■NO 213号 モピ通信

人類学者は草原に育つ

「おもてなし」の罠

『Voice from Mongolia, 2020 vol.63』

 モンゴル学習支援事業&大阪市立南住吉小学校

 モンゴル・日本友好茶会と茶道の普及活動

 モンゴル関係催しのご案内 

小長谷 有紀著 人類学者は草原に育つ

(臨川書店フィールドワーク選書)9  変貌するモンゴルととも

小長谷 有紀

(日本学術振興会監事・文化人類学)

国際列車の旅

北京からは国際列車に乗り込み、北上した。一緒に乗った恵は何を覚えているだろうか。35年前に乗った国際列車に ついて。私がいま何の記録も見ずに思い出すこと二つある。 一つは、中国国内では北上するにつれて食事がどんどん貧弱に なっていき、モンゴルとの国境を越えたとたん、朝からステー キが出たこと。もう一つは、同じく中国からモンゴルへ入るとき、レールの幅が標準軌から広軌に変わるときのこと。

レールの幅が標準軌から広軌に変わるときのこと。

現在では、日本からモンゴルまで直行便が飛ぶ。大阪から立 つ私の場合は、もっぱら関西国際空港を利用することになり、 この関空からの直行便は毎年8月の1ヶ月に限られる。夏以外 に往来する場合には、ソウル経由や北京経由で飛ぶ。いずれに せよ、空からウランバートルへ入ることができるようになった ため、最近では国際列車を利用していない。いまでは、車中の 食堂サービスは格段と向上しているにちがいない。しかし、1979年当時は、いかにも、 北京で載積していた食料が徐々に減っていくという感じだった。そして、国境を越えたとた んに、肉食の国へようこそ、という印象をあたえずにはおかなかった。

モンゴル側で豪華な朝食がでるまえに、お客を乗せたままで列車の下部が付け替えられる。 モンゴル側はかってソ連の援助で鉄道が敷設されたために広軌が採用されており、車両の下 部を転換しなければならない。この作業は今日でも変わらないと思う。問題はこの作業後の 道行きである。

モンゴル側の国境の駅に到着するのだが、駅を通り過ぎてしばらくしてから停留した。な ぜだろう。なぜ、駅に止まらずに、何もないところに止まるのだろう?聞いてみると、中国から爆弾が列車にしかけられているかもしれないから、駅を通過して様子をみて、大丈夫なら 駅に戻るのだ。という。えええええっ?!

客の命など、まったく勘定に入っていないむようであった。私たちよそ者の留学生ならい ざしらず、当時、この国際列車に乗るようなモンゴル人と言えば、それなりの知識人たちであったはずだ。しかし、それでも、駅の建物のほうがより人より大切だったのかもしれない。 いよいよ社会主義の何たるかを肌で学ぶことのできる空間がせまりつつあった。

学生証の作成

女性でも二人なら大丈夫だろうという理由で女子の留学が認められたはいいが、それは実 はとんでもなくたいへんなことだった。というのも、恵さんと私とではモンゴル語運用能力 に雲泥の差があったからである。彼女は、日本ですでに通訳をするほどの実力の持ち主であった。

日本は、ノモハン事件(モンゴルではハルハ河戦争呼ばれている)の戦後賠償にて、戦 後処理としてウランバートルにカシミヤ工場を建設するため、当時の運賃で五十憶円の経済 協力をおこなった。工場は1981年から稼働し、現在ではカシミヤ会社「ゴビ」として民 営化されている。鉱産資源をのぞくと、モンゴルにとって外資の稼ぎ頭である。この工場の 技術者たちが稼働前に続々と来日し、研修していた。彼女はその通訳をするほど、すでにモ ンゴル語の達人である。

かたや、私は、あの一般講座一ヶ月と、会話特訓これまたせいぜい一ヶ月というだけの、 いわば赤ん坊レベルである。この二人を並べて授業されるのだからたまらない。モンゴル国 立大学の国語学科の先生方は、みな彼女に話しかけ、彼女が私に通訳することになってしま う。これでは一向に埒があかない。

このような赤信号を前にして青信号を探すのはそれほど難しいことではなかった。ウラン バートルの本屋さんで小学校の地理の教科書を買ってきた。そして大学の先生に、お願いし た。これで私一人だけの授業をしてください、と。先生はニコニコして承諾してくださった。 まことにありがたいことである。大学の先生に小学生の教科書で教えてもらおうなんて、思 えば、実に失礼なお願いだったなあ。バタム先生、ありがとうございました。

