■NO 147号 2014年4月1日
編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所
日本映画「蒼き狼」に対するモンゴルでの評判(3)
東京・ウランバートル3000キロメートル(25)
ノロヴバンザトの思い出 その47
2014年度年会費納入のお願い
編集後記
日本映画「蒼き狼」に対するモンゴルでの評判(3)
(小長谷 有紀)
史実に反する点
史実に反しているという側面については、もともと映画というものは史実に忠実である必 要はなく、歴史に虚構を得た日本人の文芸作品なのであるから、史実かどうかという点につ いて争うのは意味がないという立場もありうる。 さらに、原作が原典としている『元朝秘史』がそもそも創作的物語であって史実だけで成立 しているわけではないから、史実であるかどうかは問い難い。映画史上、歴史的偉人を扱っ た数々の名作は、芸術作品としての評価を受けているのであって、史実かどうかは本質的な 問題ではない。言い換えれば、たとえ史実に基づいていなくても優れた芸術作品であれば、 モンゴル人の批判を受けることはなかったであろう。ただし、映画の封切り当初は、芸術性という点で期待はずれだったことが災いしたせいか、 史実に反することに対する批判が支配的であった。
日本文学的モチーフ
本映画における文化的齟齬は、チンギス・ハーンという偉大な人物像をめぐって「出生の 秘密」というモチーフが用いられている点である。「妊娠小説」の指摘する日本近代文学の特 徴から類推して、「出生の秘密」というモチーフは「日本の近代文学的」な特徴であると仮定 しておき、さらに『源氏物語』にも遡りうる、「日本文学的」なモチーフであると仮定してお こう。
本映画においては以下に述べるように、「出生の秘密」が重要な鍵概念として物語を貫いて おり、それが日本人にとっては文学的モチーフとして成立するが、モンゴル人にとっては成 立し難いために、文化的な交渉が行われることになる。 本映画のあらすじは、チンギス・ハーンは、妻が略奪されたので、生まれたわが子の出自を否 定しつつ育て、苦悩し、その死を悼んで後悔する、というものである。このあらすじは、「出 生の秘密」というモチーフによって一貫して最後まで支えられている。本映画は、金朝への 戦闘における最初の一矢をチンギス・ハーン自らが放つ場面で終わるが、その最終シーンの 最初の一矢はまさに死んだ息子ジュチの象徴として描かれている。
このように本映画は、一貫して「出生の秘密に悩み苦しむ男」の物語であり、それはまた 『父子の心理葛藤』である。それは同時に、本映画において再三繰り広げられる戦闘の理由 を基本的に、戦利品として女を得ること、あるいは取られた女を奪還することに設定してい ることと整合する。だからこそ、本映画はまず「女はかって戦利品であった」という趣旨のナ
レーションを冒頭に用意しているのである。 さらに、女の人権を無視しているがごとき、こうした戦闘をなくすために平和構築を求め
ることが、上位レベルの戦闘理由として本映画で提示されていく。チンギス・ハーン自ら、 戦闘の理由をそのように思想的にいかにも近代風に練り上げていくのである。戦闘理由をい わぱ近代化するにあたって、その契機となるのが、クラン妃との出会いである。クランは武 装する女性であり、兵士としての誇りをもっている彼女から、人間としての誇りが女性にも あるのだなあと知った、と日本人チンギスは映画のなかで語る。男装する女性によって、そ の男装ゆえに人権を認めるということは、まさに男以外の人権を認めていないことにほかな らないのだが、その論理矛盾は敢えて問うまい。
この映画の原作は森村誠一の「地果て海の尽きるまで一小説チンギス汗』(2000 年初刊)で あり、こうしたモチーフならびにプロットはこの原作に基づいている。ただし、すでに井上 靖の『蒼き狼』(1959 年初刊)においても、こうしたモチーフはより強烈に提示されていたか ら、それが踏襲されていると見てよいであろう。しかも、このモチーフはまた、たとえば松 平健がチンギス・ハーンを演じる舞台「ジンギスカン」によって 1991 年よりたびたび表出さ れてきた。したがって、日本人にとっては比較的馴染み深いチンギス・ハーン像であると言 えよう。
