■NO 159号 2015年5月1日
編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所
事務局から報告とお知らせ
『Voice from Mongolia, 2015 vol.11』
ノロブバンザドの思い出 その57
ホルツ氏インタビューの連載
意味深い京都の佇まいを訪ねて
事務局から報告とお知らせ
議事進行中でのひとこま・
孫と行くモンゴルツア-を企画するのもいいかもしれません。
27年度モピの取組みとして「孫と行くモンゴル」ツァーが持ち上がっていますが、今年 の夏、関空からモンゴル行きの直行便が飛ばないので考慮中です。賛同していただける方は連絡してください。待っています。
(事務局)
『Voice from Mongolia, 2015 vol.11』
(会員 小林志歩=フリーランスライター)
「これまで相当、色んな経験をして来たものよ。でもこうして日本という素晴らしい国に来 られたのは子ども達のおかげだね」 ――トンガ-さん(70)ホブド県出身
子育てをしながら大学院で学ぶ娘を手伝いに、はるばるモンゴルからやって来たお母さん と、またお近づきになった。長い髪をいつもアップにまとめ、笑うとなくなるつぶらな目が、 いつも面白いことを探すように光っている。
昔ながらのゲルの暮らし、ロシアの影響色濃い社会主義、体制移行後の混乱、そして市場 経済と、世の中の激変を生き抜いた 60 歳代以上の方々に会うと、話に引き込まれています。 のんびりした物言いのむこうに、語られることのない、でも何かの拍子に垣間見えるその人 ならではの「歴史」がある。世の中は変わるもの、つまるところ頼れるのは自分と家族の才 覚、という共通認識。優しさと諦め、したたかさ。
「うちのお母さんは商売人気質で…」と娘は言う。社会主義時代は長年経理業務を担当し ていたというトンガさん、常に頭の中ではソロバンがパチパチ。安いものを求めて、あるい は頼まれごとをしてあちこち車で出かける娘夫婦に「ガソリン代を考えなさい~」。90年代 初頭には、若い頃に職場の研修で長期滞在したハンガリーまで衣料品など物資を仕入れに出 かけたこともあったという。
農業省に長年勤めた夫に先立たれて数年。結構な額をモンゴルから持ってきたつもりが、 娘夫婦と孫たちの食費や衣料費であっという間に消えた。肉の仲買人である太っ腹な長男 (42)が再度送金してくれて、「今度は自分へのごほうびを」と市街地へ出た。やはり自分の 買い物はさておいて、祖国にいる孫へのお土産探しになるのだった。とはいえ、日本の化粧 品などを船便でモンゴルへ送ったそうで、「ナェマー(商売)もしなきゃ」とウインクしてみ せた。
「冬でも空気は澄んでいるし、便利だし、日本はいい国」と言うものの、言葉の通じない 外国で、孫の世話と家事に追われた半年間は、相当疲れもたまったようだ。「胃が痛むので薬 を買うのに付き合って欲しい」と頼まれ同行したドラッグストア。薬剤師から勧められた胃 薬も買ったものの、やはり「ミルクで内側から浄化する(伝統療法?)のが一番」と牛乳を 3パック抱き抱えるようにして帰途についた。
ツァガーンサルには、手作りのボーズ、何度も作ってもらったネギ入りのビン(小麦粉を こねた生地を揚げ焼きにした軽食)。モンゴル人の愛唱歌の歌詞どおりの「年をとっても何で もできるお母さん」。ウランバートルで本来の元気を取り戻し、まだまだ長生きしてください ね。
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「今月の気になる記事」
昨年久々に訪ねたモンゴルで感じた変化のひとつに、モンゴル産の加工食品が以前に比べ充 実したことが挙げられます。ビタミン豊富なチャツァルガン(シーベリー、サジーなどと呼 ばれる)のドリンク、ラクダのマークのゴールデンゴビ社製チョコレート…。しかし、食の 安全をめぐる現状は相変わらず厳しいようです。
D.チョローンバト「モンゴル人は毒を食べさせられています」
(筆者:B.ソロンゴ)
わが国における食の安全をとりまく現状と最近出された調査・分析結果について、モンゴル 消費者権利保護団体連合会の事務局長、D.チョローンバトに話を聞いた。政府に対し、食の 安全確保基本計画の実施を訴えている。
-昨年、あなた方の団体では、野菜、果物、ベリー類などから残留農薬が見つかったことを 公表されました。その後の調査でも状況は変わっていないというのは本当ですか?
