新年のご挨拶
人類学者は草原に育つ
『Voice from Mongolia, 2020 vol.71』
モンゴルとコロナ
事務局から
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新年のご挨拶
モピ理事長 小長谷有紀
日本学術振興会監事・文化人類学
モピ会員の皆さまへ
コロナ感染拡大防止に明け暮れて、あっという間に新年を迎えました。皆様におかれまし ては、ご無事にお過ごしのことと存じます。
昨年は、モピとしての活動ができなくなったかったために、収入が全くなくなり、事務局 より声をかけさせていただいたところ、多くの方々からご支援をいただきました。心からお 礼申し上げます。新しい年には、少しでも活動ができるようになることを、皆様とともに心 待ちにしたいと存じます。
また、新しい生活様式のもとで何かできることがあればぜひお声がけください。
ご挨拶
モピ理事 大野 旭(楊 海英)
静岡大学人文社会科学部教授
武漢発新型肺炎が世界中の人々の生活を一変させた今日、モンゴル人も例外ではありませ んでした。他国に比べると、モンゴル国は冷静に夏を迎え、夏には草原で例年にない、盛大 なナーダム祭を行いました。ナーダムは元々草原で実施するものの、いつの間に都市近辺の 祭典に代わっていたので、原点に戻ったのが素晴らしかった。
モンゴル国の華やかなナーダムを目撃した内(南)モンゴル人は気づきました。自分たちに はモンゴル語以外に何も残っていないという事実を。そこへ、中国政府は用意周到に命令を 出し、秋からモンゴル語教育を中国語に切り替えていくとのこと。さすがに数十年間も忍耐 してきたモンゴル人もついに大規模な抗議行動を発動して意思表示をしました。しかし、政 府によって弾圧され、複数名の犠牲者が出たものの、対話の窓口は閉ざされたままです。そ れでも、南北モンゴルの人たちは喜んでいます。1945年に分断されて以来、初めて連携 したからです。
冬になって、モンゴル国では再びコロナ禍拡大の難題に直面するようになりました。来年 はどんな年になるかも予測不可能です。皆さまのご健勝と、南北モンゴルへの持続的な関心 と関与をお願い申し上げます。
新しい年が良い年となりますようお祈りいたします。
モピ理事 松本勝博
コメントは、病気療養中のため失礼いたします。
新年のご挨拶を申し上げます。
モピ監事 福島 規子
昨年は新型コロナウィルス感染に関わる話題で満載の日々でした。 まだまだ要注意が続きます、手洗い、うがいを行い、外出は必要最小限に心がけて過ごしま しょう。
今年もモンゴルへ行くことは難しい事でしょう。行けないからこそモピの活動として何が 出来るのか 1 年 2 年先の思いを巡らして行きたいと考えています。
昨年は多くの皆様にご協力いただき、モピの窮状を救っていただきました。感謝です! 年々モピ会員の減少と高齢化で活動も困難になってまいりますが、小さな力でも継続してい けるよう、又会員の皆様のご協力をいただきながらこの 1 年を過ごして参ります。 困難な中にも希望に満ちた年でありますようにお祈り申し上げます。
小長谷 有紀著 人類学者は草原に育つ
(臨川書店フィールドワーク選書)9
変貌するモンゴルとともに
日本学術振興会監事・文化人類学
(小長谷 有紀)
第三章 爆走モンゴル— — 一九九五年から九七年、モンゴル、ロシアを踏査
はじまりをつくること
留守役を担当していた科研の終了後に次の研究企画を申請し、無事に採 択され、一九九五年度から一九九七年度にかけての三年間にわたって「モ ンゴルにおける民族形成の歴史民族学的研究」がおこなわれた。おなじく 松原先生をリーダーとし、濱田正美(当時、神戸大学助教授)、堀直(当 時、甲南大学教授)、林俊雄(当時、創価大学助教授、現在教授)、萩原守 (当時、神戸商船大学助教授、現在は神戸大学教授)、楊海英(当時、関 西外国語大学講師)と私の七名からなる研究組織であった。申請書類には 研究計画の目的が次のように書かれている。