しかし、このモチーフはそもそもモンゴルでは文学として成立するとは思われない。「モン ゴル人はそんなことかまわない、悩んだりしない」「草原に行けば、5人の子の父親は全部ち がうということだって大いにアリだ」「そのようなことは女の悩みであって、男の悩みではな い」「男でも内心、悩むこともあってもよいけれども、チンギス・ハーンとは関係のないこと だ」「そんなことに悩む男ならハーンにはなれない」「世間話の題材であり。芸術の題材では ない」などの現代モンゴル人の証言がある。つまり、今日のモンゴル社会では、生物的父親 よりもむしろ社会的父親として責任を引き受けるかどうかが、男の価値として問われるので ある。
本映画のなかでテムジンは略奪された妻から生まれた子を殺そうとする。敵将の子だから という理由で殺害を試みるのである。しかし。妻に察知されて、この子に名前を与えてほしい と母に請われて「ジュチ」という名前が与える。「客人」という意味なので、自分の子ではな いという意味であり、嫌々ながらそのような名を与えたと本映画では描かれている。日本で もかって「まれびと」思想があり、異邦人の子が客人として敬して迎えられていたことを、 近代化以後の日本人は忘れてしまっているのであろう。それゆえ、モンゴル人にはありえな い解釈がスクリーン上に展開されている。「生まれたばかりの赤ん坊を殺すなど考えられな い」とモンゴルの人びとは言う。
これらの証言から、「出生の秘密」に苦しむ「父と子の確執」というモチーフがモンゴルで は成り立ち難いこと、少なくともチンギス・ハーン像とは不適合であることが確認されよう。
「出生の秘密」に悩む「女々しい男」の姿と、史上最大の版図をもつ帝国を築いた英雄像 とは、モンゴル人にとって到底合致させがたいけれども、日本人にとっては合致させても不 思議ではないのはなぜだろうか。
日本ではたとえば先般、テレビ番組として放映されていた『華麗なる一族』(山崎豊子原作) においても、同じモチーフが展開されている。出生の秘密を抱えている男とビジネスマンとし て成功を夢見る男は日本人にとって一体的に理解しうる整合性をもつイメージであると思わ れる。「華麗なる一族亅の場合は、主人公がビジネスで失敗して自殺する代わりに、出自の点 では問題がなかったことが明らかにされる。言い換えれば、出生の秘密を抱えて成功すると いう英雄像はあくまでも温存されたことになるだろう。
そのような英雄をめぐる暗黙の理解は、フロイトの弟子であったオットー・ランクの「英 雄誕生の神話」や同じくフロイトの概念を小説論に展開したマルト・ロベールの『起源の小 説と小説の起源』、さらには日本の小説に関して夏目漱石などを論じた三浦雅一の『出生の秘 密』などで指摘されているように、文学全体に共通するモチーフであるという側面も見逃せ ない。井上靖の「蒼き狼」の場合は、折りしも日本は高度経済成長期を迎えており、敗戰に よってひとたび劣等感をもった日本人が世界に飛躍しようとする時代にみごとに適合してお
り、劣等感を持った人間の偉大な成功物語として愛読された可能性が高く、そうした英雄像 の社会的共有が強化されていたかもしれない。
古くは、源義経が父の仇である敵将の平清盛によって育てられたこと、だからこそ兄の源 頼朝との確執があったことなど、広い意味で「出生の秘密」を持つ男の成功物語、言いかえ れば「出生に疑惑を持たれた男の失敗物語」とも連なるようにも思われる。
本映画では、ビジネスの成功=戦闘での勝利であり、戦闘の理由=女の奪還であるから、 極めて単純明快に、出自に悩むことと仕事として戦うこととが合致するのである。言い換え れば、日本文学の伝統であり、とりわけ近代文学に突出した「恋愛と立身出世のはざま」と いう特徴を増幅的に単純に表現するうえで、「チンギス・ハーン物語(出生(1)秘密に苦し む男が出世する話)」はまさしく恰好の素材として実用に供されたと考えられる。
本映画には、テムジンが許婚であるポルテを迎えに来ると、彼女はすでに盟友ジャムカの 妻になることが決まっていて、盟友ジャムカがテムジンと2人並んでボルテ自身にいずれか を選ばせるという筋が創作されている。まったく歴史的記録には見られない新しいエピソー ドである。この創作によって、2人の英雄は1人の女を奪い合う関係と化す。 史実にない盟友同士のあいだでの略奪ごっこシーンが描かれていることは、日本人にとって こうした「女をめぐる戦い」は「女の略奪」と区別できない同じものであることを示してい る。日本の近代文学にとってきわめてなじみ深いモチーフが造作されていることは疑いない。