「2010年~2014年に専門機関が実施した調査によると、特に果物・ベリー類、ジャ ガイモ、野菜から有害な化学物質が検出されています。そのため、同じことを何度も何度も 言わざるを得ないのです。具体的に話しましょう。国の専門監査機関のラボ、国立獣医衛生 中央研究所、科学アカデミーの土壌研究ラボなどが、2010年―2012年にウランバー トル市、ホブド、セレンゲ、ドルノゴビ、スフバータル各県において、「輸入の日常的に消費 される食品の一部から検出された重金属、残留農薬とその健康リスクの評価」という研究を 実施した。この研究によると、市場に出回っている20の食品の899のサンプルから16 種類の農薬、8種類の重金属の残留が検出されている。サンプル全体の27.6%に8種類 の残留農薬が見つかり、このうち、殺菌剤フルシラゾールはWHOや国連食糧農業機関など が共同で定めた食品安全委員会が定めた基準と同等、または健康へのリスクが懸念されるレ ベルであることが確認されています。重金属の汚染は、輸入のジャガイモ、野菜、果物、穀 物、牛乳、乳製品、肉、肉加工品、茶、調味料などのサンプル調査でも60.7%に鉛、3 2.2%に亜鉛の残留が基準値以上だった。言い換えれば、人の健康にとってのリスクが懸 念されるレベルにあることがはっきり示されたわけです。このように、過去の数字など根拠 を並べているのはなぜか、それは、化学物質は以前から検出されていて、現在も相変わらず 検出されている、この状況を言いたいからです。
-輸入食品だけでなく、国内で生産されたジャガイモや野菜にも残留農薬が検出されていま した。当時、デマを流布したとしてあなた方の団体への風当たりも強かったですね。国内産 の野菜、果物について新たに調査はされましたか。
「2013年に健康科学大学の教授による調査チームが、国内産と輸入のジャガイモ、野菜、 果物について残留農薬を調べた際に検出され、われわれの団体から発表しました。しかしな がら、科学的な根拠を無視し、デマを流布したと政府の専門機関から攻撃されました。そし て翌2014年に、最新の分析機器を備えた食品安全基本研究所の健康化学毒物ラボで精密 な調査方法にのっとってトゥブ県、ダルハンオール県の住民や企業が提供した野菜のサンプ ルを調査しました。すると、キャベツ、サラダ菜からのツィペルメトリンが高率で見つかり ました。またセレンゲ県のOさん、Bさん、Zさんのジャガイモ、ニンジンのサンプルから もデルタメトリンの検出量が基準値以上であると確認されました。この調査分析は、201 3年に行った研究と比較すると対象としたサンプル数は50%以下です。このように、20 10年以降行った調査の結果からジャガイモ、野菜、果物のサンプルから毎年、農薬という 形で人体に害を与える化学物質が検出され続けているのです。(中略)食品安全の問題は野菜 に限りません。飲み水、肉からも検出されています。
-飲み水に関する調査はどのようなものがありますか?
