■NO 199号 モピ通信

■NO 199号 2018年11月1日

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所 

 

『Voice from Mongolia, 2018 vol.48』

 ノロヴバンザトの思い出 その91

 タイがへ

 理学療法士学科からの返事

 草原の風モンゴル祭り 報告

 2019年新年懇親会・例会ご案内

 

 

『Voice from Mongolia, 2018 vol.48』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「家畜に関わる仕事なら、中国や他の国の人にひけを取らない」

―――モンゴル人男性、北海道在住

地方の働き手不足が深刻さを増すなか、日本政府は「外国人労働者受け入れ」に舵を切ろ うとしている。北海道の地方都市に住む私、以前は地域で出会うモンゴル人は留学生とその 家族、短期滞在のJICA研修員など「学びに来た」人が大半だったが、近年事情が変わり

つつある。仕事に関する相談を受けることも増えて来た。 道内で人手不足にあえぐ現場のひとつは、酪農・肉牛などの牧場だ。家族経営で市街地か

ら近いところは、家族で足りない人手を、学生や地元の主婦のパート・アルバイトで何とか まかなっている。距離が隔たり、牧場の規模が大きくなればなるほど、早朝と夕方の搾乳作 業の担い手を確保するのが難しくなっていると聞く。

少し前になるが、留学中の家族と共に道内で暮らすAさんに頼まれ、アルバイト先として 紹介したのは何百頭もの搾乳牛を飼うメガファーム。牧場の人事担当者に「とにかく見ても らえばわかる」と言われ、搾乳室へ行った。仕事は、一度に50頭の牛を載せて回転する巨 大な搾乳設備ロータリーパーラーの外周に立ち、乳牛の乳房に搾乳器を取り付ける、終われ ば外す、という単純作業。若い中国人技能実習生たちが大きな前掛けと長靴姿で働いていた。

機械の一部と化して、目の前に流れてくる牛にひたすら対処することが求められる。大丈 夫?と聞いた答えが、冒頭のひとこと。技能実習生は最低賃金で雇っているが、それより高 い時給に交通費も補助しよう、との社長さんの言葉に、片道20キロ以上の道のりを毎日通 って仕事をした。実直でフットワーク軽く、機械にも明るいAさん。雇用先に「優秀で頑張 ってくれている」と喜ばれたが、数か月後に自宅近くで良い条件のアルバイトが見つかり、 そう長くは続かなかった。

「あらかじめ決まっていた休日を、急に変更された」「経営者はいつもどなっている」「単 発のアルバイトに出かけ、大けがをした」。働く外国人たちの声が耳に入って来る。日本人が 働きたがらない職場、長続きしない職場に入ることも多いと予想されるが、もし理不尽なこ とが起こっても、多くの場合、転職という選択肢はないに等しい。日本に来るまでに要した 経費や手続きを考えると、解雇も困る。本国での職を捨てて来たものの、聞かされていた条 件と違ったとのケースもあると聞いた。役所には労働相談窓口があると言われても、利用し ようにも言葉の問題が立ちはだかる。

「今、日本にいる。野菜農場で実習することになった」。知り合いのモンゴル人農業者から、 はずんだ声で電話が入った。信州にいるという。念願かなって来日できてよかったね、と言 いながら、ふるさとの畑や幼い子供の顔が目に浮かんだ。彼らは、日本で働く準備と覚悟は 出来ている。私たちの社会は、働きに来る外国人を迎え入れる準備はできているだろうか― ――。

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今月の気になる記事

モンゴルの平均的な月収は、と聞かれ、「日本円で5万円くらい?」とモンゴル人の若者に 聞いたら、「もっと安い」と即答だった。今年5月のネット配信記事だが、モンゴルで働く人々 の実態が伝わって来る。

「日給5万トゥグルグ(訳注:約2270円)の道路工事作業員募集の出どころ:実態は3 万~3万5千トゥグルグ」 (筆者:P.ウルナー)

「日給5万トゥグルグ、2食と3回のお茶付き、遅くなれば交通費補助という条件で作業員 を募集したが人が来ない」との情報がソーシャルメディア上に流れ、話題になった。言い換 えれば、モンゴルの若者は日給5万トゥグルグでも不満で働こうとしない、というメッセー ジが社会にばらまかれたことになる。この情報の真偽について取材した。

