■NO 187号 2017年11月1日
編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所
Voice from mongolia 2017 Vol 38
ノロヴバンザトの思い出 その80
草の根事業&障害と貧困
事務局からお知らせ
[ Voice from mongolia 2017 Vol 38]
(会員 小林志歩=フリーランスライター)
「これは仕事になる、と思いついて始めた。社会奉仕と自分のビジネス、両方だね」
― チョイドグ(36 歳)トゥブ県在住 農業
ウランバートルのスーパーの牛乳売り 場。何気なく手に取った 1 リットルパッ クの裏面には、トゥブ県の牧民の生乳を 使用していることが明記されていた。草 原の遊牧民の牛乳って、どのように集め られ、工場に出荷されるのだろう?8月 中旬、首都から 100 キロのトゥブ県ボル ノールソム(郡)で、牛乳を集めるトラ ックに同乗させてもらった。
同ソム中心部に、大手飲料メーカーA
PUが冷蔵タンクを設置したのは4年前。
地域住民が持ち込む生乳を検査の上、買 い取る。野菜栽培の盛んなこの地域でニンジンを栽培するチョイドグさんは、幹線道路から 離れた草原に宿営する牧民家庭や、車のないお年寄りから牛乳を集めて、メーカーの冷蔵施 設に運ぶ副業を思いついた。APU社から、トラックに設置する牛乳タンクの提供を受け、 当初は、時間を決めて、持って来てもらうことも考えたが、「千回言っても無駄だった」。自 分から出向くのが早いと判断し、夏は毎朝、10 月以降は一日おきに、道なき草原を走って牛 乳を集めるようになって数年がたつ。
霧が明けた朝8時、最初に訪れたのは、知られた調教師だったというおじいさんのゲル。 昨晩搾ったという牛乳は、わずか7リットル。まず、スポイトでサンプルを取り、80%アル コールと混ぜて酸化、腐敗していないかを検査の上、受け取り、貨物室内のタンクに入れる。 運転席に戻り、ノートに受け入れた量をメモし、数日分の買い取り料金から、彼の利益とな る、リットル百トゥグルグ(5円)の手数料を差し引いて、精算。次の家では 20 頭分という 69 リットルが運び込まれた。
「今年みたいに雨がない年はよくないです」。扱う牛乳の量は平年の半分以下だという。 一人暮らしのおばあさんには、購入を頼まれた小麦粉を届けた。「いつも助かるよ。家の中にお茶と肉があるから、入って食べておいき」と声がかかる。一休みもそこそこに、次へ。 前夜の雨でぬかるんでいるから、とオートバイでトラックまで自ら牛乳を届ける人もいる。 互いのちょっとした思いやりに支えられて、仕事が進んでゆく。
この日はおよそ2時間半がかりで 18 軒から集めた347リットルを、冷蔵施設へ持ち込ん だ。地域の人たちもバケツを手に牛乳を売りに来ているが、今春からしばらくは収益性が低 いとして一時閉鎖されていたという。担当者の女性によると、1~3日に一度、集乳トラック が回収に来るそうだ。受け入れ前に再度、サンプル検査がある。「これで異常が出たら、エラ イことだね。ま、そうなったら、うちで乳製品に加工して売るけど」。冗談まじりに笑うチョ イさんに頼もしさを感じた。「ミルクの国」の底力というものだ。
首都近郊で幹線道路に近い同ソムは物流の条件が良いところ。さらに草の海の奥深くまで 牛がいて、乳が搾られている。ミルクの国の乳業が、地方で遊牧の暮らしを営む人々をどの ようにまきこんで展開するのか、興味はつきない。
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「今月の気になる記事」 ホットミルクが美味しい季節になって来ました。モンゴルの乳業事情を伝える記事(今年 1月)をお送りします。長年、同国の乳業に技術者・経営者として関わったT.ダムディンス レン氏は、1生産者や工場に、生乳を出荷するための機材(輸送するための冷蔵車両から包 装機器まで)供与を含めた生産・流通の包括的な環境整備と基準の整備2県庁所在地など定 住地域に小規模工場を設立し、地方の乳を有効活用3乳業自社農場を含め、50-300頭 の乳牛を飼育する農場を多数設立し、既存の工場を最大限稼働して安定供給で輸入を減らす ことが必要(ウヌードル紙、2016 年 4 月 8 日付)としています。
