■NO 219号 モピ通信

  人類学者は草原に育つ

 『Voice from Mongolia, 2020 vol.68』

 「もったいない」の罠

  事務局からお願いとお礼

  モピ会員の皆さまにお願い

  ご案内 

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小長谷 有紀著 人類学者は草原に育つ

(臨川書店フィールドワーク選書)9

変貌するモンゴルとともに

小長谷 有紀著

搾乳儀礼の研究へ

先にのべたように、春の観察は、「子おとり説」や「子とり説」の再定位 をもたらした。もともと想定していたテーマであり、その意味で戦略的な 展開である。しかし、私がこの地を「研究のふるさと」と呼ぶのは、この テーマにとどまらず、あらゆる研究の始まりのように感じられているから である。

たとえば、ここでの第27日目、4月11日のこと。一頭のメウシが出 産した。初産だった。繁忙期を手伝いに来ていた娘エルデニチグメは、自 分の養子先の養母ならメウシの背中に小石を置いてしぼる、そうするとそ のウシは生涯おとなしくしぼりやすくなるのだ、と教えてくれた。それを 聞いた本家の母は、こんなふうにするんだとその場で実演してみせてくれ た。初産のメウシに小石を置くという習慣はどうやら個人的なことでなく、 広く共有されているようだった。

このときの会話に二つの「初乳」という単語が登場した。出産するたびに最初に出る濃厚 な乳は「オーラガ(初乳)」といい、初産の場合のみ「ジルベ(初乳)」という。

小石にしても単語にしても、いずれも初産が注目されることを示している。モンゴルの牧 畜文化にとって初産はどのような意味を持っているのであろうか。

帰国後、私は搾乳儀礼について、「モンゴルにおけるウマ、ウシ、ヒツジの搾乳儀礼―祝詞 にもとづく再構成の試み」(『国立民族学博物館研究報告』16-3、1992 年)という論文を書い た。論文の副題にあるとおり、分析の対象としたのは口承文芸のジャンルの一つである「祝 詞」であって、現地調査による一次資料ではない。しかし、その着想ははじめてのフィール ドワークにあった。

この論文で私は、モンゴルの搾乳儀礼が、搾乳そのものよりもむしろ搾乳の始まりである 「初産」を祝福する点に特徴があると主張した。つまり、人びとにとっては家畜がどんどん 生まれて増えてほしいと願う増殖儀礼である一方で、家畜にとってはライフステージを画す る通貨儀礼である、と考えたのである。

農業社会の場合、農耕にかかわる生業儀礼は年中儀礼であり、一方、通過儀礼と言えば、人にかかわるものであるから、あくまでも「人生の通過儀礼」である。「田畑の通過儀礼」と いう発想はないだろう。稲に命があっても「イネの通過儀礼」というのは聞いたことがない。 生業儀礼と通過儀礼は概念として重ならない。

しかし、牧畜社会の場合、家畜は人より短いサイクルで生き死にする。性があって増殖し、 乳をもたらし、死があって肉となる。生業儀礼はすなわち家畜の通過儀礼でありうる。言い 換えれば、人に通過儀礼があるように、家畜にも通過儀礼があり、それが生業儀礼であると いう枠組みができあがる。

もしも、あのときおしゃべりなエルデニチグメがいなければ、もしもあのとき彼女がいて も教えてくれなければ、私はこんな理解にいたることができなかったろう。いずれ、やがて、 どこかで、気がついたかもしれないが、幸運にも私は最初のフィールドワークで多くの気づ きを得たのである。

去勢畜文化の研究へ

春は出産のシーズンであると同時に、去勢のシーズンでもあった。ヒツジ、ヤギの場合、 生後三カ月くらいで去勢作業をするから、このフィールドワークのように、まさに出生ラッ シュの時期には去勢しない。私が観察したのは、第五日目、三月二十日の、ウシの去勢作業 だった。

このとき、人びとは手術用の刀のほかに、バケツと棒と牛糞を用意した。バケツには牛乳 が入れられてあり、切りとった睾丸を入れる。釣りならさしずめ魚籠(びく)のようなもの だろうが、わざわざ牛乳が入れてあるのはなぜだろう。しかも、バケツの口のまわりにとこ ろどころにキビをつけてある。なんだか、ひどくきたならしくさえ見える。牛乳はそのまま あとで一緒に煮るための実用的機能で解釈できなくもないが、キビのほうはとても実用的で あるとは思われない。人びとにとくべつの解釈はなかったように思う。

