■NO 141号 モピ通信

■NO 141号           2013年10月1日

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所

 

 

 モンゴル秋祭り《ナマリーンバヤル》ご案内

 オンドルマー校長先生を招聘します

 東京・ウランバートル3000キロメートル (19)

 ノロヴバンザトの思い出 その42

 長岡京ガラシャ祭りに参加します

 編集後記

 

 モンゴル秋祭り 《ナマリーンバヤル》ご案内

開催日 2013年10 月26日(土) 10時~17時

(雨天の場合、民博の地下に会場を移動します。)

無料・事前申込不要

※自然文化園(有料区域)を通行される場合は、同園の入園料が別途必要です。

在大阪モンゴル国総領事の主催により、国立民族博物館でモンゴル秋祭りが開催されます。 みんなで〈モンゴルの一日〉を楽しみましょう。 関西在住のモンゴル人、モンゴルと長年の 交流を続けてきた日本人と関係諸団体の協力のもと、モンゴルの文化と習慣、モンゴルと日本の交流活動などを紹介し、両国の文化交流をいっそう深めたいと思います。

モピはミニゲルや、試着用の民族衣装を提供します。

主 催  在大阪モンゴル国総領事館
共 催  国立民族学博物館
協 力  MIAT モンゴル航空、千里文化財団

プログラム
10:30~ 開場

11:00~ 開会式

司 会:小長谷有紀 (国立民族学博物館教授)

挨 拶:須藤 健一 (国立民族学博物館長)

Ch.クランダ(在大阪モンゴル国総領事)

来賓

11:30~ KIWI コンサート

12:30~ 休憩

14:00~ KIWI コンサート

15:00 閉幕

KIWI(キウィ)

モンゴルで大人気のセクシー系アイドル。モンゴル人のアーギー、

金髪のリーダー ウカ、 アフリカ系のナムーナ- 、それぞれの個性が魅力の三人組。

2004 年結成。ロシア、韓国、東京でも公演をおこなうなど、海外でも活躍中。

 

関連催し(屋外プログラム)

当日、万博記念公園「自然文化園」でもモンゴル料理の販売や民族衣装の試着など、モン モンゴル文化に親しんでいただく関連屋外プログラムをおこないます。ゲルをめざしてお 集まりください。こちらもあわせてお楽しみください。

( ※ただし、雨天の場合、屋外プログラムは中止いたします。)

・モンゴル相撲大会・モンゴル料理の販売

・モンゴル民族衣装の試着(撮影自由)

・モンゴルの遊び「シャガイ」・モンゴルの音楽(のど歌ホーミー・馬頭琴)

関連催し(屋外プログラム)

当日、万博記念公園「自然文化園」でもモンゴル料理の販売や民族衣装の試着など、モン モンゴル文化に親しんでいただく関連屋外プログラムをおこないます。ゲルをめざしてお 集まりください。こちらもあわせてお楽しみください。

( ※ただし、雨天の場合、屋外プログラムは中止いたします。)

・モンゴル相撲大会・モンゴル料理の販売

・モンゴル民族衣装の試着(撮影自由)

・モンゴルの遊び「シャガイ」・モンゴルの音楽(のど歌ホーミー・馬頭琴)

協力 : NPO 法人モンゴルパートナーシップ研究所

関西モンゴル人会・NPO 法人もみじ

交通のご案内

●大阪モノレール …「万博記念公園駅」下車徒歩約 15 分 「公園東口駅」下車徒歩約 15 分

●バス[近鉄バス](阪大本部前行き)阪急茨木市駅から約 20 分、JR 茨木駅から約 10 分「日本庭園前」下車、徒歩約 15 分

●タクシー

万博記念公園「日本庭園前駐車場」まで乗り入れることができます。下車、徒歩約 5 分

●乗用車

駐車場が無いため「みんぱく」への車の乗り入れはできません。万博記念公園の駐車場(有料)をご利用願います。最寄りの「日本庭園前駐車場」から約 5 分 *「日本庭園前駐車場」をご利用の方は、 「日本庭園前ゲート」横にある「国立民族学博