モンゴル高原は、匈奴をはじめ数多くの遊牧民族が活動した舞台である。
ここには、古代以来の遊牧民族の形成の歴史を反映して、出自の異なる諸集団が混在する。 とくにモンゴル国西北部や東北部には、多様な民族集団がみられる。このようなエスニック・ モザイクをえがくモンゴルは、遊牧民族における集団形成の歴史的過程を考察するうえでき わめて重要な地域であるといえる。にもかかわらず、これまで旧ソ連以外の外国研究者によ る本格的な学術調査の許可がえられなかったため、ここは遊牧研究上の重大な空白地域とな ってきた。本調査研究の目的は、遊牧民族における集団形成の歴史的過程を具体的に明らか にすることである。これによって、単に、遊牧研究上の空白がうまるだけでなく、遊牧民族 のエスニシティ形成の特質をうきぼりにすることができる。この成果は、二十一世紀におい て最大の課題となることが予想される民族問題の考察に多大な貢献をはたすものとおもわれ る。また、これまでの研究成果をふまえることにより、国境をこえて広がる遊牧民族の本来 の活動の諸相を総合的に把握することが可能になる。この点でも学会に寄与するところ大な るものがある。
二十一世紀を見通そうとしているという点でスコープの大きな研究企画であった。こんな 研究がたった三年間でそもそもできるのだろうか。研究成果は「科研費」のホームページに 記されている。ここでかいつまんで紹介すると、第一にモンゴル西部のトルコ系諸集団(テュ ルク語系を話す人びと)についての実態が把握されたこと。第二に、国境を接するロシア連邦 のトゥバ共和国やブリヤート共和国へも赴き、人びとの関係が把握されたこと。第三に、諸 民族の立場は近代以降、ロシアと中国のあいだにはさまれて国際的な政治環境の影響を強く 受けてきたので、今後、内モンゴルへの調査が必要であること。以上の三点にまとめられて いる。興味深いことに、第一点については「われわれの入手した情報が今後の研究に生かされることと信じている」と書かれ、第二点については「近代国家と諸民族集団との関係を窺 い知るうえで、重要な手がかりとなる」と未来形で書かれている。第三点はもともとはっき り今後の課題である。それぞれニュアンスはやや違うけれども、いずれも未来の研究成果が 述べられているように読める。
このことを私は大切に思うし、強調しておきたい。研究にはそもそも時間がかかるもので あり、この成果もたしかに結実したが、かなりのちのことである。言い換えれば、私たちは 三年という短い研究期間中には実現されないだろう大きなテーマに取り組み、その後の研究 につなげたのだ。以下にその展開を紹介しておきたい。
まず、モンゴル西部のトルコ系諸集団(テュルク語系を話す人びと)としてカザフ、ホト ン、ウイグル、トゥバなどが挙げられる。そのうち、カザフについては上述のとおり、松原 先生自身が大著にまとめあげられた。ホトンと呼ばれるムスリム(イスラーム教徒)につい ては、調査に同行していた当時大学院生だった楊海英さんがその後『モンゴルとイスラーム 的中国』(風響社2007年)へ発展させた。ウイグルについては濱田正美や堀直が持続的に 歴史学的な論文を書いてきた。
トゥバについてはかなり多角的に進展している。二○○七年にみんぱくの客員教授として トゥバ人のマリーナ・モングーシュさんをモスクワから招へいしたところ、彼女はみんぱく 滞在中にロシア語で二冊の本を書き、資料集として刊行した。そのうちの一冊は、中国、ロ シア、モンゴルの三カ国に住む人びとの比較分析であった。しかし、彼女自身もモンゴル国 のトゥバを訪問したわけではなかったし、さらに言えば、中国での調査といっても一九九二 年のことだからその後の変化はわからない。そこで、私たちは三カ国の研究者を組織し、二 ○一一年七月から八月にかけて約三週間、三カ国に分断して住んでいるトゥバ人を訪問し、 その生活を研究資料として映像におさめた。二○一二年度にはその記録をもとに各国編と総 集編の四つの番組を制作し、二○一三年度にはそれらの各国語版をも制作し(したがって十 二番組、日本語と合わせると十六番組)、二○一四年度に公開する。
