■NO 160号 モピ通信

■NO 160号 2015年6月1日

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所

 

 

『Voice from Mongolia, 2015 vol.12』

 ノロヴバンザトの思い出 その58

 ホルツ氏インタビューの連載

 意味深い京都の佇まいを訪ねて

 編集後記

 

 

『Voice from Mongolia, 2015 vol.12』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「雪は多いけど、お客さんが来てくれるから。東京オリンピック開催の2020年までは日 本で頑張って、それからモンゴルに帰ろうと思います」

――P.オチルスレン(34)、「ゴビレストラン」オーナーシェフ、ドンドゴビ県出身

大型連休に、北海道の「左のほっぺた」、空知地方にドライブに出かけた。人気の旭山動物 園がある旭川市から南西へ50キロの滝川(たきかわ)市、駅前の飲食店街の一角に 「MONGOLIAN CUISINE(モンゴル料理)・RAMEN(ラーメン)」の看板を発見。ウインドウには 「おおい、やすい、おいしい」と大きな平仮名の文字。「ボーズ食べたい!」というわが家の 子どもたちに手を引かれるように店内へ入ると、優しい笑顔のオチルスレン(オチロー)さ んに出迎えられました。

店内は白い壁にゲルのハナ(折りたたみできる格子状の骨組み)を模した内装が施され、 モンゴル気分が味わえる。「全部自分でつくりました」とはさすが。壁には、同市内で米づく りを体験、観光大使を務める横綱白鵬関の手による、モンゴル語の「たきかわ、だいすき!」 の書き込みも。鶴竜関の昇進を祝して制作されたという、モンゴル出身の4横綱の手形が勢 ぞろいの貴重な1枚も飾られている。

滝川市役所で国際交流を担当する妻と来日して3年半。各種ラーメンや餃子、チャーハン などラーメン店の定番ラインナップに加え、モンゴル料理を提供する店を開店して1年半。 ほかにもビジネスを手がけているそうで、「モンゴル人がここにいる、と知ってもらうための お店」と語る。

人気は、ラーメンとザンギ(北海道弁で鶏の唐揚げ)、ミニ丼の満足セット890円。すご いボリューム、と思いきや、ゲルでのお椀山盛りのおもてなしを思い出して納得。名前が気 になり注文した NEW ゴビラーメン(550円)は、さっぱりめの塩とんこつ味スープにもや しがシャキシャキして、おいしい。アルバイト2人と店を切り盛りしているが、多忙のため、 モンゴルから料理人が近く来日する予定だそうだ。話している間も常連さんが来店、「連休も 仕事?たいへんだね」などと、親しげに会話を交わす姿は、国籍の違いをみじんも感じさせ ない。

この日は残念ながら連休中のためモンゴル料理はお休みだったが、メニューを見ると、ボ ーズ(肉ぎっしりの蒸し餃子)、ホーショール(大きな揚げ餃子)、ツォイワン(焼きうどん)などが700円~900円のお手頃価格で食べられる。帰 り際、「モンゴル料理がなくて申し訳なかったから。ホテ ルで食べて」と、揚げたてのザンギをお土産に手渡してく ださった。

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オチローさんご夫妻は、道内在住のモンゴル人ネットワ ークの中心的存在でもあるとか。「今80人くらいいるか な。毎年夏に集まって、ナーダムを開いています。今年は 十勝開催になるかも」とのこと。ベストシーズンの北海道、 夏の楽しみがひとつ増えた。

ゴビレストラン 滝川市本町2丁目4-5 ☎050-1253-8552 月曜定休

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「今月の気になる記事」

チンギス債の償還開始を2年後に控え、金融危機前夜とさえ報じられるモンゴル経済。 今回は財務大臣のインタビューですが、給料・年金が止まるのではないか、と人々が心配し なければならないほどの状況にしては、他人事のような受け応えに思えます。

J.エルデネバト「給料、年金の増額は困難」

(筆者:M.ウヌルジャルガル)

財務大臣 J.エルデネバトに時事問題について聞いた。

-来月から給料、年金の支払いに支障をきたす状況になっていると聞きます。そのような事態に陥った場合の補正予算について国家危機管理会議で議論されたとの話です。本当にそのような事態になっているのでしょうか。