棒はもっと実用性がなかった。その棒はバガナとよばれる天窓をもちあげる特別の棒であ る。この家ではまだゲルに住んでいたので、バガナは現役で使われていた。しかし、のちに 訪問した家では、もはや固定家屋に住んでいて、バガナを生活上用いないにもかかわらず、 家畜の去勢のときには使うためにバガナを捨てていなかった。というよりも、まったく何の 変哲もないただの棒をことさらに「バガナ」と呼んでいたというべきかもしれない。手術の 終わった家畜はこのバガナをまたいでから野に放たれた。

この棒「バガナ」は結婚における儀礼用の道具として知られている。結婚式のときに、新 婦が婚家に入るときにまたぐものであり、家の結界となるものである。これを家畜がまたぐ と、どんな意味が生まれるのだろうか。

牛糞は煙を出して、家畜を清めるものとして使われていた。牛糞にも生のキビが添えられ、 さらに煎った小麦もくわえられ、火をつけて煙を出す。

以上のように、去勢という手術には危険がつきものであり、それを無事に回避せんがため、 人びとは儀礼的な手続きを失っていなかった。そのかわり、去勢に関する「祝詞」などはな い。

帰国後、「モンゴルにおける家畜の去勢とその儀礼」(一九九二年、『北方文化研究』21)と いう論文を書いた。ヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマ、ラクダなどその後、次々に見ることになっ た家畜の去勢の具体的な方法を解説したうえで、すべての家畜に共通する去勢儀礼の意味を 考察した。去勢は、増殖サイクルから切り離される作業である。この去勢をモンゴルではど のように位置づけているのだろうか。どのように理解していると見たてることができるのだ ろうか。

バガナという家の結界を象徴する棒の使われ方から見て、自然のサイクルから切り離し、 可処分所得になることを意味しているようだった。嫁が可処分所得というわけではないが、 ドメスティック(家内)になるという点では共通しているとみてよいだろう。搾乳儀礼がメ スにとっての通過儀礼であったのに対して、これはとオスにとっての通過儀礼である。

去勢というテーマはさらに、モンゴル牧畜文化を読み解くキーワードとして私の中で進化 をとげる。現在では、モンゴルの牧畜を「去勢畜文化」と呼んでいるほどである。たとえば、ネットに掲示されている「モンゴル牧畜システムとその変容」(二○○七年、日本地理学会 e-jounal,2)などをご参照いただきたい。モンゴルの場合、他の牧畜社会に比べて格段に多 くオスが生き残っており、すべて去勢畜として生き残っている。地中海地域であれ、アフリ カであれ、家畜群の多くはメスであり、ほとんどのオスが子ヒツジのときに殺されて「子ヒ ツジ料理」になってしまうのと対照的である。

「去勢畜文化」という理解の始まりも、はじめてのフィールドワークでみた、はじめての 去勢作業にあると思う。

その後、いくつもの論文を『モンゴルの草原世界』(一九九六年、朝日新聞社)にまとめて、 やがてモンゴル語(縦文字)に訳されて中国で出版され、内蒙古大学ではモンゴル学科の教 科書として利用されているらしい。だから、このふるさとは、私にとってのふるさとである ばかりでなく、モンゴル牧畜研究のふるさとであると言っても過言ではないだろう。

『Voice from Mongolia, 2020 vol.68』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「モンゴル人のわれわれにとって、モンゴル文字や文化の“ジェノサイド”と闘っている内 モンゴルの兄弟たちの生命や健康は価値あるもの(үнэтэй)だが、金には価値がない(үнэгүй)。 モンゴル文字や文化、歴史には価値があるが、金には価値がない。われわれは文化を失った 人々が中国に飲み込まれ、なきものにされると知っているから、中国にいる兄弟たちの闘い を支援する」 ――モンゴル国民有志