「粉乳シーズン到来」(筆者:B.エンフザヤ)
厳冬期に入り、あちこちで風邪やインフルエンザが流行している。この時期のモンゴル人 が求めるのは何といってもミルク。ミルクはわが国にとっては戦略的な主要食品だ。肉、乳、 小麦粉の3つは、国民にとって主食であり、皆の関心事項である。
寒くなり始めると、首都近郊におけるミルクや乳製品のニーズは、夏とは比べものになら ないほど高くなる。風邪やインフルエンザなどの疾患が増え、人々は抵抗力を高めるためカ リウム摂取を、とミルクに手を伸ばし、昨今は牛乳そのものを飲むことが増えた。そうなる と気になるのが、牛乳の品質をめぐる問題である。
わが国の牛乳生産は近年技術が刷新されたことを受け、天然の、とか健康に良いとうたっ た商品が増えた。「牧民のゲルからあなたのキッチンへ」「混ぜ物のないピュアなミルク」な どのコマーシャルがテレビで繰り返されている。
乳量が豊富な夏には、各工場は牧民から牛乳を買い取ることだろう。では冬に夏のように 牧民から牛乳が得られる?ミルクや乳製品のシーズンである冬、牧畜の国の国民は輸入され た乳に頼るしかないのか?具体的に言えば、粉乳を使って製品を作っているのか、という疑 問である。
乳業会社は毎年、軽工業・食糧農業省から毎年、粉乳の輸入許可を取得しているという。 2016 年にはAPU社、TECO社、スー社など 10 あまりの大手乳業メーカーが許可を取得 した。スー社は 1190 トン、ついでTECO社は千トンの許可を取得。ビタフィット・インペ ックス社は 920 トン、APU社は 800 トン。各社に、輸入粉乳をどこから買い付け、どのよ うに使ったかを問い合わせた。
APU社は「当社は上限より少ない輸入量にとどまった。今年 240 トン輸入した。ニュー ジーランドのフォンテラ社から 240 トン輸入した。テトラパックで販売する牛乳に冬期使用 している。夏は生乳から生産している」とした。ビタフィット・インペックス社もニュージ ーランドから輸入、ウルジーという商品名の牛乳に使用しているとのこと。2016 年において 他社を上回る輸入許可を得たスー社では「千トン超の許可を得たが、実際の輸入は 600 トン あまりで、ヨーグルト、アイスクリーム、テトラパックの牛乳を生産した」という。同じくニュージーランドからだった。 Teco社の社員によると「当社はフォンテラ社の代理店。輸入の牛乳の大半は商品の製造に使っている。『ミルコ』牛乳とアイスクリーム、ヨーグルト、アールツ(発酵乳からアル ヒを蒸留した残りのツァガーを脱水したもの)に使用し、市中小の食品工場にも粉乳を販売 している」と話した。
メーカー数社は、公式な情報でも、商品の一部に粉乳を使用して生産していることを認め ている。粉乳を使用しているのは本当に牛乳や乳製品の一部だけなのか、疑問も残る。冬期、 牧民は工場に出荷するどころか、自分が使う牛乳にも事欠くと聞けば、生乳を使用している と言われても信じ難い。専門機関はこの件をぜひ調査し、結果を公表して人々の疑念を払拭 すべきだ。
「ゾーニーメデー紙」より
2017年1月6日 ニュースポータルサイト
http://www.sonin.mn/news/politics-economy/73452
(原文・モンゴル語)
(記事セレクト&日本語訳:小林志歩)
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通信186号をありがとうございました。 (吉崎 彰一)
志歩さんの直売所のお話は、興味深いものでした。首都から 100 キロも離れたソム で農業をやられている方がいて直売所での販売をされようとしていることに驚きました。 ツーリストキャンプなどで野菜が出ることはわかりますが、地方で一般の人が野菜を購 入して食べるという文化がある(生まれた?)ということに、小生の認識が揺らいでいす。
次に、梶浦さんのノロヴバンザトの思い出では、モンゴルの伝統音楽について考えさ せられました。伝統音楽はその土地に根ざしているからこそのものだということを改め て思いました。
