■NO 140号 モピ通信

■NO 140号           2013年8月1日

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所

 

 

 

 モンゴル原子力関係ニュース

 東京・ウランバートル3000キロメートル (18)

 ノロヴバンザトの思い出 その41

 会員さんからの便り

 モピ事務局からお知らせとお願い

 編集後記

 

 

 モンゴル原子力関係ニュース

( 前川 愛 )

みなさま、こんにちは。核廃棄物処理施設建設に反対する意見広告の際には、ご理解とご 協力をどうもありがとうございました。日本ではエネルギーに関する年次報告(2013年版エ ネルギー白書)の中で、将来の原発ゼロを目指すという項目が削除されたというニュースが 2013年6月にありました。安倍政権は原発の外国への売り込みを積極的に行っており、原発の 建設の受注も実現しています。また、原発製造企業も日本での新設は難しいため、外国で売 ることに主力を置いています。このような変化で、世界で原発を推進する力が強まっており、 モンゴルの状況を確認する必要もあるように思います。そのため、簡単ではありますが、現在の問題を3点にまとめ、続報として報告させていただきます。

1 つ目は核廃棄物の処分場建設についてです。これは表面上の進行はありませんが、問題は 残っています。モンゴル政府はこの問題が表ざたになった時、「外国の」核廃棄物の受け入れ はしないと明言しました。このため、モンゴルから輸出された(つまり国産とも言える)ウ ランによる廃棄物の受け入れについては可能性が残りました。もともとモンゴルがウランを 輸出し、外国の原発で使われた後、廃棄物をモンゴルへ戻すというプログラム(包括的燃料 サービス(CFS)」構想)の枠組みで廃棄物処分場が計画されていたので、現在進捗はあり ませんが、結局、問題は完全に残ったまま、とも言えます。しかし、この構想の持つ難しさもあります。その 1 つは、モンゴルへ核廃棄物を運搬しよ うとすると、必ず中国かロシアを通過することです。そうすると外交上、これらの国から了 承を得なければなりません。個人的な考えですが、たとえば日本の核廃棄物が中国かロシア を通過すると仮定してみると、現在の対中・対ロ関係の状況、および日本政府の外交能力で は実現は難しいのではないでしょうか。そのため、モンゴル政府も建設を否定していること もあり、この廃棄物処分場の計画がすぐにでも実現する、とは考えにくいと思います。とは いえ、これからも長期的な注視が必要となる問題です。

2 つ目は原子力発電所の新設問題です。モンゴル政府は予算を原子力開発に付けており、核 廃棄物処分場の問題が棚上げされていても、原子力発電所の建設計画がキャンセルされたわ けではありません。日本原子力産業協会による 2013 年 6 月 20 日付の報告書において「モン ゴルは中央部やゴビ地域で 2020 年代に 480 万 kW 程度の原子力発電所を建設したいとの希望をもつ。西部地域での電力・熱併給中小型炉建設にも関心を示している。」と明記されるな ど、基本的に建設する方針を持っていることが確認できます。日本との技術的な協力も進んでいます。モンゴル原子力庁は原子力発電関係の人材を育て ようとしていますが、それに東京工業大学などが継続的に協力しています。2006 年の小泉元 首相のモンゴル訪問時、モンゴル側が原子力発電分野の人材育成の協力要請をした、とされ ており、現在もその方向性は変わっていないと考えられます。

3 つ目は、モンゴル国におけるウラン採掘と輸出の問題です。モンゴルのウラン鉱石の推定 埋蔵資源は 147 万トンで、世界第 1 位の可能性が高いとされてきました。最近、内モンゴル 自治区でも大規模ウラン鉱脈が発見されたというニュースがあり、モンゴル高原が世界の中 でもウラン資源のとくに豊富な地域であることが、探堀が進むにつれ確認されつつあります。 現在、探堀権だけでなく採掘権も発行され始め、これから本格的に採掘が始まることが予想 されます。探堀、採掘に関しては、日本原子力産業協会の報告書によると「今日では露・加・仏・カ ザフスタン・米・独・日・印・中・韓が協力を競い合っている」状況です。具体的にはドル ノゴビ県では、フランスのアレヴァ社の子会社、モンゴル・アレヴァが 5 万 5 千トンの推定 埋蔵量を確認したという報道が 2013 年 4 月に出ました。アレヴァ社とは福島の事故後に日本 で有名になりましたが、世界最大の原子力企業です。アレヴァ社はモンゴルで 30 余りの場所 でウランの探堀権を持っており、ウラン埋蔵調査を着々と進めています。また、日本の企業 も関係しています。たとえば三菱商事はモンゴル・アレヴァ社に投資しており、ウラン探査 に参画しています。アレヴァ社の探堀現場から近いところでは、家畜の奇形と異常死が増えているという報道 もモンゴルで出ています。数年前には金採掘と関係した水銀汚染がモンゴル社会で大きな問 題となっていましたが、ウラン採掘による環境の汚染も市民の不安になってきているようで す。