一方、モンゴル西部には、モンゴル語系ながらオイラートと総称して区別される西部集団 がいて、彼らについての国際研究ネットワークを組織し、二○一一年十一月に国際シンポジ ウムを実施し、その成果を二○一四年三月に英語論文集として刊行した。みんぱくでのシン ポジウムはその後、本国モンゴルで継承された。今後、中国やロシアで展開されるようにな るだろう。
ブリヤートについては、みんぱくに付設されている総合研究大学院大学に一九九九年に入 学してきた島村一平さんが専門的に研究することとなり、モンゴル、ロシア、中国の三カ国 にまたがる民族の動きを追っている。その成果は『増殖するシャマン―モンゴル・ブリヤー トのシャマニズムとエスニシティ』(春風社、二○一二年)にようやく結実し、この成果によ り、彼は二○一三年度の第十回日本学術振興会賞を受賞した。その間、みんぱくでは二○○ 一年に “A People Divided : Buriyat Mongols in Russia, Mongolia and China”というテ ーマの国際シンポジウムを開催し、ドイツから英語で論文集を刊行した。また、二○○三年 にダリマ・ツィビーコヴナ・ボロノエーヴァさん、二○○八年にオルガ・アンドレーヴナ・ シャグラノヴァさんをブリヤート共和国から客員研究者として招へいし、研究者ネットワー クをつくりながら、研究環境の土台を上昇させている。
このように、みんぱくでは客員教授と国際シンポジウムのしくみを組み合わせながら、国 際的な共同研究を推進することによって、優秀な次世代研究者を育てているのである。
私自身は、ブリヤートについて二○一三年にようやく中国国境付近に位置するフルンブイ ル地方にひさしぶりに行く時間を得てオーラルヒストリー(口述史)を聞き集めた。その成 果は二○一四年に刊行される。国境をまたぐ人びとの悲哀は十分に伝わる貴重な資料になる だろうと思われる。思えば、一九九五年から一九九八年に実施された科研「モンゴルにおけ る民族形成の歴史民族学的研究」の現地調査では、私たちは第三国人なのでビザの問題で越 境に苦労した。それに対して彼ら地元の人びとは当事者なのでビザの問題で苦労することは あまりない。その代わり、大国に翻弄されがちである。それでも大国の制度をうまく利用し て新しい生き方を選択することもできる。たとえば、中国で生まれたモンゴル人が、モンゴル国籍を取得し、中国語の成績でトップとなり、国費留学生として上海で学ぶといったこと もできるのである。そんなたくましい人びとの姿を資料集で読むことができる。そして、そ れらの資料をつかって国際シンポジウムで発表した。
その国際シンポジウムは「ロシアと中国の国境:諸民族の混住する社会における『戦略的 パートナーシップ』とは何か?」というタイトルで、二○一四年一月にみんぱくで開催され た。これはケンブリッジ大学のモンゴル・内陸アジア研究所と北海道大学スラブ研究所の実 施していた越境研究(ボーダー・スタディーズ)をつなぐものであり、「エスニック・モザイ ク」や「国境」がキーワードであった。対象となる国は、中国とロシア、そしてそのはざま にあるモンゴルであり、当地域に住む人びとの視点から国境問題を考察するという目的をも っていた。「戦略的パートナーシップ」ということばは一般に国際政治用語として利用される けれども、これを諸民族集団の立場から考察しようという研究である。一九九六年にロシア と中国のあいだで締結されたのを嚆矢とする。この新しい用語を除くと、この国際シンポジ ウムのキーワードはあの科研「モンゴルにおける民族形成の歴史民族学的研究」とほとんど 同じではないかといまさらながらに驚く。かくも長きにわたって堂々巡りをしているのであ ろうか。いや、そうではない。同じところには戻っていないから。むしろ、あの科研の真の 成果は、こうした長期にわたるその後の研究のキックオフになったということなのである。
