■NO 233号 モピ通信

 新年のご挨拶

 人類学者は草原に育つ

 プラットホーム 京都新聞記事

 鈴木裕子さんのエッセイ

 事務局から

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新年のご挨拶

モンゴルパートナーシップ研究所理事長

小長谷 有紀

新年あけましておめでとうございます。

コロナ禍から抜け出し、皆さまにとって、ご多幸に満ちる年となりますように。 さて、今年は、日本・モンゴル外交関係樹立50周年を迎えます。記念事業の一つとして、 国立民族学博物館では、特別展示が開催されます。100年前の写真と今とを見比べるとい う趣向です。昔の写真も今の写真も、一般に知られてきたモンゴルとはすこし異なる世界を 垣間見せてくれると思います。全国から皆さまのご来館をお待ちしております。

3月17日(木)から5月31日(火)までの約80日間。やや短いので、お見逃しなく。 なお、期間中、小長谷が登壇するイベントは、4月2日(土)みんぱく友の会講演会(山極 寿一氏との対談)と、5月5日(木)モンゴル環境映画「世界の静脈」です。よろしくお願 いします。

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静岡大学人文社会科学部・教授 大野旭(楊海英)

謹賀新年

人類全体を巻き込んだコロナ禍が収まりそうもない状態が続き、苦しい一年が過ぎてしま いました。毎年のように普通にモンゴルに行っていた私たちの「あたりまえのこと」がなく なってしまいました。その点は、モンゴル国も内モンゴル自治区もまったく同じです。しか し、行けなくなった分、逆にモンゴル地域全体への関心は高まってきていますし、モンゴル 人もまたお互いの文化の多様性に関心を寄せるようになっています。どこかが中心というよ りも、多様なモンゴル文化が注目されるようになりました。

ただ、深刻な問題もあります。内モンゴル自治区は非常に厳しい状況下に置かれています。 中国政府による弾圧が文化大革命期と同じくらい苛烈です。2020年夏に勃発した母語保 護運動に関わった人たちの逮捕監禁はまだ続いています。海外から抵抗の声を挙げた人たち は未だに帰郷できないでいます。こうした状況にも新しい年には一層注目していく必要があ るでしょう。

最後に、モピの皆さまのご健勝を祈りながら、コロナの終息と平和の実現を祈念しており ます。

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モピ監事 福島 規子

新年あけましておめでとうございます。

見えないコロナウィルス感染拡大の中で心身ともに緊張して過ごしたこの2年余りですが、 2022年は穏やかな一年で有りますように。 まだまだ先は長いことでしょうが今だからできることを見つけて行動していこうと思ってい ます。手芸が好きなので色々な布地を広げて、職場のこども園の小さな手提げ袋やエプロン など作って見ようと思ったり、少しずつ外へ向けても動かなくては、

モピの活動も今年こそ参加出来ますように、などなど思いながら新しい年がスタートしま す。皆様のご健康をお祈り申し上げます。

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モピ・スタッフ 村上 雅彦

明けましておめでとう御座います。 今年こそ良い年でありますように

モピ通信232号にてお知らせしています新年会の日時2022年1月22日(土)が下記 に変更となりました。皆様のご参加を期待しております。

日 時 : 2022年1月23日(日) 12:00~ 場 所 : 北京料理 ”徐園”

(大阪市西区江戸堀1-15-3 Tel06-6448-5263)

申込締め切り : 2022年1月15日(土)

今年はぜひ開催できますように・願っています。

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小長谷 有紀著 人類学者は草原に育つ

(臨川書店フィールドワーク選書)9

変貌するモンゴルとともに

日本学術振興会監事・文化人類学 

(小長谷 有紀)

第五章 NPO活動のはじまり——二○○一年雪害以後 ODA の参加経験

市場経済化への移行を宣言して以来、モンゴルはさまざまな国際機関お よび国から国際的な支援を受けてきた。一九九二年からおよそ十年間とい うもの、その金額は GDP のおよそ二割から三割のあいだで推移した。その 間、トップドナーであったのが日本である。各種の国際支援が重複して無 駄になったり、方針が対立したりすることのないように、支援国会合とい う国際会議が開かれる。モンゴル支援国会合は、東京で一九九一年に第一 回が開催され、以来ほぼ毎年一九九七年の第六回まで日本がトップドナー として世界銀行とともに協同議長を務めてきた。

私もそのような国際会議にときおり参加させていただき、さまざまな驚 きを覚えた。まず、一つは日本人の会議のマナー。マナーがよすぎて驚い た。議題はあらかじめ決まっており、議長の発言内容さえもがあらかじめシナリオがあるか ら、俳優のように読み上げればよいようになっている。しかし、会議は生ものだからシナリ オ通りに進んでいるわけではない。たとえば、モンゴル側の官僚はあきらかにプライオリテ ィ(順位付け)をつけて発言した。何から着手してほしいかという順番をあらかじめ付けて 発表したにもかかわらず、そのあとの日本側の発言は「プライオリティを述べてくださいま すか?」という質問だった。がっくり。くだんのモンゴル人は思ったことだろう。

