■NO 226号 モピ通信

 人類学者は草原に育つ

『Voice from Mongolia, 2020 vol.75』

  鈴木裕子さんのエッセイ集め

  オンラインの憂鬱

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  事務局からお知らせ 

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小長谷 有紀著 人類学者は草原に育つ

(臨川書店フィールドワーク選書)9

変貌するモンゴルとともに

日本学術振興会監事・文化人類学 (小長谷 有紀)

第四章 博物館の収集活動 ―— 中国とモンゴル国

中国収集システム

科研の調査とは違う、フィールドワークも経験した。 通称「みんぱく」と呼ばれている国立民族学博物館は、一九七○ 年に大阪吹田市で開催された万国博覧会の跡地に建設された。創設 準備室ができたのが一九七三年で、翌七四年に創設された。それか ら、かつてカナダのオンタリオ州館が建っていたところに、黒川紀 章の設計による建物が建設され、館員による収集品が展示され、一 九七七年十一月から一般公開が始まった。二○一四年は創設時から 数えてちょうど四○周年を迎える。

開館以来、展示品はときおり交換されていたが、大きく変更があ ったのは、二○一一年からである。みんぱくではその変更を「新構 築」と呼んでいる。端的に言えば、展示場のリニューアルである。 それはアフリカや西アジアのコーナーから始まり、オセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、日 本などつぎつぎと「新構築」が終わり、展示場がすでに刷新されている。二○一四年春には 中国、朝鮮半島などのコーナーが様変わりする。その後、二○一五年に東南アジア、続いて 二○一六年に中央アジア、北アジアならびにアイヌのコーナーが刷新されて「新構築」のプ ログラムは終了する。

最初の展示の公開(一九七七)から、新しい展示の開始(二○一一年)までのあいだは三 十四年。この間の最も大きな世界史上のできごととして、みなさんは何を挙げるだろうか。 やはりベルリンの壁の崩壊から、ソ連の崩壊、社会主義諸国の市場経済への移行など、一連 のできごと、つまり冷戦構造の終結を挙げる人がほとんどではないかと思う。

この冷戦構造の終結は、私たち博物館の仕事にも大きく影響している。それまで自由に移 動できなかったモンゴルで調査ができるようになったように、それまで自由に収集できなか ったものが収集できるようになることを意味していた。

たとえば、中国からの資料はそれまで北京にある「民族文化宮」という公的機関を通じて 購入してきた。ちなみに、みんぱくでは生業、生活、儀礼、技術などにかかわる用具類など を研究資料として収集し、未来へ受け継ぐつもりでいる。現地でもう使われなくなったとし ても、ここに来れば残されているというぐらいに、世界の物質文化を資料として保存し、研 究してゆく決意を持っているのである。これらの資料を「標本資料」と呼ぶ。標本と言えば、 「昆虫標本」や「人骨標本」などが思い浮かべられ、いかにも生物学的な用語のように聞こ えるかもしれないが、みんぱくでは、衣食住の生活用品や楽器、家具などあらゆる生活関連 グッズを対象にして収集されてきたものを「標本資料」と呼んでいる。そこで、以下では、 物質文化としての資料を標本資料と書くことにしたい。

中国の人口は二○一○年の第六回人口統計によれば、およそ十三億四千万人である。その うち漢族はおよそ十二億三千万人で九二パーセントをしめ、五十五の少数民族は全部合わせ ても十パーセントにもみたない。近年では、「中華」という新しい民族を作るという政策的な 傾向が強い。それでも「文化の多様性」を人類の重要な資産であると考えているみんぱくは、 中国政府に働きかけて、国家民族委員会の傘下にある民族文化宮を通して、漢族のみならず 少数民族のさまざまな物質文化を収集し、標本資料として保存し、その一部を展示に活用し てきた。

まず、民族文化宮に対して、どの民族のどんなものが欲しいかというリストをみんぱくか ら提出しておく。すると、中国側は現地の民族委員会などに依頼して収集し、それらが北京 に集結してくる。集まったところでみんぱく側からスタッフが北京の民族文化宮を訪問し、 そこで一気に情報を収集し、発送手続きをして、日本へ搬出する。私も何度かこうした作業 に立ち会った。このような収集活動は、中国に関する標本資料が何もなかったころはきわめ て効果的な方法であったと思われる。しかし、研究者が自分で集めたものではないため、あ まり詳しいことはわからないという点で問題がのこる。とくに、中国の場合は広大な国土の どちらかと言えば周辺部に位置している少数民族に関して、中央の北京だけで情報を収集す るのは難しい。

