■NO 234号 モピ通信

 人類学者は草原に育つ

『Voice from Mongolia, 2021 vol.82』 

 鈴木裕子さんのエッセイ

 事務局からお知らせ 

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小長谷 有紀著 人類学者は草原に育つ

(臨川書店フィールドワーク選書)9

変貌するモンゴルとともに

日本学術振興会監事・文化人類学 (小長谷 有紀)

第五章 NPO活動のはじまり——二○○一年雪害以後

活動の多角化

社会主義時代には、国土全体にわたって均質な空間が形づくられ ていた。たとえば、田舎でも地方でもモノの値段は同じである。買 い付け価格も同じであれば、商品価格も同じである。モンゴルのよ うに遊牧のために広い空間を必要とする世界では、何ごとにつけて 距離が問題になるけれども、その距離を変数として考慮しないのが、 社会主義的空間であった。ところが、市場経済に移行すると距離が 変数になる。遠いところにモノを運べば運賃が加算されて高くなる のは必定であるし、遠いところまでせっかく買い付けに来てくれて も買いたたかれるのが関の山である。それでも、販路があればまだ いい。移行期当初は、首都ウランバートルからわずか五百キロメートル程度でも畜産物の販 路が途絶えていた。

 

この問題を解決するには、経営の専門家が必要である。さらに分析するばかりでなく実践 部隊も必要である。この部門での支援は、ODA の会議で知り合った森真一さんが担当した。彼 はさっそく、モンゴルに NPO を設立し、日本語と英語のできる若いモンゴル人スタッフを雇 い、地方で家畜を買い付け、解体し、肉として市場へ集荷するという一連の流れを実施して みせた。枝肉をビニールでパックするといったまったく新しい商品化の工夫も試みられた。 私たちの NPO は、森さんたちの取り組みを「食肉流通革命」と呼んで協業した。先の檄文は、 JICA の資金を得て二○○一年に三月に「畜産物の流通」をテーマにして経済セミナーを実施 しようとしていたときに書いたものである。

都市と草原を経済的につなぐことによって、遊牧の市場経済化を模索すること、それが、 草原の環境をまもりながら、雪害に強い牧畜をつくることにもなるだろう。モンゴル国の未 来を、具体的に、モンゴル人と一緒に考えたい、と希望したのだった。

さらに、私は、彼らの取り組みを記録し、広報することに努めた。そうした成果の可視化 が将来の資金獲得につながるからだ。成果を見えるようにしておかなければ、公的資金や民間資金を得つづけることはできない。これは NPO であれ、研究であれ、同じである。 食肉流通革命の詳しい計画編と実践編については、『遊牧がモンゴル経済を変える日』(出 版文化社、二○○二年)を参照いただきたい。この書籍をモンゴル語に訳しましょうと申し 出てくれる人があり、ほとんど完成していたし、出版資金を手渡したにもかかわらず、あま りに時間がたってしまったため、もはや不要となってしまった。現在では、この事業そのも のが不要なほど流通路は全国的に確保されている。だからといって、このプロジェクトが失 敗だったとは思わない。むしろ、必要なときに必要なことをして、それが契機となり、いま はもう必要ではなくなったということなのである。これは国際支援としてまったき消滅であ る、と思う。支援が必要とされなくなることが実は望ましい。国際支援というものは、失恋をめざして恋をするぐらいがちょうどいい。 食肉流通の支援は専門性の高いプロジェクトの一つであった。もう一つ、やはり ODA がら

みで知り合った藤村靖之さんが電気を使わない冷蔵庫などの発明を試みてくださった。藤村 先生の主催する非電化工房とその弟子たちのあいだから、その後、さまざまなアイデアが生 まれた。太陽光発電などのバッテリーを廃棄せずに循環型にするという試みは理論的に可能 だが、ビジネスとしてまだ成り立っていない。一方、羊毛でグラスファイバーに代わる建築 資材を作るというアイデアはダルハンに工場を作るまでに至っている。なお、藤村先生はご 自身の居住する那須でどのように放射能汚染を除去するかという活動に現在、取り組んでい らっしゃる。東日本大震災以降、風向きの影響で那須はかなり汚染されたため、地域の子ど もたちのために市民が手作業でできる方法論の開発と普及に取り組んでおられるのである。

専門性の高いプロジェクトだけではなく、一般の人びとが気軽に参加できるという意味で 普遍性の高いプログラムもあったほうがいい。たとえば、モピが当初実施していた「モンゴ ル草原エコロジースクール」が挙げられよう。これはいわゆるスタディツアーである。スタ ディツアーは今日でもしきりに実施されている。ほとんど普通の旅行と中身が同じでも、「現 地での学び」という姿勢を強く打ち出されているものである。私たちのエコロジースクール は、もともと、畜産物の流通問題を担当するメンバーであった鎌田陽司さんからの要請で、「開 発と未来工房」NPO との共催事業として始まった。鎌田さんは川喜田二郎の活動を強く受けつ いでいる実践者である。モピ側でこれを担当してくれる人はやはりネットで募集した。応募 した。てきてくださったのは、小林志歩さんである。