日本で地理学科に属していたからといっても、地理学の授業に出るのはいかにも怪しい。 まるでスパイのようである。しかし、小学校の教科書程度なら、それは誰からも咎められな い安全圏であった。

ところで、大学生活を始めるにあたっては学生証が必要である。学生証には顔写真を貼る 必要がある。顔写真を持参していなかった私は写真館に撮影に行った。そして大いに驚いた。 カメラを持った撮影者が近づいたり、遠ざかったりする。ピントを足で調整しているのだっ た。なるほど、物質的には貧弱な世界であるらしい。日本は世界でも突出してカメラの技術 の高度化と大衆化を果たしているから、比べるのも気の毒というものだ。

さらに驚いたのは、出来上がりの写真を取りに行ったとき。紙に焼き付けられた私の顔は、 まるでピカソの絵のようではないか。やるなあ、これは、やられたなあ。紙をまっすぐ平ら にせずに焼き付けると、かくも芸術的になるのだろうか。美人であるかどうか以前に、個人 を特定するという学生証の目的がもはや果たせそうにない。

ただし、このようないい加減さは、私にある種の安心感を与えてくれた。この国の首都の、 最高水準のはずの写真館で、正しく照明写真をとったにもかかわらず、これくらいにぼんや りした顔にしか写らないのだから、この国の厳密さには限界があるということではないだろ うか。そろそろ、日中も零度以下になる冬が近づきつつあった。しかし、この国の社会主義 は、その大気ほどには冷たくないように思えたのであった。(つづく)

「おもてなし」の罠

小長谷 有紀

(日本学術振興会監事・文化人類学)

日本の人口は急激に減少すると予測されている。

例えば、国立社会保障・人口問題研究所による報告や、内閣府から公表された『高齢社会 白書(平成30年度版)』によれば、2065年の総人口は8808万人で、高齢化率(65歳 以上の割合)は38.4パーセントと予測されている。一方、生産年齢人口(15歳から64歳) は4529万人で51.4セントあるから、1.3人で一人の高齢者を支えなければならない ことになる。

さらに、総務省の名でネット上に提示されている「我が国における総人口の長期的推移」 というグラフでは、2100年には、4771万人、高齢化率40.6パーセントと推測され ている。そうなれば、明治維新の頃の3300万人に近似する。

もちろん、筆者がこの目で見ることのできる未来ではない。今年生まれた人が80歳にな ろうとする時、日本人はそれほど少なくなっているというわけだ。私たちがいま依存してい る国内の公共施設や制度をそのまま維持することなど、とうてい無理だろうと思われる数値 である。

そんなに人の少ない国になっても、やはり東京に経済活動は集中しているのだろうか。も はや満員電車はないだろう。商品に関して問い合わせの電話をかけても、あたかも人が応え ているかのようにコンピーターが対応するのだろう。ロボット相手にクレームを言うほうが 気が晴れるのだろうか。郵便局にも銀行にも、人のいるカウンターなどなく、すべからく自 力で処理することになるのだう

あらゆる面で、少ない人口に対応した社会システムへと 向かっていかなければならない。

と同時に、移り住んでくれる人びととも必要になるのではないだろうか。労働力というより もむしろ住民そのものが必要なのではないだろうか。国連の「世界人口予測」によれば、地 球全体では110憶人に達したと見積もられているのだから、国外に目を向ければ人はむし ろ多い。国籍を問わず、日本の国つくりを一緒に担ってもらう人びとが必要となる。だから 「おもてなし」をしている場合ではない。

「おもてなし」とは、あくまでも他人を他人とし て帰す、接客術である。言い換えれば、他人を決し て内側に受け入れることのない、拒否の技である。 「おもてなし」だけでは日本の未来を築くことはで きまい。

2020年夏のオリンピックでは、多くの市民が 個人的にも接客を体験するだろう。自分たちの考え 方や感じ方がなかなか伝わらないものだという違 和感を経験するに違いない。ちょっぴり苦いであろ う。そんな経験は、あればあるほどいいじゃないか。 どんどん蓄積して社会全体の経験知にしょう。一方、 びっくりするような考え方や感じ方に出会ったら、 楽しい発見だとみなして、多くの人たちとぜひとも 共有しょう。

そして、未来は、接客を越えた、その先にこそあ る。

京都新聞夕刊(2019年8月30日) 現代のことばから

『Voice from Mongolia, 2020 vol.62』

(会員 小林志歩=フリーランスライター)

