■NO 230号 モピ通信

 人類学者は草原に育つ

『Voice from Mongolia, 2021 vol.79』

 キュレーター京都新聞記事

 鈴木裕子さんのエッセイ

 新刊絵本の紹介 

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小長谷 有紀著 人類学者は草原に育つ

(臨川書店フィールドワーク選書)9

変貌するモンゴルとともに

日本学術振興会監事・文化人類学 (小長谷 有紀)

第四章 博物館の収集活動 ―— 中国とモンゴル国

オルホン突厥碑文の修復とレプリカの作成

オルホン突厥碑文とは、モンゴル国の中原ともいうべき中央部を 流れるオルホン河の支流ホクシン川の東側で発見された突厥文字に よる碑文である。兄のビルゲ・カガン(在位は七一六〜七三四年) の碑文と、弟のキョル・テギンの碑文がある。モンゴル高原にはか つて突厥やウイグルなど古代のトルコ、テュルク系の言語をもつ集 団が活躍し、その首長がカガン(可汗)として他の諸集団を組織し ていた。突厥可汗国は一般に、五五二年から六三○年までの第一可 汗国時代と、六八二年から七四四年までの第二可汗国時代に分けら れる。そのあいだは、唐代の中国に服属していた。そのため、この 兄弟の時代は、二度と南の中国に負けてはならじ、というナショナリズムが強く打ち出され ていたと考えられている。

碑文には突厥文字で書かれた部分と漢字で書かれた部分があるが、その内容は対訳ではな いところが興味深い。漢字では中国との友好がうたわれているにもかかわらず、突厥文字の ほうでは、遊牧生活をまもり、柔らかい絹やおいしい食べものに惑わされないように子孫を いましめる。現代の文脈で再解釈すると、華美を排し、環境に適応した移動生活を維持せよ という教えである。つねに移動することによって植生とのバランスをはかる遊牧生活は、持 続可能性を内包している。また、文明とは、暮らし方や考え方が一つの文化にとどまらず、 諸民族で共有される装置のことである。モンゴル高原の現在の主人公であるモンゴル人と、 かつての主人公であるトルコ人(オルホン突厥碑文の主人公たち)とは言語がちがっても、 遊牧の暮らしを共有している。遊牧を持続可能な文明として再評価することを提唱し、この 碑文によって象徴しようというわけである。

どんな展示にもコンセプトがある。そして、そのコンセプトは来館者が展示を通じて体得 できるように工夫しなければならない。たとえば、コンセプトを示す象徴的な資料を展示す る方法がある。展示全体を締めるタガのような役割を果たすものとして、このオルホン突厥碑文を用いようというアイデアがまとまった。 しかし、これを展示するのは容易ではない。もちろん実物を移動するわけにもいかない。

あくまでもレプリカをつくることになるだろう。オルホン突厥碑文のうち、キョル・テギン 碑のほうは落雷を受けて大きく斜めに欠け、分割されていた。こうした破損状態を補修する 必要もあるかもしれない。とりあえず、石の専門家に現地で見てもらい、修復できることな ら修復し、レプリカを制作するというプロジェクトを考案した。海外の文化財の維持や修復 事業に対して助成している住友財団に申請し、 無事に資金を得ることができた。このとき書 いた書類は段ボール箱一杯分ある。ちょっと記念になるかもしれないと思って、まだ捨てな いで置いてある。たくさん仕事をしても、とくに誰もご苦労さんと声をかけてくれるわけで はない。誰かに依頼されてやる仕事ではなく、みずから作り出していく仕事だから。よくが んばったねという慰めのためにしばらく捨てないで置いてある。もうあれから十七~八年経 とうとしている。そろそろ捨てどきかもしれない。

レプリカの制作は京都科学という企業に依頼して、モンゴル草原のまさにオルホン突厥碑 文が屹立している草原に出張していただいた。私もずっと同行した。一九九七年の夏は、ほ ぼ一カ月のあいだずっと、碑文の近くにテントを張って生活した。次に述べる映像取材のス タッフの分も含めて、私は毎日三回、八人分の「飯炊き女」を遂行した。

映像取材

特別展のための収集三年計画の三年目、一九九七年はもともと映像取材をする予定であっ た。そこにオルホン突厥碑文の修復作業ならびにレプリカ制作作業が加わったので、取材地 域については迷わずにすんだ。碑文の近くに夏営しにきている遊牧民たちを対象にお願いす ることになる。

私たちは碑文からおよそ二キロメートルのところに設営した。そこから東へ三キロメート ルほどいくと、ホクシンゴル(モンゴル語でおばあさんの川という意味)というオルホン河 の支流が北から南へ流れていた。私たちの設営地点から川岸までのあいだに、一軒の家があ った。オチルさん一家である。四○代のご夫婦に二○代の息子と娘が同居しているから、ほ どよく労働力もある。あまり迷惑がかかりにくそうな一家であった。そこで、日常的な生活 の撮影はほぼその家庭でおこなうことになった。事の次第をまずスレンさんが説明しておき、 私は頻繁にお宅を訪問して、いろいろと質問できる間柄となり、慣れたころに撮影スタッフ がやってきて撮影するというわけである。この一家で撮影された映像は現在みんぱくのマル チメディア番組で大いに利用されている。