このツアーは、一般の観光客がいかないところまで出向くこと、一般の遊牧民宅に宿泊す ること、の二点において、旅行者というよりも私たち調査者のすることに近い。しかし、調 査の場合は、段取りを調査者みずからしなければならないのに対して、旅行の場合は、段取 りを旅行者みずからがするのではなく、NPO のスタッフがしなければならない。もともとそれ を楽しいと感じる人が任じているものの、そこに金銭的な利潤が発生する余地はない。それ を求めると高額になりすぎて旅行者を集めることができなくなる。こういった経営上の問題 から、エコロジースクールというスタディツアーは二○○二年から二○○六年までの五回で 終了した。ただし、現場はつねに変容しているので、必要とあれば再開されるかもしれない。

このスタディツアーは参加者によって書かれた発見カードおよそ五百枚を残した。それら を総覧することによって、私自身がいままでまったく気づいていなかったことに気づかされ たこともある。たとえば、<食べかけのガムの保存場所>というカードがあって、そのカー ドには以下のように書かれていた。

「モンゴルの子供たちはよくガムをかんでいるのを見かけます。口の中でパチパチ鳴らし たり、指で伸ばしたり。たまにガムの色が変色していることも。途中他のお菓子を食べたり ジュースを飲むことも。そういう時子供はガムを捨てません。ガムを丸めて耳のくぼみに置 いておくのでる。そうしてまたかみます。昨日のナーダムでそういう子供をよく見かけまし た」と。

言われてみればそうだなと思う。しかし、特段、そんなことを気にしていなかった私にと っては、この「発見カード」そのものが発見であった(「NGO によるフィールドスタディの現 場から— 大衆化するフィールドワーク— 」『文化人類学』七二— 三号、二○○七年)。概して 研究者というものは申請書を書いて資金を得て調査に出かける。だから、申請書を書く段階で、調査目的などを詳細に設定している。大雑把に「何でもみてやろう」と書けば、おそら く採択されないだろうから、なるべく専門的なテーマを設定しようとする。そして、申請書 にそう書いてしまった以上、それをしなければならない。勢い、観察は狭く深く掘りさげよ うという傾向をもつようになる。もちろんそれも大事なことだが、一方で、広く浅くも実は 大切だと思いなおした次第である。明確な問題設定が必要であるとともに、つねにその問題 設定をみずから積極的にずらすという試みも必要なのではないか。これすなわち、いわゆる 「初心に帰れ」。

小林志歩さんとはその後、モリス・ロッサビの『現代モンゴル』(明石書店、二○○七年) の翻訳出版事業を手がけた。彼女が「モピ通信」に部分訳を掲載しはじめていたころ、私は 著者から翻訳許可を得なければならないなあと漠然と考えていた。すると、出張先の北京で 偶然にもロッサビ氏と遭遇した。「求めよ、さらば与えられん」が実現したのだった。もっと も、実際に出版するとなると、出版社同士の契約問題であり、ロッサビ氏の気持ちなど関係 ないのだが。ともかく、私はロッサビ氏に出会うことができた。ロッサビ氏はエジプト生ま れのユダヤ人で、現在、ニューヨークのコロンビア大学でモンゴル史、ユーラシア史を教え る特任教授である。北京へは、ソロス財団の奨学生選抜のために来訪していた。以来、私が モンゴル語で作るさまざまな資料集をこんどはロッサビ夫妻が英訳してくれ、よき先輩、よ きパートナーとなってくださっている。

『Voice from Mongolia, 2022 vol.82』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「われわれにとっては、石炭が最も安価で、信頼できる技術であり、且つ長年の経験があり、 人材もいるという、いくつもの利点がある。このため、エネルギー担当大臣の立場では、脱石炭を、現時点で言うことはできません」 ――モンゴル国 エネルギー担当大臣 N.タビンべヒ(ゾーニーメデー紙 2021年 12月1日) 「世界中が石炭の使用を減らし、再生可能な他のエネルギー源を求めて取り組んでいます。

わが国も、温室効果ガスを2031年に30%減らすという目標を掲げています。この期に 及んで、火力発電所を建設するというのですか?」との記者の質問に対し、大臣はこう答え た。

2018年9月にウランバートルにある同国内最大の第4火力発電所が停止する事故が起 こる2年前の2016年2月。同発電所を効率化する円借款事業の工事契約締結を受けた事 業開始式が、両国関係者の出席で開かれた。日本からは、在モンゴル日本大使館の清水武則 大使(当時)、改修工事を受注した横河電機株式会社、三菱日立パワーシステムズ株式会社な ど関係企業の関係者が出席した。

90年代前半にも同国に勤務した清水大使は、当時頻繁に停電して、温かい食事を準備で きないこともあった、との思い出話を披露し、「日本政府は、民主化直後から第4火力発電所 の安定操業を確保すべく無償、円借款、技術協力など総額200億円にのぼる様々な協力を 実施してきました」と述べた。この年長野県で発生した大地震の際に同発電所の職員の募金 による支援を受けたことへの謝意も言い添えた(在モンゴル日本国大使館ウェブサイト)。

同サイトによると、この事業の円借款の上限額は42億円、10年の据え置き期間を含め 40年かけて返済される。タービン調速機及制御システム、スーツブロアを設置、微粉炭ロ ーラを更新することにより、「温室効果ガスや大気汚染の原因ともなる排気ガスの低減」が実 現される。その成果は、2019年10月、完工後の現地報道によると、「新技術で年間に消 費される石炭の量が24万トン削減された」(ニュースサイト https://gogo.mn/r/242153)。 削減量は8パーセント、と記事は伝えていた。