現在行われている橋・道路工事と言えば、交通警察署近くの橋の出口の建設工事、ヤール マグの新しい橋建設工事、古い橋の補修工事などがある。これらの建設工事の施工業者は中 国政府による借款により同国の「国鉄20局」が請け負っている。

われわれはまずヤールマグの新しい橋建設、古い橋の補修工事現場から取材を開始した。 今年中の供用開始を目指しており、進捗は全体で36%、新橋建設に限れば70%とのこと。 現在、中国人労働者が何人働いているかは不明だが、モンゴル人は30人あまりいるとの情 報を得た。

モンゴル人労働者に「日給5万トゥグルグでモンゴルの若者を雇用」の募集について知っ ているかを尋ねた。彼らは「まったく聞いたことがない。すごく良い給料だ。今の日給は3 万~3万5千トゥグルグ(訳注:約1360円~1590円)。モンゴル人を雇いたいところ があるとは聞いたことがある。その募集が本当ならここを辞めて、雇ってもらいたいよ」と 答えた。

ネット上の情報にはうそや誇張も

われわれは交通警察近くの橋出口の建設工事の関係者にも取材に出かけた。ここでも募集 について聞いたことがない、とのことだった。しかし「モンゴル人の作業員は少ない。契約 で中国人30人に対し、モンゴル人70人の割合での雇用がルールになっているが、そんな 割合ではない。仕事をしたいモンゴル人の若者はやって来るが、採用されず帰っている。こ のような橋建設作業では日給3万―3万7千トゥグルグの契約で、手取りは3万トゥグルグ。 5万もらっているのは運転手たちだけだ」とのことだった。

首都道路開発局など当局に確認すると、「新聞や雑誌などのメディアやインターネットに は事実と異なる、または誇張された情報が見受けられる。当局では雇用割り当てを設定して いる。この問題はD.エンフトゥル・ウランバートル副市長の担当なのでそちらに問い合わせ を」との回答だった。副市長のアシスタントによると「うちの担当ではない。バヤルフー副 市長に問い合わせて」。連絡したが「16、17日まで現在地方出張中」と言われ、取材は行 き詰ってしまった。

今回の取材では、モンゴルの若者が怠惰かつ強欲だとの印象を与えた情報の出どころは突 き止められなかった。もし募集が本物なら、今の仕事を捨ててでも働きたい若者がいること は確かだ。(2018年5月11日)

ウェブニュースサイト http://www.medee.mn/main.php?eid=106625  (モンゴル語)

(記事セレクト&翻訳=小林 志歩)

※転載はおことわりいたします。引用の際は、必ず原典をご確認ください

 

 

ノロヴバンザトの思い出 その91

(梶浦 靖子)

若き音楽家達の問題 ノロヴバンザ ドがこの世を去ったのちは、モンゴル国やモンゴル音 楽とはすっかり遠ざ かってしまった感があるが、それでも時折、何かしら情報は届く。 |あるツテでまだ若い女性のオルティン・ ドー歌手の CD を聴く機会があった。歌声はまずき れいだが、旋律の描きかたがとても気になった。 息継ぎに時間がかかり過ぎているようだし、 音の長さ短さにメリハリがなく、何とも間延びした調子に聞こえてしようのだ。おそらく、 旋律をどのように描き出して歌うかについてほとんど考えなしに、まさに適当に歌っている のではないかと思われた。自分がたった今、一つのフレーズをどのように歌ったかを、きち んと聴いて記憶し、続くフレーズは 前のフレーズと対比 してどのように表現するべきか、 等といったことを考え実践している とはとても思えない歌いかただった。

もしや、オルティン・ ドーは自由なリズムで声を長く伸ばして歌われる、という知識をと ても狭く解釈しているのか、もしくは歴代の名歌手の歌をあまり注意深く聴いてこなかった のではないか。 ともかく、極めて勉強不足な出来の歌を、自主製作に近い状況とはいえ CD化し販売してしまえる状況は、オルティン・ドーにとってけっして良くはない。教育 の現場 は一体どうなっているのか、とでも案じられることだった。また、90 年代後半あたりから東 京都内などにモンゴル国の料理店が見られるようになり、そこでモンゴルの音楽家が演奏を 披露していた。そうした中の、とある若い女性のモリン ・ ホール奏者と知り合った。もと もと、モリン・ ホールは男性によって演奏されてきたが、 ちょうどその頃から女性のモリ ン・ ホール奏者も養成されるようになっていたのだ。試しに私の歌と合わせてもらえること になった。

