■NO 193号 モピ通信

■NO 193号 2018年5月1日

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所 

『Voice from Mongolia, 2018 vol.43』 

  もりのてがみ

  ノロヴバンザトの思い出 その85

  事務局からおしらせ 

   学習支援授業感想文

   新刊のご紹介

『Voice from Mongolia, 2018 vol.43』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「お父さんとお母さんに私からよろしくお伝えください」

―トゥブ県ボルノールソム ドガンハド・リゾート管理人 アニャーさん

3泊4日のモンゴル出張から戻ったばか りです。雪の朝、北海道を出たのに、現地 では汗ばむ陽気。向かう先は、ウランバー トルから約100キロメートル、ダルハン へ向かう途中にあるトゥブ県ボルノール・ ソム。農業者の所得向上を目指したJIC Aの草の根技術協力事業で2013年から 年に数回ペースで訪れている。観光シーズ ンに入る直前の今回は、ジャガイモや野菜 栽培の盛んなこの町の郊外にある定宿を紹 介します。

幹線道路から看板を目印に、未舗装路を
ガタゴトと8キロメートル行くと、亀の甲羅のような巨岩、ドガン・ハドが姿を現す。 その名を冠したリゾートは社会主義時代の70年代にオープン。当時は仕事で評価された人 のみが利用できる保養施設だったとか。民営化された現在も、木々の中に佇む宿泊施設とし て人気があり、通年営業されている。

山小屋風の宿泊棟の部屋には、家族で使える大きなベッドとシャワー・トイレ、テレビが あり、広いレストランでモンゴル料理が楽しめます。アニャーさんはここに務めて15年以 上、あと数年で定年というから、50歳代前半。顔なじみになったので自己紹介すると、私 の両親にもよろしく伝えて欲しいと言われた。モンゴルに通い始めた頃は、知り合ってまも なく、目の前にいる私個人でなく、家族のことを聞かれるのが意外な気がした。当時よく訪 れていた米国では、親や家族のことを聞かれることなどなかった。今はとても好ましく感じ られる。私という人間を、育ててくれた親、そのまた親の存在も含めて、全体として受け止 めてもらっている気がするから。

「牛乳くらいしかプレゼントできるものがないの、持って行って」。地域の自慢でもある搾り たての牛乳は魅力的だが、飛行機を乗り継いで帰るため難しいと、丁重におことわりした。 牛乳と言えば、昨年5月にこの宿に来た時の食事の一品に、初乳をクレープ状に固めたもの が出た。牛が出産して初めに出すのが初乳で、モンゴルでは「オーラガ」(たんぱく質)と呼 ばれ、甘味と滋養豊かな季節の味覚。北海道の酪農家の間でも、成分の違う初乳は出荷でき ないため、にがりや酢で固めて「牛乳豆腐」として家庭で楽しまれて来た。確か、その時の もう一品はイラクサを使ったホーショール(油で香ばしく揚げた平たい肉餃子風の料理)だ った。観光シーズンに入る前で、他のお客さんがいないため、自分たちが食べているものを 出したかな、と運転手のモンゴル人は言ったが、季節感があって、観光施設でよくある洋食 系の食事よりずっと嬉しかった。朝食は、鶏だしの雑炊風スープだった。前夜遅くまで地元 の人と飲んだあとの胃を優しく癒してくれるようで、おかわりをもらった。

地元食も楽しめるが、ここの魅力の一番は、やはり木々のある風景と静けさ。ここへ来れ ば、WiFi もなく、携帯電話もつながらない。同行した日本人の中には「取り残されたようで、 さびしい…」とつぶやいた人もいたが、ひっきりなしに流れ込み続ける情報から一時解放さ れて見ては?近く新たにコテージを新設予定で、「そうしたら、部屋を出てすぐに草の上を歩 けるようになる。またぜひ来て」とアニャーさん。駆け足の出張ではなく、友人や家族と草 原で寝っ転がって、休暇を過ごしてみたい。

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「今月の気になる記事」

以前、牧民が冬をどう過ごしているか、また家畜が仔を生む春に向けた見通しについて、 各県知事らが報告した記事を紹介した(MoPI通信2月号)。今回は、新聞記事ではなく、 この夏ソム制80周年を迎えるトゥブ県ボルノールソム内の、とあるバグ(最小の行政単 位)の区長らによる地方巡回の報告から、牧民の声に耳を傾けてみたい。まず家畜の現状、 それから地域住民の話に入って行く。

