■NO 201号 モピ通信

編集・発行 : 特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所 

『Voice from Mongolia, 2019 vol.50』

ノロヴバンザトの思い出 その92

 モピ例会&新年会で報告

 モンゴル学習支援事業&南住吉小学校 

 モンゴル学習支援事業&和泉市池上小学校 

 2019モピ例会&新年会

 事務局から

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『Voice from Mongolia, 2019 vol.50』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「どうやって過去を知るか。文献、考古学的遺跡、骨、陶器に残った残留物、ミイラ、それ に歯石。口腔内のアミノ酸を解析することで、紀元前3千年からモンゴル帝国時代の人々が 何を食べていたかの手がかりが得られます。言語学的な証拠の調査、現在加工されている乳 製品の分析、インタビューなど民族学的な手法も合わせて、取り組んでいます」

S. ウィルキン マックスプランク人類史科学研究所・研究員

モンゴルの草原で牧民宅を訪れると、日々手作りされる伝統的な乳製品のおいしさ、バラ エティーに驚かされる。夏であれば馬の乳搾り、馬乳酒への人々の愛着に触れる。「これぞモ ンゴル、ミルクの国!」と思いきや、さらに視野を広げれば、モンゴルのむこう、カザフス タン、キルギスなど各地にそれぞれの乳加工が受け継がれている。共通項があったり、全く 違っていたり。農耕・牧畜が発祥したとされる西アジアからトルコ、バルカン、コーカサス …乳文化はユーラシア大陸をどのように旅し、東アジアに来たのか、モンゴルの人々は誰に 教わったのか、教えたのか、そんなことが気になり始めた。

人類はいつ、どこで乳製品の加工・利用を始め、どのように広がったのか。人類史の謎に 挑む研究者たちが語る公開シンポジウム「古代ユーラシアにおける乳製品の加工と利用」が 昨年12月、みんぱくで開かれた。小長谷有紀先生のお誘いで、乳文化を学ぶ「ミルク1万 年会」の仲間たちと会場へ。近年始まった研究手法、遺跡の人骨に残る歯石のたんぱく質を 解析し、乳利用の歴史をさかのぼる考古生化学の研究者の話を聞くことができた。

同研究所のJ.ヘンディー・研究グループリーダーは「歯石は古代人の食生活について豊富 な資料を提供する。乳製品を含め、食生活の多様性を明らかにしたい」。解析により、どの動 物の乳だったか判別できるという。トルコのアナトリア地方など各地で、30人の研究者が 参加して研究をすすめる。

モンゴルをフィールドとするウィルキン研究員は「青銅器時代後期に乳利用を伴う牧畜が 伝播した」との仮説に基づき、前3100-西暦1400年代の人骨31人の歯石サンプル 解析した結果について紹介。青銅器前期(前1200年以前)のサンプルには反すう動物の 乳を示すペプチドのみが見られたが、青銅器後期(前1200-前800)のサンプル(7

人)から馬乳のペプチドが見つかったこと、特にモンゴル帝国時代(西暦1200-140 0)のサンプル(10人)からは馬乳のペプチドが多く見つかったという。研究結果から、 モンゴル高原においては、最も古い乳消費の証拠は前2500年―3000年のアルタイ、 ハンガイ両山脈においてであり、東ユーラシアステップの乳利用は、元々の仮説より150 0年ほど早かった可能性があるという。馬乳の利用は騎乗の普及に伴い、青銅器後期に始ま ったのでは、と論じた。プロジェクトはまだ始まったばかりといい、今後は中央アジアのス テップに範囲を広げるという。

ヨーク大学のP.ビックル・考古学科選任講師は、牛乳を飲むとお腹に不具合を生じるラク トース不耐症が多かったことを踏まえ「新石器時代、ヨーロッパにおいて初期の農耕民は、 ミルクを飲んではいなかったが、加工していた」と論じた。チーズを固める凝固剤に野生リ ンゴやイラクサを用い、古代人の乳加工再現にも取り組む。

