■NO 169号 モピ通信

■NO 169号 2016年4月1日

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所 

 

 国際研究フォーラム(新連載その1)

『Voice from Mongolia, 2016 vol.21』

 ノロヴバンザトの思い出 その66

 モンゴル学習支援事業報告

 意味深い京都の佇まいを訪ねて

 事務局からおしらせとお願い

 

 

 国際研究フォーラム

(新連載その1)

「ロシアと中国の国境:諸民族の混住する社会における

『戦略的パートナーシップ』とは何か?」

(小長谷 有紀)

(人間文化研究機構理事)

満州人のアンダ

史料を渉猟した増井は、15 世紀から 17 世紀にいたって 8 件のアンダを整理している(増井 2005)。以下に簡単に紹介する。1明代、1433 年、女真族の海西女直(フルン族)と建州女直 (マンジュ族)が互いにアンダで、共同で戦闘襲撃した。2明代、1499 年、漢人がアンダと 称して女直の朝貢品を横取りしている。3明代、1621 年、漢人のアンダの家を訪ねて殺され たという事件があり、以後、ヌルハチが漢人とのアンダを禁止した。4明代、1621 年、辺境 に住む朝鮮人で、狩猟民との交換で生計をたてている者たちをアンダという。51632 年、ホ ンタイジ(清朝第 2 代皇帝)が、内モンゴル東部諸王たちに対して、満州八旗の諸王たちと 対等に、互いに欲しいものを見て、アンダ姻戚になって、贈答せよと命じた。61651 年、王 ドルゴンと旗人レゼンギの同盟関係。両者は所属する旗が異なる。71655 年、順治帝が 2 歳 年上の貴族の1人に「公爵」とともに「安達 anda」の称号を与えた。81627 年、朝鮮に兄弟 の盟約を結ばせて以来、毎年使節を交換していた。なお、また別に、宮廷内にも「暗達 anda」 がいて、皇子の教育係である。

これらをみれば、1は同一民族別集団のあいだの共同戦線、2と3は漢人との交易、4は 私的、8は公的な、朝鮮人との交易、5はモンゴル人との姻戚化、6と7は権力闘争の回避 と類別できる。アンダはあいかわらず戦略的パートナーシップであり、しかも諸民族集団の ある辺境で利用されることによって多様化した。

新疆ウイグル自治区のシベ族である承志は、幼少時代の思い出として、子どもたちのあい だで困ったときに助け合う友人関係をアンダと言っていたこと、カザフの遊牧民が祖父のア ンダであり、流暢なシベ語を話していたことを記録している(承志 2008)。そしてサンクトペ テルブルグの東洋学研究所にある史料から、初代皇帝ヌルハチが白頭山麓に住んだアジャ コ・バヤンとアンダ関係を結んで満州集団を統一していったことを明らかにした。これは、 上述の諸事例のなかでもっとも古い1と同様に、『元朝秘史』にみられるアンダに近いものと 言えよう。

モンゴルとソロン(エヴェンキ)のあいだのアンダ

承志はまた、モンゴルとソロンのあいだのアンダを紹介している(承志 2008)。1693(康煕3)年、貂皮を納めるソロンが東部内モンゴル諸王とアンダを結びに行った親戚たちと会わせ てほしいという申し出があった。親戚であることは認められたが、申し出は却下された。血 縁は認められたが、自由な移動は認められなかったのである。

以上のように、アンダは、もともとモンゴル語であり、敵となるかもしれない集団のあい だでの同盟関係である。異質な集団が、対等に、贈与しあうこと(交易)による、平和構築 の手法であった。清朝の成立期にも、その意味で利用されていたことが確認される。中国東 北地方の諸民族集団のあいだでは、貂の毛皮は昔から貴重な産品であったが、この産地がロ シアと中国の 2 大帝国の接触地域すなわちそれぞれの国境地域に組み込まれるようになると、 アンダは、公であれ私であれ、毛皮ビジネスにおけるサプライヤーとブローカーとの関係に 転化した。異質な集団が、対等に、贈与し合う関係を利用して、貂皮が収集されたのである。 言い換えれば、ビジネスであるにもかかわらず、伝統的な慣習を意味する用語が応用されつ づけることによって、平和維持が可視化されたのである。こうしてアンダの語は多様化した が、その本質は依然として、背後に緊張関係があるなかでの異なる集団間での協力である。