私は第二章で述べたように、一九八七年十二月から中国内モンゴル社会科学院で研修をし ていた。ただし、研修という名目にすると同科学院に支払わなければならない授業料が高く なるので、「留学」とみなしてもらっていた。三十二歳で助手だったから、かろうじて「留学」 と主張することができた。その「留学」中に、はじめてのフィールドワークを経験する以外 にも、あちこち出かけた。中国は、モンゴル国とちがって四十キロ圏内という制限がなく、 その代わりに、外国人が行ってもよい場所と許可証をもらえば行ってもよい場所と、そもそ も許可が下りない場所とに分かれていた。たとえば、シリンゴル盟西ウジムチン旗(盟と旗は 清朝時代に作られた行政制度)に行くときにも許可証をもらった。通称オルドスと呼ばれるイ フジョウ盟(現在、オルドス市)に行くときにも許可証をもらった。ハイラルへは許可証が要 らなかった。西夏の遺跡を見に、銀川へ行くときも許可証は要らなかった。このように、東 西北などと動きながら、各地の地元に知人などもできつつあったので、研究者自身が納得の いく標本資料をみずから集めることができる準備が整った。

そこで、帰国早々、梅棹忠夫著作集の『モンゴル研究』を編集しながら、資料の収集計画 を練った。一九八八年九月に帰国し、翌八九年の五月に収集に出かけている。だから、帰国 してまもなく収集計画を提出したのだろうと思う。

天安門事件

中国内モンゴル自治区のなかでも私が主たる収集地に選んだのはオルドス地域であった。 この地域は黄河の湾曲部にあたり、農業は河川にそっておこなわれるから、結果的にモンゴ ル人はまわりを漢人農民に囲まれていた。そのため、民族意識がきわめて高い。加えてチン ギスハーンの八白宮と称される遺品を納めた陵があるので、否が応でも民族意識が高揚する。 そんな場所だから、いろいろな民族的特徴をもつ標本資料があることは、留学中の二度の訪 問によってわかっていた。けだし、物質文化ばかりでなく人的資源という面でも突出した研 究者たちがここオルドスから生まれている。オルドスの三駿馬と私が称しているのはドイツに留学したホルツバータルさんと、イギリスに留学したボラグさんと、日本に留学した楊海 英さんである。ホルツバータルさんはその後、ビジネス界に転じ、その才能を発揮して成功 し、ヨーロッパにおけるモンゴル研究のパトロンとなっているのも頼もしい。ボラグさんは ケンブリッジ大学の社会人類学科のスタッフである。

私の「留学」中、ホルツバータルさんはまだフフホトにいた。そこで私はオルドス出身の 彼に故郷の案内をたのみ、ドイツからの留学生や、内モンゴル東部出身の人たちと出かけた。 そこではっきりと理解したのは、地域の障壁が国の障壁よりも大きいということである。ホ ルツバータルは地元の人間なので、オルドスではすんなり受け入れられる。そして、まった くの異邦人である私やドイツ人もまた遠来の珍客として受け入れられる。ところが、同じ中 国内モンゴルの他の地域から来たモンゴル人に対してオルドスの地元の人びとはきわめて冷 淡である。オルドスの研究はオルドス出身の人がするか、わたしたち外国人がするか、どち らかでしかないなと感得した。

それはさておき、外国人ではあっても地元の研究者や地元の人びとの協力を得て、あまり 見かけることのなくなった、木製の枕、革製の振り分け鞄などを購入していった。予定どお り、それらの資料を梱包し、北京まで搬送した。それから、こんどは民族文化宮のスタッフ のサポートで輸出をすすめる。いよいよその手続きをするという段になって天安門事件が発 生した!私は民族文化宮に隣接する民族飯店に投宿しており、天安門広場まではわずか三キ ロほどである。メインストリート一本でつながっている。被弾するような距離ではないが、 物騒であることにちがいなかった。そして何よりも困ったことに、収集したものを輸出する ことができないとスタッフが言い出したのである。かといって、生活用品を手放してくれた 人びとのところに戻って一軒一軒回って返すというわけにもいかない。とりあえず、しばら くのあいだ預かってもらっておくことになった。

