■NO 165号 2015年12月1日
編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所
ホルツ氏のインタビューの連載(最終章)
『Voice from Mongolia, 2015 vol.17』
ノロヴバンザトの思い出 その63
出前事業プロジェクトに関するお知らせとお願い
意味深い京都の佇まいを訪ねて
事務局からのお知らせ
チョイジンギーン・ホルツ、地質鉱業産業省元大臣
ホルツ氏インタビューの連載(最終章)
小長谷有紀 (人間文化研究機構・理事)
8.民営化以降の諸問題:オユー・トルゴイに焦点をあてて
もう 1 つの問題はモンゴル側が 2%のロイヤリティを BHP 社に支払うことになったことです。 オユー・トルゴイで初めて地質調査を行う許可(地質調査ライセンス)を BHP 社がとってい たことを話したでしょう。BHP 社は無効になった調査ライセンスをアイヴァンホウ・マインズ 会社に渡す時にオユー・トルゴイ鉱山に資源を採掘したとき、埋蔵量を利用した 2%のロイヤ リティをもらうことになっています。つまり、このような条件でアイヴァンホウ・マインズ がオユー・トルゴイの無効になったライセンスを受け取っています。これもあってはならな いことです。
これらを見てみれば、「オユー・トルゴイ鉱山」にある資源はすべて BHP 会社、あるいは「ア イヴァンホウ・マインズ」の財産となりました。これはモンゴルの「憲法」に違反した行為 です。モンゴル側はオユー・トルゴイ株式会社の 34%の株主となったそうです。たまに、モ ンゴル側は鉱山の埋蔵量 34%利用する権利があるように思われます。この「34%」と言う数 字は何に当てはまっているのかと言うのは本当に不明になっています。 L:「投資条約」を結ぶ時に、鉱山の 34%を利用するために必要な投資額をモンゴル側が投資 しなければならない問題が起きたとの話がありました。私の考えでは、このような問題は起 きるはずがない、もし起きたならばリオ・ティント・グループからお金を借りることがなく 問題を解決する可能性がモンゴル側にあったと思います。モンゴル側はなぜこの可能性を生 かしてないのですか? H:この問題はあなただけが気にしている問題ではなくて、たくさんの人が同じことを言って います。34%を保有するのに必要な投資額について解決する他の可能性がモンゴル側にあり ましたが、この可能性を生かしていません。この可能性を生かしてないのはモンゴル側の大 きなミスです。この問題を解決する可能性があったのに、どうしてリオ・ティント・グルー プから高い利子の借金したのかについて、モンゴルの政府から一切説明がないのです!オユ ー・トルゴイ鉱山の資源はモンゴルの国民の財産です。そこを所有する権利は誰にもありま せん。特に外国の投資家の所有にすることはまったくないはずのことです。しかし、今の状 況はまったく逆になっています。
「投資条約」を結んでから、モンゴル側の何人かの議員の要求でオユー・トルゴイの地上 鉱山や精鉱工場が開始され、商品を輸出し、その利益で最初の投資額を得たその時に鉱山埋 蔵量のモンゴル側の利用量を 51%に上げると国会の判決が出されました。つまり、この鉱山 を「戦略的な効果がある鉱山」の種類にすることが決定されました。しかし、政府はこの問 題を解決していません。私たちはいつ決定するかを待っています。 K:とても大事なことを話してくださいました。ホルツさんの話されたように詳しい情報を私 はもっていませんでした。ホルツさんは専門家ですから豊富な情報をもっていらっしゃいま す。話を聞いていて「なぜこんなことが起きたのか?」とい疑問が自然にわいて来ました。 このような状況になってしまった理由はなんでしょうか?モンゴル側は「投資条約」を作成 するための「専門家メンバー」を集めることができなかったことと関係がありますか? H:情報については小長谷先生と同じぐらいです。実は、オユー・トルゴイ鉱山の埋蔵量の利 用に関する問題はとても秘密裡に行われて決定されています。「リオ・ティント・グループは 活動を公開的に行っている、とても責任感の高いグループ」と言われています。今はそうで はないということは明らかになりました。彼らはこれらの問題に対し、何も責任をとってい ません。さっき私の話した内容のほとんどが今まで、つまり、投資者間の会議が開催される まで、モンゴルの国民には発表されていませんでした。オユー・トルゴイ鉱山の利用に関す るこのような状態に至った原因はたくさんあります。まず、モンゴル側は「投資条約」を作 成するための「専門家のメンバー」を集めることができなかったという見解には同意します。 しかし、これはこんな状況が成り立った多くの理由のたった 1 つです。他の理由もたくさん あります。これについてここで少し説明します。
