■NO 236号 モピ通信

  人類学者は草原に育つ

『Voice from Mongolia, 2022 vol.84』 

  鈴木裕子さんのエッセイ

   奈良学園小学校2年生子どもたちのお手紙 

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小長谷 有紀著 人類学者は草原に育つ

(臨川書店フィールドワーク選書)9

変貌するモンゴルとともに

日本学術振興会監事・文化人類学

(小長谷 有紀)

第五章 NPO活動のはじまり——二○○一年雪害以後

届け黒板、モンゴルへ!

『届け黒板、モンゴルへ!』は、私たちの黒板プロジェクトの一 部始終をその発生時から二○○七年九月まで、チラシの文面や、お 手紙のやりとりなど、関係資料をまとめた報告書である。NPO による NPO のための活動記録である。人の思いがつまっているものを見るの は人を幸せにする。その幸せをすこしばかり読者のみなさんにここ でおすそわけしよう。黒板プロジェクトはもともととてもシンプル な企画のつもりだった。しかし、意外にも多様な展開を見せたこと がわかる。

まず、冒頭の「二○○二年夏の黒板配布活動報告」を見ると、五 つも異なる配布のさまを私自身が記していた。まずその一つは、記念すべき一枚めについて。 モンゴルで結婚式を挙げるというご夫妻によって、トゥブ(中央)県エルデネサント郡の学 校に配布された。エルデネサントは首都ウランバートルから西へおよそ二百キロメ— トルほ どいったところにある旧国営農場である。ご本人たちにとってゆかりの場所であるらしい。

第二弾はお一人からまとめて五枚。上述のエコロジースクールの参加者からだ。子どもた ちがお礼のミニコンサートを開いてくれたらしい。場所はアルハンガイ県チョロート郡。こ こはあの爆走モンゴル時代の運転手バトエルデネさんの故郷である。

第三弾は「小さな黒板大使たち」。博学連携の研究を推進する中山京子先生とのご縁で、彼 女が当時勤務していた東京学芸大学附属世田谷小学校の五年生の子どもたち四人が、黒板を 届けにモンゴルの小学校を訪問した。場所はトゥブ(中央)県のアルガラント郡。首都ウラ ンバートルから西方に走り、野生馬タヒの放牧地として名高いホスタイの向かいあたりから 北へ入ったところにある。ここもやはり旧国営農場だったところである。大阪国際交流セン ターが主催する医療ボランティアツアーがこの地で翌日からスタディツアーを実施した。そ のため、黒板大使たちと大阪国際交流センターの活動場所を一致させて、運営していたのだ った。ちなみに、第四弾はこの医療ボランティアツアーに参加した植田高彰医師からの一枚。

第五弾は「文字教育セミナー」。細々とした流れからスタートし、このセミナーで一気に二 百五十枚が配布されることとなった。モピがモンゴル文化基金とモンゴル師範大学に働きか けて三者共同で運営された。モンゴル文化基金は、スレンさんがモンゴル国立民族博物館(現 在のモンゴル国立博物館)館長をやめたあと事務局長を務めていた組織である。また、モン ゴル師範大学は、モンゴル語のサンジャー教授の勤務先である。サンジャー教授はアルハン ガイ県の出身で、私がしばしば投宿するツーリストキャンプの経営者であった。本セミナー は、モンゴル各地から百人の国語教師を招き、文字教育に関する研修をおこない、終了時に 黒板を贈呈するという企画である。こうすれば、搬送費が不要となる!先生が自分たちの学 校のために自分たちで持って帰ってくれるのだから。そのため、あまり遠隔地の学校は選ば なかった。かといってあまり近くの学校も選ばなかった。首都からほぼ四百キロメートル圏 に位置するアルハンガイ県、ウブルハンガイ県、ドンドゴビ県、ボルガン県、オルホン県の 五つの県から招待し、八年制および十年制の学校に一校につき二枚ずつ配布した。