ノロヴバンザトの思い出 その80
(梶浦 靖子)
植民地主義に陥らぬために
先に触れた「アンフェア」ということについてもう少し考えてみよう。モンゴルに留学し た私をノロヴバンザトがあれこれ世話してくれたように、外から訪れた人間にその地の伝統 文化を教える行動は、いわば親切以外のなにものでもない。民主化してからのモンゴルでは、 観光客や駐留外国人向けの個人教授や、短期のモンゴル音楽の教室、教習コースなどが行わ れているようだ。それらは。外国の人々に教えることでモンゴル音楽の世界的な展開を目指 したり、受講料を受け取るなど、経済活動としての面が大きいとしても、やはり自分たちの 持てるものを外の人間に分け与える行動と言えると思う。
ともかく、そのような親切を受け、数年か数ヵ月もしくは数日間、現地の歌や楽器を習っ ただけの者が、自国に帰って「モンゴル民謡歌手」「モリン・ホール演奏家」を名乗り、ある いはそこに「日本人初の、ただ一人の」などの形容詞をつけて活動し、自身を宣伝したなら、 どうにも不当なことに思える。少なくともモンゴルの音楽家たちは、自分たちを世界に知ら しめたいと願っている。その彼らを差し置いてそのように行動することは、いわば親切に仇 なす行為のようにも見える。
遠方の国々や大陸へ探検|に出かけ、未知の王国を「発見」し、そこの金銀財宝を勝手に我 が物とし持ち去るといった行為か、たとえばヨーロッパの大航海時代などに見られた。
いわゆる植民地主義の一つの例である。まるで目分がモンゴル音楽、モンゴル民謡を「発見」 したかのように思い、それを我が物のように思い扱うとしたら、植民地主義的な行為と何ら 変わり無いことだろう。
また、自身の成しうることのすべてが、やってよいこととは限らない。かって、十分な財 力、技術力があるかゆえに遠方の国々や大陸へ出かけて行き、本国で大規模な事業を展開す るため労働力を必要としていて、大勢の人間を従わせ連れ去り奴隷として使役しうるだけの 武力や設備を持っていたからそれを実行した例がある。彼らは自分たちの持てる手段や設備 を行使した。自分の成しうることを成した。そうした行為を禁じ罰する法律はなかった。 そうした行為か後世にはどのように批判されているか、想起せねばならない。 かっては経済的背景により、日本人がモンゴルを訪れることは、モンゴル人が日本を訪れる ことよりはるかにたやすかった。現在モンゴルは格段の経済発展を遂げつつあるが、両者の 格差はなお消えていない。たとえばIT機器の普及率やインターネット環境などは日本の方 が有利な面が多いだろう。
そうした中で、当のモンゴルの音楽家たちを差し置いてモンゴル民謡の歌手や演奏家を名 乗り、自身の宣伝をインターネットで世界に向けて展開するという行動は、後に歴史の審判 を受けることにならないかどうか、考えてみるべきことだ。
人間か活動の範囲を広げれば、倫理の枠組みもまた拡大し変化する。何か目新しい事柄に 関わっている際は特に、自分の行動がどのような意味を持ちうるのか、考えなければならな いのだと思う。
同好の仲間同士の楽しさと盛り上がりの勢いのまま進むと、そうした細かいことに考えが 至らなくなることもあるかもしれない。私はともにモンゴル音楽の演奏をする仲間が残念な がらほとんど得られなかった。しかしそれゆえに、立ち止まり考えを巡らす時間がずいぶん 持てたことは、あるいは天の配剤だったかとも思う。
西洋音楽およびそこから派生したポピュラー音楽等では、そうした問題はほぼ起こらない。 それらの音楽は西洋文明の強大な力に乗って世界中によく広まり認知されているため、上記 のようなことをしても、西洋音楽の立場や名誉はまず揺らぐことはない。しかしモンゴル音 楽を始め、世界の多くの伝統音楽はそうなってはいない。ゆえに扱いにはより慎重を要する。 西洋音楽と同レベル同様に扱ってはいけないのである。
モンゴル人同士の見解の違い