物館専用通行口」をお通りください。

(小長谷 有紀)

 オンドルマー校長先生を招聘します

 

郵貯事業や黒板を届ける旅など、過去にモピがお世話になったセレンゲ県ズーブレン学校 オンドルマー校長を日本にお招きすることになりました。

10月18日(金)~27日(日) 9泊10日 通訳その他世話係として齋藤美代子が同行します。

スクリーンショット 2013-10-03 11.09.33

8月5日 モピからの招待状とビザ申請書類をご本 人に届けました。興奮気味に、とても喜んでおられました。

滞在される間、みなさまに協力していただくことが 多々あると思います。よろしくお願い申し上げます。

オンドルマー先生は、あちこち海外に出張されてい ますが、飛行機での旅は初めてということでした。

滞在予定(変更あり)

1,ウランバートル 8 時 45 分発 KE5866 便でソウル着 12 時 50 分。ソウル 15:20 発 KE725 便関空着 17:05。JR で京都長岡京市へ移動

2,午前:休息 午後:モンゴルパートナーシップ研究所メンバー、郵貯ボランティア基金ズーンブレン小 学校プロジェクト参加者と懇談。(北京料理 “徐園“ にて)

3,京都市内寺院観光

4,午前:ソム学校でプロジェクトを行ったきばやし歯科医院訪問。午後:長岡京市内見学。

5,京都御所、同志社大学見学、買い物

6,未定

7,大阪見学、買い物。

8,奈良学園小学校訪問。校長先生との会談、授業参観(2年生&4/5年生)

9,国立民族学博物館にて小長谷教授と面会、在日本モンゴル領事館主催「モンゴル秋祭り@大阪」参加

10,長岡京から JR で関空へ。関空 9:30 発 KE722 便でソウル着 11:20。ソウル 13:00 発 KE867 便でウランバートル 15:45 分着

【みなさまにお願い】

この度、オンドルマー先生を招聘するについて、JICAの国際協力「次の第1歩プログラム」に申請し資金を得て実行する計画していました。最後の段階で申請は受理されず予定してい た資金の調達ができませんでした。この事業をこなすには約30万円の資金が必要です。

大変厚かましく、申し訳ないのですが、みなさまに志を寄せていただきたく厚かましいお 願いをいたします。すでに振り込んで下さった方々もおられます。しばらく不在にしていましたのでお礼ができていません。お許しください。

(事務局)

 東京・ウランバートル3000キロメートル(19

                          – バヤンウルギーの旅 その1 –

(梅村 浄)

<バヤンウルギーへ>

8月10日朝4時。雨。フラワーホテルにタクシーで迎えに来てくれたJICA隊員2人はフリースの上着を着込んでいます。彼等のでっかいリュックに寝袋、同行する理学療法士・諸石 さんの身の回りの物を入れたバッグと、補装具、車椅子補正の道具を入れた黒いバッグ、私 たちのトランクと娘の車椅子を積むためにタクシーをもう 1 台呼び、暗闇の中をとりあえず 出発しました。空港へ行く途中で、この旅を企画した JICA 隊員川島さんを拾います。

午前 6 時半にアエロモンゴリア航空の 30 人乗りプロペラ機に乗り込みました。ゴビへの往 路にあったような乱気流にまきこまれることもなく、降り立ったバヤンウルギー空港は、晴 れ。総勢女子 6 人、予定通り 9 時半に着きました。ウランバートルとは1時間の時差です。 強い日差しのもと、周りを囲んでいる山々には雪が白く光る峰もあり。さっそくサングラス をかけました。