そのときに収集した資料は、後日、すべて無事にみんぱくの標本資料として登録すること ができた。二○一四年の春にリニューアルオープンするとき、その資料の一部が使われるの はうれしいことだ。現地オルドスはいま炭鉱開発ブームにわいている。建築ラッシュが続き、 すでにバブル崩壊の兆しさえうかがわれるほど急激に発展した。かつてヤギやヒツジを放牧 し、キビを植えていた牧畜民たちは、土地を手放すことで大金を得て、高級マンションや高 級車を購入した。なかには、赤いサンゴと青いトルコ石のちりばめられた銀製の冠を日本円 で数百万円もかけて、娘の結婚式に用意する人もいる。どんなに贅を尽くしたものが新たに 作られてはいても、昔のものに宿っていた良さがよみがえるわけではない。

もし、あのとき私が購入しなかったら、どうなっただろうか。天安門事件に遭遇して現地 に戻すことになったら、その後それらの資料はどうなっただろうか。奇特な郷土史家が私財 を投じて集め、その後、公的機関に寄託し、ずっと公共の文化財として大切にされる、そん な可能性もまったくゼロではない。しかし、それほど大きな可能性でもないように思われる。 もちろん、だから他人が集めてかまわないという根拠にはならない。集めた以上は、大切に 保存し、活用していくことによって、人間文化の多様性を示す財産として継承してゆきたい。

それにしても、中国ではいつなにがおこるか分からない。だったら、モンゴルはどうだろ うか。

『Voice from Mongolia, 2020 vol.75』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「雪が解け出し、地肌がまだらに現れると、枯草の間から、チューリップの形に似た紫色の 可愛らしい迎春花が草原一面に咲き乱れ、それまで何処にいて何処から来たのか雲雀がさえ ずり出す。と、あちこちに、枯草の間から緑の美しい芽が出て来る。その緑が急に広がり6 月になると青々とした草原になる」

― 十二飛行団元陸軍准尉・吉良勝秋「ノモンハン空戦記」

月刊「今日の話題」第二十三集(土曜通信社、1955年)

2月の当欄で内モンゴルのホロンバイル(フルンボイル)のお正月について紹介した。モ ンゴル、中国、ロシア3国の国境に近い彼の地でも、いつもより早い春を迎えているだろう か――。古書市でふと手にとった雑誌に、現地の春の様子を切り取った一文を見つけた。 1939年に日本の関東軍が、ソ連・モンゴル連合軍と戦ったノモンハン事件(ハルハ河戦 争)に、飛行兵として従軍した日本人が戦後書いた体験談の中の一節である。文中に出て来 る「迎春花」は、中国でそう呼ばれるという黄梅ではない。モンゴルで春を告げる花と称さ れる、ヤルゴイだと思う。

キンポウゲ科オキナグサ属の多年草。モンゴルには紫色 のほか、黄色の花をつけるものがある。5月、他の野草に 先駆けて野を染める。古来、花や葉などを乾燥させ、薬草 として使われて来たそうで、皮膚の傷や炎症をはじめ、神 経衰弱、不眠などに効くが、多く摂取すると毒になるので 注意が必要だという。 「家畜はこの花が大好きなんだ。ヤギなんか一目散に走っ て食べにいくよ」。そう教えてくれたのは、狩猟が趣味とい うザブハン県出身の男性。なるほど、手元の慣用句辞典に も、好物を前にして何としても手に入れようとする例えと して、「ヤルゴイを追うヤギのように」(Яргуй хөөсөн ямаа шиг)という言い回しが出ていた。「あなたの国のサクラと 同じ。一斉に咲き、数日で散る」。噛むと、辛い味がするの だそうだ。

「昭和14年5月12日のことである。ようやく雪の解けかけたノモンハン附近に、突然 外蒙の騎兵部隊が越境して来た」。モンゴル人民共和国(当時)の東の端と、日本軍が警備す る「満洲国」の国境上空では、当時の最新鋭機・九七機による激しい空中戦が繰り広げられ たという。当事者による体験談は、トム・クルーズ主演の懐かしいハリウッド映画『トップ ガン』さながらの臨場感だ。