一方、みんぱくのビデオテーク番組としては「馬乳酒のまつり」「モンゴル遊牧民のすまい」 「現代モンゴルの二つの世界」などがある。これらは設営地からさらに十キロメートルほど 南のサンジャースレン宅で撮影した。私たちが設営地周辺で聞き取り作業をしているあいだ に、ジープに乗って、スレンさんと運転手のバトエルデネさんが撮影にふさわしい一家を探 しに行ってくれたのだった。彼らは二人ともこのアルハンガイ県の出身である。広い意味で は地元なので、安心して任せておいた。けだし、草原の暮らしは、来訪者が無ければ単調で ある。来訪者はテレビ番組よりも貴重な情報源である。撮影される彼らは、カメラをもたな いので私たちを撮影こそしないが、私たち以上の好奇心を発動して観察していたと思う。そ れゆえに、撮影隊というものめずらしい連中である私たちを受け入れてくれたのだと思う。 おかげで、馬乳酒のまつり、秋営地への移動、フェルトづくりなど、非日常的なできごとの 一部始終をカメラに収めることができた。心から感謝したい。

一家のメンバーでもないのに、どの番組にも映っている人物が、私たちの愛すべき運転手 バトエルデネさんである。彼はいつでもどこでもすぐに仕事をしてしまう。ガソリンスタン ドでは、ガソリンスタンドの人のように働く。遊牧民の家では遊牧民のように働く。碑文の 修復現場では、修復専門家のように働く。そのうち日本語も片言ならできるようになってい た。やがて、文化財保存の専門家として、また日本語上級者として来日したときには驚いた。 推薦者は私になっていたからさらに驚いた。どこにも溶け込む彼ならではの展開だとは思っ たが、溶け込みすぎというものではないだろうか。

みんぱくには映像番組をみずから撮影し、編集し、そうした映像制作そのものを研究の対 象とする、映像人類学者もいる。しかし、私のようなふつうの研究者が撮影しても、番組制 作に耐えられないことが多い。だから、私は専門家に撮影してもらいたい。そこで、映像取 材の目的や内容や活用方法を書いてみんぱくに申請する。館内の競争に打ち勝ち、無事に資 金を調達することができてはじめて撮影スタッフを派遣してもらうのである。このときは、 カメラマンの平岡武志さんと音声担当の服部一男さんという男性二人が撮影のためにモンゴ ルの中核部まで来てくださった。

一カ月間、草原のテント暮らしである。夏とはいえ、川で水浴びしたくなるほどの気温で はない。つまり、風呂はなし!川まで行けば洗濯くらいできる。しかし、撮影の仕事がある から、疲れてあまり洗濯する気にはならない。つまり、洗濯はなるべくなし!食事はと言え ば、せいぜい味付けを変えるだけの、毎日がヒツジ肉である。ちょっと何かを買い足すにし ても、一番近い町まで草原を走ること数時間、県庁所在地までなら半日かかる。平岡、服部 の御両名は、あとで聞いたところによれば、一枚のパンツを表裏前後とひっくり返して四日 使ってから洗っていたらしい。平岡さんいわく、

「一生分のアウトドアをしました!」 つまり、もう十分です、というわけである。けだし、遊牧民は一生アウトドアをしているこ とになるが、彼には厳しかったのであろう。それでも、さすがにプロだから、撮影について はこちらの要請に十分に応えてくださった。

一番たいへんだったのは馬乳酒祭りだったろう。主役は一家の主人サンジャースレンさん だから、カメラは彼をねらえばいい。しかし、ウマの群れのシーンも必要だし、子どもたち が祭りのあとに競技をするからその遊びのシーンも必要である。平岡カメラマンは走りまわ っていた。ぜいぜい言いながら。音声担当者は当然カメラマンを追いかけるから、カメラマ ンの息があがっている音を拾っている。耳をすまして完成したビデオテーク番組を聞いてい ると、ぜいぜいという音が聞こえたならそれはカメラマンの声だ。後日、平岡さんはこのと きすでに肺を病っていたと聞いた。本人も知らなかったそうである。平らに見えるモンゴル は実は高地にある。あの撮影現場も標高千五百メートルくらいはあろう。そんなところで病 んだ肺を抱えながら、ウマを追いかけて撮影してくれていたのだった。大病に至らず、治癒 しているとのことで、安心した。


『Voice from Mongolia, 2021 vol.79』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「牧民だった僕の眼から見れば、ここの牛はかわいそうに思える」

モンゴル人技能実習生、20代男性

モンゴルから日本へ、働くためにやって来る技能実習生に関わるようになって、早いもの で2年になる。その直後に始まったコロナ禍により、以前のように気軽にモンゴルに渡航で きなくなったが、地元にいながらにして、日々20歳代から40歳代のモンゴル人と出会い、 その声に耳を傾ける毎日だ。

北海道の道東地域という土地柄、実習生たちの職場で多いのは、ダントツで酪農である。 家族経営のところから、数百頭の乳牛がひしめく農業法人まで規模は様々だが、多くは早朝 と夕方の2回の乳搾りや牛舎のふんの掃除、子牛にミルクを与えるなどが主な仕事である。

