■NO 134号 モピ通信

■NO 134号           2013年3月1日

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所

   MoPI総会のご案内

   東京・ウランバートル3000キロメートル(13)

   ノロヴバンザトの思い出 その36

   ツァガー・サル

  モピ新年懇親会・例会に参加して

   MoPI活動報告

   民博・国際シンポジュウム報告

   他団体(ホランの会)からのご案内

    編集後記

 

 

 MoPI総会のご案内

 

2013総会大

 東京・ウランバートル3000キロメートル(13)

 晩の暖かい寝床は千金の値打ち

                                                                                                                      (梅村 浄)

<一晩の暖かい寝床は千金の値打ち>

- 冬の寒い季節に、男が二人、南に向かって旅をしていた。
一人は1000ラン(1 ランは 37.2g) の金を持ってうきうきだったが、
もう一人はギャンブルで金をすって落ち込んでいた。
夜になり冷え込みがはげしくなった。
貧乏男が「山の麓の家に行って泊めてもらおう」と提案した。
金持ち男は「そんなことできるか。あいつらは俺の金をとっちまう」と答えた。
貧乏男「わしは何も持っとらん。凍え死ぬくらいなら、あっちへ行くぞ」
金持ち男「行け、行け。俺は山の麓の暖かい場所で寝る」
貧乏男は「一晩の暖かい寝床は千金に値するぞ」とつぶやいて、家の方に行った。
暖かい寝床で寝た男が、翌朝、相棒をさがしたところ、そ
いつは金を抱いて凍え死んでい た。貧乏男はそいつから1000ランの金を手に入れた。
以後、冬の夜には必ず
「一晩の暖かい寝床は千金の値打ち」
とつぶやいてから寝るようになったんだとさ。

 

大学で習ったいくつかの小咄の中で、最も短く覚えやすかったのがこれでした。年配のソ ブド先生は、自分の名前ソブド(真珠)にちなんで、いつも真珠のネックレスをつけていま した。冬でも優雅なスカートにセーター姿か、スーツを着て教室に現われます。朝の挨拶が すむと、黒板に文章をチョークで書き、学生はそれを書き写します。それから学生は順番に、 自分のノートに書いた文章を音読します。アメリカ人のカークはものすごいスピードで読み ます。パトリシアは、フランス語特有の鼻にかかった音を交えて読んでいました。ソブド先 生はあまり英語に堪能ではなかったので、モンゴル語で意味を説明してくれた筈ですが、教 室でどのようにして私がこの小咄の意味を理解したのか、今となっては曖昧模糊としていま す。

席が隣のパトリシアとは英語で話しました。ある日、小さな名刺をもらいました。そこに 記されていたインターネットのサイトを見て、彼女がフランス人の画家であることを知りました。

9月に始まった秋学期は 12 月末で終わります。クラス対抗コンペの前日、パトリシアのフ ラットに集まって準備をしました。出された単語を、モンゴル語で説明して当てる練習です。 クラスメートはぞろぞろと凍った道を渡って、スポーツ宮殿の裏にある建物に向かいました。10 階建てのビルディングの 9 階全部を占めているそのフラットはリビングとキッチン、ダ イニングに寝室が3室、バスルームが2つある広さでした。南側に開けたリビングの窓から はボグド山が真向かいに見えます。モンゴル人の彫刻家が白い大理石で彫った双子の赤ん坊 は、丸く円を描くように曲がっている一対のアルガリの角におさまって、藤椅子の上に鎮座 まします。ダイニングには、以前住んでいた上海から運んで来た木の長持や薬用箪笥が並んでいました。箪笥の引き出しには、漢字で漢方薬の名前を書いたラベルがついたままでした。 壁には古いモンゴル画の様式に倣って描かれた都市の絵がかかっています。これらの家具調 度に、水色、黄色、赤、みどりにぬり分けられたシステムキッチンセットと大きな冷蔵庫、 テーブルの真上には色とりどりの石がぶら下がるシャンデリアが加わって、東洋と西洋が混 じり合った摩訶不思議な空間を構成しているのでした。リビングに陣取った私たちは、モンゴル人の秘書に手伝ってもらって、モンゴル語で単語 を説明する練習をしたのですが、翌日のコンペでは敗退。ある先生の、モンゴル語が上手で ないクラスメートをこき下ろした物言いや、その他諸々が重なって、パトリシアは大学を辞 めてしまいました。