古代人たちがそれぞれの場所において、創意工夫で編み出した乳加工の実態を、学問の垣 根を越え、新たな発想とテクノロジーを駆使して解き明かそうと挑む人々がいる。私も、モ ンゴル国内、そして国境のむこうで脈々と、または細々と受け継がれる乳加工を見聞きし、 その呼び名を集めて並べてみたい。モンゴル国内で、ヤスタンと呼ばれる多くの部族が居住 する西部や、内モンゴル自治区も訪ねてみたい。新たな目標が出来た。

今月の気になる記事

モンゴルの人々と交流していると、彼らにとっての「乳」が食生活に欠かせない栄養源で あると同時に、信仰に通じるものを感じる。日本人にとっての「米」と同じように。少し古 い記事だが、モンゴル人が、伝統的な乳製品の今日的価値を語っている記事を紹介する。

遊牧民という、民族のアイデンティティーに深く関わる伝統的乳製品は、生活の中に確か に息づいている。ただ「忘れてはならない」と繰り返し述べられており、食生活の多様化や 都市化により、日常的に食べる乳製品の種類・頻度が減りつつある現状への懸念も感じ取れ る。人類の乳加工が「1万5千年前から」との記述の根拠は示されていないが、こちらも気 になる。

「かつてモンゴル人の食物摂取の55%はツァガーンイデー(伝統的な乳製品)だった」

人は適切な食生活によって様々な病気にかかることなく、健康に過ごすことができる。研 究結果から、人がかかる疾病の60-70%は食生活の悪習慣によって引き起こされること がわかっている。身体にあった食事、新鮮な食べもの、飲み物を適切に摂取する習慣があれ ば、病気を予防し、健康な身体をつくり、抵抗力や自然治癒力を高めるのみならず、長生き にもつながることを、今こそ考えるべきだ。

健康的な食生活を目指す上で、ツァガーンイデーの摂取は欠かせない。ツァガーンイデー は 1 万5千年の時を越えて現代に伝えられ、その価値が失われなかった、極めて優秀な食品 だという事は、私たちにとって忘れてはならない事実だ。モンゴル人は古代からツァガーン イデーを多用することで様々な病気から身を守って来た。

1920年頃にはモンゴル人の摂取する基本的な食品の55%がツァガーンイデー、20%あまりを肉が占めていた。特に、夏においてはツァガーンイデーのみを食していた のには理由がある。それぞれの特徴を紹介しよう。

アーロール(※訳注/発酵させた乳を凝縮(蒸留)後得られた固形分のアールツを沸かして 水分を蒸発させ、切り分け、乾燥した硬質の乳製品) 酸・脂質を多く含み、栄養価が高く、体内の有害物質の解毒作用がある。湯や茶に入れて 溶かした汁を飲むと、肝臓や胆のうの疾患、血液の上昇、頭痛にも効く。水が変わって胃腸 が痛むときにもアーロールを溶かした湯を飲むと治まる。

タラグ(※ヨーグルト)

現代の研究で抗がん作用が認められた。免疫系を活性化し、食中毒を予防し、疲労のほか、あらゆる内臓疾患を抑え、血管の硬化や肝臓、胆のう、皮膚の疾患予防に効果がある。

アエラグ(※馬乳酒)

加工して日が浅いうちは酸っぱい、刺激臭がある。胃を温め、消化機能を高めるとともに、脾臓疾患、肝臓、胆のうの病に効く。古来、肺炎、結核、高血圧、浮腫、足腰の痛みの治療 にも用いられてきた。

アールツ(※発酵させた乳を凝縮・蒸留して得られた固形分)

乳酸中に、身体で生成できない、代用できないアミノ酸類、タンパク質、ミネラル、多くの微量要素を含み、極めて重要な恩恵がある。結核、高血圧、心臓血管の疾患の患者、妊婦、 授乳している母親や子どもには特に有用である。

モンゴル人は夏、秋においては消化に時間がかかる肉食を一時的に制限し、消化器官の負 担を軽減する乳製品中心の食事をすることで健康を維持し、体調を整えて浄化し、回復させ ることを習わしとして守って来たのだ。