1990 年代にモンゴルは市場経済制度に変更されました。これは簡単なことではありません でした。モンゴルは政治、経済、社会の全階層を通じて危機に陥りました。モンゴル国は今 もその危機から出ることができない状態です。この時期から地質鉱業分野の発展に対する政 府政策には大きな変更が行われました。まずは、地質鉱業分野に国内外の企業の投資を集め ることに注目しました。この政策は正しい政策でしたが、これを実現するためにたくさんの ミスを起こしました。国内外の企業の投資に大きな期待をもった時期もありました。この状 態が起きたのは国内外の企業はまず、自分たちの利益のために動いていることをモンゴル側 は理解しなかったことと思います。
投資者、特に海外の投資者が、私たちの代わりに私たち のする仕事をしてくれる、と勘違いしていたかもしれません。メディアというのは社会に大 きな影響をもたらすものです。海外の投資者、特に「オユー・トルゴイ」の投資者をテーマ に書いている、彼らをほめて書く、特別に訓練を受けた記者もいるようになりました。モン ゴルの政治家の中にも海外の投資家をいつもほめて話している人もいました。当時行われて いたことがらを今考えてみると、すべてがどこかからか上手に操られていたかのように思わ れます。このようにして、海外の投資家たちは社会の状況を自分たちの方に上手に仕向ける ことができたのかもしれません。これ以外にモンゴルでは海外の投資家と一緒に自国の資源 を彼らにあげている政治、経済の徒党が組織されているかもしれません。この徒党の協力で 海外の投資家たちは 1997 年、2006 年にモンゴルの「資源法」に自分たちに有利な変更を施す ことができました。1994 年の「資源法」を無効にし、新しい法律を作る、それをまた改正す ることに懸命に努力した 8 人の政治家がいます。彼らの 4 人が民主党、4 人が人民党の党員で す。私は彼らを皆よく知っています。彼らがこんなことをしたとモンゴルの国民のほとんど 知りません。海外の投資家のために活動しているこれらの徒党は、このように「資源法」を 変更したあとも、同じような形で多くの違法行為を犯しました。たとえば「オユー・トルゴ イ鉱山」の資源埋蔵量を確定してなかったのにアイヴァンホウ・マインズに採掘権を与えて います。また、この鉱山を利用する現実的な、技術・経済的な可能性が提出されていない時 に、投資条約を結んでいます。海外の投資家は自分たちでこのような行動はできません。こ れはモンゴルで成り立っている彼らの利益のために動いている徒党の支援でしかできません。 これしか方法はないのです。
海外の投資家に優しすぎて、自国の法律に反したこれらの行動は、結局、私の上に述べた 状況が成り立つたくさんの理由を出したのです。
条約を結んでいた時にモンゴルの市民運動がこれら違法行動を厳しく批判し、これを至急 改正する、また条約を再び作ることを要求していました。私は彼らの戦いを最初から応援し、 活動にも参加していました。私たちは何年もいろいろな形で戦って来ました。残念ながらど れも成功に至らなかったです。わが政府はこれらの要求をどれも受け入れませんでした。最 近、この投資条約にモンゴル側からサインした、この条約をずっと守ってきた 1 人の大臣が ヴァージン諸島に会社を設立して、その会社の名義でスイスの銀行に秘密の口座を持ってい たことについてメディアが取り上げています。これはどういうことでしょうか?これはとて も危険なことの始まりとなっています。どこからもらったどんな資金で、何の目的でその会 社をヴァージン諸島に設立したのか?という質問にモンゴルの国民が回答を求めています。 これは正しい要求です。今はモンゴルの「汚職と戦う管理局」がこの問題について取り調べ をしています。