あんたは聞いてなかったのかね?!と。また、通訳は難儀するだろう。議長よりも通訳のミスと思わ れかねないからね。

次に驚いたのは歩みののろさ。予算を決めて実行してゆかなければならないことは、私自 身も公的な機関に勤めてきたのだからよく了解している。しかし、たとえば、雪害の緊急支 援が必要なとき、いま議論していることが仮に実現されるとしても、それはずっとずっとず うっと先のことになりそうだった。

さらに驚いたのは現地のためにする仕事だとしても国際支援の業界はあくまでもビジネス をしているのであって判断基準に利益率という考え方があること。たとえば、建物の建設な ら利も大きいが、先生を派遣したり、人びとが研修したりというソフトなプログラムではあ まりもうからないという。

さらにさらに驚いたのは、コンサルタント会社が調査をして立案しても、それらのプログ ラムはほとんど実施に移されないこと。また、調査した結果、費用対効果が悪いと判断され れば具体的な立案にさえいたらないことも多い。もちろん、調査しなければわからないこと も多いだろう。しかし、なかには、たとえば、郵便物を各戸に配布しようという案件などは、 わざわざ調査しなくても費用対効果が悪いと容易に推測される。そんなこと調べなければわ からなかったのだろうか。

驚きの連続であった。御用学者にはなれそうもない。せいぜいなれるとすれば「御用だ!」 学者である。そして、人に文句をつけるくらいなら、自分で活動を開始することにした。

NPO 組織の設立

二○○○年十二月に任意団体としてスタートし、翌二○○○一年六月、大阪府からの特定 非営利活動法人いわゆる NPO の認可を受けた。正式名称をモンゴルパートナーシップ研究所 (以下モピと記す)という。先に紹介した「モンゴルパック」を作った団体である。理事長は 松原正毅先生にお願いし、私は理事の一人として運営に携わっている。立ち上げにあたって は、大阪外国語大学モンゴル語科を出て内モンゴルに留学した経験をもつ内田敦之さんの寄 与するところが大きかった。彼はその後、独立して自分自身で組織を経営している。

モンゴル国では一九九九年から二○○○年、二○○○年から二○○一年のふた冬連続、雪 害にみまわれた。ヒツジやヤギなど百六○万頭が倒れた。家畜総数のおよそ十パーセントが 失われたことになる。被害の大きかった地域では、所有する家畜のほとんどを失った遊牧民 の貧困化が懸念された。当時、遊牧民たちは、まだ個人経営に移行してからまもない状態で あったため、乾草の準備など雪害対策が十分ではなかった。また、公的な支援もいったんや めたあとだっただけに十分に復活していなかった。その結果、社会災害という側面もあった と言ってよい。このころ、同じく雪害にみまわれた中国内モンゴルと比較して、私は以下の ような檄文をモンゴルの新聞に掲載した。この檄文は多くのモンゴル人が読んでいたらしく、 その後あちらこちらで「君が書いたのか?」と聞かれた。私がモンゴルで知られるようにな ったとしたらあの文章だっただろうと思う。以下に日本語のほうを掲げておく。モンゴル文 は二○○一年四月二十五日付けの「オドリーン・ソニン(日々新聞)」に掲載された。

「モンゴル国の未来を考える 私は一九七九年にはじめてモンゴルを訪問し、交換留学生としてウランバートルで暮らし た。また、一九八七年には中国内モンゴル自治区を訪問し、研究生としてフフホトで暮らし た。以来ずっと、モンゴル国と内モンゴルを比較しながら、その変化を見続けている。だか ら、モンゴル国が内モンゴルをまねしてはいけないことと、まねしたほうがいいことをはっ きり区別できるのではないかと思う。

雪害を例にとろう。内モンゴルのシリンゴル地方は、モンゴル国と同様に一九九九年から 二○○○年にかけて雪害に遭い、続く夏は大干ばつで、今年も雪害が続いた。しかし、昨年、 シリンゴル地方の牧民は、国際的救援を欲しいと大きな声を出すことはなかった。今年は、 黒い嵐のために多くの人が死んだので、国際的な救援物資が届いている。ただし、基本的に、 雪害については自分たちで解決することができた。同じような自然災害に対して、なぜ内モンゴルでは自力で解決しようと努力できるのか。なぜモンゴル国ではできないのか。 シリンゴル地方の勤勉な牧民は、五百頭のヒツジ・ヤギと、三十頭のウマと、五十頭のウ シを飼っている。五百頭のヒツジ・ヤギから毎年二百頭の子ヒツジ・子ヤギが生まれる。そ こで、毎年、成長したヒツジ・ヤギを二百頭売る。同様に、ウマ十頭とウシ十頭も売る。そ れらを会わせて、毎年一万ドルの収入を得る。ほかにカシミアを売る。しかし、カシミアの 値段はキログラムあたり十ドルから六十ドルまで上下するので、カシミアの売却に頼ること はない。カシミアからの収入は全体の十パーセント以下である。そして、得た収入のうち五 千ドルを使って乾草四十トンとトウモロコシ十トンを準備する。こうして無事に年を越す。

