■NO 144号 モピ通信

■NO 144号           2014年1月1日

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所

 

 

  新年ご挨拶

  黒板プロジェクト報告

「ミネアポリスで一番の寿司屋」

  東京・ウランバートル3000キロメートル(22)

  2014年度新年会&映画鑑賞会のご案内

  編集後記

 

 

  新年ご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

(理事 小長谷 有紀)

昨年はこれまで私たちモピの、モンゴルにおける活動中心地であったセレンゲ県ズーンブ レン・ソムからオンドルマー校長をおむかえすることができました。残念ながら公的な資金 を得ることはできませんでしたが、民間の力で実現できたのは、まさしく皆さんの支援のお かげです。ありがとうございました。深く感謝申し上げます。

さて、新たな一年、日本では厳しさがますばかりです。秘密保護法案が採択され、原発を 肯定する動きがつよまり、消費税は増税されと、まさに保守政党によるしたい放題。このま ま私たちは不自由かつ理不尽な「戦時中」を生きることになるのでしょうか。

一方、モンゴルは経済成長まっしぐら。むしろ、私たちが彼らに助けてもらう時代になっ てきたのではないでしょうか。経済的にではなく、精神的に。

私たちは何をすべきか。初心にかえって、みなさんと一緒によく悩みながら、新しいスタ ートを切りたいと思います。

 

明けましておめでとうございます。

(理事 松本 勝博)

昨年は自然の災害、内戦等など平穏とは言い難い年でした。今年こそは良い年となります よう願っております。

私たちモピが関わるモンゴルは、近年大きく変貌しつつあります。また、モンゴルに関わ っているグループも少なくありません。そんな中でモピが今後どうあるべきか、年頭にあた って考えてみる必要があるのではないかと思います。会員の方々の、モンゴルに対する、ま たはモピに対する思いは、百人百様さまざまです。是非率直なご意見をお寄せいただくよう お願いいたします。

新しい年、モピは、駿馬の如く颯爽とというわけにはいきませんが、農耕馬の如くしっか りと大地を踏み締めて確実に前進してまいります。物心両面でのご支援のほど、よろしくお 願いいたします。

 

新年あけましておめでとうございます。

(監事 福島 規子)

2002年のモピの活動に参加する機会を得てから早や12年余り、会員の一人としてモ ンゴルを深く知ることが出来ました。年々変化して行くウランバートルに驚きながら、自然 豊かな草原と、そこに暮らす人々との交流は心を豊かにしてくれます。地球規模の異常気象 が次々と押し寄せる近年、便利さだけを求めるのではない生活をもう一度見つめ直してみた いと思います。

モピを通じ、2007年大阪府NPO協働技術員受け入れ事業で3ヵ月の研修を受けられ たオイドブさんは現在3人の子供のお母さんとして、看護師の仕事を続けながら通信教育で 心理学を学び、働いている病院での高齢者看護に役立たせようとしています。将来は高齢者 介護も含め働きたいとのことです。

これからもオイドブさんと共に学び、見守り続けたいとおもいます。 昨年から監査役をお引き受けしました、モピ会員としてお役に立てたらとの思いだけですが、 皆様にご指導いただきながら役目をはたして行く所存です。どうぞよろしくお願いします。

 

  黒板プロジェクト報告

新年おめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

(モンゴル在 斉藤 美代子)

2013 年度も黒板を無事に配布し終わりました。

黒板プロジェクトにご協力くださった皆さ まありがとうございました。

今年までの黒板配布表

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2002 年から始まった黒板プロジェクトも 11 年が過ぎました。今年も人口流入が続くウラン バートル市周辺部の学校に配布させていただきました。地方から生活の向上を求めて移住し てくる人々は今も増え続けており、周辺部の学校は子どもたちであふれ、3 部制で授業が行わ れるほどになっています。

みなさんが寄付してくださった黒板はこれらのたくさんの子どもたちの授業で使われます。 黒板を届けたある学校の校長先生からは、「この学校を選んで来てくださってありがとうご ざいます。寄付してくださった方によろしく伝えてください」という言葉を預かりました。

経済的に発展しつつあるとはいえ、モンゴル政府は今は増え続ける生徒数をなんとかする ために、学校建設を進めることを第一にしているので、教育環境の充実などは今だ現場の先 生方に任されている状況です。70 年使った黒板は少なくなってはいますが、使っている学校 はウランバートル市内でもまだあり、黒板を持って行くと喜ばれる状況には変わりありませ ん。

息の長いプロジェクトとして、来年も子どもたちのところに黒板を届けたいと思います。

またこれからもどうぞよろしくお願いいたします。

 

「ミネアポリスで一番の寿司屋」

(オランダ在 前川 愛)

みなさま、あけましておめでとうございます。

2014 年がみなさまにとって、素晴らしい年となりますように!