初夏から夏へ、編隊でやって来る敵機との交戦、撃墜、訓練の日々。「…焼けるような日差 しの空を仰ぐと、空は澄み切ってコバルト、それをカンバスにして、大胆に白く塗った積乱 雲(入道雲)の見事さ。さらに何百、何千とも知れぬ牛、馬、羊の群は、大陸ならでは見ら れぬ悠大な風景であった」。戦記の著者は触れなかったが、眼下の草原にいたのは動物だけで はない。そこには、草原を故郷とするバルガやブリヤートなど人々の暮らしがあった。

盛夏には、風向きは変わっていた。「私たちが空から見た感じでは、十数倍の敵だった」。 数千の戦車、装甲車の列。数百門の高射砲。「外蒙国境とは言え、空地とも大部分はソ連の正 規兵であることは、毎日とらえられる捕虜によっても明白である」。

他人の「庭」での激しい戦闘とおびただしく流される血。住人にとっては、災厄どころで はなかっただろう。

2020年9月に放映されたNHK・ETVのドキュメンタリー「隠された毒ガス兵器」 にも「ホロンバイル」が登場した。日本陸軍の毒ガス作戦の実験・訓練を担った満洲526 部隊所属の元陸軍兵長が、戦後記した手記の中の「実毒演習」についての部分が引用された。 「ホロンバイルの草原の大演習には、昨日は丸太何本、今日は十本などと聞かされました。 731部隊より配送された捕虜だったのでした。…」

当時にあっても、あまりに残酷と国際法で禁止されていた毒ガス兵器の有効性を試す実地 訓練の演習場として、草原に、人の上に、毒が撒かれた。この兵長はノモンハン事件翌年の 1940年に出征し、3年間従軍したというから、中国のひとびとの激しい抵抗を受けて「泥 沼化」した日中戦争のさなかのことである。

ヤルゴイの仲間は、北半球の寒冷地の高原や森、川べりの石の多い場所などに広く分布す る。宮沢賢治の童話「おきなぐさ」では、土地の人たちはこの花を「うずのしゅげ」と呼ぶ。 翁、つまりおじいさんのひげ。花の後、長く白い毛の、白髪を思わせる姿で結実するのがそ の名の由来という。

私の祖父はシベリア抑留から帰国したが、戦争のことはひとことも語らず逝った。もう逢 うことのできない、おじいさんたちが語らずに、記さずにいられなかった、草原の歴史の断 片。次に花咲く草原を踏みしめることができる日までに、もっと知りたいと思う。

最後に、モンゴル国内にも「フルンボイル」がある。終戦直後の1945年10月、バル ガのふたつの旗(内モンゴルの行政単位)から256世帯、700人あまりが7万頭の家畜 を連れて、モンゴルへの所属を求めて越境した。モンゴル人民共和国側はこれを受け入れ、 新たにチョイバルサン(現在はドルノド)県フルンボイル・ソムとなった。その後、県中心 の再開発による移転などを経て、現在同ソムは人口1750人。住民の6割近くをハルハ族 が占めるという。

今月の気になる記事

日本政府や自治体による「外出自粛」の呼びかけどころでなく、厳しい外出制限が続くモ ンゴル。4月18日現在、ワクチン接種は既に63万8千人とかなり進んでいるが、新たな 感染の確認はウランバートルを中心に千人を超える日もあり、累計の死亡者数も49人とな った(モンツァメ通信、4月19日)。予定どおりに物事が動くことに慣れた日本人の目から 見ると、明日のことはわからない不確実さの中で暮らし、適応能力が高いと見える人々だが、 特に女性の心身に、コロナ禍による不安が影を落としているようだ。

B.バヤルマー「外出制限により、5人にひとりがうつ状態に」

(筆者/B.ドルジンジャブ)

パンデミックが人々に与える心理的影響とその予防について、国家心療保健センターの副 センター長で医学博士でもあるB.バヤルマーにインタビューした。

-パンデミックが発生し、都市封鎖や外出規制により、人々がうつ状態に陥るケースが急増し ていることを、世界のメディアが報じています。モンゴル国内の状況はいかがでしょうか。 「新型コロナウイルス感染の拡大により、世界中でこれまでなかった事態に直面しています。 ロックダウンが長期化し、身内や親しい人たちから距離を置かざるを得なかったり、隔離さ れたりする、その上に経済不況、自分が感染したらどうしようという恐怖、新たな生活様式 など、私たちの心に不安やストレス、うつなど望ましくない副作用をもたらしています。