約42億円の事業費を、浮いた石炭代でどの程度相殺できるのか、効率化によって安全に 稼働できる年数が何年延びるのか、そのあたりはよくわからない。ただ、確かなことは、機材の納入、施工、コンサルティングを行った日本の企業にとっては、支払いが滞る心配のな い、大口の受注だったこと。モンゴル国民にとっては、次世代に引き継ぐ、対外債務が上乗 せされたこと。そして、日本政府の資金投下により、ウランバートルの石炭火力発電所が延 命したことだ。根本的な問題解決を先送りにしたままで。

2018年9月の事故後のインタビューで、国家顧問技術者のナツァグドルジさんは、「新 たな火力発電所の建設より、既存の発電所の能力を向上させるのが良いという人がいるが、 どう考えるか」と聞かれ、こう答えている。

「まったく同意しません。新たな発電所を建設する方が、利点が多い。新たな技術が導入 されます。火力発電所のパラメーター(蒸気、水圧、温度)が高ければ高いほど、効率が高 くなります。燃料の消費を減らし、自然環境への悪影響を軽減することになります。(中略) 第4発電所の拡張や刷新は受け入れても良いと思います」。 受け入れても良い、との言葉から、本音が伝わって来るようだ。

ナツァグドルジさんは、エネルギー行政の失策についても多く語っていた。「エネルギー調 整委員会から60あまりの発電所を新設する特別許可が出ています。太陽光、風力、火力、 水力発電所などの許認可です。問題は資金調達が得られていないこと。どの発電所から着手 するかという優先順位も決められていません。権力のある人たちが特別許可を出して、見返 りをポケットに入れています。そういう人たちは実際建設することはありません。ただ大き な利益を得るのが目的です(後略)」。人材育成の失敗、管理職が必要以上に多く、どの政党 に属するかが任命に大きく影響すること、専門能力で採用、昇進する仕組みが機能していな いことなどである。(ニュースサイト https://news.mn/r/2004760/)

昨年12月、タビンベヒ・エネルギー担当大臣は、モンゴル南東部のタバントルゴイで計 画された火力発電所の建設が、2013年から進捗していない理由を次のように説明した。 「第一に、国際社会において、石炭火力発電所に投資する銀行、金融機関が限られ、条件も 厳しくなっている。第2に、わが国のエネルギーセクターの料金、投資環境が国際金融機関 の投資条件を満たしていないことから、事業資金を確保できないことが影響した。このため、 わが国政府が資金を拠出する形で構造調整を進めている」。大臣によると、以前は中国企業、 日本の丸紅とモンゴル企業の合弁企業なども手を挙げていた。

タバントルゴイ炭鉱は、中国と国境を接するウムヌ(南)ゴビ県にある世界最大級の炭田。 その埋蔵量は60億トン超とも言われ、モンゴル経済の「エンジン」である。現在工事中の 鉄道が完成すれば、年間3千万~5千万トンの石炭(原料炭)の輸出が可能となるそうだ。行 き先はすぐ先の中国で、主に製鉄用のコークスの原料となる。

昨年11月、英国・グラスゴーで開かれた気候変動対策の国連会議(COP26)で、主 要経済国は可能な限り2030年代に、世界全体では2040年代に、排出削減対策が取ら れていない石炭火力発電所から移行するとの合意に、日本は参加しなかった。総発電量の約 3割が石炭火力発電によるわが国は、東京湾の端、横須賀に巨大な石炭火力発電所を建設中 だ。「脱炭素」を唱えつつ石炭火発から足を洗えないのは、山がちな国土に太陽光発電の適地 が少ないこと、石炭が安価で入手できることなどがその理由とされる。また、下水汚泥など のバイオマスの燃料化、温室効果ガスを回収して海底に留め置くなどといった、新技術の模 索も続いている。

2017年にはJICAが、ソフトバンクグループがモンゴル企業と共に設立したクリー ン・エナジー・アジアに融資し、モンゴルで2か所目となるツェツィー風力発電所が建設さ れるなど、再生可能エネルギーの推進への協力も始まっている。当時の高岡正人大使は「モ ンゴルにおける再生可能エネルギーの推進、質の高いインフラ整備に日本が貢献しているこ とは大変喜ばしいことであり,再生可能エネルギー分野が両国の主要協力分野の一つとして の位置付けを確かなものとすることを期待している」と挨拶した。(在モンゴル日本国大使館ウェブサイト) 建設時は旧ソ連、90年代以降は日本によって、巨額の援助や資金が投入された、築 35 年の第4火力発電所は、大臣の言うとおり、当面その役目を終えることはないだろう。ウラン バートル市が郊外に拡大して、発電所が市内に取り込まれつつあるなか、発電所からの排出 ガス、石炭灰の処理に懸念の声が出ている。J パワー(電源開発)のウェブサイトを見ると、 日本の最新鋭の石炭火力発電所は、熱効率を極限まで高め、排出される硫黄酸化物などが少 なく諸外国に比べてクリーン、とある。モンゴルでも、そうした技術を生かしてほしい。