先月に続き、中国・内モンゴル自治区における母語での教育を求める抗議について、 Facebook経由で得られた情報をお伝えする。中国ではFacebookは使用できないので、モンゴ ル国などにいるどなたかを介した情報であることをことわっておく。抗議の現場にいる人々、 私やあなたと同じような、普通の市民が発信した動画や写真が日々届く。いてもたってもい られない、との切実な思いが画面から伝わって来る。

9月に入り、自治区内の複数のモンゴル民族学校で、生徒たちによる授業ボイコットが相 次いだ。連れ立って校舎をあとにする子どもたち、整然と机の並ぶ無人の教室。こんな新学 期があっていいのか、新たな学年のスタートを切る子どもたちにこんな思いをさせていいの か、と悲しくなる。「普段は学校をさぼると叱るが、今回は我が子を誇りに思う」と話す保護 者の声。子どもを学校に来させなければクビにするという公務員への圧力があること。苦悩 の末、自殺した生徒や学校関係者…。日を追うごとに、声は悲鳴に、嘆きが絶望に変わりつ つある。

世界のあちこちで、モンゴル人や賛同者から抗議の声を上がっている。ウランバートルで も「モンゴル語や文字を守れ」と美しいモンゴル文字の書を手に女性たちが行進した。海の むこうの米国・シカゴやサンフランシスコなどの大都市で、また東京でも13日、800人 が「モンゴル語教育を中国語に切り換えることに断固反対」の垂れ幕を手に人々が行進。参 加者の見た様子では、集まった人々は、内モンゴル、モンゴル国、日本人が同数くらいだっ たそうだ。米国議会に声を届けるオンライン署名は期限内に10万人に達した。

モンゴル国の知識人も声を上げ始めた。アジア文学賞受賞作家のD.ウリヤンハイはユネス コの事務局長にあて、「匈奴の時代以降用いられた数々の表音文字の中でモンゴル文字は最も 長く使われ、モンゴル人はこの文字によって世界の各文明と交流し、東方や西洋の文化交流 や科学、哲学等の発展に少なからず寄与した、モンゴル文字があったからこそである」と述 べ、現在行われていることは「文化ジェノサイド」につながりかねないと警鐘を鳴らし、対 応を求めた。

T.ガルサンやГ.アキムら文学者、法律学者やジャーナリストらは連名で、習近平主席に 書状を送り、1南モンゴルの子どもたちが母語で学ぶ権利の侵害2中国の文化の一大構成要 素であるモンゴル文字、文化の喪失は中国にとっても大きな損失である3人類の言語文化・文明を損なう行為で、中国の名誉に傷がつく――賢明な対応を求めた。 そんな中、9月15日に中国の王毅外相がウランバートルを訪問した。モンゴルの外相と

水力発電所整備への協力に合意、内モンゴルにおける母語教育の件が中国の国内問題であり、 モンゴルが干渉しないことを確認したことが報じられた(時事通信・北京、9月16日)。

一夜明け、モンゴルの市民有志から「中国から政府が受け取った7億元(訳注/人民元。 日本円換算で約105億円)を返そう」との呼びかけが始まった。そこには冒頭に引用した 言葉とともに「モンゴル国民のわれわれは、内モンゴルの人々に許しを乞うものである。一 般国民は、あなた方を見捨てたわけではない、これまでも、これからも」。

声明はこう続く――「モンゴル政府には、今後中国政府から借金を重ねないことを求める。 わが国は中国政府に既に巨額の借金をし、返すことができず、返済期限を延長し続けている。 何より恐ろしいのは、返済できないのに、さらに借金を重ねていることだ。内モンゴルにお ける文化ジェノサイド、ウイグルやチベットでの圧制を目にしている、モンゴル国民として 政府に働きかけ、中国からの借金を止めさせよう」。

価値(үнэ цэнэ)という言葉の意味を、かみしめている。モンゴル語で үнэтэй(ウンテイ) と言えば、価格が高いという意味をまず思い浮かべる人が多いと思うが、この語本来の意味 が胸に迫って来る。どんなにお金を積まれても、譲れない大切なものが、彼らには(もちろ ん私たちにも)あるのだ。

(会員・フリーランスライター 小林志歩)