「今は自宅勤務。この間、鍵をかけて子どもだけで留守番していた3人が亡くなるとい う悲惨な出来事があってからは、自宅に待機してインターネットで仕事をしている」

―――― ウランバートル在住、教員

これを皆さんが読んで下さる3月には、どのような状況になっているだろう。コロナウ イルスの感染拡大により、中国が海外への団体旅行を禁止したのは1月27日のことだった。 ほどなくモンゴルでも学校が休校となり、2月中旬には危機管理レベルが上がり、「旧正月(ツ ァガーンサル)も自宅で家族のみで」と政府が通達、行事等は中止となったという。ひとり の感染者も確認されていない状況での措置だ。

以来、モンゴルの子どもたちは、YouTube で「5年生の体育の授業」などの動画を見ながら 自習することになっている。Facebook には「この間まで『テレビを消して、勉強しなさい』 だったのに、今は『テレビを付けて、勉強しなさい』」との笑い話が回って来た。

一方、その頃、私の住む北海道では、「道民大運動会」というチャリティーイベントが予定 どおり開催された。タイミング的には、前日に北海道内で渡航歴のないコロナウイルスの感 染者、しかも重症であることを道知事が発表した矢先だったが、企業等による実行委員会主 催のこのイベントは予定どおり開催され、道内各地1万1千人が来場し、スポーツに興じた (北海道新聞、2020年2月16日付)。2月19日時点で、北海道内で4人の感染者が報 告されている。

計画や予定に沿って日常が回っていく日本では、急な変更により、影響が他者に及ぶこ とへの恐れがすごく大きい。さて、状況が刻一刻と変わり、先が読めない状況になったとき に、どうするか。政治やリーダーの真価、決断や瞬発力が問われるところだ。会合や会議の 場でその内容如何よりも、滞りなく行われ、時間通り終了することが目的になっていると感 じることがある。予定どおりに行けばとりあえずよし、そんなことでは済まない状況下で、 決断はどのようになされたのか。

横浜港でのクルーズ船の対応でも、各地の保健師らを派遣して、大勢の乗客もクルーをさ っさとウイルス検査した上で、公共施設など、とにかく陸に上げられなかったのか。その上 で、「日本は医療水準が高いので、肺炎に適切に対処できます」ということになって欲しかっ た。日本の近くにいたときで、良かったね、と――。それどころか、対応にまずさに業をに やしたのか、米国はチャーター便で自国民の乗客をレスキューに来て、他国もそれに続いた。 感染が国内各地で広がることが確実視される現在、新聞には「軽症者は自宅で対処を」とあ る。不安を感じるのは、肺炎そのものよりも、私たちの社会の決断力、瞬発力のなさにかも 知れない。

さて、モンゴルではまもなく家族が集うお正月を迎える。行くな、と言われても、いや言 われたらなおさら、会いたくなるのが人情というもの。検問等で人の異動を制限するのだろ うか。「ドローンで監視する、とのうわさはデマ」と当局が否定したとの現地報道も見かけた。 練炭の普及によって、首都の大気汚染が緩和されたと聞く。せめて日差しの降り注ぐ初春と なるよう願っている。

(会員・フリーランスライター 小林志歩)

************************************************************************************

今月の気になる記事

「計画なんて、その通りに行くはずないから、ない方がいいんだ」――。そんな主人公の セリフが印象的な韓国映画「パラサイト-半地下の家族」を見た。ジェットコースターにの っているような、あっと言う間の2時間12分だった。

ウランバートルでホームステイしていた頃、集合住宅の出入り口脇の小さな守衛部屋に住 む家族がいたことを思い出した。それから10年以上が過ぎ、集合住宅の出入り口はオート ロックも普及しているが、当時からよく耳にした韓国への出稼ぎは、相変わらず多いようだ。 「今は辛抱」と半地下の家に寝泊まりし、韓国人のしたがらない仕事に従事するモンゴル人 もきっといることだろう。

かつては旧ソ連に、今は外国援助機関の援助マネーに依存するモンゴル政府。人材不足で 外国人技能実習生を雇う企業から、少なくない額の管理費を毎月受け取る監理機関。実習生 のケアや援助事業絡みで仕事にありつく自分も、モンゴルに「寄生」している?色々と考え させられた。(映画を見る予定のある方は、この先は見た後にお読みください)

「パラサイト」とは誰?