そうしたことに関しては、モンゴルの音楽家の間でいくらか見解の差も見られる。ノロヴ バンザドはモンゴル伝統音楽をモンゴル民族の音楽として世界に知らしめたいと強く願って いた。しかしまた別の歌手の場合、外国人の弟子に対し、モンゴルで民謡歌手として受け入 れることはできないが、かわりに自分の国で歌ってモンゴル民謡を広めてほしい等と言う例 もあるらしい。
そこには、モンゴル人の特長や音楽家それぞれの知識や経験が影響しているのではないか と思う。まずモンゴルの人々は、世界の人々がみなモンゴルについて一定以上の知識が当然 あるものと思っているふしがある。モンゴル帝国はかって世界の大半に知られていた。その 記憶がそうさせているのかわからないが、楽器や民謡のことも当然、知られているものと考 えているようなのだ。ゆえに。モンゴル民謡が外国で歌われることと、モンゴル国内の首都 から離れた地方で歌われることに、あまり違いを感じていない可能性もある。
また同じ民謡歌手でも、外国での公演や滞在の経験によって、考え方も違ってくるだろう。 外国でモンゴル音楽単独の演奏会をしただけの場合と、より国際色豊かな舞台に立った者と では、見解も違うかもしれない。
ノロヴバンザド数十力国を公演したのみならず、二十代の頃にモスクワでの国際フェステ ィバルで十数カ国・地域の伝統音楽の音楽家が出演するコンサートに出演している。のちに日 本でも数カ国の音楽家か参加した「アジアの響き」コンサートに出演した。
そうした中で、自分たちモンゴル人の知らない音楽が世界には数多くあることを実感し世 界の人々もモンゴル音楽についてそう知っているわけではないこと肌で感じただろう。世界の中でのモンゴル音楽とそのあるべき姿などに思いを致す機会になっただろうし、外国人の 学習者がモンゴルの外で演奏することの間題にもより敏感になったと思われる。 外国人の学習者は、外からモンゴルを訪れている時点で、それと同じ視点を持ちうるはずで ある。そこをよく自覚し最大限に生かして考え、行動するべきなのだと思う。
音楽という財物の取扱い
伝統音楽を含め、音楽というものは人間の精神文化の一つであることはもちろん、多くの 場合、それを作り出し行う者に金銭等の対価が支払われるなどして、具体的な富を生む財物 であると言える。西洋音楽においては、音楽家は教会や王侯に仕えて生活し、近代以降は著 作権の概念とシステムが作り出され、自作曲の楽譜の出版・販売や演奏会などで生計を立て、 独立した芸術家として生きて行く道が開かれた。
著作権等は西洋独特のこととしても、西洋以外の諸民族、諸地域の&波音楽においても、 専業の音楽家が金銭などの対価を得て、音楽で生計を立てている例は多い。現在のモンゴル もそうであるし、歴史的にも専業かそれに近い形態があったのではないかと思われる。
また各地の伝統音楽は、外部、諸外国からの覩光客に見せ聴かせるための観光資源として の性格も強い。さらに近年では、国際的に広がる音楽産業の波に乗り、伝統音楽が諸外国に 公演に出かけるケースも増えた。伝統音棄の演者たちは外貨の稼ぎ手ともなりうるに至って いる。
伝統社会の内部、外部、いずれにおける活動でも、そこで生じた富の受取り手はその伝統 音楽の演者、担いてである。特に観光資源としての伝統音楽ということになると、その国や 民族、地域独自のものであることが極めて重要になる。世界のどこか他の場所でも誰でもや っていたりすると、観光資源としての価値が損なわれる可能性もある。
先に述べたような背景のため、西洋音楽にはそうした問題は生じにくい。しかし世界各地 の伝統音楽の多くはそれとは状況か異なるのだ。
ゆえに、異文化の伝統音楽に関わりを持つ人は、いわば他人の財物である音楽ににどう向 き合い、それをどのように取り扱うべきかという問題意識を念頭に置き、注意深く考えてい くべき責任かあるのだと思う。
(つづく)
草の根事業&障害と貧困
(梅村 浄)
この夏にウランバートルに行って来ました。
草の根事業を始めて、1 年が経ち、曲がり角に差し掛かっています。悩みながらの毎日です。
<車椅子で外に出よう>
モンゴルの旅後半は、首都ウランバートルで過ごしました。私がモンゴルに留学していた 2010 年頃と比べても、車の数が増え、道路は、少なくとも車道はア スファルトが敷かれて、整備されて来ました。新しい高層ビルが立ち 並び、ホテルにはエレベーターもついています。