先般、モンゴル国の大統領がオユー・トルゴイ鉱山を利用する問題について国会で公開会 議を行いました。これによって投資者間で起きている論争では、モンゴル側も一定の位置を 確保することができました。現在、「オユー・トルゴイの投資条約はモンゴル側に利益がない 条約だった!」とモンゴル人の見解は一致しています。
K:ありがとうございました。
H:いいえ、どういたしまして。
(モピ通信155号(2015年新年号)から12回にわけて連載しました小長谷先生のレポート「ホルツ氏インタビュー」今回で 終わります。貴重な資料を見せていただきありがとうございました。)
『Voice from Mongolia, 2015 vol.17』
(会員 小林志歩=フリーランスライター)
「(帰国したらまず何をしたいか尋ねられ)まず家畜のところへいく。それだけ」
― D.テグシボヤント(60)、アルハンガイ県ウルジートソムの牧民
夫の留学で北海道・帯広で暮らす娘の出産を支えるために、アルハンガイの草原から、初 めて日本へやって来た。空の旅は初めて、また大病を患ってから足が少々不自由な母のため、 娘夫婦は、乗り継ぎの空港で、空港職員による車椅子でのエスコートを依頼した。さらなる 安全策として、友人である私のモンゴル旅行の帰国便に合わせてチケットを手配した。7月 末、混み合う韓国・インチョン空港の待合室のベンチで、テグシボヤントさんと出会った。 子連れの私にすぐ気づき、ふんわりと微笑んだ。
首都から西へ360キロの同県ウルジートソム、郊外の草原のゲルで暮らす。家具職人の 夫の間に7人の子がいるが、半分は地元で暮らしている。20年以上前のことだが、末息子 は自宅のゲルで、子どもたちが見守る中、出産したそうだ。娘オヤンガーさんの願いは「臨 月になる前に呼び寄せ、日本を案内したい」。自身が来日して2年、日本に来て、といくら誘 っても「いい、いい」と遠慮していた母だった。家族で阿寒温泉や小樽を観光、オヤンガー さんにとってはお腹の子がくれた、母を独り占めする貴重な時間となった。
こちらへ来てどう?と聞くと、「ブフ・ユム・サェハン」(申し分ない)と繰り返した。テ グシさんを見ていると、なぜか宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」が浮かんでくる。自己主張をせ ず、不平も言わないが、芯の強さがにじみ出る。そして、イツモ、シズカ二ワラッテイル。
我が家に招いたときのこと。夫のギターが目に入り、いつになく興味を引かれた様子を見 せたテグシさん。「弾いてみますか?」と尋ねると、いそいそとギターを抱えた。「30年以 上前のことになるけど、若い頃習っていたの」。「それ以来、もうずっと機会がなかったから、 指が動くかしらね」。娘にとっても、初めて見る母の姿がそこにあった。
(写真説明)テグシボヤントさん(左)と娘のオヤンガーさん
真剣な表情でギターをつまびく彼女、周りを走り回る子どもた ちの喧騒をよそに、一心に指を動かす。たどたどしい音が連なり、 やがて旋律になる。母でも祖母でもない、自分の興味あることに 没頭するひとりの女性。頬を紅潮させ、ギターの練習に励む若い 日のテグシさんを思い浮かべてみる。
家族のために日々料理をし、家をきれいに整え、子育てを終え ると、孫を見守り、家族を支え続けて来た、世界中の、幾世代も の母親たち。優しく微笑み、静かに佇むテグシさんを見ながら、 名も無き母たちの、語られない物語に思いを馳せる。
予定日を一週間も過ぎ、北海道の早い紅葉が街を染める頃、無 事生まれた女の子は、「アズジャルガル」(幸せ)と命名された。 テグシさんにとっては、還暦にして、すでに16人目の孫の誕生 となった。私に雰囲気が似ているという上の娘さんに会いに、そ のうちウルジートのゲルを訪ねますね。
************************************************************************************
今月の気になる記事
先日、札幌で開かれたビジネス会合でのこと。駐日モンゴル国大使は、日本の安保法制へ の賛意を明言し、「強い日本になることをわれわれは歓迎する」とスピーチされました。憲 法を骨抜きにする改正の動き、と聞けば日本のことかと思いきや、モンゴル国でも憲法改 正法案がニュースを賑わせているようです。憲法を変えようとする人々の真意はどこに …?