松原先生が確信なさっていたとおり、まさしくその後の研究に生かされた。これだけの諸 展開を振り返ることができるようになってようやく、オリジナリティというのはそもそも「は じまりをつくること」なのだなと心底納得できる。
『Voice from Mongolia, 2020 vol.71』
(会員 小林志歩=フリーランスライター)
腹いっぱい大気を吸った。なんともいえぬ味だ。この味をあじわわせてくれるのは蒙古高原の持つひとつの魅力だ。大自然に抱かれ、再び馬上の人となり、北へ北へと進んだ。 二百頭の羚羊の大群が、四方を注意しながら進む牡に護られ、静かに南から北へ流れている。馬を止める。彼らの平和郷をかき乱したくない美しい光景だ。 羚羊が去った坦々たる草原を横切り、再び波状の続く丘を越えながら北方に馬を進めていると、遠く西方の丘と丘の凹地に薄黒い旅行者のテントと二十余頭のラクダの群れているの が見え出した。
―― 西川一三『秘境西域八年の潜行 上』(中公文庫、1990年)
太平洋戦争の末期、外務省のスパイとして、現在の内モンゴル自治区フフホトから青海、 チベットまで旅して歩いた青年がいた。旅の始まりに、眼前で展開する、ダイナミックな自 然の営み。日常の些事やしがらみから解き放たれる、旅立ちの感慨は、昔も今も同じだった ようで、そのことに胸が熱くなる。
周囲のモンゴル人から「ナラン・バクシィ」と敬意を込めて呼ばれた日本人・西川は、モ ンゴル人僧侶「ロブサン」を名乗り、モンゴル人の道連れとともに旅に出る。かつての日本、 ナラン・ウルス(太陽の国)の「日没」はすぐそこまで迫っていた――。異なる文化がせめ ぎあうなかで、なりふり構わず、たくましく生きる人々の姿。人情と酷薄。旅することが難 しい年末年始に、ぜひおすすめしたい本だ。
「モンゴル語は、本当に豊かな言語だと思います」。雪の舞い散る師走のまちで、日本に長 く暮らすモンゴル人女性は言った。流ちょうな日本語に万感の思いを込めて。
そんなモンゴル語の豊かさが詰まった、小さな辞書が手元にある。長年モンゴル情報を発 信する西村幹也さんから譲り受けた『Монгол өвөрмөц хэлцийн товч тайлбар толь』(ウラ ンバートル、1982年)。わかりやすく言えば、慣用表現の小辞典で、見出し句ごとに、主 に1950~80年代の文学作品からの用例が付記されているのが嬉しい。裏表紙に定価3トゥグルグ30ムングとある。奥付には5トゥグルグ25ムングと印刷されていたのがペン で打ち消されているのは、当初の価格設定が高いとの判断だろうか。時を越えて届いた、玉 手箱のようなこの本から、新たな年の日の出にちなんで、太陽にちなんだモンゴル語の言い 回しを紹介したい。
нар баруун хойноос гарах(日が西から昇る)=物事が全く上手くいかない、成就しない нар гарах(日が昇る)=望み通りに実現する
нар сар гэрэлтсэн(日と月が照らす)=穴があいた(ゲル)
お日さまに関する表現は、それほど多くない。太陽が登場するモンゴル民話と言えば、有 名な「エルヒー・メルゲン」がある。暑く照り付け、人々や動物を苦しめる7つの太陽を、 弓の名手である主人公・メルゲンが射落とそうとする物語。6つの太陽をたて続けに射落と したメルゲンは、ツバメが横切ったために、最後のひとつを射損じてしまう。成功したら真 っ暗闇になってしまう――などと考えないのが、天照大神を祀る農耕民の私たちにはおもし ろい。太陽は、命を育む生命力の象徴では決してない。貴重な水を奪い、人々や動物の命を 危うくする、邪悪なものとして描くのは、狩猟民、それとも乾燥地帯の感性だろうか。
かくて、最後の太陽は、メルゲンを恐れて山の後ろに隠れ、この世に昼と夜が出来た。失 敗の代償として親指(モンゴル語でエルヒー)を切り落とし、人であることを止めたメルゲ ンは、暗い地面の下で暮らすタルバガンに姿を変える。朝日と夕日の時間帯には穴から這い 出し、今も7番目の太陽を狙っているのだという。