 

 

『Voice from Mongolia, 2016 vol.21』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

最高の気分だ。演奏しながら、聞いている人々の反応を常に見ているんだ。すごく熱心に 聴いてくれているのが、客席から伝わって来たよ」

―ヨンドン・ネルグイ(65)ドンドゴビ在住 馬頭琴弾き

19日、帯広市内で開いた「モンゴルの風~馬頭琴・カザ フ音楽ライブ」(とかちモンゴル会主催)に出演。5年ぶり に見るネルグイさんは、少しも年をとっていなかった。節く れたゴツイ指で奏でる馬頭琴の音の力強さ。弓と指で弾くよ うに弦をたたく独特の奏法(馬頭琴演奏の主流派から見れば 『禁じ手』なのだとか)で観客を沸かせた。音楽とは、自ら 音を出して楽しみ、それを受け止める人々を楽しませるもの。 そして、奏でる人と聴く人が共有する、録音も再生もできな い、瞬間そのもの。目をつぶり、身体を揺らし、思い思いに 演奏に浸る観客も、きっとそう感じてくれたのではないか。

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NPO法人しゃがあの西村幹也さんが、10年以上前から主 催するコンサートツアーで、5年ぶりに来日。福岡から北海道 まで各地の学校やライブハウスを巡り、70日間に76公演をこなした。走行距離は 1 万キ ロを超えたというから驚く。

初めて音を奏でたのは、と聞いてみた。「5、6歳の頃、はじめはそこらにあった木切れ、 それから空き缶を使って自分で楽器らしきものを作って、見よう見まねで音を出していた」。 すごい子どもがいる、と評判になったのだろう、初舞台が8歳。小学校も出ていないし、 楽譜も読めないが、全モンゴルの馬頭琴大会で9回の入賞歴を誇る。

昨夏、訪れたモンゴルの国際空港には、巨大な馬頭琴のモニュメントが置かれていた。ユ ネスコの無形文化遺産に登録され、馬頭琴を習う子どもの数も飛躍的に増えているようだ。 でも、自ら楽しみながら、聴く人を楽しませるために編み出され、歴戦で磨かれた独自の音 の世界は、決して学校では学べない気がする。

若いモンゴル人女子留学生に会うと、「あの娘、夫はいるのかな」と目がギラギラ。前に 座った観客の女性を眺めては「きれいな人だなあ。30歳くらいかな」。還暦をとうに過ぎ ても、また、裁縫の上手な、7歳年下の奥さんがゴビで帰りを待っているというのに、惚 れっぽさは以前のまま。一杯入ると演奏がさらに冴えるのも相変わらず。この秋の再来日 は既に決まっているそうだが、「もう年だからなあ。もう全国ツアーは最後かなあ」。そん なこと言わず、好物の酒はほどほどにしてもらって、また一期一会の演奏、聴かせてくだ さいね。

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今月の気になる記事

モンゴル人が声を大にして言いたい、モンゴルの魅力とは?不況のさなかに、経済専門家 らしからぬ、楽天気質。それだけでも十分モンゴル人らしさがあふれていますが、自ら、「モ ンゴル人はこうである」というモンゴル人論も展開。MoPI が 2002 年に実施したエコロジース クールのようなツアー企画が、今更ながら、新たなトレンドとして紹介されています。

D.バトジャルガル 「モンゴルはビジネス開発の好適地になりうる」 (筆者:B.マーサ)

以下は、財政経済研究所長で経済学教授のバトジャルガル博士のインタビューである。テー マはモンゴル経済の現状と投資について語った。

-モンゴルの経済成長は2011年、12年にピークを迎え、外国投資が急激に増えたが、 現在は厳しい不況にある。こうした状況と外国投資はどのような関連がありますか。

「歴史的に、2010~12年には、中国による石炭輸入が大幅に増え、陸路で運べる石炭 供給地としてモンゴルがにわかに存在感を増した。地理的な近さ、コークス用炭の豊富さに 加え、比較的低コストで掘れたのがその理由だ。当時モンゴル経済は急激に成長し、実態が 伴っていなかったのだが-成長率17%に達した。現在の成長率は3%だが、経済危機とは言 えず、経済の潮流が今のところそうであるというだけだ。物品を輸入する貿易業者は消費者 の購買力が下がったため、危機と言うだろう。ドルの為替レートが上昇し、輸入品を値上げ せざるを得ないから。

-この厳しい時期に外国投資をモンゴルに引き付ける方法はあるのでしょうか?