彼女の住むマンションでさっそく練習をした。私は自分が歌うオルティン・ ドー2、 3 曲 を、念のため五線譜に書いて持参した。そしてよく話を聞いてみると、彼女はオルティ ン・ ドー曲については、メロディーの独奏も歌の伴奏もほとんど経験が無いようだった。

そして楽譜がなければ弾きにくいと言うので、持参したものを見えるように置き、実際 に 歌って合わせようとして驚いた。まさにかじり付くような調子で楽譜に見入りながらモリン・ ホールを弾くのだ。こちらの歌う声はまるで聞いていないようだった。

モリン ・ ホール奏者は何よりも歌い手の声を聴きながら合わせていかなければならない のに、これではまったくオルティン・ ドーにならない。私はやむなく彼女から楽譜を取り上 げ、私の歌声を聴きながらそれに合わせて奏でてくれるよう頼んだ。歌い出しの音や、 出て くる音は大体わかっただろうから楽譜を見なくても弾けるはずなのだ。案の定、楽譜 にかじ り付くよりずっとスムーズに合わせることができた。

大抵の音楽は楽譜があったとしても覚え込み、暗譜して演奏できるのが理想だ。モンゴル のオルティン ・ ドーは、モリン・ ホール奏者が曲をきちんと覚えていて、その上で歌い手 の声をしっかり聴きながら伴奏してくれるのが一番良い。歌の音を追ぃかけて弾き、長く伸 ばす音ではビプラートを付けたり、トリルのような装飾音を入れ、歌の息継ぎの際は、 次の フレーズの歌い出しの音を先んじて鳴らす。そうしてくれてこそ歌い手も伸び伸びと 本来の 実力以上にさえ声を出すことができるのだ。 彼女は、楽譜を見ずに弾くなんであまりしたこ とがない、曲を覚えるときも必ず楽譜で 覚えるし、と 話した。私は、民謡曲も楽譜を見て 演奏するのかと尋ねた。すると彼女は得意気に笑ってこう言った。 「当たり前です。田舎の音楽家は楽譜なんて見ないけれど、私たち都会の音楽家はちゃんと と楽譜を見て演奏するんです」

私は驚いて言葉を失った。

(つづく)

 

 

モンゴル旅行記(トナカイに出会い旅)

(伊藤 知可子)

タイガへ

8月7日

今日も快晴。空の青さがまぶしいぐらいでした。今日の肉料理はリブの塩ゆでです。くせ がなく骨に着いた肉をむしゃぶりました。おいしい!やわらかい! 骨の髄も食べてみまし た。白くてマシュマロのような感じでフワッとしていました。口当たりはいいのですが、量 は食べられませんでした。 お昼からトナカイに乗りました。鞍が緩いのでバランスを崩すと滑り落ちそうですが、馬の ように勝手に動いたり跳ねたりせず、じっとしているので乗りやすかったです。乗り方は 馬 のように鐙に左足を乗せての乗り方ではなく、トナカイの体をまたぐように右足をあげた乗 り方。鐙に乗せた足に力を入れないでそっと乗せておくので、体のバランスを常にとらない といけません。おまけに角が大きいトナカイが首を振るたびに乗っている人間の顔に当たり そうになるので、これにも気をつけないといけない。長く乗っているときっと落ちるだろう なと思いました。

この日、どこからともなく若いタイガの人たちが集まってきました。男女混じってバレ- ボールを楽しんでいましたが、どこから来たのだろう。近くのオルツといってもかなり離れ ているし、何しに来たのだろうと気になりましたが、答えはすぐに分かりました。ナランさ んのオルツに観光客がいると知ってやってきたのです。オルツの中にたくさんの民芸品を並 べていました。トナカイの角を細工した置物やブロ-チ、ペンダント、ナイフ等です。 日が沈むのは午後 7 時半を過ぎたころで、今のところダウンのズボンをはかないといけない ほどの寒さではありませんでした。トナカイの群れがご帰宅、いつもの作業が行われました。 今日の夕食は トナカイの肉が入ったマントウ。皮がもっちりしていておいしかったです。