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今月の気になる記事

中国の外相のモンゴル国訪問は、現地でどのように報道されたのだろう? 英・ロイター 通信はウランバートル発で抗議に立つ人々の様子を伝え、「3週間で内モンゴルにおける拘留 者は4千~5千人、少なくとも9人の死者が出たとの情報(在米・南モンゴル人権情報セン ター)がある」と報じた(9月15日)。なお、国家安全保障会議は、大統領、国家大会議(国 会)議長、首相らで構成されている。

「モンゴル文字を7億元と“引き換えにする”ことを国家安全保障会議はなぜ受け入れたのか」

中国の王毅外相がモンゴルを訪れ、去った。新型コロナ感染問題で世界の国々が国境を閉 ざし、国内に留まっているこの時期の、中国からの「特急」訪問は、国際的に注目を集めた。 夏以降、中国の内モンゴル自治区内の中学校でモンゴル文字を禁止し、すべての授業を中国 語で行う政策が実施され始めている。世界各地で暮らすモンゴル人がこの数か月、抗議を表 明し続けている。モンゴル国においても、一部の人たちが抗議デモや集会を行い、モンゴル 文字を守る運動に加わっている。

言語は、民族の免疫力であり、その文化を象徴するシステムである。別の言い方をすれば、 文化を構成する中心要素で、その語彙は民族の知、認識、意味の体系、評価と理解を表して いる。文字には民族の精神、宗教や信仰、生業、芸術、美意識、倫理、文学、社会、法制度 の特質が刻み込まれている。そうした意味において、民族の存在意義と伝統を継承するのに 欠かせない梃子(てこ)とでもいうべきもの、それが言語なのである。

だからこそ、世界中に散らばり、そこに定着して暮らすモンゴル人が中国政府のこの政策 に抗議し、批判を繰り広げている。中国で行われていることは、世界人権宣言、国民や政府 の権利についての国際条約、教育における差別禁止条約、子どもの権利条約等に違反してい る。中国の憲法も「中華人民共和国ではすべての民族に平等な権利を保障する。…少数民族 へのいかなる差別も禁止する。…すべての少数民族が母語を話し、読み書きするなど言語の 使用および発展させる権利を有する」と明記している。

世界中に散在する1千万人あまりのモンゴル人は、言うまでもなく、同胞である。内モン ゴル自治区には600万人にも及ぶモンゴル人がいるが、独立国家としてのモンゴルはここ にしかない。その意味で、モンゴル語や文字についてモンゴル国がどのようなスタンスを示 すかが注目を集めていた。

「集めていた」と過去形にしたのは、中国の王外相がモンゴルにやって来て、一日とたた ないうちに、すべてをひっくり返して、去ったからだ。王外相は、モンゴルのエンフタイワ ン外務大臣の招きとはいえ、電撃とも言える急な訪問に際し、バトトルガ大統領、フレルス フ首相に拝謁した。ふたりは王外相とこれ以上ない親しさで接し、ジェスチャーを交えて交 流した。一部の元大臣たちは、ダライ・ラマに接する以上の、崇めるような身振りで手を取 り、その写真が拡散された。

一方で、中国の外相は訪問のはじめから、外交儀礼を忘れたかのごとく振る舞ったことを 明記しておきたい。通常、こうした外務大臣レベルの訪問というものは、ルールに沿って行 われる。王毅外相は、チンギスハン国際空港に着陸直後から、プロトコルに従わなかった。 伝統に沿って出迎え、ふるまわれた乳に口をつけることを拒み、手で合図して通り過ぎた。 通常、事前に両国外務省が細かく段取りを調整し、それに沿って進めるものだが、今回はそ うではなかった。

公式発表では触れられなかったが、王外相はモンゴルに7億元の無償援助という手土産を 持参した。このような額の援助を供与する経済・技術協力が合意され、両国外相らが署名し た。問題は、中国が7億元の援助の見返りに、モンゴル国はモンゴル文字の問題に口を出す な、との「天の声」を受け取ったことだ。

新型コロナ感染問題のさなかに、外相が何のためにわざわざ出向いたか。中国にとって、 7億元の無償援助に合意し、こうも慌ただしく署名する必要がどうして生じたのか。答えは、 明々白白である。