しかるに、モンゴル国はどうであろうか。カシミアだけに依存するとヤギばかりが増える。

しかるに、モンゴル国はどうであろうか。カシミアだけに依存するとヤギばかりが増える。

草原が悪くなる。乾草を準備したくても現金収入は少ない。もちろん、モンゴルには中国の ように家畜の肉を食べる人がたくさん住んでいない。つまり、市場が小さい。だから、中国 と同じような経営はできないだろう。それでも、内モンゴルの事例は遊牧と市場経済をうま くつなぐことによって雪害を克服することができる、ということを教えてくれる。

雪害に強い牧畜にするために、定着して囲いのなかで大量のえさをたっぷり与え、まるで 農業のような、集約的牧畜を進めたほうがいいという考え方もある。実際に、中国ではその ような政策がとられている。シリンゴルでは、一九八六年から放牧地を個人に配分して、現 在、牧民は完全に定着した。そして、二○○○年からは飼料をたっぷりと与えて飼う方法が 始まった。すると、ヒツジたちは放牧に出ても草を食べなくなったという。おいしいえさが 欲しくて、みずから家にもどってくるという。牧民のなかには、一年のうち半分を囲いのな かで飼う人もいる。やがて、一生を囲いのなかで過ごすヒツジやヤギになるだろう。そうし て遊牧は消え、牧畜も消え、まるで工場のような畜産業に変わるだろう。こんな牧畜システ ムをまねしてもいいのだろうか。モンゴルの遊牧民たちはそんな生活をのぞむだろうか。

モンゴル国の未来をつくるためには、鉱業や観光などいろいろな方法がありうると思う。 ただし、鉱業は地下資源を取り尽くせば終わる。何世代も先のモンゴルの子どもたちを幸せ にすることはできないだろう。モンゴルへの外国人観光客はみなウランバートルを見に来る わけではない。遊牧民の草原での暮らしを見に来る。これが無くなれば、誰も観光に来なく なるだろう。

鉱業よりもまず畜産業の発展が重要であると私は思う。どうして、ウランバートルでロシ ア製の牛乳を飲むのか。どうして外国人観光客にオランダ製のチーズを出すのだろうか。な ぜ、肉工場の冷蔵庫は空っぽで倒産するのか。遊牧社会を正しく市場経済とつなぐことがで きれば、未来の可能性はぐんと広がる。世界一おいしく、安全な乳製品や肉製品を輸出して 外貨をかせぐことも夢ではないはずだ。

ビジネスマンは利益を求めよう。遊牧民は暮らしの安定をのぞもう。微生物学者は乳酸菌 を、植物生態学者は草原を、というように、研究者はそれぞれの分野で真実を追究しよう。 そして、政治家は名声をもとめよう。人はそれぞれの立場で異なる利益を求めてよいのであ る。そのとき、「遊牧で国をたてる」という大きな目的を共有し、たがいに協力しあえば、伝 統をいかしながらモンゴル国の未来をつくることができるにちがいない。

どうして、日本人がモンゴルを支援するのか、と多くのモンゴル人がいつも不思議に思っ ていることだろう。その答えは、私見では「隣人が幸せでなければ、自分も幸せにはなれな いから」である。想像してみたまえ。一つのアパートで、どの家も貧乏になって、乞食にな って、自分の家だけが豊かになっても、それがどうして幸せだろうか。日本はこの十年、モ ンゴルの市場経済化のための支援をおこなってきた。しかし、その恵みを受けたのは、ほと んどウランバートル市ばかりであって、決して草原部ではない。次の十年はこのひずみを小 さくする方向で支援すべきである、と私は考える。

こんなふうに、モンゴル人たちを鼓舞して自力更生を訴えるとともに、私たちにできることはないかと模索し始めた。現在、モピのホームページは美しくしあがっている。ただし、 過去の動きは「モピ通信」でしかわからない。しかも、残念ながら、ホームページではこの 「モピ通信」を二○一○年一月の九八号までしかたどることができない。ここでざっと思い 出しておこう。