モンゴルにおける『女の略奪』の文脈
そもそも「戦闘」と「略奪亅は暴力という人間的行為という次元でほぼ同義であることは 改めて説明を要すまい。一方、「婚姻」と「戦争」は部族連合という社会的機能の次元で歴史 的にはほぼ同義であったと思われる。ただし、『婚姻』によって結合している集団同士が、当 該の結合因子である「女の移動」によってどのような関係になるかは文化的に多様であるだ ろう。
モンゴルの場合、戦争による戦利品は、田畑などのように領土ではなく、人畜という集団 である。ただし、人畜が戦利品だからといって、女やその性が目的なのではない。人畜とは あくまでも軍事力の具象である。軍事力としての人畜を争奪することによって、集団が糾合 されていく。したがって、そもそも、人びとの出自を問うているようでは集団が巨大化しな い。全体としての平和 I が構築されてゆかない。元の出自から次の出自へと接木されていく ことによって、糾合による集団統一が果たされていくとみなしてよいであろう。
ちなみに 4『元朝秘史』の記しとどめた神話によれば、蒼き狼の系譜とチンギス・バーンの 祖先であるキヤト=族の系譜は「接木」された関係にありミ血として繋がっていないのである。
一方、一般的に、`婚姻は戦争をせずに集団を統合する戦略の一種である。焉ンゴルの場 合、女の授受をめぐって2つの集団は対等な関係になることが姻族呼称から確認される。そ して、集団結合の絆である女(妻あるいは妻予定者)が略奪されれば、両集団の連携関係は 断ち切られることになる。つまり、敵対関係眦ある集団を糾合する手法として、敵の背後に あるサポート集団(敵将の妻の実家)との関係を断ち切り、そのサポートを取り込むことが 重要な戦略となる。言い換えれば、妻あるいは妻予定者が略奪されるのは、妻を通じて果た される妻の実家との連携が絶たれることを意味する。
以上のように、戦争によって糾合される人畜のなかにいる大量の女たちと、戦争の代わり に嫁ぎ、また奪われるというように集団間を移動する女とはまったく意味が異なっている。 後者の「略奪される女」は、婚姻儀礼においても婚姻後においても「妻」であって、普遍的 存在としての女たちではないのである。この両者が日本人製作者には区別できないに違いな い。だからこそ、ジャムカとテムジンはボルテに花いちもんめをさせているのであろう。い かにも美人に対してどちらか好きな男を選べと迫る自由恋愛ごっこは、戦争と婚姻が同義的 機能を果たしうる社会のりーダーたちの行動としてはありえない。
戦う目的としての集団があり、その一部である女たちと、戦う手段として使われる正妻と は似ているが同義ではない。このことが了解されれば、第三の女として戦いに自ら参画する 女の意味も同時に解読されるであろう。本映画において上述したようにチッギス・ハーンに
対して重要な教えをもたらす若い娘クランは、チンギス・ハーンの西方遠征に同行したこと で知られている。彼女はチンギス・ハーンのキヤト氏一族とは宿敵の、メルキト氏一族の出 身で、メルキトは彼女がテムジンと出会う以前に集団として討たれている。つまり、彼女に はテムジンが連携すべき集団としての実家がない女は略奪される心配はないし、戦闘で死ん でも連携の契機が喪失される心配はないのである。その意味でたしかに彼女こそは自由人で あった。
東京・ウランバートル3000キロメートル(25)
(梅村 浄)
―モンゴルの核開発と東京・福島―
<三菱商事とモン・アトム社、アレバ社とのウラン開発調印式>
モンゴルの核開発について、昨年の産經新聞に小さな、しかし重要な記事が掲載されてい るのを、最近知りました。2013年10月26日に、モンゴル国営の原子力企業モン・アトム社が フランスの原子力企業アレバ社と、日本の三菱商事とモンゴルのウラン鉱山開発に関する合 意文書に調印したというニュースです。この会社はドルノ・ゴビでのウラン採掘を本格的に 始めるということです。モン・アトム社のホームページには40分間にわたる動画がアップさ れており、一部始終を知ることができます。