(筆者:バトトグトフ)

ポン・ジュノ監督の7作目「パラサイト 半地下の家族」は、既にカンヌ映画祭など多く の賞を獲得しているが、米アカデミー賞(オスカー)でも作品賞、脚本賞、監督賞、国際長 編映画賞と4部門を受賞した。

本作品については多くの映画ファンから賞賛の声が寄せられている。昨年、パラサイトと 同様のテーマを描いた日本映画「万引き家族」Shoplifters が、カンヌ映画祭の最高賞を受賞、 オスカーにもノミネートされたが、今回のような受賞には至らなかった。

「パラサイト」の成功は、社会問題を扱いながらも、映像の美しさと映画ならではの語り を失うことなく、完ぺきな作品ができると証明したことにある。ポン監督は、欧米の映画フ ァンの間では既に知られた存在で、ハリウッド・スターと仕事をするようになって久しい。

2019年が、韓国で映画製作が始まって百周年であったことも追い風になっただろう。 自分の作品が韓国以外でも支持されていることについて、ボン監督は「韓国の文化的な特色 を表現しようとしたが、国の枠を超え、多くの人が同じ気持ちで受け入れた。われわれ皆が、 資本主義というひとつの国の住民であるのだ、と受け止めている」とインタビューで語った。

オーストラリアでの上映後、見た人のひとりから「作品の意味は?パラサイトは誰のこ と?」と聞かれ、「これはただ、ひとりひとりについての映画です」と答えた。芸術家は、自 分の作品を説明することは好まない、意味はそこに、鼻の先にあるのに、それに気づかない としたら、なおさらである。監督の前作を見ていれば、作品の意味するところが重複してい るのがわかるだろう。「スノーピアサー」Snowpiercer における温暖化、階級社会、「オクジ ャ」Okja の人口増加、人間と自然のバランス、大企業の強欲、以前の作品で扱った許し、ミ ステリーの要素や思想のすべてが、本作品に入っている。(中略)

まずタイトルから見ていくと、キム一家が資産家のパク家族を騙し、寄生するに至るのだ が、冒頭でゴキブリに似た、地下にいる害虫が巣食うさなかで暮らし、子ども達が無料でつ ながる場所を探し室内をうろつく状況があり、パラサイトはキム一家と見える。しかし、映 画のタイトル「パラサイト」は単数形であり、「寄生する者たち」ではない。ひとりキム一家 を指すのでなく、寄生が色んな方向性で存在することが多くのディテールで示される。(キム 一家が内職で折っている)ピザの箱を受け取りに来た人は「不備が 25%ある」として賃金か ら差し引くと主張するが、実際にはピザ屋でも、箱を折るアルバイトが見つからず、安い報 酬でキム家族に内職させていたことがわかる。

労働力が必要なのにまともな給料を払って雇うことをせず、正しくないと知りながら、安 く仕事を請け負わせ、そのくせブランドイメージを気にする。キム一家が WiFi をつなぐのは、 Youtube の動画でピザ箱の折り方を学ぶためである。冒頭のわずか10分間にも、細部に作品 の主題を裏打ちする多くの事柄が散りばめられている。(中略)

ケビン(役名ギウ)はかくして職を得る。本当に有能な英語教師であるかより、先方を信 じさせるハッタリがあれば事が足りる。「うまくゆくまでうそを通せ」(Fake it until you make it)は、インスタグラム、起業精神、「ハッスル・カルチャー」に象徴される、われわれの生 きるこの時代のスローガンだ。ケビンも偽造した卒業証明書を手に、「今は詐称だけど、来年本当に入学するから」と言って面接に出かける。友人が言うには、ケビンはどこの大学生よ りも十倍も上手に英語を教えることができる。

妹のジェシカは、フォトショップを駆使して卒業証明書を偽造し、トラウマの幼児の面倒 を見て、言うことを聞かせる。父のキムも、厳格で要求の多いパク社長の信頼を勝ち取り、 満足なサービスを提供する良い運転手である。母もハイクラスの家庭の食事を用意し、掃除 し、作ったことのない料理を8分間で仕上げる。このように能力の高い人たちがどうして仕 事に就けずにいたのか?自分を偽らずして才能を発揮できる術はなかったのか?自分たちと 同じ、労働者階級の人々の道から外れずに済む選択肢はなかったのか?