「専門監査機関が2010―2012年に行った調査によると、ゴビの各県で30あまりの ソム住民が利用している飲み水から化学物質が検出され、2012年に社会健康研究所が実 施した調査ではゴビアルタイ、ウブルハンガイ、スフバートル各県で人々の飲み水からマグ ネシウム、ウムヌゴビ、トゥブ、ゴビスンベル各県では亜硝酸塩、ドルノド、スフバートル、 トゥブ、ゴビスンベル各県で飲み水から鉄の含有量が基準値を著しく上回り、飲用に不適と の結果が出ています。こうした専門機関による調査結果はその都度政府にも伝えていますが、 今まで有効な対策が講じられていません」
-備蓄の肉についてどのような問題がありますか。これも政府の施策のひとつですが。
「近年、首都や地方都市の消費者の需要に対応できるように肉が備蓄され、安全面に関して 食品安全法7、10条、肉管理規則で定めているとおり、肉を産業的に処理し、流通させる 規制があるが違反が後をたちません。言い換えれば、ひとりの仲買人が地方から大量に買い 入れた肉をそのまま仕入れて保管庫に入れ、備蓄肉として販売している。法律違反です。諸 外国が、モンゴルから肉を輸入する意向があっても、モンゴルの肉は衛生基準を満たしてい ないとの理由で購入を止めている。国内のわたしたちは気にせず、食べている。さらに、わ が国の企業のなかには生産した食品や輸入した食品の表示を正しく行っていないところもあ ります。昨日もテレビでやっていましたが、消費期限、原材料を書き換える、などです。表 示が不明瞭なものも数多くあり、特に塩、飲料水、ジュース、牛乳、乳製品。ツェべル(訳 注:純粋な、新鮮な、の意)タラグ(=ヨーグルト)、ツェべル・スー(=ミルク)、粉乳を 溶いたものもある。モンゴルの塩、として販売されているが、中国産の塩であるなど、枚挙 にいとまがありません。(中略)
-あなた方は政策レベルでどのような対策を求めていますか。
「緊急に、食品安全を確保するための基本計画を策定、実施する必要があると政府に求めて います。わが国には、食品安全確保の法律は既にありますが、法律と基本計画は大きな違い があります。法律より具体的に、何を実施すべきかを明文化する必要があります」
-多くの市民は、化学物質による健康被害について、よく知らないようですが。
「専門機関、ラボの多くに、われわれが食べているものを確認してもらう。それ以外にでき ることはありません。なぜ残留農薬の問題を言い続けているかと言えば、人は毒物の入った 酒を飲めば、その場で死ぬが、化学物質の含まれた食品や野菜を食べても、すぐにはわから ないが日常的に摂取し続ければ、しだいに消化器や肝臓、胆嚢、脳神経系統などが蝕まれる 恐れがある。研究者によれば、がんや感染症が毎年増加しているといいますが、これも無縁 ではない。かつては第1、第2、第3病院に行列ができていたのが、今はがん病院に行列が 移動した。そんなわけで、昨年来、健康革命というキャンペーンを始めました。モンゴル人 の健康に、かつてないほど注意を払うべきときに来ている。モンゴル人は地球上のどこより も、自然食品を摂取する権利がある唯一の国民だと私は思っています」
-食品安全の法律が定められて以来、状況が改善しているとの意見もあります。
「まあ、ひとつかふたつは良くなったかも知れないが、実効性を発揮するには長い時間がか かっている。例えば、表示違反の問題は、法規制がなされても、徹底されるには至っていな い。消費者を困惑させる、または故意に欺くような表示がまかり通る状況は相変わらずです。 野菜の残留農薬検出、飲み水の化学物質検出、どちらも事実です。備蓄の肉の違反もある。 厳しい言い方をすれば、モンゴル人は毒を食べさせられているのです」
―こういう発言によって、専門機関から非難されるのでしょうね。
「もしわれわれの言い分が嘘なら、昨年の時点で責任を問われているはず。そうはならなか った。当時の首相アルタンホヤグは、われわれを司法機関に調べさせたが、何も見つからな かった。それでも、食品安全を司る公的機関の面子やポストを守るために、われわれを攻撃 したのです。もし問題がないなら、なぜ何度も検出が続くのか。食の安全がこんな状況で、 タバントルゴイ、オユトルゴイ(開発)を議論している場合かと言いたい」(後略)
―みなさんはどこで主張を伝えていますか。
「政府に訴えていますが、聞く耳を持たないようです。そのため、国会の民主党、人民党、 正義連合や社会人や女性のグループなどに基本計画の実現への支援を訴えています」(後略) (『ゾーニーメデー』紙より)
-2015年4月13日、政治ポータルサイト POLIT.MN
http://www.polit.mn/content/63077.htm
(原文・モンゴル語)(記事セレクト&日本語抄訳:小林志歩)
ノロヴバンザドの思い出 その57
(梶浦 靖子)
「エルデネ・ザサクの子馬」