「牛車のように」(үхэр тэрэг шиг)というのは、 速度が遅い、という意味の慣用句。新たな年、急が ず、地にしっかりと足をつけ、日々を歩んでいきた い。さしあたっての目標は、ステイ・ホーム期間に 始めたモンゴル文字の学習を継続すること。最後ま で読んで下さったあなたに、こんな言葉を。「夜が 明ける、白む」(үүр цайх)=幸せの始まり。必ず 訪れる、コロナ明けの世界に、たくさんの幸せが待 っていますように。
【参考文献】松田忠徳訳編『モンゴルの民話』恒文社 1994年
今月の気になる記事
モンゴルでは、9(モンゴル語でユス)は縁起の良い「天の数字」だそうです。冬至から の81日間をユスと呼び、9日を単位として数えます。最も寒い、真ん中の27日間が「イ デル(ゴルワン)ユス」で、1月下旬から2月中旬頃。「3歳牛の角も割れるほどの寒さ」(Гунан үхрийн эвэр хугармаар гурван есийн хүйтэн)と言い慣わされます。
草原のゲルにもソーラーパネルが普及し、テレビ視聴や携帯電話の充電はもちろん、洗濯 機や冷蔵庫も使われていますが、「ユス・エフレン」(冬が始まる)という言い方は健在。こ の記事からは、長く厳しい冬をいかに賢く乗り切るかは、今も人々にとって大きな関心事で あることがわかります。
寒いな、と思う日は、インターネットでモンゴルの天気予報、気温をチェックしてみて下 さい。この程度は何てことないな、と思えるのではないでしょうか。
G.アリウンボルド「その気になれば誰でも、太陽光による暖房で、コストをかけずに家を暖 めることができる」
(筆者:B.ボヤンダライ)
寒暖の差が激しく、冬には骨の髄まで凍える寒さのモンゴルの冬を暖かく乗り切るのは決 して容易ではない。特に、ゲル地区の住民であれば、薪や石炭にどれほどの出費を余儀なく されていることか。ヒーターがあまり良くない集合住宅に住む家族も悩みは同じで、毛皮の デールを羽織って何とか冬をやり過ごしている。
いくらウランバートルで石炭を止めて練炭を普及しても、入手できる量には制限があり、 大量には買えないし、毎日のように運ばなければならず、不完全燃焼が起これば死の危険も ある。寒い時期以外でも火の不始末におびえ、燃料を常に確保せねば安心できず、人々にと って「悩みの種」であり続けている。技術革新の世紀に生きていながら、今もウランバート ルで練炭、地方では石炭が燃料だなんて、あまりに時代遅れで、あり得ないことである。
そんな中、事態を一変する解決策が、ごく普通の市民が作った暖房システムから見えて来 た。誰もがそこからアイデアを得て、生活に取り入れることができそうな、そんな暖房シス テムを作った、ガンボルド・アリオンボルドに話を聞いた。
バガノール有限会社に勤務、バガノール区5街区で家族と3人の子どもたちと暮らす彼は、 外国人の作ったシステム等を研究し、太陽光エネルギーを活用した暖房システムを自作し、 多くの人の注目を集めている。製作にかかった費用は約20万トゥグルグ(訳注/約7千7 百円)で、この暖房を使っている間は追加の暖房は必要なく、ほかの費用はかからないとい う。太陽がどの程度照っているかにより、暖房の強さは変化する。システムを作った本人で、 興味を持つ多くの人に助言してあげたいというアリウンボルドに話を聞いた。
製作費用20万トゥグルグ、1 週間で完成
―太陽光エネルギーでこうした暖房設備を作り、住まいを暖かくできると初めて知ったのは いつですか? 「電気関係が専門なので、こういう情報と接する機会があった。ネットでこういうものがあ ると知り、作ってみたまでです。外国のサイトをたくさん参考にしました。米国で学んだの で調べるにあたって特に困難はなかった。こんな暖房装置があり、自作可能と知ったのは昨 年の9月でした。モンゴルの気候は極端な暑さ、寒さがあるので、寒いときにどれだけ使え るか、暖かくできるか、モンゴル人にどの程度合うか、という点に興味を引かれました。そ んなわけで、すぐに作り始めることはしませんでした。