 

<モンゴルで絵を描く>

ツァガーンサルの休みに、パトリシアの家に招かれて昼食をご馳走になりました。商社勤 務で世界中を飛び回っている彼女の夫にも会うことができました。パトリシアは大学で生物 学を学んだ後、食品会社の新商品開発部門で働いていましたが、その後 20 年間にわたって、 夫とともにブリュッセル、カリフォルニア、上海、ウランバートルに住み、絵を描くことに 専念するようになりました。

春学期が始まりました。パトリシアの居ない教室は静かでした。分からない単語にぶつか るとすぐに質問し、面白いことがあると快活な笑い声を響かせていた彼女は、モンゴル語の 大海でまごまごしている私には、ポロリとヒントを英語でつぶやいてくれる頼りがいのある クラスメートでした。

「ダイニングの壁にあったモンゴル人画家の絵に興味がある」とメールを送ったところ、 「彼女は今ヨーロッパに行っているので会うことはできない。以前スタジオを共同で使って いた女性モンゴル人画家を紹介してあげよう」との返事をもらいました。

3 月になってすぐにそのスタジオを訪れました。帰り際にパトリシアの自宅に立ち寄り、彼 女の絵をみせてもらいました。インターネット上に置かれている絵の中では、赤や青を基調 に太陽や星のモチーフが描かれた西欧風の抽象画が目立っていました。上海滞在を経て、モ ンゴルに来てから描かれた樺の木肌を細密に描いた抽象画を掛け軸にしたシリーズは、大作 であり、東洋的な手法を取入れて世界を描こうとする彼女の野心を感じさせるものでした。

ゴビで描いた水墨画のような絵がありました。山の麓に 3 軒のゲルが建っています。手前 には川が流れているのか、低い段丘が見えます。山の方に登って行く道が延び、その先の空 は曇りなのでしょう。数本の線がひかれているだけ。空以外は薄い黄土色の水彩で色づけさ れています。18×25 センチの小さい絵は赤レンガ色の台紙にぴったり嵌って、素朴な木の額 縁に収まっていました。

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その絵を見たとき「一晩の暖かい寝床は千金 の値打ち」の小咄がふっと浮かんできました。 ぜひこれを日本に持ってかえろうと思いまし た。早速、梱包材で包んでダンボールの箱に入 れてくれました。

帰国時にはそのままスーツケースに入れて 持ち帰りました。机の前にかかっているこの絵 は、まったく目立ちません。彼女がエネルギー を注いで完成させた樺の掛け軸が持つ重厚さ は、みじんも感じさせません。しかし、東洋人 である私の感覚に馴染むような絵を描いたパ トリシアの脱力した境地は、アジア滞在中に精

進し磨かれたものに違いありません。 長年のモンゴル滞在を切り上げて、昨年パリに帰国したとの年賀メールをもらいました。

自分は帰っても、相手はいつまでもモンゴルに居ると思い込んでいたのは大きな間違いでし た。フラットを売却する手続きのため、一時的に戻って来る彼女との再会を期して、この夏、 ウランバートルに行きます。(2013.2.25)

 

 ツァガーン・サル

(斎藤 美代子)

モンゴルのお正月、ツァガーン・サルが終わりました。大晦日、正月 3 日間は家族が集 まり、また、親戚の年配者を訪問して挨拶をするというのが習慣です。地方では 1 週間くらい親戚回りが続きます。 年配者のいる家庭では訪ねてくる人々に必ず食事をふるまいます。ヒツジ肉で作ったボーズ、バンシ、ポテトサラダが主なメニューになります。大勢のお客さんが来るため、前もって準備をします。