Ж.ゴンボジャブ「(憲法改正法案で)国を侮辱する、伝統にもそぐわない文言を入れようと している」(筆者:Ч.ウルオルドフ)
元国会副議長、政治社会功労者のЖ.ゴンボジャブのインタビューをお届けします。
-憲法改正法案が国会レベルで議論されています。ご意見はいかがでしょうか?
「モンゴル国憲法を改正すべきかどうか、と言えば、私は、改正も有り得るとの立場です。 しかしながら、先日国会に提案された改正案には総じて反対です。例えば、憲法の名称を「エ へ・ホーリ(母法)」と変更するとの指示があります。モンゴル国が現在置かれている厳しい 状況、経済不況で国民の生活がよくならず、成果が出ていない折に、こんな改正をすること に意味はありません。そして、憲法の名称変更だけではないのです。第2に、政権のなかで 3分の1を国会議員が占める、との改正を提案しています。また省を9とし、首相の裁量で 3人の大臣を増やしてよい、ともある。最大12の省の場合、国会議員4人、9省なら3人 の議員を入れよ、との意味のようです。このようなことは憲法を改正せずとも決議できるは ず。国会については1992年から96年にかけて制定された国家大会議法、政府に関する 法にのっとって運営されてきた。ならば、必ずしも憲法改正をしなくても通常の法改正で対 応すればよいのです」
-省の数は9、と憲法で直接定めることのメリット、デメリットは何でしょうか?
「憲法で直接定めることに何ら意義はありません。なぜなら、時の政権にとっては様々な目 標がある。4年ごとに選挙で選ばれる政府が権力の座にある期間にどのような課題に取り組 むべきか、それを判断して政府を構成するのです。鉱山開発が重要な局面にあるなら、鉱山 省、国土保全が問われているときは自然環境関連の省を発足させる。モンゴルは歴史的にそ うでした。一例としては、今日、ハルハ川周辺の50万ヘクタールの土地を外国人に所有さ せる、させないという問題が議論されているなか、この問題に特化した大臣を任命すること も可能です。もし、憲法で省の数を9と定めてしまうと、その後はまた法をいじらなくてはならなくなる。政府が柔軟に対応できるよう、憲法改正でなく、国会・政治に関する法律で 対応すべきです」
-国会議員の数を99人とする、というのは適当でしょうか?
「現状で76人の議員が、国会の議論に参加する権利を十分に発揮し、国民のために役に立 っていると言えない状況です。99人にすれば、不況下において、23の部屋を用意し、経 費がさらにかさみ財政を圧迫する。2-3の省をなくし、官庁の数を削減し、副大臣の人数 を減らすだけでも大騒ぎになっているのですよ。そうではなくて、我が国で過去に2度だけ 試されたことのある政治体制に移行するのが得策です。例えば、上院、下院の二院制を導入 する。上院は年に1-2回招集され、政府の中心的な人材を任命する。予算の承認、国家の 委員会から提案された法律を国際的にどうか、他国の事例等を鑑みて、適切でなければ修正 する、そのようなあり方が望ましい。国会をチェックする機能がないために、国の独立、安 全保障に必要な法律が整備できていない。国家の利害に合わない法規定をチェックする、別 の観点からも、指導的な立場の人材の責任を問うメカニズムも弱い。この状況では二院制が 必要なのです。かつての人民大会議(АИХ)、国家小会議が1990年から92年まで運営 されていたものですが、一部ではチェック機能を果たしていました。今はそういう舵取りが ありません。国会議員の定数を99にするとの条文は、提案している人々の間で、賛否をめ ぐってやり合うような項目を入れることで、大衆の注目を集めるのが目的としか見えません。 そうでなければ、本気で99人にする、すべての提案がそのまま受け入れられるわけがあり ません。人々が飛びつく撒き餌として、そこに注目させることで他の問題から目を反らすと いうやり方です」
-注視しなければならないのは、どのような改正と思われますか?