<障害児療育センターでの診察>

「あなたの名前は?」

若い女性と父親を前に、モンゴル語の私の質問をノルカ医師がカザフ語で伝えます。バヤンウルギー県の人口 10 万人のうち9割はカザフ人で、カザフ語しか話さない人も多いのです。 本人が答えた名前を確かめようとノルカ医師、モンゴル語と日本語の通訳を務めてくれる JICA の看護師、父親が繰り返して言います。濃いピンクの T シャツにショートカットの彼女は、視線が落ち着かず定まりません。名前は「アナルグイ」と、ようやく分かりました。

「何歳ですか?」
再び周りの人たちが口々に尋ねます。
「22 歳」

次に日本から持って来たパンの絵カードを見せました。四角い食パンがこの地にあるのでしょうか?困っているようです。先に診察がすんだ 14 歳の女の子が来て、かがみ込んで質問 してくれますが、本人はあちらを見たり、こちらを見たり。

「・• ・• 」
こんな感じで診察が進みました。 「家族とはなんとか話が通じるのだが、他所の人とは話せない。どうしたらいいだろう」

という、お父さんの相談でした。
「学校には行っていない」 「障害者センターがあることも知らなかった。今回、診察があると聞いてやって来た」 「それは良かったですね。センターに通えるのだったら、ノルカ医師に頼んで週に1回でも いいから来て下さい。集団活動に参加させてみましょう」と、私。 ハンチングを被ったお父さんは、ちょっと緊張をゆるめた表情でお礼のことばを述べ、娘を 促して部屋を出て行きました。

診察を求めて来た、たくさんの親子が暗い廊下のベンチに坐っています。諸石さんは脳性 麻痺の子どもを診察して、障害児センター勤務の看護師さんに、運動訓練のやり方を教えま した。日本の子どもたちが使っていた古い補装具を持って来てあわせてみるのですが、なか なかピッタリというわけにもいきません。

センター長は長女が 14 歳で、脳性麻痺のため、10 年前にこのセンターを立ち上げました。 当初はゲル 2 棟でしたが、日本ワールドビジョンから資金援助を受けて、コンクリート平屋 建て、機能訓練室、作業訓練室、会議室などを備えたこの建物を建設し、バヤンウルギー県 に住む障害児の保育、訓練を行っています。センターがあるバヤンウルギー市は人口 3 万人 で、県内の遠隔地に住んでいる子どもたちは通えないため、敷地内にアメリカ NGO の援助で 宿泊施設を建設中でした。

 

<ホテル・ツァムバガラブ>

ホテル・ツァムバガラブは 1 階部分がワインレッド、上の階は水色に塗り分けられた外壁に三角屋根が載っかった外観で、1 階にはカラオケパブ、2 階にレストランが入っています。 市の中央広場から近く、隣りは同名のスーパーマーケット、数 10 メートル先にはトルコ料理 レストラン、警察署もある便利な場所に建っていました。車で送ってきたノルカは 3 階の私 たちの部屋まで、車椅子を持ち上げてくれましたが、階段にぶつけるは、手すりにぶつける はで、新品だった赤いフレームに傷がついてしまいました。

窓の外に立っている数本の広葉樹には、数羽の鷹がとまり、その向うには建築中のビルに 櫓を組み、作業をしている人々の姿が見えました。街並みに隠れて青い尖塔だけが見えるイ スラム寺院から、朝晩、アラーへの祈りの声が響き渡ります。2 階突き当たりのベランダから 眺めると、写真スタジオ、洋服屋、白い 2 階建てのビルなどが立ち並ぶ通りを、時々、バイ クや泥まみれの車が通りました。ロングスカートにネッカチーフをまいた年配の女性の姿に、 シャッターを切りました。

朝ご飯はパン、ジャム、チーズに紅茶という簡素さ。ザハで買った緑色のぶどうを洗おう と厨房に入らせてもらいました。また、日本から持って来たコーヒーを淹れるお湯をもらう ために、簡単なモンゴル語会話が役にたちました。私たちの他には、お客の姿はなく、従業 員はテーブルに坐って歓談しています。