こんな単純な配布方式でもけっこうもめるから不思議であった。せっかく来た先生が空手 で帰ることのないように、一校から二人の先生が来られていた場合には一枚ずつ渡すといっ た配慮が要求された。それはわかるとしても私が理解に苦しんだのは、リボンをかけている のとそうでないのとのちがいである。黒板はどれもみな同じである。ただし、贈呈式のため に上述五県の教育委員長に大きな赤いリボン付きのものを手渡していた。あれでないとダメ だと委員長たちはおっしゃる。しかも、リボンの掛け方は一つ一つ微妙にちがっていた。す ると、各人が私にはこれだったと正しく最初に手渡されたものを選んだ。そこまでこだわる のか。なぜ?黒板がまるで毛色の異なるウマであるかのように思われた。

しばしば遊牧民は清貧だなどと言われるけれども、こんなこだわりをみるにつけ、清貧と いう表現が適切であるとは思えない。どれも同じ黒板であるし、たとえリボンが珍しくて大 切なものだとしても、そのリボンの掛け方に執着する理由がわからない。私がわからないの は、背後で所有と結びつけてしまっているからだろうか。所有するかどうかという観点から 見ると、リボンの形は意味がない。しかし、こんなであんなでなどと話すときの情報源だと すれば、形のちがいには案外、意味があるのかもしれないなどと思ったりもする。

『届け黒板、モンゴルへ!』から、以下は、亡くなった奥さんの名前で黒板を寄付した方 の話。一つから次々に広がる。 「・・・私が言うのも何だけれど、家内は頭が良く、勉強が良く出来た人で、いつも開発途 上国の子供達の事を気にかけた人であったので、一枚家内の名前でお願いした。・・・寄付し たことなど忘れていたころ、MoPI より「ドンドゴビ県デルゲルツォグト郡の学校に奥様のお 名前でお作りいたしました」と簡単な地図と二○○二年配布報告書が送られてきた。そんな に多くはないが、団体や NPO に寄付しても、簡単な報告書と寄付依頼の振替用紙が送られて くるのが普通であるが、MoPI のような対応は初めてであった。確かに、黒板という物にネー ムを付けて送るのだから、この様な報告も出来ると思ったが、なかなか出来るものではない のに、この会は、少額でも寄付した物を確実に届ける団体だなと感心した。・・・・デルゲル ツオグト郡の人口は、二千六百人で生徒は四百十人、先生は二十人でその他に給食や用務員 などが居るらしい。海抜は千三百六十メートル(私の高度計で)、冬はマイナス三十五度、夏 は四十度にもなるとのこと。職員室らしき所に、家内の黒板が掛けてあり、ネームプレート に妻の名前が表示されているのを見たら、はるばる来たものだと感慨に耽り、何だかグッと こみ上げるものがあり、思わずプレートをさすってしまった。・・・」

それを見ていた先生は「この黒板をくれた人はどんな人なのかなと、このネームプレート を見るたびに思っていたわ。今回、それがわかってとてもうれしい。これから子どもたちに も話をするわね」「奥様は亡くなられたの、そう。寂しいでしょうね。モンゴルに奥さんに会 いに来られたのね」

そうした話は月刊の「モピ通信」で紹介している。だから、それを読んだ会員が 「私も昨年から MoPI に黒板を届けてもらっておりますので、いつの日か、マイ黒板の旅に参 加できたらという夢を持っています。いまは、高齢の両親の介護にかかわる日々を過ごして おりますので、なかなか思うように自分の時間がとれず、合間でモンゴル語の勉強だけを少しずつ始めています。今年のマイ黒板が、どこに配布していただけるかお知らせいただける ことを楽しみにしております」

また、こうした交流があることを新聞のコラムで紹介すると、まだ会員でないかたから

「モンゴルの子供たちに「どんな人が贈ってくれたの」「その人は来ないのか」と、寄贈した 人と現地の人と心が結ばれたことにとても感激いたしました。今までのやり方ですと大きな 名前の団体でも、小さくても、賛同したそのお金は、何を購入したのか事務費なのか人件費 なのか全く行方が分からない淋しいものです。今回はじめて送る心が現地へ届くのが分かっ て、私も納得してほんの少々のご協力ができると思えました。・・・」

黒板プロジェクトが十余年もの長きにわたって人びとから愛された理由は、寄付者の名前を 小さなプレートに記しておくという「つなぎ方」に意味があったからではないかと思う。日 の丸の国旗で私たちの顔を被ってしまう援助ではなく、一人一人の顔でしかない支援である。 小さなプレートは、インターナショナルなエイドではなく、トランスナショナルなサポート であることを象徴しているようである。