「牧民家族の春、家畜出産の現状」

バグの医師、オーガンビレグとウルジーサイハン・バグ住民会議長、オチルスレン・バグ 長らが、4月7、8の両日にシャル・ホーロイ、スジグト、ホスト、フフチョロート、デ ードアランガトの各地区に居住する38家庭の101人と会い、家畜の出産時期の現状に ついて話を聞くとともに、県知事からの「ソム制祝賀行事を一時的に禁止」する措置、「作 物保護」についての勧告について伝えた。

現在、馬の2%、牛の5%、羊10%、ヤギ10%が既に出産した。春のこの時期の状 態は良好とのことだが、家畜の被害は牛25頭(0.5%)、羊26頭(0.3%)、山 羊145頭(1.3%)が春を越えられなかった。

食べるのに事欠くほどの貧困世帯が1家庭ある。L(訳注:原文は実名)の家庭は 7 人 家族で、双子の赤ちゃんを含む子ども5人の食べ物に困っている。寝たきりで常に介護が 必要な高齢者は1人、就学前教育が受けられていない子どもが14人、定職がなく、ヤギ の毛を梳く作業に従事して日銭を稼いでいる人が11人いる。

牧民から、多くの意見が出された。

1.雄山羊(種付け)を飼っている住民に道案内が必要である

2.金を掘りにいく住民が道路沿いに大量のゴミを捨てている

3.Yさん宅近くの道路が壊れているので修理が必要である

4.バグの住民代表らに、月一回は遠隔地域を巡回してほしい。地方に酔っ払いが多くいる

5.学校の前に、車のスピードを落とさせる設備が必要である

6.馬競技調教師組合の会合を招集してほしい。ナーダムを他地域の規模の大きいナーダム の日と重なるように開催してほしい。現状ではうちのソムのナーダムに県や他ソムから参加 する例が多く、地元ソムの調教師が勝てずに終わる恐れがある。

7.シャル・ホーロイ地区近くで、用水路建設に関連し、掘削された箇所が多いが、これを 中止し、埋め戻してほしい。家畜が溝に足を取られて転び、死傷する問題が生じている。

8.病院に手洗い場所を設置してほしい

9.割引き価格で、医薬品を定期的に頒布してほしい

10.畑作農家は、収穫後、畑をきれいにしてほしい。家畜が畑に入り、捨て去られたイモ を食べようとして、のどに詰まって死んでしまった

11.バトトルガはソムの80周年に羊1頭、ヤギ1頭を寄付した。彼に倣う住民が増える ことに期待する

――等々である。 報告者:ビチグトバグ長 オチルスレン

4月9日 facebook トゥブ県ボルノールソム Bornuur sum Tuv aimag

(セレクト&日本語訳:小林志歩)

(原文・モンゴル語)

※転載はおことわりいたします。引用の際は、必ず原典をご確認ください




  もりのてがみ

(梅村 浄)

「こんどいっしょにあそびましょう。
もりにすみれがさいたら もみのきのしたで まっています」 寒い冬の日、小さな女の子、ひろこさんはストーブの側で、りす、とかげ、ことり、のうさ ぎ、もみのきに手紙を書いて、森の中の大きなもみの木につり下げに行きました。 だんだん季節は進んで、森には雪が降り、もみの木は真っ白。誰からも返事はありません。 急に暖かい日が続いたと思ったある日、「とんとん」とひろこさんの家のドアを叩く音がしま した。玄関にはくるみと、石と、タンポポと、きのみが。 ひろこさんは走って森に行きました。道にはすみれが咲き出しています。木の周りには動物 たちが子連れで集い、もみの木からの返事のように小さな木の芽が出ていました。

この絵本は横浜市で森の幼稚園を続けて来た、もみの木園の尾上さんから頂きました。園 名の由来となった絵本です。5 年前、もみの木園に通っていた J くん一家と共に、ことばの相 談に来られたのが、最初の出会いでした。J 君は今、小学校に通っています。

2016 年秋から NPO ニンジンは JICA 草の根技術協力支援事業として、ウランバートルにある2 つの障害児センターで、障害児をどう育てたら良いか、日本での経験を伝える活動を始めま した。私はプロジェクトマネジャーをし
ています。ゲゲーレン、サインナイズセ
ンターは 3 年前に、障害児をもつ両親が
集まって、共に子どもを育てようと活動
を始めました。年 3 回ニンジンチームが
訪問して、直接リハビリや教育指導を続
けています。チームが居ない期間には、
毎週土曜日に親子が集まって、日本から
定期的に送るリハビリプログラムや教材
を実践しています。