以上がごく簡単にまとめたモンゴルの原子力に関係するニュースです。トルコでは最近原 発の新設が決定され、日本が原発の輸出をすることになりました。ここでも三菱重工とアレ ヴァの合弁会社が契約しています。現在の状況を見ると、モンゴルでもあっという間にこの ようなことが起こる可能性も考えられます。楽しい話題ではありませんが、関心を放棄することなく、今後も折に触れ MoPI 通信で報告 させていただきます。

◎ヤマモト様 意見広告基金として 10 口受取りました。ありがとうございました。

(事務局)

 東京・ウランバートル3000キロメートル(18)

– ノルスレンの仔牛̶  –

( 梅村 浄 )

<オユン自然環境・グリーン開発大臣との面談>

2013 年 5 月にウランバートルを訪問した時に、HORIBA の空間線量計ラディ PA-1000 を持って行きました。小児科医であるつれあいが、福島の子ども健康相談会に行く度に持ち歩いて、 新幹線内や福島市内で訪れた箇所を測っているので「モンゴルでも測ってみたら」と勧めら れたからです。

エーデルワイスホテルはウランバートルの中心部にあります。泊った部屋は 3 階でした。 何気にスィッチを押してしばらく待った後、0.12μSv/時という値がウィンドウに表示され たのを見て、驚きました。東京の我が家では木造 2 階の居室で、現在は 0.05μSv/時以下だ ったからです。

以後、市内のレストラン、病院、車内、郊外のテレルジでも測ってみました。一番高かったのはゴビファクトリー前で 0.24μSv/時でした。直近 に火力発電所があり、排煙もうもうたる場所です。

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エーデルワイスホテル 302 号室にてHORIBAの空間線量計ラディ PA-1000

2013.4.29 梅村浄撮影

5 月 2 日にオユン自然環境・グリーン開発大臣に会う機会がありました。お子さんがダウン 症でモンゴルダウン症協会初代会長でもあった彼女に、NPO ニンジンの専門家派遣事業の主旨 を説明するために、訪問したのです。

オユンさんに会ったのは 2 回目でした。2010 年にモンゴル留学をした際に、彼女の政治拠 点であるゾリク・サンを訪問し、当時翻訳に取り組んでいたダウン症の言語治療の本を紹介 しました。ショートカットの髪に西洋的顔立ちをもった女性で、イギリスのケンブリッジ大 学で地質学博士号を取り、学んでいましたが、1990 年代の「民主化」の時期に兄ゾリクが暗 殺されたため、帰国して政治家になったというキャリアを知りました。

大臣室の大きな長テーブルに坐って、話が一段落した時、ウランバートルの放射線量の報 告をしました。障害のある子どもたちの療育についてニンジンの努力を感謝するという空気 に、一瞬に壁が下りてピンと張りつめ、彼女が行政官として受けて立つ姿勢になったことを 感じました。

「ドクターの貴重なデータの報告に感謝します。ウランバートルでは長期にわたって、周 辺のゲル地区に住む住民が、冬場は石炭ストーブを焚いて暖をとっています。石炭を燃やす と、中に含まれているウランが気化されて大気中にでて、放射線量が上がります。改良スト ーブの普及を図っているところですが、すぐには難しい」「汚染された空気が先天性の病気が増えている原因となっている可能性もあるので、医科 大学のチームが汚染された空気を部屋に取り込まないフィルターをつけた家と、つけていな い家の妊婦・新生児の血液を採取して検査をするプロジェクトを立ち上げています」 との返事でした。

私の今回のモンゴル訪問は、ウランバートルの高い空間線量という大きな疑問を抱えた帰 国となりました。

<ノルスレンの仔牛>

6 月初めに清泉女学院大学教授の芝山豊さんからメールをもらいました。芝山さんはモンゴル核問題研究会のメンバーで、7 月 6 日に大阪で開催される会への参加を呼びかける内容でし た。ウランバートルの線量について問い合わせた縁もあって、新幹線に乗って出かけました。 会場がある梅田の駅前で「うーん、ここがおおさかぁ~?」こぎれいな街並に驚きました。

モンゴルの南部にはゴビ砂漠が広がっています。その東に位置するドルノゴビ県オラン・ バドラフ郡に住む牧民ノルスレンの仔牛が 2012 年の 11 月末から 2013 年の 1 月にかけて、遊 牧地で 22 頭、死亡しました。