「憲法に、行政・地方・領土に関する項がある。元々は、行政・地方の出先・領土という項 目だったところから、領土という語を削除しようとしているようです。この語を取り払うの は、地方の力を取り上げることに等しい。地方議会が自分たちの地域内の経済、社会の問題 に対して複合的に取り組むことが困難になっていく。このため、この問題が議論されるなか、 国民は一字一句が削除された、と気づかず通り過ぎてしまうかも知れない。しかし、地方の 権限を制限する方針や文言が入っているのです」
-研究者や法律家からは、憲法を改正することで、責任を手放すことにつながり、権限の集 中を狙っているとの批判の声が上がっています。これについてはいかがですか?
「大雑把な言い方をすれば、憲法改正法案は総じて権限を奪い、集中する目的で出されたも のです。中には、大統領の権限を減らし、国のトップをただの人にするような文言さえ入っ ているのです。例えば、大統領を選ぶ際に国会議員と各県の議会議長らの参加によって開催 する会議で選出するなどというものです。国民の選挙によって選出されていた大統領をこの ような形にしてはならない。バグ長でさえ、こんな選び方はしないですよ。言い方を変えれ ば、有り得ないほど手続きを省略し、しきたりにのっとらず、国の政治を司る上で伝統的に 行われてきたことをないがしろにした文言が入っています。大統領は国の危機管理委員会の 長であり、軍隊のコマンダーという大きな権限があります。この権限をなくそうとしている のです。公職の中心的ポストの任命権さえ奪おうとするものです。今回の改正で何が起こる かと言えば、国会への権力の一極集中です。1992年に定められた憲法の基礎を成す規定 をことごとく覆すものです。92年の憲法には、国会、政府、最高裁、大統領の4つの権力 が分立することにより、互いを監視できる相互作用を担保していた。今回は、それを否定し、 統治論としてのバランスが失わせる指示が加えられている。その上、憲法の進歩を安易に考 えたような印象を受けます」
-例えばどのようなことでしょう?
「来月(11月)26日に国民全員に意見を問う国民投票を実施します、この日は大ビレグ・ デンベレルの吉日にあたる、と国民を洗脳しようとしている。吉日を台無しにした張本人たちが、です。元々、モンゴルの独立記念日だった日です。それを、国民の祝日でさえなくし てしまった。今になって憲法改正法案の承認するため、縁起の良い日として持ち出したので す」
-国民投票を実施するということ自体、法律に反しているということですか?