小泉文夫記念ライブのおり、曲目を変えに変えて歌った「エルデネ・ザサクの子馬」は 曲の 1 番がわずか5フレーズで音域も狭い、小ぶりのベスレク・オルティン・ドーである
(譜例 29)。歌詞は次のようになっている。
エルデネ・ザサクの子馬は 飛ぶように速く駆けるジョリー馬だ 砂丘の広がるわが故郷 老いた白髪の母がいる
エルデネは「宝石」を意味するが、
ここでは人名と思われる。
ザサクは中世モンゴルの地方行政官の役職 名である。このザサクをなんとか日本語に訳すのも一つの手だが、訳さずそのまま音写し ほうが、モンゴルの文化や歴史の独自な味わいを伝えられるかもしれない。アラブ世界の 「カリフ」や、それこそ「ハン(汗)」「ハーン(河汗)」のようにである。
そして冒頭に馬が出てくるので、一見、馬についての歌かと思うが、主なテーマは3行 目からの通り、故郷とそこに住む家族である。モリン・ホール奏者のアリオンボルトなど の説明によれば、モンゴルでは詩や歌の歌詞などでは、初めの2行で本筋と関係のない風 景や馬のことを描写してから、本来のテーマを述べるのだという。日本の和歌の「枕詞」 に似た働きをしているようだ。この歌詞がCDの解説に載るはずだった。
ノロヴバンザドらがしたような曲目の突然の変更は、日本で公演するモンゴル人音楽家 にしばしば見られる。コンサートの企画運営をする日本側のスタッフとの間で、事前に演 奏のプログラムは話し合われるのだが、前もって決めた曲目がコ
曲を変更する理由は、あまり深く追求したことがないので正直よくわからない。前述し たように歌い手ののどの調子によることが多いが、さほど体調が悪いわけでもないのに変 えることもある。その日の気分でそっちの曲のほうが歌いたくなったからだとしか思えな いことが多い。何かもっと筋の通った理由があるのかもしれないが、今のところ不明だ。 こうした行動は、前もって作成した歌詞解説のパンフレットが無駄になるというだけでなく、 モンゴル音楽にとってマイナスとなると思うのだが、その問題はまた改めて述べることにする。
ンサートの当日になって 必ず一、二曲は変えられると言ってよい。オルティン・ドーなど、歌の曲目が特にそうで ある。まるで変更することが一つの儀式であるかのようだ。
レコーディングに大熱中
CD制作に関してもう一つ思い出されるのは、1995 年秋に来日した時のことだ。レコー ディングは秩父ミューズパークのコンサートホールを借り切って行われたが、レコーディ ングに対するノロヴバンザドの熱の入れようには驚かされた。オルティン・ドーを一曲歌っ ては、調整室に飛んで来て、録音したばかりの自分の歌を再生させる。そして目を閉じ集 中して自分の歌声に聞き耳を立てては、
「ああこの音が長過ぎた、短すぎた」 「このフレーズにはもっと装飾を効かせるべきだった」 と言っては、もう一度録りましょう!と、マイクの前に戻るのだ。
ノロヴバンザドが自分でダメ出しをした録音と録り直したものとは、我々が聞くと、正 直、甲乙つけがたい。あまり違いがないのだ。私やディレクターの人が、
「先生、もうこれでいいですから。録り直さなくて大丈夫です」 と言っても聞かない。 「いいえ、あそこのフレーズはこう歌うべきでした。もう一回やりましょう」 と決然とした調子で言うので、ディレクターも従わざるを得ない。そんなことをしてい
るうちに、午前中から始めたにもかかわらずあっという間に時は過ぎ、終了の時間が来て しまった。
「先生、もう時間がありません。これで終了です」
「何ですって!?ああ何てこと」 そのやり取りを最後に全員でホールを後にしたのだった。 宿泊先のホテルへ戻る車の中でもノロヴバンザドは、もっとこうしたかった、こう歌う
べきだった、とずっとぼやきつづけていた。歌の一音一音に対するこだわりと、よりよい 録音を残そうとする意欲は並々ならないものだった。
20 世紀、グレン・グールドというピアニストがいた。彼は人前での演奏活動よりもピア の曲の録音に情熱を傾けたことで有名で、後半生はほぼレコーディング・スタジオにこもり きりだった。もしノロヴバンザドが自分の自由になるスタジオを持っていたなら、同じこと をしたかもしれない。
ノロヴバンザドはこの頃、こうも言っていた。
「私は限りある生を持つ一人の人間です。しかし進んだ技術のおかげで、私の歌声は録音 され、ほとんど永久に近く残される。ありかたいことです」
大騒ぎをしながら録られたCD、『モンゴルの歌声~ノロヴバンザドのオルティン・ドー』 (VICG 60375)の見本品が私の手元にある。いまや上記の彼女の言葉の通りになったことを 思うと、感慨を禁じえない。
(つづく)
チョイジンギーン・ホルツ、地質鉱業産業省元大臣
ホルツ氏インタビューの連載
小長谷有紀 (人間文化研究機構・理事)
4.ソ連との協力関係
K:当時、モンゴルはどんな国と地質鉱業の分野で協力していましたか?