ドルノ・ゴビのウランが、試掘の段階で住民と家畜に先天異常をはじめとする様々な健康 被害をもたらしていることについて、モピ通信140号に「ノルスレンの仔牛」のタイトルで書 きました。政府側の調査結果を踏まえて、モンゴル首相は健康被害の原因はウランではなく、 セレンであると断言していますが、市民団体側はそれに納得していません。
メルトダウン後の福島原発がアンダ ーコントロールにあると宣言してオリ ンピックを東京に誘致し、日本各地の原 発を再稼動させようとしている首相は、 インドネシア、トルコをはじめとする他 国への原発輸出をおおっぴらに推進し ています。この一連の流れの中で、モン ゴルで採掘したウランの輸入、原子力発 電所建設輸出、さらに中間貯蔵施設と銘 打って、モンゴルに核廃棄物を捨てる包 括的エネルギー協定は、第一歩を踏み出 したと見えます。
ゴビの牧民達はこのような状況下で、2月のアレバの説明会を阻止して、現場で頑張ってい るとききます。
<カーテンのセシウム値>
東北大地震と東京電力福島第一原発のメルトダウンから3年が経ちました。2年前に立ち上 げて食品の放射能測定を続けてきた市民放射能測定所あるびれおで、3月15日にカーテンの放 射能値を測定しました。
2階の西南向きの部屋に私のパソコンデスクが置いてあります。ストーブを点けない季節 には、けっこう長い時間、そこでパソコンに向かっています。冬は燃料節約のため、リビン グのガスストーブ前に退散して、仕事をします。
晴れた日には二つある縦長の窓から西日が射します。以前その部屋に住んでいた末娘が作 ったカーテンが、窓にかけたままになっていました。白と水色チェックと黄色い木綿布が接 ぎ合わされている乙女チックなカテーンは、そろそろ作り替える頃合いではないかしらん。
いやまてよ、このまま捨てるには忍びない。その前に放射能測定をしてみようと思い立ち、 切れない鋏で1センチ角に切り始めました。1l の試料を作らなくてはならず、午後11時から 始め、夜中の2時過ぎには、いい加減手が痛くなって打ち切りにしました。この前は千葉県産 のピーナツを殻から出すのに、家族3人で3時間かかってしまいました。試料を用意する時、 いつも「何のためにこんなことしなくちゃいけないの」と情けなくなります。
翌朝、あるびれおへ行って1l マリネリ容器に入れ、196グラムのカーテン布を30分間測定 しました。
あるびれおに置いてある測定器はヨウ化ナトリウムシンチレーション測定器で、試料1kgに 含まれるヨウ素、セシウム、カリウムを10ベクレル以上あれば、30分間でスクリーニングで きます。測定器は外部からの放射能を遮断するために、ぶ厚い鉛の容器で覆われています。 試料を入れるマリネリ容器は円筒形のビーカーの真ん中が小さい円筒形に凹んだ形をしてい て、この凹みに測定器の真ん中に突き出ている放射能測定装置を差し込みます。試料から出 るγ線の数値をこの測定装置からパソコンに送りこみ、演算して測ります。
結果はセシウム値の合計が60.3Bq/Kgでした。3年前の3月に原発から放出された放射性物質 は東京都内に降り注ぎ、今も土壌の中に留まっています。窓の隙間から風に飛ばされた土が 入り込み、カーテンにセシウムが溜まっていることを実感しました。
しかし、福島原発周辺の被ばくは、県民に厳しい暮しの変化を強いてきました。
< 映画『遺言ー原発さえなければー』>
3月11日に東中野ポレポレ座で上映されていた映画『遺言ー原発さえなければー』豊田直巳、 野田雅哉監督制作を娘と介護者と一緒に観に行きました。監督の豊田さんは2月15日にあるび れおの公開講座に来て、福島の今について話をしてくれました。開始時間に行くと満員で入 ることができず、翌日、早々と劇場前に並んで入場整理券をもらい、ようやく観ることがで きました。
タイトルの『遺言ー原発さえなければー』は、 福島県相馬市の酪農家菅野重清さん(当時54歳) が2011年6月10日に自宅の堆肥小屋で自死し、 その小屋の壁に書いた遺言に由来しています。
原発さえなければ
姉ちゃんには大変おせわになりました 長い間おせわになりました
2011 6/10 PM1:30 大工さんに保険で金を支払って下さい
ごめんなさい 原発さえなければと思ます 残った酪農家は原発にまけないで願張て下さい 先立つ不幸を 仕事をする気力をなくしました バネ (息子2人の名前) ごめんなさい