まず、雪害のあった地域の人びとをケアするために、二○○一年五月、医療チームを派遣 した。ケアといっても、決して心療内科ではなく、医療機関に行く暇もなかっただろう彼ら に、もっぱら健康診断をおこなうというプロジェクトである。NPO を設立しようとしていたけ れども、このプロジェクトに都合の良い、モンゴル好きの医師といった知り合いがいるわけ でもなかった。まず、医師を募らなければ。そこで、大阪大学大学院人間科学研究科国際協 力学講座の中村安秀先生にお願いして、国際医療活動に興味を持っている方々のネットを教 えていただき、これを通じて募集した。中村先生は日本の「母子手帳」制度を国際的に広げ て活躍する小児科医である。応募者は二人。大阪の谷口ドクター(整形外科)と東京の関ド クター(小児外科)が応答してくださった。それはまるで大海に釣り糸を垂らしているよう な気分だった。やっと釣れた!というような感じだったと言っても、お二人なら許してくだ さるだろう。このとき「釣れた」ドクターたちとはいまも懇意にしている。

医師が二人いれば最小限のことはできるだろうが、いろいろと気働きのできるスタッフも 欲しい。この方面で「釣れた」田中美恵子さんはその後ずっと私のもとで秘書をしてくださ っている方である。

受け入れ側はやはりスレンさんにお願いした。ただし、雪害の影響はアルハンガイ県より も南側のウブルハンガイ県で大きかったので、そちらを訪問し、医療活動ではなく健康診断 ということで国会議長から許可をもらって実施した。郡中心地に到着すると人びとが長い列 をつくって待っていた。やはり、健康が気になるのだろう。来てよかった!ふだん草原で見 かけないほど集まった人数をみてそう思った。ところが、いわゆる病人はあまりいない。お 年寄りも元気である。「生涯、医者などにかかったことはない」と豪語する。そうなのだ。医 療サービスを受ける機会の少ないところでは、そもそも弱い人はすでにもういない。生き残 っているのは強い人たちなのだった。なんだか善意の押し売りをしているようだ。本当に役 に立っているのかどうか、わからなくなってしまった。

ただし、このとき、専門性をもつ人びとが支援をおこなうプログラムと、一般の人びとが 参加できるプログラムというのは別に設定しなければならないだろうと強

く認識された。そ して、さまざまな活動を展開することになった。

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プラットホーム

(20211月8日・京都新聞夕刊 現代のことば 掲載記事)

日本学術振興会監事・文化人類学

(小長谷 有紀)

駅で列車に乗り降りするところをプラットホームと呼ぶことなど、今さら解説するには及 ばない。ごく普通に生活しているうえで必要な数多くの共有知の一つであろう。

歴史をさかのぼれば、プラットホームは、高度経済成長期には集団就職の見送りの舞台と なり、新幹線が開通すると新婚旅行の見送りの舞台となってきた。だから、そこはおおくの 人びとにとって、人生の大切な一コマとともにある特別な場所でありうる。

このことばは英語の Platform からきており、もともと、少し高くなったり平らなところを 意味する。よく知っているつもりのことばが、いつのまにかどんどん変化している。進化を 遂げていると言ったほうがよいかもしれない。

社会に IT 技術が浸透し、それまでになかったサービスを享受しているうちに、まさにその サービスがプラットホームと呼ばれるようになっている。駅を意味するホームと区別してフ ォート綴られることが多いようだ。

かって、自宅で出前をとる時は電話で配達を依頼した。たとえば、蕎麦をたべたければ、 お気に入りの蕎麦屋に電話で注文する。ピザならピザ屋に頼む。料理の種類どんなに変化し ても、電話からインターネットになったとしても、店舗と消費者が直接結びついていることに変わりはない。 しかし、現在では、たくさんのお店のさまざまな料理を扱っているサイトにアクセスし、

その豊富なメニューから選べば、配達車がお店に立ち寄って注文品をピックアップして届け てくれるという仕組みができている。その利用はコロナ渦によって一気に広まった。

21世紀のプラットフォームとは、こうした、モノやサービスを提供する人と利用する人 とつなぐ場を指す。消費と生産のマッチングをサポートする仕組みが、プラットホームとよ ばれているのは、仮想的に一段高いところで土台となっているというイメージなのだろうか。

食にかぎらず、タクシーやホテルなどもこうした仕組みがよく利用されている。ホテルの 価格などの比較ができることよりもむしろ、革新的に変化したのは、個人の参入が可能にな ったことである。

海外では、一般のドライバーが自分の車で、客を送り届ける配車サービスに参入している。 利用者は料金を支払うと同時にドライバーを評価するため、ドライバーの質は向上する一方 だ。その意味で、利用者は仕組みの評価を維持しているといえよう。

日本で一般のドライバーにある配車サービスが認められているのは過疎地など特別な場合 である。言い換えれば、旧来のビジネスモデルでは回らない場合に、新しいモデルが活かさ れている。