 

おせち料理によって、普段より「和食」が意識されるお正月に、日本の外の和食事情につ いて書いてみよう。海外で広く受容されている和食のほんの一面にすぎないが、世界の和食 ブームは様々な人たちによって成り立っていることを紹介したい。

2000 年代前半、私のモンゴル人の女友達たちが、アメリカでアルバイトをするといえば、 寿司屋が多かった。ヨーロッパやアメリカでは、寿司屋の多くは中国か韓国人の人たちによ って経営されているので、見た目は若いアジア人女性という理由で、モンゴル人も問題なく 採用されるようだった。モンゴル語には魚の名前があまりない。「ザガス=魚」という総称で 事足りるからだろう。彼女たちは魚の名前を覚えるのに苦労しながらも、チップで荒稼ぎを して、モンゴルへ送金していたものだ。

そして、モンゴルに住んでいたアメリカ人の若者は、帰国が決まると「やったー、これで おいしい寿司が食べられる」と嬉しがった。アメリカ人が自分の国へ帰るのに、喜ぶ理由が 寿司なのか、と驚いた。その頃、ウランバートルで寿司を食べるとすれば、韓国料理屋だっ た。当時、まだ独立した寿司屋は無く、焼き肉やピビンパプを出す店で、寿司もメニューに 載っていたことを覚えている。北朝鮮系のレストランでも寿司や鰻、焼き魚定食を食べられ た。日本人が和食店を海外で経営する場合、それはたいてい高級レストランである。接待で 使われるような店で、気軽に食事できるようなレストランではないことが多い。したがって、 このような外国系和食は便利であり、普通の人々が利用するにはこちらのほうが安いため、 当然人気があるのだ。偽物の和食、と憤るのは筋違いと言うものである。

先日ウランバートルには、今では寿司屋がいくつもできていることを聞いた。日本から魚 を冷凍で直接仕入れている回転寿司さえ登場したという。「ミートボール軍艦」や「ソーセー ジにぎり」など、モンゴルに特徴的な寿司ネタもあるらしい。これは背景に、モンゴルの経 済発展や、訪日経験があるモンゴル人が増えていることがあるだろう。しかし、基本的には、 和食が世界中で一般化していることが影響している。もはや和食、とくに寿司は、欧米やア ジア諸国では特別なものではなくなっており、日本以外で寿司を食べ慣れたモンゴル人がた くさんいると考えてよい。

さらに、最近、アメリカのミネアポリスに住む友人が、Facebook 上で近所のモンゴル人寿司職人を紹介していた。アメリカではウェイトレスのみならず、もはやモンゴル人の寿司職 人さえいるのか、と感慨深く、その寿司職人の紹介ビデオを youtube で見てしまった。

彼は長いモンゴル名を省略して、ビリーと名乗り、とにかく自分も寿司が大好き、寿司の 素晴らしさを喜びにあふれる様子で語っていた。サンフランシスコで、地質学を大学で勉強 していたが、途中から「寿司シェフ」に転身したらしい。インタビューでは「両親は自分の 選択を喜んではいないけれど、ここはアメリカ、自分の夢を試したい」と寿司屋で修業した 後、トラックを改造した移動寿司屋から始め、今では自分の店を構える。彼は雇われ寿司職 人ではなく、40 席ある寿司屋の店主なのだ。

興味深いのは、この店を紹介する地元紙の記事は、ビリーがモンゴル人であることは一切 触れていないことだ。これは、アメリカにおいて、すでに誰が寿司をにぎっているのか、お いしければ職人の出自には関心がもたれていないからだろうか。あるいは、彼がモンゴル出 身と書けば、客が寿司屋としての「正統性」に疑問を持つため、記者の配慮によってモンゴ ル人と書かれなかったのだろうか。私にはわからない。