「私が言いたいのは、この不況が長く続くことはないということだ。この先5年の間に、国 際的なメガプロジェクトが動き出し、驚くべきビジネスチャンスが生まれる。BRICs(訳 注:ブラジル、ロシア、インド、中国を指す)が牽引するパワフルな金融機関が設立され、 ユーラシア大陸を横断するインフラ建設が進む見込みだ。ロシア、中国、中央アジア諸国の 動きが活発化している。既にロシアと中国という2つの大国が既に政治判断をしたのだから、 計画が確実に実施されると理解できる。メガプロジェクト、大規模な建設事業により、広域 に経済発展がもたらされるだろう。モンゴルにとっては、第一に事業に必要な原料を供給で き、第二に地理的位置の良さがある。建設される道路や事業の実施される地域の中心に位置 している」

-国として、この巨大事業にどう備えていますか。

「インフラについては、エネルギー部門を中心に投資をしている。ロシアと中国をつなぐ西 の道路は既に動き出している。政府は、接続する鉄道幹線、送電設備の整備を決めている。 ユーラシアをつなぐ高速道路の建設は既に始まっている。来年には、さらに大きな空港が操 業する。北米、ヨーロッパ、東南アジアをつなぐ安全な道路もモンゴルを通る。中東やトル コ、ウクライナは非常に厳しい政治状況に直面しているので、モンゴルの北側とシベリアを 使わない手はないと言える。戦略的にもモンゴル経済にとって有利な状況となりつつある。建設事業に使われる原料はすべてモンゴルにある」

-外国企業にとって、モンゴルでのビジネス展開で留意すべきことは何だと思いますか。

「企業がモンゴルで持続可能なビジネスを展開するためには、国家との交渉をうまく進める こと、そして企業の社会的責任を理解し、責任を果たす形で事業をすすめることが重要だ。 モンゴル市場に早い時期に進出した数社の外国企業は、社会的責任をよく認識せずにビジネ スを行ったため、地元の反発が激化し、そうした見方が国民全体に広がった。当時、政府も 外国企業と協力する術を知らなかった。現在では、わが国は、彼らと協力して事業をすすめ ることを学んだ。

モンゴルは、シベリア同様、資源の豊富な国だ。中国という巨大な市場がある。中国は急 速に成長し、発展を遂げた。中国の次には、インドという巨大市場も控える。中国は南アフ リカ、南米に大規模な投資を行う政策を取り、そのためにも大規模な原料供給地を必要とし ている」

-外国企業にすすめるベンチャービジネスはどの分野ですか?

「第一に、ご存知のとおり、鉱物資源開発で、責任ある事業を展開できる企業には将来性は 大きい。次に、わが国の6千万頭の家畜関連。畜産関連の加工業、オーガニック製品の加工 などで収益性の高いビジネスが期待できる。栄養価の高い肉加工品、乳脂肪の豊富な乳製品、 手織りのカーペットなどが挙げられる。特に、家畜の皮革製品の製造業は発展していない。 確立されたなめしの技術を導入すれば、良質な製品が生産できる。 また、野生の植物や動物由来の原料を用いた医薬品や美容のための製品を生産するのも高い 収益が見込める。既に国内生産が始まっている。モンゴルにはまだ研究されていない分野が多い。例えば、地下資源について調査も既に手 がけられたのは30%に留まる。7割はまだ今後の地質学的調査の結果待ちということにな る。

モンゴルには何千年と受け継がれた伝統的な遊牧のライフスタイルと文化がある。外国の 人々にとっては自分たちの文化と異なる、ユニークなものである。そして、それは今なお絶 えることなく、息づいている。その秘密は何か、と聞かれれば、モンゴル人は非常にシンプ ルに暮らし、健康であり、また何千年もの間、自然環境に順応して暮らして来たことを挙げ たい。モンゴル人は伝統的に、豪華さを求めず、飽食を良しとせず、しかし空腹では決して ない。モンゴル人が嫌うのは傲慢や嘘。眠り過ぎる、あるいは、しゃべり過ぎる人は好まれ ない。勤勉を尊び、自然や母なる地球を大切にする。観光のトレンドが変化するなか、こうした遊牧のライフスタイルは、世界中の人々を魅了 している。ビジネスも有望だ。高等教育を受けた人は旅に、自分とは違うライフスタイルと 出会うことを期待する。彼らは自分とは違う暮らしを知り、学び、日常に取り入れられる何 かを求めているのだ。

