■NO 211号 モピ通信

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  新年のご挨拶

  人類学者は草原に育つ

『Voice from Mongolia, 2020 vol.60』 

  新年会ご案内

  事務局から 

新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。 

昨年末は、アフガニスタンで長年献身的に NPO 活動に従事していらした中村哲さんの訃報 が届きました。
私たちの活動は、彼の足元にも及びませんが、自分の住んでいる地域を超えて世界を見つ めているという点だけは同じではないでしょうか。2000年12月に任意団体としてスタ ートしてから、いつのまにか20年目を迎えようとしています。節目にふさわしい行事をす ることができればいいですね。何かアイデアがありましたら、ぜひ事務局へご連絡ください。 皆さまにとって良い年になりますように

モピ理事長 小長谷 有紀

(日本学術振興会監事 文化人類学)

ご挨拶

1993年夏に初めてモンゴル国を訪れていらい、はや26年の光陰が過ぎていきました。この 間に、モンゴル国が大きく変貌したのは、いうまでもありません。

毎年のように訪問していながら、昨年に衝撃を受けたことの一つは、プラスチックごみが 極端に増えたことです。モンゴル人には遠くを眺める習慣があります。白く光っているもの があるなあ、何だろう、寝てしまった仔ヒツジかな、と思って近づいてみますと、朽ちてし まいそうなペットボトルだったことは幾度となくあります。ペットボトルは日光を浴びて燃 え、草原火事に繋がったという報道もあります。そして、家畜は冬と春になると、そうした プラスチック類をかじり、胃の中にためてしまいます。消化できないので、次第に弱って、 死んでしまいます。

近年、世界的にプラスチックごみ類を減らそうという運動が高まっています。それは主と して鯨など海の中に棲息する生き物の体内から問題のごみが発見されたことから、欧米の環 境保護団体が動かされているように見えます。それはともかく、緑の草原をプラスチックご みから守るために、何か新しいことができないか、と思考しているうちに2020年を迎え ることになりました。

モピの皆さまのご健勝を祈りながら、草原からプラスチックごみが無くなっていくことを 祈念しております。

モピ理事 大野 旭(楊海英)

(静岡大学人文社会学部教授)

新年のご挨拶を申し上げます。

一日一日が飛ぶように過ぎ、又新しい年になりました。 昨年はモピの活動として、さかい利晶の杜で行われた「世界のお茶 de アフタヌーン cha」で モンゴル茶を紹介し、モンゴルの文化と歴史を伝えるという催しに、スタッフの一員として 参加しました。
石井菜倫さんが講師を務め、伊藤さんと福島がアシスタントとして、モンゴル茶でのおも てなしをし、参加者 30 名ほどの方と一緒に楽しみました。 今までモンゴル国しか関わりが無かった私にとって内モンゴル出身の石井さんにお聞きする、 日常生活お茶の時の様子、文化と歴史は、とても興味深いものでした。 機会があれば内モンゴルを訪れてみたいと思いました。 年々変わりゆくモンゴルの様子をモピ通信で知ります、貴重な情報源です。寄稿して下さる、 小長谷先生、小林志歩さま、みなさま有難うございます。
モピ会員の皆様にとって穏やかな一年でありますようにお祈りいたします。

(監事 福島 規子)

人類学者は草原に育つ

変貌するモンゴルとともに

小長谷 有紀著

まえがき

「モンゴルが専門です」などと言うと、たいてい「どうしてモン ゴルなのですか?」と質問される。それまでに一番多かった質問で ある。

どうしてなのかという問いにたいする明確な答えは実のところ、 無いような気がしている。もし、「さあ、どうしてでしょうかねぇ」 とか「自分でも、わかりません」などと回答すれば、それが真実 だとしても、なんだかふざけているように思われるにちがいない。 そこで、私はいつも次のように答えることにしている。

「若いころは誰でもそうでしょうが、なんだか生きづらいもの ですよね。社会に対する閉塞感と言いましょうか。私はそれを日 本の精にしていました。日本は狭くて人が多いから、それで息苦 しいのだ、とかんじていたのです。それで、まったく逆のところ へ行ってみたいなあと思ったわけです」と。