なにもできない父親でした
仏様の両親にももうしわけございません
菅野重清さんは相馬市で乳牛40頭を飼っていた酪農家でしたが、原乳に放射能が出たため、 出荷停止に追い込まれました。フィリピン人の妻と2人の息子と一緒にフィリピンに一時避 難しました。母子3人をフィリピンに置いて自宅に戻った後の、重清さんの自死でした。妻の 菅野バネッサさんは息子と共に日本に戻り、東京電力に補償を求めましたが、何の進展もな く、2013年2月に東京電力を相手取って1億1千万円の損害賠償請求訴訟を起しました。
この映画には原発爆発2週間後に、飯館村に入った京都大学の今中哲二助教授が高線量の測 定結果を村長に伝えたが、国からの連絡指示がないため村民を避難させることができないと いう押し問答の映像。汚染された牛乳を搾乳後、穴を掘って埋めていく様子。飯館村の酪農 家達が牛を手放して、仮設住宅に移住するまで。さらに若いメンバーが他県の牧場で働きつ つ、再起を目指す過程が丹念に記録されています。
あるびれおで目の前のセシウム測定に時間を費やしている日常にもどかしさを感じ、測定 することの意味に思いをいたす今日この頃です。
(2014.3.18)
ノロヴバンザトの思い出 その47
(梶浦 靖子)
中東からもたらされた楽器群
モンゴルの伝統楽器のいくっかは中国のそれと重なる。ホーチルは中国の二胡、ドゥル ブン・チフト・ホーチル(四弦のホーチル)は四胡、シャンズは三線にあたり、ヨーチン は楊琴にあたる。ヤタグは琴にあたり、弦は主に金属製で、弦数は十数から二十数本のも のがある。琴類では朝鮮半島の伽耶琴(カヤグム)も輸入しヤトガとして使用しており、 曲調や演奏者の好みによって使い分けられている。なおシャンズはシュドラク shudrag (
「掻き鳴らすもの」の意)というモンゴル名で呼ばれることもある。
ありていにいえば、上記の楽器は中国や朝鮮半島で製造されたものを輸入しているので ある。この例を文化の進んだところからの流入あるいは、自分たちで製造する技術や設備 を持たないせい、のように見る向きもあるかもしれない。しかしここにはモンゴル式の文 化が現れていると思われるのである。
それらの楽器は 18 世紀、清朝に支配されて以降モンゴルに持ち込まれた。しかし、中国 の音楽史では上記の楽器群は明朝から清朝にかけて、イスラム世界からもたらされた楽器 を中国で改良し成立したものとされている。二胡や四胡はルバーブという弓奏の擦弦楽器 が、楊琴はサンドゥールという打弦楽器が元になったと言われる。そもそも「胡」とは漢 語で異国や異民族、特に中国から見て西の地域のそれを指す。具体的には現在の中東諸国 などが含まれ、異文化起源の楽器であることを銘打っている。そして、明、清代よりも前 の元の時代、モンゴル帝国においてこそ、遠い西の文化が中国文明と出会う機会ははるか に多かった。
杉山正明氏の研究によればモンゴル帝国の姿はおおよそ次のようなものだった。 13 世紀、 モンゴルは周辺諸国、諸民族への進攻、征服を繰り返し、ユーラシア大陸に拡がる大帝国 を作りあげた。駅站制をつくり帝国内の人と物の流通を容易にした。また税金さえ納めれ ば征服した諸民族の伝統文化には干渉することなく自由にさせた。それらの多種多様な人々 が商業活動を活発に行い、帝国はそれ以前の世界にはない豊かさを見せた。征服した地の 人間であれ、民族にこだわらず、モンゴルに心を寄せる者はモンゴルの「仲間」として受 け入れられた。イスラム圏の商人を商業・経済の専門家として政権の中枢に近い地位を与 え重用するなどした。帝国の最初の首都カラコルム(現在のハラホリン)も、次の首都と なった大都(現在の北京)も、仏教寺院とキリスト教会、イスラムのモスクが建つ国際都 市であった。数々の人種と文化が結びつき拡大していったモンゴルというまとまりは「民 族を超えた何かであった」と杉山氏は評している。
諸民族の文化が出会うことで、新しい技術や製品も作られた。そうした異文化の接触、 融合の例として杉山氏は中国の陶磁器のひとつ、景徳鎮をあげている。白い磁器に青の染 料で描かれた模様が印象的なこの焼き物を、中国の磁器の技術と中東イランの青いコバル ト顔料による染め付けの技術が結びついた、モンゴル帝国なくしては存在しえなかった工 芸品として紹介している(『遊牧民から見た世界史』日本経済新聞社)。言うなれば景徳 鎮は中国、漢文化だけでなく、イランだけの産物でもない。まさにモンゴル帝国が産んだ (産ませた)ものと言うことができるのである。