「国民投票に関する法律では、1か月前に公示することを定めている。その上、2つの案件 について信を問うことになっている。明らかに違反している。実施せんがために、国民投票 に関する法律も改正するとの話も出ているようです。一般に、法改正が行われる際は、違法 なことがまかり通るということが、ならいになってしまった。政治の指導的立場にある人々 が国を導く力を持っていない。能力が完全に失われたことが、国家予算、選挙法案、国民投 票実施に関する数々の法案などの内容の悪さに露呈されています」
(『ゾーニーメデー』紙より)
-2015年11月12日、政治ポータルサイト POLIT.MN
http://www.polit.mn/content/72330.htm
(原文・モンゴル語)(記事セレクト&日本語訳:小林志歩)
ノロヴバンザトの思い出 その 63
(梶浦 靖子)
「鉄道唱歌」の例
1990 年代に日本で行われたモンゴル音楽9コンサートの多くは、そのように両国の民謡 の類似性をとりあげ、「日本とモンゴルはこんなに似ている」という観点で演出されていた。 ほとんど未知であるモンゴル民族とその文化について興味を持たせるための一つの方法では あったかもしれない。
そうした流れで、あるコンサートでは「鉄道唱歌」を取り挙げていた。「汽笛一声 新橋を、 の歌詞で知られ、東海道新幹線の車内アナウンスの際に流れるあの曲である。この曲は日本 で 1900 年、大阪の出版社の企画で作詞、作曲されたものである。ところが、それと全く同じ メロディーの曲が、モンゴルでは女性解放の歌として歌い継がれているのである。
私か見たコンサートでは、上記のことをオルティン・ドーと追分との類似につながる事例 のように取り挙げていた。「鉄道唱歌」とまったく同じメロディーのこの曲を、モンゴル人は モンゴルの曲だとして譲りません、と少々おどけた調子で解説し、このように日本とモンゴ ルの文化はとても似ているのです、というように紹介していた。
しかしこれは、追分とオルティン・ドーの、音階とリズムの特徴に共通性が見られること とはレベルが違う。ほとんど音符の一つ一つに至るまでメロディー同じというなら、それは 同一の曲とみなすべきである。一つの曲が何らかの方法で伝わった、と見るのが自然であろ う。文化が似通っている実例とは言えない。
昭和初期、中国大陸には、いわゆる「満洲国」がつくられた。日本人は大挙してそこに 入植し、日本の文化や文物も持ち込まれた。そこには満鉄つまり南満洲鉄道、まさに日本 の鉄道が走っていた。司馬遼太郎は『草原の記』で、大陸に渡った日本人女性が、モンゴ ル人の少女を対象とした私塾を開き、勉強や礼儀作法を教えていたことに触れている。 「鉄道唱歌」が大陸に伝わりうる環境は十分にあった。
ただそれは日本と中国大陸との、いわば不幸な歴史の一端である。しかし歴史的事実で ある。上記のコンサートは、それに言及するのがはばかられたのだろうか。だとしても、 この問題を両者の類似点であるかのように見せるのは、明らかにミスリードで、すべきこ とではない。そうした過去を乗り越え、未来志向の交流を模索する考えを提示することも 可能だと思うのだが。
何かと似ている似ていると言うだけでは、文化の紹介としておかしなことになると、こ の例は教えているのかもしれない。モンゴル音楽には、日本音楽との類似点も確かにある が、それよりはるかに多くの、独自の特徴かおる。そのことこそがもっと伝えられていく べきだと思う。
鉄道唱歌」の例
1990 年代に日本で行われたモンゴル音楽9コンサートの多くは、そのように両国の民謡
の類似性をとりあげ、匚日本とモンゴルはこんなに似ている」という観点で演出されてい た。ほとんど未知であるモンゴル民族とその文化について興味を持たせるための一つの方 法ではあったかもしれない。
そうした流れで、あるコンサートでは「鉄道唱歌」を取り挙げていた。[¯汽笛一声 新 橋を、の歌詞で刧られ、東海道新幹線の車内アナウンスの際に流れるあの曲である。この 曲は日本で 1900 年、大阪の出版社の企画で作詞、作曲されたものである。ところが、それ と全く同じメロディーの曲が、モンゴルでは女性解放の歌として歌い継がれているのであ る。