自分のものをシェアするというスタイルで、モノやサービスを提供する個人と、利用する 個人とをつなぐプラットホームに、国境はない。巨大な仮想的プラットホームがすでにでき あがっている。

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鈴木裕子さんのエッセイ集

(小長谷 有紀)

鈴木裕子さんからのお便りを掲載します。 鈴木裕子さんは、公邸料理人としてウランバートルにある日本大使館に勤務されていました。 それまで縁のなかったモンゴルと出会い、モンゴルの不思議な面白さを SNS でエッセイを発 信。それらの中からいくつかのエッセイを再構成してお届けします。いずれまた、ご本人に よる自己紹介もお願いしますので、まずはモンゴルの多様な側面に出会っていく彼女の声を お楽しみください。

ご挨拶◇はじめまして

(鈴木 裕子)

モンゴル大好き!この不思議!を投稿させていただいており ます鈴木裕子です。

ご挨拶が遅れ大変申し訳ありません。

わたしは在モンゴル日本国大使公邸のお台所預かりとして としてウランバートルに三年間暮らし、現在は大阪の辻調理 師専門学校で日本料理を学んでいます。モンゴル前は都内の 産休明けからお子さまをお預かりする保育園で 18 年調理師を していました。

モンゴルは成田から飛行機に乗れば6時間直行のひとっ飛 び、けれどその文化は日本からするとまさに異世界といえる ものでした。これまでわたしがモンゴルに感じてきた沢山の 驚きと発見、魅力をお伝えできたらと願っています。今や第 二の故郷とも思うモンゴルへの文字の旅をどうぞご一緒ください。

とはいえ滞在のはじめは、日本にあるものがモンゴルにはなんだなぁと肩を落とすことば かりでした。しかし不思議なものでモンゴルの人たちの中に暮らすほどに、日本にないものはみんなモンゴルにあると思うようになりました。その想いは今も変わりません。モンゴル を知れば、私たちの暮らす日本のすてきもわかります。逆も真なりなのです。そのせいでし ょうか、いまわたしは以前よりずっと日本のことを深く考え知りたいと思うようになりまし た。正反対がそれぞれにいいーそれこそが私たちの暮らす世界のあり方ではないでしょうか。

モンゴルに宛てたファンレターを通してみなさまの感じる世界にモンゴルのあたたかさを お届けすることができたら幸いです。みなさまの心にモンゴルのどこまでも続く空が広がり 心地よい風が吹き抜けますように!

養蜂◇みつばちの時間

むかし、原宿の屋上で養蜂をしていたコロンバンが みつばち講習会をしていた。巣箱の中身の見学の後の 座学では、植物の受粉を助ける蜂がいなければ地球上 の多くの植生が消え、蜂たちの精緻な暮らしの不思議 を学んだ。以来のわたしは小さなみつばち達に特別の 親しみを感じてきた。

だから養蜂家が夏のロシア国境近くの宿営地に誘っ てくれた時は娘も誘っていい?と二つ返事をした。ウ ランバートルからジープで5時間、ご多分に洩れず、 途中から舗装はない。夏の草原は木のない淡い緑の絨 毯の景色が延々と続き、人影はない。ただ家畜とその 子供たちが草を食んでいた。しかし、いくら走っても花がない。今年は雨が少なくてとは聞 いていたが心配になった。

その景色が到着まであと一時間ほどという地点で突然変わった。景色に黄色い川が突如と して現れ、大地にその色を誇る。近づくとそれはアブラナ科の黄色い花、菜の花ようだった。 良かった。蜂のごはんがある。後で聞けばそれは菜種だという。実った後に地続きの中国に 運び出され、絞った油をまたモンゴルが買うという。

蜂よけの帽子や手袋をして、広大な花畑に並ぶ巣箱へ近づく。ウンウンブンブンと蜂たち が働いている。その数と音に正直ビビるが、人には知恵だ。牛の糞を煙らせて蜂たちをおと なしくさせながら巣箱から巣板を取り出す作業にかかる。

巣箱の周りは想像とは少し違っていた。巣を襲う雀蜂を取り囲み熱死させる日本蜜蜂の映 像なんかを見ていたから、わたしはてっきり巣箱のまわりは、みつばちだけの聖域でみつば ち王国専用になっているのかと思っていた。実際は、巣箱のまわりはバッタもいれば、蝶も おり、別種のもう少し小さくて黒い地蜂も普通におり、みつばち達は彼らのことを構わない。 そこにあるのは共存の世界だった。

しかし連れの犬は共存の内には入れてもらえなかった。人に敵対心をむき出しにはしない 蜂たちが養蜂家の飼う黒い犬は許さない。それを知っていて犬も近づかないのだが、仲良し になった娘につられてうっかり巣箱に近づいた。途端に、キャンと哀れな悲鳴をあげて車の 後ろに逃げ去った。蜂の天敵は熊などの黒い毛に覆われた獣。私たち人に毛皮はないが、黒 い犬は蜂から見れば小さな熊なのだった。何の悪意もない犬はこうして蜂の血祭りに上げら れる。よく蜂に黒や赤の服装が良くないといわれるのはこうした理由だ。赤は蜂たちの眼に は黒く映る。