手のひらの上のごとく、意図ははっきりしている。モンゴル文字を7億元と「引き換えに する」との決定を、わが国の国家安全保障会議がどうして受け入れたのか、このことは全く 理解できない。なぜなら、王がポケットに入れて来た7億元のことを国家安全保障会議は当 然知っていたはずだ。中国がこの規模の援助案件を施すのに、彼ら抜きに話を進めることは ありえない。

いずれにせよ、王外相の持参した土産を、わが国側は手を合わせて、受け取ってしまった。 その見返りは、わが国の外相が「中国・モンゴル両国は独立国として相互の国土を尊重し、 互いの国内問題に干渉しない」との声明だった。外交用語でない言葉に“翻訳”すれば「わ れわれはモンゴル文字を守れなどと今後言いません」となる。

この一連の出来事によって、モンゴル国の立ち位置が、世界に向けて十分過ぎるほど晒さ れてしまった。中国の王外相がモンゴルに来た、7億元の援助を手渡した、わが国はその返 礼に「そちらの出来事に口出ししません」と言った。世界は「モンゴル国はモンゴル文字と、 内モンゴル自治区で起こっている出来事について、今後自らの立場を発言することはない」 と理解しただろう。一言でいえば、「モンゴル国は北京を支持する」ということだ。

そもそも中国政府はなぜ、モンゴル語とモンゴル文字を禁止する政策に踏み切ったのか。 王外相が突然モンゴルに来て、“火消し”をする羽目になったのはどういうわけか、このこと をわが国の政治家たちは気付いているだろうか。大半はわかっていない。この理由について 語り、掘り下げるモンゴル人は少ない。

ひとつ例を挙げれば、わが国の言語についての法改正で、2025年から公式記録をキリ ル文字とモンゴル文字の両方で残すことが決まった。法律が施行されれば、内モンゴルとわ が国は文字を共有することになる。こうした動きが中国の政策の根拠にあるのだ。

とにかく今や、われわれは「わがモンゴル文字」と嘆く必要はなくなった。国境のこちら 側ではないというだけで、中国で起こっている侵略こもごもに屈したのだ。

今から百年前、1920年代にフレー(訳注/ウランバートル市街のかつての名)で流行 った歌にこんな一節がある。

金襴緞子(きんらんどんす)着た大臣方マニ車が売れたとご機嫌だ茶色いデールのシャンザブ殿
フレーが売れたとご機嫌だ箱ぎっしりの銀貨もらいハルハも売れたとシャンザブ殿かばんにずっしり金もらいボグドも売れてご機嫌かい?
秤にどんどん金積まれ大地を売った大臣方
袋いくつも金もらい祖国を売ったシャンザブ殿

当時、中国から徐樹錚(訳注/清朝末期から中華民国初期の軍人。1919年モンゴルに 赴きフレーを包囲して自治を返上させた)が、わが国の王侯の招きでやって来た。護衛の ためとして武装兵士を連れて来、王侯や官吏は自らの手で、自治にピリオドを打った。そ んな歴史が立ち現われ、王侯たちの墓を再び掘り返している。

すべて歴史が審判を下す。今日の出来事、すなわち「モンゴル文字を7億元と引き換え にした」との理解は、歴史のひとこまとしてどう記されるのか、いずれ明らかになる。

「ゾーニーメデー」紙より転載 (2020年9月18日) ニュースポータルサイト http://www.polit.mn/a/84586

(原文モンゴル語) (記事セレクト・翻訳=小林 志歩) ※転載はおことわりいたします。

引用の際は、必ず原典をご確認ください。

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斎藤様

モピ通信 217 号を拝受しました。 どの記事も面白く感ずるところが多いですね。中でも志歩さんの「1 年生の子供でも先祖9代 まで言える」は興味深くまた反省させられる記事でした。

モンゴルの少数民族は血縁の近いものの結婚が危険という基本的考え・伝承があり、その 中で家系を受け継いでいくことに祖先を大切に思う気持ちが育まれているのだと尊敬の念を 強く感じました。翻って自分はというと祖先のお蔭で今があるのに、家系や自分の思いを少 なくとも子や孫にきちんと伝えているかというとそうではありません。 大きな宿題を頂いたような気がします。ありがとうございました。