「給料、年金を支払えない状況とは言いません。なぜなら、現時点で支払うべき額がきちん と支払われています。今月分の給料もそうです。歳入の停止との関連で、給料と年金支払い が止まると理解されたのではないかと思います。歳入は計画された87.88パーセントを 確保していますから、給料・年金不払いを議論するような状況にはなっていません。経済状 況によって公共投資の資金が止まっているのは本当ですが、給料、年金についてはすべてに おいて通常どおり支払われています」

 -どのような理由で、予算の執行が中断しているのですか。どのような規模で起こっている のか情報をお願いします。

「予算の歳入手続きは、今日時点で約2500億トゥグルグ滞っています。経済の特別措置 法を、との話が出たため、企業関係者が態度を保留しているようです」

-給料、年金に、どのくらいの額が使われていますか。

「わが国では給料、年金、福祉サービスの支出は予算全体の60%を占めています。支出を 減らすための方策として、再び、福祉を縮小し、給料や年金を見直すしかない状況がありま す。月におよそ2500-2600億トゥグルグを費やしています」

-『給料の増額分が支払われていない』と労働組合が訴えています。しかし、彼らの求めて いるような増額の見込みはない、とはっきりさせたらどうなのでしょうか。

「状況を理解してもらうことになり、歳入も回復する。残念ながら、予算に負担となっている現在の財政課題が解決され るのはその後となるわけです。その時が来るのをわれわれは待っています。 こうした成り行きを全体としてご理解いただく必要があります」

が重要です。わたしたちからは、かなり困難な状況に陥ってい ると言い続けています。状況がこのように深刻化した今、予算にさらなる負担をかけること は国家予算の状況はさらに悪化します。いくつかの大型プロジェクトが動き出せば、わが国 の評判も上昇するでしょう。そうすれば、外交投資も増えます。それにより、経済が上向きになり、歳入も回復する。残念ながら、予算に負担となっている現在の財政課題が解決され るのはその後となるわけです。その時が来るのをわれわれは待っています。 こうした成り行きを全体としてご理解いただく必要があります」

-2016-2018年の予算の推測について、実現性が低いとも言われています。今後、 予算が回復する見込みはあるのでしょうか?

「予算の推測については、可能な限り、現実の経済状況を反映すべく努力しています。チン ギス債、サムライ債の債務が40-50億米ドルにも達した、と対外債務が盛んに議論され ています。しかし、実際のところは国外より、国内の債務に注意を払うべき状況と言える。 現在、わが国における国内の債務額は31億トゥグルグにも達しており、これはモンゴル国 の経済にとって、流通しているお金の33パーセントにも及ぶ額です。政府が流通する現金 を引き上げ、証券として銀行に預金させることで「経済を回復させる」と言いますが、極め て困難です。そのため、来年の予測では、政府が国内向けの国債により、予算の不足を補う ことはしない方向性が出されています。帯をきつく締めるような緊縮を迫られます。こうす るほかない状況ですよ、と国会議員に話したのです。今後、もしかしたらこのような状況の まま、もしくは年に100億の国債を発行すれば、何年か後には再度予算収支の額にも等し い国内向け債務を抱えることになります。或いは、もっと早く、不況に陥りかねない状況な のです。そのため、一刻も早く手を打たなければなりません。すべきことをせずに時が経て ば、事態は深刻になるばかりです」

 

-2015年5月14日 『ウネン』紙 ウェブサイト http://www.unen.mn/

(原文・モンゴル語)(記事セレクト&日本語訳:小林志歩)

 

 

 ノロヴバンザトの思い出 その 53

(梶浦 靖子)

日本側の問題点

ノロヴバンザドらの日本公演に同行し通訳など手伝ったのは、留学後の3年間ほどだっ たが、その過程でいくつか見えてきた問題がある。ひとつは、モンゴルおよびモンゴル音 楽に対する日本側の、やや下に見るような目線だった。常に見下しているというわけでは ない。私か同行させてもらった公演の主催者、制作スタッフなどの人々はみなモンゴルの 音楽家に対し優しく丁寧に、敬意を払って接していた。にもかかわらずそうした目線を傍 で感じることが幾度かあった。