巣箱は2段に重ねられている。養蜂家は下の段に女王蜂を囲い、子育てのスペースにする。 上と下の段の間には働き蜂は通れても大きな女王蜂は通れない網を張る。下段にも蜜は貯め られるが、その個室はヘラで傷つける。するとみつばち達は蜜を上段に運ぶ。こうした手間 をかけて、住まいと蜜の貯蔵庫が分けられ、採蜜に蜂や蜂の子が混ざることはない。

下段と上段の木枠の隙間には巣を作っている蜜蝋とはちがう粘着質のものが付いている。

鼻糞みたいな色だ。これが世に言うプロポリス。巣を細菌から守っている。口にしたところ、 蜜蝋にも似た食感で、食用に加工されたプロポリスのようなヒリヒリとするような刺激はな いように思えた。しかしやはりブラジル産アフリカ蜜蜂のものほどではないが、後から喉を チリチリと焼くような感触がした。

巣板に渡されたハニカムの穴。これは何度も使われると次第に茶色く穴が小さくなってい き、そうなると生まれる蜂も穴に合わせて小さくなっていくという。蜜の段にするには問題 はないが子育てスペースには問題だ。そんな時は引っ越しをさせる。

まだ菜種の蜜は蜂たちが集め始められたばかりだ。まだ濃度が薄くて、液状だ。これがと ろっとする採蜜時期までにはまだ時間がかかる。蜂の巣は一見平らに六角形の穴があるよう になって見えるが良くしたもので、この液状の蜜が溢れないように微妙な傾斜が付いている。 誰が教えるでなく、蜂は設計図を頭に生まれてくるのだろうか?不思議だ。本能に設計図や カレンダー携えて生まれくる蜂は高度な生きものなのかもしれないし、頭の硬いいきものな のかもしれない。

蜂の卵は巣穴の底の白い突起だ。蜂は時に勝手に巣の木枠外までから巣を拡張するが、延 長された部分はごめんねと取り去られる。そんな巣の材料の黄色い蜜蝋は柔らかく押すと簡 単に潰れる。巣は布地とクッションを乗せて閉じられる。これが寒さから蜂を守り、また巣 の屋根に照りつける太陽の熱をやわらげる。

この手間のかかる作業を5箇所に分かれた 300 の巣箱に行う。暑さの中で蜂よけの服に身を 包み1日 100 箱で3日のローテーション。気が遠くなる仕事だ。けれどモンゴルの冬は長い。 蜂も人も夏は毎日が真剣勝負だ。厳しい自然の中をいのちをつなぐいきものたちのお裾分け、 その上に人が生きている。大地へのありがとうが聞こえる。そんな食べ方とたべものがモンゴルのごはん。

この感覚は、東京に住んでいたわたしの忘れていたものだ。ある人は言う。東京では、お 財布とコンビニと携帯さえあれば、半年は人と口をきかずに生きられる。そう、私たちは都 市で蜂以上にシステマチックに生きている。その名前は働き蜂。働くことは私たちの本能なのだろうか?

靴◇ブーツを作って

乗馬キャンプの紹介で、生まれて初めて手にしたロングブー ツはオーダーメイド。ホテルに採寸に来てくれ、出来上がった らフィッテング。要するのは一週間と 15.000 円。外側としっか りとした靴底はロシア加工の牛革、内張は山羊革だ。そんなあ れこれを、わたしは拙い言葉でクラフトマンに訊ね、彼は手書 きの地図と動物のモノマネで教えてくれた。本格的な乗馬用ブ ーツは鐙から靴がするっと抜けるように、滑り止めのゴムを踵 にしか付けないのだが、私たちはタウン用にとゴム底を爪先側 にも付けていただいた。だから町歩きも大丈夫。ちなみに博物 館などにあるモンゴルの伝統衣装のブーツは先が尖り空を向く 面白い形をしているが、それは大地を歩くより馬の鐙に適した 形だからだそうだ。

仕上がったブーツの足首はキュキュッと締まり、履いた旅人 の格好良さは見惚れるものだった。わたしもブーツを履いてみた。乗馬用だから足首から下 は思いのほか硬くしっかりした作りになっていて、履くというより嵌めるという感じ。木靴 を手にしたことはないけれど、たぶんそれに似ているのではないだろうか。ふくらはぎや足 首をしっかりとホールドするから姿がいいだけでなく、足先に遊びがあっても履き心地がと てもいい。靴の中で指先がのびのびできて普段の靴に感じる窮屈さがまったくない。初めて 体験の足の住む気持ちがいい部屋感覚。