どのようにすれば、モンゴルの条件に合ったものができるか、外国での事例を相当研究し て9月の終わり頃に実際に作ってみました。製作にはそう時間はかからなかった。手頃な材 料を使い、1週間ほどで出来上がりました。本気の寒さでなく、春や秋の肌寒さに、とても 良かった。秋の間中、家を暖めることができました」 ―今は、日々使用されていますか?追加の暖房は必要となっていますか? 「その必要はまったくありません。日がどれだけ照っているか、その分だけ、家を暖めるこ とができます。今は朝10時から午後3時半まで使っています。タイマーでそう設定してい ます。この間は他の暖房はまったく必要ありません。曇りや雪の日は使わず、オフにしてい ます」
―午後3時半以降も使ってみたことはありますか。 「わが家には電気ヒーターもあります。3時半以降、夜通し電気ヒーターを自動運転します。 一般に3時半以降も使うことは可能です。当然ながら暗くなった後、夜は使えません」
空き缶140個を使用
―電気や石炭をなるべく少なく使って、暖かく冬が越せないかと皆が考えています。家計の 節約にもなります。太陽光エネルギーを活用した暖房システムをどのように作ったのですか、 制作方法について紹介して頂けますか? 「材料は何でもよいのです。私は身近なもので作りました。周囲を板で、全面をガラスで、 背面もパネルを使いました。熱を蓄える部分は、ジュースやビールの空き缶を使いました。 うちのは、240センチ×120センチサイズですが、これに140の空き缶が必要となり ました。この設備全体に約20万トゥグルグかかりました」 ―空き缶に集められたエネルギーは、どのように蓄えられ、住宅のほうへ運ばれますか?
「タイマーを活用しました。自動で稼働させるための装置です。太陽光によって入る空気の 流れをつくるためにベンチレーターを使っています。ベンチレーターのオン、オフをタイマ ーで制御します。太陽光エネルギーで生じた暖気を住宅に取り入れる役割は、ベンチレータ ー、言わば換気扇が担っています」
外気温マイナス21度、家に入る暖気の温度は61度
―暖房設備を住宅の外に設置されたのですよね。太陽光エネルギーでベンチレーターを経由 して住宅内に取り込んで暖めるという理解でいいですか? 「そのとおり。どこに穴を開けて、換気のダクトを用い、暖気の出入り口を2か所設けまし た」
―イデル・ユス(厳冬期)にも使えますか? 「現時点ではまだ使ってみていないので、よくわかりません。最近、外気温がマイナス21 度の日に使用した際は、家の中は約30度でした。暖房機、つまり外から入る暖気の温度は 61度でした。非常に寒い日も使えるのではと思っています。何より、太陽が照っているか どうかです。太陽が出ていれば厳冬期でも家を暖かくできると思います。
外出規制(訳注/11月12日)の前は、朝オンにすれば夕方暖かかった。今はずっと家に いるので、色んな形で試験しています。使いやすくて、いいと思っています」 ―この暖房機を設置したとして、曇りの日はどうするか、ですね。 「そうなのです。太陽光頼みなので、すべて天気にかかっています。太陽光を活用してこん な暖房を作ってみた、と動画を撮影して Facebook にアップしたら、何千人もが興味を持って 見たようです。『曇りの日はどうするの』と大勢の人が質問して来ました。とりあえず知りた ければ、朝から日没まで使ってみて、家を暖めてみればいい。間違いなく電気や燃料の節約 になります」
太陽光ならランニングコストがかからない
―この暖房に、何らかのコストはかかりますか。 「暖房のプロセスは百パーセント、太陽光です。暖気の取り入れに換気扇を回しますが、 220キロワットの換気扇だから電気の使用量は少ない。コストはほとんどかかりません」 ―この暖房により、電気代、練炭や石炭など燃料費をどれくらい節約できますか。 「実際に、いくら節約できるという細かい試算はありません。昼間の暖房にかかっていた電 気代、燃料が不要となると考えれば、当然かなりの節約につながります。夜間電力は割引が ありますからね」
