の友人でした。H.チョイバルサ ン将軍に従い、支持していました。指導者たちは、将来ひとつの国として発展することを視 野に、ロシアの文字や文化を学ぶことが必要だと考えていたのです。このように、血も宗教 も、イデオロギーも、言語も文化も共通であるのだから、ひとつの国家を形成する必要があ る、との考えのもと、北モンゴルとともにキリル文字を学んだわけです。とはいえ、古来の 縦文字も失うことなく維持していました。

この素晴らしい政府方針は、1958年以降なくなりました。理由は、スターリンが亡く なったあと中露関係が悪化し、2つのモンゴルのどちらをも支援しないという立場が取られ たのです。当時、内モンゴルで北モンゴルと同じ文字を学習することは、北京の中国政府に とってメリットがないとして、キリル文字の学習が一斉に中止されました。

私の両親の世代はキリル文字を学んでいました。当時キリル文字で授業を受けていたこと を示すノートを手元に保管しています。こうして、われわれの言語と文化は大国の狭間で無理解の嵐にさらされ、消耗させられたように思います」 ―われわれハルハ・モンゴル人は独立を果たしながらもロシア(キリル)文字を採用してし まったわけですが、内モンゴルにおいて、人々が縦文字を使用し続けていることを誇りに思 っています。現在、内モンゴルの子どもたちが縦文字教育を受けることについて直面してい る問題が、ネット上で注目を集めています。どうしてこのような事態になったのでしょうか? 「縦文字は、モンゴル人が古来、何百年と使い続けて来た歴史的な文字です。最近、北モン ゴルでも、大統領令によって、モンゴル文字を公文書で用いるべく、毎年5月の第一日曜日 と定め、一定の文書をモンゴル文字併記で発行するようになるなど、モンゴル文字を積極的 に使用する動きが見られるのは、良いことだと思っています。

しかし北京から見れば、ふたつのモンゴルが同じ文字を使用することは許容できない。彼 らにとっては、両者が用いる文字が別々であることで、話し言葉も異なり、通じないことが 望ましいでしょう。よって、北モンゴルが縦文字を使用し始めた途端、内モンゴルでのモン ゴル文字使用を止める方針が打ち出されようとしているのです」

―現状では、内モンゴルのいくつの市で、上記の決定が実行に移されるでしょうか?短期間 のうちにどの程度拡大する恐れがあるのでしょうか? 「新年度、つまり2020年9月において、通遼市の小中学校で実施が始まろうとしていま す。しかし、この方針は全く新しいものではないのです。例を挙げれば、2018年には新 疆のいくつかの地域で始まっています。新疆ウイグル自治区のバヤンゴル、フフ・サイル、 ホンゴ・サイル、ボル・タルなど各地のモンゴル民族は、モンゴル文字で授業を受けて来ま したが、2018年に中止されました。当時、内モンゴルや北モンゴルにおいて、何ら抗議 などのアクションがなかったことから、北京は今年、内モンゴルで同じ方針を実施し始めた のです。始まってしまえば、今後はシリンゴル、オルドス、アラシャーなど範囲を広げる用 意があると見られます。

―内モンゴルの子どもたちや若者は、どのように受け止めているのでしょうか? 「内モンゴルの子どもたち、若者は嫌がっています。当然、いろいろな意見があります。中 には、既に母語は失われており、モンゴル語を学んでも話す機会が少ないのだから仕方ない、 と言う人も一部います。中国語をよく学ぶことにより将来が開けるとの立場で、さほど気に とめない人もいます。とはいえ、大方の若者や子どもたちはそうではない。中国語で専門教 育を修め、大学で研究し、就職する、それは中国政府の方針に沿ったものだが、モンゴル人 には自らの方針があって然るべきであり、モンゴル民族の子どもたちにはモンゴル語をきち んと学ぶ必要がある、というのが大方の見方です。