素足に履くとふくらはぎ部分がぴったり過ぎない?なのだが、ストッキングやソックスを

履けば大丈夫なのが不思議。滑りが良くなるからだそうだ。履いて来た靴を脱ぎ捨てブーツ で歩き回ると、歩くほどにオーダーメイドの良さが実感される。ブーツがふくらはぎに密着 し固定するから、すごい安定感だ。踵が擦れないしカポカポしないから靴擦れもしようがな い。自分にぴったりの太さそして足型だからどこもかしこも快適だ。足はちょっとクセのあ る形をしていると、自分にぴったりの靴を探すのはなかなか難儀なことだ。それがオーダー なら一発解決。旅程に余裕のある方に是非お勧めしたい。

モンゴルでは隣国中国製の安靴をよく見かけたが、噂に違わず本当によく壊れた。また靴 屋でブーツの物色をしたが思いのほか安くはなかった。オーダーでも大して違わないお値段。 モンゴルは皮加工が特殊な技術ではない上に人件費が安いからだ。日本で作ってもらったら、 大変な出費に違いない。わたしはすこしお代を足して内側にモコモコの羊毛を張った真冬仕 様のブーツも作っていただいた。こんなお供があれば寒さにも怖くない。

靴のオーダーまでしなくても、寒い季節のモンゴル歩きは現地製のフェルトの靴敷きをお すすめしたい。ナラントールの青空市場で見つけたそれは、二センチ以上の厚さ。これが使 うほどに体重で足裏の形が沈み足裏にピッタリと沿って暖かい。雪原を生きる動物たちが身 につけていた毛は人にも優れものだ。本当の寒さ冷たさの中では使い捨てカイロよりも、自 分の体温を逃がさないことが何よりだ。また、寒がりなお留守番がいるなら旅のお土産にウ ール 100%の靴下はいかがだろう。化繊が入らないものは強度がないが冬にぬくぬくのしあわ せを贈ることができる。

人口密度◇10 人に1人が転べば

人が少ないことは人を親切にする。逆に過密な環境ではそ の親切心を押し殺さなくては生きにくい。世界 209 の国や 地域でグリーンランドの次に人口密度の少ないモンゴルに 暮らして、それは確信に変わった。日本との差は 150 から200 倍だ

困っていたら手を差し伸べあい、道で他人と足同士が触 れたらあら失礼と握手をする習慣のモンゴル。それと東京 の何十年と同じ車両に乗り合わせても言葉をかわすことな くラッシュの地下鉄で通勤する人が同じには思えない。人 同士の心の距離感がまったく違う。 けれどこう考えれば納得がいく。10 人にひとりの人が転
ぶとする。10 人しかいなければ転んだ人は何人かの手助け が受けられるだろうし、きっと離れた誰もが気にかける。 しかし同じ広さの場所に、転ぶ人が 150 人いたら?1500 人の人がいればそうなる。いちいち 手助けをしていたら身がもたない。人は他人に無関心になることで自分の時間や行く道を守 る。そして当然離れた人まで目が届かせない。これが大都市で起きていることだと思う。親 切は損とばかりに目に蓋をして暮らさざる得ないのが過密の暮らしだ。けれどもちろん環境 が違うだけで過密な場にいる人が悪いわけではない。個人で付き合う日本人は親切と丁寧と 言われてきた。

他人と家族のような気安さで助け合うモンゴルの暮らし。両手に荷物を持っていれば、扉 を開きそれを支えてくれる親切は当たり前。そして助け合い慣れた人たちは、困った時、他 人に気軽に声をかけるのに 怖じない。白タクを乗り回し運転手さんたちが道行く人をよく呼 び止め道や通訳を頼むのに驚いた。もちろん人手を借りず、自分のことは自分でできた方が いい。けれどそれが他人からの助けがないことが前提であったらそれはさびしい。そして、 それが行き過ぎれば自分のことしか視野になく、周りを見る余裕がなくなっていくのではな いか・・・草原の人たちは広くを見る目を持っていた。東京のように人が密集して暮らせば、 便利で魅力的なものが溢れる。けれど人から大切な何かを欠落させるかもしれない。わたしはそう思い、このことを心に留めながら暮らすようになった。 モンゴル文化において、親しい人に手を借りても丁重な礼は失礼だと思われる。他人行儀ね、親切をしないと思われていたの?という訳だ。モンゴル人との関わりでありがとうとい う言葉をあまり聞かないかもしれないが、それには悪気はない。モンゴルの人の暮らしはど こか日本の今より生きることが大変だった時代や、人口密度が少ない田舎に似ていると思う。 きっとその似通った人たちも、畏まった礼を水臭いじゃないと笑い飛ばしたことだろう。