価値観の押し付けでなく、現地のひとびとの頭にある未来予想図を共有しながら、その実 現に向けて、今必要とされることを提案できるか。国際協力を名乗る事業に関わるひとりと して、長期的な視野と覚悟が必要だと自分に言い聞かせている。

今月の気になる記事

まだ好きなときにモンゴルへ渡航できた、数年前の夏の夜のこと。ウランバートルの国際 空港から出てしばらく走った郊外で、異臭を感じた。あの臭いは、硫黄酸化物によるものだ ったのかも知れない。

辞書によると、硫黄酸化物の一種である二酸化硫黄は刺激臭を有する気体で、通称亜硫酸 ガス。石油や石炭など、硫黄分を含む化石燃料が燃えるときに発生し、喘息や酸性雨など公 害の原因となる 公害って言葉、知っている?と小学5年生の息子に問うと、「聞いたことはある気がするけ ど、あまり詳しく習ってないよ」。私の子ども時代、つまり昭和の終わり頃の日本では、社会 科の授業で繰り返し習ったが、過去のものになったということ? モンゴルでは、現在進行 形の、深刻な問題である。

「二酸化硫黄(亜硫酸ガス)が許容量の2倍」 筆者:B.ビャムバジャルガル

ボグド山麓のナライハ近郊、市街地の中心から少し歩いて振り返ってみると、街の上部が 雲の帽子をかぶっているかのごとく、灰色の煙に覆われているのが見える。大気汚染対策に 10億トゥグルグ(訳注/日本円で約4千万円)を費やしたことが監査機関によって確認さ れた。現在、ウランバートル市内の空気の汚染度は世界で16位となり、以前より改善され たことを担当部局が発表している。とはいえ、白っぽい煙は減り、目に見える環境はいくら か改善を見た一方で、大気中の二酸化硫黄、一酸化炭素が増加して住民の健康を害する水準 に達していると人々から批判の声が上がっている。

一例だが、関係機関の情報では、改善された練炭が使用されるようになってから、大気中 の大小の塵が半減したが、二酸化硫黄は基準値の2倍に達したとの数値がある。 この件に関しては、首都大気汚染対策局のB.プレブスレン局長が「保健機関からの情報を 見る限り、大気汚染の状況は母親や子ども、妊婦の健康に影響を及ぼす値ではない。それで も対策を組み合わせて実施することで80%まで減らす目標を掲げて業務にあたっている。 2016年の調査値は1m³の大気中のPM2.5が257マイクログラム、PM10 が 267 マ イクログラムだったものが、現在52%減となった」と話した。

ウランバートル市の大気汚染度は、スイスの大気汚染調査会社IQエアーによると、PM 2.5 の量は、WHOの年間平均値の13.5倍という。モンゴル国の基準値は、1 日平均 で1m³あたり50マイクログラムと定めている。ところが、PM10は、12月12日にお いて、深夜12時に最も多く、341.9マイクログラムに達し、朝8時に111.6マイ クログラムまで減少した。これは深夜における基準値の3倍以上にあたる。二酸化硫黄は、 同日日中15時に101.6となり、地域によっては基準値を超えている。

IQエアーの情報により、ウランバートルの住民は、マスクの着用、空気清浄機の使用、窓 を開放しないこと、屋外で激しい運動をしないことなどが呼びかけられた。

首都の15か所に大気の自動測定地点を設けている。先週は、第1ホローロル、ゾーンアイル、トルゴイト、ハイラースト、タヴァンボーダル周辺で「汚染」、その他の地点では「少 し汚染」という水準にあった。端的に言うと、先週のウランバートルの大気の状態は、それ 以前に比べれば良い数値だった。雪が降って湿気を含んだ風が大気の流れをよくしたことが その理由と見られる。

練炭の品質は基準を満たしている

市民からの、練炭が発する眼で見えないガスが大気を汚染しているとの疑義を受けて、練 炭の含有物について調査が行われた。首都の専門監査機関の大気汚染担当課のN.ナランゲレ ル課長は「タバントルゴイ燃料会社の東地区工場からサンプルを取り、調査した結果、灰、 水分、硫黄、揮発性、熱量等は、国の基準を満たすものだった。また倉庫3か所、西地区工 場の棚卸しでは、中国製の1トンパッケージの練炭が1200トン、西地区には14トンあ った」という。

監査機関の品質調査の結果は問題がなかったとしても、大気中の二酸化硫黄の量は2倍に なっているのである。これについて、環境省・汚染軽減国民委員会の専門家D.オドントンガ ラグは「ウランバートル市の大気汚染には、交通機関や火力発電所、土壌浸食に起因する埃 や塵、屋外に廃棄されたゴミ、ゲル地区の住民の燃料からの煙が主として関わって、引き起 こされている。また、大気汚染には、人為的な要因だけでなく、自然と環境条件も直接関わ っている。(中略)

「国内の大気汚染は基準値を超えていない」

大気汚染による健康への影響についても、昨年調査が行われた。調査結果の詳細は、来週 以降関係機関から公表される。自然環境省・大気汚染対策委員長のB.アルタンゾルは、「国 際機関と協力して、バヤンズルフ、ソンギノハイルハン区の学校、幼稚園、病院、こども病 院などに施設内の大気汚染を測定する機器を設置している。現在までに基準値を超えた事例 は出ていない。詳細については来週の公表になる」とした。