その中の 1 人が私たちのテーブルに近寄って、話しかけてきました。

「あなたは、日本から来たお医者さんだときいていますが」

「はい。小児科医です。日本から来ました」

「私の母の病気のことで相談があるのですが、今日は時間がとれますか」

「いや、今日は午後から用事があります。明日ならば大丈夫ですよ」

「お金はいくらかかりますか」

「お金は要りません」
次の日、JICA の川島さんが立ち寄ってくれた時に、彼女を部屋に呼んで話をしました。川島さんが通訳してくれます。お母さんは 53 歳で、時々激しい頭痛があり病院へいくのだが、頭痛薬をのんでもその時だけで、繰り返しているとのこと。偏頭痛の疑いもあります。詳し く質問していくうちに、血圧が 200 を越えている、一時的に意識がうすれ手足の痺れや麻痺 が起っていることがわかりました。一過性脳虚血発作が起ると、脳血管が閉塞して症状がで ます。その後血流が回復すると治まりますが、繰り返しているうちに脳梗塞を起こす可能性 があります。病院を受診して、毎日降圧剤をのんで血圧をコントロールするようにアドバイ スしました。

<車椅子でザハに行く>

センター長の家族や職員と近くの山にピクニックに行った翌日、別の車に載せたままだった車椅子を届けがてら、ノルカが私たちの部屋にやってきました。 「今日は休みをとって来たから、行きたいところに案内してあげよう」 「僕の車はタイヤが 4 個パンクしてしまったよ。取り換えなくてはいけない。ところが僕は 文無しなのさ」短髪で陽に焼け相撲取りのような顔は、屈託がありません。えー!医師でしょう。文無し ってことある?と自問自答しながら財布を出し、2 万トゥグルク札を渡しました。

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(ウルギー市ザハにて 2013年8月13日撮影 梅村浄)

車椅子を下に降ろしてもらい、モンゴル 語辞書を持って出かけました。何度もパン クするのもなるほどと頷けるような古い 乗用車の、フロントガラスには穴があいて 放射状にヒビがはいっています。大音響で 音楽をかけながらすっとばすので、座席に 座っている私たちは、右に揺れたり左に揺 れたり。

近くの両替所で、手持ちのドルをトゥグ ルクに替えてから、ザハへ行きました。入 り口のところで男の子が帽子を売ってい ます。その奥にはスーティーツァイを飲む 時に使う茶碗を売っている店がありまし

た。白地に赤、青、緑のカザフ模様を金で縁取りした柄で、ちょうど日本のご飯茶碗の大き さです。涼がバイト先のスタッフに 6 個、まとめ買いしました。花がらやカザフ文様のスカ ーフを、ためつすがめつ選んでいると、刺繍を施した平べったい帽子を被った男性が、すっ とお金を差しだしてきました。車椅子に乗っていて可哀想だからお金をあげるというのでは なく、お坊さんに喜捨する時のような敬虔な表情です。隣に店を出している穀物屋さんのお じさんでした。

「ン、ン、ン?」

ノルカの顔を見てしまいました。

「カザフ人は困っている人をみたら助けあうんだよ。とっとけば」

「まあ、なんて美しい風習」

「ほんとうにありがとうございます」

などと限られた語彙で言いながら、ノルカについてその場を離れました。

両側には靴屋、洋服屋、生活雑貨を得る店が軒を連ねて、それぞれの店の前にはけっこう な人垣ができています。出口にさしかかった所で 2 人の女性が、トゥグルク札を相次いで渡 して来ました。涼は「またもらっちゃったよ」と言いながらニヤニヤ。お札を手に持ったま ま、文房具店を目指しました。

「ノートを見せて下さい」

彼女はノートコレクターです。どこへ行ってもノートを探します。ここでも分厚い 1 冊をゲットしました。余った 500 トゥグルクは財布にしまい込み、帰国後は自分のアパートの壁 にはっているとか。(2013.9.21)

 

 ノロヴバンザトの思い出 その42

(梶浦靖子)

叫ぶな、歌え!