わが国だけでなく、世界の多くの国の心理的影響についての調査を見ても、人々の間に適 応障害やPTSD、不眠といった心理的な症状があることが報告されています。わがセンタ ーにおいても医師が厳しい外出制限にある人々の心理的な負担がどれくらい広がっているか 調査したところ、うつ状態が22.1%、つまり5人に 1 人との結果でした」

-何人を対象にした調査の結果でしょうか? 「厳しい外出制限下の人々の心理負担の広がりと原因について調査する目的で、センターの 若い医師でつくる『MEDIC』チームが昨年11月21日から27日にかけて行ったオンライン による調査で、4333人が参加しました。参加者の平均年齢は33歳で、その82%が女 性、18%が男性でした。当時の外出制限の状況は、63%の人が自宅待機、15%が在宅 勤務、15%が通常通り仕事に出かけている、と回答しました。

調査に参加した人の間で、不安(20.5%)、うつ状態にある(22%)、自殺を考える、 不眠に陥っている(23%)との回答を得ました。総括してコロナウイルス感染による外出制限下において、国民の4~5人にひとりが心の問を抱えているということです。 センターで2013年に行った心理的ストレスの調査においては、女性、離婚した人、失 業者の間でうつ状態に陥る人が多かった。今回は、不安の原因は外出制限によって自宅にい ること、世帯の収入が減ったこと、日中の多くの時間(6時間以上)をオンラインの画面を 見て過ごす、ということです。感染という問題が人々の仕事や生活に非常に大きな影響を与 えている、感染拡大に大きな懸念を抱いている、と回答した人々の間で、落ち込んでいる率が高いのが見て取れます」

-うつ状態に陥ったかどうかは、どうしたらわかりますか。わが国では人々は心理的な問題に ついての理解があまりなく、自分がうつに陥っても気づいていないという状況も多いので は? 「うつ状態になると、自分自身や将来への自信が持てず、自分についての評価が下がり、自 分を責める、傷つける、将来について良くないことばかり想像する、動作や会話のスピード が遅くなる、趣味などにも関心がなくなる、食欲が落ちる、いかなる社会活動にも参加でき なくなる、できる限り一人でいたいと望む、などの症状があらわれます。当センターのウェ ブサイトで、心理状態について自己診断するための情報を掲載しています」

-自分がうつ状態にあると認識したら、まず何をすればいいですか? 「どこに、だれに相談したらいいかわからないうちに時間がたってしまい、悪化するケース が多く見受けられます。上記に挙げた症状が2週間続いたら、専門の心理カウンセラーや、 医師に相談してください。

ストレスを軽減する、うつ状態を予防し、緩和するには、ごく一般的なストレス解消法を 身につけることからです。呼吸の練習をする、決まった時間に就寝する、定期的に身体を動 かす、仕事に集中する時間をつくる、一日の時間配分を決めて実行する、好きなことをする、 趣味を持つなど、ごくシンプルなやり方が心を守るのに有効です。

また国民が心の健康について学べ、ストレスに対処する能力を身に付けるための講座を、 多くの人が参加できる形で展開することが求められています」

-感染のリスク、外出制限により、人と会えない状況下において、身近な人の心理状態につい てどのように注意したらいいでしょうか。 「外出制限で自宅にいる人々が、心理的につらかったり、うつ状態にある場合、当センター では、心の健康についての情報提供を24時間体制で行っており、1800-2000に電 話してもらえば電話で医師と話をしたり、情報を得たりすることができます。 自分を恥じたり、心配したりせずに、自分の状態を話すことです。他者に助けを求めてくだ さい。どんなことに対しても、良い面を見ることも大切です。ロックダウンをひとつのチャ ンスととらえ、新たなことを勉強してみる、これまでしたことのない趣味を始める、中途半 端になっていた仕事を最後までやる、家族との時間を多くする、子どもたちとともに楽しい 時間を過ごす、一緒に遊ぶ、本を読む、運動するなど、充実した時間を過ごしてください。 ロックダウン下では友人や家族とオンラインでつながることも、孤立しないために、良いこ とです。在宅勤務の場合は、仕事と余暇をきちんと分けることも重要です」