牛乳は長引く風邪、腸チフス、糖尿の際に用いられ、ヤギ乳は胃炎、腎炎の際に飲用され ていた。羊乳は、ガスがたまる症状、腎臓疾患に、馬乳は結核、ラクダ乳は心臓病の治療に それぞれ用いられた。タラグ、アエラグ、アールツ、アーロール、ズーヒー(※発酵クリー ム)、シャルトス(※バターオイル)、ツツギー(※クリーム)、ウルム(※生乳を加熱し、ひ しゃくですくい落し泡立たせた後一晩静置し、表面に固まった乳脂肪の層)、エーツギー(※ 脱脂乳の発酵をすすめ、沈殿物を濾して加熱し、水分を飛ばした後乾燥した粒状の乳製品)、 エーデム(※乳を加熱し、タラグなどを入れて取った凝乳)、ビャスラグ(※エーデムを布に 包み、脱水したチーズ)等々、すべてのツァガーンイデーが人の細胞を活性化し、あらゆる 疾病を予防するということを忘れてはならない。

(2013年11月12日 『Геологи Уул Уурхайн мэдээ』(地 学鉱山情報)新聞より

ウェブニュースサイト  http://www.sonin.mn/news/culture/21631 (モンゴル語)

(記事セレクト・訳=小林 志歩) ※転載はおことわりいたします。

引用の際は、必ず原典をご確認ください

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ノロヴバンザトの思い出 その92

(梶浦 靖子)

二十世紀における西洋音楽の導入

1921年 の人民革命以降、モンゴルにおいては社会主義政策の一つとして伝統音楽の改変 が推し進められた。西洋音楽の理論や形式、慣習にならって、国内各地に伝わっていた民謡 や楽器演奏のジャンルとその担い手たちを、舞台芸術としての音楽および音楽家へと再編成 していった。社会主義に基づく新時代にふさわしい音楽が求められたと言える。そこでは社 会主義化と近代化と西洋化はほぼ同じ意味を持ってモンゴルの国と人々に降りかかっていっ たことだろう。

1924年 には首都にスフバー トル中央クラプが作られ、付属の演劇音楽、スポーッの団体 が設置されて、音楽会や演劇の上演、民衆に向けた社会主義の講義が行われた。同様の活動 をするクラプが地地方にも次々と置かれていった。これらの場所は音楽の研鑽の場でもあっ たようだ。1926年 には人民娯楽場が作られ、より娯楽や芸術寄りの音楽会や演劇が上演され た。この人民娯楽場が組織改編され、1933年 には国立中央劇場となる。そこがさら に拡充され国立音楽 ドラマ劇場となり、合唱部門、舞踊部F鷲が設置されるなどした。 そうした場 で活動 していた音楽家の中から、ソ連に留学しモスクワ音楽大学、レニング ラー ド市音楽 大学などで学ぶ者も現れ、彼らにより伝統楽器を用いた民族的テーマのオペラなど新たな楽 曲力が作られていった。

1940年 にはソ連から、作曲家のB.F.スミルノフらが音楽教師として招かれ、伝統楽器によ る西洋的なアンサンプルの編成がさらに推し進められ、五線譜の読み書きや西洋音 楽の楽典 や理論、五線譜の正しい読解にもとづく演奏のしかたなど力が教育された。

伝続的な民謡の旋律を合奏するにあたって、旋律を勝手に変えず楽譜通りに演奏すること が徹底されたが、これは一時のモンゴルの音楽家たちにはかなり困難であったようだ。 西洋 音楽の和声に基づき編曲された民謡曲の合奏も盛んに行われるようになっていったが、 当初 は、半音程を奏でたり、高さの異なる複数の音を同時に鳴らすことにも、かなり戸惑いがあ ったらしい。そうした中で、舞台での演奏に合うよう伝統楽器の改変も行われた。 そのよう な音楽教育の場は、当初は劇場の内部などであったようだが、数ヶ月間の専修 コースなど、 短期間の教育の織会が設けられるなどしたのち、国立音楽舞踊中学校、さらには国立文化芸 術大学が設置されていった。

つまり二十世紀前半より、都市部で教育を受けた伝統楽器の演奏者は、昔ながらの形で民 番の旋律を独奏したり、楽器特有の独奏曲を秦でるかたわら、同じ楽器で西洋音楽の流れを 汲む新たなモンゴル音楽を前奏する、いわば「二足のわらじ」の道を歩んできたのだと言え る。しかしその一方で、西洋音楽の要素をほぼ取り入れる事なく、地域の先人に学ぶ以外は ほぼ独学などで芸を究めた、土着的な (と仮に言っておく)スタイルの音楽家も少なからずい たようだ。