9月の新学期の頃は、日差しは強くても風はかなり涼しい。瞬く間に気温は下がり、冬物のコートを着て歩くようになった。日本ではまだ秋を満喫する時期だろう。オルティン・ドーのクラスでは相変わらずだった。声量が足りないと言われても、なかなか改善できるものではない。「あなたは違いますからね」と言い放ちはしたが、ノロヴバンザドはあれこれと指導してくれた。ああ―、と懸命に声を張り上げる私にかぶりを振ってこう言った。

「ああ、叫んではだめ!叫ぶのではない、歌いなさい!J ふつう人が大きな声を出そうとすると、全身に力を込め、声をしばり出すような、声を投げ飛ばすような感覚になりがちである。私もまさにそうだった。顔はこわばり、肩に力が入り、上半身はガチガチに緊張する。結果のどは締めつけられ、出てくるのは叫び声、金切り声となる。それではとても聞き苦しいし、のどを悪くして声がだめになってしまう。

歌う上での正しい発声をするには、体の重心を下げ、上体はゆるやかに脱力して足腰で しっかりと体を支える。不安定に上下しがちなのど(声帯とその周辺)を、足腰で支えな がら下にひっぱり、落ち着かせる感じである。腹式呼吸であるから肩が上下することはほ とんどない。

声はのどではなくお腹の底で発せられる。のどは声を装飾し、音程を変化させるために通過するだけである。これはオルティン・ドーだけでなく、さまざまなジャンルの歌に共通していえることだろう。

そしてのどを通過した音声をすべて日から出すようにすれば、地声に近い、オルティン・ドーの声となる。頭に突き抜けるように響かせると西洋の声楽のような声になる。そのようなつもりで発声すると、発音時の声帯も形状が変わるようだ。音声生理学などによると、声楽の場合、声帯の弁はかなり薄くなった状態で震えるのに対し、後者で声帯は厚ぼったい状態であるという。

足腰でしっかりと支えて発声できれば、さほど力まなくともそれなりの声量が出る。それゆえか、ノロヴバンザドらオルティン・ドー歌手の歌う様子は、まるで仏像のように静かで穏やかである。

オルティン・ドーの歌声は「飛ばすJ「発射する」というより、まるで漂い立ちのぼる ように発せられているように見える。それでいて圧倒的な声量で空間に満ちみちるのだ。 のちに、そのように言葉で説明できる程度は発声法を体得できたと思う。けれど当時の私はまったく暗中模索で、そうした理屈が頭に浮かんではいたが、体がついてこなかった。

金銭の貸借問題

 

友人のエンフチメグとはこの年も伸良くやっていたが、微妙な問題が出てきた。夏の少し手前の頃、いつものように私の寮の部屋を訪ねてきて、

「知り合いと協力してデザインに関する事業を立ち上げたいので」

と借金を申し込んできたのだ。しかし、洋服のデザインなのかそれ以外の商品なのか、あるいは広告のことを言っているのか判然とせず、本当に実現し儲けを出せるような見込 みがあるのかもあやふやだった。求められた金額は、一介の留学生でも出せないことはな いが、やや生活に影響のある額だった。そうすると、いくら物価が安いにしてもその額で 事業立ち上げの足しになるのか?など疑問だったので、私は断わることにした。

日本の一般的な考え方として、おいそれと金銭の貸し借りをするものではないし、友人ならなおさらだ。その額のお金を動かすことの意味や先々の見通しについて、彼女が軽く考えているように思えた。お金を貸すならあげたつもりで貸せとも言われる。私にとってはあげたつもりになれる金額ではなかった。そして、そういった申し入れにはもっと慎重になってほしいと思った。