大気汚染低減には対策をセットで

エネルギー省・燃料政策調整局の I.ロブサンツェレン局長は「関係機関と協力して、練炭 を首都から持ち出していないかをウォッチしている。昨年6300袋の練炭を首都から地方 へ運ぶ違反が見つかった。これにより、1か月間チェックを強化し、練炭を違法に運び出し た場合、国の収益にすることになった」。今年から大気汚染重点区域に関する規則が修正され、 域外に持ち出される練炭、または域内に許可なしに持ち込まれる石炭を没収できることにな った。

キャンペーンについて、首都大気汚染対策局のプレブスレン局長は「大気、環境の汚染を 減らすには、住民の参加やイニシアチブが重要。例えば、リスクの高い地域では、95%の 世帯が基準に合わないかまどを使用している。暖房時期が始まり、冬を越す準備をする時期 に基準に合ったかまどの使用を呼びかけている。また、ゲル地区の遠隔地でも練炭が手に入 りやすくする。具体的には、ゲル地区の奥まった、勾配のある地域でも練炭を扱う売店を増 やし、日々十分に供給することに取り組む。大気汚染の問題で、練炭についてのみ重点をお いても効果がない。大気と環境の汚染の原因となっている他の要因についても影響を低減す るための対策をセットで講じる」と話した。

二酸化硫黄の量が年々増えているのは、火力発電所の石炭利用、交通機関からの排気ガス が主たる原因であると、研究者は以前から指摘し続けている。それなら、数値に一喜一憂し、 練炭やかまどを云々するのではなく、他の汚染源に向けた対策が必要となっている。

2021年12月14日付 ゾーニーメデー紙  https://www.facebook.com/zms.mn/

(記事セレクト・訳=小林 志歩) 

※転載はおことわりいたします。引用の際は、必ず原典をご確認ください。

鈴木裕子さんのエッセイ集

(鈴木 裕子)

骨◇人骨の笛

カンリンは若い女性の脚骨で作る笛。写真はエルデニゾー寺院 の収蔵品だ。流石にこれにはギョッとした。モンゴルでは骨の位 置づけが日本とは随分違う。素材としては日本の木や竹に近いと 言ったら乱暴だろうか?モンゴルの伝統的なおもちゃは、家畜の 踝の骨を使うシャガイ、知恵の輪、パチンコなど骨素材のものが ほとんどだ。日本人が昔懐かしいおもちゃというと、竹や木や紙 を素材としたものだけれど、それは、たまたま骨よりも植物が私 たちの周りにあったからに過ぎない。所変われば素材が変わる。 モンゴルの人と骨の付き合いは植物にこそ囲まれてきた私たちに は窺い知れない。もちろん、はじめて手にすると違和感が半端な いが。私たちが毎日その周りのお肉を食べていることを思えば何 て事はない・・・筈。

モンゴルでは骨は材料以外にもう一つの意味がある。それは魂 が宿る場所。家畜を食べた時のモモや肩の丸く穴の空いた形の骨は割ってその輪をこわす。 それは、輪の中の魂を逃してやって、恨みを買わない為だという。これをしないと夜、家畜 が化けて出るとか。

人骨の笛カンリンはもちろん今は作られてはいないが、実は若い女性ではなく、悪人の骨 という説もある。善人は骨に悪を残し、悪人は骨に善を残すという考えから、悪人の骨を通 し息を吹きかけるのは、善を与えるのと同じ効能があるという。チベット密教の儀式の際に はこの骨の笛でこの世に彷徨う鬼神を呼び寄せ、施しを行うのに使うのだとか。伝説とは不 思議なものだ。

骨はお守りにもなる。子供の足首にはマーモットの男性には狼の踝と鐙に似た穴あきの古 銭。神様への捧げものにもなる。草原に石を積み上げた道祖神的なオボーには駿馬の頭骨。 骨は忌むべきものではない。

モンゴルを体験して、自分の中の骨や家畜、緑や空の意味が大きく変わった。人骨の笛も、 骨に親しみ畏敬の念を持てば、ギョッとはしなくなる。異国を訪ねるだけでなく、暮らし土 地の価値観をなるほどね、そうだよねと感じれば。事実いつの間にか、わたしは骨とずいぶ ん仲良くなった。肉があれば骨がある。慣れてしまったとも言えるかもしれないが。

料理◇田舎のホルホグ

夏休みに草原で家畜に子供たちと戯れていていたらお呼び がかかった。ホルホグ。人が集まればコレしかない。モンゴ ル人のしあわせの料理だ。焼き石で羊を丸ごと一頭をダイナ ミックに調理する。人が集まるというご馳走級なよろこびに、 羊のご馳走という口福が重なる。 チビたちが鈴なりになったバイクをわたしと少し大きな子供 たちは走って追った。

作り方はこんな風。羊は内臓を取り出すと、普通は皮を剥 ぐが、このホルホグを作る時は別だ。皮ごと食べるので、ま ず強力なバーナーで毛を燃やしきり、燃えかすをこそぎ落と して、丸ごとを洗いあげるのが下準備。