8月8日

朝6時ごろ目覚め、外に出てみると霜が降り ていました。それほど寒さは感じなかったけれ ど、霜が朝日を受けてキラキラと輝いていまし た。片づけをして出発の用意をしましたが、峠 越を考えると憂鬱になってきました。来るとき は急な斜面を馬が上がってくれましたが、帰り は同じ道を馬を引いて歩いて下りなければいけ
ません。9時15分 名残を惜しんで出発しまし た。私の馬はのろまさんで、すぐに前の馬と間 隔があいてしまう。のんびり並足で進みたいの に、時々速足をしないと追いつかない。峠まで は順調で、風もなく寒くもなく穏やかでした。

私たちのあとから 2 人のトゥバ人が追い付いてきて、その人達が私たちの馬を引いて峠を下 りてくれ ラッキ-。ゆっくり下りていくとお花が一面に咲いていて、冬から夏の季節に戻 りました。花が増えると気持ちにもゆとりが出てきます。また馬に乗って進みます。サンジ ャインさんは薬草にも詳しく、途中薬草を摘みながら山を下りていきました。帰りは時間が 早く過ぎたように感じました。だいぶ下りたところで家の屋根を見つけ ホッとしました。 あ-山を下りてきた―ソヨ村が近くなった―安心感が出てきました。膝は大丈夫なのですが、 鐙の長さが微妙に左右違い、右がほんの少し長い。それが段々堪えてきて右足の甲のあたり が痺れてきました。あの森を越えたらあと少しと阿比留さんが言ってくれますが、もう限界 かなというところで車が見え、やっと到着。馬に感謝しながら降りましたが、右足が痺れて うまく歩けませんでした。帰ってきた―――6時間の乗馬はやはりきついですが、タイガに また行ってみたいという気持ちもありました。

8月9日

麓に下りてくるとタイガは別世界でした。標高2000M 夏でも冬のような感じで一見すると荒涼な土地ですが、トナカ イの好むコケや草が生え、ト ナカイを飼育しながら自給自足の生活を送っている 人々。もう少し居たかったなあ。私たちが帰った後 3日かけて秋営地に移動すると言っていました。 ムルンからソヨ村まで170Km ソヨ村からタイ ガ(ミンゲボラグ)まで直線で38Km、馬だと道がくねくねしているので40~50Km。ソヨ村から車を降りたところまでは30~40K m(1時間半)そこからタイガまで20~30Km(馬で6時間)距離はそれほどでもない のですが、道が悪いので車もゆっくり走ります。今日はムルンまで。翌日12時間かけてウ ランバ-トルまで戻ります。

馬でしか行けないタイガを訪れる人はまだまだ少ない ですが、それなりに増えては来ています。タイガの人々 はその生活にも慣れてきているそうです。観光客向けの オルツを建てるのもその1つでしょうし、民芸品を作っ て売るのもそうでしょう。現金収入が得られ、豊かにな ることは良いことでしょうが、ともとの生活サイクルが 狂うことにもなり、心の変化も現れると思います。私た ちはめったに行くことができないところに行けて楽しい ですし、見るもの聞くもの目新しく満足して帰ってきま すが、果たしてどうなのでしょうか。

厳しい環境の中で暮らすタイガの人々にとって 現金

は魅力あるもの。観光客が増えれば収入も増え 安定した生活 も得やすくなるでしょうが・・・。このことはタイガに限った ことではないですし、タイガの入り口であるソヨ村でも同じこ とが言えるでしょう。

7泊8日のタイガへの旅は、充実した旅でした。タイガまで の道のりは遠いですし、馬旅はきついですし、トナカイしかい ない何にもない場所ですが、それだからいいところだと思いま す。是非もう一度行ってみたい場所になりました。

 

 

理学療法士学科からの返事

(梅村 浄)

― 僕たちは全くこれまで出会ったことのない子どもたちに出会い、新しいことをたくさん学 んでいます。卒業後子どもたちを指導するときに、とても役に立つと思っています。このよ うな機会を作っていただき、とても感謝しています。―

11 月になって、モンゴル国立大学健康医科大学理学療法士学科に通っている 4 年生の学生か ら、Messenger が届いた時、ちょっと胸がドキドキしました。

私たちは 2 年前から、モンゴルの首都ウランバートルにある2ヶ所の障害児センターに行っ 脳性麻痺の子どもたちにリハビリ指導をしてきました。昨年の 10 月からは、寒いモンゴルの 冬にも負けず、毎週土曜日毎に親子が両センターに集まって、リハビリの体操をしてきまし た。歩いて学校に通っている勉強が苦手な子ども達は、元養護学校の先生が用意した算数の 足し算や引き算のプリントをもらって、センターや自宅で勉強しています。