この地域にはドラーン・オール鉱山があり、15 年前からフランスのアレバ社とモンゴルの ゴビ・ゲオ社の合弁会社コジェ・ゴビ社がウランの探査をしています。ノルスレンの仔牛た ちはウラン残土廃棄場の有刺鉄線などの囲いが不十分に放置されていた所から入り、廃棄物 の泥の中をぐちゃぐちゃ踏んで歩き、廃棄物処分場の中を出たり入ったりして、自由に草を 食べていたということです。
12 月末には核エネルギー庁と「自然環境を守る市民監査委員会」が現地調査に入りました。 家畜衛生研究所は、牧地の水、植物、ウラン探査後の廃棄物を調べました。また、仔牛を解剖して精密検査を行いました。放射性物質実験所、地質学研究センターが、放射性物質や 重金属が含まれていないかどうかを検査しました。

牧民たちが牛を屠殺して解体したところ、肺や胃、肝臓に腫れ物ができたり、黒い斑点が できており、彼等は証拠として写真におさめました。

家畜衛生研究所は3月 18 日に「仔牛の死亡は重金属と放射性物質が原因である」という結 論を発表しました。しかし、核エネルギー庁は 5 月 1 日に「放射性物質は仔牛が死んだ原因ではない」「セレン や銅、アンチモンが原因の疑いがある」と発表しました。これに納得しないノルスレンと牧 民に対して、国際的な研究協力を得て、今後も調査を続けるが、コジェ・ゴビ社の作業停止 命令は出さず、牧民への補償も行わないという幕引きを行ったのです。

<ウランバートルの反核団体の調査と牧民の運動>

これに納得できない5つの反核団体が 5 月 7 日から 1 週間、

ドルノゴビ一帯の調査に入ったところ、700 頭の家畜が不自然な死に方をしたこと、眼の見えない仔らくだ、2 つ頭の仔羊、 前足のない仔山羊などが生まれたことが分かりました。これらの写真は以下のサイトに掲載 されています。

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.522219607837572.1073741825.1394212194507

牧民たちは家畜を食料とし、その土地の水を飲みます。「ウランは有害じゃない」と言われ て、コジェ・ゴビ社で働いていた若者たちは最近になって「やせた」「毛が抜けた」「皮膚が かゆく夜眠れない」「目が赤い」と訴えています。内部被ばくと外部被ばくの影響が動物にも、 人間にも及んでいることが推測されますが、住民の健康診断は行われていません。政府はウランの試掘による影響を認めず、コジェ・ゴビ社は営業停止にも追い込まれてい ない中、牧民たちは交代で2箇所の採掘現場の見張りを続けています。

<モンゴルの大地は清浄?>

モンゴル核問題研究会には、会場であるサクラファミリア教会の修道女やモンゴル研究者、反核団体のメンバーが参加していました。ウランバートルの高線量について質問したところ、 坂巻幸雄さんから、石炭原因説を支持する発言がでました。
モンゴルの地質学研究所で指 導し、日本の環境学会や日本科学者会議の要職をつとめてきた研究者です。また、長年に わたってモンゴル研究を続けて来た今岡良子さんには「社会主義時代にソビエトがモンゴル 全土を飛行機で探索した結果、高線量地域は 1500 箇所、発掘可能なウラン鉱脈は 100 箇所あ り、ウランバートルは元々高線量地域の可能性もある」ことを教えてもらいました。

1 人当り GDP は 5400 米ドルで世界 151 位ですが、近年、経済成長率が世界第 4 位になった モンゴルは、実は宝の山だったんですね。どこまでも続く大地は草や虫や家畜を育む場所で あると同時に、地下に眠る金、銅、石炭、ウランを抱いています。

核開発のスタートとなった 2008 年に、モンゴルは『ミレニアム開発目標』として「原子エ ネルギーの平和利用開発は、モンゴルの持続発展に重要なファクターである」と定めていま す。核開発の拠点として、モンゴル・アメリカ科学研究センターを設立し、オユン外務大臣 (当時)がその代表となりました。地質学博士号をとった彼女がその地位についたことは、 至極当然の流れのように見えます。

日米モンゴル間で、日米はモンゴルに核プラントを輸出し、モンゴルから買ったウランを 使用した後にでる核廃棄物の処分場をモンゴルに作るという計画が進行していました。3.11 の東京電力福島第一原発の爆発事故を受けて、2011 年 9 月に大統領がモンゴルに核廃棄物を 一時保管、保管、採掘することを禁止する命令を出しました。