吉﨑彰一拝

斉藤様
モピ通信 218 号をありがとうございました。小長谷先生の犬とのお尻あいの報告は面白かっ たです。志歩さんの内モンゴルでの中国化・中国語教育の報告は深刻ですね。 今現在ウィグル、チベットや香港ではもっと酷いことが行われているように聞きました。日 本も帝国主義時代には日本語教育が行われていたようですが今の時代でここまで人権を蹂躙 する中国共産党は日本にとって脅威だと思いました。

吉崎彰一拝

「もったいない」の罠

(2019年7月2日・京都新聞夕刊 現代のことば) 掲載記事

日本学術振興会監事・文化人類学

(小長谷 有紀)

「食品ロス」が話題だ。現代日本における課題の一つではあるだろう。消費者庁のホームペ ージによれば、日本では年間2759万トンの食品廃棄物等であり、そのうちまだ食べられ るものが643万トンだという2016(平成28)年度推定値が示されている。この、「まだ 食べられるのに廃棄されている食品」がいわゆる食品ロスであることは言うまでもない。

消費者庁からの解説はさらに続く。この数字は、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界 中での食糧援助量の1.7倍に相当し、私たち国民 1 人当たりに換算すると、1 日お茶碗約 1 杯分の食べものに相当する。「もったいない」とは思いませんか?と。

たしかに、もったいない。しかし、だからと言って、売れ残り商品を積極的に安価で提供 することによって廃棄を減らすことが、この課題のあるべき対策なのだろうか。安売りに触 発されて必要以上にかってしまい、必要以上に食べてしまい、メタボになるべく誘導されて しまってよいものだろうか。コンビニ店による食品ロスへの取り組みが報道された時、あれ? と不思議に感じた人は少なくなかったに違いない。

上記の数字は、農林水産省や環境省から今年4月に公表されたものである。複数の省庁が 横断的にこの課題に積極的に取り組んでいる。というのも、そもそも「食品ロス」が201 5年に国連で採択された SDGs(持続可能な開発目標)における、具体的なターゲットの一つだ からである。

食品の世界的な不均等を肯定するのは決して容易ではないだろう。けれども、まずは、消 費以上に生産されていることによる地球環境への負荷を減らそうとして、目標値まで設定さ れているのである。言い換えれば、「食品ロス」という問題は、私たち一人ひとりにとって、 食べることがまさしく環境問題であることを如実に示してくれる切り口になっている。

このことをさらに強力に示すニュースが今年1月に届いた。「アントロボセンの食事」とい う英文レポートである。アントロボセンはこれまでのところ「人新世」などと訳されている。 端的に言えば、地球はもはや自然環境というよりもむしろ人工的環境であるというべき時代 に突入したことを意味する考え方である。

そんな世の中に私たちはどんな食を摂る べきか。この惑星に100憶人が共存するた めのレシピが示された。16か国37人の研 究者たちが協力して考案した、その食生活は 「プラネタリー・ヘルス・ダイエット」と名 付けられている。

飽食を享受している社会にとってはなか なか厳しいメニューだ。例えば、タンパク質 については1日の摂取量、牛豚合わせて14 グラム、大豆類25グラム、鶏肉29グラム、 卵13グラム、大豆類25グラムなどなど。

それでも、もし私たちが「売れ残り」を避 けて「売り切れ」を許容する社会に舵を切る ことができれば、節食による環境保全を実現 できるかもしれない。

事務局からお願いとお礼

(斎藤 生々)

9月5日、下記SOSのお願いをメール配信いたしました。改めてモピ通信にも掲載させてい ただきます。みなさまよろしくお願い申し上げます。

9月20日現在、14名の皆さまから195、000円寄せていただきました。 ありがたく、感謝申し上げます。モピ皆さまの温かさ、やさしさを届けていただき感謝申し 上げます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 会費を納めています上に、厚かましいお願いを申しますことお許しください。

世間の流れにもれず、モピもコロナ渦を受けて困窮しています。 モピ事業として、唯一事業益がある「モンゴル学習支援事業」がコロナの影響で中止になっ たこと、会員数が激減したことが主な理由です。 小長谷先生、監事の福島さまには報告し、お二人にはいつも負担をかけています。