その喜びは、モンゴル側にもある。以下は二○○三年に東部ヘンティに配布したときの話。

「これでヘンティすべてのソム(郡)をまわり終えた。車は一度も故障することはなかった。 唯一心配したのは、モンゴル文部省から手に入れた学校一覧表にひどく間違いがあったので、 黒板が足りるのかどきどきしながらまわったことだった。運転手さんはこの仕事がとても楽 しかったらしく、「今度またまわるときもぜひ声をかけてくれ」と言っていた。ポリゴン(ロ シア製バン)でまわっていくと人びとは「なにを売りに来た」と最初は怪訝そうな顔をする が、黒板のことを聞くと反応は一転する。「こんなに人に喜ばれる仕事はないよ!」と、最後 のほうになるともう運転手さんがみずからもプロジェクトの説明を買って出るくらいになっ ていた・・・」

朝青龍も父の出身地であるウブルハンガイ県向けに寄付してくれた。日本の全国黒板工業 連盟も参加してくださった。ゆうちょの国際ボランティア貯金からも支援を受けた。さまざ まな団体そして、参加してくださった方にここで改めてお礼申し上げる。

『Voice from Mongolia, 2022 vol.84』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「私たちも、兵役についているようなものだよね?3年間の肉体労働が続く」

―技能実習生、28歳

モンゴルの3月は、祝日が多いそうだ。日本では国際女性デーと呼ばれる8日の「女性の 祝日」、そして18日は「軍人の祝日」。アメリカにも「ベテランズ・デイ」という復員軍人 の記念日がある。現在の日本にはない、軍人の祝日というのは、どのように祝われるのか聞 いてみた。かつては戦争から戻った軍人を称えて、最近では兵役の義務を果たした男性を職 場や家庭でお祝いするのだという。

日本には兵役がない、と言うと、モンゴル人の若い技能実習生たちは、少なからず驚いた 表情を見せた。近年、韓国のスターが兵役に行くことがクローズアップされたこともあり、 日本でも当然あるものだと思っていたらしい。男性は18歳の1年間、国に奉仕する兵隊生 活を送り、義務を果たせない場合は多額のお金を支払わなければならないのだとか。兵役が ある、ということは、国民を起こり得る戦争に備えさせているわけで、言わば、日常のなか に、戦争が織り込まれているのだ。

これを書いている今(3月18日)も、ロシアとウクライナの停戦はまだ実現していない。 ウクライナ東部の都市マリウポリなど各地で、モンゴルで見かけたことのあるような集合住 宅が砲撃にさらされ、煙を上げる。地下のシェルターで息を潜めて暮らすお年寄りや、幼い 子を抱く母親、次々に運ばれて来るけが人の処置に追われつつ、思わず涙する医療者などの 姿が映し出される。同時代に、こんなことが…などと思った自分は、本当にオメデタイ、幸 せな半世紀を生きて来たと言える。

今回のロシア侵攻が始まってまもない2月末、モンゴルのメディアが掲載した記事にこん な一節があった。

とにかく、今回の出来事に、われわれが冷静でいるべき、大きな理由がある。ウクライナで の出来事は、国家の存立というものが、いかに脆いかということを見せつけた。国家の存立 は、黙っていてもそこにあり続ける「物」ではないのだと、理解すべきだ。危険なことに、 今回のことが前例となる恐れもある。

さらに、今回の出来事において、モンゴルは“木っ端”に過ぎないことを忘れてはならな い。波打ち際に漂う木くずのように、波にあおられ、流されてしまわないように、何とかし てそこに留まることが重要なのだ。
(2月28日 ゾーニーメデー紙 B.ダムディンオチル「峠を越えてもまた峠 戦争とモンゴル」

https://www.polit.mn/a/93999

記事によれば「最も差し迫った問題」は、来る経済危機にいかに耐えるか、物価上昇から いかに自国の経済を守るかであり、政府の巧みな舵取りで乗り越えられなければ、「国の存立 が危ぶまれる事態が待っている」と警鐘を鳴らした。そして、そうなった時に成否を分ける のは「国内が一致団結できるかどうか」。非常時めいた呼びかけが発せられていた。