人口密度◇シベリアンハスキーのように

シベリアンハスキーという犬種についてご存知だろうか?い かつい見た目に反して、人好きで、好奇心旺盛、他者との親和 性がとても高い、誰かといることをたいへんによろこぶご機嫌 が基調の可愛い犬だ。まあ街中では迷子になるともいうが、極 寒の氷土ツンドラという何もない土地を出自とするから、ごち ゃごちゃした目印みたいなものは目に入らないのかもしれない。 餌にしろ仲間にしろ生きものの気配を追うことだけが彼らの生 きる術だっただろうから。

そんな彼らが生きものの存在がほぼは見当たらない雪原に仲 間らしき姿を見つけたら、どうするだろう?きっと相手が良い 奴か悪い奴かを考える前に。おおよろこびで駆け寄ることので はないだろうか。生きものが少ない土地で仲間を見つけること はとても稀でこころ浮き立つことだから。

モンゴルの人たちのおおらかに人を受け入れる様子は、この ハスキー犬にどこか似ている。モンゴルは人口が少なく、また家畜とともに暮らすなら家族 単位にどこまでも続く平原に離れ離れに居を構える。そうでないと家畜同士が混ざり餌を取 り合ってしまうから、望んでも集まっては暮らせない。しかし彼らはとても人間好きで人と の時間を穏やかに楽しむ。

思うにそれはうまくいかない相手と分かれば、いくらでも離れられる空間があるからかも しれない。四方には誰のものでもない広大な土地、馬という移動距離を稼げる足、生活の糧 の家畜はいつでも丸ごと移動が可能なのだから心の赴くままだ。離れることも容易いからこ そ、まず近づくことは正解なのだ。

彼らの感覚は海と山の間で農耕を主としてきた日本人とはだいぶ違う。多くの日本人は移 動を常とはせず、水に恵まれた快適に住める平地を選び密集し、動かせない植物や人間関係 を生活の元に暮らしてきた。そして土地には所有と境があり、基本移動は荷を背に負った徒 歩。そんな関わりの固定した暮らしをすれば関わる前からお互いを合う合わない、得になる ならない、関係があるないと選び付き合うようにもなる。いのちも選ぶ。狭い場所に、豊富 な水と暮らしやすい温度で命が溢れるほど萌えるから、益虫害虫、作物雑草などと生きもの を選別するのも普通だ。

受け継ぐ土地や家業などの制約により人の流動性が少なかった長い歴史の育んだ関係性は、 信頼と一度関わったら逃げ場のない閉鎖的を伴う。暮らす土地に縛られる。その暮らしでは、 見知らぬ他者と関わることに用心深くならざる得ないし、敵対関係を極力回避する。関係の 継続は人の間に網目のように張り巡らされているので、信頼できるか?仲間か?とまず判断 する。自分の選んだ場で、すでに多くを手にしているので、他者という域外のものにリスク も感じとりやすい。

そう考えると、物理的に数が多ければ、選別が本能のように機能するのも致し方がない。 それが命や人あっても。

モンゴルの草原に立つと人びとの害虫、雑草という感覚のなさに驚く。旅ゆく人を無条件 に受け入れてきたゲルの暮らしを知れば尚更だ。その驚きは日本人であるわたしたちと彼ら の、他者に対する意識の持ち方の違いを示している。

人は必要としあい集まって暮らすがその度が過ぎれば生きもの同士のあたたかさが欠落す る面もある。世間さまに向けた自分のことは自分でという研ぎ澄まされた日本人の意識は、 均一性さや質の高さという面で日本を素晴らしい国にした。しかしわたしは、広々としたモ ンゴルの伸びやかな感性に触れ、彼らの生きもの同士であること、人間同士であることをそ のまま楽しむ感性に、心の枠が取り払われる気がした。

モンゴルの地に立てば、私たちは替えがいくらでもいる人間ではない。そして知らない人 なら知り合えばいいことに気づかされる。誰とでも歩み寄れば仲間。こころに大地の風が吹 くとはこういうことを言うのかもしれない。

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事務局から

(斎藤 生々)


新年おめでとうございます。 今年もよろしくお願い申し上げます。

2022年は、どうぞ穏やかな日々でありますよう願っています。

モピ新年会開催日、1月23日(日)12時からに変更しています。コロナが治まり開催で きることを念じて、みなさまとの再会を楽しみにしています。

モンゴル学習支援事業、12月末までに4校から申込が来ています。子どもたちにお話し する先生、ゲルを立てるもの、馬頭琴を担当するもの、デールを試着など、みなが手弁当で モピのために協力してくださっています。

各学校の先生方、子どもたちから感謝され、楽しんでいただけるという喜びの心をいっぱ い受けることが達成感になり、勇気になり、続けられているのだと思います。

モピのミニゲルの大活躍にも感謝しています。ありがたいことです。

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