たとえばCDのレコーディングで、ノロヴバンザドがオルティン・ドーのある曲を歌っ ていた時のことだ。その曲はフグ・ソリグドルのある曲で、冒頭から数分間は明るくのび やかなメロディーで朗々と歌われる。しかし曲の終盤で予測を裏切るように意外な転調を してしめくくる。調整室でそのくだりを聞いたレコーディングスタッフはみな一様に、

「ええっ?|
「あーっ、もう!」

と、驚きと落胆の声を上げたのだった。 事前にちゃんと音を確認すればいいのに、という声が聞こえた。ノロヴバンザドらが調を見失って、歌い間違えたものと決めつけたのである。何をしているんだ!という調子の 不満の声がそれに続いたので、私はやむなく、これはこういう曲なんですと言わなければ ならなかった。この曲の正しいメロディを知っていますか?と問いかけると、事の次第が 理解され、事態は収まった。

自分たちがこの曲を知っているか否かは、冷静に考えればわかることである。普通に考 えれば、モンゴル音楽についてはモンゴル人の音楽家のほうが知識も経験もあるはずだ。 そこをふまえれば、たとえ驚きはしても、彼らの間違いだといきなり決めつけることはし ないはずである。それが上記のような反応になったのは、その国や社会が発展途上である から音楽の技量もまたしかり、といった思い込みがあったのだと思う。

また別の折りこんなこともあった。ノロヴバンザドからの手紙に、前回の日本公演の主 催者らに宛てた挨拶状も同封されていた。特に用件というものではなく、親交を暖める内 容で、手渡してほしいとのことだった。文面を簡単に和訳してその通りにした。しかしな かなか返信が届かないのでノロヴバンザドは

「どうなっているの?ちゃんと手紙は渡してくれたの?」 と私に問い合わせてきた。私はその主催者に連絡をとり、返事を待っているようなのでと 伝えた。

しかしそれでも挨拶状の返事は届かなかった。ノロヴバンザドはふたたび私に問い合わ せの手紙をよこした。今度は、

「普通は手紙を受け取ったら返事を出すものでしょう?あなた本当に手紙を渡してくれた の?」

と、強い調子だった。私は困り果てた。その主催者からモンゴル語の文書の翻訳を頼まれ 会いに行った時、その話をした。すると、

「じゃああなた(筆者)がこの文書の翻訳を仕上げられたら返事を書きましょう。あなた は翻訳をがんばる。私はがんばって返事を書くということで」

のように言うのだった。これは私の翻訳の仕事と交換条件にするような問題ではないだ ろう。相手をビジネスパートナーとして大事に思い、今後もよろしく願いたい気持ちがあっ たら、催促されなくても挨拶状の一つくらい出すものではないだろうか。挨拶状を受けても 返す必要を感じないのは、相手を尊重する気持ちが足らないとしか言えないのではないか。

きっとお忙しいのでしょうとノロヴバンザドに説明し取り繕うのも限界があった。そんな ことがあっては、自分たちが重要視されていないと感じても致し方ない。他により良い協力 者やパートナーを探したとしても責められないのではないか。結局、ノロヴバンザドに返事 が届くことはなかった。

私も人のことは言えない。手紙の件で話をする際うっかり、ノロヴさんに手紙を書いて あげてくださいと言ってしまった。そうした問題に気をつけていてもそれなら、気をつけ ていなければ上記のようなことが起きても不思議はないということだろうか。

そうしたことは相手のことを良く知らないゆえに起こる。今では、大相撲でのモンゴル 人力士の活躍もあり、日本人にとってモンゴルという国はずいぶん身近になっている。上 記のようなことはもう起こらなくなっていると信じたい。

(つづく)

 チョイジンギーン・ホルツ、地質鉱業産業省元大臣

ホルツ氏インタビューの連載

小長谷有紀 (人間文化研究機構・理事)