ビリーの店は地元では大人気で、多くの人が「ミネアポリスで一番の寿司屋」、とレストラ ンのレビューサイトに書き込んでいる。もちろん客は、寿司は日本の食文化が源であること を知っている。そして店の看板には日本語で「おいしい食べ物と最高のおもてなし」と書か れている。そう、実は世界中で(今流行の)「おもてなし」はなされている。来日する外国人 相手にだけ、発揮されるわけではない。これらは数多くの日本以外の人々によって担われて いるおもてなしだ。これらも、客は意識的、無意識的に日本的なおもてなし、と受け取って いる。

和食がユネスコによって「無形文化遺産」として登録される、というニュースが年末にあ った。和食が世界に認められたことは素晴らしい。そして、和食文化を世界中で広め、支え ている日本人以外の人たちとも、一緒にこのニュースを喜びたい。

 

  東京・ウランバートル3000キロメートル(22)

– ゴビで山姥 –

(梅村 浄)

<モンゴル語のテストで山姥>

2010 年の 9 月から次の年の5月末まで、モンゴル大学で外国人モンゴル語準備クラスにい

ました。帰国後引続き、東京外国語大学で課目等履修生として、パートタイムの学生を続け ています。

モンゴル大学の日本語学科から東京外国語大学に赴任されて来た客員教授のムンフツェツ ェグ先生は、日本語を使わずに会話の授業をされるので、モンゴルで学んだ続きの感覚で、 教室に坐っています。学生は毎回、モンゴル語で質問したり、答えたりする機会があり、間 違いをすぐに正されます

学期末には必ず、テストがあります。2013 年 2 月の課題は「モンゴル語で 3 分間以内のス ピーチをしなさい。話題は自由」というもの。これまで教科書でモンゴルの民話をいくつか 習って来たので、日本の昔話をモンゴル語で語ろうと思いました。私たち 3 人きょうだいが、 幼い頃おばあさんからきいた山姥の話です。

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きょうだいがおばあさんの家に食べ物を届けようと 山道を歩いて行くと、山姥が「置いてけー」と追いか けてきます。きょうだいは次々に手に持った食べ物を 投げ捨て、とうとう食べ物がなくなった時、池のそば の松の木にのぼって隠れます。山姥は池の表にうつっ た子どもの姿を見て、池に飛び込み溺れ死にするとい う筋です。ふとんの中で「置いてけー」というおばあ さんの声を聞くと、私たち 3 人はいつも「きゃー」と 大声をあげて怖がったものでした。

下書きを書いて、ウランバートルに住むモンゴル人の友だちにチェックしてもらいました。 テストは、1 人ずつ教室に入って、ムンフ先生の前で話します。「日本の昔話を話します」と 言うと「どんな話ですか」と興味をもって聞いてくれました。3 分間はすぐに経ち、時間切れ で終わってしまったテストでした。教室を出る時に、せっかくモンゴル語で書いたのだから、 この話をモンゴルの子どもたちにきいてもらおうと思いつきました。

<昔話か紙芝居か>

友人の M さんと一緒に小田急線登戸にある小澤俊夫さんの昔ばなし研究所を訪ねたのは、3

月中旬のことでした。おつれあいの牧子さんとは 30 年来の知人で、彼女を通じてアポがとれ ました。マンションの 1 室にある昔ばなし研究所では、日本語の山姥のテキストに、2、3 の 意見を頂きました。 「山姥の話は日本各地にあるが、この話は新潟地方のものに似ていますね」 「姉は食べ物を持ち、弟は壷に入った酒というのは、日本にはあまりないです」「文学的な情 景描写は要りません」等々。

同行した M さんも意見を述べてくれて、子どもは 3 人、手に持って行くのは魚と餅がいいだ ろうと、なりました。

昔話は語りによって伝えられます。人々が文字を知らなかった時代には、語り部が語る声 に耳をかたむけて、その話を共有することができました。

「私の下手なモンゴル語で語るだけでは、ぜったいに子どもたちには伝わらないぞ」と、 今度はそれが心配になりました。そして「絵本か紙芝居なら、絵の力で山姥の恐ろしさが伝 えてもらえる」と、他力本願な気持ちが頭をもたげてきました。

山姥の絵を描いてくれませんかと、イラストレーターの知人に話を持ちかけたのですが、 彼女は 6 月に出産を控えていて無理でした。そこで諦めずに、絵本の普及活動をしている知 り合いにメールでお願いしたところ、紙芝居文化の会の N さんを通じて、絵描きの O さんが 名乗り出てくれました。