モンゴルのお父さん、お母さん達に、 ぜひ、J 君ともみの木園を紹介したいと思 い、昨年 3 月にビデオを作成しました。

モンゴルでの上映後、もみの木園の子ども達からの手紙を届けたことがきっかけで、2 つの障 害児センターとの交流が始まりました。Facebook に園長の尾上さんが撮った子ども達の写真 をアップして来ました。私が書いた短いモンゴル語の紹介文を添えて。子ども達が徒歩で川 添いの道を下って、湘南の海に到着した遠足の記事は、海を見たことがないモンゴルの子ど も達には、新鮮に映ったことでしょう。

「もみの木園のように、野外活動をさせたい」と昨年 6 月には、ゲゲーレンセンターがバ スを借りてウランバートル近郊の川に出かけました。流れに入ってはしゃぐ子どもや大人達 の動画が、Facebook にアップされました。9 月末には雪が降り始め、5 月初めまでは雪が降る 国の短い夏です。渡航活動中だったニンジンチームも貸切バスに同乗して、夏の遊びに付き合いました。

先日、もみの木園 20 周年記念のお祝いの会に参加しました。現役の子どもとお母さん、お 父さん達が、バイオリンとキーボードの伴奏で「おおきい木」の歌を披露しました。まどみ ちおさんの詩に金光威和雄さんが曲をつけています。

ちいさなたねからめをだして
こんなにおおきくなったのか
おおきい木 おおきい木 おおきい木
じゅうにんでかかえても
まだてがとどかない とどかない

20 年前に障害を持っている子どもを受け 入れてくれる幼稚園が見つからず、それなら 一緒に育ちあおうと、7 人の子ども達が集ま って始めた元祖もみの木園の先輩 2 人にも、 会うことができました。もう 25 歳、すっか り大人です。

「最初始めた時は、この 1 年だけと思っていたのが、20 年間も続いた」という尾上さんの 挨拶を聞いた時、モンゴルの 2 つの障害児センターのことを思い浮かべました。私たちがい つも一緒に活動できる訳ではなく、言語の壁も厚く、国やウランバートル市からの経済的援 助が十分であるとは言えません。リーダー達に「この草の根事業が終わっても、センターの 活動は大丈夫でしょうか?」と尋ねた時「必要だという子どもがいる限り、やるべきことを やって行くだけだ」という答えが返って来ました。

そうそう、友人のモンゴル人に頼んで翻訳してもらった文を2冊の絵本に貼り付けて、モ ンゴル語の「もりのてがみ」を作ってくれた 1 人のお母さんにも、この会で会うことができ ました。2 つのセンターの本箱にしっかり収まっていた姿を確認済みです。次に行ったら音読 してみて、発音のおかしなところを教えてもらおう。(2018・3・28)

 

 

  ノロヴバンザトの思い出 その85

(梶浦 靖子)


アイラグ(馬乳酒)の効能

 

その頃のウランバートルでは街角でミルクを売る商人の姿も見られるようになった。車 などで運んできた大きなミルク缶を機に置いて立ち、「スーアワーライ(ミルクをお買いな さい)」の言葉を3回まとめて繰り返し、お客を呼んでいた。あまり抑揚のないただの呼び声 に近かりたが、もう少し年月を経たなら、なにがしかのメロディーを持つかもしれないと思 われた。商人が独特の節回しで客を呼び購買を勧める「歌」のようなものは日本や世界のあ ちこちで見受けられる。しかしまだ社会主義の残る、民主化まもない頃のモンゴルには見ら れなかった。わずか数年でこのような変化が起きたのは、やはりそンゴルの人々が商売に真剣に取り組み始めたからかもしれない、と思ったものだ。 そうした物売りの中にはアイラグ(馬乳酒)売りもいた。こちらは特に客引きの声は出していなかった。アリオンボルト家に居侯しはじめてすぐ、近所にアイラグ売りを見つけ買い に行きたかったが、雑事に終われ2週間以上も買いそびれていた。

それとは別に、モンゴルに渡航してからというもの、私はどうも体調がすぐれずにいた。 微熱が続きだるさが取れない。特に、歌の練習をしようとしても声が出にくいし、ロングト ーンがまるで保持できなくなっていた。

アリオンボルトは、発声のしかたを間違えているんじゃないのか?ノロヴバンザドさんに 見てもらったら?としきりに言ったが、一度覚えた発声法を急に何もかも忘れる(できなく なる)ものではない。体調のせいだと自分でわかっていた。