数日がかりで行われるこの準備はツァガーン・サル前の恒例行事になって います。義父のところは少なめだといいますが、ボーズ 800 個、バンシ 2000 個を作りました。

来客が多い家庭ではボーズ 2000 個、バンシ 5000 個を作るといいます。

それ以外にもツァガーン・サルの食卓に なくてはならないものは、

オーツ、ヘヴィ ン・ボーヴです。

オーツとはヒツジの腰部分を茹でたもの。

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ヘヴィン・ボーヴは揚げた堅パンのような もので、必ず奇数段重ねます。

上にのってい るのはアーロールとウルム(乳製品)

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さすがのモンゴル人もツァガーン・サル明けは肉を少なめに 食べるくらい、この数日間、肉を食べ続けます。お客さんが 来たときにもしも足りなかったらいけないと、ボーズ、バン シは多めに作るため、3 が日が明けると、残った分を家族で分 け合います。我が家の冷凍庫は、今、ボーズ、バンシで満杯 です。普通の家庭よりも肉を食べないので、いったいいつ食 べ終わるのか…。

 

 ノロヴバンザトの思い出 その36

                                                                                                                                       (梶浦 靖子)

さあ食べなさい!

本来であればこの’91 年春からモンゴル師範大学で音楽関連の授業や指導が受けられるという話だったが、私の在籍していたモンゴル国立大学からは何の連絡も来ない。こちらから も問い合わせすべきところだが、寮の部屋割りで揉めたため、学部長室からはすっかり足が 遠のいていた。正直、もう関わりたくないという気持ちになっていた。こちらも言葉が過ぎ た点があったし、留学した目的を考えればそんなことを言っている場合ではないとわかって はいたが、以前からの経緯を考えても、大学側が何かしてくれるとは思えなくなっていた。 さらに、大学同士の事情によっては、授業を受ける大学を移るのはむずかしい場合があると いう話もあり、また大ごとになるのではと気が重く、どうしても問い合わせることができな かった。留学生活にそろそろ疲れが出てきていたのかもしれない。 モンゴル随一の歌手ノロヴバンザドにお世話になっているのだから、彼女から話を間く ほうがためになるのではとも考えたが、そうもいかなかった。 モンゴルでは客人にお茶というより食事をふるまう。しかも、お腹いっぱい食べさせら れるのが裕福な証拠ということなのか、お客にともかく大量に食べさせようとする。ノロ ヴバンザドは特にそうだった。劇場でのレッスンが終わる時間は、お昼過ぎか夕方のこと が多かったが、その折、私はひんぱんにノロヴ邸に呼ばれ食事をごちそうになった。 こちらとしては、食べるよりもモンゴル音楽や民謡について彼女から話を聞きたかった のだが、そうはいかなかったのだ。私をテーブルにつかせるや否や、ノロヴバンザドはサ ラダや肉うどん、ポーズ(小籠包に似ている)やバンシ(水餃子のようなもの)などの料 理を次々と運んできてこう言うのだった。 「さあ食べなさい。もっと食べなさい。熱いうちに早く食べなさい。こちらの料理も食 べなさい。おかわりして食べなさい。食べないでどうしたの?] ヒツジ肉の脂は少し冷めるとすぐ固まり、消化が悪くなるので早く食べるようにせかさ れる。残すと失礼になるので無理やりかき込むように食べるとしゃべることもできない。

やっとの思いで平らげると、 「もう遅いからおうちへお帰りなさい」 と言われ、ほとんど会話もできないまま帰るしかなくなるのだ。 珍しく料理が少なめでいくつか質問ができたことがあった。しかしノロヴバンザドはふたことみこと返したと思うと、あくびをしてソファーに横になり、そのまま寝息を立て始めた のである。しばらく待っても起き上がる気配はない。取り残された私はなすすべもなく、