この回答は私にとってまんざらで嘘ではない。しかし、問題はそこから先だ。行ってみて どうだったのか。そしてさらに、どうしてその先かくも長きにわたって関わりを続けること ができたのか。

本書には、その回答にかえて、1979年にモンゴル(当時、モンゴル人民共和国)へ留学 してから2014年現在までのさまざまな活動をつづっておきたいと思う。

純粋な調査研究活動もあれば、仲間と実施したものもある。仲間も決していつも一様では ない。また、一カ所にとどまるスティ型のフィルドワークもあれば、走り抜けていくような サーベイ型のフィルドワークもある。そもそも、フィールドワークは多様なものなのだ。

私自身が経験したその多様さは、私の関心の変化を反映していると同時に、まず何より現 場が変貌していることを反映している。モンゴル高原の場合、モンゴル国であれ、中国内モ ンゴルであれ、はたまたロシアのブリヤート共和国であれ、20世紀に社会主義圏に組み入 れられた。それはあらかじめ経済格差をなくしておこうという社会的な実験であった。しか し、20世紀末にはその実験も放棄され、自由な競争をともなう市場経済への道が選択され た。政治的にいまだ一党独裁が続く中国にしても、市場経済への道はすでに採用されている。

つまり、モンゴル高原ではいずれの国かを問わず、社会主義の洗濯とその放棄を経て、人 びとの生活は急激に変貌した。その変貌をまのあたりにしながら、現場との異なる関わりか たが次々と自然に生まれてきたのだった。

そして現場の変貌とそれに対する応答について、通時的に開陳したことはまだ一度もない。 私にとって本書が初めての試みとなる。これから始まる物語を読むにつれて、それぞれ、「な ぜ関わり続けることができたのだろうか」という問いに対する答えを発見していただければ、 幸せである。正解の無い問だから、読者の数だけ答えがあってよいのではないだろうか。

私自身の経験という限界はあるが、その多様なフィールドワークの紹介を通して、モンゴ ルの魅力を伝えることができれば、望外の喜びである。

第一章 はじめてのモンゴル
― 1979年、モンゴル人民共和国へ留学

モンゴル語講座の大阪での開講 

東京外国語大学に付置されているアジア・アフリカ言語文化研究所は、毎年、一般向けの 語学講座を開いている。一般の人びとが、普通の大学や語学塾などで学ぶ機会の少ないこと ばを学ぶことができる。
同研究所のホームページによれば、たとえば2014年度の「言語研修」では、チャガ語 やチャム語の講座が開催されるそうだ。いったい、どこの、どんなことばだろうか。チャガ 語とは、キリマンジェロのふもとに住むチャガ族の話す言葉であり、バントゥー系諸語の一 つであるらしい。チャム語とは、カンボジアとベトナムに住むチャム族の話すことばであり、 オーストロネシア、マライ・ポリネシア語族に属する言語の一つであるという。いずれにせ よ、学習機会のとても少ない言語の研修であることにまちがいない。めったに接する機会さ えないことばを学ぶことができるのである。しかも、無料で!
毎年、東京会場で二つ、大阪会場で一つの言語が選択されているけれども、過去はどうだ ったのだろうか。ホームページでは いまのところ2011年にまでしか遡ることができない。私が大学の二回生になったとき、 初めて大阪会場でも開催されることになり、それがモンゴル語だった。と聞いたように記憶 する。1977年の夏だった。
私は、おそらく文学部の提示版かどこかで、その夏期講座があることを知ったのだろうと おもう。現在では、夏休みの一ケ月間、月曜日から金曜日まで、朝10時から夕方4時半ま で、合計125時間という体制で実施されている。当時も同じくらい集中的な研修だった。
講師陣は、今は亡き棈松源一先生をはじめとする。大阪外国語大学(当時)モンゴル語科の 先生方である。当時の留学生デンヘレルさんが、私にとって初めて出会うモンゴル人だった。 生徒は、およそ20人。私のように同じく学生もいれば、大学院生もいたけれど、驚いた ことに仕事わやめて参加する一般の方もすくなくなかった。けだし、司馬遼太郎の『モンゴ ル紀行』がすでに1974年に単行本として刊行されており、静かなブームが到来していた のかもしれない。このモンゴル語講座で学んだ同級生に、歴史学者の宮脇淳子さんや法制史を専門とする荻原守さん(神戸大学教授)らがいる。 一般の私たち中学生以来、さまざまな外国語を学習する機会があるにはある。たいてい、少しずつ、長期にわたって学んでいて、およそ外国語を学習する機会はすくない。何しろ朝 から夕方まで、一カ月間、続けるのである。私にとっては、モンゴル語もさることながら、 この学習方法がそもそも新鮮だった。そして、この研究が終わるころ、真剣に「使ってみた い」「試してみたい」と思うようになっていた。