しかし、歩道は中心地域の一部を除いて、凸凹があるのが当たり前、 縁石がやたらに高いので、同行した我が家の娘の車椅子を持ち上げる のに、よっこらしょという感じ。数年前は私も平気で持ち上げて歩け たのですが、限界を感じて、今年は若者に全行程を押してもらいました。
新しくできたビルの1階に上がるにも、数段の階段があります。ス ロープがついている場合でも急傾斜で、滑って押し上げられないので す。それで、日本でもよくするように、娘には車椅子から降りて、階 段を登ってもらい、車椅子を別の人が持ち上げることも。しかし、そ こは力自慢のお相撲さんの国モンゴル、「スイマセーン」
お願いの一声で、男性が数人集まって持ち上げてくれることが分かりました。 なぜか車椅子を見つけると、すぐに示し合わせたように周りの男性が集まって来て、手を貸 してくれるのです。
日本人墓地にお参りした時は、丘の上にあるモニュメントに上がる二十段の階段を、案内 役の若い男性が、娘をおんぶしてひょいひょいと登ってくれました。他にもモンゴル滞在中 におんぶを何度も経験しました。1 人で移動を介助できる、手軽な方法ですね。
しかし、実際のところ、車椅子で道を通っている人は見かけません。昨年の秋に 1 人だけ、 同年齢の若者集団が押している車椅子の青年を見かけたのが、唯一の経験です。上記の道路 事情では無理もありません。
ウランバートルの西部に自立生活センターがあります。CEO である脊椎損傷のバヤールさん とは顔なじみ。ボランティアの大学生が出入りする、いつ行っても、賑やかな事務所です。 日本から 100 台の中古車椅子を送り、ウランバートルで修理、メンテナンスする技術を教え ようというサクラプロジェクトのモンゴル側受け入れ先にもなっています。国境を超えてモ ノを送るのは関税、輸送費の問題があり、実現するまで時間がかかりそうです。
車椅子を使う障害者が一人暮らしをするためには、道路と建物をバリアフリーにし、車椅 子でも交通機関に乗り降りできるようにしなくてはなりません。さらに、介護者が必要です。 モンゴル政府は現在、障害者の一人暮らし実現に向けて、介護者を養成、配置する法案を審 議し始めました。バヤールさんはその審議委員の一人として活躍しています。
<障害と貧困>
NPO ニンジンが事業を始めたのは昨年の 9 月でした。ウランバートルの2つの区で親たちが 立ち上げた発達センターの家族に、家庭でのリハビリと算数その他の勉強方法を教えようと いう事業です。
最初の数ヶ月は冬場にも関わらず、お母さんたちは頑張っていましたが、その後、勢いが ダウンしてしまったので、この 8 月に 2 センターのリーダーを訪問して、時間をかけて話し 合いました。
この 1 年間に 3 回、2 週間づつ渡航しました。リハビリと教育の指導をする時に、障害を持 っている子どもだけではなく、家族が一緒に集まります。一日かけて指導するので、昼には お腹が空きます。弁当持参の子はいません。そのランチの費用について、どこから出ている か尋ねたところ、一方のセンターではリーダーのお子さんが月々もらう障害児手当から、出 来合いのホーショール(大きい揚げ餃子)、ボーズ(小さい肉饅頭)などを買ってきて提供し ているという話でした。他方のセンターでは NGO ワールドビジョンから食料の寄付を受けて いる間は、キッチンに料理上手なお母さんが交代で入って、大鍋で肉うどんやスープ、サラ ダなどを作って振舞い、ランチをどうするか心配ない時期もありました。
遠方に住んでいる家族はバスを乗り継いで来る、タクシーでくる、あるいはリーダーが送 り迎えをするなどしています。療育を受けに通う交通費が出ないことへの不満があるという ことでした。
経済的に余裕があれば、こんな不満は出ないかもしれません。ランチ代や交通費をこちら が負担しなくても、方法を教えるだけでよかったかもしれません。