2年前のことですが、通遼市のある児童が、授業で使うノートにモンゴル国旗を描いたか どで逮捕されるという出来事がありました。7、8歳の子どもが、モンゴル国の国旗を描い ただけで捕まるなんて、あり得ないことです」

―この問題に関して、志を同じくする教員や研究者の方々は、どのような活動を展開し、誰 にどのような方法で訴える必要があると考えていますか?このような問題が今後生じないよ うにするためには、どのような対応が必要でしょうか? 「目標実現のため、オンライン署名を集め、中国の教育省、内モンゴル自治区の教育局、通 遼市の教育委員会など関係機関に届けるため、呼びかけを行っています。

これは、モンゴル人だけの問題ではないと考えています。現在、世界で少数民族の言語は 2千ほどあります。日々、話せる人が減り続け、消えつつある言語です。中国語や英語のよ うな多くの人が用いる言語の広がりに圧迫されているのです。だから、この問題は、内モン ゴル人だけでなく、世界が注目すべき問題なのです。

モンゴル人だけでなく、日本、ドイツ、中国、米国やロシアなど各国の学者からも、この 呼びかけに賛同する署名が届いています。

モンゴル語は少数言語に過ぎないと言われるかも知れませんが、実のところ、モンゴル語は世界言語です。モンゴル語は古代、匈奴の時代にさかのぼります。最も古くから存在する 言語のひとつなのです。その後、13世紀にはチンギス・ハーンの功績でモンゴル語は世界 で使われる共通語になりました。モンゴル帝国が消滅した後も19世紀末まで、モンゴル語 は中央アジア外交の主要言語でした。19世紀の終わり、清朝の出先がインドやパキスタン、 トルコを訪れる際にはモンゴル語で会談が行われていました。

こう見てゆくと、現在使用人口が少なく、少数言語と呼ばれたとしても、政治や歴史など 様々な側面から、モンゴル語は、名声や重要性のある偉大な言語のひとつであるのは確実で す。このように歴史と重要性のある素晴らしい言語を、強制的になくすことなど、到底受け 入れられません」

―今回の件より以前から、内モンゴルの若者たちは、モンゴル語のほかに、中国語で高等教 育を受けなければ仕事も生活も確立できない状況があったことと思います。北モンゴルでも、 母国語のほかに、必ず外国語を学び、留学し、外国で働くことによって豊かな生活を手に入 れるという状況になって久しいです。この現状をどう考えますか? 「私個人としては、とても良いことだと見ています。理由は、モンゴル人は2つの大国の狭 間で、長い年月を暮らして来ました。南北のモンゴル人はいくら分断されても、どこにいて も、理解し合うことができます。血、宗教、考え方など共通の部分は、歳月を経ても消し去 ることはできない。ブリヤートやカルムイク・モンゴル人だってそうです。モンゴル人が外 国語を高度に習得し、各国に散らばれば散らばるほど、プラスに作用するのではないでしょ うか」

―ウブル・モンゴルという名称は、英語でインナー・モンゴリア(国内のモンゴル)と訳さ れますが、大国の意図を感じます。いつから、このように訳されるようになったのでしょう? 「良い質問です。もちろん、ウブル・モンゴルを内モンゴルと訳すのは大きな誤りです。ウ ブル、アルという2つの言葉はモンゴル国のウブルハンガイ、アルハンガイという名称と全 く同じ意味です。ウブルハンガイを内ハンガイ、アルハンガイを外ハンガイと訳すことはで きないでしょう。モンゴル人は大地を自分の身体と同じようにとらえ、このように呼んだの であり、内外という意味は全くありません。

このような訳語を採用したのは満洲人による清朝の時期以降、当時の分割統治と関係があ ります。彼らは、そこはわれわれの領内であるという意味で、このように表現しました。

さらに、内モンゴルの人々のパスポートを見ると、内モンゴル<Nei Mongol>と書かれてい ます。Nei などという、モンゴル語にも、英語にもない語をわざわざ加えて訳すことで、当人 は半分中国人で、半分モンゴル人だという考えを浸透させています」