紙芝居文化の会は、日本で生まれた、共感の文化として紙芝居を日本国内だけでなく、世 界に発信して行こうと活動を続けています。モンゴルに紙芝居を紹介する良い機会になるの ならと、4 月末、N さんは紙芝居をたくさん出版している童心社に私と M さん、絵描きの O さ んを集めて、会長、編集長にも講義と実演をお願いして、紙芝居の何たるかをレクチャーし てくれました。素人だった私たちは、急ごしらえの知識で、無謀にも山姥紙芝居の制作にと りかかりました。

時間が限られていたので、O さん、M さんとの打ち合わせは、数回。もちろん、メールでフ ァイルのやり取りを頻繁にしました。日本語で書き直した脚本をモンゴル語に翻訳したもの を、ムンフ先生にみてもらいました。モンゴル人にわかってもらうために、正確を期したの ですが、とても助かりました。

前の晩に出来上がる筈だったところ、印刷スピードが落ちた印刷機をだましだまし使って、 12 枚 1 組の絵と文章を印刷して、台紙の表と裏に貼付ける作業を徹夜でやった O さんが、5 部の山姥紙芝居を入れた箱をキャリアーで引いて、我が家に届けに来たのが 8 月 1 日。セー フ。 私は8月4日にモンゴルに向けて成田を飛び立ちました。

<ゴビで山姥>

今回の南ゴビツァーは NPO ニンジンが企画したものでした。紙芝居作成に協力してくれた Mさんも参加しました。着いた翌日に、日本から持って来た車椅子を障害児親の会事務所に届 けました。私たちが宿泊していたフラワーホテルの向かい側にあるマンションが、親の会の 新しい事務所です。

10 数台の車椅子を、その子の身体に合わせて使いやすくするために、ツァーに同行した PT さんやモンゴル人の車椅子修理技術者が、マットレスの高さや厚さを調節し、シートに坐っ た時にちょうど足の裏がフットレスト(車椅子の足置き)に載るように調整しました。決して狭くはない事務所が、いっときゴッタ返しましたが、無事完了。私たちは雨の中、 ガンダン寺、ボグドハーン冬の宮殿、ザイサントルゴイの市内観光に行きました。気温は 15°C くらいで、ウィンドウブレーカーだけでは寒いと感じました。

翌日、チンギスハーン空港から国内線のプロペラ機に乗りこみ、南ゴビ県の中心都市タラ ンザドガドに向かいました。ゴビに近づくにつれて乱気流に巻込まれること数回、30 人乗り の飛行機は激しく揺れました。
「今は、生きてるよね」

と自分に言い聞かせること数回。ほっと息をついて窓の外を見ると、すぐそこはさんさんと 陽が射しているのに、遠方には黒い雨雲がかかり、茶色い大地に雨を降らせている様が、一 幅の絵のように見えるのでした。

タランザドガドから 4 駆車 2 台に乗って、近郊にあるシェアザジョイ障害児センターに到 着しました。地理学では、モンゴルを森林、森林ステップ、ステップ、ゴビの4つの自然区 分に分けます。ゴビとはモンゴル語で「草がまばらに生え、動物が棲息する地帯」という一 般名詞ですが、日本ではゴビはゴビ砂漠と短絡的にとらえられがちです。なるほど。草も生 え、灌木も生えた丘の連なりの陰にセンターは建っていました。

コンクリート造りの食堂の建物に並んで、10 棟近いゲルが立っていました。ここには南ゴ ビ県各地から夏の療育キャンプに来た家族が泊っています。脳性麻痺をはじめ肢体不自由の 子が多いため、運動トレーニング用の大型ゲルがあったのですが、ここ数日の強風で倒れて しまったとのこと。庭には砂場、トランポリン、ジャングルジムなどの遊具、あずま屋、噴 水のついた池も設置されています。電気が引かれており、水はモーターで汲上げているので、 心おきなく洗面、トイレに使うことができました。

翌日、食堂で朝食を食べました。日本人用にクレープとジャム、卵焼きにハムとサラダが 整えられていました。食後、テーブルを片付けてから、紙芝居の上演です。しばらく時間が あったので、泥縄でセリフを暗記しようと、脚本を持って裏の丘に登りました。鳥のさえずりが聞こえて、蝶が水場に群がっていました。