世界中からモンゴルに来る人々に、固有の文化と、広大な国土の広がりをぜひ見てもらい たい。そんな思いから、ザブハン県の5つのソムで事業を始めた。これは伝統的な暮らしを 観光客に紹介するもので、観光客が希望すれば、自然のなかでの日常のすべてを体験するこ とができる。国内の全県、全ソムにこうしたツーリストキャンプ(観光施設)を設立できれ ばいい。新機軸の事業として、フィージビリティースタディーを既に終え、資金提供をする パートナーを探している。(後略)」 -2016年3月10日、「UBポスト」紙

http://ubpost.mongolnews.mn/?p=18766

(原文・英語)(記事セレクト&日本語抄訳:小林志歩)

 

 

 ノロヴバンザトの思い出 その 66

(梶浦 靖子)

モンゴル流ばかりでなく

モンゴル音楽の国際的な展開に関してモンゴル側に求めたいことがもう一つある。モン ゴル流を一方的に押し通すのではなく、その土地の人間の意見を聞き、より良いやり方を検 討すべきではないかということである。

モンゴル音楽のコンサートで通訳を勤めた際のことである。その日のステージには日本 の音楽家も共演者として出演していた。コンサートは無事に終了し、出演者、スタッフ皆 で打ち上げの食事会を終えるともう深夜の時間帯となった。モンゴル側の音楽家も共演の 日本人音楽家も同じホテルに宿泊しており、皆それぞれの部屋へと戻った。一緒に泊まっ ていた私も部屋で身仕度を解き、早々に寝る準備をし始めた時、誰かが訪ねて来た。ドア を開けて見るとモンゴル人音楽家のうちの一人だった。なんと、今から日本人音楽家のと ころにこのお土産を持って挨拶に行きたいから一緒に来てくれと言うのだ。私は耳を疑い、 ちょっと待ってと制した。もうすでに床に就いているかもしれない時間帯だ。親しくもない 間柄で訪ねていくのは絶対にはばかられるところだった。

私はそのことを伝え、失礼にあたるからやめるよう話した。しかし彼(もしくは彼女) は、何を言ってる?という反応で、どうしても今夜のうちに訪ねて挨拶しなければならな いから一緒に来るように!と強く言うのだった。

その日本人音楽家らと特に親しくなり、今後また仕事をくれるよう頼みたいとのことだっ た。しかも今回のコンサート主催者には内緒で、いわば主催者を出し抜く形で話をしたいと いう訳である。それも少し驚かされるが、モンゴルではこうした行動は間々みられる。 そういうわけで、主催者も眠ってしまった今のうちに挨拶に行きたいのだという。

だとするならなおさらだ。先方はもう入浴などプライベートな時間を過ごしているはず である。もう消灯し眠りについているかもしれない。そんなところに押しかければ、こち らの印象を悪くしに行くようなものだ。そんなことをすれば、モンゴル音楽そのもののイ メージすら悪くしかねない。そう話し、やめたほうがいいと私は制した。

しかし「じゃあどうするんだ」と相手は引き下がらない。土産の品を一刻も早く先方 に渡さなければ気が済まないようだ。モンゴルで同じような光景を見た。ともかく先方の 手のひらに贈り物を載せてしまえば自分の希望を受け入れさせたことになる。深夜に人を 訪ねることも、モンゴルではそこまで非難されないだろう。しかし日本ではそうはいかな い。どんな土産を贈ろうが、時間帯も考えず押しかけた非礼の前では全く無意味だ。明日 の朝にでも挨拶に行けばいいじゃないかと私は説得したが、それでは慌ただしすぎて話が できない!と聞き入れない。主催者にも見られてしまうだろう。だとしてもよほど印象は 良いはずだ。そして私も、モンゴル音楽の名誉を傷つけるようなことに加担するわけには 行かない。私も必死に説得した。