まもなく3年の満期を迎える実習生は、「今は慣れたけど、はじめは本当に大変だったよ」 と流ちょうな日本語で話した。彼女は、来日前、「日本では、搾乳もボタンを押すだけの全自 動だよ」と聞かされていたという。確かに、牛の乳房をセンサーが感知し、自動的にミルカ ーが装着される搾乳ロボットは、酪農家にとっては億単位の投資になるが、導入が進んでい る。考えればわかりそうなものだが、機械のオペレーションをさせるために実習生を雇う会 社はない。人間の耳は、自分が聞きたい情報を優先して聞くように出来ているから、仕方ないか。一方、搾乳の仕事、とだけ聞いて、「桶を 持って手で搾るのだと思っていたの、笑えるよ ね」。そう打ち明けた実習生もいた。

実際の搾乳作業は、機械化されているが、まず 4本の乳頭を手で搾り、乳に血液やブツブツした ものが混じっていないかを目視でチェック(前搾 り)する。続いて、乳頭を消毒液に付け、拭き取 り、ミルカーを装着し、終わったものから外し… の繰り返しである。乳頭の形がミルカーにうまく 合わないとか、機嫌が悪いと蹴るとか、「訳アリ」 の牛は番号で把握し、相応の対応や注意が必要と なる。

ある経営者は、初日から前搾りを難なくこなす姿に「日本人だとこうはいかない」と感心 していた。別の経営者のひとりは、20代の実習生Bさんが、働き始めてほどなく一頭一頭 を乳房で識別するようになったことに驚いたという。誰だと思っているんですか、彼女たち は地方で生まれ育ったモンゴル人ですよ、何百年も家畜やミルクと共に生きて来た人たちな んですよ。自分が何をしたわけでもないのに、心のなかで、エヘンと威張る私なのだ。

人の口に入る、食品を扱うからには、細心の注意が求められる。例えば、薬を使用した牛 を取り違えて、搾ってしまったら、バルククーラーと呼ばれるタンク一杯分の牛乳を廃棄せ ざるを得なくなり、大損害となる。また、大きな牛の至近距離で働くのだから、ふとした拍 子に踏まれたり、蹴られたり、もある。早朝だからといって、片時もぼーっとはしていられ ないのだ。

月に4-5日の、たまの休みを利用して、近郊の実習生たち数人が集まった。近郊と言って も互いの牧場は数十キロ離れていて、最寄りのバス停は10キロ以上先、という地域も珍し くないので、運転手を引き受けた。うちの牧場ではこうだよ、こんなだよ、と話がはずむ。 その中で決まって出て来るのが、お気に入りの子牛がいかに愛らしいか、という話。ある実 習生は「夢にまで出て来たよ」。休日も牛トーク?と、ちょっとあきれながらも、思い知らさ れる。日本語の「家畜」は、とりもなおさず「経済動物」を意味するが、モンゴル人にとっ てマルとは、アミタン(生き物、命あるもの)なのだと。

「丁寧なのはいいのだけど、その丁寧さはそのままに、もっと早く出来るようにならない と…あと30分は早く仕事を終わらせるように」。経営者から実習生に伝えて、と電話が入っ た。細心の注意と同時に、スピードも要求される。業種は違ったが、作業のスピードアップ を求められたモンゴル人実習生が、決然と言い放った言葉が忘れられない。「自分は機械では ない。これ以上速くは、できない」。

冒頭のひとことは、身体と不釣り合いなほど大きな乳房を揺らして歩くホルスタインと 日々向き合って、もうすぐ半年になる実習生のつぶやき。牝牛は、生まれて2歳過ぎから4、 5回の出産をし、日に30リットルもの牛乳を提供し、10歳を待たずに役目を終えて廃用、 つまり肉となる。母牛たちは、広い放牧地でのんびり過ごさせてもらうことは、ほとんどな い(日本では放牧酪農を実践するのは、ごく一部である)。

「日本は厳しい社会だね。モンゴルでは、仕事がなくても、人は生きていける」。その目は 周囲の日本人と地域社会をも凝視する。確かに、給料が途絶えれば、合計すれば数万円にな る社会保険や税金、家賃、光熱費を支払うことは、できない。

脳裏には、ウランバートルから1000キロ以上離れた、ふるさとの草原での、人々や動 物の日常が浮かんでいるだろう。効率や生産性といった「物差し」では測れない、暮らしのありようが。

今月の気になる記事

人生100年時代、という言葉をよく耳にするようになった。新聞報道によると、今年9 月15日時点で100歳以上のご長寿さんは、8万6510人(厚生労働省発表による)を 数え、その9割近くが女性という。

肝臓がんや胃がんが人口比で世界一とも言われるモンゴルの平均寿命は女性76歳、男性 66歳(2020年発表の統計)。モンゴル語で紹介されていた、ロシアのご長寿男性の実践 は、なるほど、と頷かされ、日々の暮らしに取り入れたくなるものが少なくない。私も年を 重ねて来たということだろう。

年の功、を手元の「日本語モンゴル語面白辞典」(交友プランニングセンター、1999年) で引いてみたら、「年月が過ぎるのに伴い、経験が増え、知恵が身に着く」と説明されていた。 コロナ禍も数年後には経験になる。そこから未来につながる、知恵を引き出したい。