私か見たコンサートでは、上記のことをオルティン・ドーと追分との類似につながる事 例のように取り挙げていた。 匚鉄道唱歌]とまったく同じメロディーのこの曲を、モンゴ ルの大はモンゴルの曲だとして譲りません、と少々おどけた調子で解説し、このように日 本とモンゴルの文化はとても似ているのです、というように紹介していた。
しかしこれは、追分とオルティン・ドーの、音階とリズムの特徴に共通性が見られるこ ととはレベルが違う。ほとんど音符の一つ一つに至るまでメロディー同じというなら、そ れは同一の曲とみなすべきである。一つの曲が何らかの方法で伝わった、と見るのが自然 であろう。文化が似通っている実例とは言えない。
昭和初期、中国大陸には、いわゆる厂満洲国」がっくられた。日本人は大挙してそこに 入植し、日本の文化や文物も持ち込まれた。そこには満鉄つまり南満洲鉄道、まさに日本 の鉄道が走っていた。司馬遼太郎は『草原の記』で、大陸に渡った日本人女性が、モンゴ ル人の少女を対象とした私塾を開き、勉強や礼儀作法を教えていたことに触れている。「¯ 鉄道唱歌」が大陸に伝わりうる環境は十分にあった。
ただそれは日本と中国大陸との、いわば不幸な歴史の一端である。しかし歴史的事実で ある。上記のコンサートは、それに言及するのがはばがられたのだろうか。だとしても、 この問題を両者の類似点であるかのように見せるのは、明らかにミスリードで、すべきこ とではない。そうした過去を乗り越え、未来志向の交流を模索する考えを提示することも 可能だと思うのだが。
何かと似ている似ていると言うだけでは、文化の紹介としておかしなことになると、こ の例は教えているのかもしれない。モンゴル音楽には、日本音楽との類似点も確かにある が、それよりはるかに多くの、独自の特徴かおる。そのことこそがもっと伝えられていく べきだと思う。
子供向けの音楽ではなく
日本で行われたモンゴル音楽のコンサートで、もう一つ気になったのは、演出、つくり がどうも子供向けのように思われることが多いことだった。司会進行をする人の言葉使い や、配布される音楽解説の資料の文章、そして全体的な雰囲気が、どうも小学生くらいの 子供を対象としているかのように見えることが多々あった。その場合、観客はけっして子 供が多いわけではない。むしろ、大学生より上の若者、あるいは中高年の男女などのほう が客層の中心であるようなのに、である。
これは、馬頭琴つまりモリン・ホールの由来に関する民話「スーホの白い馬」が、日本 の小学二年生の国語の教科書に載っている。ことも影響しているのだろうか。それくらいの 年代の子供に向けたような語り口が見本となってしまっているとも考えられる。
あるいは、まったく馴染みのないモンゴル音楽を、少しでもわかりやすく敷居を低くさ
せようとする努力の現れと見なすこともできるかもしれない。しかし、子供向けであるこ ととわかりやすさとは別なはずだ。
さらに、そうした背景にはモンゴル音楽をどこか簡単で初歩的な、子供向けの音楽のよ うに受け取る考え方かおるように思われる。だが、モンゴル音楽のおもなジャンルは、伝 統的な行事や祝い事など、社会の重要な場面で演奏される、格式ある音楽のほうが多い。 子供も聞くべきではあるが、けっして子供を対象に作られた音楽ではないのである。
オルティン・ドーの歌詞は、この世の理(ことわり)や、人生の意味などに思いを巡ら せた、いわば「老成した」内容のものが少なくない。そして、自由リズムに基づく旋律は、 子供がすぐに覚えられるものではない。一見すると、正確な拍子に縛られない自由リズム は、何か「原始的」のように思われるかもしれない。 しかし人間の感覚にとっては、規則 リズムのほうが初歩的で、規則リズムをあるていど習得してこそ自由リズムを理解し再現 できるものであるようだ。