H:いろいろな国と協力していました。しかし、わが国とこの分野で協力していたのは社会主 義国だけでしたし、その中でソ連が最大の協力国でした。わが国は 1962 年に経済協力開発機 構に参加し、そのことが地質鉱業分野における社会主義国との協力に大きな影響を与えました。
ソ連は地質鉱業分野の発展で世界の上位に入る国です。ソ連では地質鉱業分野はかなり早 く 10 月革命以前から急速に発展していました。ソ連の国土には、メンデレーエフの周期表に 入っているすべての元素がある!という話があります。これは真実に近い話でした。ソ連の 科学アカデミーを作った学者の 1 人である、M.V.ロモノソフは「ソ連の発展の基礎はシベリ アにある!」と述べました。皆さんはこの言葉をご存知かもしれません。シベリアは本当に 自然資源の豊富な地域です。そこには、ダイヤモンド、金、銀など自然の珍しい元素のほか、 石炭、鉄鉱石の豊富な鉱脈があります。ソ連が社会主義を維持していた時代、技術分野の面 では西欧の国々から遅れていた時もありました。
現在、ロシアは当時の遅れをとりもどそうと努力しています。シベリアで採掘している石 油と天然ガスでは、ロシアが経済面で世界トップレベルになっていることを私たちは見てい ます。当時、私たちにとってはソ連から技術的に学び、経済的にも支援してもらうべきことがたくさんありました。今も同じです。しかし、ときおり、わが国の条件に合わない要求が ありました。こんなときは彼らと話をして、問題を両国の状況に合わせる必要がありました。 たとえば、私が地質工業省に勤め始めてまもないころ、ソ連からウラン調査団が来ました。 しかし、彼らのモンゴルでの調査の費用をすべてモンゴル側が負担することになっていまし た。私はとても驚きました。彼らは「これは両国の政府のあいだで決められたことだ」と言 っていました。私は、彼らに「そこでこの問題が決定されたかもしれませんが、あなたたち の国でウランが必要になって、だからそれをモンゴルの領土にないかと調査しに来たのであ れば、この調査の費用を自分たちで負担するべきです!私たちはこの調査の費用を出しませ ん!」と主張しました。そしてその翌年の国家予算の決定時にはウラン調査事業に1トゥグ ルグも使うとは計上していませんでした。しかし、この問題で私はかなり攻撃を受けてスキ ャンダルになりました。そして私は、「モンゴルとソ連の友情などのイデオロギーの問題は、 私にはまったく関係ありません!私は事実にもとづいて決定します!人口200万人未満で、 経済発展も弱いモンゴルのようなこんな小さな国はウラン調査を自国の費用で行うことはで きません!」と言い続けました。今考えてみれば、彼らに対してときどき厳しく指示してい たように思います。当時、モンゴルとソ連の地質工業分野の共同作業を担当した「ノヴォシ ビルスク・ソ連」という機関がノヴォシビルスク市で操業していました。ここで開催される 会議にいつも参加していました。その会議でも厳しい意見をたくさん言いました。当時、ド ルノド県にモンゴル側の 1 つの地質団が水晶を採掘する目的で作業していました。水晶は自 然に豊富にある鉱物ではありません。水晶はあらゆる種類の眼鏡の資質の高いレンズや装飾 品用の品質の高いガラスを作るために使用している工業に重要な影響を与えている鉱物です が、自然に存在するのは珍しいことです。ウランバートルの東にあるテレレジという観光地 に行く途中に「ゴルヒ」という場所があります。そこに選鉱工場がありました。この工場か ら毎年ソ連に品質の高い水晶を 1 トン輸出していました。これは当時の価格で言ってもかな りの値です。私は 1 トンの水晶の国際市場価格を調査してみました。すると、ソ連に輸出し ていた水晶の 1 トンの値段は、国際市場価格の 1000 倍低く決済されていたことが明らかにな りました。1000 倍低いと言うのは無料で輸出しているのと同じことです。