-心の教育は、子どものときから必要だと思いますか。 「子どもの時期から、心の健康についての教育を行うことは、将来的にストレスを乗り越え る力をつけ、心の『免疫』を高め、適応能力ある個人になるための基本だと思います。当セ ンターでは、2018年から教育省と共同し、保健の授業に心の健康について理解を深める 内容を、年齢に準じた形で取り入れるようになりました。一例を挙げると、2019年には ウランバートルの9地区と21県の家庭医療センターの医師や学校の養護教諭を対象に、心 の健康についての研修を行い、住民への普及を目指しています。このほか、企業や大学、中 学校、保護者向けの講座の開催や、フェイスブックを通じた様々な情報提供を行っています。

若い医師らのグループは『カラフルマインド』というオンラインマガジンの創刊号を発行し ています。WorldPlus というアプリを使って無料で読むことができます」(後略)

-政府からの支援としては、どのようなことが求められていますか? 「先の見えない状態は、人の心に不安やストレスを与えます。今回の厳しい外出制限の決定 は、1 日前に知らされ、人々の心理的な負担は大きかった。さまざまな決定に際しては、明確 かつ確実な情報提供を行う、また国民みなに平等な政策決定を行うことも重要です」

「ゾーニーメデー」紙より転載 2021年4月14日

ニュースサイト https://www.polit.mn/a/88796 (原文モンゴル語)

(記事セレクト・抄訳=小林 志歩)

鈴木裕子さんのエッセイ集

(小長谷 有紀)

鈴木裕子さんからのお便りを掲載します。 鈴木裕子さんは、公邸料理人としてウランバートルにある日本大使館に勤務されていました。 それまで縁のなかったモンゴルと出会い、モンゴルの不思議な面白さを SNS でエッセイを発 信。それらの中からいくつかのエッセイを再構成してお届けします。いずれまた、ご本人に よる自己紹介もお願いしますので、まずはモンゴルの多様な側面に出会っていく彼女の声を お楽しみください。

肉◇いのちの味

日本ではお肉をつくるという。おいしいお肉 の為の血統や品種を人がたくさんの中から選び 出し、またよりおいしいお肉の為、餌や環境に 手を入れる。人が理想の肉質やサシを思い浮か べ、技術や経験の先でそれを実現する。欲しい ものが先にありそれを生み出す。だからお肉は つくるもの。お肉は生きものだけれど、人為の 強さがその生きものの形を決定し、命は家畜の ものだけれど、そのお肉は生まれた時から私た ち人間に売約済み。

しかし、モンゴルではそれはまったく違う。 お肉は自然の中を生き抜いた命を譲り受けるも の。厳しい自然はお肉を作るという発想を寄せ付けない。ここでは、生きものが自身の力で 生き延びる、それが何より優先される。生き残れない家畜は食べる事が出来ないのだから。

お肉はつくるのではなく、分けてもらうもの。命を奪いご馳走になるもの。モンゴルの生 活はそれをはっきりと実感する。これは、むかしどこの世界でも当たり前だった人と生きも のの関係なのだと思う。

いただきます、のはじまりに触れた。自立して生き抜いてきた生きものの体を奪い取る。 ありがとうが湧いてくる食べもの。他の生きものの、体と元気が、食べた側の体と元気に組 み変わる。生きものは食べることで生きている。食べものは大切だ。わたしたちは生きものなのだ。モンゴルでお肉を食べるたびに度にわたしはシンプルに生きるということを感じた。 それは日本では得ることがなかった感覚だった。

日本人は舌や心で食べる。そこには多彩な味や、食を楽しむ文化や、料理を通して人に尽 くす姿勢があった。つくるお肉につくる味。それはどこか同質だ。片やモンゴルにあるのは、 シンプルにただ食べるということ。生きものそのままの体をたべる。それに一番似合う料理 は、味付けでつくる味ではないのかもしれない。素材の味は命の味。食べながら体でいのち の味を利きわける。だから塩しか要らないのかもしれない。そうしてここの人たちは生きて きたのだから。

モンゴルでわたしは生きもの体温を感じるように、その内側のお肉を食べていた。グロテ スクなこととしてではなく、むしろ愛おしむに近い感覚で。食べると、生きものがわたしに 命を受け渡してくれるのを感じた。それは怖いことではなく、ただただありがとうと感じる いとなみ。自分のからだが食べた生きものたちによって生かされているのを感じた。わたし は一人だけれど、わたしのからだは食べてきた生きものたちの命と共に生きている。たべる。 それはこういうことでもあったのだ。いろいろが腑に落ちた。