モンゴル留学試験

初めてのモンゴル語を試してみようと、私は翌年さっそく留学試験をうけてみることにし た。社会主義圏であるモンゴル人民共和国へは交換留学生のシステムがすでに確立されてお り、文部省(当時)の学術国際局ユネスコ国際部が管轄していた。のだと思う。学生の分際でそんな制度のことなどまでしらべたりしない。とにかく試験があるというので、上京したま でのことである。

そう言えば、私は試験前に特訓もしていた。これまでの留学生はすべて東京外国語大学も しくは大阪外国語大学のモンゴル語科の大学生や大学院生たちである。要するに、常日頃、 モンゴル語を専門的に学び、あるいは研究している人びとばかりである。そして、留学試験 を受けるのもまた同様に、モンゴル語を専門にしている人びとであることは言うまでもない。 一方、私はと言えば、ちょいと一ケ月学んだだけのヒヨコにすぎない。だから、モンゴル語 で問われても答えられるか怪しい。試験前の一カ月間は、ふたたび昨年のような集中度で、 モンゴル語を専門とする言語学者の角道先生を訪問し、モンゴル語会話レッスンしてもらっ ていた。これ以上、自分でできることはもうないと思うくらいに準備してでかけた。

にもかかわらず、試験会場では思いもかけない事態が展開した。試験管である先生いわく。 「女の子の行くところではない。」

試験の結果は無く、試験しないという結果だけが残った。 試験官である先生がたが意地悪をされたわけではないと思う。本気で、わが娘のことのよ うに心配してくださり、そうおっしゃったのだろう。自分が娘をもつようになった今ならそ 思うことができる。しかし、当時は、ただびっくりするばかりだった。えぇ?

先生がたのお気持ちを寸借したりする余裕など私にはまったくなかった。だからといって、 恨んだり、悔しがったりすることもない。そんなことをしている暇もないる次の一手を探さ なきゃ、という別の課題に直面したのだから。

今でこそこんなふうに、自分の前に赤信号が出たときのことを振り返っているが、私はも ともとあまり過去を振り返るタイプではない。とくに前が赤のとき、その人生の四つ辻で、 後ろを振り返ったりしたら、最悪ではないか。後ろも必ず赤信号なのだから。自分を勇気づ けるために、後ろにはなるべく振り返らず、左右に首をふることにしている。右は青、左も 青。後ろを振り返りさえしなければ、赤の数より青の数が多いという、への理屈である。

そんなわけだから、私は青信号を求めてわき道を探した。

平成25年11月に創刊されたフィールドワーク選書「人類学者は草原に育つ」の著書を先生の了解を得 てモピ通信の紙面に掲載させていただくことになりました。みなさまに楽しんでいただけることと思ってい ます。

『Voice from Mongolia, 2020 vol.60』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「できれば長く日本で働きたい。家族を呼び寄せ、息子たちを日本で育てて、サッカーチー ムに入れて、選手にさせたい」 

技能実習生(32)

今年も、仕事やプライベートで、多くの「働く」モンゴル人と出会った。頼まれて、アル バイトの面接やその他の手続きに同席したり、病院での診察や美容院に同行したり、また雇 い先からの依頼で日本語会話を教えることもあった。