この一頭を食べやすい大きさに切り分け、牧場にあるよう なミルク缶、あるいは大きな鍋に焼き石と交互に入れて蓋をする。屠殺したての羊に味付けは塩のみ、ジャガイモや人参、玉ねぎ、キャベツもよく入れ るが、あくまで主役はお肉。

ここのお宅は、蓋の上にタイヤを乗せるワイルドタイプ。鍋と蓋の隙間に布地をかませ、 隙間をふさいでいた、この料理のコツはどうやら圧をかける事にあるらしい。高地の気圧は 低い。

羊の美味しさを堪能できるホルホグは、重量級に脂の量が多い料理でもあるので、モンゴ ル人は盛んにウォッカを片手に食べろと勧める。馬乳酒やビールじゃダメ、度数の高いお酒 を一緒に飲まないと強い脂にお腹が負けるというのだ。脂とアルコールが体の中でどう働く かは知らないが、勧めに従えば確かにお腹を下さない。つい底に溜まるスープも所望する。 少し塩辛いが、羊のエキスはいのちの味わいだ。

お酒を飲みお肉にかぶり付き歌などを歌い大いに楽しんだら、お決まりのものが手渡ささ れる。脂に黒光る丸石は料理に使われた焼き石だ。あつっあつっ、なんて具合に両手の間を 行き来させる。指先を温めなくちゃ。痛いところや不調な場所に押し当てなくちゃ。温石療 法、モンゴル版ホットストーンセラピーだ。 みんなでワイワイ言いながらここが痛いのあそこが良いのと大騒ぎ、この羊のご馳走は、小 さなお祭りそのものだといつも思う。人が集まれば旨いものと笑顔と酒。その万国共通な言 葉は言語より雄弁だ。しあわせには羊一頭あればいい。

ラクダ◇コブに掴まる

乾いたゴビ地方を旅すればフタコブちゃんをたくさん目に することだろう。空港で注意喚起されるラクダによる MERS(中 東呼吸器症候群)は中東のヒトコブラクダに対するもので、こ のフタコブちゃん達は安全だ。ラクダというと灼熱の砂漠をイ メージするが、実は氷点下もどんと来いな強靭な、知れば知る ほど不思議な生きものだ。

モンゴルにはラクダは 30 万頭がいると言われている。これ をどうして飼うのかといえば、一言で言えば死なないからだ。
人は体の 10%の水分を失えば危機に直面するが、ラクダは乾燥
に強く 40%を失っても生き延びる。汗はかかず、喉が乾けば 100 リットルの水を飲むこともあるという。丈夫な体を持ち、寿命
は 30 年と長い。旱魃などで他の家畜のように減ることはない ので、長期資産として価値を持つ。シルクロードの商人たちは 馬ではなくラクダを足にしたのにも訳がある。餌がなくてもコブの中の非常食が彼らの命を 守る。それに恐ろしく力持ちで荷運びに役立つ。反面弱点は湿気で湿潤気候の中では病気になる。

お肉だけでなくお乳も利用される。ゴビでお正月に馳走になったのは、馬乳酒ではなくラ クダのヨーグルトだった。癖がなくて美味しかった。内臓にとても良く、糖尿病にも効くと いう。乳糖不耐症の人が唯一飲めるお乳であり、近年は中東では商品化が進んでいる。

毛も利用でき防寒効果も絶大だ。極寒のモンゴルで冬キルティングのコートの中はラクダ の毛なんていうのも見かけたし、カシミアブランドの GOBI の寝具売り場には高いお値段でラ クダの毛布が売っていた。正真正銘のキャメルだ。

夏は西の道端に、体験程度に乗れるラクダを多く見かける。彼らはとても穏やかで、驚い たことに飼い主が手綱を離して客引きに出ても逃げない。その様子を見ているとラクダがい かに省エネな生きものかがわかる。無駄にカロリーを消費するようなことに興味を持たない。 その一方、背中に馬頭琴を乗せれば、風に鳴るその音に涙するというラクダ。何度か乗せて もらった。

足が長いので立ち上がる時、ぐらっとくるが、歩き出せば馬のような当たりの強い揺れが ない。ゆさゆさのんびり揺られていると、月の砂漠の♫ のあの歌のリズムがまさにピッタリ。

飼い主さんはラクダのコブに掴まってというが、夏のラクダの背はホワホワふんにゃりして いてなんとも不思議な感触だった。いつまでも撫でさすりたいような、しかし掴みどころが ないのでとても困った。よくよく見ると、コブの先がしんなりと曲がって垂れている。そん な情けないコブは想像もしなかったからつい大笑い。紫色の花畑でラクダに乗るなんてファ ンタジーみたいな体験をしてからますますラクダが可愛くなった。

しかし次の砂丘のラクダは違っていた。お連れさまが近くを通ると歯をむき出して威嚇す るその顔がひどく意地悪い。動物の顔にこんな表情があるなんて。ひとくちにラクダと言っ てもさまざまな性格のものがいるらしい。

性格といえば、ラクダは基本おとなしい動物だ。鼻に棒を通し調教しさえすれば人の指示 をよく聞く。しかし例外的に危険な時もある。それはそうだあの巨大にあの骨格と力だから、 ぶつかれば車が大破する。気をつけるべきは雄の発情期で見境なく動くものはなんでも動か なくなるまで攻撃するという。世界のラクダにまつわる怖い話はほぼこの時のものだ。その 一年に一度はよっぽどなのだろう。しかし雌は妊娠期間が長く、二年に一度。妊娠期間が一 年以上と長いのだ。雄ラクダに神様は優しくなかったらしい。