なぜなら「モスクワがくしゃみすれば、モンゴルが風邪をひく、とかつて言われた。今も そのままである」からだそうだ。モスクワを米国にすれば、日本人にもおなじみのフレーズ だが、この言い回しを初めて知った。今頃になって。

モンゴル人と交流し始めた頃、彼らの目に映るロシアが明るい、先進国であることに興味 をひかれた。日本人が抱きがちな、ロシアのどことなく暗く、厳しいイメージは、西側陣営 の「色眼鏡」だった。彼らにとってのロシアは、まさに戦後日本にとって、お手本であり、 憧れだった米国と近いように感じた。

社会主義をやめて30年たった今も、モンゴルでは、石油製品の大半、そして肥料や種子 などの農業資材もその多くがロシアから輸入されている。ヨーロッパ諸国から輸入される食 品や衣料品もロシアやベラルーシを経由してやって来るという。それでなくても、コロナ禍 で中国からの輸入が滞ったことで、物価の高騰が人々の生活を締め付けていると聞く。ロシ アの被る影響が「くしゃみ」どころで済まないとしたら、そのしわ寄せがどのようなものに なるのか。ロシアの穴埋めを中国に求めざるを得ず、中国への経済依存度がさらに高まるこ とが懸念されている。

今回の侵攻をめぐって、日本では、ウクライナに同情する声が高まるばかりだが、モンゴ ル人からは、ウクライナが米英と結託したことが元凶だとロシアを擁護する声も聞こえて来 る。若いモンゴル人が「西側」というときに、その言葉に漂う不信感。うららかさを増す日 差しの中で、冷戦時代の亡霊を見た気がした。

今月の気になる記事

瓦礫と化したウクライナの街角とひとびとの苦難が日々のニュースで流れる状況が、もう 20日以上も続いている。そんな中、16日深夜、宮城・福島両県を中心に震度6強の大地 震が襲った。屋根瓦や壁が落ち、死傷者も出た。一部地域では断水が続いている。東日本大 震災から11年と少し、天変地異は、いつ私たちの日常を粉々にし、奪い去るかわからない と改めて実感する。 そうであるのに、人類は技術の粋と多額の資金で兵器をつぎ込み、わざわざ破壊せずにい

られないのだ。大国ロシアに敢然と立ち向かい、拍手を浴びるウクライナのゼレンスキー大 統領の求めに応じ、米国は地対空ミサイルや対戦車ミサイルを含む8億ドル(日本円で約9 50億円)の支援を発表した(北海道新聞3月18日付)。敵を撃破し、破壊するのでなく、 ひとびとの健康や命を守ることにこそ、お金を使ってほしい。まだ計画段階で資金調達も途 上のようだが、女性たちによる、健康を守るための活動についての記事を紹介する。

B.オユンゲレル「辺境地域で暮らす女性たちに、移動式医療サービスを提供します」

(筆者/B.ドルジンジャブ)

モンゴル女性連合会のB.オユンゲレル会長から、同会で実施している“がんのないモンゴル 女性”プロジェクトについて話を聞いた。 -女性連合会に対して批判が高まるなか、新たな事業を行われるそうですね。モンゴル社会で、 女性たちが直面している多くの課題の中で、今回がんに焦点をあてた理由を教えてください。 「モンゴル女性連合会の会長となって3年あまりになりますが、以来毎年女性たちが抱える 問題を解決することを目指すプロジェクトに取り組んで来ました。“全員参加で暴力をなくそ う“と銘打った2019年の活動では、児童への性暴力をなくすことに取り組みました。当 時、私たちの提案した刑法の5つの修正案が、この春の国会で議論されるはず、と期待して 待っています。しかしながら、2020年には飲酒の蔓延が社会問題の最たるものとなり、 危機的状況に陥っていることを問題提起し、「脳に打ち勝つ」ことが必要と呼びかけました。 社会に向けた啓発の取り組みとして、当会から飲酒や酩酊をしないための法規制を検討する 作業班も組織して取り組んでいます。また、2021年には、飲酒とも深く関わっている、 扉の向こうの暴力は犯罪、との理解を普及する『扉』アクションにも取り組みました。この ほか、意思決定を行う立場の人達に働きかけ、家庭内暴力を阻止するための法改正の提案に 取り組んでいます。ひと月前に、司法、内務省の幹部とも会い、意見交換を行いました。法 律は今日話をして、明日変更が決まる、という簡単なものではないですが、春以降の国会で 議論すべき法案のリストに含まれたと聞いています。