肉◇冷凍の方が旨い

「冷凍の方が旨い」と聞いてわたしがどんなに驚いた か、日本人の皆さまならご理解をいただけると思う。生 で食べられる鮮度のお肉を誰が好き好んで冷凍するだろ うか?しかし、モンゴルの冬の終わりから春にかけてな ら、これは大正解だ。というのは、放牧という自給自足 な野良に近い生活をする家畜たちには、冬から春にかけ て潤沢な餌がない。雪の下にある夏に食べ残された乾い た草は僅か。それを食べながら命を繋ぐのが冬の家畜の 暮らしだ。そんな訳で、まだ大地に草のない春先の生肉 は見るからに艶がなく、カサカサとして美味しそうでは ない。そして値段も高い。一番痩せている時期、一頭あ たり取れるお肉は少ないし、春節などお肉を大量に消費 するイベントもあるからだ。

モンゴルではひと冬に食べる家畜をおおかた秋に屠殺 するのが習わしだ。夏に緑豊かな草原で来る日も来る日 も思い切り草を食んだ家畜は、丸々として美味しい。

秋とは言っても屠殺の頃は氷点下。天然の冷凍庫の中にいるようなものだ。屠殺すれば家 畜は自然の温度で凍る。ウランバートル市内のアパートの北側にはサンルームのような部屋 があるが大抵そこはお肉の貯蔵庫として利用されている。住人は牛羊などを一頭単位で置き、 冬の蓄えとする。

無理に冬や春に生肉を探す意味がわからない。どんなに拘ったって− 数十°Cな土地柄、流 通のどこかで凍っていると笑われた。それはそうだ。郷に入っては郷に耳を傾けよう。

肉◇子供は食べられない

羊や山羊がいつ子供を産むかをご存知だろうか?モンゴルの春、とは言っても2月の旧正 月を過ぎた寒さの底を打った辺りのことだ。これから暖かさに向かうとはいえ、無論大地は まだ氷点下で、5月頃にならないと草も生えない。けれどこの時期子供を産まなければ、若 草の萌える時期までに離乳できない。そして子供たちは短い夏にしっかり草を食べて、大き くなり、脂という天然の防寒具を身につけなくては、次の冬を生き延びられない。

母となる家畜たちは大変だ。一年で一番飢える時期に子を孕み、生まれれば身を削ってお 乳をやらなくてはならない。まさに身を分け、命を分け与える。少しでも子供の生きる確率 を上げる為には、草が生えてからでは間に合わないのだ。それがモンゴルの大地の定めだ。

そんな風に生まれる子供の命を取れるだろう か?ゲルの壁一枚を隔て、同じ厳しい冬を共に 耐え抜く人たちが。もちろん経済効率という意 味もある。子供が若い柔らかな緑を食べ始めれ ば、後は秋まで草原が大きく太らせてくれる。 小さく少ない子供の肉を食べることは不経済だ。

そんな風に生まれる子供の命を取れるだろう か?ゲルの壁一枚を隔て、同じ厳しい冬を共に 耐え抜く人たちが。もちろん経済効率という意 味もある。子供が若い柔らかな緑を食べ始めれ ば、後は秋まで草原が大きく太らせてくれる。 小さく少ない子供の肉を食べることは不経済だ。 モンゴル人は幼い命を極力奪わない。

家畜たちが自分の命を削るようにして子を産み育てるものだからかもしれない。そうでないかもしれない。

いずれにしろ、モンゴルで子羊子牛のお肉は売ってはいなかった。

モンゴルに住むまでは人口の数十倍の家畜がいる国で、食べられないお肉があるとは想像もしなかった。けれど彼の地に暮らすうちに、それがとても気持ちが良いことだと感じるようになった。

もちろん生きていく為にたくさんの命はいただく。

でも生きものどうしだものね、そんな風に私も感じるようになった。

民族の心はその地に住む人たちが培ったものだと思っていたが、面白いもので住むと自ずと沁みてきた。

オンラインの憂鬱(ゆううつ)

(2021年4月9日・京都新聞夕刊 現代のことば) 掲載記事

日本学術振興会監事・文化人類学 (小長谷 有紀)

緊急事態宣言が解除されてもなお、いましばらくは、自由に思う存分、外で活動できる わけでもなさそうだ。その代わり、最近になって提供されるようになった、オンライン上の さまざまなサービスを利用する人も多いことだろう。