そうした押し問答をくり返すと、相手はついにしびれを切らし 「いいからつべこべ言わずに言う通りにしろ!さもないとこうたぞ!」

と怒鳴り、こちらを睨みつけ拳を突きつけたのだった。一瞬、私は頭の中が真っ白にな り、茫然とした。そして何とか状況を把握した時、気持ちが完全に冷めきってしまった。 そこまで言うならそうしましょう、行きましょう、ということになった。腕力の誇示に怖 じけたとも言えるが、要するにさじを投げてしまったのだ。相手の名誉を守るために必死 になっている人間に対してそのように応じるのか、と思うと情けなく、投げ出してしまっ たのだ。必死で説明したこともまったく理解されなかった。むしろ相手は、聞き訳のない 子供にしつけをしてやった位の感覚でいたようだった。それが一層情けなく、もうどうで も良くなってしまっていた。恥をかいてもいいのなら好きにすればいい、というくらいの 気持ちになった。

日本人音楽家の部屋を訪ねると、出てきた一人は案の定、いったい何事ですか?という 様子だった。日本間の畳には布団が敷かれていて、もう一人はすでに床に就き寝息を立て ていた。私はお詫びを言いながら正座して頭を下げた。事情を話し、モンゴル大音楽家の 意向を通訳した。日本人音楽家は親切に応対してくれたものの、その表情は明らかに困惑 しており、良い印象を与えたとは思えなかった。ふと見ると、私の斜め後ろに慣れない様 子で正座したモンゴル大音楽家は、妙に背を丸め、首をすくめ上目使いで、いかにも申し

訳なさそうな表情を先方に向けていた。先はどのあの強硬な態度表情とはまるで別人だ。 誰から教えられたのか、しおらしく見えるような演技をし、ぶりっ子をしているのだ。そ れを見て私はますます投げやりな気持ちになったが、深夜に押しかけた非礼を先方に詫び て頭を下げた。それに合わせぺこぺこしてみせる斜め後ろの姿が、目の端にいまいましく 映った。

その後、そのモンゴル大音楽家が先方とどうなったかはわからない。この件は極端な例 かもしれず、一般化して語るべきではないかもしれない。ただいくつか、モンゴル側に留 意したほうが良いと思われる点もある。知り合って間もないような相手の元をあまり夜遅 くに訪ねるものではないこと、むりやり贈り物を渡すばかりが良い方法とは言えないこと 等がある。場所が変われば人の感じ方も変わる。モンゴルのやり方をそのまま実行するの ではなく、自身の目的を遂げるのに最良の方法は何であるかを日本側の協力者にまず相談 すべきではないかと思う。

そして、いかに子供ぼく見えようとも、一応はスタッフとして仕事に参加している人間 に対して子供にゲンコツ、のような調子で接するべきではないだろう。意見が食い違った としても興奮せず、相手の言葉の内容をよく吟味してもらいたいと思う。

かっての自分に向けて

モンゴル側への要望を挙げたくて書いたものの、むしろ当時の自分自身に向けて言いた いことのほうが出てきた。

いま思い返して、当時の自分の行動がいちいち情けなくもだらしなく思えるが、一つ言 えることは、まず世間知が足りないということだ。世の中での経験が足らず、ものを知ら なかった。相手が拳を突きつけてきた時点で、そんな風に命令されて仕事をさせられる謂 れはない、と突っ撥ねるか、何であればコンサートの主催者に助けを求めに行く、等の知 恵が足らなかった。また、それは日本の法律に触れることだから警察に来てもらって話し をしようと思うがそれでいいか?と言ってみるだけの知恵がなかった。

そして何より言えることは、覚悟が足らない、ということだろう。覚悟が足らないから、 突然の無茶な依頼や強硬な態度に慌てふためくぽかりで、良い方策が思いつかないのだ。

また、「モンゴル音楽の名誉を守りたかった」と当時の自分は思っていた。しかし突き つけられた拳の前に、その思いをいともたやすく投げ出してしまっている。本当に「守る 覚悟」があるならもう少し粘るものではないか。モンゴル音楽の名誉を背負っているのは。 目の前で拳を突きつけるその人物だけではない。その後ろに何十、何百人の音楽家がモン ゴルにはいる。目の前の人物の行動で、その他数百人の音楽家たちの名誉が損なわれると 思ったら、もっと強く真剣に行動できたのではないか。そこに考えが及ばないのも、覚悟 が足らなかったからではないのか。そして、相手を本当にとことん守る覚悟があったなら、 拳を突きつけてくる位のことは意に介さない強さがあってもよいのではないか。殴るなら 殴れ、それでも自分はあなた達の名誉を損ねる行動に加担することはできない、と相手に 訴えることくらい、できたのではないか。相手を思い、大事なものを守ろうとする気持ち が、愛が、足らなかったのではないかご拳に屈して相手の言いなりになりながら相手を軽 蔑するだけだった当時の自分に、そう問いかけたい。