しかし、2013 年度の予算を組む段階で、放射性物質と核エネルギー利用の予算が計上され ていました。これに気づいた反核団体がロビー活動を行い、3人の議員が議会で反対した結果、この予算は削除されました。
2008 年に国会で決定した『ミレニアム開発目標』は生き続けていて、モンゴルは自国に埋蔵されている大量のウランを輸出する目標を手放していません。この政策の延長線上にノル スレンの仔牛が横たわっています。

先日のオユンさんとの面談の終わりに、日本からモンゴルに、ダウン症の子どもをサポー トできる理学療法士の派遣と、運動療法を学べる日本での研修先を探すように頼まれました。 モンゴルヘ行ってみましょうという理学療法士志願者と、日本での研修引受先病院が見つか ったので、つい最近、ダウン症協会とオユンさん宛にメールを出し、その返事を待っている ところです。 (2013.7.21)

 

 ノロヴバンザトの思い出 その41

(梶浦 靖子)

「内唱」のせい?

初対面の頃に「梶浦です」と自己紹介したため、ノロヴバンザドからは名字で呼ばれていた。しかしモンゴルの発音の癖なのか、彼女が言うと「カージュラ」あるいは「カッジューラ」となるのだった。レッスンの際、私の歌う順番が来ると彼女やモリン・ホールのI.ツォグバドラハ氏はにやにや笑いながら、

「さあカージュラ、歌ってみるかね?」

と呼びかけるようになっていた。私がいつまでたっても十分な声量で歌えないものだか ら笑うしかなくなった感じだ。そして私も苦笑を浮かべながら、「ザー(はい)」とか「 ヤーナ(どうしましょう?)」などと返事して歌い出すのだった。

声がうまくでなかったのは力不足もあるが、「内唱(ないしょう)」という現象のせい もあった気がする。内唱とは、耳で聴いた音楽や歌に反応して、無意識のうちに声帯がか すかな運動をすることを指す。その結果、黙って他の人の歌を聴いているだけで声帯が疲 労してしまうので、歌声にも影響が出る。レッスンで私の歌う順番は一番最後のことが多 かった。5~6人の生徒が歌った後ではどうも声が出にくくなっているのだ。もちろん、 内唱の影響はあったとしても、それに左右されないだけの力を持っているべきなのであるが。

一度だけ、一番最初に歌わされた日がある。その時は、それまでとは打って変わってちゃんとした声が出た。声量もあり、安定した声質でずいぶん楽な感じで歌えた。はたで聴いていた他の生徒が、

「うわあ、なんて良くなったんだ!」

とつぶやいたほどだった。しかしそれきりである。その後、私の歌う順番はいつも最後になった。個人的に参加させてもらっていることもあり、歌う順番を変えてくれとは言いにくく、私は留学期間中ずっと力のない声を披露し続けたのだった。

「あなたは違います」

生徒の顔ぶれが変わってもノロヴバンザドの教え方は変わらない。むしろ厳しさを増したかもしれない。ノロヴバンザドが歌に完璧を求めるからだが、彼女には、昨年度にくらべて生徒達がどうもオルティン・ドーに対する熱意や集中力に欠けているように見えたようだ。課題とされた歌をなかなか覚えない生徒も目立つようになった。

この頃のモンゴルでは市場経済の導入が加速しており、街なかには西側諸国の品物が増え、あちこちの店舗や路上のキオスクのような店にまで堂々と並べられるようになった。

欧米やアジアのポップスやロックのカセットテープやCDも格段に増えた。オルティン・ドーなど伝統音楽を学んでいても、十代、二十代の若い世代はそうした流行物には興味津々で、つい本来の学業がおろそかになるのも無理からぬ話だ。

レッスンでノロヴバンザドは、歌の実技についての話よりも、そうした生徒をいさめる話を多くするようになった。

「あなたたちはオルティン・ドーを歌うに十分な素材を持っている(声量が十分あり、オルティン・ドーの発声ができている)と認めたから私は入学させたし、私のクラスで引き 受けることにしたんです。いくら素材を持っていても、自ら歌おうとしないのではまった く意味がありません。」

宝の持ち腐れとはこのことです、とノロヴバンザドは歯がゆい気持ちを生徒たちにぶつけ、「私か受け持つたということは、オルティン・ドー学習者の中でもとりわけ素材が優れていて、歌い手として有望だということです。なのに今、熱心に学ぶことをせず過ごしてしまったら、こんなにもったいないことはないんですよ!」と、かき口説くように訴えていた。すると急に私のほうを向き、「あなたは違いますからね!」と、真っ直ぐに言い放った。「あなたはモンゴルのオルティン・ドーを調査、研究したいというから授業に参加させているんです。歌の能力で選んだわけではありません。そこを間違わないように!」決然とした様子でそう言った。もちろん私はその通りのいきさつで参加することになったわけで、選ばれたなどと思ったことはない。ではあるが、彼女の剣幕には驚いたし、少々傷つかなかったと言えば嘘になる。その時は私も、ええもちろん、それは良くわかっていますよと返事するのがやっとだった。