22年は、女性特有のがんをテーマに活動する計画です。女性の就業支援、健康増進を目 的とする“がんのないモンゴル女性”プロジェクトに着手します。子宮頸がんによる死亡を 見ると、わが国はアジア・太平洋地域で最も多く、国内のがんによる死亡の2位となってい ます。また、乳がんのリスクが増加し、若年化しているという非常に心配なデータが出てい ます。よって、このプロジェクトでは、地方に移動式の診療所を派遣し、がんの早期発見と 早期診断を目指して活動します」

-移動式の診療所による診察は、辺境地域の女性たちがターゲットなのですね。どのような調 査に基づいて決定されたのでしょうか。 「プロジェクトの主たる目的は、地方の辺境地域、国境地帯、都市郊外のゲル地区の女性た ちや、発展から取り残されてしまっている人々を支援することです。憲法は、すべての人に、 医療サービスを享受する権利を保障しています。それなのに、地方の辺境にいる女性たちは、 この権利を十分に行使できていると言えず、また子宮頸がん、乳がんなどの早期発見につな がる検診を受けることもままならない状況です。これは、多くのソム(郡)において、がんの 診察、診断ができる専門医が不在であること、また定住の地方都市からの距離など、課題は 多いです。そのため、私たちは、こちらから出向くことを決めたのです。諸外国でモバイル・ クリニックと呼ばれており、専門医や病院のスタッフが特別な医療装備のある車両で辺境地 域の女性たちのもとへ向かうものです。そして、子宮頸がん、乳がんの診察、診断、そのほ か健康のための教育を行うというのが、プロジェクトの目的です。第一に早期発見、早期診 断、第二段階では地方で婦人科やがんの診察を行う医師に仕事や研修の機会を与えることを 目指しています」

-5月からプロジェクトを始めるそうですね。どこのソムから着手しますか。 「数日前に、プロジェクトの開始式典を行い、目的について地方の女性たちに紹介し、資金 集めの取り組みも始まりました。どの地域から始めるかについては、県庁や女性団体と連絡 を取り、検討を進めています。女性連合会は、政府から補助金を得ていないので、様々なプ ログラムや寄付、援助で必要な資金を集める計画です。このプロジェクトには映画『ウラー ン・ツェツェグ』の収益も使われます。当初の資金の目途が立って、今年5月頃には移動式 診療所を派遣できるのでは、と考えています。

また、ウランバートル鉄道と協力して、鉄道沿線に暮らす人々、6千人あまりの女性を対 象に、検査と診断を実施する準備をすすめています。モンゴル国内の330ソムへの派遣を プロジェクトでは2年半で行う計画です。気候も地域によって異なるために、取り組むなか で多くの問題が生じることも予想されます。取り組みが頓挫しないように、万全の準備をし ています」

-現時点で、このプロジェクトにはどの程度の予算が必要と考えていますか。 「まず2台の車両を使用した移動診療を実施するのに、7~8億トゥグルグ(日本円で2千 800万~3千200万円)の予算を見積もっています。子宮頸がん、乳がんの早期発見、 診断のための車両には特別な装備が必要です。女性のための寝台、超音波診断機材、水供給、 埃や冬の寒風などから遮蔽し、空気清浄機を備えることも必要で、高額にならざるを得ませ ん。現在、2社と交渉をしています。今後、国際機関にもプロジェクト申請を行う予定です」

-移動式診療所で検査を行う医療人材はどのように確保しますか。 「国のがん研究センターがプロジェクトを担う形で、専門医によるチームを構成します。マ ンモグラフィー協会の協力も得て、子宮頸がんのほか、乳がんの専門医が検査や診断を担い ます。ソムレベルで、こうした検査と診断を可能にするためには、人材育成が何より大切で す。(中略)地方の医療者の専門性向上、がんの早期発見と検査のための人材育成に取り組み ます。職業訓練、ウランバートルでの専門研修参加などを含む二段階でプロジェクトを実施 します」