ちなみに民謡の歌い手に関しては、学校で西洋音楽の教育を受ける事なく、スカウトや募 集選考を経て劇場の所属となる人が多かったが、音楽教育機関で民謡のコースができてから は、そこを卒業してプロに なる者も増えていった。しかし、民謡歌手が西洋的な新作の歌曲 を歌うことはほとんどなく、あるとしても、民謡らしく作られた曲を民謡とほぼ変わらない 発声で歌うのだ。革命後に創作された民族的な曲調の歌曲を歌う歌子はまた別に養成されて いた。

1990年代、私が接した音楽ドラマ劇場の伝統楽器の奏者の多くは音楽舞踊中学校の事業生 だった。彼らはみな五線譜の読み書きに長けており、自分の専門の楽器はもちろん、ビアノ などを巧みに弾きこなしていた。ウランパートルで知り合える演奏家はほぼそのようであっ た。 しかし当時私が接した限り、土着的な音楽家を見下すような者はいなかったし、そのよ うな発言を聞いたこともない。それが十数年後、民主化されて以降は前述のようにあからさ まな発言をする音楽家が多数見られるようになった。これは一体どういうことなのか。

さらにはヽ社会主義政策のもと新たに作られた西洋音楽的な楽曲を伝続楽器で護奏する ことも「伝統音楽の一つ」であると主張する動きが見られるようになった。これらはどのよ うに理解すべきなのか。モンゴルの音楽文化にとって果たして良いことなのかどうか。 考える必要があるようだ。

(つづく)

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モピ例会新年会で報告

(斉藤 生々)

事業報告

定款変更についての報告
9月 8日 臨時総会で可決した案件(特定非営利活動促進法第25条3項の認を 受けるため)

11月12日、京都府知事から定款変更の認証通知が届く。
11月30日、内閣府政策統括官からログイン認証が届き定款変更登記を完了させた。

毎年、法務局に提出していた(資産の総額の変更)という書類をメールで届けるということに、 法務局には、2 年に一度、役員変更届を提出するだけになる。

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モンゴル学習支援事業&南住吉小学校

~子どもたちからお手紙が届きました~

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モンゴル学習支援事業&和泉市池上小学校

~子どもたちからお手紙が届きました~

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2019モピ例会&新年会

(村上 雅彦)

会員の皆様 明けましておめでとうございます。

すでにご案内通り、2019年1月19日大 阪肥後橋の北京料理“徐園”にて例会・新年会 を開催しましたのでご報告いたします。

理事長の小長谷先生の年頭ご挨拶に引き続き、参加者全員よりの昨年 1 年の活動と新しい元号(2019 年 5 月 1 日より)の始まる記念すべき年の 抱負について発表頂き盛大な新年会が開かれま した。

尚、今年の料理は、昨年より少し質の高い料理が提供され、男性は例年通り アルコールを満喫し、皆さん新年会を楽しんで頂きました。

以上

徐園の中華料理、例年になく美味しかったし、何より、みなさまのスピーチと小長谷先生 の補足説明がとても勉強になりました。中野様が老々介護のご苦労、大変でしょうに、「こう して二人でいられて、本当に幸せやと思いまんねん」とおっしゃったこと忘れられません。

みなさまの前で口にだされて、その思いをお心より深くきざまれることでしょう。 よいお言葉を聞かせていただき感謝です。

(中西とし子)

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事務局から・

年末年始にかけて、今年もモンゴル学習支援事業の要請が入り、児童数に応じての 対応、持ち時間の使い方などの打ち合わせが始まっています。学習支援事業に関わって くださっているスタッフのみなさま、今年もよろしくお願い申し上げます。

・お願い モピ通信に掲載する記事があれば寄稿してください。

よろしくお願い申し上げます。

(斉藤 生々)

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特定非営利活動法人 モンゴルパートナーシップ研究所/MoPI

事務所
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
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MoPI通信編集責任者 斉藤 生々

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