こんなことは絶対 あってはならないですよね?この問題を取り上げてモンゴル人民革命党中央委員会に手紙を 書こうと決意していました。その手紙にソ連へ輸出している水晶の価格がべらぼうに安くて 間違っていることを示し、この問題を至急解決することについての意見を取り上げました。 そのうえで、この手紙を国家企画委員会に見せたところ、私のこの意見を応援してくれまし た。そして国家企画委員会から 1964-65 年の国家予算を決定する際に、水晶を調査する地質 団の作業や精鉱工場の費用を割愛しました。実は本来なら、このような問題に対して、モン ゴル人民革命党中央委員会の指示が出された後で国家企画委員会が決定しなければならない と思いますが、そうしませんでした。「変則的」な手続きが行われたのでした。
わが国にはソ連から本当に知識不足の専門家も少々派遣されて来ていました。そんなとき、 私は彼らの地質調査計画に許可を出しませんでした。彼らに対して「あなたの作った地質調 査計画はまちがっています。私はこんな計画に許可を出しません」と言っていました。そし て彼らに私が自分で計画を立ててあげて「あなたたちはこの計画で調査をしなさい!これ以 外の計画で調査を行うなら、成功しません!」と言っていました。こんなふうに仕事を進め ていると、また反対の声があがりました!「ホルツが来てから地質分野でソ連と共同作業が できなくなりました。彼はソ連の専門家に対し、知識不足であると言い、彼らにさまざまな 方法で圧力を加え、差別している!」という噂が出ていました。こんな噂にはきりがありま せんでした。そしてある日、M.ツェレンドルジ大臣に呼ばれました。なぜ呼ばれたかを想像 していたので、大臣の部屋へ急ぎました。私が入ると、大臣は何かを書いていました。そし て、何も話さずにいて、しばらく経ったのち、彼は「きみは何をしているのか?」と聞きま した。私が彼に本当のことを説明しようとすると、彼は「今、起きている噂を私はすべて聞 いた。こんなふうにソ連の専門家たちと仕事をしてはいけない!ソ連の専門家たちに対し、 きみはかなり厳しい対応している。彼らのことを知識不足などと言ってはいけない!きみ自 身がソ連の大学を卒業してきたじゃないか!そんな噂をすぐに止めなければならない」と彼
は言いました。 そして、私は「大臣、ここにきているソ連の専門家たちの中には、本当に地質について知識不足の人がたくさんいます。彼らの中には大学を卒業していないのに「調査エンジニア」 として来ている人もいます。そんな人たちは地質調査計画を立てることができなかったので す。彼らの作った計画には誤りがたくさんあります。こんなことがあってはなりません!私 は彼らのそんな計画を許可しません!」と言いました。大臣は私のこの発言を聞いて「調査 計画に誤りがあればこれを許可しないというのはまちがっていないが、他の問題については 私と相談しなければならない!ソ連からの専門家派遣は政府同士の条約で決定されている。 毎年「モンゴル・ソ連経済協力政府間委員会」が会議をしている。この会議できみのこの問 題を取り上げて解決させよう。だが、きみはソ連から派遣されてきた専門家たちと論争し、 知識不足と罵ってはいけない!」と言ってくれました。
実際のところ、私はソ連からきた専門家たちと論争していません。皆さんは「エルデネト 選鉱工場」について知っていると思います。
意味深い京都の佇まいを訪ねて
(荒木伊太郎)
日本最古の酒造りの神が祀られている「梅宮大社」は京都・右京区梅津フケノ川町にありま す。創建は平安時代初期、仁明天皇の時遷祀されたと伝えられている。
祭神は酒解神(さかとけのかみ)日本第一酒造の祖神・子さずけ安産の神・学業・音楽・芸能 の神 多くの人が訪れています。
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