長寿の教え:105歳のアンドレイ・ボロンによる、健康と長生きの秘訣

1.身の回りのすべて、草木や生き物、土地や空などに関心を持ち、よく観察しなさい。 本に載っていないたくさんのことに目を開かせ、新たな自分と出会わせてくれる。

2.出来る限り、土の地面に、素足で立ってみる。

3.川や水の側に佇んで、時を過ごすと、疲れがとれ、考えが整理される。

4.のどが渇いていなくても、水を飲む。水は何にもまさる、薬の第一番であり、砂糖が入った清涼飲料水、ミネラルを含む泉や湧き水は飲まないこと。前者は肝臓を浸食し、後者は血管を詰まらせる。

5.毎日、テーブルに太陽の光がしみ込んだ栄養価の高い野菜を山盛り並べるべき。中でも赤ビーツほど有益なものは世界中探してもない。

6.肉は少なめに、ほとんど食べなくても差し支えない。われわれは、肉食動物ではない。

7.ハム、ポテトフライ、プリン、スイーツ、菓子、漬物などは良くない食べ物である。で腹を満たすと怠惰に陥りがちで、一方で燕麦(エンバク)を食べる馬は一日中働 いても疲れることなく仕事に励む。

8.どんなものでも少量ずつ食べなさい。少量で済ませるために、水を飲む。私は、木曜日夜から金曜日の夜にかけて、週に丸 1 日は、何も食べ物を口にしない。 断食はとても体に良い。断食ほど人を健康にし、活性化するものは他にない。 身体がまるで鳥になったように軽くなり、心臓も蘇えったかのようだ。 長期の断食をする度に、若返りを実感する。

9.太陽はお前だけのために昇り、沈む。日が昇れば仕事をし、夜は脳を休めてやること が必要。日中30分の昼寝をすると、血液、頭、顔が再生する。食べた後に寝るのは、 血液が濃くなるだけでなく、血管にも悪い。

10.夜遅くまで起きて何かせず、十二分に眠るべし。

11.できる限り、太陽の下でゆっくり過ごすことを心掛けよ。また、涼しい環境で暮らすこと。手足を温め、頭を冷やすのが良い。暑い土地は、身体を腐敗させる。

12. 疲労で弱っているときは、身体を一握りの乾草を煎じたエキスで治療することが必要。寒い気候の冬にはこれ以上の治療はない。

13.毎日、ナッツを食べる。ない時は、スプーン一杯の木の実から圧搾した油で代替して もよい。脳にとても良い。

14.人にやさしく接すること。

15.お前のために用意されたものが、与えられる。手元にない、他者の持っているものを羨むことはするな。

16. 予言や占いの類を信じるな。心を清らかに保て。

17.気持ちや考えが良くない時は、歩くのが良い。心と頭にとっての薬は、断食、祈り、力仕事である。

18. 体をよく動かせ。私は一度として、休暇を取ったことがない。日曜も休んで横になったりしない。私の手と頭を、交互に働かせるようにしている。

19.利益に走るな。自分のためになれば、それで十分だ。

20. 食べ過ぎるな。腹をすかせた獣は、満ち足りている時より、敏捷である。一握りのデーツと一杯のワインを食事としたローマ人兵士は、20キロメートルを駆け足で戦 場に赴き、戦ったが、貴族が過食や多淫、奢侈におぼれたために帝国は滅びたことを 歴史は伝えている。

21.食事の前にも後にも、飲み物を口にするな。

22. 子どもを病院に行かせなくてよいように、小さい頃から大地の上を素足で走り回らせ、日焼けさせ、蜂や虫にさされ、イラクサなどにかぶれ、冷たい小川に足をひたし、藪 の中で傷だらけにならせよ。このすべてが、子どもを強く、抵抗力を与えてくれる。

23.野菜は刃物で切ると、元来の性質が失われてしまう。私は、そのまま煮るか、板で漬 物のようにしてから小さくして食べる。

24.私は市販の茶は飲まない。代わりに、草や植物を煎じて飲んでいる。コーヒー、茶、 ジュース、ビールは心臓に悪い。

25.疲れたときは休め。食事を一種類にせよ。一日一種類、翌日別の一種類というように、一週間過ごしてみる。そして、1日に2、3本のニンジンを食べると力が戻って来る。

26.長生きして、若々しくいたいと願うなら、リンゴとナッツだけの食事にする日を設けると良い。8個のリンゴ、8つのナッツを用意し、2時間ごとにひとつずつ食べる。

27.季節に実る果物をよく食べる。星が天の眼なら、果物は地の眼である。

28. 心の中で、自分を甘やかし、ただ色んなことを考えるための時間を持つ。そうすれば、何が善で、何が悪か、自分の心が教えてくれる。どんな時も人と競うな。心が愛情で 満たされていれば、恐れはなくなる。模範を探す必要はない。