5.エルデネト鉱山の開発

銅、モリブデンの豊富な資源があります。地方の人びとは「エルデネティーン・オボー」 と呼んでいました。名前から見ても、この土地に「エルデネ[宝]」があると昔から知ってい たかもしれないですね。ここに大きな銅の鉱山があることをチェコスロバキアの地質調査団 が発見しました。この調査が始まったときの話は、皆さんにとっておもしろいだろうと思い ます。1960 年初頭、チェコスロバキアの地質専門家がモンゴルにやって来て、モンゴルの地 質学者たちと共同作業をするという依頼を出しました。彼らはフブスグル県の地質図を共同 で作成しようと提案しました。フブスグル県は自然の美しい地域です。ですからその地域を 「モンゴルのスイス」と私たちは呼んでいます。機会があれば皆さんもフブスグル県のバヤ ンズルフ、ウラーン・ウール、ツァガーン・ノール郡を訪れてみてください!

K:私たちも行ったことがあります!!私はモンゴルの地方のほとんどの地域に行ったことがあります!私が行ったことのない県はほとんどありません!自然地理学にとっても研究者の 興味を昔から磁石のように引っ張っていました。とてもおもしろいです。万年雪のある高山、 広い川河、広い草原、砂漠など全部あります!これ以外に植物学、動物学、そして気象学の 点からもとてもとても興味深い地域です!残念ながら、日本人はモンゴルについてまだ詳し くは知りません。

H:そうですね!「日本人はモンゴルについてよく知らない!」と先生が言いました。私も 同意します。普通の日本人はモンゴルを大草原としてしか想像していないそうです。私はこ のテーマで日本人と話したことはありません。しかし、最近モンゴルを訪れる日本人観光客 が増えています。この観光客について、モンゴルのマスコミが情報を伝えています。日本か ら来たほとんどの観光客は「モンゴルの果てしなく広がる大草原、遊牧民の生活、文化に興 味があって来ました!」と話すそうです。日本ではモンゴルの大草原のような地域はないと 思います。こんな広い土地にこんな少ない人びとが住んでいるということも日本人の興味を 引いていると思います。そうでしょう?その上、これほど豊富な天然資源があることもおも しろいと思います。モンゴルにとっては、地質的にも日本人の興味を引かなければならない と私は思っています。残念ながら、日本の地質学者はモンゴルで地質を調査したり、地質図 を作成したりすることに興味がないようです[2004 年現在、日本人研究者との共同研究も進 んでいる]。このテーマで日本とモンゴルの地質学者たちが協力すれば成功すると期待してい ます。

フブスグル県はとても美しい自然に恵まれた地域ですから、チェコスロバキアの専門家た ちはその県の地質図を作成したいとやって来たのかもしれません。そして、翌年、地質図を 作成するチェコスロバキアの専門家たちがモンゴルに来ました。彼らはモンゴルの専門家た ちと一緒にフブスグル県に行きました。フブスグル県に行くときは必ずボルガン県を通って 行きます。そして彼らと一緒に行っていたモンゴル人の 1 人の地質学者が彼らに「エルデネ ティーン・オボー」を教えてあげました。そして、チェコスロバキアの専門家たちは、そこ から標本をもらい、帰国後にその標本を調査したそうです。そして、その地域に銅・モリブ デンの鉱山があるかもれない!という初めての推測を出しました。その後、モンゴルの専門 家たちは、「土地の傷跡」と呼ばれる場所から、チェコスロバキアの地質学者が地質調査をす る豊富な経験があることを知りました。チェコスロバキア側からモンゴル側に対し、「エルデ ネティーン・オボー」周辺で地質調査を共同で行いたいと提案がきました。モンゴル側はこ の意見にさっそく回答しました。こうして、「エルデネティーン・オボー」で地質調査をする という、モンゴル・チェコスロバキアの共同作業が始まりました。これは 1961 年のごとです。