しかし何をすれば治るのかがわからない。日本にいたなら栄養ドリンクなどが手に入る。 実際、そういうものを飲めば治るくらいの症状だったかもしれないが、当時のモンゴルには そんなものはなかった。どうしたものかと思っていたある日の朝、ようやくアイラグを買っ て来ることができた。すぐに 500 m²かそこらの量を飲み干した。私はアイラグの出来の善し 悪しを見分けるほどの経験はないが、飲み覚えのある、まずまず美味しいものだった。

ちょうどその日の午後、劇場の練習室でアリオンボルトと一緒にオルティン・ドーの合わ せの練習をすることになっていたので、急いで向かった。そしてアリオンボルトの弾くモリ ン・ホールに合わせて「オーハイ」の発声練習を始めると、目分でも驚いた。今まで出して きた中で一番力強いかと思われる声が、限界が無いかと思われるほど長く長く保持して出し 続けられたのだった。

アイラグに含まれるどのような栄養成分が私の体にどう作用したのかはわからない。し かし間違いなくアイラグを飲んだおかげで、それだけの声が出せるほどに体調が回復したの だった。アリオンボルトも「本当に体調が悪いだけだったんだな」と目を丸くしていた。

前日、いや、おそらくその日の朝までちゃんと声が出せない状態だったはずだ。それがイ ラグをいくらか飲んだだけでここまでの変化が見られるとは、本当に驚きだった。アイラク の健康効巣、とくに滋養強壮などの効果を実感した。そしてモンゴルの歌、オルティン・ド ーという歌はまさに。アイラグによって育まれたのだなと思った。

日本人は健康おたくというのか、健康を追求する傾向が他の国の人に比べとりわけ強いよ うに思う。であるならアイラグも食生活に取り入れては、と思うのだがどうだろうか。 似せた飲料ではなく、本当に馬のミルクから作ったアイラグである。発酵はその土地に生息 する菌類に左右されるから、日本の風土で、あるいは科学技術で馬のミルクがモンゴルにお けるように発酵させられるかという問題もある。そもそも、馬の乳を飲むとなるとやはり抵 抗があるだろうか。

そんなことを考えてしまうくらいアイラグの凄さを実感したことだった。アイラグの健康 効果はもっと日本でも知られてよいと思う。

経済発展の影

先に書いたように、当時のモンゴル国の経済は混乱を脱し、発展の兆しを見せていた。 事業に成功し、富豪と言えるほどの財を成す者も現れていた。しかしその一方で、社会の変 化から取り残される者たちも増えてきていた。

ウランバートルの住宅地の一角で、焼却炉に入れられたゴミ、特に生ゴミを野良犬と取り 合う老人を見かけた。もう何年も洗っていないかのようなぼろぼろのテールを着ていた。

またある日、バスに乗り込もうとした時、背中にドンと衝傘を感じた。振り返るとリュッ クのファスナーがぽっくりと開いている。バスの席に座っていた女性が「危ない!テネメル・ フーヘッドがあなたのカバンを!と私に言った。小学校低学年くらいの男の子2、3人が私の 背後から走り出し、笑ったような顔をこちらに見せながら行ってしまった。はっきりとスリ に会ったのは初めてだった。

テネメル・フーヘッドとは「放浪する子供」というほどの意味で、当時増えっつあったい わゆるマンホール・チルドレンのことだ。モンゴル語ではそのように呼ばれていた。商売を始めたものの失敗した親が家族を置き去りに姿をくらます、アルコールに溺れた親が子供を 家から追い出す、もしくは子供が家から逃げ山す等々、理由はさまざまだが、つまりは親の 庇護が受けられなくなり、街なかで暮らすようになった子供のことである。

彼らの多くはマンホールを寝ぐらとしていたので英語では上記のように呼ばれていた。 モンゴル都市部の地下には暖房のための湯を流すパイプが適っているため、特に冬場のマン ホールの中は寒さをしのぐのに好都合なのだった。

私のリュックから物を取っていったのもそうした子供たちだった。しかし盗んだのはクシ やらリップクリームが入っただけのポーチで、金目のものは何もなかったから、さぞかしほ ぞを噛んだことだろう。いや、外側のポーチやプラスチックのクシでも闇市でなんとか売り さばけただろうか。

彼らの多くはそうした盗みで生計を立てていた。中には、どうにかして手に入れた瓶入り のジュース教本だけを道端に並べて売っている者もいたが、とても商売と言えるものではな かっただろう。