日本国内で外国人技能実習生をケアする監理団体から仕事の依頼があり、最近出会ったA さんは、11月に来日したばかりの技能実習生だ。ようこそ、日本へ!外国で働くのは初め てではない。韓国のソウル近郊でアルバイトをしたことがあり、雇い先からまた来て欲しい との誘いを蹴って、より雇用が安定した日本で働くことを選んだ。来日後1か月の国内研修 を終え、Aさんとともに職場にやって来たのは、高校を卒業して日本を目指した若者2人。 彼らは日本の現場で、新社会人となる。

技能実習生になりたい若者は、多くのケースでは本国の送り出し会社(ブローカーまがい もあるようだが、淘汰されつつあると聞く)に登録し、まずは3か月日本語講習を受講する。 その後、面接で選ばれると日本の土が踏める。技能実習生の場合、航空費用は基本的には雇 用する企業が負担して、「来てもらっている」。

日本で働き、生活するために、知る必要のあることは、少なくない。というか、かなり多 い。島国の住人にとって「言わずもがな」のルールは、どこにも書かれていない。

仕事上、会社で守るべきルールや注意、そしてゴミの分別などに代表される生活面のこと について、一通り説明を受ける。何か質問は、と聞かれ、Aさんは「雨や雪の日は仕事をし ますか」。「現場は覆ってしまうので、基本的に雨風は関係ない。みんな雨の日や寒い中働き たくない、それはわかるんだけど…」と話す社長に、3人はそろって首を横にふった。稼ぐ ためにやって来た彼らには、仕事があるほうが嬉しいのだった。監理団体の話によると、モ ンゴル人実習生は一生懸命働くと定評があるという。

「WiFi さえあれば、ほかはどうということはない」と言ったのは、11月下旬に地方の工 場で働き始めた実習生のBさんだ。スマートフォンは彼らにとって、まさにライフライン、 モンゴルの家族とつながる命綱。ビデオで顔を見ながら、生活の場の様子を見せながら、毎 晩話をする。国際電話が高かった、なんて今は昔話で、SNS経由の通話で、料金を気にせ ず話ができる。「モンゴルにいるのと変わらない感じ」だとのこと。

大型車両や溶接など本国ではいくつもの資格を持つ技術者の彼、仕事ぶりを見て、勤務先 も「即戦力になりそう」と期待をかける。ある日のこと、「買いたいけど、日本語で何という かわからなくて…」。見せられた画像は「ドライイースト」。スーパーでも見せてみたが、わ かってもらえなかったという。「マントウを作りたくてさ。蒸し器も欲しいなあ」。スーパー や郵便局、コンビニなどで働く地域の人々は、じわじわと押し寄せる国際化の波を肌で感じ ているだろう。観光地でない地方都市においても、外国人客は既に珍しくなくなっている。

日本中の都市部、そして地方で、数十万人の外国人が、牧場や工場、建設現場、その他多 くの人手不足の職場で働き、年を越す。祖国から遠く離れて、自分と家族の将来のために、 今日も仕事に励む。酪農のような職場ではシフト勤務、たぶんお正月も関係なく。 給料日には、大手コンビニの銀行、つまりコンビニ店舗の端末から祖国の家族の元に仕送り をする。

冒頭のひとことは、念願の日本での新生活を前に、希望にあふれたAさんの夢。日本社会でもまれ、夢がどう形を変えていくのか、また聞い て見たいと思う。来る年、異国で頑張る彼らに幸多 からんことを!

(写真説明)外国人実習生の働く現場(記事に登場す る人物や組織とは関係ありません)

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今月の気になる記事

日本の大学院に留学して機械工学を学んだモンゴル人のTくんは、現在奥さんの留学先の 米国で暮らしている。今回は、彼が「シェア」してくれた facebook 上の呼びかけを紹介した い。おそらく恵まれた環境で成長し、努力の結果、学位を取得して祖国モンゴルに戻った若 者が感じている社会の閉塞感について、である。医師の世界の特殊事情もあるのかも知れな いが、人もうらやむ経歴を持つ若者が正当に評価されず、自分を生かせないと感じているな ら、普通のモンゴル人は、さらに行き場のない怒りや辛さを抱えて暮らしているのではないか。

♯「もうたくさんだ!」

(筆者:医学博士 B.D)