そのように理由を説明して私は断わった。エンフチメグは、

「かならず返しますから」 とくり返した。友達なのになぜ助けてくれないの?と言いたげな様子だった。 当時のモンゴル国は、伝統的な助け合いの精神と社会主義の相互扶助とが合わさり、人と気軽に頼み頼まれるのが習わしだった。日本では人にみだりに頼み事をするものではないと教えられるが、モンゴルでは人からの頼まれごとには何としても応えるのが礼儀であるから話が通じない。社会主義の中で育った人は、金銭の貸し借りで人間関係が悪化し生活が傾くといったさまを見聞きしたこともないだろう。彼らはお金の怖さを知らなかった。

やはり引き受けるわけにはいかなかった。

やりとりの末エンフチメグは、そうですかと諦め、帰り支度を始めた。そして、 「私が『貸してほしい』と言ったのはいい加減な気持ちではありません。本当に必要だっ たからですJと捨てぜりふのように言い去って行った。お金は真剣に願えば与えられるというものではない。頼むにしてもやはりその辺りを理解した上でしてほしかった。社会主義と草原のホスピタリティ、そして市場経済の常識とが衝突し、みつどもえで取っ組み合ったかのように思えた体験だった。その後エンフチメグはやって来なくなり、私が彼女のアパートを訪ねても彼女だけ留守だったり誰も出てこなかったりで、会えなくなった。

そんなことも忘れかけ季節は秋になろうという頃、エンフチメグがふいに訪ねてきた。

数ヵ月前のいきさつなど無かったように屈託ない様子なので、私も以前のように接した。

その次にもう一度会った時、再び借金を申し込んできた。何に使うと言ったかは覚えていないが、今度は貸すことにした。以前よりも少ない金額だったし、もう一度は断りにくかった。そこを見越して頼んできた気もする。すぐに返しますからと彼女は言い帰って行った。しかし返す約束の日、彼女から電話があった。ケガをして病院に行くので今日は会えないということだった。そのかわりに約束した日には全くやって来ず、私が訪ねて行ってもまた会えなくなり、そのまま彼女は音信不通になった。

今度は私もあげたつもりで貸したので、もうそのことは考えないようにした。残り少な くなった留学生活で、音楽に関してやれるだけのことをやろうと思った。(つづく)

 

長岡京ガラシャ祭りに参加します

長岡京ガラシャ祭りHP

サポセンフェスティバル

『聴いて! 食べて! あそぶ! サポセン音楽ひろば』

~音楽でつながろう人と街~

『 1部 』

◆場所:バンビオ1番館3階メインホール

◆日時:2013 年 11 月 2 日(土)10 時~14 時終了

9:00~             受付後設営

10:00~14:00  模擬店 OPEN

13:30~           片付け可能

『 2部 』

◆場所:バンビオ1番館3階メインホール(JR 長岡京駅前) 

◆日時:2013 年 11 月 2 日(土)16 時開場~20 時終了

16:00 開場
16:30~17:30 開演、市民活動団体による演奏

17:30頃~20:00 「関西歌ものバンド」によるジャズライブ

モピの参加内容・モンゴルフェルト製品の販売など。モンゴル占い。

音楽広場には、馬頭琴演奏で参加します。

 

 写真 荒木伊太郎

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 編集後記

 

厳しい暑さからようやく開放され一息つくことができる気候になりました。みなさまご無 事でしょうか。今年のモンゴルは、雨が多くて涼しい夏でした。梶浦さんの原稿の始めのと ころ、を体験しました。9/3にはきつい風とともに初雪が降りました。

10月号MoPI通信お届けいたします。10/26日民博で開催される「モンゴル秋祭り」などいろ いろなイベントのお知らせが載っています。近いところにお住まいの方のご協力をお願い申 し上げます。

(事務局 斉藤生々)

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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

連絡室
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
tel&fax 075-201-6430

e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp

本部
〒565-8511 大阪府吹田市千里万博公園10-1

国立民族学博物館小長谷研究室内

tel:06-6876-2151(代表)

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