冬の間の暖房はゲゲーレンセンターではチン ゲルティ区から、サインナイズセンターでは国 際 NGO ワールドビジョンから暖房の設備が寄付 されました。土曜日の 11 時、みんなで集まって 活動を始めます。そろそろお腹がすく頃、当番 のお母さん、時にはお父さんが作った暖かいラ ンチが待っています。肉と野菜の入ったスープ に浮かんでいる手打ち麺だったり、ミートボー ルとじゃがいもサラダにパンだったり。

遠い日本にいる私たちは、この毎週土曜日に開 かれる草の根の日活動を、夕方になるとメンバ ー共有の Facebook にアップされた写真で見るこ とができます。

この 10 月で、私たちの事業は 3 年目に差しか
かり、JICA 東京のスタッフがウランバートルを 訪問して、事業の進み具合を評価しました。JICAとの協同作業であり、国民の税金を使っている ので、一円たりともむだ使いせず、事業の成果
を出すことが求められます。2 つのセンターを訪 問した時、お母さんと子どもたちの抜群のコン ビネーションで草の根の日が続けられていることを、目の当たりにしました。

大きな青いリハビリ用のボールにまたがってニコニコ笑っている子の笑顔、次には丸く輪に なって、みんなでボールを渡しっこしているよ。あれ、ボールが落っこちた、コロコロコロ。

「皆んな集まってー」

お母さんの 1 人が紙芝居舞台を持ち出して紙芝居を読んでくれます。日本の昔話で最怖い山 姥が出てくると、恐ろしそうに顔をしかめる子どもたち。

大きなかぶの絵本では、抜けないかぶを引っ張ろうと、次々に家族と動物を呼んできます。 「うんとこしょー、どっこいしょー」 掛け声をかけてみんなで応援。 「すっぽん」「ぬけたー」 かぶが抜けると、みんなで手を叩いて喜びます。

繰り返して見ている話なのに、いつも同じ所で同じ気持ちを、毎度分かち合えるのが不思 議です。サインナイズセンターのリーダーをしているお母さんにインタビューをしました。

― 娘が小学校に行くようになり、中学校の数学教師をしていた私は仕事を辞めて、学校の 付き添いや世話をすることになりました。我が子を 1 人みるくらいなら、他の子も一緒に集 めて活動しようと考えたのが、このセンターの始まりでした。2010 年から学生たちのボラン ティアを集めて年に数回イベントをしていました。教え子の中学生たちがきました。また教 育大学の学生たちもボランティアで来てくれました。夫は同じく中学校の先生をしていまし たが、仕事を辞めて、2014 年に 2 人でこのセンターを発足させました。

NPO ニンジンの N 医師が言った
「何もなくても良い。集まる場所さえあれば」 との一言が頼りでした。夫は教育大学の特別支援教育学科に 1 年間通い、我が子にどんな学 習をさせれば良いか勉強しました。

2016 年に草の根事業が始まって、皆さんが来て子どもたちをどのように育てていったらいい かを教えてくれました。それまでは親子が集まっているだけで、どうしていいかわからなか ったんです。そして去年の秋からは毎週土曜日に集まって活動を続けるようになって、やる べきことがはっきりと見えてきました。

モンゴルでは脳性麻痺の子を薬や注射、鍼灸で治そうと努力してきました。子どもが小さか った時、私もそうだったんですよ。この 2 年間でリハビリと教育の大切さがわかってきまし た。ニンジンの PT から習った姿勢のコントロールや呼吸法、食事の食べさせ方をしっかり身につけ、自分の住まいに近い役所の部屋を借りて、他のお母さんに教えてあげたいと考える 親も出てきました。

来年、この事業が終わっても、もちろん、このセンターは続いて行きますよ。私たちの経 験を生かして、他の親を啓発していきたいと考えています。

ゲゲーレンセンターでは、お父さん達も活躍しています。

モンゴルでは冬の室内温度を 20 度に保つために、24 時間の暖房が必要です。何せ外は-30°C以下ですからね。交代で石炭を釜に焚べる要員として 2 人のお父さんが区に雇われてい ます。この2人だけが、区からお給料をもらっているのですね。リーダーも、他のお母さん たちもボランティアです。