モンゴルに帰って来たら、そこら中で、公正でない行いに何回も遭遇した。どんなに内心、むっとしても、前向きでいようと努力して、黙って遣り過すのが常だ。今日は、自分を抑え ずに、発言しようと思う。「公正さなんてどこにある、生活は元々そういうものだ」、どこで もそうだと考える人もいる。わたしは合計12年間3つの大陸の、名高い大学で学び、あち こち歩き、色んな人に出会った者として言いたい、そんなことないんだ、と。

今のモンゴルがそうである、この権力やカネ、コネがなければ、何もできないという「偽 りのルール」は、本当に多くの人々に損害を与えるものだ。社会のある部分の人は、収入や コネがないことによって、何をやっても上手くいかない、それ以前に何かをするチャンスす らないということだ。そういう層に、運ひとつで、自分も陥る可能性がある。一度そこには まってしまうと、脱出するのが難しい。明日は何が起こるかわからないから、これはあなた にも関係のあるテーマなんだ。こんな過酷な、公正さを欠いた社会の仕組みは国を構造的に 弱体化させるものだ。なぜなら、そうした人々、われわれは、社会を支える、言わばエンジ ンだからだ。エンジンオイルを交換しなければ、どんなに素晴らしい車であっても動かない のと同じことだ。

今日、モンゴルの若い世代は例外なく、何とかその階層に含まれないために、世界の有名 大学への留学を目指す。残念なことに、その世界で評価される知識や経験は必要とされない、 この国ではそうした人材は求められていないようなのだ――私はそう証言する。教育を受け たことを評価せず、他の種類のものを評価するように思える。そういう状況だから、能力あ る若者たちは皆して外国へ向かう。まったく、もしこの入国管理というものがなければ、こ こに残って暮らす人はいるのだろうか?

このエンジンはモンゴルのためにこそ必要であるのに、このことをわが国の意思決定者は よく理解できていないのだ。エンジンオイルがあってこそスイッチが入るように、ここに足 りない、公正を求める世論もまた不在のようだ。お偉方たちに、車のライトを見てオイル交 換をするものだと教えなければいけないのだ。まず、自分たちがどんな社会でどんな暮らし をしているか、よく考えてみてほしい。よくない、とわかっているのに、そのまま突き進む しかないのか?私は、「#いやだ、もうたくさんだ」。この社会はわれわれのものであり、子どもたちのものでもある、この社会は私達にとって大切であると同時に、子どもたちにとっ てもそうだ!若い世代のみんな、もし同じ気持ちなら、

#Ү ГҮ ЙОДООХАНГАЛТТАЙ! (いやだ、もうたくさんだ!)ハッシュタグ で自分の声を社会に届けてほしい。正しいことが一番強い、われわれの暮らしにおいて、真 実が勝利をおさめることを祈って!(facebook ページより、 原文モンゴル語)

(記事セレクト・翻訳=小林 志歩)

※転載はおことわりいたします。引用の際は、必ず原典をご確認ください

2020年・新年懇親会&例会のご案内

(担当:村上 雅彦)

新元号令和になり、初めての新年懇親会・例会を下記にて開催いたしますので 是非ご参加ください。

日 時 : 2020年1月18日(土) 11:30~

場 所 : 北京料理 “除園”

大阪市西区江戸堀1-15-30

(TEL06-6448-5263) 

地下鉄四つ橋線肥後橋駅 2番出口徒歩1分

費 用 :一人4000円 (但し、男性はアルコール代実費負担)

尚、テーブルの準備のため1月11日までに (mopimail/mopi@leto.eonet.ne.jp 又は、tel:075-201-6430) に連絡をお願いします。

事務局から・

新年おめでとうございます

みなさまにとって良い年でありますように…台風や地震など大きな災害のない穏やか な年でありますよう願っています。

3,11 があってから、モピ会員の数は少なくなっていますが実質的に支えていただい ている方々だけに整理された形になっているのかな、とも思っています。 高齢化という問題も出てきていますが、粛々と活動は続いていますし社会的な評価は 高く維持できています。お陰さまをいっぱいいただいています。

今年も変わりなくご支援いただけますようお願い申し上げます。

(事務局 斎藤生々)

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事務所
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
tel&fax 075-201-6430

e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp

MoPI通信編集責任者 斉藤 生々

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