そんなラクダも夏にごはんをたくさん食べれば、秋にはよくよく写真にあるようなコブが しゃっきりした姿がみられると聞き、秋風吹く季節にテレルジで毛深くなったラクダを見つ けて駆け寄った。コブは本当にちゃんと立っていた。そればかりか中身がパンパンになり、 石のように硬い。気温の変化に脂肪が固化していて、冷凍庫のバターのようだ。痛くないの? これでは血液や体液も巡らないだろうと心配になる。夏のビーズクッションをさらに柔らか くしたようなとろける手触りはもうどこにもない。こんな風に体が変化するなんてラクダた ちはどんな気持ちがするだろう?

ラクダが座っていたらその後脚にご注目。膝をついたみたいな不思議な座り方。いろんな 動物がいるものだ。角質化した膝や足は四つ足動物というより、恐竜みたいだ。ラクダの足 裏はクッションのような構造で、灼熱の地でも砂にも身を沈めずどこまでも歩ける。

毛がない夏は膝から下は骨と皮にしか思えなかったが、これで永遠とも言える距離を歩き 続け、砂漠の船と呼ばれていたなんて驚異だ。さまざまな環境がさまざまな生きものの体と 暮らしを作ってきたんだなぁ、省エネ暮らしのラクダはそれを教えてくれる。

自然◇季節はクルクル

日本では、水が温み野原に草が萌え、花々が咲き始める時 に私たちは春を感じる。春といえば蝶というのも花々の景色 が背景だ。それはもちろん氷点下ではない。しかし日本が植 物を暦の中心に置くなら、モンゴルは家畜を中心に考える。 それは人が生きる根幹が食べものであったという歴史による ものではないかとわたしは考えている。食べものは大切だ。 人はそれが世界のどこであっても、食べものに生かされ、食 べることを励みに生きてきたのだから、何を食べてきたかで 季節の区切りも変わるのも自然なことだ。

モンゴルの食べもの暮らしの中心は家畜だ。モンゴルの春が日本人からするとまだ極寒の 二月三月の旧正月を境に始まると初めて聞いた時は驚いた。当然昼夜を問わず氷点下、まだ 氷と雪の世界で、緑や虫は一切見当たらない。まだ大地が溶けるのは二ヶ月も三ヶ月も先な のに。この寒さのどこが春なのか?農耕民族出身のわたしにはさっぱり納得がいかなかった。

春とは何だろうか?モンゴルでのそれは、羊や山羊といった家畜たちが出産を始める季節 だった。寒さが底を打った時、家畜たちの体内時計は春を打ち鳴らす。早く産んでお乳を卒 業させなくては、仔の成長を柔らかい草の季節に間に合わせなくてはという訳だ。一見のど かでありながら、起きている時間のほとんどを食べるという労働に費やすし、餌が一番乏し い時期に子を産みお乳を飲ませる、気の遠くなるようなものだ。

ところで土地が地球儀のどの辺りに位置するかで、春や秋がどう変化するかをご存知だろ うか?日本とは緯度が違うモンゴルは日本で言う春や秋はとても短かい。地面が溶けた、と 思えば間を置かず夏になり、ちょと肌寒くなったと感じればもういつ氷点下になってもおか しくはない。秋はあるかなしかで、年によって落葉樹が色を変える暇もなく葉が乾きと寒さ に枯れ落ちる年もある。モンゴルの季節変化には、移ろいを楽しめるようなゆったりとした 長さがない。

季節がめぐるましく変わるだけでなく、気温や日照時間の変動の激しさは日本の比ではな い。緯度が高いほど、昼と夜の長さの季節変化は激しい。モンゴルの夏と冬の温度差はざっ と見て70 度。夏は朝5時過ぎに明るくなると9時ごろまで日が沈まない。夜8時なんてまだ 昼のようだ。乾燥の地の夏は爽やかで過ごしやすく、日本からは羨ましいほど雨に予定を遮 られることがないとなれば天国だ。一方の冬は寒いだけでなく日が短い。朝9時近くまで暗 く、午後5時には太陽は店仕舞い。そんな訳で冬の楽しみはほぼ室内に限られる。温室で草 木を世話しても、冬は時が止まったように育たないが、モンゴルの人たちは草木を窓辺で育 てるのが大好きだ。湿度を保ち空気を浄化するというし冬の慰めなのだ。

彼らは心から短い夏を謳歌する。春風が強くなって、天候が不安定になり、大雨が降った ら、夏はもう始まったも同然だ。まだ寒いうちから半袖の男性が増える。女性たちの足元を 見れば、待ちきれないとばかりに服より先に靴の色が変わる。そして、空気がもう少し温め ば埃っぽい季節には敬遠された淡い色や艶やかな色彩、地続きの西洋を感じる露出度の高い 服装が街を彩る。ウランバートルの人々のそれはまるで蛹が羽化するような変貌だった。