私はチェコスロバキアから来た専門家たちといつも連絡し合っていました。ときには、彼 らと激しい論争もしていました。チェコスロバキアの調査団長はエマヌエル・コマネチとい う人でした。彼は自分の仕事を自分の 10 本の指のように知っている、専門レベルの高い地質 学者でした。彼と私のあいだで地質調査の方法について意見が合わず、激しい論争もありま した。長さ 3,000 メートル、幅 1,500 メートルの土地で掘削しなければならなかったとき、 彼はこの土地に 135×135 で 3 つの場所に掘削するという意見を出しました。私はそんな彼に 「だめです。掘削をこのようにすれば時間がかかります。あなたはここで 10 年間仕事をしな ければならなくなります!」と言いました。そして彼に「あいだに 400 メートルの距離があ る 7 箇所を掘削しましょう。掘削ラインは 200 メートルの距離をおきましょう!」と提案し ました。しかし、彼は「賛成できません」と言い続けていました。そして私たちのこの論争 は長く続きました。そして彼は「私は 135×135 で 3 箇所の掘削をやってみました。ここに銅 の鉱山があるのは明らかになりました。知っていることに基づいて、知らない方に進まなけ ればなりません、と世界の有名な地質学者の言葉があります!」と説明して、私の意見にま ったく同意してくれませんでした。

そして私は「私の意見に基づいてすれば進めて、そうしなかったら今すぐこの作業を中止 しろ!」と彼に言いました。そしてかなりの期間が経ちました。その間、チェコスロバキア の地質省の副大臣モイミル・カラウテルという人がモンゴルに来ることになりました。この 人はソ連のスヴェルドロフスクの大学を卒業していました。私はかれを自分の部屋に招いて

話をしました。私は彼に自分の意見の優れた点を説明しました。彼と話しているうちに、彼 の地質学の知識不足さが明らかになりました。私たちは、この話を仕事が終わったあと、夜 まで続けました。彼は「ソ連の礼儀」でウォッカ 1 本を持ってきていました。2 人でそれを飲 みました。そして夜中の 12 時ごろに彼が帰りました。私は、話の終わりに彼に「掘削を私の 方法でします。他の方法では許可しません!」とはっきり言いました。自国の専門家を応援 している私と論争するのは、彼にとってはたいへんなことだったかもしれません。しばらく 無言になったあと、「私は自国の専門家たちとこの問題について再び話してみます!」と言っ て帰りました。翌日、彼は本当にすべての問題を私の取り上げた方法で解決していました。

K:「エルデネトの銅・モリブデンの鉱山」を共同で保有する選鉱工場の建設問題をモンゴ ル・ソ連の政府間条約で決定しています。チェコスロバキアはこれに参加することを拒否し たのですか?これにはどんな理由がありますか?

H:チェコスロバキア側はこれに参加するのを拒否していませんが、この問題をモンゴル・ ソ連の政府間条約で決定しています。この理由を説明します。1968 年の春、チェコスロバキ アで政治的な大事件が起こりまいた。そのために、チェコスロバキアの地質学者たちはモン ゴルで始めた事業を終わらせることができなかったのです。当時、チェコスロバキアでは社 会主義に反対した国民たちの大きなデモが始まりました。「プラハの春」という名前で有名に なったこの事件について皆さんも読んだことがあると思います。かって、1956 年にハンガリ ーでも同じようなデモが起きていました。チェコスロバキアとハンガリーの国民は当時何を 求めていたのでしょうか?とりあえず、彼らは社会主義体制を放棄するよう政府に要求して いました。そして、彼らの政治、経済、社会生活にソ連の影響がますます強まっていること に反対していました。ブダペストにはソ連の軍隊が突入し、国民のデモを抑えました。しか し、チェコスロバキアでは「ワルシャワ条約機構加盟国」の軍隊が突入しました。母国でお きたこうした事件によって、チェコスロバキアの地質学者たちはモンゴルで始めた事業を終 わらせることができなかったのです。実は、地質調査作業には、埋蔵量を確認する 3 つの段 階があります。チェコスロバキアの地質学者たちはモンゴル地質学者たちと協力し、この土 地の埋蔵量を確認する作業をまったく完了させていました。しかし、第 2 段階を始めるため にすべての準備が終わったころに先述の事件が始まり、彼らは帰国しました。そのため、埋 蔵量を確認する作業は、モンゴルの地質学者たちだけで行いました。チェコスロバキアの地 質学者たちと協力し、準備がよく整っていたので、モンゴルの地質学者たちにとって第 2 段 階の作業をするうえでの難問はありませんでした。そして翌年に埋蔵量を確認する第 3 段階 を始まるべきでした。しかし、私たちにはこの大きな作業を始める資金なかったです。そし て、この問題を解決するために政府は積極的に動きました。当時、たくさんの意見があった と思います。しかし、最終的にソ連政府にこの案件を提示すると決定しました。ソ連政府か ら早速返事がとどきました。これに私たちは最初とてもびっくりしました。なぜなら、当時、 ソ連政府に対して何らかの問題を解決する依頼を出したとしても、かなり時間がかかってい ました、数ヶ月ときには数年もかかり、ほとんど拒否の返事が届いていたからです。今回は そんなことはなかったのです。これに大きな理由があったことを私たちは後に理解しました。