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「おおかみがでるぞー」

という声に呼ばれて、慌てて戻りました。

この辺りでは、おおかみがでることもあると、職員たちが話していたそうです。

「こんにちは」

「私は日本から来ました」

「今から山姥の紙芝居をするよ」

モンゴル語の挨拶の後で、この紙芝居を作った経緯などは、モンゴル人の通訳さんが通訳してくれました。パイプ椅子に坐った子どもや親たちは、これから何が始まるんだろう?と神妙な顔付きです。

始めるしかないでしょう。覚えられない セリフは、裏に書いてある通り読めばいい んだし。作成に協力してくれた M さんが隣でめくってくれました。通訳さんは通じないと思った時に、モンゴル語で口添えしてくれました。

 

何と過保護な上演。誰もが黙って、こちらに注目しています。 山姥の姿は、最初、脚だけ、次は白髪の後ろ姿だけ、最後に顔がドアップで描かれています。この時は思わず「おー」「あっ」と、驚いた子どもたちの声があがりました。最後の場面 は星空の下、おばあさんの家に歩いて行く 3 人の子どもたち。あーよかった。命が助かった ね。

拍手とともに上演が終わりました。日本から持って来たお菓子を詰めた小袋を配り、メン バー全員で「ふるさと」「幸せなら手をたたこう」「大きな栗の木の下で」の歌を歌って、皆に聴いてもらいました。

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食堂の床にマットレスを敷いて、診察

とリハビリの時間です。三々五々、あず ま屋に集まって来た子どもたちに、通訳 さんが紙芝居を読んでくれました。東京 外国語大学で課目等履修生として、共に 学んでいる S さんがモンゴル語訳を付け て下さった『ぐりとぐら』『ぐりとぐらの えんそく』『金子みすず・ほしとたんぽ ぽ』を、子どもたちに回して読んでもら いました。お母さんが読み聞かせると、 じっと見入っている女の子、拾い読みを する男の子の周りには、数人が近寄って 絵本を見てくれました。

翌日はヨリンアムへ、翌々日はモルツォック砂漠に観光に行き、ツーリストキャンプでは 羊の命をまるごと頂いて野菜と茹でたホルホックを食べて、南ゴビを満喫した私たちは、8 月 10 日にウランバートルに戻りました。(2013.12.15)

(山姥紙芝居は、日本語とモンゴル語の脚本をつけて、来春自主出版の予定です。ご希望がありましたら、ど うぞ梅村までご連絡下さい。実費+郵送料でお分けします。)

※ご希望の方、モピ事務局で受付けます。下記までお知らせください。
tel&fax 075-201-6430
e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp

 

 

 2014年度新年会&映画鑑賞会のご案内

 

「モンゴル野球青春記」

(モピ通信 143 号に同封したチラシをご覧ください)

URL : http://mongolpartnership.com/?page_id=1923 にも掲載しております。

今回、映画館を借り切り「モンゴル野球青春記」鑑賞会を計画いたしました。

モピ会員親睦会を兼ねています。

みなさま誘い合わせ沢山の方々が参加しご協力くださいますようお願い申し上げます。

日 時 2014年2月

5日(水) 6日(木) 7日(金) の中で予定しています。 只今会場を交渉中です。

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ところ 淡路 東宝劇場

淡路東宝劇場HP  http://www.awajitoho.com/index2.htm

(お詫び)

モピ通信144号印刷の日までに日程を決めることが出来ませんでした。

2月号(145号)で、日時をお知らせいたします。

(事務局)

 

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  編集後記

新年おめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

モピ通信を担当して101号目の144号。モピの歩みとともに、モンゴルを知り、沢山の人た ちに支えられ、助けていただきながら日々過ごしています。仕事の中では、いろいろなこと があります。人との関わりが一番難しいことかも知れません。

目線を下げない、誰もが対等であるというモピの理念を忘れないように心がけながらの毎 日です。

本年も、モピにも、みなさまにもよい年でありますよう願っています。

(事務局 斉藤生々)

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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

連絡室
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
tel&fax 075-201-6430

e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp

本部
〒565-8511 大阪府吹田市千里万博公園10-1

国立民族学博物館小長谷研究室内

tel:06-6876-2151(代表)

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