好みの資材や形で製作できる
―自作するなら、どのようにすればいいですか。 「色んな方法があります。外国の事例を見れば、色んな形で作っているようです。空き缶以 外にもアルミを使う、前面はガラスでなく、プラスチック資材、周囲は金属でもできるでし ょう。自分の好みに応じて製作可能だと思います」 ―それなら、自分の工夫で身近な材料を使って、暖房費を節約できるということですね。 「もちろんです。私が作ったのは半自動の設備ですが、全自動だって十分可能です」
ゲルでの活用検討中
―ゲルや車庫にこうした暖房は使えないでしょうか。 「もちろん可能だと思います。ゲルにどのように設置すれば有効か、検討しています。 Facebook にアップしたのは、バガノール区の地域の人たちに、私の経験を紹介し、共有でき ればと思ってのことです。こんなに多くの人が関心を持つとは思いもしませんでした。何千 人もの人から 質問や確認のメッセージが入って来るので、いちいち対応するのは難しいです。そうしたら、 『質問に答えなさいよ』と怒って来る人もいます(笑)。きりがないので、Facebook 上でこう した暖房設備のオンライン学習グループを開くことにしました。自分の経験だけでなく、外国の事例なども交えて、オンラインで授業を行います。外国のサイトやエンジニアの工夫な どを翻訳して動画で教える準備をし、参加者の受付を始めています」 ―今日(昨日)の段階で、動画を見た人は11万人、5百人以上が感想を書き込んでいます。 人々がまず質問するのはどのようなことですか。 「厳冬期に使えますか、とか、使用できる資材についての質問が多いです。『良い情報をあり がとうございました』と言ってくれる人も多く、意欲がわきます。一方で、逆の反響も多く あって、大変ですよ。『こんなこと必要ない、他の人に教えないで』と批判するのです」
「こんなの作ったよ、作り方教えます」を批判する人たち
―こんな暖房設備ができた、どうすれば作れるか教えます、ということに対して、否定的な 意見や批判があるのですか。 「そうなのですよ。私も戸惑い、驚いているところです。今まで、こんなに多くの人と交流 することなどなかったので」 ―あなたは「うちの街区、わたしの通り」と銘打った環境整備キャンペーンの「優秀家庭」 2位に選ばれたそうですね。敷地内のすべての整備を自前で行われたのですか。 「そうです。塀を装飾し、木や灌木を植えました。地方でも、ゲル地区でも、快適に暮らす 可能性はいくらでもあります。コンテストに参加するためではなく、元々家族のために庭を 整備していたのです。そうしたら、5街区の町内会から連絡があり、こういうコンテストが ある、参加しないか、と勧められた。敷地内の写真を送ったら、入賞したのです」(後略)
(2020年12月10日)http://eguur.mn/160541 (原文モンゴル語)
(記事セレクト・抄訳=小林 志歩)
※転載はおことわりいたします。引用の際は、必ず原典をご確認ください。
モンゴルとコロナ
(齋藤 美代子)
2020年3月、モンゴルで初めて新型コロナウィルスの輸入症例が確認され、コロナと の戦いが始まりました。国境は閉鎖されましたが、最初のケースは幸運なことにクラスター 化せず、その後もチャーター便での帰国者の輸入症例のみが続き、国内では9ヶ月間、市中 感染は発生しませんでした。帰国した感染者も次々に回復し、コロナフリーになるかも、と いう話すら出るくらいになり、徐々に警戒体制は緩和され、コンサートやイベントも自由に 開催できるようになり、学校も通常授業の新年度を迎えました。
しかし、モンゴルの保健省が毎日の記者会見で「国外の状況、特に国境を接するロシアの 状況は悪化しており、時間の問題である」と警戒を呼びかけていた通り、11月11日、国 内感染が確認され、全国警戒体制というほぼロックダウン状態に突入しました。市民生活を 維持するために許可された18業種(食料品製造・販売や暖房や水道などのインフラ管理な ど)以外は休業か自宅勤務ということになり、食料品を近隣の店に買いに行く以外の外出は 制限されています。