申し訳ないのですが、 みなさまにも事情をお伝えし助けていただけないかな・と考えました。 少額づつでもお心を寄せていただき、モピを支えていただけないでしょうか、 ご迷惑をかけますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

振込先です。

三菱UFJ銀行 谷町支店 口座番号 5096982

口座名 トクテイヒエイリカツドウホウジン モンゴルパートナーシップケンキュウショ

郵貯銀行
口座番号 00940-6-84135 口座番号 モンゴルパートナーシップ研究所

モピ会員の皆さまにお願い

(監事 福島 規子)

この度はモピとして、心苦しいお願いをいたしました。どうぞ事情をお汲み取りいただき、 ご理解くださいますようお願い申し上げます。

現在モピの活動はコロナの影響もあり出前授業、各自治体へのモンゴルの文化を紹介する ためのお茶会、講演などが、コロナの影響でこれらの活動が制限されています。

大阪市南港で入居していたビルが耐震診断の結果取り壊されることになりました。その際、 モピ財政に見合う事務所を探しましたが見当たらず、2011年2月から斎藤さんのご自宅 をお借りし、係る経費はご厚意に甘えているのも現状です。

私事ですが、近い将来モンゴルに渡航できるようになったら是非、訪ねたいところがあり ます。モピ会員の石井菜倫さんがご紹介下さり、来日された時の講演会でお会いした、チベット仏教の高層アジャリンボチェ師がモンゴル国内に作られた、子どものホスピスと高齢者 のための施設です。機会があれば訪問し、交流を深めたいと願っています。

(交流する事業もできればいいな・と思います)

2007年8月から11月にかけて、大阪府の世界協同プロジェクトにモピの活動として参 加し、モンゴルから看護師のオイドブさんを招聘し、3カ月間の研修を受けていただきまし た。その際、日本側の受け入れのお手伝いをさせていただきました。

2カ月間の高齢者のための施設と1カ月間の病院での研修でした。現在も、交流は続き、将 来の高齢者のための施設作りのために研鑽を続けていると、聞きます。

このように様々な活動ができる基盤を持つモンゴルパートナーシップ研究所の運営が、こ れからも継続していけるようにと願っています。

どうぞ皆さま、お心を寄せていただけますように、お願い申し上げます。

ご案内

美の視点-穐月明の収集古物を紐解くー

伊賀市 ミュージアム青山讃頌舎秋の企画展 

2020.9.11(金)〜12.20(日) 開館(火曜日休館)

午前 10 時〜午後 4 時 30 分 

伊賀市ミュージア ム青山讃頌舎ご案内 | Aoyamautanoie museum

穐月明の多彩なコレクションを公開 穐月明が独自の美意識と見識を基に集めた多様な古 美術を公開いたします。コレクション全体は古画、書、仏像、石造、文学、陶磁器、瓦、鏡、 人形など分野も時代も様々ですが、その中でも特に明との関わりの深いもの、特に興味深い ものを選び展示いたします。それらは美術品としてだけではなく歴史的にも考古学的にも価 値の高いものが多く有ります。様々な分野の方々に色々な角度で見ていただければ、きっと 思いがけない驚きや発見があると思います。

■ 基調講演 「穐月明コレクションを紐解く」

■「野点で愉しむ紅葉狩り」

■「茶室で茶を愉しむ」

■ 関連事業「昼下がりのコンサート」

花垣亮志氏 地元出身の地元で活躍するフォークシンガー花垣亮志の野外ライブです。

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サロールさんの絵画、ますます素晴らしいですね。 風景画も景色を描きながらも(技術的にも優れていますね)、ただ写し取ったのではなく、そ こにはその景色から受けた印象が出ていると思います。さらに、絵画の中に幾何学的な線や、 文字が描かれ、抽象画として自身のイメージを表現しているのには、正直驚きました。 とりわけ最後の川の絵は川の表現が独特で、花のさく草原も色彩が面白く、太陽の回りの文 字?、ゲル?、動物 2 匹などで、独自の世界が提示されています。芸術ですね。

(金田 悦二)



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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35

tel&fax 075-201-6430
e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp

URL http://mongolpartnership.com/  

編集責任者 斉藤生

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