また、モンゴル音楽を素朴な「田舎の音楽」として紹介する様子もしばし見られる。 確かに、広大な草原とそこに暮らす遊牧民の生活から生まれ、育まれてきた音楽であり、 そうした見方は間違いではない。だが中世、モンゴル帝国のころすでにモンゴルは「都市」 も持っていた。その後、清朝支配下の時代も、社会主義化してからも、モンゴルに「都市」「まち」はあり、そこでも音楽は奏でられてきた。楽器や歌の名手は、都市部に出て腕を 磨く者も多かったと考えられる。
何より、オルティン・ドーなどの楽曲の音楽だけを聴けば、単に素朴な田舎の、もしくは 子供向けの、などではない、大人の鑑賞に耐えうるセンスや芸術性、味わいが見出せる。 S.ストーン主演の映画『硝子の塔』では、オルティン・ドーの楽曲が使われていた。映画の 作品としての評価は他に譲るとして、モンゴルのオルティン・ドーが、大都会の孤独でミス テリアスな雰囲気を巧みに演出しているように見えた。純粋に音楽だけを取り出すと、新た な価値が見出せることもある。
モンゴルの風土や歴史、文化とともに音楽を紹介することも大事だが、モンゴルとは関 わりが薄い音楽ファンの興味をとらえるようなやり方、音楽面の味わいを前面に出した見 せ方、聴かせ方も追求されるべきではないだろうか。そうすることで、モンゴル音楽の聴 衆の裾野は飛躍的に広がる気がするのである。
(つづく)
出前事業プロジェクトに関するお知らせとお願い
(鈴木 聡)
みなさま日頃はMoPIの出前事業に多くのご支援をいただき有難うございます。 おかげさまで出前事業は、大変好評を得ています。2016年1月より以下の内容で確認と お願いを申し上げます。
料金 一開催(ミニゲル、読み聞かせ、デールの試着、モンゴルの遊び、馬頭琴、パネル展示等) 2万円以上 + 実費(レンタカー代、高速道路料金、駐車場代)ほか
※馬頭琴の演奏は、別途料金にて相談
※デールの有料貸し出しは、一着 1,000 円から + クリーニング代別途とします
お願い 出前事業は、事務局(京都府長岡京市)より出動しますので催事のスタートは出来れば 午後にしていただければ幸いです。
※午前スタートなど詳細は、事務局までご相談下さい。 以上よろしくお願い申し上げます。
意味深い京都の佇まいを訪ねて
(荒木 伊太郎)
東山文化の代表として知られる銀閣寺の正式名称は慈照寺(臨済宗相国寺派)です。 足利義政が文明14年(1482年)に開いた山荘です。銀閣(国宝)は観音殿として質素高 貴な意匠であり、庭園は白砂を段形に盛り上げた銀砂灘(中国西湖の型)や向月台が月の光で 反射して銀閣を照らすと云う。四季を通じて観光客で賑わって居ます。
事務局からのお知らせ
1 MoPI 新年会のお知らせ
平成28年1月11日(祝日 月曜日) 12:00 (受付11:30 分)
会場・肥後橋“徐園” 費用・4,000円
平素みなさまと気楽に集まる機会を持つことが出来ません。新年を祝いながら会員同士の親睦の場になり ますよう、沢山の方々の参加を願っています。
(申込み締め切り:12 月 25 日。tel&fax:075-201-6430 e-mail:mopi@leto.eonet.ne.jp まで)
2音楽交流(仮名称) その後
モピ通信 164 号でお知らせしたあと、奈良市の奈良学園に勤務されている西川栄子先生 からお話がありました。奈良学園小、中、高校の古川謙二校長先生にモンゴルからのメッセージを伝えて下さったそうです。 「うちの学校の中、高校の室内学部は、小さいながら活動しているので、協力したい。 学校に来ていただいて一緒に演奏が出来るといいなぁ」と。 校長先生ご自身がチェロ奏者だということです。ぜひぜひ計画を進めてください。協力は惜 しみません。といきなりうれしい話が舞い込み、音楽交流のことが進展しています。
モンゴル側も「おんぶに抱っこでは交流は続かないとチケット(旅費)は自費で」と前向き です。現在は、モンゴルの子どもたちが夏休みに入った 6 月頃来日の予定、子ども約 8 名を という計画が立てられています。
モピの掲げる未来の子どもたちへの投資の一つです。日本滞在中の諸経費などのご協力を お願いすることになると思います。みなさまご支援下さいますようお願い申し上げます。