作品中、最も印象に残るシーンは、洪水の後、避難所の体育館で父と息子が交わす会話だ。 「この石は自分にとりついて離れない」と言うケビンに、父がこう語る。

この避難所にいる誰もに、それぞれの夢や計画があり、裕福で幸せに暮らしたいと望んで いる。なのに、今こうして家を失い、床に寝る羽目になった――。

人生は、計画どおりに行かない、皆生まれたくて貧乏に生まれて来たわけでなく、貧困に とどまっていたいと計画したわけでもない。キムのような何百もの家族にとって、一晩の大 雨が、全ての計画を奪い去る。それでもシステムの側は何も失うことなく、常に計画通りで あることを要求し、圧力をかけてくる。なぜなら、システムが機能するためには、損害を被 る人が必要で、一部が階段の下で暮らす必要がある。パク社長が階段を上るには、下で電気 を付けてくれる人がいなくてはならない。

エンドロールで流れる曲の歌詞は、ポン監督が作詞、ケビンを演じた俳優チェ・ウシクが 歌っている。タイトルは「564年」。意味はケビンが日夜働いて給料をもらい、家を買うこ とを目指した場合に、平均所得では、こんなにも長い年月が必要になるという。ポン監督は、 作品で描いた不平等な状態は、自分の生きている間、または息子の時代にも改善されないだ ろう、ひょっとすると564年後もそのままかもしれないとも話した。

触れずには終われない2つの伏線がある。帝国主義-キムの家族は韓国を、家政婦家族は 北朝鮮を、パク家族はアメリカを表している。朝鮮戦争後、韓国が米軍、軍備、援助などマ ーシャルプランの潤沢な施しのもとに生きてきたことも、一つの「寄生」と言える。家政婦 の家族は、キム一家を撮影した動画を脅しに使い、「send(送る)ボタン」は、北のミサイル に譬える。(中略)家政婦家族は、欧米に愛想を振りまき、援助や給料を得ているが、貧困や 核兵器を隠し持っている。家政婦の夫は、金正恩への崇拝よろしく、パク社長に日々敬意を 表して頭を下げる。

ひとたび戦争になれば、家政婦家族は同じ民族であるキム一家と戦う。米国を表すパク社 長の息子は、インディアン文化がお気に入りだ。他人のものだった建物や土地を、力ずくで 我がものにする、との含みがある。また、心の帝国主義。資産家の妻にとっては、自分の下 で働く人がどこの大学を卒業したかには関心がなく、ハーバードやスタンフォードなどとい うより、アメリカで卒業した、イリノイ州でという地名を聞いただけで雇い入れる。息子の テントは「米国から買ったのだから、水が浸みて来ることはない」と信じている。バスキア の現代アートに息子の作品をなぞらえるが、知っているのは名前だけ、アート療法と言われ れば、簡単にだまされてしまう。

気象の変化――ポン監督の前作と重なるテーマが扱われる。貧富の差によって、災害が及 ぼすインパクトがまったく違ったものになる。一夜の大雨は、裕福な家族にはキャンプが中 止になるだけだが、貧しい家族は全てを失い、生活が根底からひっくり返ってしまう。高台 の邸宅で何不自由なく暮らす一握りの人達が空を飛び、サービスを享受し、たらふく食べて 温まり、消費したツケは、低いところにいる貧困にあえぐ人々に真っ先に回って来るのだ。

ウェブサイト Ikon.mn 原典: https://medium.com/@battogtoh 

(2020年2月、原文モンゴル語)

(記事セレクト・抄訳=小林 志歩)

※転載はおことわりいたします。引用の際は、必ず原典をご確認ください

モンゴル学習支援事業&大阪市立南住吉小学校

モンゴルの体験・ありがとうございました。


モンゴル・日本友好茶会と茶道の普及活動


はじめに

2018年と2019年に、モンゴル・ウランバートルで茶道の紹介と教授を目的とした 4つの行事と講座を行った。2017年に日本とモンゴルは国交樹立45周年を迎えたこと を機に、今後のモンゴルにおける茶道人口の拡大と両国の文化交流の拡大を目的とし、筆者 が代表理事を務める一般社団法人歩々佳風と、北東アジア安全保障戦略研究所(ウランバー トル)、北東アジアエネルギー安全保障センター(大阪府)との共催により、2018年3月 に茶道紹介と茶会をモンゴルで実施した。また、二つの教育機関で学生に向けた講座を実施 した。翌2019年には、モンゴル日本センターの茶道講座を指導した。それらについて報 告する。