「それでは先生、私はもう帰りましょうか?」 と言うほかなかった。するとノロヅバンザドは飛び起きて伸びをしながら、

「そうか?ああよく寝た」 と言って私を送り出すのだった。

彼女のように舞台で活躍する専業の歌い手は、もっぱら、歌をいかに美しく歌うかを考 えている。オルティン・ドーとして理想的な発声で、曲の旋律をいかに美しく描き歌うか、 装飾的発声をいかに効果的に美しく入れるかを考えて生きているといってもよい。どの曲 がいつごろどの地域で生まれたかといった問題は、美しく歌う上ではほとんど役に立たな い。役に立たないことを知っているわけがない。彼女はそう言っているかのようだった。

そしてまた私の質問が、語学力不足のせいもあり、「この曲はどこの地方発祥か?」「 あなたはこの曲をいつどこで習い覚えたのか?」といった面白味のない「尋問」のように なりがちで、退屈させてしまったかもしれない。

その後わかったことだが、モンゴルでは彼女のようなプロの民謡歌手は、自分の生まれ た地方に伝わる歌に限定されず、かなり自由に自分の気に入った曲をレパートリーにする ようだ。テレビやラジオ、レコードなどで聞き覚えたり、他の地域出身の先輩歌手から習っ た曲を舞台で歌うことも多い。モンゴル民謡は、地域や民族集団(氏族など)と結びついた 側面と、特に社会主義時代に発展した舞台芸術の側面とがあるように見受けられた。

それにしても困った。モンゴル音楽についての知識、情報をどうやって手に入れようか と思い悩みながら、数少ない音楽書を辞書を片手に読んだ。しかし私のような外国人に必 要な、モンゴル音楽の全体像がつかめるような、音楽事典のような書物はなかった。それ でもどうにかそれらを読み進めていくうち、季節は早くも夏になろうとしていた。

(つづく)

 新年懇親会・例会に参加して

(酒井 達恵)

今回は、年度始めの4月8日の総会以来の出席でした。参加者は、小長谷先生はじめ、モピ 事務局の生々さんとそれを支えるスタツフの皆さん、私のような一般会員、そしてこの日は 兵庫県氷上町国際交流協会の役員の方々、京都精華町交流協会の方、インドとの民間交流に取組んでおられる方、また、モンゴルの孤児たち を支援し、自立の為の児童保護施設『太陽の子ど もたち』を通して活動している方々と多士済々で した。それぞれの活動報告もあり、いつも辛口のコメ ントを発せられるI氏が「今までで一番充実した 例会だった」と総括されていました。

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その後、モピ連絡室のある長岡京市、第4小学校 で行われた出前授業のDVDが流される中で会食が 始まりました。

(出前授業の光景がDVDに納められ ることは今までなかったそうです。)

子どもたちがミニゲルを組み立てる体験授業、デールの試着など喜々として楽しんでいる光 景を鑑賞しました。MoPIのモンゴル文化の紹介は、大阪市教育大学の学園祭にも参加協 力するとのことでした。

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また、大阪市立自然博物館で開催されるモンゴルウ ィーク(3/2・3/3・3/9・3/10)にモピが人的サポート を受持つというので私もスタツフとして参加するこ とにしました。小、中学生は無料ですし、モンゴルの ミルクティーの試飲も出来ますのでお立ち寄りくだ さればと思います。

今回の例会では、公私を問わず、他のボランティア 団体や機関との輪を広めていくのもMoPIの更な る発展につながるものと痛感しました。

 

 MoPI活動報告

モピ連絡室がある京都府長岡京市でモンゴ ルのことを知ってもらおうと、長岡京市役所 の協力を得、モピ出前授業を紹介する事にな りました。

結果は、大好評で大変喜んでいただけたようです。

京都新聞地方版、長岡京市の広報にも紹介されました。

☟(京都新聞記事 )