ゆったりとした春と秋を持つ私たち日本人は四季を愛でてきたが、モンゴルの人たちはす べてが満たされる夏を熱愛してきた。彼らの激烈な夏への思慕。それは長い冬の裏返しなの か、遊牧民の血が騒ぐからなのか、冬の退屈を吹き飛ばす勢いで彼らは夏の自然の中へ飛び 出していく。草原が自然が呼んでいると感じ、広い空に向かいのびのびとした時間を過ごす。 そのかけがえのない開放感に対しわたしも冬を越すたびに共感を深めた。

あのモンゴルでのいくつかの夏と冬がわたしのからだには刻まれている。そして密度の濃 い季節の感覚は、思い出すたびにうれしいものとなっている。モンゴルの寒さの中で、自ら が生み出す温もりを服の内に感じた冬。いつも生きようと一心に努力する体のけなげさを感 じて我が身が愛しくなり、自然に感謝が湧いた。

日本では経験のなかった乾いた夏は快適で、冬に縮こまった体と心が太陽に向けて大きく 伸びるのを感じた。開放感と自然との一体感を同時に感じた楽しい思い出たっぷりのモンゴ ルの夏。

それにしてもどうして日本の夏はこんなに暑く、冬は寒いのだろう?この体感温度は湿度 のせい?冬の寒さは首元に感じる冷たい手を差し入れられるようなにドキリとする冷たさ。 体が芯から冷えて手足が凍える。けれどそれよりずっと寒いはずのモンゴルの寒さは、から だに染みる事はなく、体の生む熱とのせめぎ合い。不思議なものだ。大阪の夏は暑さが肩に 乗ると脅されたが、それは事実で空気をかき分けて進む気分を味わった。空気なのに肌に当 たる感。ここしか知らなければ、ここを本当には知ることはできない。モンゴルを体験して 日本の季節がいま身とこころに沁みる。

それだけでなく、異世界モンゴルは感じることを教えてくれた。今は情報で世界の多くを 知ることができる時代だが、記憶に残るのは、情報ではなく感じたことなのだ。離れてもな お鮮明なモンゴルが何よりの証拠だと思っている。

羊肉◇丸々のしっぽ

羊の種類は世界で 3000 種類と言われ、モンゴルに多くいるのは寒羊という種類だ。この羊 にわたしの尻尾は細長いものという先入観は見事に覆された。知らなかったこんなしっぽが あるなんて。おしりみたいな形をしてる。いや丸いクッションというべきか?市場でこの白 い塊を見た時、これが尾だとは思いもしなかったので、知った時は衝撃だった。丸ごと脂ので、埋もれるように細い骨が入っているが、お肉は骨ほどに も付いていない。尾の脂は、駱駝のコブみたいに体に貯めた非 常食みたいなものかもしれない。それに、これがあれば排泄器 官や生殖器官を寒さから守れるよなぁ、と感心する。

尻尾の脂は値段を聞くと意外に高い。それはそうだ。別格に 素晴らしい食材だ。融点は低く、きめ細かく、臭いが少ない。 モンゴル人は羊の尾をよく好み、 塩味のミルクティーにこれを少し入れて作ったり、肉饅頭には 刻んで混ぜる。草原の乳児のおしゃぶりはこの尻尾脂だ。羊の 尾は人に選んで買われる脂なのだ。

Lhamour ラムーアという国際コンペ Open to Export で特別賞を 受賞したことのあるモンゴルのナチュラル素材にこだわったコ スメブランドには、この尾脂で作った石鹸もあるし、化粧品などに添加される羊の脂といえ ば、尾に限る。わたしは豚の背脂でラードを作ったりしてきたが、この羊の尾の脂を知るま で、同じ動物の体内で、部位により脂の質がここまで違うとは思わなかった。肉食文化ね脂 の使い分けは奥が深い。

モンゴルの人たちは脂を食べるが、観察をあらたにしてみると、質を選んで食べている。 腹側の脂は、程よく加熱して落として食べること好んでいるようだ。まあ、ベタつくような 粘りのある脂は血管に付いたらまずいことになりそうだからか、それを食べる文化はあまり お目にかからない。脂というとお乳由来か、大抵脂身なら背脂のようにさらりとした、コラ ーゲンと共にあるものが好かれている。

わたしの大好物な羊。中でも一番味が良いと思うお肉は、実は尻尾の骨まわりのあるかな しかの肉だ。滅多に食べられないし、骨にしゃぶりつかなくては。でも大好きだ。羊のどの 部位のお肉が好き?と聞かれ、恥ずかしいな、と思いながらそれを話すと、わかっているね、 もうあなたはモンゴル人ねという笑顔がかえってきた。

事務局からお知らせ

(斎藤 生々)

大寒のことば通り厳しい寒さが続く中、オミクロンの感染 が広がり何とも言いようのない日々が続いています。終息と いう声が遠のくばかりですね。

計画していたモピ新年会も中止になりました。モンゴル学 習支援事業も何校もキャンセルに、普通の生活ができる世の 中に早く戻れますように、

鈴木裕子さんのエッセイ、毎回楽しんで読ませていただい ています。ありがとうございます。今回の「季節はクルクル」 モンゴルを感じる、共感できるなーと感じ入っています。

ラクダが横たわるモンゴルの青い空のような日々が早く 戻りますように、願っています。

サロール画

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編集責任者 斉藤生

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