2 つのセンターのある地区はゲル地区と呼ばれています。政治・経済・文化の中心地として 発展している中心街の繁栄とは裏腹に、周辺のこのあたりは、地方での暮らしが成り立たな いため首都に出て来た人々が、ゲルや木造の建物を建てて住んでいる地域で、貧困が目立ち ます。一部の人間に富が集中し、大多数は貧しいという経済構造はどこの国でも見られます。 この9月には全国の教員たちが数回に渡って、給料値上げのストライキを行いました。モン ゴル国全体で 2015 年のデータでは 8.3%の失業率ですが、センターを尋ねて来る子どもの親 に、働き場所がないという話を聞くことがあります。
「JICA の事業なら、なんでも持って来てくれるだろう」という期待に応えられなかった以 外にも、熱意が薄れて来た理由はありました。リハビリを毎日、持続していくには根気が必 要です。根気を支えるのは「この子をよくしたい」という親の気持ちと、実践によって子どもの成長が感じられる実感です。重い運動障害を持つ子どもでは、自分で座れなくてもお座 りのできる椅子に毎日座って、テーブルでおもちゃを使って遊ぶ、床で寝返りをして移動す る、這って欲しいものを手に入れるなどの活動が大切です。魔法のように急に立って歩くこ とは望めないことも多いのです。それを願っている親にとっては、日々のリハビリにかける 情熱が薄れてしまってもおかしくないですね。
要素的な体操だけでは楽しくありません。1 年後の今回 からは、皆で一緒に楽しめる保育のプログラムを持って 行きました。まず、モンゴル人通訳が、絵本の読み聞か せをしました。子どもたちは画面が展開すると、目で追 い、笑顔がこぼれました。次に、お母さん、お父さんも 加わって、風船バーレ、ボーリングをすると、歓声が上 がりました。気持ちを一つに楽しめる活動の中に、体を 動かす要素を取り入れたプログラムです。牛乳パックと ガムテープで作った椅子とテーブルを持って行き、作り 方を伝授しました。その子のサイズにあったものであれ ば、しっかり座ることができ、絵本やおもちゃで遊べま す。
行きの飛行機に載せて、車椅子を持って行き、初めの 1 人から、家に閉じこもらず、外に出ることのできるサポ ートを始めました。チームが訪問する日のランチは草の 根から食材、パンやお菓子を提供しました。
ウランバートルでは間も無く雪が降り、長い冬が始まります。NGO ワールドビジョンの資金 で全館暖房をつけたサインナイズ、チンゲルティ区から昨年と同様、石炭と火夫の手当を取 り付けたゲゲーレン、この季節を乗り切る準備は整っているようです。暖かい部屋で、せめ て昼にはほかほかしたスープを飲んで、遊んだり学んだりできるセンターに一歩近づけます かね。今年は。(2017.9.28)
事務局からお知らせ
(事務局 斉藤 生々)
アジャ・リンポチェ自伝出版記念講演会に参加してきました。特別にモピ関係参加者と 記念写真を写していただきました。
モピで購入し、販売した20冊の本も完売することが出来ました。ご協力くださいまし たみなさまありがとうございました。
●こんな依頼がモピに届いています。
●国際ソロプチミスト枚方―中央 第31回チャリティバザー
(同時開催 関西外国語大学 文化会 国際親善部主催
第42回 留学生による日本語弁論大会)
2017年11月26日【日】11:00~16:00 ひらかた仙亭
(京阪枚方市駅下車)
(国際ソロプチミストは国際的な女性の奉仕組織で 枚方ー中央クラブは、モンゴル羊プランや黒板プロジェクトなど実施)来場いただける方に入場券(1,000 円)を差し上げます。
(井上祥子)
国際ソロプチミストアメリカ日本中央リジョン広域理事 (国際ソロプチミスト枚方ー中央)
NPO ひらかた環境ネットワーク会議 自然エネルギー部会部会長
●「母たちのライフヒストリー」
「モンゴル学習支援事業&奈良学園小学校」は、紙面の都合で次号になりました。
お詫びいたします。
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tel&fax 075-201-6430
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MoPI通信編集責任者 斉藤 生々
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