-子宮頸がんによる死者が多いのには、どんな要因が関わっているのでしょうか? 「国内には、がんの専門病院は1か所しかなく、負担が大きくなっています。子宮頸がん、 乳がんは“沈黙の”がんと呼ばれます。つまり、手遅れになってから見つかることが、死亡 が多い理由になっています。地方の、さらにソムにおいては、乳がんなどを早期発見するた めのサービスがありません。子宮頸がんについては、プロジェクトで単発の検査が行われた 事例はあります。女性が自分で出かけて、この2つのがんの検診を受けられる、そうした条 件は整っていません。他の疾病、がんのいずれも、予防ということが最も重要であり、健康 のための教育や早期発見が求められています」

-外出制限の期間中は、子宮頸がんについてのリモート講座が行われました。既にプロジェク トに着手されていたのですね。 「どんなプロジェクトも、今日話し合って、明日実施できる、ということではありません。“が んのないモンゴル女性”プロジェクトも、2年前から準備をすすめて来ました。残念ながら、 厳しい外出制限の期間と重なり、仕方なくオンラインでの講義となりました。2021年に おいては、多様なテーマで22回のオンライン講義を実施しました。

そのひとつは、ソムごとに2人の女性と、ソム病院の医師に参加してもらい、子宮頸がん の予防についてのオンライン講座でした。講義では、地方の参加者から、こうした講義をソ ムレベルで行うことが必要だとの声が聞かれました。子宮頸がんを引き起こすがん細胞は、 性別に関係なく生じます。(中略)こうした健康についての教育を重点的に行います。当会の プロジェクトは啓発に力を入れるのが特徴です」

-プロジェクトの成果をどのように見ていますか。 「子宮頸がんと乳がんのリスクが最も高いのは、30歳~49歳の女性たちです。この年齢 層を対象に検査、診断を行うことを中心に、希望する女性には年齢制限を設けず対応します。 予防検査、診断を実施することは、100パーセントの自信を持っています。この2つのが んだけでなく、可能な限り、ほかの疾病についても診断するよう努めます」

-女性連合会が、保健省とがん研究センターのすべき仕事をしようとしています。今回対象と するがんは、地区の病院で診療しているとの批判も出ています。そうした声にはどう答えま すか。 「年齢を特定した検診はあります。しかし、今回扱う2つのがんの症例と死亡、生活の質を 調べてみると、既存の検査では十分でないことがわかります。遠隔地から、地域の診療所や 家庭病院に足を運んで出かける女性の数を見れば、このプロジェクトの意義が理解できるの ではないかと思います。

女の子、女性たちをとりまく問題を、暴力という観点だけで切り取って社会問題をあおっ ている、個人的な問題を利用して大衆を扇動する、などと暴力を振るう側の肩を持つ人がた くさんいるのは、紛れもない事実です。暴力に反対の声を挙げないのか、と大声で言うこと が暴力、と言われることもあります。暴力に対して暴力を以て、ではなく、愛情を以て暴力 を未然に防ごうと呼びかけています」

-この種のがんの予防に関して、諸外国の取り組みはどうですか? 「がん予防で成果を挙げている、とても良い取り組みがあります。例えば、子宮頸がんの罹 患率を大幅に下げた国にオーストラリアがあります。140か国以上で、15歳未満の女の 子に子宮頸がんワクチンを接種しています。わが国では、2012年にワクチンを導入しよ うとしたものの、反対の声が上がって中止されてしまいました。科学的に実証され、多くの 国で効果が認められているものなので、わが国でも普及する方向で、保健省やがん研究セン ターと意見交換し、協力することになりました」

-乳がんで乳房を切除した女性たちが、社会から遠ざかり、閉じこもってしまうという問題も あります。これについては何か対策はあるのでしょうか? 「乳がんで乳房切除をした女性にとって、美容の面だけでなく、精神面で及ぼす影響は小さ くありません。不安感や羞恥心から社会に出られないこともあります。リハビリテーション に加え、乳房再建に向けた環境づくりが重要となっています。がんを切除する際に再建のた めの費用を健康保険から支払うしくみについても検討しているところです」

(写真説明) 母が咲かせたクリスマスローズ。

花言葉は

「労わり」「追憶」「慰め」「私の不安を和らげて」 「私を忘れないで」など

「ゾーニーメデー」紙 2022年3月15日 ニュースサイト https://www.polit.mn/a/94213 (記事セレクト・訳=小林 志歩)