オンライン上のサービスなら、移動の時間がかからない。概して価格も安い。遠い人とも やりとりできる。国境さえも容易に超えられる。

確かに良いことはたくさんある。けれども、多くの人が感じているように、対面の楽しさ にはかなわない。なら、

オンラインでは、例えば、匂いがない。私が専門に研究しているモンゴルでは、匂いをウ ルネといい、真実はウネン、価値はウネという。明らかに、嗅覚のそばに価値判断があると 言えよう。 また、キスをする動作はウネセフといい、元来は相手の匂いを嗅ぐことを意味していた。

人の価値を嗅ぎ分けていたのである。日本語でも、怪しむ時に「くさい」というから、一 般に、真偽は嗅覚の領域にあるのだろう。

それほど大切な匂いがオンラインでは伝わらない。嫌な匂いも嗅ぐこともできない。要す るにリァリティに欠ける。

視覚に依存しがちでありながら、その視覚さえ十分ではない。会議に参加している人たち の些細な感情を読み取るのは難しい。知っている人同士ならともかく、初めて出合う人とは コミュニケーションできたという実感が沸かない。

充足感に欠けるためか、ついつい今まで以上に、知的好奇心をみたしてくれそうな機会を求めてしまう自分がいる。 かつてなら、何らかの会合に参加することは、前後の移動時間が必要なために、何らかの 会合への不参加を選ぶことでもあった。 しかし、オンラインであれば、物理的な移動を必要としないため、どちらも可能になってしまう。こうしていつの間にか、オンライン漬けの日々になってしまった。 講演会、シンポジウム、研究会、勉強会などなど。関心のおもむくままに、とりあえず登録しておく。すると、主催者から案内が送られてくる。 さすがに二つ同時に聞くことはできないので、あとからユーチューブ配信されるという案 内があれば、それは、あとから見ることにする。録画番組が溜まるようなものだ。 そうでなくても、職場での会議もウェ会議が中心で、パソコン画面ばかり見て日々を過 ごしている。ニュースもパソコン画面なら、比較検討しながら見ることができる。テレビ番組も、むしろ見逃し配信で見たい時に見ればよい。 何を面白いと感じるかは人それぞれだが、私自身がプロデュースする場合には、人の生活 時間を占有するに足るものを提供しなければ、と心に誓う今日この頃である。

2021年度モピ会費納入のお願い(再度)

(事務局 斉藤 生々)

20年度は、コロナウイルスで明け暮れた一年でした。昨年10月モピの窮状をお知らせ し、お心を寄せていただきました。会費と寄付金合わせて110万円があつまり、お陰様で 今年度をくぐることができました。御礼申し上げます。

モピ会員の総数が90名を割っている現在、今後の維持が思いやられます。 新しい年度に は、モピ活動ができますよう願っています。どうぞみなさまも応援してください。お願い申し上げます。

会費・寄付金の送り先
郵便振替
口座番号 00940-6―84135 加入者名 モンゴルパートナーシップ研究所

銀行振込 三菱UFJ銀行 谷町支店
口座番号 普通 5096982
口座名義 トクヒ)モンゴルパートナーシップケンキュウショ



事務局からお知らせ

(斎藤 生々)

第20回モピ総会 2021年4月10日(土)11時~ コロナ感染予防のため電子会議で開催され、すべての議題が可決決定されました。

会員総数 93名

電子会議参加者 10名

委任状提出者 定足数 59名

計69名

(定款26条)会議は、総会にあっては、正会員の3分の1以上がなければ開催できない。 みな様、ご協力いただきありがとうございました。

委任状はがき一言欄から(名称略) ・梅村 浄

いつも通信ありがとうございます。東京では今年のハワリンバヤルは、オンラインで

行うことになりましたる学生たちが頑張っています。 ・中西とし子

サロールさんの絵、毎号楽しみです。独特の才能をお持ちですね。史子は記事をしっ かり読んでいます。(モンゴル情報のためとか・) ・永瀬隆一

お世話になりました。本年もよろしくお願いします。 ・足立一夫

ご無沙汰しています。御元気でしょうね。コロナの終息を祈ってます。皆様によろしくお伝えください。 ・藤原道子

毎月のモピ通信に掲載のサロールさんの絵を楽しみにしている一人です。

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編集責任者 斉藤生

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