1. 於モンゴル・日本センター

2018年3月にモンゴル日本センターの「市民 講座」として「モンゴル・日本友好茶会」を開催し た。在モンゴル日本大使館と茶道裏千家淡交会の後 援を得た。2012年に、日本・モンゴル国交樹立 40 周年記念事業の一環として、茶道裏千家千玄室大 宗匠がモンゴルを訪問し、茶道行事が開催された。 ハジドスレン・ボロルマー大統領夫人はじめ各省庁 局長など 15 名が出席し、現地でも広く報道された。 今回は、対象者を広げモンゴルの一般市民に向けて 実施した。参加者は上限50名で事前申し込み制と したが、申し込み開始からすぐに満席となった。

茶道具、抹茶、和菓子は日本からスーツケースで持参した。郵送を検討したが、航空貨物 では料金が高額であり、貨物船輸送では到着に 3 週間もの日数がかかる上に破損の危険性が 高いことから断念した。抹茶茶碗などの陶磁器、繊細な和菓子の運搬には、破損しないよう 細心の注意を払った。とりわけ運搬に最も難儀したのは約20kg の風炉釜である。梱包を含 めるとかなりの大きさと重量になった。風炉釜は本来は火床として灰を入れ着火した炭を置 いて湯を沸かすが、今回は電気置き炉を使用した。

日本センターの大部屋では、壇上に畳4畳を敷き茶室の点前座に見立てた。茶室としての 設えに必要な床の間は低い小テーブルで代用し、奥のカーテンに掛け軸を掛け、花、香合を 飾った。 また部屋の一部を仕切りで区切って目隠しし、水屋とした。花は現地で入手したが、これに も苦労した。3月のウランバートルの気温は− 20°Cを下回り、当然ながら花は咲いていな い。デパートの花売り場には、バラや百合など豪華で色鮮やかな生花が売られているが、そ れらは茶花に求められる山野草の慎ましく楚々とした美しさとは趣が異なる。茶花は自然の 野に咲く草花を入れることが決まりである


また、 切り花では極寒の外気に触れて短時間持ち歩いただ けで花が凍りポキっと折れてしまう。そのため、鉢 植えで茶花の趣を持つ自然に咲く花を求めてタクシ ーでホームセンターや植木屋を周って探した。鉢植 えは茶会の当日まで大切にホテルで育てた。

また、不特定多数の参加者に飲食物を提供するた め事前に衛生局へ届出の提出していたので、衛生面 にも気を配った。日本から持参した消毒用アルコー ルジェルを会場入り口におき、来場者に使用を促した。

裏方では、使い捨ての手袋を用意しお菓子の盛り付けでの使用を徹底した。また、ミネラ ルウォーターを余分に用意し、飲料用のほか煮沸する湯にもすべて使用した。

講座の前半は、茶道についてプロジェクターで茶室や茶会の様子を映しながら、茶道の歴 史、成り立ち、茶の伝来、抹茶の栽培方法、茶道の精神、について短い講義をした。次に、 壇上の茶室に設えた壇上で、デモンストレーションとして実際に点前をした。その間、多く の参加者が点前の様子をカメラで写真や動画を撮影していたが、話し声はほとんど聞こえず、 熱心に鑑賞していた。その後、呈茶を行った。お菓子に続いて水屋で茶を点て一碗づつ運び 出した。最後に質疑応答の時間を持ったが、多岐にわたる非常に活発な質問がなされた。

事前の申し込みなしで来場して受講を希望した10数名も受け入れた。余裕をもって多め に抹茶とお菓子を持参したため対応することができた。すべての人に分け隔てなく心を込め て一碗のお茶を差し上げる、という茶道の教えを実践できたことを、嬉しく思っている。

この回は実技の指導は行わず、講義の中でも客側のお茶を飲む作法についても説明はしな かったが、参加者の多くが、茶碗を受け取った際に両手で茶碗を押し戴く仕草をしたのが印 象的だった。大切な物を扱うようにお茶をゆっくりと飲む様子も多く見られた。参加者のほ ぼ全員が茶道の経験はないということだったが、茶碗を両手で押し戴く仕草は、客の作法と ほぼ同じであるため、驚いた。海外で茶道の点前による呈茶を行った経験から、このような ことは初めてだった。その理由を考えてみたい。(つづく)

・モンゴルで茶道

今回、小長谷先生の知人、宮脇史歩さまからの活動報告を2回にわけてご紹介いたします。

モンゴル関係催しのご案内

(味方 慎一)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

事務所
〒617-0826 京都府長岡京市開田 3-4-35
tel&fax 075-201-6430

e-mail: mopi@leto.eonet.ne.jp

MoPI通信編集責任者 斉藤 生々

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

カテゴリー: モピ通信 パーマリンク