29.何にも優る薬は、健やかに眠ること。しかし、この眠りは、仕事をしっかりし、身体を動かすことで得られる。この眠りは、怠けて眠ることとは違う。

30.どんな時も子どもを殴ったり、声を上げて叱責したりすべきではない。こうした育て方は、子どもを奴隷のようにする。

モンゴル・メデー 情報サイトより/ FB 投稿 (記事セレクト・訳=小林 志歩)

※転載はおことわりいたします。引用の際は、必ず原典をご確認ください。


キュレーター

(2021年9月1日・京都新聞夕刊 現代のことば 掲載記事)

日本学術振興会監事・文化人類学 (小長谷 有紀)

ことばが世につれて変化することは誰もが承知している。しかし、知っていると思ってい ることばが、これまでとはちがう意味でどんどん使われるようになると、かなり戸惑うので はないだろうか。

たとえば、キュレーター。一般に美術館や博物館で働く人を指す。展示するためには、自 前のコレクションだけでなく、よそから作品を集めてくる必要がある。個人蔵も含めて情報 を収集し、分析し、整理する。交渉し、契約し、さらにデザイナーたちとのコラボを経て展 示企画として発信する。なによりも目利きが要る。そんな仕事をキュレーターという。と思 っていた。いまもその意味が消えたわけではない。書籍『13歳のハローワーク』でもそう 解説されている。

実際に全国各地の博物館で働く場合には、たいてい学術員の資格が求められる。大学で博 物館学やその実習の授業を受けていれば、資格を得ることはできる。

ところが、それ以外にもたくさんのキュレーターたちがいることを知った。最近のキュレ ーターとは、オンライン情報を集める作業をさす。キュレーションサイトとはいわゆる「まとめサイト」のことだ。インターネット上にあふれる情報のなかから、一定のテーマについ て、自分の好みを大いに発揮して取捨選択し、まとめる。情報の収集、分析、整理、発信と いう点で確かにキュレーションと違わない。好みの発信こそ目利きであるから、その点も変 わらないだろう。

この新しいキュレーションをする人もキュレーターというらしい。ライターやエディター と言った方がいいように思うのは、私が固定観念に囚われているせいかもしれない。

新しいキュレーターのこれまでの違いは、博物館や美術館に勤める必要はなく、資格も要 らないことだ。具体的にどんな仕事をして収入を得るのか、キュレーターの募集をさがして みよう。

実は、それさえもがキュレーションされている。つまり、まとめサイトでのアルバイトを まとめたサイトがある。今のところ、化粧品に関する企業が多い。1 件当たり300円くらい の単価で SNS(会員制交流サイト)による発信者が募集されている。

一見、商品モニターのようでありながらも、自社製品に限らず、どこのどんな商品でも構 わない点が現在的である。絵画など特定の領域での高度な専門性に基づいて情報をまとめる 作業とは異なり、むしろジャンルを超えて広い知識を探る方向にシフトする言葉になりつつ あるようだ。

ことばが利用される領域が変わると、このように質的変化も伴うに違いない。私たちはい ま、地球環境や AI(人工知能)など文明の転換期を生きている。さらに、新型コロナが加わり、 ライフスタイルは激変している。だから、はっきりと気がつかないうちに、これまでの理解 とは異なる使われ方をすることばが増えてゆくかもしれない。

鈴木裕子さんのエッセイ集

(小長谷 有紀)

鈴木裕子さんからのお便りを掲載します。 鈴木裕子さんは、公邸料理人としてウランバートルにある日本大使館に勤務されていました。 それまで縁のなかったモンゴルと出会い、モンゴルの不思議な面白さを SNS でエッセイを発 信。それらの中からいくつかのエッセイを再構成してお届けします。いずれまた、ご本人に よる自己紹介もお願いしますので、まずはモンゴルの多様な側面に出会っていく彼女の声を お楽しみください。

食材◇ラクダのお肉

それは酷く評判の悪いお肉だった。下手をすると靴底 みたいに硬いとか、安食堂で牛と偽って出されるとか。 ひどい言われよう。じぁどんな変な味や匂いがするの? と聞くとそうではないという。尚更どんなお肉?と興味 を惹かれ、いざ食べようと思うと見当たらない。ラクダ は強靭な生きものだが、そのせいか、二年に一頭の仔を 育てるだけだ。簡単に増えないし、お肉用には飼育しな い、なかなか出回らないのだった。

お肉が充実のパインズルフ市場に行ってみた。ここ は、野菜や豚肉、それに世界の調味料などの特殊なものを多く置くメルクーリ市場と違い、 地元御用達の庶民派だ。新学期のシーズンになると学用品になるのか馬が多く売りに出され たりするほど暮らしが見える。肉売り場に足を踏み入れると、日本で言うところの食肉工場 に迷い込んだ感があり、目の前でさばかれ並べられるのは羊、牛、馬がほとんどで、メクク ールの三割安くらいだろうか。

同僚にラクダはありますか?のカードまで書いてもらっての、ラクダ探し。難航を予測した が、市場の隅で牛にしては何やら首が長くて太い動物が捌かれていた。脂が黄色くないから 馬ではない。もしや、と近づくもコブがない。カードを取り出して聞いてみる。売っているのはあそこだよ。ナイフを手にしたおじさまが指す先にあった! いろいろな部位がゴロゴロ。赤身のいかにも硬そうなところは小さい固まりもあるのだが、