楽器に見えるモンゴル帝国の面影 音楽についても同様のことが起きたとしても不思議ではない。少なくとも中東イスラム
世界の楽器の数々は、元代に中国にもたらされたものと見られている(岸辺成雄など)。 上記の楽器群が中国で作り替えられ、現代に伝わる「中国の楽器」としての形が整ったの は明、清代であるとしても、その前段階をしつらえ、東西の文化を引き合わせたのはモン ゴルであると考えるのがむしろ自然なことであるかもしれない。人が行くところに音楽は ついてまわる。諸民族の交流往来が活発をきわめたモンゴル帝国の時代に、音楽に関する ものが何も持ち込まれなかったとしたら、そのほうが不自然だろう。
モンゴルの文化にもう一つ見られる特徴は、自らそうした技術を習得し生産にたずさわ ることをあまりせず、他民族に行わせることである。こまごまとした手仕事は他民族にま かせ作らせて、できたものを献上させることが多かった。現在も、モンゴル人の常飲する 乳茶(スーテイ・ツァイ)に使われる茶葉はもっぱら中国からの輸入に頼っているし、民 族衣装デールの絹の布地もまたそうである。楽器についても同様に思える。
現在の中国も中東諸国もかってはモンゴル帝国の中にあった。朝鮮半島は属国で、モン ゴルに従わなければならない立場にあった。帝国の力の及ぶ範囲のものを取り寄せ活用す ることに何らの違和感もないことだろう。モリン・ホールを作る職人はモンゴルに何人 もいるが、前述の楽器群をモンゴル人自身で製造しようとする様子はあまり見られない。 モンゴル人としてもっとも本質的な部分以外は他民族にまかせる。それがモンゴルのやり 方、モンゴル文化なのではないだろうか。異文化の技術を学びとり、みずから物づくりを してきた日本とはまったく異なる文化のかたちがそこにあると思う。
みずからの手作業で作り出すばかりが文化ではない。モンゴルは他の諸民族の文化を交 わらせ新しく何かを作り出させる、文化のプロデューサー、あるいはスーパーバイザー、 もしくはオルガナイザーとしての役割を演ずる、そのような文化として理解するべきでは ないだろうか。少なくともモンゴル帝国はそのような文化を実現したと言える。
そうしたモンゴル帝国のやり方は現代のモンゴルの人々にも受け継がれているようだ。 彼らの頭の中には今なお帝国の版図が生きており、こんにちのモンゴルのそこかしこ、た とえば伝統楽器群にも、かっての帝国の面影が息づいているかのようである。
(つづく)
2014年度年会費納入のお願い
(事務局)
4月から消費税が上がります。その流れの中ででも、モピの理念を生かしながら国際協力 について学び、自分のできることの”今”を見失わないような時間を、これからも共に過ご せたらと願っています。モピ活動のこれからもどうぞ変わりなくご支援下さいますようお願申し上げます。26年度の会費をお願いしたくよろしくお願い申し上げます。
MoPI定款に記載しています会費は、一口 3,000 円です。年々世間の事情が厳しくなり 3,000円でまかないきれないのが実情です。強制ではございませんが、 2口会員、3 口会 員、1 万円会員としてご協力していただければと願っています。
伏してお願い申し上げます。
振込み先
郵便振替 口座番号 O0940-6-84135
加入者名 モンゴルパートナーシップ研究所 三菱東京UFJ銀行 谷町支店
銀行振込
口座番号 普通 5096982
口座名義 特定非営利活動法人モンゴルパートナーシップ研究所
理事 松原正毅
編集後記
昨年度は、セレンゲ県のオンドルマー先生招聘事業をやり終えました。今考えると、資金 面の調達から、滞在期間中の中身の濃さ、関わっていただいたみなさま方の協力、どこにそ んな力があったのかな・と思う不思議なものでした。ありがとうございました。
4月1日付けで小長谷先生は、人間文化科学研究機構に転勤されます。これから、細かなこ とでいろいろ変化が起こる可能性があります。まずモピ通信も毎月発行できるかは、現在不 明です。ご不便をかけること多々あると思います。どうぞお含み下さいますようお願申し上 げます。