みなさん、1970 年にチリ共和国に政治デモを起きたことを読んだかもしれません。当時、 アウグスト・ピノチェト将軍の命令で大統領の宮殿を爆発し、サルバドール・アジェンデ政 権、チリの「議会制民主主義」を倒しました。そしてアウグスト・ピノチェトの指導した軍 事政権が設立されました。この事件の前にソ連、サルバドール・アジェンデの「議会制民主 主義」政権と銅精鉱を輸入する大きな契約を結んでいました。そしてチリから輸入する銅で 精鉱を生産するたくさんの工場を設立していました。しかし、チリには政権交換デモが起き たからこの計画が設立されなかったです。

ちょうどこんな困難の時にモンゴル政府から「エ ルデネト銅・モリブデン鉱山」で共同調査を行い、埋蔵量を確認する提案が届いたそうです。

上記の理由があったのでモンゴル政府の依頼に早速返事を出したそうです。1971 年 11 月に ソ連の地質大調査団がモンゴルに到着しました。彼らは早速活動を始め、たった 1 年でこの 地の銅、モリブデンの埋蔵量を確定しました。このようにソ連と行った共同作業がこんなに 早く、こんなにみごとに終わるのを私たち初めてみました。

L:「エルデネト銅・モリブデン鉱山」の埋蔵量を最初何トンと確定したのですか?

H:1972 年に初めてこの鉱山の正確な埋蔵量を 5 億 4,600 万トン、金属は 400 万トンで確定 しました。「鉱山の埋蔵量」と言っているのは石や土と混ざっているところを言います。「金 属」と言うのは鉱石から出せる銅やモリブデン、その他のものを言います。最初の調査を鉱 山の上の方で行いました。その後、深いところの調査を行いました。これらの調査でこの鉱 山の埋蔵量は 3 倍、金属は 2 倍も増えました。現在は深く掘れば掘るほど埋蔵量が減少し、 精鉱する料金が上がっています。しかし、モンゴルの地質学者たちの調査ではあと 30 年も使 える埋蔵量があると見られています。この鉱山では、年間 2,500 万トンの鉱石を採掘し、50 万トンの銅を精鉱しています。「エルデネト選鉱工場」では総計 6,000 人が働いています。こ の選鉱工場によって人口 90,000 人ぐらいのエルデネト市が作られました。ここはモンゴルの 第 3 の都市になりました。「エルデネト選鉱工場」が設立されてから 30 年ぐらい経っていま す。

最初、埋蔵量を確定する作業が成功したのち、この鉱山を利用する、または「エルデネト 選鉱工場」を設立することでモンゴル・ソ連両政府間の条約が結ばれました。しかし、この 条約はモンゴル側にそれほど有利な条約ではありませんでした。実は、この鉱山の埋蔵量を 確定する、そして利用する問題をめぐって、とても大きな政治的なやり取りが行われ始めま した。たとえば、鉱山の埋蔵量を利用する、または、銅やモリブデンの精鉱を国外の市場に 輸出するなどモンゴル側の意見をソ連側は即座に拒否していました。また、これらの問題で 何か批評を言えば「モンゴルとソ連の友好関係を傷つけようとした!」と言われていました。 これは、条約をモンゴル側に有利にしてないことと関係があるかもしれません。「エルデネト 選鉱工場」が設立された最初の数年間、モンゴル側はそこから何ももらうことができません でした。逆に、国家予算から助成金を与えていました。