※転載はおことわりいたします。引用の際は、必ず原典をご 確認ください。

鈴木裕子さんのエッセイ集

(小長谷 有紀)

鈴木裕子さんからのお便りを掲載します。 鈴木裕子さんは、公邸料理人としてウランバートルにある日本大使館に勤務されていました。 それまで縁のなかったモンゴルと出会い、モンゴルの不思議な面白さを SNS でエッセイを発 信。それらの中からいくつかのエッセイを再構成してお届けします。いずれまた、ご本人に よる自己紹介もお願いしますので、まずはモンゴルの多様な側面に出会っていく彼女の声を お楽しみください。

暮らし◇これがあれば食べられる

(鈴木 裕子)

移動を常とする遊牧の民の持ち物はシンプルか つ最強だ。博物館や骨董通りを覗くと、むかし草原 の民が携帯した生きることに直結した三種の品を 拝見できる。それは真っ直ぐなナイフ、金属などで できた燃えない箸、火打ち石の入った金属の小箱。 これに乗る馬と、家畜がいれば、食うに困らない。 ナイフで動物の命を奪い肉とし、火打ち石を小箱の 裏に当てて火を起こして、箸でお肉を炙れば草原で 食べていける。

移動を常とする人たちの究極の必要が凝縮され たこの三点セットはデールの帯に通されて携帯された。これに乗る馬があり、家畜が食べら れる。そして持ち運びができるゲルと人手あれば、暮らしが成り立つ。このミニマムはすごい。

人は定住すれば所有できるものが増える。そして物欲が増す。移動を常とすれば持つもの は限られる。モンゴルの草原に暮らす人たちの物質からでは生み出せない無邪気な笑顔を見 ると、もしかして私たちは余計なモノに気を取られているのではないか?とハッとする。そ して遊牧の人たちのステイタスが、自身の生活力や逞しさであることに納得がいく。生きる ことがいつも正解、その為のたくましさは命の王道で迷いがない。

遊牧民はわずかな道具で文字通りどこでも暮らせる人たちだ。言葉の不自由も何のその海 外に学び働きに出かけるその彼らはこの民族の背景の先を生きる人たちだと思う。そんなモ ンゴル人たちに比べると、定住し物や人に囲まれてきた日本人の私たちのフットワークはど うも重い。あれがこれがなければ生きられないと思うものが多すぎる。モンゴル人の身の軽 さは時に学ぶべきかもしれない。

人が集まり暮らした日本人には畳むを武器とした空間の活用術があるが、モンゴルには移動 を常とした知恵がある。そして遊牧民はたくましい。では日本人?といえば日本人には別の たくましさがある。例えば耐えるや集団としてのまとまり、あるいは無から有を生む泉のよ うな力がある。たくましさは生きるツールだ。広い世界を覗くと人はさまざまな環境に合わ せ文化を育み知恵で暮らしをたてている。東西南北のどこにあっても人は知恵と逞しさで生 きてきたんだなぁと異文化に触れると思う。この適応力という柔軟性こそが人類のたくまし さだろう。それを武器に地球のどこでも人は暮らしている。

モンゴルのお宝的なものを見ると、金属を素材とした壊れないかっこ良さや、こんな重い 道具を?という使い手のたくましさが滲むものが圧倒的だ。定住の国々の壊れやすさや儚さ の揺らめくお宝とは毛色が違う。モンゴル理解には、気候の乾燥寒冷、移動の暮らし、人の 少なさ、価値観のミニマム、物理的なたくましさの視点が助けになる。すべての暮らしや文 化には理由がある。同じ地上、けれど私たちは違う理由を持って暮らしている。

肉◇羊の背中

ウランバートル郊外には生きている家畜の青空市場がある。 各地から牧民さんたちが連れてきた羊や山羊が仕切り柵の中 に入れられ、価格は季節変動はするものの羊は1頭六千円から 1万円弱円だ。家畜の取引が一番活発なのは秋。豊かな草原の 夏草を食べ家畜が一番肥え太った季節であり、餌の少なくなる 冬を前にした頭数調整の季節だ。