(つづく)

 

 

 モンゴル学習支援事業報告

立命館小学校 宍戸寛昌

特別授業の御礼

モンゴルパートナーシップ研究所の皆様

先日は素敵な体験学習を実施していただき、ありがとうございます。すっかり時間が空い てしまいましたが、お礼を申し上げます。子どもたちはすっかりモンゴルのとりこで、もう 一度服を着たい、馬頭琴を弾いてみたいと毎日のように訴えています。ぜひ次年度もご協力 いただければと思います。本日、子どもたちが書いたお礼の手紙を郵送させていただきました。ぜひご覧になってください。

► ぼくは、さいしょモンゴルのことをしりたかったので、ちょうどよいべんきょうができました。はじめ、ゲルをたてはじめた時どんなゲルなのかな?とワクワクドキドキしました。そして、ふく(いしょう)はとてもかっこよかったので、かっこつけてしまいました。そして馬頭琴をならすととてもとてもいい音が出たので本当にいいじぎょうができてよかったです。

► 今日はさまざまな体けんをさせてもらいありがとうございました。ふくのがらや色はとてもきれいでした。馬頭琴はたかい音がなると思っていたけど金田さんのお父さんがひいてく ださったおかげでひくい音がなるということがわかりました。

► わたしはモンゴルのふくをきてびっくりしました。それはモンゴルにもスティチがあるということです。これからもモンゴルのことけんきゅうしてください。馬頭琴を本当にみてさ わったことが一番うれしかったです。

► 今日はめづらしいたいけんをありがとうございました。とくにぼくが着たいいしょうが心にのこりました。ぼくはみなさんのおかげで、国の名前もも知らなかったのにだいぶ知しき ができました。きょうはほんとうにありがとうございました。

 

 

 意味深い京都の佇まいを訪ねて

(荒木 伊太郎)

今回はモピ研究所の所在地長岡京市にある、「長岡天満宮」です。

○「長岡天満宮」(長岡京市天神2丁目)

現社寺周辺は平安時代、菅原道真の所領であったとされ、道真は在原業平らとともに、 この地にしばしば遊んで詩歌管弦を楽しんだ縁深いところであると云われています。 道真が左遷されたとき、この地にお立ち寄りになり、名残を惜しまれた縁故によって、 御自作の木像をお祀りしたのが神社の創立です。学問・書道の神様として多くの参拝者 が訪れています。

○菅原道真と牛について
道真は承和12年(845)乙丑6月25日 丑年の生まれ。日頃から牛を可愛がって おられたと伝えられ、左遷されたときの道中で暗殺者があらわれた時白牛が飛び出して 助けたと云う話もあります。延喜3年(903)2月25日の丑の日に亡くなりました。 由来、全国の天満宮には牛の像が数多く奉納されています。

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 事務局からお知らせとお願い

第 15 回 MoPI 定例総会ご案内

モンゴルパートナーシップ研究所
                                                                                                              理事長 小長谷有紀

 

早春の候、みなさま益々ご清栄の事とお慶び申しあげます。平素モピ活動にご支援ご協力 いただきありがとうございます。新しい年度を迎えるに当たりみなさまにご報告とご承認を 賜りたく、下記の通り定例総会を開催いたします。

お忙しいことと存じますがご出席下さいますようご案内申し上げます。


と き 平成28年4月24日(日)午後1時30 ~

ところ MoPI事務所

I 【小長谷有紀ミニ講演会】 * 演題 サプライズ II 【議案】

1 平成 27 年度事業報告

2 平成 27 年度決算報告

3 平成 28 年度事業報告(案)

4 平成 28 年度事業予算(案)

5 その他

メールと往復はがきでお知らせを送っています。

委任状を 4 月 22 日までに 返信、返送くださいますようお願いいたします。

○モピ年会費納入のお願い

年度初めは何かと物入りが重なる時で申し訳ないですが、モピ活動を継続するためご協 力を何卒よろしくお願い申し上げます。

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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

事務所
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
tel&fax 075-201-6430

e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp

MoPI通信編集責任者 斉藤 生々

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