―公式の名称として「南モンゴル」とするための取り組みはなされていますか。 「まだ動いていません。個人的に取り組みたい考えを持っており、一歩ずつ前進しています。 ロシア連邦内にあるブリヤート・モンゴル共和国の名称から、1958年に『モンゴル』が 削除されたのも、同じ方針を受けてのことでした。このことを見ても、取り組みを始める必 要があると考えています」(中略)

―現在取り組んでいる署名活動の進捗はいかがですか。期待に添う成果が得られなかった場 合は、どのような方法で闘いますか? 「署名は8月10日までの分を集計し、抗議文書とともに、中国の文化省、米国、ユネスコ、 東京の中国大使館などに提出します。もちろん、その後も継続して、世論の注目を集めるべ く活動を展開します(後略)」

2020年7月29日 ウェブサイト https://news.mn/r/2330977/  (原文モンゴル語)

(記事セレクト・抄訳=小林 志歩)

※転載はおことわりいたします。引用の際は、必ず原典をご確認ください。

未来学の未来

(2020年8月18日・京都新聞夕刊 現代のことば) 掲載記事

日本学術振興会監事・文化人類学

(小長谷 有紀)

『ネイチャー』と並んで世界的に有力な総合的学術誌『サイエンス』の2020年6月 号に「パンデミック(感染爆発)後の世界からのニュース」という小さな特集があった。「あ なたは、COVID-19の長期的な影響として何を望みますか、あるいは何を恐れます か。20年後に記事に書いているつもりでニューを仕立ててください」という質問に対す る若い科学者たちの回答をいくつか選んで紹介したものだ。

例えば、絶滅の危機に瀕していた1000種がリストから外されたというニュースは、 ブラジルの遺伝学者よる希望的観測である。彼は、自然資源を収奪的に利用するとますます 感染拡大につながるということに明らかになったので、政策が変更され、生物多様性が維持 されるようになったらいいなと期待している。また、例えば、ニューヨーク市を第50波が 襲い、宇宙で治療するというニュースは、アメリカの工学者のアイデァであり、まるでSF だ。「昨日、インドのニューデリーで開催されたオリンピックの開会式には、20万人もの人々 が参加した。安心感を与えるために、式典の出席者全員が、空気中のウイルスを検出すると いうアラームが鳴るチップを皮膚に移植することに同意した」というニュースは、インドの 植物学者の想像であり、必ずしも専門的見地に基づくわけでもなさそうだ。総じて、ポジテ ィブな未来が描かれている。飽くなき挑戦を旨とする化学者の性がそうさせているのかもし れない。ただし、まず疑ってかかることを旨とする人文系学者として、イギリスの哲学者は、 免疫パスポートの偽造が横行し、国際的な移動が新たな危機に直面しているという記事を創 造している。感染していないことを証明するパスポートがすでに一般化しているという前提 の記事である。

ここで注目したいのは、それぞれの回答の個別的特徴や妥当性ではない。分野を問わず、 未来を想定しようという問いの立て方に注目したい。これこそが、新型コロナウイルスが私 たちにもたらした最大のインパクトではないだろうか。

たとえコロナ渦がなくても、変化しつつあったこと、あるいは変化すべきであったこと、 はたまた変化を認めたくなかったこと、そんな諸課題に対して、私たちは一斉に覚醒した。 今や誰も明日が昨日のままだとは思わない。経済活動を東京に集中させない国土デザインが 必要である。東京の問題は明らかに京都にも関係する。それは同時に、個人にとって、どこ でどのように過ごすかという時間のデザインでもある。新しい時空デザインの必要性を今な ら自分の問題として理解できる。社会全体に共通する個人の問題であると言ってもよいだろ う。