ウランバートル市を中心としたクラスターと、ロシア国境のセレンゲ県と鉄道の通ってい る地域(ダルハンオール、オルホン、ドルノゴビ、ゴビスンベル県)、アルハンガイ県で市中 感染が確認されています。
毎日11時に保健省が記者会見をし、PCR で確認された新規陽性者数を発表するのですが、 ロックダウン開始時期に比べるとやや落ち着いてきている感じはします(12月8日現在、 累計症例数888名、治癒者数384名、死亡者なし)。
12月1日からはロックダウンでウランバートルから出られず、地方に帰宅できない人に 対し、PCR 検査の結果を元に移動を認めました。計画的に運行されるバスや個人の車での移動 ですが、戻った後は各県で登録や14日間の自宅隔離が求められます。
政府は台湾やオーストラリアなどを参考に、完全封じ込めを考えているようで、濃厚接触 者を突き止め、隔離・検査する以外に、PCR 検査数を大幅に増やし、ウランバートル市でも感 染者の出た地区を中心に世帯に1人、7万人への検査を実施中で、ダルハン市でも全ての世 帯1人に PCR 検査が実施されましたし、アルハンガイ県で発生したケース(ウランバートル から食料を運んだ運転手が感染者だった)は、ソム住民全員に検査を実施して、今のところ 感染者は確認されていません。ロックダウンをして検査し、陽性者の濃厚接触者を次々と隔 離し、検査と治療で封じ込めるという作戦は、一方で経済を犠牲にするものですが、医療体 制が脆弱なモンゴルでは爆発的な感染への対応は無理だという判断での方針で、現在も厳戒 態勢が継続中です。
12月に入って、昼間でもマイナス20度を超えてきました。そんな中、外に立って検問 する警察官や検査機関の人たち、24時間体制で働く医療機関の関係者等を思って協力する べきだと、ほとんどの市民は外出制限を守って過ごしています。もうすぐロックダウン1ヶ 月を迎えますが、大人たちはストレスが多いようで、SNS 上ではどうやってストレスの解消を するかなどが話題になったりしています。それに対して子どもたちは意外と慣れたもので、 前年度もやっていた通り、テレビで放送される授業を見て、宿題を担当の先生に SNS で提出 しなければならず、忙しそうです。
今の感染状況を収束できるかどうか、保健省は3 ヶ月程度、様子を見る必要があるとしています。努 力が実を結んで、せめてこの夏のように国内が安全 になってくれるよう、ステイホームをしながらみん なが願っていると思います。
もうすぐ2021年になります。国境が開かれて 行き来ができるようになることを祈っています。
2020年12月8日ウランバートルにて
事務局から・
新年おめでとうございます。
コロナ渦も収まり、穏やかな年になりますよう願っています。 本年も、どうぞよろしくご支援賜りますようお願い申し上げます。
2021年 元旦
モンゴルパートナーシップ研究所
事務局 斉藤 生々
12月14日、モンゴルはマイナス30度という寒さだと 聞きました。この寒波が日本に流れ込んできているのでしょうか, 厳しい寒さになりました。
みなさま、風邪を引きこまないようご自愛くださいませ。
サロールは、高校2年生(日本では高1)です。学業の合間に気の向いた とき絵を書いているようです。みなさまから、楽しみしているとの声を たみこひそさとちくさん寄せていただいていることを伝えています。
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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
tel&fax 075-201-6430
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編集責任者 斉藤生
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