そして、1980 年の初めごろ、モンゴルの何人かの経済学者がモンゴル人民革命党の中央委 員会の総書記 Yu.ツェデンバルに対し、この不均衡な状態を大至急是正すべきであるという意 見を提出しました。彼らの中には国家予算委員会の高位の職員や大臣も何人かいました。し かし、彼らは Yu.ツェデンバルの支持を得ることができませんでした。ものごとが逆に走り、 この問題を最初に取り上げた何人かの経済学者を解雇する話も出ました。この問題が提出さ れてまもなく、1984 年、わが国にも政治的な大きな事件が起きました。1984 年 8 月、モンゴ ル人民革命党中央委員会の第 8 回大会が開催され、この党を長年引率してきた総書記 Yu.ツェ デンバルを不可解な理由ですべての職から降ろしました。当時の事件について G.ナディロフ は『Yu.ツェデンバル 1984 年』という本に詳しく書いていました。皆さん、その本をぜひ読 んでみてください。G.ナディロフはこの 2 つのできごとの裏に何があったのか、どう関係し ているのかをとても詳しく書いていました。この事件が終わったあとにも、モンゴル側が条 約を改正する申し出をソ連政府に何度も出しました。そして、この問題を 1990 年にすべての 社会主義国に起きた政権交代の時にやっと決定しました。国民に公開されていないたくさん の案件の中に、銅やモリブデンの精鉱を輸出する条約が入っています。この条約の内容は、 エルデネト社の社長しか知りません。2000 年からこの会社がモンゴル側に税金をはらうこと になりました。

現在、この鉱山の埋蔵量の 51%をモンゴル政府が、49%をロシア政府が保有しています。 鉱山の 51%をモンゴルが保有しているので、「エルデネト選鉱工場」の社長はモンゴル側が任 命しています。1990 年以降、この鉱業の社長はモンゴル人が任用されています。しかし、こ こでまた 1 つの欠点が新たに増えました。それは何かと言えば、選挙に勝った党がその党の 人をこの鉱業の社長に任命するようになったことです。モンゴル人民革命党が勝てばその党 の人間を任命します。民主党が勝てばモンゴル人民革命党の人間の代わりに自分の党の人間 を任命します。これはそんなに良いことではありません。また、これからも良く考えて計画 しなければならない 1 つの事業があります。30 年後ぐらいに銅、モリブデンの埋蔵量が尽き て、「エルデネト選鉱工場」が閉鎖されます。その後、エルデネト市に住んでいる人びとの失 業問題が起きます。これはすぐに解決できる問題ではありません。ですから、今からその問 題に注目し、将来起きる問題を解決する方法を考えなければなりません。

(つづく)

 意味深い京都の佇まいを訪ねて

(荒木 伊太郎)

☆六道珍皇寺(ろくどうちんこうじ)は「六道さん」の名で親しまれ、お盆の精霊迎えに 参詣する寺として知られています。

臨済宗建仁寺派に属します。本尊は薬師如来です。

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1 六道の辻 この世とあの世の境の辻、古来より当寺の境内あたりにあるといはれ、冥界 の入り口と信じられました。

2 小野篁 平安期の官僚で、夜になると冥府に行って閻魔庁の役人でもあった。

3 冥土通いの井戸 小野篁が冥土に行く時の入り口。

 

 

 編集後記

次々と起こる自然の災害、事故などの報道に心が痛むことが絶えない昨今です。どうぞ平 穏に日々が過ごせますように念じるばかりです。

金融危機前夜とさえ報じられるモンゴル経済の記事、本当に気になりますし、エルデネト 鉱山49%をロシア政府が保有している・も。

お陰さまで、編集作業をすることでより丁寧に記事を読むことが出来ています。 みなさま、いろんな情報をモピ通信に寄稿してください。待っています。

◎27年度会費納入のお願い

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(事務局 斉藤生々)

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MoPI通信編集責任者 斉藤 生々

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