おいしそうな辺りは五、六キロサイズ。迷う。ハズレだったらコトだ。でも赤身の小さいの は、硬い脂の塊もセットで買わなくちゃ売れないという。よし!バラから背中へかけての塊い ってみようじゃないか。同僚たちの買うなら小さいのを、という懇願するような表情が脳裏 をよぎったが、もし外したら二度とたべない食材こそ最上級を試したい。この信念はまげら れない。

お肉と脂の色にご注目。モンゴルでは脂がオレンジがかった黄色だと馬。牛は黄色っぽい ものもあるけれど馬より白っぽく、お肉は赤または、暗色を帯びている。ラクダは想像に反 して脂が真っ白でガッッと硬くて密。牛乳石鹸を思い出した。そんな感じ。お肉の色は牛よ り明るいが豚よりは全然赤い。思いのほか脂が多い。お値段は牛よりちょい安程度だ。

さあ食べてみよう。石のように硬い脂も取り除き、繊維を断つようにスライス。あれ?部位 を厳選した成果か、今までのモンゴルで見たどのお肉よりサシが入っているかもしれない。 これを一目でラクダと見破る人はまずないだろう。右隣のお皿は、同時に買った同じ部位の 牛なのだが、それよりもよっぽど美味しそう。和牛のロースと見紛うばかりだ。

焼いてみる。癖はなく脂がジュ―シ☆全然硬くない。サシが入ったお肉の心地よい歯ざわ り。けれど美味しくないの意味がたべてみればよくわかる。不味くない。しかし全然美味し くない。味が食感がどうこうと言うより、からだが喜ばない感じ。ほぼ匂いはしないし、そ の匂いは不快しではない。けれども体が食べ物だと反応しない。

何だろう?この体感を例えるなら、バリウムが混ざっている食べ物みたい。もちろん砂っ ぽくはないが砂のような!?そんな感じがするのだ。わたしの個人的見解かもしれないが、口 では美味しいのに身体がぜんぜん欲しがらない。飲み込みにくい・・ こんなことをお肉に感じたのは初めてなので、本当にびっくりした。

これがモンゴル人がラクダ肉を愛さない理由か。彼の地で暮らすとわかるのだが、モンゴ ル人たちは舌でよりむしろ体で食べる。体や命の材料となるものをからだで感じて食べる。 同じ地で暮らしていた私もこのお肉には、からだが感じなかった。身を乗り出すような何か がない。不味くはまったくない。舌で食べた限り非はないのだが。

これは、舌が喜ぶ味付けをした方が間違いなくいい。という訳で塩胡椒をして玉ねぎスラ イスと炒め、仕上げに焼肉飲のタレをジュッと回しかけた。パク。あら不思議。全然イケる。 味とは怖いものだ。先ほど感じたことは全く分からない。牛肉と偽ってというのもよくわか る。肉の旨みがないと土地の人は言うが、だからこそ素直に付けた味だけがする。美味しく 化ける。味付けの怖さを覗いてしまった気がして後味がなお悪い。

ラクダ肉はもう買わない。ラクダを食べて改めて反対に皆がおいしいと口を揃えて言う、 禁猟の足るバガンに思慕が募った。同時に猪の、野鴨の、ジビエの我知らず身を乗り出して しまうような匂いと旨みに絡み取られる感覚が無性に恋しくなった。

ラクダ肉をモンゴル人たちはヤギと並びからだを冷やすと言い主に夏に食べる。この二者 の共通点は脂の溶解温度が高いこと。脈々とお肉に生かされてきた人たちが言うことは間違 いなかったと私は結論した。

肉◇鶏と豚がコチコチ

遊牧の国モンゴルで食べられてこなかった鶏と豚には共通点がある。それはモンゴルの厳 しい環境下では住まいや餌を与えなければならないということだ。それに鶏と豚は遊牧に適 さない。自分の足で人の移動について行けない。遊牧の家畜たちは皆自分で餌を探し、野に 眠ることが、そして人の移動に自力でついていくことができるものに限られている。飼われ ている羊、山羊、牛、馬、ヤク、ラクダ、北方のトナカイなどは立派にその条件を満たす。

そんな訳でもう鶏や豚はウランバートルでは手に入る肉となってきたが、歴史的には付き 合いが浅く、これらの肉に対する人々の関心は高いとは言えない。彼らは食に保守的で日本 人ほど珍しいたべものに対して興味を持つことはない。鶏や豚が一気に一般的とはまだなり そうにない。

鶏肉はまず冷凍品のみだ。お肉以外のハツ、レバー、軟 骨、せせりなどの部位にお目にかかることはまずない。モ ンゴルの地のニワトリは寒冷地仕様の品種で、烏骨鶏サイ ズと小振りで足首まで羽が生えている。その肉は日本人が 想像するみずみずしい若鶏肉とはずいぶんと違う。モンゴ ルの 30 年前には養鶏はなく卵はロシアから運んでいたなん て話も聞いたくらいだから仕方がない。硬いモンゴル産か、 輸入品ブロイラーのモモの二者択一。いずれもモンゴルの 慣習にならい、骨付きだ。骨なしのモモやムネ肉というと、 中国産の2キロ入りパックが市場の隅に僅かにあるばかり だ。