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“気分はモンゴルの遊牧民”

地域の人たちと作る放課後のすくすく教室 で長四小の児童約80人が、モンゴルについて の体験学習をしました。

NPO法人モンゴルパートナーシップ研究所 の協力で、遊牧民の家屋である小型ゲルの 組み立てや、民族衣装の試着など、体験を 交えた学習会に子どもたちは大興奮。

「家の組み立てが簡単なので、引越しが楽 だと思う」と、モンゴルの遊牧民の生活に 思いを巡らせていました。(広報の記事)

(事務局)

 民博・国際シンポジュウム報告

昨日はみなさまにご出席いた だき、ありがとうございました。 おかげをもちまして盛会のうち にとどこおりなく終えることが できました。いろいろと運営上の 問題はあったかと存じますが、ご 容赦ください。

小長谷より

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小長谷 先生 シンポジウムに参加させていただき、非常に勉強になり有難うございました。モンゴルが

鉱物資源のお陰で2011年度のGDPの伸びが世界No.1、 しかしモンゴル国民にとって、解決すべき問題が多くあることを浮き彫りにしたシンポジ

ウムであったと思います。今回のシンポジウム内容をできるだけ多くのモンゴルの人びと(特 に政治家)に認識して貰いたいと考えます。

限りある資源を有効に使う政策を一刻も早く実行し、次世代のモンゴル国民に取ってより よい国造りをして欲しいものです。

(村上 雅彦)

齋藤生々さん 写真を送っていただき、ありがとうございました。

セミナーでは鉱山開発の歴史を、生き証人の口からおききすることができました。 まだ、一端に触れただけでしたが。関西地区の皆さんは、生々さんと小長谷さんを中心に仲 良く活動されていますね。私はモピ繋がりで瀬戸岡さんと外語大でご一緒させて頂き、助か っています。瀬戸岡さんは文学に造詣が深い方です。

昨晩は阪急エキスポパークに泊まり、朝、雪が散らつく中を、新幹線で戻りました。

(梅村 浄)

 

斎藤生々様 昨日はMoPIのお元気な皆様にお目にかかれて嬉しかったです。途中で帰りましたが、

ご挨拶もできず失礼しました。お弁当のこと、おつまみのことなど裏方の事を聞いて、モピ 事務局は小長谷先生の陰の応援団だと再確認しました。

なかなかお手伝いもできず申し訳ありませんが、何か私にもできることをまたやらせて下 さい。

帰りに梅花ほのかに香る梅林を抜けて帰りました。みごろはまだしばらく後ですね。

(田中眞佐子)

  他団体(ホランの会)から..ご案内

ホームスティしてモンゴルを知ろう・参加者募集

 

(佐々木めぐみ)

首都ウランバートルから北西 250キロの鉱山町エルデネットでホームステイして

モンゴルの生活を体験しながら、モンゴルの子どもたちの交流を楽しむ8日間の旅です。

新しい発見を楽しみに!

2013年4月29日(月)~5月6日(月) 8日間

ホランの会(モンゴルの子どもたちとの草の根交流の会)

参加申し込み ホランの会事務局に直接お電話でお申し込みください

参加申し込み書をお送りいたします。

03-3723・3794 ホランの会事務局 佐々木 申し込み締め切り 2013 年 3 月 10 目

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 編集後記

モピ通信に毎月提供していただいている写真は、篆刻の会で一緒に楽しんでいる仲間です。 もちろんモピ会員です。紙面が足りない時に甘えることの出来る何人かの一人です。沢山の人たちの気持ちが集まりモピは動いています。モンゴル化石展での当番、モピ人海 戦術に読売新聞社の担当者を驚かせているようです。感謝、感激です。

(事務局 斎藤生)

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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

連絡室
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
tel&fax 075-201-6430

e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp

本部
〒565-8511 大阪府吹田市千里万博公園10-1

国立民族学博物館小長谷研究室内

tel:06-6876-2151(代表)

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