センター周辺に住むお母さん達が集まっ て、日本人ボランティアに習った廃油活用 の石けんを作り、エコデザインの化粧箱を 作って販売を始めていました。チンゲルテ ィ区役所を訪問した時に、社会福祉課長の 机の上に、この石けんが置いてありました。 石けん作りの段取りをしているのは、セン ターに通っている知的障害の女の子のお父 さんです。

このセンターはチンゲルティ区第 16 ホロ ーの家庭病院の敷地内にあるので、キリス ト教会の建物を使って活動しているサイン ナイズセンターに比べると、行政との関係 が密に保たれています。

草の根事業の終了は 1 年後です。2つのセンターの親子をどのようにモンゴル人専門家に 託せばいいのか、ずっと考え続けてきました。国立の障害児センターはウランバートルに住 む 150 人あまりの脳性麻痺児を含む障害幼児を、朝から夕方まで預かって保育しています。 国立リハビリテーションセンターはこれまで成人のリハビリを主に行って来ており、小児の リハビリには最近取り組みだしたところです。どちらも人材不足で、理学療法士(PT)の派 遣は断られ続けて来ました。

この 8 月に他の JICA プロジェクトのマネジャーからモンゴル理学療法士協会の会長を紹介 されました。メールで PT の派遣をお願いしたところ、すでに就職している PT 達は少ない給 料で長時間働いているので、ボランティアとして2つのセンターに派遣することはできない という返事でした。ちなみに看護師は月額2万円(日本円)ですから、PT もそれに準じた額 でしょう。モンゴル人の平均給与は4〜5万円というのですから、厳しさがうかがわれます。 仕事が終わってカフェーでアルバイトをした方が、割りが良いとも聞いています。

すでに産休に入ってしまった会長に 代わって 4 人の PT 協会理事と直接会っ て、お互いの状況を話し合った結果、 協会のサイトにボランティア募集の広 告を出そうと提案されました。間もな く連絡があり、PT 学科 4 年生の学生8 人と医療施設で働いている PT3 人を、3組に分けて交代で2つのセンターに派 遣することが決まりました。来年 6 月 までに 8 回の実習を行い、参加者は実 習記録を提出します。NPO ニンジンが修 了証を出すことが条件です。

毎週、学生達はバスに乗ってどちらかのセンターに行き、ニンジン草の根の現地補助員で ある看護師から、子どもたちのリハビリを手ほどきしてもらっています。

そこでこの文章は最初に戻ります。 私が書いた拙いモンゴル語の挨拶に戻って来たドキドキもののメッセージ。 (2018.11.13)

 

 

草原の風モンゴル祭り 報告

(村上 雅彦)

2018年10月モピ通信197号にてご 案内しました掲題イベントに参加しました。 当日は、晴天にも恵まれ在大阪モンゴル国総領 事、日本モンゴル文化交流協会佐藤会長の挨拶 に続き、ご案内通りのイベントが盛大に開催さ れました。特に2年前にモピが招待した、モン ゴル国立こども宮殿のこどもたちによる演奏、 大阪西区の幼稚園生による合唱、他ご案内のチ ラシに掲載している各種イベントが披露さ れ丸一日楽しませていただきました。

 

 

2019年新年懇親会・例会ご案内

(村上 雅彦)

日 時 : 2019年1月19日(土) 午前11時30分~
場 所 : 大阪肥後橋 北京料理 ”徐園”にて開催いたします。

費 用 : 一人4000円(但し、男性はアルコール代実費負担)

みなさまお誘いあわせの上、ご参加下さい。お待ちしています。尚、テーブル 準備の ため1月12日(土)までに連絡をお願いいたします。

(開催日が変更になっています。)モピ通信198号でご案内しました日時、1月20(日)とお知らせしましたが “徐園”が満席で取れませんでした。お詫びし訂正いたします。

事務局から・

平成30年、今年も残り少なくなりました。向寒の季節に入ります。

どうぞみなさまご自愛ください。

新しい年が、みなさま、モピ共々平穏でありますよう願っています。

(斉藤 生々)

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MoPI通信編集責任者 斉藤 生々

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