豚も直営の養豚場があるモンゴルポークという専門店な どを除けば生はあまり流通していない。そして冷凍スライ ス肉が申し訳程度に置いてあるようなお店で買う時は注意 が必要だ。去勢をしないのか、エサが悪いのかはわからな いがひどく臭みがあったり、肉のきめが粗い難ありな肉のこともある。そして更に問題なの は、ただでさえ脂身が多いのに、寒くなると脂の層が肥大して、お肉の部分が情けないほど 小さくなること。モンゴル人は気にしないが、冬の豚は肉というより脂を買う覚悟となる。

寒くて退屈な長い冬 12 月ともなれば、モンゴルでは年忘れのシンジルパーティが目白押し。 日本にはない習慣だが、誰もが結婚披露宴以上のドレスアップをして参加する。踊り、歌、 参加者の堂々とした出しものを飲み放題で愉しむ。同僚の顔が見分けられない!?変身ぶり に驚く一夜となるが、それもその筈、ドレスアップ用に早い時間から使える控室が標準であ るほどなのだ。モンゴルのアジアでありながらアジアではないような一面。中国の隣ではあ るが、ロシアや西洋と地続きを強く感じる。そんな洋風なパーティのメインディッシュの二 品はお肉の国ならでは、魚、肉ではなく、豚か鶏と牛のパターンが多い。

赴任中は、旨味が香る黒豚の蕩ける脂、さまざまな部位ぴったりに焼き上げられた専門店 のやきとりが夢に出たものだった。その一方で、モンゴル五畜のしっかりとしたお肉に囲ま れて暮らすと、豚と鶏はお肉と魚の中間ぐらいの存在にも思えた。これが肉こそ命の源と思 うモンゴル人にはいまひとつ親しめない理由なのかもしれない。ちなみにケンタッキーフラ イドチキン、これは街で見かけるがモンゴル人感覚の揚げた骨付き肉は日本人からすると揚 げ過ぎだ。鶏にかぶりついた時に感じるジューシーさは夢のまた夢。

食材◇マシュルームのネックレス

秋、きのこがモコモコと生えてくる。季節の変わり目という 刺激が、菌類たちを造形に駆り立てるらしい。実は公邸の植え 込みにもマッシュルーム他、フランス料理で使われる白いコプ リーヌ茸が毎年が生えていた。こちらは和名をササクレヒトヨ タケと言い、開笠すればあっという間にインク状に黒く溶ける。

メルクーリ市場に行けば、常時中国産の栽培椎茸、しめじ、 ブナピー、えのき、マッシュルームが手に入ったが、秋が本格 的になったら、この糸を通したマッシュルームが市場前の路上 に売りに来た。これをわたしは毎年楽しみにしていた。もちろ ん、買ってすぐ調理しても良いのだが、乾燥の国モンゴルの人 たちは、干して保存食にもするので糸が通してある。写真のも のは総重量2kg お値段は 250 円。これは相当大きなものだった が栽培と同じ小振りなのも、不思議なことに長さが同じものな らお値段も同じだった。

一週間ほど冷蔵庫で保存したものを調理してあることに気か付いた。笠が開いていないの は、軸も中身も白いのに、笠が開いたものは黒ずんでいる。どうやら胞子を飛ばしていないものは、まだ命の役割を終えていないという事らしい。松茸は笠が開いたものは香り落ちる というが、恐らく笠の具合でお日持ちも随分とちがうことだろう。きのこは笠に注目だ。

ウランバートルのフレンチレストランやイタリアンのメニューに必ずあるマッシュルーム スープが気に入っていた。だからこのネックレスに出会ってからはよく作った。マッシュル ームをザクザク切ってバターで炒めると、キッチンに動物系ではないのに何とも食欲に胸が ざわつく匂いが立ちこめる。それをフードプロセッサーによくかけて鍋に戻し、牛乳、鶏の ストックと合わせる。旨味は多少加えた方が良いが、マッシュルーム自体に旨味があるので、 加えるのはそれを邪魔しない程度。きのこ自体の渋み消しとポタージュに欲しいコクの観点 から、生クリームはどうしても加えたい。主張がないようでいてマッシュルームの旨味や香 りは生クリームにかき消される事はない。味付けはシンプルに。コショウやローリエなどハ ーブを少し加えてもいい。わたしは干し椎茸戻し出汁の発想で乾燥させたマッシュルームの 粉も少々加えることが多かった。

トッピングは何でも良いのだろうが、折角なら、大きくみじん切りにしたマッシュルーム を弱火で水気を飛ばしながらじっくり黒くなるまで炒め、スープの上にパラリ。これがいい。 スープと共に口にすれば食感のアクセントとなり、噛めばきのこの香りが鼻腔を駆け抜ける。 このスープは更に濃厚仕立てにし、肉料理のソースにしても美味しい。炒めたマッシュルー ムペーストは冷凍しても重宝する。