だから、こうせよ、ああせよ、と言われたり、有識者が論じる未来学よりも、どんな未来 であってほしいか、そこへ向かって、みんなで意見を出し合い、未来のイメージを共有しな がら作り上げて行くことが重要ではないだろうか。そんなボトムアップのビジョンのシェア を誰もが必要としている。

ストレスマネジメント

(2020年6月12日・京都新聞夕刊 現代のことば) 掲載記事

日本学術振興会監事・文化人類学

(小長谷 有紀)

15年ほど前に、娘と息子の通っていた学校で PTA の保健委員をしたときのことである。 アメリカで作られたストレスチェックシートの翻訳を試みた。母親たちのストレス軽減に役 立てたかったからだ。すると、「夫が出張で不在がちである」という項目がストレスの原因と して扱われていて、大いに戸惑った。ご承知のように、日本では「亭主元気で留守がいい!」 である。たとえ夫が留守がちだとしても、それをストレスに感じる主婦がどれだけいるだろ うか。そのチェックシートをつかうことはあきらめた。

何をどんなふうにストレスと感じるかは、文化によって異なる。さらに個人差も大きいだ ろう。だからと言って、職場環境が引き起こす様々な問題を放置することはできない。そこ で、法的な措置がとられることになった。

厚生労働省のホームページをさぐってみよう。メンタルヘルス対策の項目から行き着く法 令は、その名も「心理的な負担の程度を把握するための検査及び面接指導の実施並びに面接 結果に基づき事業者が講ずるべき措置に関する指針」。きちんと読めばわかるように配慮され ているのだが、きちんと読むことを途中で放棄したくなるような、なんともストレスフルな 長さである。要するに、働く人々のメンタルヘルス不調を未然に防ぐため、2014年6月 から「ストレスチェック制度」が義務付けられた。例として、全部で57問からなるストレ スチェックシートも公開されている。職場と自分自身の関係を改めて見直すためのツールと して使えるようになっている。職場の抑圧的な環境から働く人のメンタルヘルスを守るため の仕組みであった。

しかし、コロナ渦によって、職場環境がまったく変容し、社会全体が大きく変動した今、 人々を襲うストレスもかなり変質している。教育環境も家庭も、例外なく変化している。

経営者であれば、雇用を守るためにビジネスの 工夫を強いられている。先生であれば、オンライ ン授業の準備を強いられる。ちょうど卒業や進学 の節目にあった人たちは、出口も入り口感じられ ないまま、フレッシュマンであることを強いられ る。

家庭内暴力の増加も報じられている。誰もが、 新たな環境への適応を余儀なくされるという意味 で、ストレスに満ちた社会が到来したのだ。

5月25日に緊急事態宣言が全国的に解除され た。いずれ、第2波、第3波が来てもなんとか乗 り越えて、パンデミック(世界的大流行)も小康状 態を迎えるだろう。ただし、私たちがいきるのは、 コロナ渦を経た社会という意味での「ポストコロ ナ」であり、コロナ前に戻るわけではない。社会 環境が変わるのだから、新しいストレスが忍び寄 って来る。だが、そのためのチェックシートはまだない。

とりあえず、家事を含む仕事と趣味、一人とみ んな、オンラインをうまく組み合わせて、ストレ スのマネジメントに取り組もう、と私は考えてい る。

事務局から

(斎藤 生々)

残暑お見舞い申し上げます。気温、湿度ともに高く猛烈な暑さが続いています。 もう少しの我慢かもしれません。気を付けて過ごしてくださいませ。

先日、会員の藤原道子(東京在)さんからお電話をいただきました。毎月発行しているモピ 通信の発行、褒めていただきました。先生、志歩さんの記事はもちろん、サロールの絵がと てもいいと。褒めていただくと嬉しいものです。

モピ通信は、印刷(仕上げ)がとてもきれいです。見えないところで、いろいろな人が関わ り、助けていただき成り立っています。自画自賛しているのではなく、みなさまの声が届き 元気をいただきました。ありがとうございました。

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編集責任者 斉藤生

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