そこまで強く言わなくてもという気もしたが、それくらいしなければ生徒達にしめしがっかなかったのだろうと今にして思う。モンゴルの人々は冗談交じりに、「モンゴル人は才能がないわけじゃない。ただザルホー(怠惰)なだけなんだ」と言うことがある。能力はあるのだが、地道に努力を続けることが苦手で楽をしたがるところがあると自嘲気味に言うのだ。彼ら学生も、共に学ぶ席に不十分な声の者がいると、こんな人がいるのだから自分はずっとましだろう、と楽なほうに考えがちなのかもしれない。この外国人は調査研究のために参加しているだけ、とわかっていても、ついそのように気が緩むということはありうる。それを正すにはあれくらい強く言わなければならなかったのと思う。あの時のノロヴバンザドの振る舞いには、オルティン・ドーというもののレベルをわずかでも下げることを決して許さない、芸術家としての厳しさが現れていた。

(つづく)

 会員さんからの便り

(川崎 澄子)

関東地方は梅雨明けとなりましたが、連日、猛暑が続いています。モピ通信特別号ありが とうございます。

小長谷先生のモンゴル新聞掲載の記事、小林さまの翻訳のお陰で、小長谷先生の研究者と しての足跡を興味深く知ることができました。やはり、紫綬褒章、モンゴルからの受賞と先 生の一般人にはできない幅ひろい活動によるものでしょう。心よりお祝い申しあげます。

6/30「トゥバ人たちの住むところ」講演会に行ってきました。一つの民族でありながら、 ロシア、中国・モンゴルと 3 カ国でくらす少数民族トゥバ人、はじめて知りました。 ロシア、中国、モンゴル、小長谷先生、4 カ国の研究者による合同探検、一般の旅とは違いかなり過酷な状況下での旅、彼らの生活の実態を映像、先生の解説。それぞれの国で生きる ためにくらしている、国の政策に翻弄され、変わらざるをえないトゥバ人の生活、民族とし ての誇りがどこまで守れるのでしょうか。3カ国をつなぐ彼らの未来が、少しでも明るくな ればと願うばかりです。

「梅棹忠夫のモンゴルスケッチ原画集」 梅棹忠夫の繊細で細やかな描写の原画にあわせた写真と解説は、彼のモンゴル調査が、とて も貴重な文献として完成され、興味深く読んでいます。

小長谷先生の探究心と行動力は「ウメサオタダオ展」でもそうでしたが、スケッチ原画集の 出版は梅棹忠夫と先生ほか、スタッフの皆さまは共に未来への灯りをともしてくださってい ます。先生の今後のご活躍をお祈りいたします。

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 事務局からお知らせとお願い

既報通り、JICA 国際協力「次の第一歩」事業にモピとして申請しております。JICA 最終 決定は 7 月末に出される予定とのことでが、競合プロジェクトも多数応募されているとのこ とで、予断を許さない状況です。

事務局としても積極的に JICA に働きかけております。成功した暁にはセレンゲ県ズームブ レン学校のオンドルマー校長を招へい致します。奈良学園の西川先生の協力を得て、奈良学 園小学校などでのワークショップなど予定しています。

オンドルマー先生は、モピが行ったモンゴルとの交流事業で、過去 3 年間協力を惜しまず 私たちを受けてくださいました。黒板を届ける旅にもお世話になりました。

郵貯ボランティァ基金を受けての事業に参加協力したいただいた先生方、黒板を届ける旅 に参加して下さった方、木林歯科医院の方、沢山の方がズーンブレンソムに行っています。

今後の予定は、モピ通信 10 月号でお知らせ致します。その節には、是非オンドルマー先生に 逢いに来て下さい。お願いいたします。

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 編集後記

暑中お見舞い申し上げます。厳しい暑さが続いています。亜熱帯地域になってしまったよう な日本国土、暑さも災害だと新聞に載っていました。

しのぎやすくなるまで我慢ですね。無事でありますよう願っています。

モピ通信、9月1日号は、休みます。8月中の事務所所在はモンゴルです。

連絡は、メールでお願いいたします。

(事務局 斉藤生々)

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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

連絡室
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
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tel:06-6876-2151(代表)

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