日本でマッシュルームの栽培施設を見学させていただいたことがある。その生態は不思議 なものだった。きのこになるずっと以前から菌糸は培地に育ち、その中に白く張り巡らされ ている。しかし菌糸が育つだけではきのこのという形はなかなか生まれない。温度変化など の何かしらの刺激が必須なのだという。だから温度、湿度、風などを自在に管理できる外と は隔絶されたコンクリートブロックに囲まれた滅菌室のようなところで栽培されていた。そ れでも近くに雷雲なんかが来たら大変。どんなに管理しようとしてもまだ菌糸の段階のもの まで一気にきのこになってしまうので休日出勤の嵐だ。きのこは刺戟に変化する。だからし いたけの原木に駒菌を未だに物理的な力を加え打ちつけるのも菌の目覚めに意味ありと伺っ た。モンゴルであのきのこたちは何を合図にその時を知ったのだろう。生きものは不思議だ。 その命の営みを日本でもモンゴルでもパクッ。旬の命の馳走はいつもおいしい。

秋◇命を燃やす

わたしは蛾とゴキブリがどうにも苦手。理由ははっきりわか っている。幼い頃に向かってこられた事があるからだ。ゴキブ リには脚を這い上がられ、あの一瞬の身の毛がよだつ気分は一 瞬なりとも思い出したくはない。蛾の方は地方の緑の中で遊ん だ時代、その突然の出現に何度肌を粟立たせた事か。その度に 身を凍らせ次に慌てて逃げたけれど、彼らは逃げてはくれなか った。幼いわたしは追われているように感じて怖かった。あの 粉々した羽、柔らかすぎる胴体、それにフサフサした触覚は大 きいものほど気持ちが悪い。

そんなわたしが蛾の大群を美しいと思うことがウランバート ルの街中で一度だけあった。最初は蛾だとは思わなかった。ビ ルの中のミラーボールの照明か何かが道に漏れているのかと思 った。キラキラした白い光の粒が舞い散り、すごく綺麗だった。 しかしそれは白い蛾の群だった。光の粒をまとった高層ビルか ら目を転じれば、手前の公園脇の街灯にもいっぱい。蛾と気づいても不思議と怖くなかった。 蛾の群れは人なんか目に入らない様子で光を反射して輝いていた。それをただ傍観者として 見惚れた。

それから数日後、夜同じ道を通ることになり、わたしはその美しい景色を期待した。いつ の間にか他を寄せ付けないような白い羽虫たちの乱舞を楽しみにしていた。自分でも驚くほどに。大嫌いな蛾なのに。けれどそれにもう会うことは叶わなかった。たった数日違い、け れどもうその場所は街灯が人工の池と道を照らすだけになっていた。目の前の静かで寂しい 景色に命の短い饗宴はあの時限り、それが終わったことを知った。

たくさんの命が燃えるような美しかった夜。あれは季節の移ろいの中の一瞬の場面だった。 生きものの命が燃える景色だった。寒さを前に命を燃やす。その儚さが胸に迫った。生きて いるというのはそういうこと。それがストンと腑に落ちた。いま、わたしはその儚さを同じ ように生きている。虫たちよりはちょっとばかり長い同じ夢の時間を。

これに限らずわたしは自然環境が生きものに厳しく季節が瞬く間に変わるモンゴルで、萌 え、燃え、そして消える命の胸が締め付けられるようなさまざまな瞬間を目にした。力強く も儚い大きな自然の姿は、わたしを感じることに無防備にした。出会いは前触れなく、会え ば忘れ得ぬ景色になる。その忘れられないものを求めて今もわたしは暮らし旅をする。そし て同じ世界を生きるなら感じ尽くす自分でありたいといつも願っている。わたしにとってモ ンゴルはそんな自分と出会う場所だった。

新刊のご紹介「タマコちゃんのじごくたんけん」シリーズ NO2

(西川 栄子)

モピの皆様、こんにちは。 昨年の秋に”新刊えほん”を紹介していただいた西川栄子です。

“教室から生まれた絵本”「タマコちゃんのじごくたんけん」の シリーズ NO2が完成しました。1ページ目は、明るい日ざしが、 かがやく草原の場面から始まります。……(これは日本ではなく、モンゴルだなぁ!)

そうなのです。シリーズ NO2の挿し絵は、サロールさんが 担当してくださいました。 主人公のタマコちゃんは、シリーズ1のイメージを残し、おばけ や鬼をやっつける場面は、サロールさんの感性に委ねました。

昨年の12月、英訳した本文をサロールさんに送り、モンゴル と日本を結ぶメールでのやり取りが始まりました。 「1日1枚、絵を描いて送ります。」の言葉通り、サロールさん から着々と絵が送られてきました。自分で計画を立てたことをき ちんとこなしていくのが好き……というサロールさんに助けられ、無事に絵本が出版できました。

(挿し絵のきっかけをくれたモピ通信とサロールさんに 感謝致します。)

「おばけやしきに落ちてね~」って、ねがいごとをしてい る場合じゃないでしょ、タマコちゃん。

小学生の目線から生まれたお話を、モンゴル色漂う優しい 挿し絵とともにお楽しみください。 (小学校低・中学年向き)英語版も同時発売中です。

☆アマゾンで発売中(10/1~) 日本語版「タマコちゃん」
英語版 「Tamakochan」で入力 (1320円 税込)

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編集責任者 斉藤生

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