滞在中にある光景を目にした。大きな食料品店のある売場で、幼い男の子3人ほどが店員 の女性にからんでいるのだった。女性は、汚い手で触らないで!あっちへ行きなさい!とい う様子で子供たちを払いのけようとしている。ところが子供たちはまるで意に介す様子もな く、けらけらと笑いながら女性にからみ続ける。男の子の一人は、まだ幼稚園に通っていて もよさそうな年頃と思われた。少し伸びた坊主頭も赤いセーターもウランバートルの白味が かった土ばこりにまみれていた。振り払われるのを気にもせず、えへらえへらと笑いながら、 いいじゃないかよう、何かおくれよう、という様子で女性の服を引っ張ったりする。その笑 い方は何とも異様だった。笑っているのに、楽しさとか幸せなどとはかけ離れていて、何か 人間らしい感情が欠落しているような笑い方だった。

あとで知ったことだが、そうした子供たちの中には、空腹や生活のつらさ苦しさを紛らわ すため、アルコールやシンナーに手を出す者もいたようだった。私の見た男の子もその一人 だったかと思われる。彼らは、泣いても慎っても誰も肋けてはくれないと、泣けば余計に空 腹になるばかりだと、嫌というほど知ってしまったのではないか。悲しさや悔しさその他の 人間らしい感情を、生き抜く上で役に立たないものとして、洒や薬品の力を借りて捨て去っ ていたのではないか。それが傍目には「異様さ」と映ったのではないか。

そうした現場を目撃したからといって、何ができるわけでもなく、何をしてよいか分から ず、ただその場から立ち去るしかなかった。ただ、人間が、特に子供があのような笑い方を することは本来、あってはならないのだと強く思った。

その後、モンゴル国内外の、政府および民間による支援により保護施設も作られ、教育や 職業訓練の制度が整えられて、マンホール・チルドレンは徐々に減り、現在ではほぼ見られ なくなったと聞く。もう二度と、あのような笑い方をする子供が現れないようにと願わずにはいられない。

(つづく)

 

 

  事務局からお知らせ

(斉藤 生々)

1)平成30年4月8日(日)第17回モピ総会
会員数 112名 出席者11名 委任状70名 定款25条において総会は成立いた しました。委任状を送っていただき、支援していただきましたみなさま、ありがとうご ざいました。
議題のモピ役員改選、引き続き、小長谷有紀理事長、大野 旭理事、松本勝博理事、 監事 福島規子の諸氏に受けていただきました。

2)平成30年6月20日~26日、モンゴル行の旅、7名の申し込みがあり、定員になりま したので閉め切らせていただきました。関空から出発の予定です。(村上 雅彦)

 

 

  モンゴル学習支援事業&アサンプション国際小学校

~子どもたちからお手紙が届きました~

 

 

  新刊のご紹介です

モピ会員堀田あゆみ著「交渉の民族誌」モンゴル遊牧民のモノをめぐる情報戦を 紹介させていただきます。¥4,500(税抜き)

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移動生活のため必要最低限のモノしか持たないといわれてきたモ ンゴル遊牧民。しかし実際は、目新しいモノに目敏く、他家のモノに 対して逐一入手経緯を尋ね、気に入れば譲るよう持ちかける。この自 ら交渉し入手する交渉社会では、モノに関する情報はそれ自体が交換 財的価値を帯び、各世帯で管理の上、戦略的に秘匿・公開される。 「情報」をキーワードに、これまで着目されてこなかったモンゴル遊 牧民のモノをめぐる実践を描き出す文化人類学的挑戦。巻末には遊牧 民一家の生活世界にある資料点数 1251 点の写真付き全モノ目録を掲載!

ひとこと

モンゴルをよくご存じの方にも、遊牧民の実は・・・な一面を再発見 していただければ幸いです。

はじめまして。

新たにメンバーに加えていただいた堀田あゆみと申します。 モンゴル遊牧民のコミュニケーションについて研究しています。この度は、博士論文をまと めた拙著をモピ通信で紹介していただき、ありがとうございます。

モピの活動については、小長谷先生のお話を伺いながら関心をもっておりました。今回モ ピの一員となり、(事務局の勉強も)という先生のご意向に気を引き締めています。

 みなさま、どうぞよろしくお願い申し上げます。

堀田あゆみ

関西学院大学社会学部 受託研究員・日本学術振興会特別研究員 PD

e-mail: hottaa@kwansei.ac.jp

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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

事務所
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
tel&fax 075-201-6430

e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp

MoPI通信編集責任者 斉藤 生々

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