その柵の中をどれにしようかと覗くと、羊たちは人を恐れて 背を向けて柵の反対側に逃げる。そして羊たちは押しくら饅頭 のように一塊になる。気の毒なことに、その背中から一番弱い ものが押し出される。毛並みの悪い痩せた羊が、まるで群れか らこれをとって、と差し出されたような格好だ。もちろん貧弱 なものをわたしは買わない。

しかし、家畜の市場に連れられてくるのは、みな弱いものだという。美味しいかという価 値観ではなく、厳しい冬を越せない可能性のある羊から連れてこられる。塊になった羊たち が、連綿と生き続けるための厳しさを背中で教えてくれる。淘汰され強いものが生き残る。 それは、草食動物の中にもある厳然としたルールだ。海の中でも食べられる小魚は群れを作 る。隙間が見えないくらいに寄り集まった小さな魚たちの群れを大きな魚が切り裂く。そん な映像は画になるからよく見かけるが、やはり外側、後尾、あるいは捕らえやすいものから 食べられていく。

冒頭のようにかたまりから押し出されるような羊は、最下層に位置する。自然はいつも個 体差を内包している。どれを取っても良品を実現するには、人の手による良いものだけを生 むシステム作りが必要だ。生き残るものが自然に選別されるモンゴルには、手をかけて品種 を育成する国にはない自然淘汰の仕組みがあった。日本が失ったものが、ここにはあり、予 防接種のごとく種付けを行うような合理性はここにはない。そんなモンゴルの生きものたち の生命は家畜といえども強く逞しい。

モンゴルは自然の合理性が息づく土地だ。雌 30 頭ほどに一頭に調整された種雄同士が争っ て、頭突きをしあえば、時に頭の中身に支障をきたすものが出る。そうしたものはいち早く 捕らえられ食べられる。しかし日本ならまず争わせない管理がされるだろう。

また日本で選択されるのは、肉質や飼育のしやすさで、生きものとしての強さではない。 モンゴルではその逆だ。そこにわたしは命が詰まっている食べものを感じる訳だが、そのど ちらが正解とは決められない。ただこの広い世界はさまざまなルールの集合体なんだなぁと 感慨深い。ちなみに山羊たちの柵の方では人にお尻を向けてはいなかった。なぜ?と聞けば、 搾乳をされることが日常だから人に慣れているのだという。そういうものなのか、まだまだ 知らない事ばかりだ。

売られているのはほぼ去勢の雄だ。日本の感覚で、肉のキメが細かく美味しい若い雌はな いものかと訊いて回ったことがあるが、一匹しかいなかった。それは種のつかなかった羊だ った結局わたしは弱々しいそれを買わなかった。あまりに貧相で美味しそうでなかったから。

着いたばかりで毛の汚れがないグループの柵から、丸々した羊たちのかたまりの奥に逃げ 込む力のあるものを選ぶ。歯が少なく若いことを確認し値段の交渉をする。決まればその羊 は足首をくるくるとセロテープで留められ自由を奪われる。数頭なら台車だが、一頭なら運 び人の肩に担がれ移動する。どこへ?といえば隣の体育館のような屠殺の建物に連行だ。そ して売る人も買う人も少ない冬は小さな小屋にその場所は移る。

余談になるが、家畜が一番高いのは、モンゴル人の言うまだ氷点下の春。その家畜が痩せ おとろえる季節に丸々としたのがいたら、それは相応の餌をやり手当をされた高級品だ。

また美味しい羊の産地として名高いのはゴビ産で、ゴビ出身の友人たちはそれを餌の草の 多くが薬草やハーブな上、草の味が濃いからだと誇る。秋のゴビの羊は、思い出しては涎が 出るほど美味しかった。

奈良学園小学校2年生の子どもたちからのお手紙です。

(学習支援事業、体験学習はできませんでしたが唯一実施できた学校です)

徳山さま

先日は、奈良学園の子ども達のためにお時間をつくってくださりありがとうございました。 子どもたちの感想文を送ります。読んでいただけると幸です。

P2担任 光勢 美枝

(サロール画)

「事務局から」

モピ総会(4月23日(土)午前11時から)予定です。開催方法など決まり次第 Eメール、ハガキなどでお知らせいたします。よろしくお願い申し上げます。

(事務局 斎藤生々)

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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35

tel&fax 075-201-6430
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編集責任者 斉藤生

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